世界で一番お嬢様、綾小路咲夜の誕生日は皆で祝うべき祝日だ。
 当然、そこの庶民も。その光栄に肖れることを誇りに思うように。



1 / 1
世界で一番大好きなあなたへ

 

 

 

 唐突ではあるが、綾小路咲夜は世界で一番のお嬢様である。

 その気になれば某アミューズメントパークの、東京支部ではなくアメリカはカルフォルニア州にある本場を全館貸切に出来るほどには、と言えば伝わるだろうか。

 あるいは、二時間もあれば一般人のパスポートを発行できる、とも。

 金にも貴賤があるかも知れないが、こと此の資本主義社会で生きていくには金は必要不可欠だ。人生における大半の悩み事は金があれば解決できる場合が多い。

 それ故に、綾小路家のなかでも取り分け蝶よ花よと溺愛の温室で育てられた咲夜お嬢様が拝金主義に傾倒するのも無理もない話である。

 学力を上げたい。金を積んで優秀な教師を雇う。今やある程度の下地があれば教養も金で買える。

 美しくなりたい。高級な装飾品によって自らの美を際立たせる。無論スキンケアなども欠かさず、惜しまず、湯水のように。

 手に入らない物など何もない綾小路咲夜にとって、まさしく世界は彼女の物であるに等しい。

 ただ、綾小路咲夜にはたった一つだけ、どうしても叶えたいのに叶えられない願望があった。

それは決して手の届かない高嶺の花ではなく、寧ろ道端に咲いた蒲公英のように容易く手折って持ち帰れる程度にハードルは低い。

 しかしどうしても、何時まで経っても彼女はそれを踏み越えられないでいた。

 デカルト曰く、人間が決断できないのは本人の欲望が大きすぎるか悟性が足りないかのどちらからしい。

 であるならば、綾小路咲夜があと一歩踏み出すことが出来ないのはそう、綾小路咲夜自身の欲望が底無しであるからだろう。必要な教育は施されているわけなのだから、悟性が足りないということはあるまい。

 さて、ここまで仰々しく前振りをしたものだから、さぞや一世一代の大決断なのだろう。

 

「今日こそ……、今日こそアイツに言うのよ……。す、す、スキ、って……」

 

 まぁまぁ解散せず待って欲しい。女性が意中の男性にその胸の内を訴える。それが如何程の一大イベントか。盛大にズッコケた女心が解らない読者諸君は猛省するように。そんなんだから恋人出来ないんだよ、変人さん。

 拝金主義なお嬢様の事だから、男なんて札束で叩けばイチコロじゃない? ――などとは思うまい。何故ならばそう、彼女は既に彼が自分に気があるのだと思っているからである。

 

「そうよ、そう。アイツが私の事をスキなのは120%間違いないわ」

 

 失礼、「気があると思っている」ではなく「もう既に自分に夢中になっていると思い込んでいる」と訂正しよう。そしてそんな事実は存在しない。現実は非情である。が、綾小路咲夜は気付かない。その判断材料が圧倒的に不足している上に色眼鏡までかかっていては。

 

「アイツ、誰にでも優しいから、他のクズ女どもの相手までしちゃうのよ。だから今度は二人きりで、スィートタイムを過ごすの」

 

 自己肯定感の塊。ポジティブシンキングの権化。捕らぬ狸の皮算用どころか、鴨葱を鍋に入れて株の上で兎を待ちぼうけ。その点咲夜様ってすごいよな、頭の中までスイーツたっぷりなんだもん。

 して、走っちゃいけない回路に電流が行ってしまい、ブレーキも無しにガソリン満タンなアクセル全開で突っ走った結果が御覧の有様です。

 

「フフッ、無邪気な寝顔。このまま、ずっと一緒に居られたらいいのに……。こうやって間近で見ると、結構かわいい顔してるんだぁ。頬っぺたとか柔らかそうだし……、触っても大丈夫かな?」

 

 はい、拉致です。監禁です。お金って、すごいね。

 

――ワン! ワン! ワン!

 

「こら、オルトロス! 静かにしなさい、彼が起きたらどうするのよ」

 

 ドーベルマンの吠える声で、ベッドに寝かしつけられた彼は目を覚ます。知らない天井に困惑するのも無理ない話である。

 

「あ、目が覚めた? もう、私を待たせるなんて失礼にも程があるわね」

 

 開口一番にこの態度である。先ほどまでの少しばかりしおらしい少女はどこへやら。傲岸不遜のお嬢様は誰にだってこんな風なんだ。素直になれないお年頃なの。

 

「あぁ、頬っぺたぷにぷにしたかったなぁ。……でも! 寝顔がたっぷり見られたし、良しとしよっかな」

 

 心の声が漏れてますよお嬢様、なんて言っても多分聞いてくれない。現に「何か言ったか?」と聞かれた彼女の反応はと言えば。

 

「なっ、何も言ってないわよ。気のせいよ気のせい。うん、貴方はよく聞き間違いとかするじゃない」

 

 何が何でも自分の非を認めようとしない。認めたら負けだから。負けは認められないから。許されないから。だから他人のせいにする。まぁ、彼が往年のラノベ系主人公よろしく恋愛方面になると難聴気味に――なってないんだなこれが。質の悪いことに、知ってて知らんぷりをするのだ。理解したうえですっとぼけるのだ、この男は。

 恋愛と言うものを理解してないが故に、相手とどんな関係を築きたいのかに気付かない。そういう点で言うならば、昨今の平均的な何処にでもいる有り触れた男子高校生の鑑ともいえる。草食系を凌駕した、絶食系の極み。

 しかしまぁ年相応の性欲もあるわけなので、このような状況は悪くないともいえる。例えば。

 

「え? 膝枕? ――っ! 庶民の癖に、私の膝枕を堪能するなんて、分不相応にもほどがあるわよ。恥を知りなさい、恥を」

 

 可愛い女の子の膝枕を堪能したり、その反応を見てにやけたりしてしまうのは男の性と言うものだ。無論、そのような輩は突き飛ばされても文句は言えまいが。

 

「あ……、痛かった?」

 

 一応、突き飛ばしてしまった相手を気遣うことぐらいは天上天下唯我独尊を地で行く綾小路咲夜と言えども出来るのだ。流石に庶民相手に謝ったりはしないが。彼女に出来ることと言ったら手を叩いて。

 

「誰か! ――彼の頭に異常がないかチェックしなさい! 精密検査も怠らないように! 万一異常があればお前達、皆クビなんだから!」

 

 言ってることは無茶振りのパワハラもいい所である。しかし誰も文句は言わない。言えない。不平不満を口にすれば、その先に待っている制裁はきっと「……シテ、コロ……シテ」以外言えなくなってしまうだろう。

 

「頭を床にぶつけた時、派手な音してた……。この程度の安物のカーペットでは危険ね。彼が精密検査を受けている間に、張り替えさせたほうがいいかしら」

 

 再び手を叩けば、ドアから使用人がやってくる。お嬢様の突拍子もない我儘にもすぐに対応できるよう、此処にいる使用人は全員特殊な訓練を受けています。

 

「カーペットを新調しなさい! 安全性に配慮したものにね。解ったらさっさと行きなさい!」

 

 この程度なら慣れっこである。とは言え、彼女の言う“安物のカーペット”も、庶民の感覚から言えば桁が二つほど違う高級品なのだが。彼女の癇癪はいつもの事であり、使用人が部屋に入ってきて、退散し扉が閉まるころには既に古いカーペットは撤去されていた。

 

「あ! おかえり! 大丈夫だった? ……ま、まぁ、さっき主治医から異常はないと聞いたから心配はしてなかったけど」

 

 嘘である。実際は部屋の中を右往左往しながら検査結果を今か今かと待ち続け、不用意に部屋に入った使用人を見て検査結果が出たものと思い、それが思い違いと知るや否や癇癪をおこし、最終的に日本一と言ってもいい権威のある医者の太鼓判が捺された瞬間は華やぐような笑顔を見せたものだが。

 

「ほ、本当だからね! 微塵も! これっぽっちも! ぜーんぜん心配なんてしてないんだから!」

 

 そこまで完全に全否定しなくたっていいじゃないか。彼、全然信用してないじゃん。ちょっとショック受けてるし、いや、正確に言えばフリだけど。お前ホンマそういうトコやぞ。

 

「……その顔、全然信用してないわね。良いわよ別にもう。貴方っていつもそんな感じなんだから」

 

 何度でも言うが綾小路咲夜は世界で一番のお嬢様である。それはつまり、庶民とは住んでいる世界のレベルが違うということ。となれば当然、委縮するか、恐縮するか、遜って相手をするものだし、綾小路咲夜自身、そう言うものとして扱われるのが当たり前の事だと思っている。

 しかし彼は違う。綾小路咲夜を綾小路咲夜個人として見ている。世界で一番のお嬢様ではなく、一人の女の子として見ている。そこに打算や妥協は一切ない。

 

「……ま、他の奴らと違って、私を前にしても態度を変えないのが貴方の良い所なんだけど」

 

 また口に出してますよお嬢さん。等という冗談はさておき、綾小路咲夜が彼に抱いた感情はつまり、「おもしれー男」ということである。

 

「えっ? また声に出てるって? ……な、何も言ってないわよ! ……もう! 言ってないったら言ってないんだってばぁ!」

 

 口を開くたびにどんどん襤褸が出てませんかこのお嬢様。だがそれがいい? それはそう。

 

「……まぁいいわ。初日から何かあったりしたら、私としても管理能力を問われるだろうし」

 

 さて、ここで問題発言その一。咲夜お嬢様はこの時点で人の事を物扱いしています。人権は金で買えるって噂、本当だったんだね。

 

「そう言えば説明してなかったわね。貴方は今日から此処で生活するの。ほんの二十畳ぐらいしかないから、生活に困るかもしれないけど、少しくらいは我慢してよね」

 

 まぁ、何が如何とは最早言うまいが、犬小屋にしては大分広いんじゃないですか? 立半畳寝壱畳という言葉の通り、人が生活するスペースは十分すぎるほどではある。そこに人間らしさが伴うかはさておき。

 寝起きドッキリよろしくいきなり連れてこられ、言われるがままに検査を受け、生活空間を変えられる、ツッコミどころが渋滞している彼の口から出力された言葉はほんの四文字であった。

 

「どうして? どうしてって、そんなの決まってるじゃない。私がいつでも貴方に会えるようによ」

 

 ますます訳が分からない。どういう訳かこのお嬢様は平々凡々な庶民でも通える普通の進学校にお通いあそばされており、(お嬢様本人の空回りした空しい努力の賜とはいえ)時には通学路で、たまに廊下で、稀に教室で。彼の認識としては毎日会っている。そしてその認識は合っている。正しい。

 

「毎日学校で会ってるですってぇ?!」

 

 でも残念でした。我儘盛りなお嬢様はその程度じゃ満足できないの。

 

「そんなのほんの一握りの時間じゃない! 一日は二十四時間しかないのよ?! 学校にいるのはそのうち多く見積もっても八時間。授業で五時間盗られたら三時間しかないじゃない! それにその三時間だって、貴方は他の女の子と話したり、トイレに行ったり、休み時間に寝てたり、全然私の相手をしてくれないじゃない! 昨日だってそう。貴方と話をしたのは、おはようと、さよならの二言だけ。そんなの会話した内に入らないわよ! 一昨日もそうよ。その前だって。貴方は私がこんなに話しかけてるのに、いつも他の女の子と話してたじゃない!」

 

 はて、話しかけられたかな、と、彼は過去を思い返す。確かに、視界には入っていた。が、声出してたっけ? いや、流石に声をかけられたら無視するほど薄情じゃないしなぁ、と彼がちょっとわざとらしく声を出しながら回想していると。

 

「……え? あっ……、そっ、それは……、恥ずかしくて声に出せなかったから……」

 

 なんて消え入りそうな声でしおらしくなっちゃうんですこのお嬢様。こっちの態度の方が好かれるんじゃない? 誰にとは言わないけど。

 

「じゃなくて! 私が貴方に用事があるって思ってるんだから、貴方から話しかけなさいよ。はぁ……、これだから庶民は気が利かないっていうのよ。いいわ、そのあたりも含めて、貴方には私がこれからたっぷり教育してあげる。どう? 嬉しいでしょ」

 

 まさに自己中。これぞお嬢様。そういうとこやぞ。

 ほら見なさいよ、余りに常軌を逸した状況に彼も混乱しっぱなしじゃない。どういうことだ?! 説明してくれ咲夜! とでも言いたくなる気持ちはまぁ、解らなくはない。

 

「訳が解らないって……、もう! どうして解らないのよ!」

 

 どうして解ってもらえると思ったのか、流石に疑問である。お嬢様には庶民の気持ちが解らない。やっぱり住む世界が違うと視界が違うから価値観も違うんだなって。

 

「いいわ、もう一度言ってあげる。貴方は、今日から此処に住むの。永遠に此処から出られないの!」

 

 本日の問題発言その二でございますお嬢様。それ、監禁罪なんですよ。バレなきゃ犯罪じゃない? 多分バレたところで揉み消されるのが関の山だからどの道犯罪にならないよ。問題しかないね。

 

「今日から此処が貴方の住処、貴方の世界。貴方は、一生この部屋で暮らすのよ。解った?」

 

 解らないが? 何一つ理解に及ばないが?

 それにさっきからこのお嬢様、彼をこの状況にした理由の一切を説明していないのである。何でこんなことをしたんだ、とぼやきたくもなる。

 

「……さっきから質問ばっかり! 私が好きな時に貴方に会えるようにするために決まってるでしょ? 大事なものは一番近くに置いておく、当たり前じゃない」

 

 その置いておくって物理的な意味じゃないと思うんですけど。出力の仕方が力技過ぎないかい?

 で、確かに好きなものは近くに置いておきたいよな、じゃないんだよ、何でちょっと受け入れ始めちゃってるんだ。頭打った時やっぱ大丈夫じゃなかったんじゃない? 脳の機能に何らかの影響が今頃出始めたんじゃないのこれ?

 

「え? あ、ああ、あ……、好きかって、い、きなり言われたら恥ずかしいじゃない!」

 

 かいしん の いちげき。あやのこうじ さくや に だい ダメージ。

 いや、流石にチョロ過ぎん? 往年のお嬢様キャラでももうちょっと耐えるぞ。

 

「こんな面と向かって言われると、破壊力抜群ね……、体温が2℃くらい上がった気分だわ」

 

 君の方こそ病院で診に行ってもらった方が、あぁ、いや、恋の病につける薬はないって匙を投げられるのがオチなのは目に見えてるか。どんな名医でも治せないんです、こればっかりは。

 

「ま、まぁ? 貴方が私に好意を持つのは百歩譲って許してあげるわ。ありがたく思いなさい」

 

 想定外の手傷を負っても流石はお嬢様、もう立ち直ったぞ。見直したわ、いや、見上げたものかな? 主語を勝手に決めている分有利に言ったもの勝ちになるよねそりゃ。

 え、いや、だからさ、咲夜は俺の事が好きなのか? じゃないんだよ。ポジティブさでいったらお似合いだよもう。初撃の軽いジャブで体勢を崩して一旦持ち直させてからのアッパーカットはこの手のお嬢様慣れてないんだから。

 

「……え? え、あ、……私が、……あ、あなたのこと、す、き、そんなわけないじゃない!」

 

 ほらバグっちゃったじゃない。肝心なところで素直になれないんだからこのお嬢様は。ここまでいったらもう行ける所まで言っちゃいなさいよ。今なら多分割と軽いノリでOKしてもらえるだろうからさ。さっきのKOもそれで帳消しに……なるかなぁ?

 

「ダメよ咲夜、今こそ彼に告白する時……! 永遠の愛を不動のものにするのよ……! そしたら、彼に言い寄ってくる邪魔なあいつらも、きっと諦めるに違いないわ。そうに決まってる」

 

 そうそう、その調子その調子。独り言全部聞こえてるのも相変わらずだけど、それでいいんだお嬢様。後は思いの丈を訴えるだけでいいんだ。それでコロッと靡くってきっと、多分、恐らく、メイビー。

 咳払いをして、改まった表情で顔を見据える。それは彼女にとっての一世一代の告白であった。耳まで赤くなった顔も気にせず、瞳だけは彼を離さなかった。そして瑞々しい唇から紡ぎだされる言葉は――。

 

「一度しか言わないからよく聞きなさい。私、綾小路咲夜は、貴方の事がす……、す……、す……、嫌いじゃないわ」

 

 ダメそうですね。

 いや、弁明させてもらうとすれば、彼女はちょっと恋愛方面になると、その、ポン――いや、若干人の心の機微に疎い分、気が回らなくなってしまう程度には盲目なだけで。

 それが致命的なんだって? それはまぁその、えっと、はい。そうですね。

 

「な、なによ人が折角一大告白したのに! ……もしかして、今ので通じなかった?」

 

 逆に通じると思ったのか? 思ったんだろうなぁ。

 そら見ろ、もう揶揄う気満々ですよこの男。鬼、悪魔、鬼畜眼鏡(裸眼だけど)。

 可愛い生き物をいじるとき人は笑顔になるって昔からよく言われてるけど、本当にこいつ良い笑顔しやがって。

 

「し、しかたないわね。庶民にも解りやすいように言い換えてあげる。私は、貴方の事がだ、……だ、だ、だ……だ……」

 

 そうだ、言え、言うんだ。なんかもう結末が見える気がするが気にしないで、ほら。彼も急かしてるじゃないか。いや何で? やっぱり反応見て楽しんでない?

 

「大っ嫌いでもないわ!」

 

 もう帰りたいんだけど、ダメ? ダメかぁ……、そっかぁ……。

 彼も盛大にズッコケちゃったじゃないか、いつの間にこれコメディになったんだっけ? 最初から? いや、ラブコメってもうちょっとラブの領域多くない? 大丈夫コレ? 結構な比率でコメ入ってない? いっそ喜劇の領域に入ってないかい?

 

「ちょっと! 私が間違ってるみたいじゃない!」

 

 みたい、じゃなくて、間違ってるんですわ。あと、顔真っ赤っかにしても余り説得力ないですよお嬢様。いい加減負けを認めましょうよ、ねぇ。これ以上傷を広げると後に響きますよ?

 

「嫌いでも、大嫌いでもないのよ?! 解るでしょ!」

 

 好きの反対は無関心だと、誰か彼女に教えなかったのかな? もうやめましょうお嬢様。恋愛糞雑魚処女なお嬢様に意中の彼を惚れさせるなんて土台無理な話だったんだ。後の反省会にはお供しますから。

 待って、つまり俺の事が好きって事なんだな? じゃないんだって。追い打ちをするんじゃない莫迦やめろ。その言葉はお嬢様に特攻なんだ。

 

「ま、ま……、また好きって言った! 好きって!」

 

 ほら見なさいよ、もう完全にオーバーヒート起こしちゃってるじゃないこのお嬢様。反応が一々可愛いからしょうがないって? キュートアグレッションちゃうんやぞこちとら。

 

「好きって……。私に向かって! 好きって!」

 

 別に「俺は綾小路咲夜の事が好き」という意味で言ったわけじゃないんだけどな、彼。

 勝手に勘違いして過呼吸になってるの傍から見たら腹抱えて嗤えるんだけど。いや、笑ったらいけないんだけどさ、本当は。いや、もう本当に序盤での落ち着いた語り口にいい加減戻させてくれないかな。この時点で大分ギャグよ? いいのかお嬢様、このままだとピエロで終わるぞ。

 

「貴方、私を萌え殺す気?! そうね、そうに違いないわ!」

 

 何でそうなるん?

 

「危なかったわ、気が付かなかったら危うく命を奪われるところだったわね」

 

 いや、だから、何で?

 

「でも残念ね。この程度で私を倒そうと思ったら百年早いわ。貴方はもう私の物。私に歯向かうことは一生できないんだから!」

 

 あー、もう、ほら。呆れた彼もう帰ろうとしてるじゃないか。もう主導権握れなくない?

 

「逃げようとしても無駄よ。部屋にはこのオルトロスがいるんだから」

 

 先ほどから存在感を主張してきたドーベルマンが漸く牙を剥き始めた。口の端から涎が滴り落ち、目の前の餌に飛びかかろうとしている。さしもの肝が据わりすぎている彼もその気迫には気圧されていた。

 

「私の自慢の軍用犬よ」

 

 軍用犬は無暗に吠えて威嚇しないって? 軍用(として育てられたはいいが気性に難があったため左せ……もとい、お嬢様子飼いに栄転となった駄)犬であるので何も問題はない。いいね?

 

「貴方が大人しくこの部屋にいる限り、オルトロスは危害を加えたりしないわ」

 

 その黒い瞳に映す彼の姿は、この部屋からの脱出方法を模索していた。明り取り用の窓、嵌め殺しな上に高すぎる。扉の前、番犬が居座っている。お嬢様、最悪の場合人質に出来るか? 失敗した時のリスクが余りにも大きすぎるからそれは本当に最後のファイナルプロットに止めておこう。

 

「でも、貴方が少しでも逃げるようなそぶりを見せたら……」

 

 主の危機を察したか否か、鋭い牙と爪をこれ見よがしに構え、オルトロスは脅しつける。時代が時代なら、姫を護衛するための騎士のように。

 

「解ってるわよね。訓練された軍用犬には、人間は勝てないわよ。逃げようとさえしなければ、この子は全然危険じゃないから、可愛がってあげてね」

 

 威嚇されまくっててそれは説得力が無さすぎるんじゃないか? という疑問は浮かべど口に出せる雰囲気ではなかった。

 彼は突破口を探すために話題を変える。そう、このまま監禁生活を続けるのなら、学校にも通えなくなるじゃないか、と。学歴社会が顕著になっている昨今、中卒高卒など最早人権が無いに等しい扱いを受けているのが目立つ。このまま出席日数が足りないとなれば卒業も怪しい。そうなれば最終学歴はもう就活に挑むのも憚られるような見るも無残な白紙だろう。

 

「学校? そんなもの必要ないわ。必要な教育は、家庭教師を呼ぶから。私と一緒にマンツーマンで。ウフフ♪ 想像するだけでうれしくなってくるわ」

 

 予想以上に斜め上の答えを返されて黙るしかない彼。ちょっとこのお嬢様こんなポンコツのまま放っておいていいんですか? あぁ、何か彼の顔が心なしか守護らねばみたいな覚悟決まった顔になっちゃって。これがストックホルム症候群か。

 

「と、兎に角! 貴方はこれからずっと私と一緒なの。ここなら他の女共に惑わされることなく、私だけを見ていられるでしょ?」

 

 これにて一見落着……でいいのかな。まぁ二人が楽しそうだからヨシ! はいさっさとエンドロール流して、余計な茶々が入る前に早く。

 あぁもう、遅いから電話のベルがけたたましく鳴り響いちゃったじゃないか。絶対面倒ごとの火種ですよこれは。こちとら早く物語を締めたいのに。

 

「もううるさいわね、今取り込み中なのに。一体何事?」

 

 しぶしぶ、お嬢様は受話器をとる。綾小路邸の内線だ。それによる報せは、お嬢様には良い報せ、彼には恐らく悪い報せだった。

 

「……何ですって? 侵入者? モニターに映しなさい」

 

 そこには二人の少女が捉えられていた。二人とも、彼の見知った顔だ。そしてお嬢様にとっては疎ましかった恋敵でもある。

 

「何だ雌犬どもか。……もう嗅ぎ付けてくるとはね。“丁重にもてなして”あげなさい。殺しちゃダメよ。国内は面倒だからね」

 

 何せ日本はこと殺人事件における逮捕率は99%にも届く。そんな治安のよい日本に、事件性のある死体が発見されたとあっては警察も動かざるを得ず。知られてしまったからには金で黙らせることも出来ず。かと言って何時までも見つからないままだと捜索願がうるさい。最後に発見された場所が自分の家の周りだと、しつこく行方を聞いてくるのだ。

 

「尤も、殺しさえしなければどんな風に扱ってもいいけど?」

 

 お嬢様の顔は冷たく笑んでいた。養豚場の豚を見るような冷酷な目。これから屠畜され、出荷される商品の生前の姿を流し見るだけの微笑み。

 

「あ~あぁ、どんな可哀想な目にあっちゃうのかしら。自業自得とは言え同情しちゃうわ~。ウフフ! アハハ!」

 

 “タイタス・アンドロニカス”に出てくるラヴィニアのような有様になってくれることを、タモーラ気取りのお嬢様は期待する。

 

「あの二人、貴方の知り合いなのよね。確か……どっかの神社の巫女と貴方の従妹だっけ? さしずめ、貴方を取り返しに来たって事かしら」

 

 彼には、二人がきっと自分にとっての最期の希望だということが直感できた。それ故に望みが絶たれた今となっては、ここで飼い慣らされるしか選択肢が無くなったことを残酷なまでに突きつけられたことを実感するしかない。

 

「一々相手するのも面倒なんだけど、取り敢えず、神社と貴方の親族を買収しておけばいいかしら。庶民なんてすぐ買収できるわ。どうせああいう人種は、本人にダメージを与えても上手くいかないでしょうしね。それよりは社会的に抹殺しちゃうのが一番よ」

 

 お嬢様は合理的な人の殺し方を知っている。ルソーはかつて、社会の内で弱者が強者に従属し、しかも弱者が望んでそうするようになった過程は何かを論じた。現代では、金である。富める者がより豊かになるよう、貧しい者からより搾り取れるような社会構造に、社会的強者の経済的に豊かな者たちがその立場を維持し、より強固で盤石なものにするために構築しつくしたのだ。そうして都合の悪い存在には、最初からそんなものはいないではないかと、消えてもらうことにしたのだ。

 

「碌にお金もないくせに、貴方に言い寄った上、この私に楯突こうなんて良い根性してるわ。ま、身の程知らずには違いないけど」

 

 お嬢様は貧乏人を嘲る。金こそが、彼女の人生にとって二番目に価値のあるものである。金が無いものは何も出来ない。出来る筈がない。何せ、人間社会で生きていくためには絶対に金が必要なのだから。衣食住は勿論、上下水道や電気をはじめとしたライフライン、学校、交通手段エトセトラ。金に頼らず生きる人間が存在するならばそれは、人間社会から隔絶された独自の生活基盤を持つ仙人か何かか、あるいは犯罪に手を染め糊口を凌ぐ裏社会の人間たちか。

 

「金で何でも解決するのか、ですって? はぁ、貴方のお金の価値を解ってないのね。お金で買えない物なんてないの。お金で人生だって買えるのよ?」

 

 お嬢様は庶民と解り合えない。金という概念の捉え方が根本からして異なっている以上、話がねじれの位置にあって交わることも出来ない。

 

「――例えば、貴方の、ね!」

 

 それ故に庶民の意見には目を瞑り、口出しは聞かず、反論は無視をする。パスカルをして、正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしていて議論の余地がない。それ故に人は正義に力を与えることが出来なかったと結論付けた。身も蓋もない話ではあるが、力のある方が正しいのだとした。この社会における力とは、単なる暴力や教養よりも、金である。より多額の金を積んだ方に天秤が傾く。非常にシンプルで分かり易い構造だ。

 金で買えない物に価値はない。金で代えられないのだから価値はつけられない。金で買えないのなら、それに価値を見出す必要もあるまい。

 

「いいわ。これから貴方には、私の想いと、お金の力を存分に教えてあげる」

 

 お嬢様は自分の一番の価値を後者に置いていた。金を持たない自分には意中の相手が振り向くわけがないという、無意識の恐れから来る防御本能である。

 

「そして、毎日毎日毎日毎日毎日私の相手をして、身も心も私の虜になるのよ」

 

 お嬢様は知りもしないし気付きもしない。彼は彼女が何も持っていなかろうと、好意を寄せてくる限りは好意で返すある種のお人好しであるとは。このような突拍子もない真似をせずとも、真正面から向き合って、一世一代の告白を正直にしていれば、それに応えてくれる人間であるとは。そんな人間が存在するわけがない、とも。

 

「アハハ! 考えただけで楽しくなってきたわ」

 

 人間は慣れる生き物である。彼も今は失意の中にいるかもしれないが、お嬢様が献身してくれる限りはきっといずれ依存してくれるだろう。そこに本当の愛があるかどうかはさておき。そも、このような強硬手段をとった時点で本当の愛を問うなど破綻しているが。

 

「ウフフ! 今日はもう遅いから明日からにしましょ」

 

 キルケゴールの著によれば、人間とは唯一絶望することの出来る動物なのだそうだ。

 

「それじゃ、ゆっくりおやすみなさい」

 

 夜の帳が降りた闇の中、広い部屋に取り残された彼は、最も人間らしい顔をしていた。

 

 

 










 ――メッセージが一通届いています。再生しますか?




 >はい





『あぁ、もしもし? 安心院さんだよ。プレゼントはもう届いたかな? いやさ、空っぽの柩に薔薇と百合だけじゃ味気ないじゃない? だから書き下ろしてみたのだよ。余計なお世話だって? いいじゃないか別に彼女の望みぐらいせめて物語の中だけでも叶えてやっても。それにホラ、キミ等との仲のよしみだろう? ちょっとくらいの茶目っ気は大目に見て欲しいな。そんなことより聞いておくれよ、次の新作のアイデアが浮かんだんだ。今度は神居古潭を舞台にしたクライムサスペンスを――』



 ――メッセージを消去しました。




  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。