今回も八幡視点でお送り致します。
カラカラとスーツケースを転がる音が鳴る。
普段から見慣れている景色だが、こうしてみると新鮮味を感じる。なんかこう合法的にサボれるっていいよね。
将来、会社をサボって通勤電車を普段とは逆方向に乗る予行練習をしていると、見慣れた赤い髪が視界に留まった。
「あ、八幡」
「中山か」
俺と中山は学区が同じこともあり、家が近い。だから必然的に学校への経路も重なってくる。
今まではあえて時間帯をずらしていたから鉢合わせることはなかったが、あいにく今日は集合時間が厳密に決められているためそこまで差がなかったのだろう。
「…………」
「あはは」
互いに顔を見合わせて、中山が困ったように笑う。
小学生の時分ならばここから他愛のない会話を繰り広げるのだが、それは今は昔の話。俺はとうに気安く彼女に話しかける術を失ってしまっていた。
けれど、離れようとは思わなくてちらちらと中山の様子を伺いながら歩いていく。
トレードマークの赤い髪は腰まで伸びて、手脚もすらりと長くて細いモデル体型。
胸は去年の時点でも大きかったが、今はさらに大きくたわわに実っている。カップ数は詳しく分からないが、おそらくDカップは越えているだろうか。
……なんというか、本当に綺麗になった。小学校の頃の男友達感はいったいどこにいってしまったのだろうとすら思う。
「うーん、流石の八幡でもこういった感じで盗み見られるのは少しキツイかな」
「……悪い」
窘めるようにじとりと目線を向けられた。
その空色の澄んだ瞳だけは、昔と変わらない。他があまりにも変わってしまっただけに、より際立って見える。
「まあ、いいや。八幡にちょっと盛りのついた猿みたいな目で見られているってことはそれだけちゃんと女の子出来てるってことだしね。……あ、そうだ。せっかくだからコレ渡しとこ」
そう言って中山は鞄からおもむろにタッパーを取り出す。その中には唐揚げが7、8個ほど入っていた。
「ちょっと作りすぎちゃってね。班のみんなで分けようかと思ったけど、八幡でもいいかな」
「お前、料理できたんだな」
「最近やるようになったんだ。味は悪くはないと思うけど、ついつい量を作りすぎちゃう*1んだよね」
「とりあえず、ありがたくもらっとくわ。……一つ、食べてもいいか?」
「いいよ、ちょっと恥ずかしいけどね」
中山に見守られる中、唐揚げに爪楊枝を刺して口に入れる。少し冷めているが、サクッとした食感があって肉汁もしつこくない。味付けも淡白でちょうど良くていくらでも食べれそうだった。
……実のところ、俺は少し中山の技量を疑問視していた。なにせ、中山が料理をするなんてイメージはなかったからだ。小学校の家庭科の授業でも特に目立った何かをしていた覚えはない。
「普通に美味いな、これ」
「家事をしてた八幡にそう言ってもらえるなら上出来だね。ありがとう自信がついたよ」
褒められて中山ははにかむ。ああ、こういう褒められなれてないところは変わらない。そこに安堵した俺がいた。
(それにしても、あの中山が料理ね……)
妙な感慨に囚われつつタッパーを鞄にしまう。
ますます、俺が知る中山が遠くに離れていく。彼女の成長に対してそんな感想を抱くあたり、どこか俺は拗らせているらしかった。
*
学校に集合した後、俺たちは班ごとに大型バスに詰め込まれていく。
俺たちの班は7人でバスの座席は左右に2人がけで、バスの座席数はクラスの数より多い。となると分かるな? 俺がぼっち席になることがな!
贅沢に隣の席に手荷物を置き、窓の外の景色を眺めた。
京葉線側の高層ビルや物流倉庫を眺めた後は江戸川沿いを走る。ただ、この区間はトンネルになってしまって景色は見えない。慣れない荷物を持って歩いてきたからか存外体力を消耗していたようで、俺の意識は闇に堕ちていった。
………………
………………
ガタリとバスが止まる音で目が覚めた。
窓の外を見れば、すでに何人かの生徒がバスを降りているのが見える。どうやらサービスエリアでのトイレ休憩らしい。
よし、なら俺も……と席から出ようとした時に、肩に何かがもたれかかってくる感触があった。
石鹸のようないい香りが鼻腔に入り、よく手入れされた髪の毛が首にかかってくすぐったい。
寝息のたびに二の腕に当たっている胸が上下してえも言われぬ弾力が俺の良心を苛む。
「……お前か」
いつのまにか二階堂が俺の隣に移ってきたらしい。ご丁寧に席に載せていた荷物は前の座席の下に置いてあった。
さすがに邪魔なので軽く揺さぶって起こそうとするが、反応がない。無理に押し除けようにもあまりに体に密着されてて気が引ける。
「ここまでしても、起きないか。本当に油断し切ってるなお前……」
長いまつ毛に、硬質さを僅かに感じさせながらもあどけない顔立ち。無防備に眠っているからより可憐さが際立つ。
本当に顔面偏差値だけは異様に高い女だ。
いつもこんな風に大人しくしていたら、二階堂はどれだけの男子を堕としていたのだろうか。考えるだけでも恐ろしい。この見た目で気性を荒くしたあたり、なんだかんだで世の中は帳尻が合うように出来ていると思える。
……仕方ない、トイレは諦めるか。
俺はすっぱり諦めて、鞄から中山からもらった唐揚げを出す。
これから向かう日光東照宮はクラス行動で昼食があり、食べた後にはすぐにバスに乗って湯元温泉ではすぐに晩飯の調理を始めなくてはならない。思えば、お腹が空いてるタイミングは今ぐらいしかなかった。
のそのそと残ってる分を食べ始める。完全に冷め切ってもそこまで風味が落ちないあたり、本当にあいつの料理の腕が高いのだと分かる。
……つーかこの唐揚げのレシピ、マジで教えてくれねえかな。小町に覚えてもらって毎日食いたいんだけど。
「ん、唐揚げ……?」
眠気眼をこすりながら二階堂が目を覚ます。そして、すぐに視線が唐揚げに引き寄せられた。
「ねえ、比企谷。お腹空いたからそれ少しもらっていい?」
「いいぞ。多分俺一人じゃ食い切れねえからな」
中山の唐揚げは味付けこそ食べやすいが、一個一個がかなり大きい。累計で4個食べたがすでにかなりお腹に溜まっている。食い切れないことはないが、日光の昼飯まで食えるかと聞かれたら、正直分からん。
「じゃあ、ゴチになりまーす」
言うや否や、二階堂は唐揚げに爪楊枝を刺してそのままかぷりつき、二、三口で咀嚼してそのまま嚥下した。
うーん、見た目らしからぬ豪快な食いっぷり。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
「やっぱ、伽耶ちゃん料理上手いなあ。冷めても美味しいし」
「だよな。……で、なんで中山が作ったとわかった?」
「食感だね。伽耶ちゃんが料理作り始めた時によく食べさせてもらってたから、伽耶ちゃんの作り方の癖は分かるよ。何故か茶色い料理作るのが異様に上手い*2んだよね」
なんでもないことのように言うが、俺はそんなことがあったなんて耳にしたことすらなかった。
「伽耶ちゃんは料理だけじゃないよ? 他の家事も出来るようになってた。なんというかな、生活力がすでに備わってる。お母さんが最近あまり家に寄り付かないみたいだから、そうならざるを得なかったんだと思うけど……」
そこまで言って二階堂は突然「あ」と口を噤んだ。そして、わたわたと慌て出す。
「ごめん、比企谷。今言ったこと忘れて。比企谷に知られたと分かれば、あたしが伽耶ちゃんの料理を食べられなくなっちゃう」
「……ああ、わかった」
口では言うが、到底忘れられそうにない。
あいつと母親の折り合いがそこまで良くないことは、知らされないながらも薄々は気づいていた。
しかし、母親が家に寄りつかないは相当だ。あいつの父親は変人ながらいい人だが、家に帰ることはほとんどない。となると、最近の中山はほぼ家で独り暮らししていることになる。
それでいて、二階堂はともかく俺には必要以上に近づかないようにしているなど。
そうだったら、誰が彼女の寂しさを埋めるのだろう。
二階堂1人で埋めるにしても、その穴はあまりにも……。
変わってしまったのではなくて、彼女は変わらざるを得なかったんだと理解する。
気づいてしまったから、タッパーの重みが更に増したような気がした。
「あ、そうそう。料理で思い出したけど、班で料理出来るの比企谷と折本さんしかいないから頑張ってねー」
最後に聞きたくない台詞が飛んできたが、聞いてないことにした。