魔王討伐に貢献したオークの英雄、数百年後の世界で人間の女戦士を嫁にする 作:京谷ぜんきまる
オークの都モーベイは冬の厳しさを増しつつあった。
バルカが去った数日後には雪が積もり始め、住人達は日が暮れるとみな家屋に引きこもった。
英雄の帰還に沸いていたオーク達の熱狂は冷え切り、都中が重苦しい沈黙に包まれていた。
× × ×
ギルベーダとの決闘に敗れ、彼の“所有物”となっていたオークの女戦士テッサ。
彼女はラケーシの宮殿に留まっていた。
否、正確には引き留められていた。
元々ルサイド氏族だった彼女は客分として扱われ、宮殿内に一室を与えられた。
室内の白い毛皮が敷かれた寝床の上で、テッサは目を閉じて寝ている。
彼女は夢を見ていた。
毎夜見るそれは、悪夢であった。
夢の舞台は様々だ。
暗い広間の中央。
モーベイ都城の中庭。
闘技場のアリーナ。
そして、今は亡きグラント氏族長ギルベーダの寝室……。
場所は違えど、内容は同じだ。
夢の中でテッサは屈辱の底に叩き落とされる。
テッサはウルドログと呼ばれるモンスター退治を生業とする集団の一員だ。
オーク族に害を為すモンスターを屠ってきた誇り高き戦士。
レベルを高めたオーク戦士は全身の防御力を上げるスキルを身につけるが、テッサもその例に漏れない。
彼女が黒い胸布と腰巻き、革のブーツと腕当てしか身につけていないのは、鎧を着ける必要が無いからだ。
露出度の高い装いをしていても、強靱な肉体は北の大地に吹きすさぶ寒風をものともしない。
防御を固めれば、並のオーク兵士の剣や槍では傷一つつかない。
それほどの境地に達している闘士だった。
実際、一人前のウルドログになってからは一対一の闘いで同族に負けたことは一度も無かった。
テッサ自身、自分が最強のオークだと確信していた。
……ギルベーダ・グラントと対決するまでは。
蛇腹のように見える腹筋や筋肉隆々とした肩や太腿を晒していたのが仇となった。
グラント氏族の暴君の攻撃はテッサの自慢の防御をあっけなく貫いた。
痛烈な拳打の雨を浴び、被っていたフードを剥がされて野太い指で髪を掴まれる。
緑の肌が血と汗とまみれ、筋肉質な肉体に擦り傷と痣が刻まれていく。
仰向けの状態で担ぎ上げられ、背中を弓なりに反らされて背骨を痛めつけられ、さらには肩の上に抱えられた状態で腰巻きの布をめくられ、晒された尻を皆の前で叩かれる……テッサは嘔吐し、痛みと屈辱で涙を流す……不様な醜態を、ギルベーダの部下達にも、ルサイド宮殿の女達にも見られてしまう。
夢の内容は、実際に起こったことだ。
ギルベーダは死んだ。
バルカーマナフとの決闘に敗れ、ルサイド氏族長ラケーシの手によって斃されたのだ。
だが夢の中で、死んだはずの暴君は何度もテッサを打ち負かし続け、強引に抱きしめて離さない。
催淫効果のある香煙が漂う寝室では、テッサは回復のポーションを飲まされ、ギルベーダの手によって傷を癒やす軟膏を塗られた。
どれも、媚薬混じりの代物だった。
ダメージを受けた肉体は傷の回復と同時に、媚薬の毒を安々と受け入れてしまう。
ポーションを嚥下した喉が強い酒を飲んだ時のように熱くなり、傷や痣に軟膏を塗られる度に、塗られた場所ではなく下腹部に痺れが生じ、それは明確に甘い疼きへと変わっていく。
体の芯が熱くなり、テッサは己の官能を強制的に引き起こされる。
……性奴隷を仕込むやり方だった。
テッサはギルベーダの心身を整える道具として扱われ、愉しみのための玩具に貶められる。
そして、悪夢はさらにおぞましい内容へと歪む。
胸から血を流し始めたギルベーダが苦しみ始め、怒り狂って彼女に襲いかかるのだ。
バルカーマナフに敗れた怒りを、ぶつけてくるのである。
体が、壊れるかと思うほどに扱われる。
テッサは夢の中で泣き声というには、あまりにも無様で凄絶な獣の断末魔のような声を放つ。
これもすべて、実際に起こったことだ――。
「……っ!」
テッサは目覚め、はね起きた。
荒い息。寝衣が汗で肌に張りついている。
今のテッサからは媚薬は抜けている。
なのに、緑の肌は熱を持ち、体の芯には重い熱が籠もっていた。
寝衣の股の部分は、汗だけではない湿り気を帯びていた。彼女の意志とは無関係に溢れ出した蜜が、腿まで伝っている。
体から薬が抜けていても、体に刻まれた消えないのだろうか。
心は、汚染されたままだというのか。
テッサは耐えがたい屈辱を感じた。
怒りも込み上げた。ギルベーダに対してだけではない。
己自身に対しての、激しい憤怒だった。
(……私は、弱い。)
× × ×
ラケーシの宮殿に連れてこられてからの日々は、テッサにとって地獄と甘美の狭間だった。
ラケーシは美しい。
長い黒髪。しなやかな肢体。いかにもルサイドオークの女らしい言動と物腰。
(ラケーシ様は、私とは何もかもが違う。)
しかし、だからといってラケーシは弱いわけではない。
手負いの状態でさえ、自分を力尽くで陵辱できるほどの強さを持つギルベーダの精気を奪い尽くし、いとも簡単に殺したほどの閨淫武技――ルスト・アーツの使い手なのだ。
ギルベーダを殺した後、ラケーシはテッサに手を差し伸べた。
元々ラケーシを敬愛し、密かに思慕の念を抱いていたテッサは彼女に身を任せた。
ルサイド氏族長は暴虐から、自分を解放してくれた。
それは事実だ。
だが、その後ラケーシはテッサを自分の『愛妾』として扱った。
甘い言葉を囁きながらも、その目はテッサの筋肉質な淡緑色の肉体を、己の所有物だと見ていた。
戦士としてではなく、所有物。
テッサは気づいていた。
ラケーシが自分を求める理由を。
バルカに拒否され、傷ついた心を埋めるためだ。
「ラケーシ様、わ、私はウルドログです。各地のモンスターを狩るのが仕事。旅に出る許しをください」
テッサは何度かそう懇願した。
だが決まってラケーシは、微笑みながら言うのだ。
「あたしがギルベーダを殺さなかったら、お前は今も奴の慰み者になってたんだよ?」
「そ、それは感謝しています」
「こいつは大きな貸しだよ? 返すまで、お前は私のものさ……」
その言葉は、テッサの胸に棘のように刺さる。
「ど、どうやってお返しすれば」
「今、返してもらってる最中じゃないか。こうして――」
そう言ってラケーシはテッサの体を寝台に押し倒す。
それが、ずっと続いている。
× × ×
バルカーマナフに皆が見ている前ではっきりと拒絶されたラケーシは、テッサを抱くことで自分の存在を確認しようとしているかのようだった。
甘い言葉と激しい愛撫の裏に、寂しさと苛立ち……そして憎悪が混じっていることを、テッサは感じ取っていた。
テッサは抗えなかった。
ラケーシの指が緑の肌を這うだけで、体は熱を持ち、蜜を溢れさせた。
毎夜、ラケーシはテッサを翻弄し、宮殿の女官たちも交えて肉交に耽った。
時折、テッサが抵抗すると、ラケーシは“貸し”の話を繰り返しながら、愉しげに笑った。
そんな日が続く中、テッサはまた悪夢を見た。
夢の中のギルベーダは大抵の場合は愉悦とあざけりの笑みを浮かべているが、胸から血を流しているときは違う。怒り狂いながらテッサの体を組み伏せ、痛めつけながら貫く。
テッサは獣のような声をあげて、哭く。
だが、何かが、いつもの悪夢と違った。
黒い影が現れた。琥珀色の瞳が暗闇を切り裂く。
その姿は、漆黒の肌に赤いマグマのようなエネルギーの線が流れていた。
髪は淡い灰色……紛れもなくバルカーマナフだった。
バルカーマナフは拳を振り上げ、凄まじい咆哮を上げてギルベーダを打ちのめす。
血飛沫が舞い、地響きをあげてギルベーダが倒れる。
バルカーマナフの肌の色が黒から灰緑色に戻り、こちらを見つめている。
静かな眼だった。
「あっ……ああ……あああああ!!」
テッサは夢の中で、声を上げてバルカに向かって戦いを挑んだ。
拳を振り上げ、バルカの胸板に何度も拳打を叩き込む。
だが、どれだけ攻撃しても、バルカの体には一切通じない。
手応えがない。触れているという感触すらない。
やがて、すうっとバルカの姿が遠ざかる。
「なぜ……! なぜ、こんなに強い……あんたは、どこから来たんだッ」
バルカは答えない。琥珀色の瞳が、彼女をただ静かに見つめるばかりだ。
「テッサ」
低く、しかし優しい声で呼ばれた。
バルカが近づいてくる。
テッサは本能的に後ずさったが、バルカは彼女を追い詰めはしなかった。
ただ、大きな腕でそっと抱き寄せた。
熱い体だった。
テッサの淡い緑の肌が、バルカの胸に触れる。
夢の中で、彼女は初めて「守られている」と感じた。
「もう、恐れることはない。お前は強い戦士だ。誰のものでもない」
耳元で囁かれる声が、熱を帯びていた。
バルカの大きな手が、彼女をゆっくりと撫でる。
筋肉の隆起を、ギルベーダに痛めつけられた箇所を、嬲られて汗で濡れた緑の肌を、丁寧に確かめるように。所有するのではなく、慈しむような、熱を込めた触れ方だった。
テッサの体が、震えた。
恐怖ではなく、抑えきれない熱が下腹部から広がる。
夢の中で、テッサは自らの意志でバルカの首に腕を回した。
戦士である彼女が、「触れられる悦び」を恐怖ではなく、安心とともに受け入れていた。
バルカの厚い唇が、彼女の額に触れる。
次に頰。首筋……。
バルカが黒い肌に変じた瞬間、テッサは彼に抱かれる自分を見た。
そして、抱き上げられ……
すべてが暗転しテッサは後ろから抱きすくめられている。
胸の頂を優しく指で撫でられ、テッサの体がびくんと跳ねた。
熱い息が耳元で絡み、囁きが続く。
「テッサ……お前を縛るものは、もう何もない」
その言葉とともに、テッサは跳ね起きた。
悪夢から目覚めたときはいつも汗を掻き、息が荒くなっているが、今回は特にすごかった。
汗でびしょ濡れの寝衣が肌に張りついている。頭痛がしていた。
胸の頂は疼痛を感じるほど硬く、下腹が熱く疼いていた。
……隣でラケーシが、満足げに眠っている。
テッサは自分の体を抱きしめた。
まだ、夢の余韻が残っている。
バルカの腕に抱かれ、耳元で囁かれた言葉。
ラケーシの言葉が頭をよぎる。
“大きな貸しだよ? 返すまでお前は私のものさ”
だが、あの夢の中で、バルカはそう言わなかった。
「誰のものでもない」と。
テッサには分かっていた。
夢の半ばで自分は朦朧としながらも半分は目醒めていたのだ。
自分が心の底で思っていることを、夢のバルカに言わせたのだ。
つまり、自分はバルカに抱かれる妄想をしていたということになる。
激しい羞恥にさいなまれて顔を火照らせながらも、テッサは久しぶりに自分自身を、誰の者でも無いと感じることができた。
テッサは静かに立ち上がった。
ラケーシの部屋を出て、与えられた私室へ行く。
そして、寝衣を脱ぎ、戦士の装束を身に着ける。
黒い腰巻きと胸布、フード、腕当てを身につけていく。
赤いジオルミ結晶灯の光りに照らされていた筋肉で盛り上がった緑の肌が、旅用の外套で隠れた。
数本の束になった投げ槍を肩に担ぎ、大型の矛を手にし、テッサはルサイド宮殿を、足音を殺して抜け出した。
オークの都モーベイは水をたたえた深い濠に囲まれている。
テッサは都の外へと続く橋へ向かった。
それから先は何処へ向かうのか、テッサはもう決めていた。
南へ行く。
”この先は行ってはならない”と、昔から言われている山脈を越えるつもりだった。
あのオークの英雄がいる場所へ。
ワールドノードを使うことをテッサは考えなかった。
地底界バサルデレルムの何処に根の谷へ続くワールドノードがあるのか、知らなかったし、そもそも自分はウルドログだ。
ウルドログは自分の足で歩き、旅をする戦士だ。
――バルカーマナフに会いたい。
なぜだかは、分からない。
だが、彼女の本能はそう告げていた。
(夢で感じた、あの温もりを、本当のことにしてしまいたい? 違うッ――い、いやそれも、少しはあるかも知れないが、ラケーシさまを袖にする男が私なんかを……そうだ私は……。)
モーベイの夜の通りを、テッサは走った。
積もった雪を革のブーツを履いた足で踏みしめながら、夜の寒気を切り裂くようにして。
橋を渡って都を出た頃にはテッサは自分の胸に灯った感情はさておき、一つの希望を見いだしていることを理解した。
……ギルベーダの影を心から振り払うには、強くなるしかない。
口伝によるとバルカーマナフもまたウルドログだったと言われている。
ウルドログ同士はお互いを助け合う掟がある。
テッサはバルカに教えを請うつもりだった。
(……会いたい。)
彼女は走り続けた。
風に当たる頬は寒さで引き締まるが、疾駆によって体は熱い。
遠ざかっていくモーベイを背に、フロストパーム園を抜けても彼女は走り続けた。
根の谷の北、アーガ砦と言っていたか。
そこに行く。オークの英雄の元へ。