ちなみに今話は中山編と比企谷編の2本立てです。
4月23日。
入学式から2週間ほどが過ぎる。けれど、まだどこか浮ついたような、足元がおぼつかないような空気が1年生の中には漂っていた。
通学や授業には慣れてきたけど、人間関係にはまだ慣れない。
中学からの既存グループに、遠くから単身で来た生徒という構図で繰り広げられるクラス内カースト形成に関わる権謀術数。そして、何よりこの後の3年間を決定づけてしまう部活動選択が彼ら彼女らにのしかかっている。
部活に関して総武高校は原則加入を生徒に求めてはいないから帰宅部としての道はある。だから、間違いなく八幡はそうするのは明らかだ。
ただ、普通の生徒からしたら部活は入っておきたいのが心情だろう。なにせ友情も努力も勝利も、果ては色恋さえも部活には内包されているように彼ら彼女には見えている。なにやらアメリカンドリームのようなナニカがそこにあった。
とかく、高校1年生の4月というのは忙しい。
それは私とて例外ではない。クラスでは否応なしに目立つ葉山くんに目につかない程度には近づいて立場を作る必要もあるし、部活もやるとなると仕事に差し支えないものを選ばなくてはならない。
例外と言えるのは八幡と目の前に座る彼女……雪ノ下雪乃ぐらいではないだろうか。
最近は彼女と朝食を一緒に摂って雪ノ下家のハイヤーで学校の近くまで行って降ろしてもらうのが習慣になっている。手間がないからやっているんだけど、おかげで私までお嬢様とクラスの人に思われていた。
「どうかしたのかしら、中山さん」
「いや別に。雪ノ下さんって部活は何にしたんだだろうって」
何気なしに言ってしまった意味はない一言。なにせ雪ノ下雪乃は奉仕部を設立することを私は知っている。わかりきっていることを聞くほど無駄なことらない。……けれど、思えばいつ彼女は奉仕部を設立したかは分からない。案外、原作には彼女が1年生だった頃の描写はないのだ。
「……そういえば、中山さん。貴女は部活を決めてないのかしら?」
「まあね。色々と縛りがあるから」
「だったら、良ければ私と一緒に部活動をやってくれると助かるのだけれど……」
ちらちらと上目遣いでわたしを見てくるゆきのん。可愛い。けれど、その内容に私は驚いている。まさか考えた側から奉仕部が作られようとしていたなんて誰が思うまい。
「うーん」
テーブルにティーカップを置いて思案を始める。
奉仕部の理念は確か『飢えた人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えること』でボランティアよりかは、お悩み相談と自立支援といった方が近しい。
雪ノ下雪乃はなぜそのような理念を掲げたのか?
それは推測にはなるけど、彼女自身が知っていたからなのだろう。……ただ、与えただけでは依存される結果にしかならないと。
彼女は奉仕部の活動を通して自己否定を、さらには自己超克をしたかったのではないかと思う。
けれど、それは比企谷八幡が現れたことで綻びが生じる。
八幡は雪ノ下雪乃ではできない斜め下の方法で問題を解決、あるいは解消してきた。効率という意味では悪くはないし、依頼者も助けられていた。ただ一方で雪ノ下雪乃が自らの手で依頼を解決するという機会が奪われたことにもなりうるのだ。
(私はどうなのだろうか。私が入ることで雪ノ下さんは望むように変われるのだろうか。誰かの後を追うような人になりはしないだろうか)
どう取り繕い、演技をして、希ったとしても人は自分以外の誰かにはなれやしないし、自分を打ち消せない。
『俺』の上にどれだけ『私』というテクスチャを貼り重ねたとしても、『俺』が『私』に塗り変わることはないように。雪ノ下雪乃が雪ノ下陽乃を追っても、雪ノ下雪乃でしかないのだから。
「ごめん、部活をやるのはちょっと考えさせて欲しい」
結果的に私は即答を控えた。
確かに原作を知っている人間からしてみれば、奉仕部に入ることは魅力的だ。ただ、それが雪ノ下雪乃の自己実現の妨げになるならやめた方がいい。比較的彼女にとって気安い間柄の私が奉仕部に入ることは、もしかすると私への依存を招くかもしれなかったから。
それに私は私の人生がある。
父さんの手伝いで始めた女優稼業は実に私の肌に合っていた。高校では多少自粛はするけど、あまり勘を鈍らせたくないと思っている。
奉仕部の活動形態は依頼者が来るまで待ち続ける、あるいは学校行事の裏方などに従事するという形で案外多忙だ。すると、私の女優兼業のライフスタイルは噛み合わないのではないかという危惧があった。
「そう、なら仕方ないわね」
「こちらこそごめんね。……そうだね。入るのは厳しいけれど、暇な時なら手伝うよ。雪ノ下さんに頼られるのは嬉しかったからさ」
こっちに来てから私はゆきのんにお世話になりっぱなしだった。
ご飯を作ってくれたり、掃除を手伝ってくれたり受験でも力になってくれた。だから、何かしらの形で借りを返してあげたい気持ちがある。
その思いが口を動かさせていた。
「ありがとう、中山さん。……ここで一度私は自分の部屋に戻るわ。後片付けはお願いね」
「わかったよー」
考えている内にゆきのんは朝食を食べ終えていたらしい。手早く自分の食器を流しに戻して帰っていった。
私もまた時間がないからそそくさと朝食を胃に詰め込む。
……ゆきのんが家を出てくれてよかった。口にはしないけど、時折ゆきのんの在り方が私を苛むことがある。
今日もそう。奉仕部の誘いに私は理屈で返し、蹴った。
けれど、その理屈は感情に理屈を貼り付けて、ゆきのんを思う演技をしてカモフラージュしただけに過ぎない。
正しく美しくあろうとする彼女と、偽りで糊塗することに手慣れた女。
その差が浮き彫りになる。
外から見た美貌だけではない美しさを雪ノ下雪乃は内に秘めている。
だから、八幡は彼女を好きになったのだろう。
本物の美しさを持つ彼女を。
**
4月29日。
世間ではゴールデンウィークの真っ只中。観光地では今ごろ人混みで混雑していることだろう。
さすがは人間は群れる動物といったものだ。平日はわざわざ首都圏に固まり、自ら通勤ラッシュに身を投じて果ては休日までも混雑する場所に飛び込むとは、人混みの中でしか生きられない魚とかなの? 周りに誰もいないと死んじゃうの? ……いや、寂しさで死ぬのはウサギだな。いや、人間も孤独死はあるけれど。はっ、もしや人間=ウサギなのでは?
いやー、さすがはぼっちを極めたこの俺……比企谷八幡様だ。またしても真理に一つ到達してしまったのか……!
世間が湧き立つ中、病室で寝転がる俺は寂しさにもう慣れ親しんだ新人類になっていた。俺クラスともなれば自室で引きこもってようが、病室で引きこもってようがさほど関係ない。……わけない。
「暇だ……」
具体的には連想ゲームの果てにどうでもいい大喜利を繰り広げるぐらい暇だ。
1ヶ月の入院期間も後半になれば、だれて退屈なものになってゆく。
一月も相手をしてられないと思ったのか、小町や家族のお見舞いも減る。中山はもとより多忙なやつだからお見舞いに来れる絶対数が限られていた。
二階堂ははじめはそこそこ足を運んできてはくれていたが、病院通いは彼女にとって性に合わなかったらしく来る頻度が週一ぐらいに下がっていた。
ゲームは持ち込みが禁止され、漫画はあらかた読み尽くし、スマホは触りすぎて目がチカチカしてきたからもうあまり使う意欲が湧かない。
もうまともな娯楽がどうでもいいことを考えるぐらいしかないのだ。今のところネタ切れの気配はないからやはりぼっちの脳内思考展開力は他の追随をそう容易く許さないものがある。
さて、次は何について考えるか……。
思考が流れていこうとした刹那、扉がこんこんと叩かれる。
俺が返事をすると、開かれた扉からピンク色のお団子髪を覗くことができた。
「やっはろー! ヒッキー!」
「病室なんだから大人しくしろよ。で、その頭悪そうな珍妙な挨拶は何? 流行ってんのか?」
「え、可愛くない?」
「知らんがな」
少女の問いかけをバッサリと切り捨てる。
他の奴らの足が病室から遠のく一方、こいつ……由比ヶ浜結衣は律儀にもほぼ毎日来てくれていた。
まあ、事件の当事者だってことに責任を感じているのだろう。それにしてもよく来てくれている。
俺と由比ヶ浜はだいたい数十分ぐらい他愛のないことを話す。話すといっても由比ヶ浜のクラスでの話を適当に聞き流しているだけだが。
それでも、由比ヶ浜の人となりはなんとなくわかる。クラスの人間に気を使い、容姿にも気を使える。話を聞いた限り、クラスの中のトップカーストの中に入ってるようだ。髪も黒いままだと地味に思ってピンクに染めたのだろう。
「ほぼ毎日通ってくれるのはありがたいが、クラスの友達は放って置いていいのか? あくまでお前の居場所は学校だろう。俺もそろそろ入院が終わる。もう、来なくてもいいんじゃないか?」
だから、俺のためにこいつの貴重な放課後を使わせていいのだろうかという懸念が先立つ。俺のせいでこいつがクラスの友達に「付き合いが悪いんじゃないか」と陰口を叩かれていないだろうかと心配になる。
こいつの話を聞くのが日々の楽しみとなりつつある俺がいるが、それは瑣末なことだ。それはこいつの優しさに甘えてつけ込んでいるだけに過ぎないのだから。
そもそも俺は何かを得るためにあの犬を助けたわけでもないし、それで怪我をしたところで彼女に償いを求めたこともない。最初に一回会って詫びを入れただけで彼女の義理は果たされているのだ。
「お前が申し訳なさで来てるならお見舞いはもうやめろ。こうもお前を拘束していると俺が居た堪れなくなる。いいんだ、由比ヶ浜。お前はもう戻っていいんだ、自分の世界に」
「なんで、そんなこと言うの……っ。あたしはぜんぜんそんなつもりはないのに……」
俺の言葉に戸惑う由比ヶ浜。目の端に少し涙が滲んでいていよいよ居た堪れない。でも、告げてしまった言葉はもうどうしようもなくて。
「勘違いするな、俺はお前のために犬を助けたわけじゃない。見て見ぬふりをしたら俺が俺を赦せそうになかったからやっただけだ。だから、すでに謝罪を済ませた由比ヶ浜が気に病む必要はない」
「わからないよっ! なんでそんな考えになるのかわからないよ……ねえ、ヒッキー」
由比ヶ浜は泣きじゃくり声が萎んでいく。
俺もそんな由比ヶ浜にかける言葉がなくて、病室は静寂が訪れる。
……ああ、これは俺の怠慢だ。甘えるだけ甘えて、俺のスタンスを彼女に伝え損ねた。だから、今この状況で拗れてしまったのだ。
ほつれて絡まった糸を解き直せるほど俺は対人コミュニケーションが器用じゃない。だから、俺には糸ごと切り落とすことしか出来なかった。
「……バカ」
沈黙に耐えかねて、由比ヶ浜が出ていく扉を閉じる音は少し荒々しい。
……でも、これでよかったのだ。
所詮、俺と由比ヶ浜は月とスッポン。求めたとて交わらない。それこそ二階堂のように月の方が墜落して地表にめり込まない限りは。
変に手が届きそうなところに降りてきて、手を伸ばせば叩かれて手にすることはない。こちらに変に期待をさせて狂わせる。
狂って勘違いして傷ついて、それで何度中山や二階堂にたしなめられたかわからない。気づけば、俺は求めることすらやめていた。
叶わぬ夢を見て期待してそんな自分に失望する。
だから、俺は優しい女の子が嫌いだ。