母さんの出産日が近づいていた。
正月に継父と姿を現した時にはすでに妊娠3ヶ月は過ぎていたらしく、十月十日を踏まえて考えると6月末から7月初旬ぐらいか。
流石に出産が間近になると、家が慌ただしくなる。
ベビー用品とかを買い揃えなくてはならないし、身重の母さんの手助けもしなくてはならない。
私も色々と手伝ったりして、いよいよ父さんに何も言えないまま、その時が訪れた。
近くの総合病院に母さんは運ばれて、継父と私は車で追いかける。
無言の車内。それはいつものことだ、継父と私の間に会話が生まれることはない。継父は私をどう扱っていいかわからず、私は継父にあまり関心がないから仕方ないことのように思える。
けれど、この日ばかりは継父から口火を切った。
「この後、どうする?」
まだ日本語を使い慣れてないのかカタコト気味な発音。
ただ、言外に何を聞きたいのかは分かった。
「カヤ、パパが好き。けど、ボクはそうでもない。ちがうか?」
「そうです。貴方を、アレックスさんを自分の父親だとは思えていない」
「だよね。ボクはキミにとってはインベーダーだから」
寂しげにアレックスさんは笑う。
人間個人としては嫌いではない。私をちょっと女性的に意識してもそれにすぐ「ゴメンネ」と謝れるような人だ。ほんとうに善良でいい人。家庭人としてなら父さんよりもよっぽど格が上だ。けれど、善良な人だからこそ私の深層を受け入れることはないと予感してしまう。
……もし、アレックスさんが私の貞操を狙うような男なら本気で憎めたのに。離れることに踏ん切りがついたのに。
多分、この暖かさをこそ母さんは望んだのだ。ひたすらに夢の高みを目指して振り返ることのない父さんを捨ててまで。
「アレックスさんがインベーダーなら、私はディザスターだよ。だから、気にしないでください」
私が母さんに与えられなかった暖かさ。アレックスさんなら母をそれで満たしてくれるのだろう。短い付き合いだけど、不思議とそう確信できる。
あの日から私は絶えず理由を探していた。
*
一晩、母さんの出産は続いた。
私はその闘いを分娩室のガラス越しに見せつけられる。
母さんが陣痛と分娩の痛みに耐える姿は見てて痛々しい。
けれど、私は目を離すことはない。いや、出来なかった。
子宮がうずく。今までの私ではありえなかった反応に苛まれている。
当たり前なことだが、私にはすでに生理が来ている。そして、身体は同年代の女の子と比べて早熟でもう出来上がりつつあった。法律ではまだだけどとっくのとうに子供を産める身体にはなっているのだ。身体の機能としてはこのうずきは当然なことなんだろう。
女である限り10年、あるいは20年先には私もああいう風に誰かに孕まされて、誰かの子供を出産する。
そして、この過酷な戦いを繰り広げなくてはならない。
そのことを思うと恐ろしくて仕方がなかった。
なまじ容姿が似通っているために母さんの姿が未来の自分に重なっていく。
これは、今まで経験した男と女の境界線の苦しみではなく、女が女であることによって起こる苦しみだ。
『どれだけ男らしく振る舞おうが、どのみちあなたは女の子なのよ。いつか、そう思い知らされる日が来るわ』
いつかの母さんの言葉がフラッシュバックする。
結局のところ、母さんの言うことが正しかった。私は俺の延長線上にあるのは確かだけど、私はどうしようもなく女の子でその運命からは逃れることができない。
怖い怖いと言いながらも、分娩する母さんから目線を切ることができずにいる。その関心こそが紛れもない証左だった。
*
7月2日、朝7時32分。
ついに私の異父弟、中山学が生を享けた。
助産婦さんが母さんから学を取り上げてストレッチャーに置く。そして体重が測られた後、アレックスさんは学を抱き上げた。
「ありがとうカーラ。産まれてきてくれてありがとう、マナブ……!」
感涙に咽びながら微笑むアレックスさん。
思えば、私だって最初は望まれて産まれてきたことを思い出す。
けれど、私は俺で母さんたちの娘には完全になりきれなくて。そうして遠ざけて、厭われて。発端が自分なのはわかっているのだけど。
それでも、と願う気持ちは確かにあった。もしかしたら、俺を受け入れてはくれないかと。けれど、けれどもその願いは叶わない。
だって、弟が産まれた時の母の笑顔が、アレックスさんの泣き笑う顔が証明した。
分娩室のガラスの一枚向こう。
助産婦さんに促されるまで、俺はついぞ一歩も踏み込むことができなかった。
ならば。これが答えなのだろう。
「……君は、私みたいに間違わないでね。約束だよ」
アレックスさんに手渡された学を抱きながら祈る。
何も知らない彼には、このまま綺麗で居てほしい。そして、それを為すには私は邪魔だ。
産まれただけの学には罪がないのは分かってる。
けれども、私がどれだけ望んでも得られなかった母の愛が彼には存分に注がれているのだ。自分の嫉妬で彼の人生を歪めてしまうことだけは嫌だった。
「さて、父さんのところに行こうかね」
ぽつりと呟く。
それに耳を傾けたのは、学しかいなかった。
*
夏休みになって時間ができた私は父さんがいる高知に向かっていた。
なんでも長宗我部元親の大河ドラマを撮っているらしい。昔のことを考えたら大出世と言えた。無論、出世した代償に仕事は忙しくなっていて、毎年ほぼ帰ってきていた正月に父さんは帰ってこなかった。
そんな状況の父さんにかかる事態を伝えるのは非常に気が重くて仕方ないが、やらなければならないことだった。
「やあ、伽耶。待っていたよ」
高知市の某所。
ご当地名物の鍋焼きラーメンの店で父さんと待ち合わせした。
すでに父さんはカウンター席にいて、私を手招きする。
鍋焼きラーメン自体は中華麺に鶏ガラが効いたスープがよく絡んで美味しい。ご飯も釜炊きだったから香ばしさが食欲をそそる。量があるのも、食べ盛りの私にとってはありがたかった。
けれど、なんというか話を切り出しづらい。このまま美味しい思いをして帰りたくなる。
「なあ、伽耶。何か僕に隠してないかい? やけにそわそわしてるじゃないか」
ただ、父さんはやはり目ざとくて自分から斬り込んできた。おかげで私も覚悟が決まる。
「……そうだね、父さん。私には言わなきゃいけないことがあるの」
私は今この手で家族を壊そうとしている。
究極のところ私が動かなくてもいつかは壊れるのだろうけど、学が産まれた時点でもう不可逆なのだから、いっそのこと今壊した方が収まりがいい。下手に長引かせて学の人生に陰を落とすのも躊躇われた。
母さんの不倫から学の誕生。
この一連の流れを父さんは時折目を丸くしながらも静かに聞いていた。
「……そうか」
全部聴き終えた父さんは長く息を吐く。
慮るに怒りは多分なくて、悲しみと諦めと後悔だろうか。複雑にないまぜになった感情を父さんは静かに整理していた。
「……かつての僕は彼女に憧れて、映画監督になってデカい作品を作るという夢を認めてくれて、支えてくれた強い彼女を信じていた。……僕はずっとそれに甘えてきたんだろうね。だから、裏切られたなんて言わないよ。信頼というにはあまりに手酷いやつだったから。僕はそこから抜け出せなかった。彼女を助けられるような男になれなかった。そして、伽耶は多分変わらないことを選んだんだろう? ──なら、いい。僕らの道はすでに分かたれたんだ。ならば、せめて彼女が幸せであらんことを祈るほかない」
静かに一組の夫妻の物語は終わる。あまりに歪な形だけど、それでも家族だった。互いに好き勝手やって弾けて。壊してしまったという事実だけが重くのしかかる。
……繰り言になるが問いかけずには居られない。どうして私は『俺』のまま産まれてしまったのか。最初から私が『私』でいられたのなら、こんなことにならなかったはずだ。『俺』は結局のところどうしたって男になれない徒花でしかないというのに。
読んで下さりありがとうございます。
最後に出てきた流水麺です。
サブタイつけておきながらアレだが、すごい最終話感が漂ってやがる……! まあ、話はまだまだ続きます。とはいえ今話が一つの区切りになることは確かです。