そのウマ娘は強かった。
三冠が取れると言われた逸材が揃った世代でも頭一つ抜けた強さを持っていた。
またスーパーカーや自由人、皇帝、怪物といった格上のウマ娘と互角に渡り合った。
そして海を越えてやってきた彼女生涯の最大のライバルである黄金に輝くウマ娘との幾度もの激突は、国を問わず世界中の人々を熱狂させた。
どんな重馬場であろうと凄まじい末脚で差し切っていき、そして彼女の放つ気迫を受けたウマ娘と観客たちは口を揃えて彼女をこう呼んだ。
─────怪獣王と。
東京都府中市に位置するウマ娘養成施設であるトレセン学園。毎日ウマ娘の笑い声やターフをかける音が響くこの場所だが、現在はまだ朝早く人影は少ない。
その学園から少し離れて位置するのはウマ娘たちが生活する二つの寮がある。こちらもトレセン学園同様にまだ朝早い時間帯のため静けさを保っている。
二つの寮のうちの片方、栗東寮。その一室にて。
ピピピ、と設定された時刻通りに音を発した目覚まし時計。
ピピピ、ピピピ、と己の役割を全うし続ける目覚まし時計に
───無慈悲な拳が叩きつけられた。
寮中に響き渡る鉄やプラスチックの飛び散る音。
保たれていた栗東寮の静けさは、破壊音によって打ち破られたのであった。
自室にてベッドから身を起こした栗東寮寮長、フジキセキは困ったように微苦笑を浮かべて呟いた。
「……またゴジラか」
「あ、フジキセキ先輩!おはようございまーす!」
「うん、おはよう」
身支度を整え、破壊音を出したウマ娘の部屋へ向かうフジキセキ。同じように身支度を整え部屋から出てきたウマ娘たちと朝の挨拶を交わしながら歩みを進める。
実を言うと今日のような破壊音は問題のウマ娘が栗東寮に入寮してきてからというもの、毎日のように朝の栗東寮に響き渡っていた。最初こそ他のウマ娘たちは怯えていたのだが今ではすっかり慣れ、栗東寮朝の風物詩として定着してしまっていた。中には破壊音を目覚ましがわりにして毎朝起きているウマ娘もいるとか。順応力とは恐ろしいものだ。
そんなことを考えながら件のウマ娘の部屋の前に到着したフジキセキ。コンコン、とドアをノックすると何故だか地響きのような、とても大きい生き物が歩くような音がドアの向こうから近づいてきてガチャリ、とドアを開けた。
「誰だ朝っぱらから……寮長か。おはようさん」
「おはよう、ゴジラ」
姿を現した相手を見上げながらフジキセキは挨拶を返した。
ゴジラ。
文字通り見上げるような体躯に腰下まで伸びた漆黒の髪。ロクに手入れをしていないのか全体的にボサボサの髪は何かの動物の背びれを想起させる。
また、ウマ娘にしては少し長めで太い尻尾も特徴的だ。
整った顔に鋭い目付きに金色の瞳。特に目付きはその余りの鋭さから本人にその気がなくとも対面に立った者は睨まれていると怯えることが多い。
「悪いな、毎日。直そうとは思ってるんだが」
「はは、どんなポニーちゃんにも直せない弱点はあるものさ」
すっかり寮の生活の一部に入り込んでいるゴジラの悪癖だが、それでも寮長として注意はしなくてはならない。とはいえ直接的な被害にあったウマ娘もいないのだから軽い注意で留められていた。
せっかくだからとフジキセキが朝食に誘うとゴジラは頷き、既に身支度を済ませていたためすぐさまカバンを引っ掴んで部屋を後にした。
「おはようございまーすっ!」
「おはよう、ポニーちゃん」
「ご、ゴジラ先輩おはようございます」
「……おはよう」
明らかに怯えた様子ながらも挨拶をしてくるウマ娘。特段それを気にする風もなく静かに挨拶を返すゴジラ。彼女が恐れられる理由はその風貌はもちろん、寡黙な性格もその一因だった。
「君はもう少し愛嬌があったほうが慕われると思うけどね」
「興味がない」
悪い子じゃないんだけどな〜、と内心で思うフジキセキ。そう、悪い子ではないのだ。話しかければ邪険にすることもないし、動物には優しく接することが目撃されていることから優しい性格であることを垣間見ることができる。あと何故か環境保護活動にやたら精力的なのと、原子力発電を親でも殺されたのかというくらい嫌っている。
そんな知っていれば割と親しみやすい性格をしているゴジラなのだが───
「……何見てやがる」
「す、すいません!」
だが如何せん、見た目が怖すぎるのだった。
「そういえば寮長」
好物の海鮮丼をガツガツと食べていたゴジラがふと、箸を止めてフジキセキに話しかけた。
「今度編入生が来るって話あったよな」
聞かれたフジキセキは目をぱちくりさせた。
「そうだけど……どうしたの?」
「そいつが来るのっていつだっけか」
フジキセキはスマホを取り出してスケジュール帳を確認した。
「二週間後だね」
「そうか」
それだけ言って再び海鮮丼をがっつくゴジラ。しかし自分を驚いたような目で見るフジキセキに気付き怪訝な顔を浮かべた。
「なんだよ」
「いや…君がそのことに興味を持つなんて意外だと思って」
基本的にゴジラは他者に興味を持たない。受け答えはするが自発的に会話をするようなウマ娘ではない。そんなゴジラが編入生に興味を持ったことをフジキセキが意外に思うのも当然だった。
ゴジラはガシガシと頭を掻くと、歯切れが悪そうに言った。
「あー……まぁなんつーか……。知ってる気がする名前でな」
「そうなの?」
フジキセキは再びスケジュール帳を見る。そこには日付と共に"フィリウス"、という名前があった。
「そういえば、前にトレセン学園の下見に来てた彼女を見かけたんだけど、どことなく君に似ていたような気がする。親戚の子じゃないのかい?」
「いや、俺の親戚にウマ娘はいねーよ。しかし、そうか。俺に似てたか……」
思案顔のゴジラはそのまま海鮮丼の残りを平らげるとフジキセキにことわってから先に席を立った。
「先にいくぜ寮長」
「うん、今日も一日頑張ってねゴジラ」
「寮長もな」
空になった食器をトレーに乗せて立ち去っていくゴジラ。それを見送るフジキセキ。
「やあ、おはようフジキセキ。ここ、座っても?」
振り返るとトレーを持った皇帝、シンボリルドルフが立っていた。
「おはよう、ルドルフ。どうぞ」
さっきまでゴジラが座っていた席に座り、朝食を取り始めるルドルフ。ちょうどいい機会だと思ったのでさっきゴジラとの会話の内容をルドルフに話した。するとルドルフは驚いたように目を少し見開いた。
「なるほど……いやとなると、ふむ」
「なになに?」
「フィリウス、彼女が学園の下見に来た時テイオーに案内させたのだが、テイオーによるとゴジラの居場所を仕切りに気にしていたようでな」
その話を聞いた時には、憧れのウマ娘に会いたかったのだろうぐらいにしか思わなかったのだが。と、ルドルフは話した。
「あの二人にはなにかあるのかもしれないな」
「君とテイオーみたいな感じなのかもね」
「ははは、そうかもしれないな。っと、」
ここでルドルフのウマホが鳴った。
「すまない、フジキセキ」
「いいよいいよ、大変だね会長さんは」
もしもし、と電話に出るルドルフ。それをなんとなく眺めていたフジキセキだったが、みるみる顔色が悪くなっていったルドルフを見て嫌な予感が走った。
「ああ、ああ、いや君の責任ではないさ。わかった、なんとか対処してみよう」
電話を切るルドルフ。そのまま静かにこめかみをもみほぐした。
「マズいことになった」
「ルドルフがそんな顔するなら相当なことだね。何が起きたの?」
「今日、ギドラがここに来るそうだ」
聞いた途端、思わず顔を手で覆うフジキセキ。苦い顔で呟いた。
「今日は波乱の1日になりそうだね……」
いつも通り授業を寝て過ごしたゴジラはトレーニングをしにターフに脚を運んだ。なんだか妙にフジキセキやエアグルーヴ、ルドルフまでやたらと様子を見にきていたのを不思議に思ったがここ最近は問題を起こした覚えもなかっため気にしないことにした。
そのままターフの端で準備運動を始めたゴジラだったがふとターフがにわかに騒がしくなったことに気付いた。顔を上げると人だかり、いやウマ娘だかりが出来ているのが見えた。大方、またシリウス辺りがウマ娘をたらしているいるのだろうと思ったがウマ娘だかりが近づいて来ていることに気付いた。
やがてウマ娘だかりが割れ、その中から姿を現したウマ娘を見た途端ゴジラは超絶不機嫌になり盛大に舌打ちした。
「よぉー久しぶりだなまっくろくろすけ」
ゴジラと見劣りしない体躯。先が三つに別れた金色に輝く髪に二つに分かれた尻尾。そしてチンピラのごとき表情を浮かべるウマ娘───ギドラ。彼女こそゴジラ生涯最大のライバルと言われるウマ娘だった。
日本生まれながらも幼少期にアメリカに移住し、アメリカ中のターフを荒らしていた彼女を、同じく日本からやって来たゴジラが見事に討伐したのが二人の因縁の始まりだった。正確には二人の最初の因縁は前世からなのだが。
「ギドラ……なんでお前が」
「ちょっと今実家に帰省しててよ。ついでにお前にこの俺様の顔面を拝ませてやろーと思ってよ」
「こっちはテメーの面なんか見たくもねえんだよ、消えろ……ちょっと待てお前ジローか?」
「お?なんだ分かんのか。はっ、ついにお前にもこの俺様の魅力が理解できたようだな」
「ああ、イチローはもっと知性がある」
「喧嘩売ってんのか?」
「前世から売ってるわバカが」
出会って早々凄まじい殺気を放ちながら言葉で殴り合う二人に、ウマ娘だかりを作っていたウマ娘たちは命の危険を感じすぐさまその場を離れた。それでも遠巻きに見ているので野次ウマ根性というかなんというか。
「ゴジラ先輩とギドラ様の永遠の宿敵と言われた二人を生で見れるなんて……!」
「二人ともすごい気迫……」
「ああ……ダメだ顔の良すぎる二人が揃ってるところなんて眩しくて直視できない!!」
「ン゛ッ」
「デジたーん!?」
ヒートアップするゴジラとギドラ。それを囲むウマ娘たち。いよそこに騒ぎを聞いて駆けつけたエアグルーヴとフジキセキ。
「くっ、遅かったか!」
「ちょっと二人とも、落ち着こう?ね?」
「止めてくれるな寮長。俺とコイツは出会ったが最後、殺しゲフンゲフン闘りあう運命にあるんだよ」
先ほどとは打って変わったキリッとした顔のギドラがゴジラに追従する。
「その通り、これは決定事項だ。他者の制止など聞くと思うなよ」
ゴジラは先ほどとは別人レベルに変わったギドラの様子に気付いた。
「お前イチローか」
「ああ。久しぶりだなゴジラ」
再びギドラの纏う雰囲気が一変する。今度はクソガキ然とした表情を浮かべる。
「久しぶりだなゴジラー!相変わらずブサイクだなお前ー!」
「サブローは相変わらず罵りのボキャブラリが少ねえな」
───ギドラは多重人格である。三人の人格が一つの体に宿っており、それぞれイチロー、ジロー、サブローと呼ばれている。
クールビューティのイチロー、不良然としたジロー、クソガキムーブどころか時たまメスガキムーブをかますサブロー。それぞれ人格が違うのだから雰囲気や言動に違いがあるのは当然だが、そうと知らない人々は怒涛のギャップに脳をぶん殴られ彼女はコアなファンを獲得しているのだった。
再びイチローに切り替わったギドラがゴジラに指を突きつける。
「勝負だゴジラ。芝2400、一対一だ。よもや逃げようなどとは思ってないだろうな」
「ハッ、寝言は寝て言うんだな。返り討ちにしてやるよ」
どんどんヒートアップする二人にどうしたものかと頭を抱えるフジキセキ。と、
「分かった……では審判は私が受け持とう」
「エアグルーヴ!?」
驚いたフジキセキは彼女に詰め寄る。
「ちょっと何考えてるのさ!」
「落ち着けフジ。こうなった以上、あの二人が私たちの制止を聞くと思うか?」
「それは、そうだけど」
「下手に止めると二人揃って暴れられる可能性もある。だったらいっそ走らせて納得させて解散させるのが最善だろう」
「………それもそうだね」
「もちろんこのまま走らせるわけではない。ギドラ!」
名前を呼ばれたギドラはチラリとエアグルーヴを流し見る。
「距離は2400ではなく2000。勝負は一回きりだ。それ以外の条件はのまんぞ」
不満そうに眉を顰めたがエアグルーヴの一歩も引かない様子を見ると舌打ちをし、
「……いたしかたない。条件をのもう」
一つ頷いたエアグルーヴはゴジラにも確認をとる。
「構わんなゴジラ?」
「ああ、構わねえよ」
ゴジラとギドラ、世界的に有名な二人がレースを行うと聞き付けたトレセン学園中のウマ娘がターフに集まっていた。
「おい!私はこのレースは生徒たちに知られないようにしろと厳命しておいただろう!なぜこんなに生徒たちが集まっている!?」
「す、すいません!さっきの会話がゴールドシップに聞かれちゃってたみたいで……」
「またあいつか!!」
額に青筋を浮かべたエアグルーヴがスタンドに目を凝らすと、焼きそばを売りながら歩いているゴールドシップが見えた。
「そう怒るなよ副会長」
体操服に着替え終わったゴジラが仏頂面でエアグルーヴに声をかけた。
「ここ最近大きいレースが続いていたしあいつらの息抜きにもなるんじゃないか」
「それは……そうかもしれんが」
彼女たちを止める役割のトレーナー達は何をやっているんだと、再びスタンドに目を凝らすとこのレースを一秒たりとも見逃さないと言わんばかりにカメラや録画装置に齧り付いているトレーナー達が見えた。
「どいつもこいつも……!」
「いいじゃねーか。このレースの観客は多けりゃ多いほどいい」
ゴジラと同じく体操服に着替えたギドラがジローモードでやってきた。
「多いほどいい、ってどういう意味だギドラ」
「決まってんだろ?お前が無様に負ける姿はたっくさんの人間に見てもらいからなあ」
「……へえ」
「……ゴジラ?暴力沙汰はダメだからね?」
「分かってるよお」
レースが始まる前からバチバチと火花を散らす二人に冷や汗をかくフジキセキ。そしてレース準備が完了したとエアグルーヴに連絡が入った。
「ほら二人とも。レースが始まる前からそんなに殺気を出してどうするんだい。早くスタート位置に行きな」
急遽エアグルーヴにゴール役として駆り出されたヒシアマゾンが、ゴジラとギドラに移動を促す。睨み合ったまま器用に歩き出す二人を見送ってふう、と息をつくヒシアマゾン。
「すまないなアマゾン。急に呼び出してしまって」
「ウィンディの説教が終わった後でよかったよ」
謝罪するエアグルーヴになんてことはないと笑うヒシアマゾン。
「しかし、タイマンかぁ。いいねえ、あたしも走りたくなってきた」
「勘弁してくれ……」
「ハハハ!冗談だよ」
「早くしなさいテイオー!急がないとレースが始まってしまいますわ!」
「ま、待ってよ〜マックイーン……」
トレセン学園を校則を破らないギリギリのスピードで走る二人のウマ娘。メジロマックイーンとトウカイテイオーだ。
「ちょっとくらい遅れても大丈夫だって……」
「いいえなりませんわ!ゴジラ先輩と、ゴジラ先輩の永遠のライバルと言われたギドラさんの対決、この目で見なくては!お二人の走りから得られるものもあるはず……」
熱く語りながら一歩先を走るマックイーン。その姿にテイオーはやれやれと走りながら器用に肩をすくめた。
「レースのことになると止まらないよねー、マックイーンは」
「何か言いました!?」
「ナニモイッテナイモンニ!」
二人がターフにたどり着き、スタンドを駆け上がる。その場は静まり返っていた。
「は、始まってしまいましたか!?」
「いやマックイーンあれ見て!」
マックイーンがテイオーの指さす方向を見ると、わざわざ引っ張り出してきたらしい公式レースで使うようなゲートにゴジラとギドラが入っていくのが見えた。
「間に合ったみたいだねー」
「こんな後ろじゃダメですわ……!もっと近くで見ないと!」
「え〜でもこの人混みじゃあ……」
くっ……!っとマックイーンが悔しそうに声を漏らし、メジロ家のウマ娘にいささか似つかわしくない地団駄を踏んでいると二人の耳に聞き慣れた声が飛んできた。
「おう、マックイーン!テイオー!こっちだこっち!」
すると、スルスルと人混みが二つに割れていきスタンドの最前列までの道が開いた。
「え?え?なにこれ」
テイオーが困惑していると、人混みが割れてできた道の先に見慣れた芦毛のウマ娘が見えた。
「ゴルシ!?」
「お前らが来ると思ってたからよー、この辺の奴らに話つけておいたぜ!」
「お手柄ですわゴールドシップ!」
謎の状況を意に介さずズンズンと進んでいくマックイーン。慌てて跡を追うテイオー。
「ていうか、どうやったのさこれ」
「ただでゴルシ様特製焼きそばやるからお前らが来たら前を譲ってやってくれって頼んどいたんだよ」
「ナルホド……?」
「しかしゴールドシップ。感謝はしますが私たちになぜここまでしてくださるのです?」
「いやーこの間うっかりマックイーンが隠してた高そうなプリン食っちまってよー。ヤベって思って市販のやつとすり替えておいたんだけど一向にバレる気配がなくてってさ?」
「は?」
お高そうな、と言っているあたりおそらく確信犯である。
「流石にアタシも悪いと思ったからお詫びに今回お前らの席取りしてたって訳よ」
「マックイーン!?もうすぐレース始まるから!!今はレース見よ!?マックイーン⁉︎」
スタンドの方の騒がしさが増したような気がしたエアグルーヴだったが、出走時間が迫っていたため気にしないことにした。なんだかマックイーンの声だったような気もするが……うん、気にしないでおこう。こちらを見るスターターに頷く。
出走時間が来た。
『突如行われることになったゴジラVSキングギドラの一対一のレース、これは模擬レースではありますが世紀末・最大の戦いが始まったと言っても過言ではないレースになるでしょう』
『両者からお前だけには絶対負けない!という強い意志をひしひしと感じますね』
『12時14分、まもなく出走開始です』
いつの間にかいた実況と解説によりスタンドにまもなくレース開始と伝えられ喧騒が収まっていく。
嵐の前みたいだ、とトウカイテイオーは感じた。傍にたつマックイーンも手すりを握り締め、静かにゲートに収まっていくゴジラとギドラを見つめる。ゴルシは白目を向いて廃人になっている。
『ゲートイン完了』
ゲートに収まる漆黒のウマ娘と黄金のウマ娘が静かに構えをとる。二人から放たれた燃え盛るような闘志を、スタンドに詰めかけたウマ娘やトレーナーたちは確かに感じ取った。
『出走準備が整いました』
さらに張り詰める場の空気。圧迫感は増す一方で、それはもはやいつ爆発するかもわからない時限爆弾のようだった。
『今』
ゲートに収まる二人のウマ娘はゲートが開く瞬間を今か今かと待ち構える。二人の、観客たちの緊張は際限なく高まり続け、そして────
──────ガコン
『スタートです!!』
開かれたゲート、飛び出す宿敵同士の二人、押さえつけられていた分の反動を伴って一気に爆発したスタンドの歓声。
レース序盤。漆黒のウマ娘の前に立ったのは黄金に輝くウマ娘、ギドラだった。
『ついに始まりましたこのレース、ハナを奪っていったのはギドラ!』
『彼女の脚適正は逃げが一番向いていますからね。今までのゴジラとの対戦でも似たような展開を見せました』
ギドラの走りを見た人々は口を揃えていう。まるで飛翔しているようだったと。
『風にはためく金髪をドラゴンの翼だと形容した人もいましたね』
「わ、早い!」
テイオーが驚きの声を上げる。
「彼女は同じ2000mの皐月賞であればレコードタイムとなるほどのタイムを保持していましたからね」
レースに魅入るマックイーンがそれでもテイオーに解説する。
「……あのさ、さっきから思ってたけどマックイーンやけにあの二人に詳しくない?」
「そりゃそうだ、マックイーンはお嬢様然としてるけど実は勝負事が大好きだからな!宿敵同士とまで言われたゴジラパイセンとギドラの姉御のレースを好きにならない道理なんかねえよ。野球ファンなのもその延長s」
復活したゴールドシップを即座に鎮圧するマックイーンであった。
そうこうしているうちにターフをかけるゴジラとギドラは向こう正面に入る。
『先頭は変わらずギドラ!このペースでも疲れた素振りを見せません!』
『流石のスタミナですね。このまま逃げ切れるのか注目しましょう』
(2000mでもこのスピードだとキツいな!!ゴジラのやつは今どこだ!?)
(三馬身後ろだ。ピッタリついてきているな、油断するなよジロー)
(あいよ!!)
「やいゴジラ!!今回は上がってくるのが遅いね!?しばらく見ないうちに太りでもしたのかなあ!?やっぱマグロ食ってるやつはダメだな!!」
(サブロー……やつにその手の挑発は効かん。下手に挑発しないで今は体力を温存するんだ)
(ちぇ〜……わかったよイチローお兄ちゃん)
ギドラはレースにおいて自身の特性を最大限生かしていると言える。三人の人格がそれぞれの役割に徹することで他のウマ娘には真似できないようなパフォーマンスを行うことができる。
冷静な観察眼でレースを見渡す司令塔のイチロー。
溢れんばかりの闘争心でターフを疾走するジロー。
持ち前の性格と口の悪さでもって周りのウマ娘を挑発しペースを狂わせるサブロー。
文字通りの三位一体となってギドラはこれまで多くのレースを制してきたのだ。
ゴールまで残り600m。
『まもなく最終直線に入りますが先頭は依然ギドラ!』
『脚色は衰えず……いや、むしろ上がっている!?』
スタンドにどよめきが走る。
逃げて差す。日本ではサイレンススズカの走りとして有名だが、アメリカではギドラの得意な戦法として周知されている。
『ギドラ、止まらない加速する!三馬身後ろのゴジラとの差をどんどんと離し……』
その瞬間
ターフに凄まじい爆音が響き渡った。
スタンドのトレーナー達は何事かと辺りを見回し
ウマ娘達はそのあまりの音量に思わず耳を塞ぎ
実況、解説はギドラの後方から追い上げてくる漆黒のウマ娘を目撃し、
ギドラは
ニタァ……と
見た者にドラゴンを彷彿させるような獰猛な笑みを浮かべた。
「ギドラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
「来やがれゴジラァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
漆黒の髪を風にはためかせて、後方から追い込んできた勢いのままゴジラはギドラの横に並び立つ。そのまま差し込もうとギアを上げるゴジラ。
負けじと残り少ないスタミナを全て燃やし尽くすつもりで加速していくギドラ。
『な、並んだ!並びました!両者一歩も譲りません!!なんという熾烈なデッドヒート!!』
スタンドの観客達の興奮は最高潮となった。
二人にとってこれが模擬レースだのといったことは瑣末な問題だ。二人は出会った瞬間闘う宿命にある。
前世から
地球の覇権をめぐって幾度も激突した
当時の二人は言葉など交わさなかった
交わしたのは放射能熱線と引力光線のみ
それはウマ娘へと転生した今も変わらない
言葉の応酬など前座にもならない
二人が求めるのは完全なる決着
それを得られるのならば
このG1でもない公式レースですらない模擬レースでもゴジラとギドラは命を賭して走るのだ。
「「勝つのは」」
より一層強くターフを踏み込む。
「俺だ!!!!!!!!!!!!」
「私達だ!!!!!!!!!!!」
その瞬間
スタンドの観客たちは確かに見た。
雷鳴のような咆哮をあげ、二本足で進撃する漆黒の”怪獣”を
黄金の翼で飛翔し、幾度となく怪獣王と渡り合った三本首の”ドラゴン”を
漆黒のウマ娘と黄金のウマ娘がゴール板を駆け抜けたのは同時だった。
ゴジラとギドラのレースは同着で終わった。
誰がどう見てもゴールしたのは同時だったし写真判定でも同じ結論だった。
その分納得できないゴジラとギドラがもう一回走ると暴れまくったがエアグルーヴやフジキセキ、ヒシアマゾンの説得でようやくおとなしくなった。
「はーまた引き分けかよ」
さっきまでゴジラとギドラが模擬レースが繰り広げられたいたターフの傍で、スポーツドリンクをがぶ飲みするゴジラが憤然やるかたない様子で呟く。その隣に座るギドラ(イチロー)が脳内で騒ぐジローとサブローを宥めながら相槌を打つ。
「全くだ。今回は勝てると思ったんだが」
「それはこっちのセリフだ……はーあ」
流石にレースを走った後では口喧嘩をする気力もないゴジラがゴロンと寝っ転がる。そのまま空を眺めていたゴジラだが
「ゴジラ」
ギドラの呼ぶ声で身を起こした。
「なんだよ」
ギドラは真っ直ぐにゴジラを見つめ
「次は……私達が勝つ」
と静かに、だが確かな闘志を込めて言い放った。
「そうかよ……だが残念、勝つのは俺だ」
ゴジラも闘志でもって応える。そのまま睨み合っていた両者だがやがてギドラがふっ、と口角を上げた。
「ではまた会おう、ゴジラ」
「おう」
立ち上がりそのまま立ち去ろうとしたギドラだったが、数歩歩いてから片膝をついた。
「?どうした」
「いや、痛みが少し。痛めたようだ」
「なんだと!?」
シュバっと跳ね上がりギドラに駆け寄るゴジラ。
「いや少し痛いくらいでそこまでじゃないんだが……」
「なんだそうか。まあでもコレやるよ」
ゴジラが取り出したのは湿布だった。
「お前に物をもらうのも癪だが。まあこれが元で走れなくなったりでもしたらもっと癪か」
「そういうことだホレ」
ゴジラが差し出した湿布を受け取ろうと手を伸ばすギドラ。が、湿布はギドラの手を通り越しギドラの顔に向かっていく。
「……?おい何の……」
「口を開けろ」
「は?」
「いいから口開けろって」
「なぜ???」
「いや薬は飲むに限る!!」
「何をいってるんだ!?」
「いやホントだって!薬は飲むに限る!!特に注射!!!!」
「何をバ鹿なことを……おい待て、口に近付けてくるな!湿布を飲んで治るわけがないだろうが、やめ、やめろおおおおおおおおお!!」
「何をやってるんだあいつらは……」
ターフの向こう側で取っ組み合うゴジラとギドラを眺めながらエアグルーヴは、他のウマ娘に指示を出す。そんなエアグルーヴに歩み寄るウマ娘がいた。
「エアグルーヴ」
「会長」
片手をあげて近付いてくるシンボリルドルフを見ると、最後の指示を傍にいたウマ娘にするとエアグルーヴもまたルドルフに近付いていく。
「すまないなエアグルーヴ。急用が立て込んで駆けつけることができなかった」
「いえ、会長の責任では……」
「そうかい?そういってもらえると助かるよ」
そう言ってにじり寄るゴジラと牽制するギドラを眺めるルドルフ。その表情は微笑ましいものを見る優しさを持ちながら、どこか羨望の混ざった寂しいものだった。
「会長」
「うん?」
エアグルーヴに声をかけられ、二人から視線を外すルドルフ。そこには頭を下げたエアグルーヴの姿があった。
「ど、どうしたんだいエアグルーヴ」
「今回は、私の独断でこのような事態を招いてしまい、もう仕訳ありません」
そのまま頭を下げ続けるエアグルーヴ。本来は誰もいないターフで静かにことを運ぶつもりだったのだ。ゴールドシップのせい、などとエアグルーヴは言い訳をしない。ここまで大ごとにしてしまった不手際をエアグルーヴは自ら責めていた。
「顔をあげてくれエアグルーヴ」
ルドルフに促され、顔を上げるエアグルーヴ。ルドルフは微笑を浮かべていた。
「ここにくる途中に数組のトレーナーと担当ウマ娘とすれ違ったんだが」
「……?はい」
「みな実にいい顔をしていてね。ゴジラとギドラのレースを見て心を動かされたようだ」
「それは……」
「その中に────という娘もいた。君も知っているだろう」
「……はい」
ルドルフが口にしたウマ娘はここ最近レースの成績が振るわず少々自暴自棄になっていたウマ娘だった。
「一念発起して今度のレースには絶対に勝つ、という気概を感じられた。今日のレースを見れて良かった、と彼女のトレーナーと話していたよ」
「っ……」
ギドラにウマ乗りになって押さえつけているゴジラと、それを一瞬の隙をついて跳ね飛ばすギドラを眺めながらルドルフは言葉を紡ぐ。
「ゴジラとギドラのレースは観るものに生きる気力を与えるものだ。あの二人は重賞がどうだとかなど関係なくただ勝敗を決するために走る。その原始的とも言える走り方が人に、ウマ娘に影響を与えるのかも知れないな」
「会長……」
「今日のレースを見て何人ものウマ娘が感奮興起して、レースを走るだろう」
エアグルーヴの肩にそっとルドルフが手を置く。
「そんなレースを開くという判断を下したのは君だ、エアグルーヴ。───そう自分を責めるな」
「……お言葉、痛み入ります」
エアグルーヴの言葉に頷き、歩き出すルドルフ。
「さて、我々も他の娘に負けていられないぞエアグルーヴ。手始めに今日の残りの仕事を片付けてしまうとしようか」
「はい!」
ターフを後にする二人。
「しつこいぞゴジラ!!湿布を飲んで怪我が治るわけがないだろうが!!!そもそもなんなんだお前のその薬の経口摂取に対する執着は!!?」
「身をもって味わってるからな!!」
「意味がわからん!!バ鹿なんじゃないのかお前は!?」
「誰がバ鹿だってえ!?」
「お前のことだよバ鹿!!」
慌ててターフに駆け戻りながらやはりしばらくはこの二人の相手をするのは勘弁願いたい……と思ったルドルフとエアグルーヴであった。
なお二週間後にトレセン学園にやってきた転入生がゴジラのことをお父さんと読んだことが発端でギドラ襲来とはまた違った騒動がトレセン学園を襲うのだがそれはまた別のお話。
こんな描写があれば良かった、このシーンが邪魔、といった感想等ありましたら是非コメントでお聞かせください。