訳もなく酷く寂しかった。
ある夏の日の事だ。
私がよく散歩する山道は火葬場に続いている。だからと言って何がある訳でもない、恐ろしげな曰くなど聞いた事もない至って普通の火葬場だ。
朝から昼にかけてそこを歩いていると、黒く塗られた霊柩車とその後ろを続くマイクロバスや何台かの自家用車とすれ違う。
霊柩車の中は流石に見えないが、後続の自家用車の窓ガラス越しに泣き崩れる人が視界の端に入る事は度々ある。最初はそれを痛ましく思っていた事もあったが、すぐに慣れた。
自分が思っているよりもずっと簡単に人は死ぬし、特に自分と関わりない人間の死を一々悼む事は無駄と言える。
どんな感情も日常に落とし込んでしまえば、それは取るに足らない物になる。人間に備わった、残酷で優しい機能だ。
そう私が考えるようになって暫く経った頃の、雨上がりの湿気で噎せ返るような一日。
いつものように火葬場へと向かう道を散歩していた私は、珍しく自身以外にそこを通る者を反対側の歩道に見つけた。
空っぽのペットケージを大事そうに抱えながら覚束ない足取りで、ゆっくりと火葬場を下る道を歩く老婦人の姿が少し遠くにあった。
決して裕福そうな身なりではないが、小奇麗に整えられた髪や柔和な表情には好感が持てる。
ケージの大きさから察するに猫か小型犬だろうか。古びたそれはもう役目を終えたのだろう。火葬場では幾らかの料金を払えば、人でなくとも焼いてくれると聞く。
空っぽのケージは、恐らくそういう事だ。
しかしこの暑い日に車ではなく徒歩という事は、彼女を火葬場に送っていく身寄りもないのかもしれない。額に玉のような汗を浮かべながら、日傘を差す事もせずに大事そうにケージに添えられた両手には皺が刻まれていた。
火葬場の方へと歩く私と、下る老婦人は当然すれ違う。
その瞬間、彼女と目が合った。彼女は何を言うでもなく、品の良い微笑を湛えると此方に向かって会釈をした。
それは何故だか親しい人を亡くし悲嘆に暮れる誰かの涙より、ずっと私を酷く寂しくさせた。
目を伏せるようにして目礼を返し、そのまま歩き続ける。
少し先を行った所で足を止め、振り返る。
まだそう離れてはいない彼女の背中は陽炎でぼんやりと揺れていた。空っぽのケージを抱え、あの老婦人は何処へ帰るのだろう。彼女を出迎えてくれる者はもういないのかもしれない。
目を瞑り、彼女と共にいた誰かの冥福を祈ろうとして止めた。
代わりにあの老婦人の今後に何か一つでもささやかな幸せがあるように、と祈った。
その方がずっと手向けになるような気がした。
ある夏の日の事だ。