※「pixiv」にも掲載しています。
期待の超大型新人トレーナーがやってきた。
その話を聞いたのは、トレーナーになって八年目を迎えた春先のある日のことだった。
「トレーナーの方が注目なの?」
ちょっと並走してみせるだけで他の子とはまるで違う、頭一つ抜けた実力を見せたとか。トレーナーからはほとんど教えることがないほどの完璧なレース運びが、デビュー前の時点でできているとか。優秀なウマ娘がごまんといるこの中央のトレセン学園で、とびきり天才肌のウマ娘が注目を浴びることはあれど、トレーナーが同じような脚光を浴びることはまずない。トレーナーはあくまでウマ娘のサポートに徹する者たちで、秀逸な管理能力がメディアに取り上げられるのも、ほとんどは担当ウマ娘のデビュー後。まだ何の実績もない新人トレーナーがここまで噂になっているのは、異常としか言いようがない。
「デビュー前のウマ娘じゃ相手にならないくらい、気迫のあるスタートダッシュらしい。走り込みも威厳すら感じるんだと」
「どういうこと、それ?」
いくらデビュー前といえど、ウマ娘のダッシュについていける人間は存在しない。つまり期待の新人トレーナーとやらはウマ娘なのだろう。それも第一線で活躍してきた、有名人。トレーナーになるのは人間がほとんどだが、ウマ娘でトレーナーを志望する子がいないわけではない。それにレースについての座学や、体育の授業担当が卒業生のウマ娘である例もちらほら知っている。
「その子には今、会えるの?」
「今日の放課後から実務に入るそうだぜ」
「へえ……」
「タイムも現役時代と遜色ないらしいし、機械か何かかって思うくらい時間に正確らしいから、トレーナーとしても参考になるかもな」
「……ちょっと待って」
私が知る限り、「機械のような」という修飾語がつくウマ娘は一人しかいない。誰あろう私が担当した子。
「はい、お呼びですか?」
「ブルボン……!」
「お久しぶりです、マスター」
ミホノブルボン、その人がひょっこりと私の顔をのぞき込む。おろしたてのスーツに薄い桃色のネクタイを締めていた。異様に距離感が近いところまで、彼女が学園の生徒だった頃と何ら変わらない。
「ああ、やっぱりそうか。ミホノブルボンだったんだな。ま、あとはご歓談ください」
「え」
「心配ありません、マスター。この後放課後の新人トレーナー研修まではフリーです。オペレーション『積もる話』、実行可能です」
トレーナーと生徒の関係から、トレーナーどうしへ。あまりの変わらなさに、こちらが身構えてしまう。愛想笑いすらしないところも、昔のまま。と、思っていたのだが。
「マスター。私たちの注目度の上昇を確認。マスターと私の関係を覚えておられる方が多いようです」
「うん……そうだね」
「マスターの居室に行くことを提案。研修が終われば、私も居室を与えられますが」
「今はまだないよね。うん、私もそうだった。移動しよっか」
「はい」
二人並んで歩いていると、彼女をずっと見てきたからか変化に気づく。自然な笑顔を浮かべられるようになっていた。
学生時代のブルボンといえば、何を考えているのか分からない顔がトレードマークですらあった。仏頂面ほどではないが、頑張って見せてくれる笑顔はどこかぎこちなかったし、表情豊か、という言葉は彼女にはあまり似合わなかった。見た目にはすごく大人びているが、年相応の精神性も持ち合わせていて、同期のライスやバクシンオーと積極的に馴染もうとしていたし、私もその仲を後押ししていた。幼少期から一人でいることが多く、同世代の子たちと馴染む機会を失った、と彼女自身が言っていたから、「レースで勝ちたい」という同じモチベーションを持つ子たちが集まるこのトレセン学園では、彼女の交友の輪を広げてあげなければならない。そんな使命感さえ私は抱いていた。
「マスターはお変わりないようで、何よりです」
「ブルボンは変わったね。すごく笑ってくれるようになった。嬉しい」
「嬉しい、ですか?」
「ブルボンが普通の大学に行くって言った時……やっぱり、心配だったから」
レースという過酷ながらも花形な道を駆け抜けたウマ娘たちは、卒業後の進路にもレースに関わるものを選ぶ子が多い。ブルボンのように、G1という最前線で活躍したウマ娘であればなおさらだ。自分が直接走らなくとも、トレセン学園の関係者やURA職員をそのまま目指す子もたくさんいる。ブルボンの同期で言えば、タンホイザやフラワーはURA職員になったはず。だからブルボンが自分の意思で、特にウマ娘に関係のない大学に進み勉強をしたいと私に言ってきた時は、本当にびっくりした。進路以前に、そこまではっきりと自分の意見を主張してくることがなかったから。
「心配?」
「ブルボンはすごく純粋で正直だから……やっぱり、ウマ娘のことをよく分かってる人が多い環境に身を置いた方がいいかなって、ちょっとは思ってた。もちろん、ウマ娘のことをあまりよく知らない人間と一緒に時間を過ごすのも、大事な経験ではあるんだけど」
「マスターは、私がそのような方たちと接触することで、『危ない目に遭う』ことを心配してくださっていたのですね」
「うん。ウマ娘である前に、いち女性としてね。もちろんウマ娘の方が力が強いわけだから、ブルボンならどうとでもなるのかもしれないけど」
「思い返せば、成人したお祝いということで同学年の方たちに飲み会に誘われたことがありました。マスターの言葉通りであれば、これは回避すべきイベントであったと推察します」
「言っちゃなんだけど……特に仲良くもない人でしょ? 相手は」
「ええ」
「行ったの?」
「いえ。同じウマ娘のよしみということで、仲良くしてくださっていた方に引き止めていただきました。彼女は、安易にそのような集まりに参加することの危険性を分かっている様子でした」
「よかったね……ギリギリのとこで、かわせたんだ」
「お父さんには、軽く叱られました。もう少し気を強く持ちなさいと。現役時代の気迫を思い出せと、激励もいただきました」
「そこまで鬼気迫る感じで普段からいると、それはちょっと……」
他のウマ娘がいない確率の方が高い、普通の大学にブルボンを送り出してもよいものかと悩んでいた理由は、まさにそこにあった。トレセン学園は良くも悪くも閉鎖的。卒業するまで、トレーナー以外の年の近い男性に触れずじまい、という子も少なくない。レースでの活躍度が上がれば上がるほど、悪意を持ってウマ娘に近づく人間は増える。ブルボンはデビュー前からそうした面で危なっかしさがあったから、同性である私が専属トレーナーに立候補したわけだが、やはりと言うべきか、一歩間違えればという場面に遭遇してしまっていた。
「ブルボンは……今だから言うけど、ウマ娘の子たちが身近にいる環境に、居続けた方がよかったのかもね」
「いえ、マスター。それは間違いです」
「え?」
「私は自ら進んで、この道を選びました。確かにあの時の勧誘が危険を伴うものだったと気づくのは遅かったですし、同級生に他のウマ娘がいたのは、ただの運です。ですが、それは後悔する理由にはなり得ません。結果としてトレーナーになったのも、私の持ち合わせている知識、技術を伝えれば、後に続くウマ娘たちの役に立つかもしれないと思ったからです。マスターの言う『外の世界』を知らないでトレーナーになるのと、知ったうえでトレーナーになるのとでは、大きく違う。マスターも、そう思いませんか?」
「……ふふっ」
「どうしましたか、マスター」
「ううん。なんだか……ブルボン、すごく成長したんだなって」
「……お褒めにあずかり、光栄です」
私が彼女を見ていなかったこの数年の間、彼女はいったいどれだけ成長したことだろう。俄然それを知りたくなってきた。
「いいトレーナーになりそうだね、ブルボン」
「そうですか? まだ担当ウマ娘すら決まっていませんが。そもそも、マスターにとっての『いいトレーナー』の定義は……」
「いいや、きっと名トレーナーになる。期待してる、元教え子としてね。……あ、でも」
「はい?」
「『マスター』は、もうやめよっか。主従関係はもう解消されたわけだし……これからは、担当どうしがレースでぶつかるかもしれない。私たちは、ライバルだよ」
「なるほど、理解しました。『マスター』に代わる、新たな呼称を検索……見つかりました」
ブルボンは私が座るデスクのちょうど向かいにあるソファに座り、そっと目を閉じて考えていた。その姿はそっくりそのまま、トレセン学園の制服を着ていた頃の彼女と重なる。宝石のような瞳で、真っすぐにこちらを見つめてくるところまで、まるで同じ。
「『あなた』――は、いかがでしょうか」
「んん……それは、ちょっと……」
「問題点が?」
「いやー……うーん、そうでもないのかな……うん、分かった。ブルボン、これからもよろしくね。何か困ったことがあったら、遠慮なく相談して」
「承知しました、『あなた』」
「うーん、やっぱりダメかも」
一般的な二人称がなぜいけないのか。そうしつこく聞いてくるブルボン。理解してのことか、はたまた天然発言なのか。
新たな関係となった私たちの一日目、それは間違いなく記念日だ。