偽物にしかなれない私は   作:流水麺と豪州侍

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遂に書き上げました。
分割してもアレな気がしたので1話にまとめました。
そのため、1万字を超えた観光ガイドになっております。適宜、休憩を挟みながらお読みください。


第19.5話 二階堂有栖の常総グルメツアー

 

 5月になって長きにわたる入院生活も終わりを告げた。

 ゴールデンウィークの後半に退院が間に合ったのは大きい。この機に積んでいたゲームを片してしまえるし、溜まったプリキュアも一気見することだって叶う。

 

「だから、喜ばしいことのはずなんだがな……」

 

 しかし、家で一人で過ごすたびに病室での由比ヶ浜とのやり取りが脳裏をよぎる。

 なにも、あそこまでする必要はなかったんじゃないか? 

 いや、それでも俺と由比ヶ浜は立つ位置と取り巻く環境が違う。

 あの異常だった関係を学校に持ち込んだところで歪に変わって俺たち2人を傷つけたことだろう。それこそ磯子の件の二の舞だ。

 だったら、遅かれ早かれこの別れは起きたことになる。ならば、傷を浅くしただけ有意ではないか。

 ゲームに触れても、本のページをめくっても自己弁護の思考が先立つ。心なしが部屋の空気も澱んでいた。

 ……こんなところに居ても埒が開かない。外に出よう。

 ふぅ、シャバの空気がうまいぜい! 

 リハビリを兼ねて家の周りを歩く。心なしか考えもクリアになっていた。

 いくら考えたところで覆水は盆に帰らない。ならば、次のことを考えるべきだろう。

 もう少し遠くまで脚を伸ばそうか、そんなことを考えていた頃にSNSの通知が来ていた。送り主は二階堂。なんでも明後日に旅行に行きたいとのこと。

 

「二階堂と旅行ね……」

 

 中山と旅行に行くことは以前にもあった。だが、二階堂ととなると近所のなりたけを一緒に食べに行くぐらいが関の山だった。

 何の理由があっての誘いかわからんが「行けたらな、行けたら」とほぼほぼ行かない前提の返事をしておく。俺も二階堂も互いがいなければ、ぼっちだ。きっと文意を正しく察してくれることだろう。

 小石と厄介事を蹴飛ばしながら、俺は家に帰るのだった。

 

 1

 

「……──起きて。ねえ、起きてってば」

 

 惰眠を貪っていた俺に激震が走る。

 マイラブリーエンジェル小町ならこんな乱暴なゆすり方はしない。

 誰だ。

 警戒して俺は眼を開く。

 そこには、目を見張るばかりの美少女……っていうか二階堂がいた。

 

「起きたね。さて比企谷、行こうか」

 

「行くか馬鹿。こちとら骨折明けだぞ? 常識的に考えて行けるわけがない。家で安静にしてなきゃダメだろ?」

 

 骨折明けという強烈な手札によるカウンター。

 わざわざ家まで御足労いただいたところ悪いな、二階堂。早々にお引き取り願おうか。

 実を言うとリハビリは後半の方に入ってるからガチでスポーツとかしなければ大丈夫なんだけどネ! 

 卑怯だと思うが、俺は嘘を言ってはいない。ただその詳細を知らせていないだけだ。

 

「でもさ、安静って言っても今日は家で比企谷を見てくれる人はいないよ? 小町ちゃんとお母さんは箱根に日帰り温泉しに行くって言ってるし、お父さんは朝から船橋競馬場で勝負するって息巻いてるし。まさか、カマクラに見てもらうとか言い出さないよね?」

 

「え、小町と母さんが温泉とか聞いてないんだが? ブラフにしては雑だな、二階堂」

 

「ブラフだと思うなら小町ちゃんに聞いてみなよ。あたしはリビングでお茶でも飲んでるから」

 

 そう言って二階堂は下に降りて行った。

 スマホの時計を見てみると5時20分。……かなり早い時間に来たなあいつ。まぁいい、この時間なら小町はまだ寝てるだろう。叩き起こすには良心が咎めるが、二階堂を追い返すにはそれしかない。

 時間もあって優しく小町の部屋の扉をノックする。かなり叩かなきゃならないかと思っていたが、扉はすぐに開いた。

 

「なに、お兄ちゃん? まだ出てなかったの?」

 

「まだも何も俺は旅行なんて約束してねえんだよ」

 

「そうなの? どっちにしろ小町はお母さんと箱根に行くから夜まで帰ってこないよ。どうせなら有栖さんに面倒見てもらったらいいんじゃないかな?   有栖さんなら信用できるし」

 

 小町の話を聞いた瞬間、俺は膝から崩れ落ちそうになった。

 俺はあいつの悪辣さと行動力、そして小町たちへの外面の厚さを見誤っていた。

 小町や母さんが早朝に二階堂を家に入れることを許すほどあいつはあの2人の前では『礼儀正しい可愛らしい幼馴染』を演じていたのだから。その外面を悪用し、行ける状況を整えてきやがったのだ。

 

「お兄ちゃん。これはいうならばデートだよ? だらしない格好で行かせるのは小町の名折れだからさ、ちょっと付き合ってもらうよ」

 

 ガバッと小町に飛びかかられてホールドされた俺は、抵抗する暇もなく着せ替え人形にされていた。

 

「うん、これならお兄ちゃんも目以外は見れたものになったね。じゃあ、行っておいで。今日こそ有栖さんを堕とす日だよ!」

 

「俺はあいつをそういった目で見てねえって何度も言ってるだろうが……」

 

 なんでか小町はやたらと二階堂と俺をくっつけようとしてくる。俺にも二階堂にも多分そんな気はないんだがな……。

 ともあれ、俺は二階堂から逃げられないらしい。

 どうしたものかと、頭を悩ませた。

 

 2

 

 結局のところ、家を6時ぐらいに出ることになる。

 逃げてないか二階堂がたびたびこちらを振り返り、牽制する。

 その度に二階堂の黒髪が朝凪に靡いた。

 

(本当にこいつは見た目だけなら一級品なんだがな……)

 

 黒いホットパンツを着たことで惜しげもなく見せつけられている白い太ももが目に眩しい。

 羽織った赤青チェックの長丈のシャツで上半身の露出は抑えられているが、白いTシャツを力強く押し上げる胸元の存在感は確かでしかも襷掛けのショルダーバッグの紐で俗に言うパイスラが形成されていた。

 黒いスポーツキャップと運動靴でスポーティな雰囲気を演出しているが、なんてことはない。今日のコーディネートはただただ二階堂有栖という少女の素材の良さををこれ以上なくストレートに叩きつけてきているだけだった。

 

「どうしたの、比企谷。立ち止まってさ」

 

 二階堂が怪訝そうな目を俺に向けてくる。

 ただ、見惚れてたなんて絶対に言えやしない。言えばこいつはそれをダシにずっと揶揄ってくるに決まっているからだ。

 

「こんな時間に家を出るなんて、随分遠いところに行くんだなと思ってな」

 

 だから、俺は代わりに疑問に思っていたことを吐き出した。旅行だと聞いてはいたが、行く気が欠片もなかったから何の聞き取りもしてこなかったのだ。

 

「そりゃあ遠いよ。だって行くの茨城だし」

 

「なんだと……」

 

 茨城なんて千葉人の行くところではない。

 一時期は都道府県魅力度ランキングで最下位を独走し、県南の連中はチバラキだなんだと千葉の威を借りるようなそんなところだぞ? 褒められるのはマッ缶の調達が容易いことぐらいだ。

 

「まぁ熱心なチバニアンの比企谷ならこうもなるか。けどさ、比企谷。茨城のなんたるかを知らずに千葉を理解できると思う? 南葛や上総、安房あたりならできるかもだけど、北総と東葛は無理だよ? 一部の地域しかわからない千葉愛は本物と呼べるのかな?」

 

 なるほど、二階堂の言葉は道理だ。歴史的にも地理的にも東葛と北総は茨城との繋がりが深い。それを千葉県側の視点で見ただけでは理解したつもりの偽物でしかない。実に痛いところを突いてきやがった。

 ……安い挑発だとは分かっている。それがこいつの方便だということも。

 けれど、こいつは二階堂有栖は今まさに俺のアイデンティティに足をかけている。逃げれば、俺は俺のチバニアンとしてのアイデンティティを踏み潰されることになるだろう。

 

「上等だ、二階堂……! そこまで言うなら付き合ってやるよ……! 俺の千葉愛に懸けてな……」

 

 語気を荒々しく、二階堂にビシッと指を突きつける。

 それを見て二階堂は。

 

「あは、計画通りだね」

 

 と、やたら艶っぽい笑みを浮かべるのだった。

 5年以上一緒にいるがやっぱこいつ怖えよ……。

 

 3

 

 総武線の駅で電車に乗り込んでからはかなりの長征だった。

 西船橋で武蔵野線に乗り換え、新松戸で常磐線各停(実態は東京メトロ千代田線)に乗り換える。だが、この各停では茨城県には取手までしか入れないし、そもそもほとんどが千葉県内の我孫子までだから茨城に行くには更に乗り換えを要することが多い。

 西船橋には総武線快速は止まらず、新松戸に常磐線快速は止まらない。だから、それぞれ1回は乗り換えを要することが多い。他の南北連絡には新京成線と東武アーバンパークラインがあるが、前者は蛇行して松戸に向かうため時間がかかり、後者は京葉線側だとアクセスしづらいという難がある。正直、この乗り換えの煩雑さが東葛・茨城と南葛の分断を招いているような気がした。

 

「茨城に入るなら柏乗り換えだけど、あたしたちは我孫子までいくよ。そこに第一の目的地があるからね」

 

 二階堂に引き連れられて降り立った我孫子駅。

 武者小路実篤や志賀直哉などけっこうな数の文豪や文化人にゆかりがある北の鎌倉。文学少年気味な俺にとっては一種の聖地とも言えるようなところだ。

 まだ朝早いが、手賀沼のほとりを優雅に散歩するというのも悪くない。俄然モチベが上がる。

 

「違うよ比企谷。こっちこっち」

 

 意気揚々と改札を出ようとしたところを二階堂に引き戻される。そして、そのまま常磐線の茨城方面のホームへと降りて行った。

 

「なぁ二階堂。お前、我孫子が目的地だって言ってなかったか?」

 

「言ったよ、はいここ」

 

 二階堂は返事と共に足を止めた。

 一見するとなんの変哲もない駅そば。けれど、店名を見た時に俺は察する。

 なにせ、この店は俺でも知っているような有名店だったのだから。

 

「皐月軒か……」

 

「ご明察。じゃあ入ろうよ、ここが朝ごはんね」

 

 引き戸を開けて店内に入り左手の券売機へ。

 頼むものはとうに決まっている。唐揚げそばだ(ちゃんとうどんも選べる)。ばっちゃんに食券を渡して待つ間に水を調達し、席を確保する。

 あんまり待つことなく唐揚げそばが出てくる。

 しかし、でけえな……想像以上だ。

 皐月軒の唐揚げそばは唐揚げが大きいことで知られている。大きいと言ってもケン○○キーのチキンぐらいを想像していたが、それよりも大きい。握り拳2つぐらいはあるんじゃないか……? 

 なお、1個のサイズでこれである。2個入りを頼んだ二階堂のどんぶりを見たら唐揚げで蕎麦がほとんど見えてない。だいぶボリューミーだな、これ。

 それで、朝からこんなん食べるの……? 

 

 4

 

 皐月軒の唐揚げそばは美味しかった。

 唐揚げは肉厚で衣もカリッとしていて食べ応えは抜群で、そばの方は素朴な感じでさっぱりしていたため量の割にはお腹にダメージはなかった。

 ただ朝っぱらから2個入りの大盛りを食べてケロッとしてる二階堂はやっぱりおかしい。

 腹ごしらえをした俺たちは揚々と土浦行きの常磐線に乗り込む。最終的に行きたいのは水戸で、俺にとっては千葉、東京、宇都宮に続く4都市目の県庁所在地にあたる。

 電車は我孫子を出てすぐ天王台ー取手間で利根川を渡り茨城県に入る。意外なことに我孫子から一緒に乗り込んだ乗客はそこそこの人数がそのまま茨城県に入っていた。

 東京近郊の人間ならありがちだとは思うが、よほど大きい都市が近くない限りは下り側……東京から離れる方には乗らないと思う。俺も千葉より奥の成田や木更津にはほとんど脚を運んだことはない。が、意外にも常磐線ではその流動があった。

 取手から先は車窓が一変して田んぼが広がるようになる。茨城に入って一駅が経ってすぐにこんな有様だ。なんだやっぱり、茨城は田舎じゃないか! 

 筑波山を眺めつつ、土浦でまた乗り換える。今まで乗ってきたものより短い5両編成だった。関東で県庁所在地に行く列車がこの長さというのは少し寂しさを感じさせる。

 土浦から水戸は羽鳥から高浜の筑波山を借景に恋瀬川を渡るところはエモかったが、他はのどかというか地味な車窓が続く。水戸線との乗り換えがある友部駅を過ぎると多少は市街地が散見できるようになった。

 こうして電車旅をするのも悪くはないな。流れる車窓に身を任せつつ、鉄路の先に思いを馳せる。総武線や京葉線の殺人的な通勤ラッシュしか知らなかったから、この楽しみ方に思い至ることはなかった。沈黙に耐える必要があるから案外ぼっち向けかもしれない。

 え、お前は一人じゃないだろ? ……確かにそうだ。

 だが、ボックス席の対面でだらしなく寝こけているこの女を頭数に数えていいのならという条件がつくが。

 

「そろそろ起きろ、お前が起きないと乗り換えの列車がわからないだろ」

 

 手を伸ばしてぽんぽんと二階堂の肩を叩く。その度にさらさらとした黒髪が手の甲を掠めてくすぐったい。

 

「着いた?」

 

「もうじきな」

 

「じゃあ水戸で鹿嶋神宮行くやつに乗り換えで……zzz」

 

 また寝こけやがったなこいつ。

 諦めて嘆息を吐き、車窓を眺めた。

 

 5

 

 二階堂の指示に従って降り立ったのは大洗駅。そこからバスに乗り換える。

 某戦車アニメで盛大にぶっ壊されていた商店街を抜けて、海の鳥居で有名な大洗磯前神社で下車した。

 

「なんというか意外だな。お前が行き先に神社を選ぶなんてな。逆らう奴は神であろうと容赦はしないとか言いそうなタイプだと思ってた」

 

「たまに比企谷のあたしに対するイメージに突っ込みたくなるけどそこは置いとこう。二階堂の家って古いから案外信心深い人が多いんだよ、単にあたしもその例にもれなかっただけでさ。あたしのは救って欲しいとかじゃなくてその土地を仕切る神様に挨拶しにきたぐらいの感覚だけどね」

 

 素知らぬ顔をして答える二階堂。

 普段はそういう面をあまり見せないが、古式ゆかしい……それこそ彼女の家の伝承を信じれば平安末期から続いている名家の出であることを再確認させられる。

 隣に並んで祈願する時、二階堂の方をちらりと横目で覗き見る。

 居住まいを正して神に祈る二階堂の姿はそれこそ名家のお嬢様らしい気品にあふれていた。

 

「さて、神様に挨拶したところで鳥居の方に行こうか。って、どうしたの比企谷」

 

「……なんでもねえよ」

 

 お祈りを終えてすぐ、いつもの軽い調子に戻る二階堂。その落差に俺は少し眩暈がしそうになる。

 5年以上一緒にいるが案外二階堂については表層的なことしか知らない。

 千葉きっての名門に生まれたお嬢様。類い稀な容姿とそれを半分ぐらい打ち消す気まぐれかつ傲慢な性格。趣味は大食い。

 プロフィールに書かれるようなことはだいたい知ってるとは思う。

 だが、彼女の深層については何も知らない。お嬢様としての顔すらこいつは俺に見せたがらないのだから、俺たちと関わる前の過去なんて知る由もない。

 あいつは「女の子には秘密があった方が魅力的でしょ?」と宣うが普段の距離感が近いだけにやけに距離を感じてしまうのだ。

 それが、たまに寂しいと思うことがある。

 

 6

 

 岩礁の上に鳥居が立つ厳かな光景を見た後、俺と二階堂は大洗の海岸線を2キロぐらい徒歩で北上する。本当はバスに乗りたかったがあいにくそこまでの頻度で運行されてはおらず、2キロぐらいなら歩いた方が早いという局面になっていたからだ。

 そうしてたどり着いたのはアクアワールド・大洗。

 常磐線にいる時に軽く調べた限りでは茨城県が誇る水族館で、サメの展示数では日本一らしい。イルカとかペンギンではなく、サメをフィーチャーした水族館を選ぶのが二階堂らしいというかなんというかズレを感じるわけだが、俺も興味を持ちやすいから助かる。

 夢の国よりは安い入場料を払い、水の世界に足を踏み入れる。

 するとカップルや家族の多いこと多いこと。特に子供なんかはしゃぎ回っている。なんというか、リア充が訪れる場所だった。

 

「やっぱりゴールデンウィークだね……」

 

「そうだな……」

 

 2人して今更な発言をして館内を見学する。

 道中ではなぜか一尾のカワハギを八尾のイシダイが同じ場所で固まって立ち泳ぎをしながらガン見してたり、たまたま餌やりの時間に通りかかったサメの水槽ではサメごとに餌への迫り方が違うのを目の当たりにしたり、アザラシの展示ではやたら女児に媚を売る一頭に対しもう一頭はこれみよがしに水槽の中を所狭しと全力で泳ぎ回るも見学客に一切構ってもらえない光景を目撃した。

 展示の見せ方やそもそもの展示されている魚たちの珍しさもあるかもしれないが、生き物個々の個性というか仕草に俺と二階堂は魅せられていたのだと思う。

 俺たちから見れば、ただの魚類や動物でしかなくてもその個々は確かに独立した生命で、それぞれが違う存在なのだと否応なしに見せつけられる。

 なんか道徳の教科書あたりに出てきそうなお題目だが、純粋にそう思った。

 

「ねえ、比企谷。どうしてあたしたちは、同じであることを強要されるんだろうね? 実際のところそれぞれの自我があるのにさ」

 

 二階堂も何か思うところがあったのか、ぽつりと呟く。俺はそれに対して鼻を鳴らして答えた。なにせ、わかり切った質問だったから。

 

「そっちの方が面倒がないからだろ。実際、俺たちのようにこうして腰を据えて眺めでもしない限り、アザラシのそれぞれの個体の癖なんて分かりはしない。出会った人間にいちいち自我とその傾向を見出して付き合うには人生が短すぎんだよ」

 

「比企谷らしい言い分だね。要はみんな時間を惜しんでるわけか」

 

「まあな」

 

 究極のところ多くの人間は相手に大過なく日々を過ごせる関係性であることしか求めていない。たとえ、そこに違和感を感じたとしても。

 だから、それを呑み込めない俺は世間様にはそう易々と受け入れてはくれない。

 直近で泣かしてしまった彼女もおそらくは受け入れてくれないだろう。俺が知る中でも彼女はかなり世間様の側に近い少女だったから。

 

「でも、あたしはそんな言い訳する側には回りたくないなー。可能な限り話して、それで分かり合えたらそれはそれで素敵じゃない? 決裂したらそこまでだって諦めもつくし」

 

「まあ、そうだな」

 

 少し耳が痛い。

 なにせ、俺には2回ほどその言い訳の心当たりがあるのだから。

 昔は俺も彼女のように言い放てるのかもしれないが、今の俺はもう色々と知りすぎていた。

 その後、しばしの沈黙が訪れる。潮騒と後ろからオットセイの鳴き声がするぐらいで話し声は一つとしてなかった。

 

「うーん、せっかくの旅行だってのにしみったれた話になっちゃうね。これがあたしたちの色なのかなぁ……。どう思う? 比企谷」

 

「まあ、旅先で話すようなことじゃないのは確かだな。ここもほぼ見たわけだし、次の場所に移ってもいいんじゃないか?」

 

「そだね。水戸に戻ろうか」

 

 二階堂の一言に安堵する俺がいる。

 このままあの話が続いていれば、俺は否応なしに向き合わざるを得なかったから。

 こうして、俺は三度逃げおおせたのだ。

 

 7

 

 アクアワールドからは路線バスで水戸まで戻る。だいたい50分ぐらいはかかっただろうか。

 時計を見ると時刻は午後の1時ぐらい。ちょうどお昼時だった。

 

「いやーけっこう水戸に戻ってくる時間がギリギリで焦ったんだよね。だってお昼取ろうとしたお店、お昼は2時までしかやってないからさー」

 

 水戸駅の手前のバス停で降り、二階堂のぼやきを聞きながら少し歩くと小さなラーメン屋が見えてくる。

 行列とかはしてなくて、なんなら屋根も少し古びている。外見からは正直、二階堂がわざわざ足を運ぶほどのお店だとは感じ取れなかった。

 

「比企谷ってスタミナラーメンって聞いたことある?」

 

「や、あんまり他県のラーメンには詳しくないからな……。茨城のご当地ラーメンか?」

 

「まあ、そんなとこ。あたしもちょっと調べただけなんだけど、なんか食べ応えがありそうで気になってたんだよね」

 

 あの二階堂をして食べ応えがあると聞かれたら、ちょっと期待してしまう。食う量ばかり見られがちだが、こいつはあれで中々一端の美食家なのだ。二階堂が勧めるやつに基本的に外れはない。ただ食う量がアレでもう並の女子ではついていけないレベルになっているだけだ。

 席に座り、メニュー表を見る。

 ……いや待て。なんで3玉、4玉が平然とメニューにある? 量が多すぎないか? 困惑しつつもこっそりと気づかれないように隣のサラリーマンの男性を見やる。彼はどんぶりというかちゃんこ鍋に使うような土鍋を豪快に掲げてトロみのついたスープをまくっていた。

 二階堂は3玉の熱盛にさっさと決める一方、俺は決められない。正直なところまだ我孫子で食った分が残っている。

 まだまだ旅は長くなりそうだし、なにより餡が胃に重たそうな気がする。ここは少なめにしておくか……。

 冷やし……つまりは汁なしで二階堂の半分にあたる大盛を頼んで待つ。

 ラーメン自体は俺の方が先に来た。レバーとカボチャ、ニンジンとキャベツが入った餡を混ぜる。平たく言えば具沢山の台湾まぜそばみたいな感じだが、ただ混ぜるだけではなかなか上手く混ざってくれないので天地返しも使用する。

 全体に餡が混ざったことを確認して、まずは麺からいただく。餡は甘辛く、太麺には確かな食べ応えがある。大盛とはいえ、これは手がかかりそうだ。

 ただなりたけや横浜家系みたいほどは脂がキツくないので、するすると食べ進めることはできた。

 どうやら二階堂も感覚としては俺に近かったらしい。割とのんびり食べていたが、ペースは落ちることなくしっかりと3玉を食べ切っていた。

 

「今日、これ一本に絞ってたら4玉行けるね。これぐらいなら無理にまくろうとしなければ食べれると思う。普通に美味しかったし」

 

 けぷーと可愛らしいゲップをしながら二階堂は言う。飾らないと言えば聞こえはいいが、普通に女子がしてはいけないやつだ。まあ、それだけこいつは俺を男として見てはいないという証左にはなる。

 だから、俺は安心できる。こんなに近くにいながらも俺は二階堂に対して勘違いを起こすことはない、と。

 

 8

 

 スタミナラーメンを食べた後に吉田神社を参拝して、水戸を出た俺たちは友部で水戸線に乗り換えて稲田駅で降りた。二階堂曰く石切山脈に向かうらしい。

 石切山脈なんて聞くとなんか大仰に聞こえるが、なんてことはない。ただの砕石場の跡地だった。なんでも跡地に地下水が溜まり湖になってそれが奇観になっているらしい。

 稲田駅から徒歩で少し歩いて向かうが、あちらこちらに切り出した石材が転がっており、割と見てて楽しい。

 まずは入場料を払って湖を見に行く。

 なるほど、砕石で切り立った断崖と溜まった水に上手いこと光が差すのが相まって言われなければ、高山の景色に見える。

 

「思ったよりも広いし綺麗だな……」

 

「前はここで石を切り出してたんだってさ。質がいいのが出なくなってこうしてお払い箱になったたけど、今では観光地だよ。偶然もあったと思うけど、上手くやったよね」

 

「そうだな」

 

 二階堂の言葉に相槌を打つ。

 役目が終わった不要な物でも、まれにこうして違った形で価値を生み出すこともあるのだと、見せつけられたような気がした。つくづく物事は一面性だけでは見られないものもある。

 

「さて、湖は見たからメインのモンブランを食べに行こうか」

 

「普通はモンブランの方がサブなんだがな……。俺も正直なところ甘いものが食いたくなってきた頃合いだしな」

 

 湖の展望所から併設のカフェに移る。

 ここの目玉が件のモンブランだ。しかも作りおきではなくその場で絞る本格派。使う栗も日本一の栗の産地である笠間市のものらしい。

 なんというか二階堂が食いつきそうな内容だ。あいつ量だけじゃなくて味にもこだわるからな……。

 ともあれ、このモンブランの存在が石切山脈の観光地としての価値を更に高めている。

 実際のところ、モンブランは美味かった。口の中に濃厚な栗の風味がぶわっと広がって甘さは控えめで上品な仕上がりだった。

 ただ欠点としてはやや値段が高いところか。俺が食べたのは1000円のもので、二階堂が食べたプレミアムモンブランは1800円する。まぁその代わり量が多いが、直前のスタミナラーメンで3玉で1000円ぐらいなのを目の当たりにするとちょっと金銭感覚がバグってくる。

 会計の時、二階堂はポンと出せていたのに対し俺はやや出すのに躊躇した。こういうところにどうしてもブルジョワと庶民の差を感じざるを得ない。

 

 9

 

 石切山脈を出た後は水戸線でそのまま西に抜ける。後は小山で乗り換えて宇都宮線で南下して千葉に帰る手筈だ。

 

「どうする比企谷、宇都宮まで行って餃子でも食べる?」

 

「行かねえよ。もう時間もねえし、それにお腹いっぱいだ」

 

「じゃあ次の機会に、だね」

 

 小山で乗り換えるときにそんな一幕もあったりしたわけだが、何事もなく宇都宮線に乗り込んだ。

 ゴールデンウィークだということもあり、東北方面に出ていた人たちで車内は混雑していて、俺と二階堂は2人で狭いロングシートに並んで縮こまるしかない。

 夜の列車はガタゴトと揺れ、人々の会話はまばら。ゴールデンウィークの終わりの方ということもあってどこか祭りの終わりのような雰囲気が流れていた。

 

「ねえ比企谷」

 

「なんだ?」

 

「今日の旅行、楽しかった?」

 

 そう言って二階堂は上目遣いで俺を見上げてくる。その瞳はどこか不安げに揺れている。

 

「あたし結構比企谷を好きなように振り回しちゃったからさ。あたしは楽しかったけど、比企谷はどうかなって」

 

「そんなこと心配してたのか。なら、大丈夫だ。全然楽しかったから」

 

 この気持ちは嘘ではない。

 茨城では美味いものも見れたし、綺麗なものを見た。まぁ千葉を茨城側から理解するってのは出来なかったが、代わりに二階堂の様々な一面を見た。

 これは俺が家に篭ってるだけでは出来ないことで、二階堂が連れ出してくれたからこそ出来たことだったと思う。

 

「それにしても、お前から旅行を持ちかけてくるなんてな」

 

 ずっと疑問だった。

 今まで俺と二階堂は一緒に居たとはいえ、どこか付かず離れずのところがあった。例えば中3の時は二階堂は折本にべったりで、折本が他の友達の相手をしている時に絡んでくるような感じだった。

 それが、急に1日丸々旅行を持ちかけてくる。旅の内容はともあれ、スタンスが実に二階堂らしくなかったのだ。

 

「それかー。理由を言わないとダメ?」

 

「別に嫌ならいいけど」

 

「いいよ、別に。ただ、淋しかっただけだし」

 

 淋しいなんて二階堂の口から出るとは思わなかったから驚いた。

 こいつも俺と同じ様にぼっちであることを厭う様な人間ではないと今までの在り方で知っていたから。

 

「驚いてるね、比企谷。うん、あたしも。あたしも今更淋しいと思うとは思わなかった。とっくのとうに斬り捨てた感情だと思ってたのにね。……多分、比企谷のせいだ」

 

「なんでさ」

 

「先月、比企谷が事故で1ヶ月いなかったからね。はじめは何とかなるかなって思ったけど、クラスに面白い人がいなかったし伽耶ちゃんのクラスにはお邪魔するのはちょっとね……。ガハマちゃんとは仲良くなったけど、所詮は他クラスだから」

 

「それ暗に手軽に絡める奴がいないって話だけじゃねえか」

 

「そうとも言う。けど、あたしに淋しさを思い出させたのは比企谷だよ。まぁガハマちゃんに少し配慮してたのもあるけど、先月は淋しかった」

 

 淋しいと何度も口にする二階堂を見て思う。

 意外にも二階堂は俺のことを居て当然と思っていてくれたらしい。なんかちょっとむず痒い気もする。

 

「今日は一日中一緒に居てくれてありがとう。おかげで淋しさはだいぶマシになったよ。学校ではまたクラスが同じだから、よろしくね」

 

「また同じなのか……。それはなんとも」

 

 疲れそうだが、面白くなりそうで。

 やはり苦労させられそうな、そんな気がした。

 

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