作品をちゃんと知った上で戦技競技会を見ると、出演キャラが錚々たる面子だし、監督曰く最後の好き勝手できる回だけあってネタ満載でご褒美回だった第8話。
そして突きつけられる現実。次回の悲劇を、明日が月曜日という現実を。
ここ、百合ヶ丘女学院はいわゆるお嬢様学校である。気品高い方々が集まるためか、学院内の作りも教室や廊下、カフェテリアなど、普通の学校と違ってとても煌びやかに思える。
この学院に来て初めてお嬢様のお茶会というものを見たときは、まるで異世界にでも来たかのような現実離れした感覚を抱いたことを覚えている。紅茶とお茶菓子を手元に、同い年の少女たちが気品を纏って微笑み合う様は、一般家庭の出である私にはとても縁遠い光景だった。
それに混ざったこともあったというのだから、人とは余程環境に左右される存在なのだろう。
そんな百合ヶ丘女学院のトップに座すお方が、私の目の前にある扉一枚隔てた先にいらっしゃる。扉の上には『理事長室』と書かれた札がかけられており、その部屋が放つ厳粛な空気の正体を物語っている。
仕事と挨拶をするために来ただけ。そう分かっていても、僅かにでも萎縮するのを止められない。目上の人に会うというのは、どんな理由でも緊張を禁じ得ない。この扉は何度も通ったのだからいい加減慣れろ。
しかし、私も仕事人。ひとたび腹を決めてしまえば入室の礼儀としてノックするために一歩踏み出すのは簡単なことである。
そうして扉を叩こうと手を伸ばした時、扉の向こうから複数の男性の声が聞こえてきた。
『先日も言ったことだが、高松君。こちらは保護された少女の身柄を引き受ける用意ができている。それでも、こちらの申し出は願い下げだと、君はそう言うのかね?』
「願い下げだなどと、とんでもない。報告から僅か2週間で受け入れ態勢を築き上げた手際はお見事です。しかしながら、彼女がリリィである以上、ガーデンを担う我々には彼女を守る義務があります。お手間を取らせ恐縮ですが、何度話を持ち出されてもこちらの答えは変わりません。彼女の身柄は、我々が引き受けます」
一つは芯の通った老人の声。百合ヶ丘女学院の理事長代行を務めるお方の声だ。
もう一つは前者より若々しいが高慢さを感じる通信越しらしい機械音声。
どうやら、理事長代行は政府かその筋のお偉方とお話しをしている最中のようだ。ノックは終わるまで待った方がいい。
……そう、私は通信に割り込んでは悪いので待っているだけ。決して立ち聞きや盗み聞きをしようと扉の前に立っているわけではない。耳をそばだてているのは、僅かでも中の声が聞こえないと終わりのタイミングが分からないからだ。
念のためもう一度言いますが、決して盗み聞きなんてはしたない真似はしていない。
『君はリリィという存在に肩入れしすぎではないか? 保護された民間人がリリィだったとはいえ、データベースに登録されていない素性の知れない少女をガーデンの生徒として招き入れたばかりか、あまつさえCHARMを持たせようなどと、軽率とは思わないのか?』
「重ねて申し上げるが、彼女がリリィであるなら、ガーデンには彼女を守る義務があります。ならば彼女に身を守る術とそのための力を与えることは道理。これは私情による肩入れなどではなく、守る者としての責任というものです。それより、彼女の身元については何か分かったのですかな?」
『なぜそれを君に話さなければならない?』
「現在、我々は彼女の身元を預かる立場。リリィである彼女をあるべき場所へ帰すのも我々の勤めです。情報をお持ちなら開示していただきたいですな。あなた方のご友人には、彼女に興味のある方もいるようですし」
『何の話か分からんがしかし、君は帰す場所があるなら帰すと、そう言うのだな?』
「もちろんです、それが本当に彼女のいるべき世界であるならば」
『くくっ……鋭意調査中とだけ言っておこう。まとまり次第、そちらに報告させてもらう。では、本日はこれで失礼する』
……終始誰の話をしているのか見当がつきませんでしたが、どうやら話は終わった様子。口ぶりからして、また強化リリィを保護したのでしょう。
小難しい話は得意じゃないですが、私はいつだってリリィの味方。彼女たちの平和な人生を脅かす輩がいるならあらゆる手を使ってでも抵抗する覚悟。たとえ相手が国であろうと、彼女たちの世界は犯してはならない聖域だ。
とにかく、話が終わったなら入っても大丈夫だろう。そう思って今度こそ扉を叩く。
そうして手を伸ばした扉は私が触れるまでもなく内から開かれ、中からジト目でこちらを睨む双眸が覗いた。
「………」
「……お仕事お疲れ様です、史房さん」
「どちらかと言えば、それはこちらの台詞です。あなたの仕事が低俗な盗み聞きだったとは初耳ですが」
言葉を交わしたのは、茶髪をポニーテールでまとめた凛とした顔立ちの少女。
百合ヶ丘女学院の生徒会、その中でも生徒会三役と呼ばれる重役が一柱『ブリュンヒルデ』を担う3年生、
「盗み聞きとは何の話でしょう? 私はたった今ここに来たばかりで……」
「シラを切れると思っているのですか? 扉の前に気配があったことくらい気づいています」
やはりバレている、我ながら迂闊だった。流石は過酷なデュエル世代を生き抜いて今もなお戦いで勇名を馳せる3年生、私程度では敵わない。
史房さんはため息をつくと、扉を開き切って私を中へと誘った。
「ひとまずお入りください、理事長代行がお待ちです」
促され中に入ると、目に入るのは窓ガラスから見える廃棄地帯と由比ヶ浜の海。そして見るからに高そうな材質のソファと、それに対面する形で置かれた執務机、そしてそこに座る眼鏡をかけて和装を着た白髪のご老人。
身体が不調な姉に代わって百合ヶ丘を執り仕切る理事長代行こと、
半世紀前、初めてヒュージが観測され、人類とヒュージの戦いが始まった。この御仁はその最初の大戦である『南極戦役』の生き残りとして当時の激しさを知る生きた歴史のようなお方だ。
「ご無沙汰しております、理事長代行」
「なに、こちらこそだ。待たせてしまってすまない」
「いえいえ、待ってなどいませんよ。私はついさっきここに着いたばかりなので」
「まだ言いますか」
理事長代行へ挨拶すると、背後から扉を閉めた史房さんが再び冷ややかな眼差しを向けてきた。この人には冗談が通じないのか。
「元気そうで何よりだ。四ノ宮君も息災かね?」
「あの人は健康的で毎日10時間は寝てますから。元気ピンピンですよ」
「それは逆に寝過ぎではありませんか?」
史房さんの口からごもっともな意見が飛んできた。一般的に睡眠時間は7〜8時間がベストと言われていますが、そこはまあ、人それぞれというやつで。
「リリィだった時に色々やってたみたいで、寝る時間はいくらあっても困らないというのが愛莉さんの考えだそうです。今だってトラックに戻って夢の中でしょう。あれで自己管理はちゃんとしてますから大丈夫ですよ。それに……」
「他人の生活にとやかく言うのは野暮、ですか?」
「流石は史房さん、分かっていらっしゃる。ところで、こちらはお仕事を先に済ませてしまいたいのですが、理事長代行、よろしいですか?」
「ああ、いつもすまないな」
了承も得たので、私は持ってきた紙袋から包みを取り出した。中からは粒状のものが入っているようなジャラジャラという音が鳴る。
それに合わせて、理事長代行は茶封筒を取り出す。そして、互いに持っているものを交換する形でそれぞれの手に持つものが入れ替わる。
最後に、交換した物の中身をお互いに確認した。
「……はい、代金ぴったり、確かにいただきました。毎度ありがとうございます。うちの豆を個人で買ってくださる方なんて理事長くらいなので嬉しいですよ」
「姉上も君を気に入っているのだろう。いつも君が学院に来るのを心待ちにしているようだからな」
「心にもないことを仰られる。理事長が待っているのは、私というよりこちらでしょう?」
そう言って、私は紙袋から再びものを取り出す。取り出したものは封筒、しかし原稿用紙が入るような大きな封筒だ。
それを見た理事長代行と史房さんの目が細まる。二人とも、これの中身を理解しているからか室内にほんの僅かな緊張が走る。
理事長が差し出した封筒を受け取り、中身を机の上に広げる。それは、どこかの建物の写真。その間取りや所属する人員の数など、そこに関する様々な情報が事細かに記された書類だった。
普段は感情を見せる方だと自覚している私も、これの扱いに関しては殊更に無機質なものだった。
「今回受け取ったG.E.H.E.N.Aの秘匿ラボのデータです。今後の特務にお役立てください」
これが私が喫茶店経営の傍で行う副業と言うには重すぎる仕事、多国籍企業
まず前提の知識として、G.E.H.E.N.A.について。G.E.H.E.N.A.とは、マギやヒュージにまつわる研究において世界の先端を行く研究機関のこと。リリィの装備開発などにも手を出している大企業で、産み出された装備や技術は対ヒュージ戦線において少なくない影響を与えている。
一見すればただの巨大な研究機関だが、一度これに関わる業界へ踏み入れば黒い泥のような実態が滲み出る。
G.E.H.E.N.A.は、成果を得るためなら人体実験すら厭わない。リリィを捕えてモルモットとして実験を課す、非合法かつ非人道に手を染めた組織なのだ。
当然、そんな事実は公表されていない。されていれば、今日日G.E.H.E.N.A.という組織は存在していない。人体実験などという世の倫理観から逸脱した行為が、世間に受け入れられるはずもないのだから。
しかし、彼らはそういった証拠は残さない。どこで何をしようとも、自らの尻尾を巧妙に隠してしまう。彼らの闇を知るリリィやガーデンからすれば、しばしば欠片ほどの痕跡は見つけるが、明確に彼らを指し示すものでなければG.E.H.E.N.A.を糾弾するにはあまりにも足りない。毛先一本程度の証拠では彼らは痛くも痒くもなく、今でも堂々と日の下でリリィの身体を使って研究を続けている。
話を戻して、あれは2年半前だったか。朝の豆栽培から帰ると店の前に紙袋が置かれていた。その中には、大きな封筒と手紙、そして通信端末が一つ。
手紙の主はG.E.H.E.N.A.の研究員を名乗る女。内容は淡々としていて、『封筒の中身を百合ヶ丘まで届けてほしい。あなたの口座に前金を振り込んである。封筒の依頼が成就され次第、追加を支払う』というもの。
なぜ私の口座が割れているのかは置いておき、ひとまずこのブラック企業の謳い文句の雰囲気をリアルに引っ張り出したような怪しさ満点の封筒を百合ヶ丘まで持って行った。事前に盗聴器の類がついていないか念入りに調べた上で。
そして、理事長代行に渡して中を開けてみれば、そこには見事に隠されたG.E.H.E.N.A.のラボの所在、その構造や警備、囚われたリリィの人数や詳細その他諸々の情報が記載された資料が入っていた。女の言う依頼とはつまり、リリィの救出を意味しているのでしょう。
百合ヶ丘はG.E.H.E.N.A.の行いを良しとせず、彼らに囚われたリリィたちを秘密裏に救出する活動を行っている。いわゆる特務である。女はこれを知っていているようだし、やはりG.E.H.E.N.A.の人間ということか。
ちなみに、その場に集められた当時の生徒会三役と、まだ試験投入段階だった特務レギオンの隊長がこれを見た反応はというと……
「罠です」
「罠ですね」
「罠だと思います」
「罠としか考えられません」
ですよね〜。
元より百合ヶ丘はG.E.H.E.N.A.の非人道行為に反発する反G.E.H.E.N.A.派ガーデン。それなのに敵方の関係者から送られてきた情報を素直に信じるなんて土台無理な話だ。私だって懐疑的でした。
しかし、百合ヶ丘に来る前に私の銀行口座の預金残高を確認してみたところ、そこには覚えのない数えるのが怖くなるような数字が記されていた。前金は確かに支払われていたのだ。これを見た私はその場で声が出せなくなり、動揺が顔に出ていたのか店員さんから心配されてしまいました。
向こうは本気だと私は思った。少なくとも、罠だとして実際にここまでの金を個人に対して動かすのはあまりに仰々しすぎる。
これを踏まえて百合ヶ丘が出した結論は、もたらされた情報を元にした救出任務の実行だった。ただし、罠という可能性を含めたあらゆる不測の事態に備え、普段以上に念には念を入れた準備の下、慎重に慎重を喫した作戦で。
さらに、万が一の事態に陥った場合は、自分の身を最優先に行動し、いかなる手段を用いてでも帰還せよ、という理事長直々の厳命まで受けていたらしい。これだけでも百合ヶ丘のG.E.H.E.N.A.に対する姿勢が窺えるというものだ。
結論から言えば、作戦は成功した。女が送った情報は警備員や監視カメラの配置、非戦闘員の数、リリィが囚われている場所、ラボが行っていた研究内容に至るまで、端から端まで完璧かつ正確だった。
待ち伏せやトラップといったものもなく、罠を警戒してこの上なく慎重に行われた特務はかつてないほど滞りなく幕を下ろしたという。
その報を理事長代行から伝えられた私の元に、一本の電話がかかってきた。それも私が持つ携帯ではなく、例の女が資料と共に送ってきた携帯から。
相手が誰なのかを半ば察しながら通話に出ると、電話の向こう側にいる相手は端的に、たった二言だけ言い残した。
『応じてくれて感謝するわ。また送るからよろしく』
また、という言葉を聞いたその瞬間、私は自身の迂闊さと浅はかさを呪った。相手は私の店や百合ヶ丘との繋がり、そしてなぜか口座まで知っていた。ここまで来れば私に関する多くの情報を握られている可能性が高い。よりにもよってG.E.H.E.N.A.の人間にだ。
しかもその相手は、どういう考えか自社の情報を事実上の敵対組織に流すという暴挙に手を出している。守秘義務? 何それ美味しいの?感覚だ。
何がまずいかを端的に言うなら、私は女の依頼が完遂された時点で彼女と共犯関係になり、その関係を半永久的に強制されることになったのだ。これで関わるのが一般企業とかならまだ可愛いものの、相手はG.E.H.E.N.A.。最悪の場合は存在を消されるかもしれない。
つまり、こうなってしまってはもう一蓮托生。相手が捕まれば繋がっている私も危ない。関係を切ろうにも相手に私のどんな情報が握られているか分からない以上、一方的な尻尾切りは報復が怖かった。社会的抹殺も充分あり得る状況だ。
ここまで考え至った上での私の結論は……
「まあ、なんとかなるでしょ」
開き直りだった。
冷静に考えて、この関係自体は大いに利用価値がある。百合ヶ丘が行っているリリィの救出は、G.E.H.E.N.A.からすれば蚊に刺された程度のものでしかないでしょうが、こちらにとってはとても意義深いもの。それを安全かつ円滑に、より多く行えるというなら願ってもないことだ。
また、百合ヶ丘も私の立場の危険性に気づいたらしく、万が一の場合は百合ヶ丘に教導官としての籍を用意して保護する態勢を整えてくれているらしい。ご迷惑をおかけしてすみません、と渾身の土下座でお詫びしました。
何より、さながら花のように美しく可憐なリリィの身体を玩具のように弄り遊ぶ憎たらしいG.E.H.E.N.A.を相手にした嫌がらせに関わっていると考えれば、これほど愉快なこともない。実験体が次々にいなくなって困り果てる奴らの顔を思い浮かべればそれだけで愉悦ものだ。
こんな感じで、命のかかった絶叫アトラクションに乗っているような感覚で、今では存外楽しくやってます。
「……相変わらず事細かに記されている。内部からとはいえ、ここまで仔細な情報をどうやって入手しているのか」
資料に目を通しながら、理事長代行が感嘆の声を漏らす。事実、女から送られてくる資料の詳細を一から十までという形で例えるなら、一から百までというべきほどに細かく情報が書かれている。
こちらが救出作戦を立てる上で、手にある情報は正確であるほどいい。女の情報の正確性は、過去にもたらされた情報により行われた作戦の成功率が証明してくれている。
そこにきてこの情報量だ。量と質は常にどちらかが劣っているものですが、女の情報はその両方を担保している最高の代物だった。
「しかし、理事長代行……」
「分かっている、暁乃君。友好的であっても相手はG.E.H.E.N.A.だ、気を許しきるのはあまりに危険。2年半が経つ今でも、作戦には最大限の準備と警戒を以ってあたっている」
「作戦行動中、ロスヴァイセは装備だけでなく、レアスキルを用いた安全確認を行っているそうです。特に
史房さんからの説明を聞くと少し不安になる。確かに事情が事情なだけに警戒はしすぎるに越したことはない。しかし、それに注力しすぎてしまい、いざという時にマギが空になってCHARMが振るえないとあれば本末転倒。
碧乙さんはロスヴァイセにおいて副将を務める方。自分にできることがあるだけに責任を負おうとしているのかもしれない。
だが、その心配も伊紀さんの名前が出たことで振り払われた。
「伊紀さんがそれを理解しているなら大丈夫ですよ。あの二人もシュッツエンゲルの契りを結んだ姉妹です、伊紀さんが支えてくれます。碧乙さんのお姉様であるロザリンデさんもいるんですから、私たちが心配しすぎるのは野暮というものかと」
「それはそうですが、しかし……」
「レギオンを統括するブリュンヒルデとしては不安ですか? 大丈夫ですよ、史房さん。姉妹の力は偉大なのです。生徒会の実質的なトップに立つあなたが、それを知らない訳ではないでしょう?」
「信じていない訳ではありません。ブリュンヒルデとして、レギオンの状態管理には最善を尽くしたいだけです」
「義務的、でも垣間見える友愛、ふふっ……」
「何か?」
「いいえなんでも〜」
公私混同せずに職務を全うする史房さんが、時折こうして可愛い一面を見せると胸に異様なときめきを感じる。これがいわゆるギャップ萌えというものか。
百合ヶ丘生え抜き、しかも生徒会三役という立場だけあって、史房さんはどこか厳格そうな雰囲気を纏っている。だからか、本人がまだうら若き高校3年生であることをしばしば忘れがちになってしまう。実際はこんなに可愛いのに。
そんな目で見れるのは、あるいは私が彼女の先輩だからかもしれない。もちろん人としてという意味で。リリィとしての年季なら史房さんの方が上だし、実力も私では足下にも及ばないでしょうから。
仕事も終えて、ようやく楽しみにしていた
「時に暁乃君、
これを聞いた私は眉を顰めずにはいられなかった。唐突にして今までになかったことだったからだ。
チラリと史房さんの顔を窺うと、当人も僅かに眉根を寄せていた。どうやら史房さんも寝耳に水な話題のようだった。
「私にならともかく、愛莉さんにまで? 一体何ですか?」
詳細を話してもらうよう促すと、理事長代行は顔の前で両手を組み、改まった様子で要件を切り出した。
「百合ヶ丘では近々、戦技競技会が開かれることになっている」
「ああ、もうそんな時期でしたか」
戦技競技会とは、百合ヶ丘の生徒が日頃の研鑽の成果をアピールするイベントのことだ。対外的にガーデンの力を見せるという名目もあるが、その主な意図は学年やレギオンを問わず生徒同士で技量を競い合う、一般の学校で言う運動会の趣が強い。
懐かしいなぁ。私の頃は、的を取り付けたドローンをCHARMの射撃で撃ち落とした数を競う競技とかやりました。的は出場者のマギに反応する仕様なので誰の弾が当たったかは一目で分かるようになってるし、基本的に上に向けて発砲するので人に被弾するリスクもほぼゼロと、見かけに反して安全面もしっかり考慮された競技でした。今年はどんな種目をやるんだろう?
いや、そもそもどうしてその話題を振るのか?
「これに際して、百合ヶ丘の警備を最高度に維持しなければならない。そこで、君たちにも協力願いたいのだ」
「つまり、戦技競技会で警備員をしてほしいと?」
「平たく言えば、そういうことだ」
「お待ちください代行! OGとはいえ今や一般人の皐月様を、教導官としてならともかく一時的な警備として雇うなど! ……いえ、OGだからこそ控えるべきです。見方によっては、卒業したリリィを再徴兵したなどと外部から捉えられかねません!」
代行の言葉に、史房さんが柄にもなく声を荒げる。史房さんの方に顔を向けると、その目は懐疑的な眼差しで理事長代行を見据えていた。
珍しい、と言うよりはらしくないと思った。史房さんは基本的に理事長の意見に疑問を持つことはあっても最終的には納得して行動する人だ。なのに今回は、理解しようとする素ぶりも特になく真っ向から否定に走った。
史房さんの懸念も理解できなくはない。対ヒュージ戦の要であるリリィとそれを擁するガーデンは国から相応の待遇を得ており、公に税金も投入されている存在だ。
しかし、中にはそういった特別扱いに不満の声を上げる人々もいる。女尊男卑だの税金泥棒だの心許ないことを口にする輩は一定数いるし、一昔前はリリィが危険な存在だなどと
思うに史房さんは、そういった輩どもに叩かれるような隙を作ってしまうことを憂慮しているのだろう。
だとしても、やはり史房さんの態度はらしくないと思い、何故かと考え始めて、いつもならこの場にいない異分子の存在に思い至り、まさかと思って史房さんに問いかけた。
「もしかして史房さん、私の心配してくれてるんですか?」
「っ……あなたの、と言うなら確かにそうですが、私は代行の意向により百合ヶ丘が置かれる可能性のある世間的な立場を危惧して……」
私の目の前にいるのは、百合ヶ丘女学院の生徒会三役が一人、ブリュンヒルデを務める己を律して責任ある立場に立つ大人びた少女、出江史房さん。
そのはずなのに、今の彼女は冷静さを取り繕いながら頬をやや紅潮させて私に話していた。頬が赤いのは先程までの興奮のせいと考えることもできたが、史房さんが私に向けるどこか気遣うような視線がその可能性を否定していた。
そして、やはり史房さんが私のことを気にかけてくれているのだと確信した途端、目の前の少女がたまらなく愛おしく感じられた。
次の瞬間には、後で思い出して自分をぶん殴りたくなる衝動に駆られる言葉を吐き出していた。
「史房さん、抱きしめていいですか?」
「は?」
「抱きしめていいですか?」
「いえ、聞こえなかった訳ではなく」
「ハグです」
「言葉の意味が分からない訳でもありません! 強いて言うなら唐突すぎて状況の意味が分かりません!」
「だって史房さんが急に可愛いんですもん!」
今、私の目には目の前の史房さんがネコなどの愛玩動物にしか見えない。今すぐ撫でてあげたい、その上で彼女という存在を愛で尽くしたい!
しかし、欲望がダダ漏れだったのか、史房さんはその場からスーッと後ろに身を引いていってしまった。なんか本当にネコみたいです。うちの店によく来る野良猫の子も、この間こんな風に警戒心を露わにしてましたね。ちょうど梅さんと鶴紗さんが来ていた時に。
すっかり手の届く範囲から離れてしまったので、抱きしめたい衝動は仕方なく抑えつつ本題に戻る。
「まあ、史房さんが言いたいことも分かりますが、そこは大丈夫だと思いますよ?」
「何を根拠に大丈夫などと……」
「それは史房さんが一番分かってるはずです。理事長代行が、なんの考えも無しにあのような提案をするとお思いで? ですよね、代行?」
話を振ると、代行は静かに頷いた。今更ながら、さっきまでのやり取りを見られていたと思うと途端に恥ずかしくなってきた。
「こちらで各所への根回しは済ませておく。間違っても、君たちの店や生活に悪影響が及ばないよう、最善を尽くさせてもらおう。もちろん、百合ヶ丘を好奇の目に晒す気も毛頭無い」
「ほら、これなら私が来ても大丈夫でしょう?」
「……申し訳ありません、代行。先走りすぎました」
理事長の思惑に背柱があると分かると、自分の行動が浅はかだったと思ったのか、史房さんが私たちに頭を下げた。
その謝罪に対して、理事長代行は左右に首を振った。
「気にすることはない。君の行動は、ひとえに暁乃君の立場の危うさ、ひいては彼女にかかる危険を考えての訴えだろう。それが分からないほど、まだ老いてはおらんよ」
「それは、そうですが……」
「やっぱり今日の史房さんはなんか可愛いですね、抱きしめていいですか?」
「ご遠慮願います」
「……甘えてもいいんですよ?」
「ご遠慮願います!」
やはり史房さんは一筋縄ではいかない。史房さんは生徒会長であり3年生という立場上、なかなか人に弱いところを見せない。だからこそ、先輩かつ部外者である私には少し素直になってほしいと常々思っている。
あと、私はもうとっくに危険な立場に片足どころか肩まで浸かってるので、今更一つや二つの危険が増えたところで怖くありません。
それは置いといて、ひとまず代行のお話を完結させることにする。
「代行。警備のお話ですが、お受けすること自体は構いません。母校の百合ヶ丘のお役に立てるなら願ってもないことです。ただ、一つだけお願いしたいことが」
「何かね?」
「愛莉さんには持ち場を与えず自由に動けるようにしてほしいんです」
「構わないが、理由を聞かせてもらえるかな?」
「そうした方があの人は役に立つ駒だからです」
「……分かった、そのつもりで調整しておこう」
「ええ、G.E.H.E.N.A.に対抗するならあの人はフリーにしておく方が有用ですから」
私がそう言った途端、代行と史房さんの目が僅かに見開かれた。一言も口にしていないとはいえ、まさか気づかないとでも思っていたのか。
仮にも私だって百合ヶ丘女学院の末席に名を連ねた人間、ある程度の察しはついています。
イベントに先立ち外部への警戒を高めるのは理解できる。しかし、わざわざ私や愛莉さんという少数の人間に警備強化として声を掛けるのは腑に落ちなかった。どうせ増強するなら数を揃えて穴を埋める方法は他にいくらでもある。
なら、私たちであることに意味がある。思うに、実践的な戦力としての価値がものを言うのではないか。そういう人材を雇い、こちらにはこういうカードがあると見せつけたい相手がいるのではないか。そう考えると、百合ヶ丘が相手をする中で、そんな存在はG.E.H.E.N.A.以外に思いつかない。
もちろん、本当の意味で私たちをそういう風に使うことはないでしょうが。そんなことをすれば、先程史房さんが危惧したように、卒業生の再徴兵などと騒がれかねない。あくまでも、牽制としてそう見せるだけに留めるでしょう。
ただし、この推測が正解なら私の立場上少しばかり都合が悪い。私は秘密裏にではあるがG.E.H.E.N.A.の内通者に協力している。もし今回の件で真っ向から対立の立場を示せば目をつけられる可能性もある。そうなれば、情報の横流しはこれまでより難しくなってしまう。
恐らく、理事長代行が言っていた『悪影響が及ばないように』というのは、ここまでの事情を考慮した上でのものだろう。百合ヶ丘としても、貴重な情報源は守りたいでしょうから。もっとも、海千山千の百合ヶ丘女学院理事長の思考の深淵など、私には推し量るべくもないことですが。
「……君はリリィのことになると途端に視野が広くなるな。察しがつきすぎているようで畏敬の念を憶えるところだ」
代行が感心と呆れが混じったようなため息を吐いた。対して、私は首を左右に振って否定の意思を見せる。
「まさか、全てに理解が及んでいるはずもありません。なぜG.E.H.E.N.A.が百合ヶ丘にちょっかいを出そうとしているのか、とかですね。大方、先程話しておられた保護したリリィについてなのでしょうが、それも定かではありませんし。百合ヶ丘はその類の厄介ごとを抱え込みがちですからね、ご苦労お察しいたします」
「私はリリィたちを厄介者などと考えたことは一度もない」
「私もです。リリィは人類の希望であり未来そのもの。ですが同時に、誰とも変わらぬ人間であり、彼女たちにも未来があることを忘れてはならない。その未来を脅かす外道な輩がいるなら、全力で抗う所存です」
「未来ある人間というのなら、君もその一人だ。組織としての百合ヶ丘と違い、あくまで一個人の君には後ろ盾が無い。あまり無茶な真似はしないでほしいところだが」
「あるじゃないですか、百合ヶ丘という最高に頼れる後ろ盾が。既に情報の横流しの件で迷惑かけちゃってますので、もう少しばかり寄りかからせてください」
これでは中等部の頃のようなおんぶにだっこ状態に戻ってしまったように見えてしまうが、現在はこちらも百合ヶ丘に多少の利益を情報として返せているので、これはその見返りとでも思ってもらおう。
私の言葉を聞いた代行は、何かを諦めたように肩をすくめて首を振った。
「君は賢しいな。たとえ個人的だとしても、私が君を切り捨てることはないと分かっていて守れと言っている。自分の置かれた立場をよく理解しているようだ」
「賢しいのは代行の方でしょう。私がリリィ関連の頼みを断れないと知ってて警備のお話を持ち出しましたよね? 歳をとるとずる賢くなっていけません」
「お互い様ということだ」
違いない。なまじ社会的な厄介ごとに関わっているから、そっち方面の立ち回りもいくらか要領を掴めているような感覚がある。
しかし、私はその世界ではどうしようもなく素人同然。どころか、本来は組織として立つべき世界に私はほぼ個人として立っているのだ。
一歩間違えれば何もかもを失いかねない現実、この感覚が思い上がりでないことを切に願う。
やがて、やる事も無くなった皐月は本日のメインイベントに洒落込むためにさっさと理事長室を後にした。咬月も引き止めるような用事は済ませたため、静かにその背中を見送った。
バタンと扉が閉まり、室内には咬月と史房の二人だけが残る。そして、二人して力を抜くように長く息を吐き出した。
「やはり暁乃君は侮れんな。あくまでも事情は伏せたまま、一行事における助力を請う予定だったが、勘づいていたとは恐れ入る」
「リリィ関連の事柄においては勘が良すぎるところがありますからね。私も心中を悟られた時は少し肝が冷えました」
「暁乃君は事情を知ればどこまでも深入りしてくるだろう。それを避けるための秘匿だったが……こうなってはやむを得んか」
「どこか執着にも似た、危うさを感じる愛情です。皐月様はリリィのためなら危険を顧みないどころか、平気で自身の命をかけるような方。G.E.H.E.N.A.の情報の横流しなどという綱渡りを笑ってこなしているのがいい証拠です」
「分かっている。彼女の身辺への対処は十二分に行うつもりだ」
そう言った咬月の脳裏に、政府の男の言葉が蘇る。
『君はリリィという存在に肩入れしすぎではないか?』
それを反芻し、先程まで目の前に立っていたOGの姿を思い出すと、今度は彼女の言葉が思い起こされる。
『賢しいのは代行の方でしょう。歳をとるとずる賢くなっていけません』
咬月はフッと自嘲するように口角を上げると、通信するでもなく政府の男に立場を忘れた本音の返答を返す。その目には皐月ともう一人、自身の姉の姿が浮かんでいた。
「肩入れなどと……姉上と暁乃君を見ていると、私のそれはまるで児戯のように思えてなりませぬよ」
その呟くような細い言葉を一人聞いていた史房は、顔に出すことなく咬月に同情し、持ち寄られた情報で作戦を立案するために特務レギオンの隊長に連絡を入れた。
この世界で起きる人為的悪意の九割九分九厘はG.E.H.E.N.A.のせい(私見です)。早く滅べばいいと思うけど、イルマみたいな優しい穏健派もいるし、過程はともかく戦闘に起因する結果を出しているからタチが悪い。
当社は(研究成果に)笑顔が絶えないアットホームな会社です。