「走れメロス」のディオニス王サイド

王=ディオニシオス2世という解釈で、独自設定があります。
歴史背景は正しい…はず

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「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」

 

 ディオニスは静かに、けれども威厳を以って問いつめた。その顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。

 

「市を暴君の手から救うのだ。」と刺客は悪びれずに答えた。

「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」

「言うな!」と刺客は、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」

 

 またか――――ディオニスには諦めにも似た感情が沸き上がった。誰が好き好んでこんな仕事をやるものか。

 

 ディオニスには王の喜びがわからぬ。このシケリア(シチリア)島は地中海の中心に位置していることから、先住民やリュビア(アフリカ)ポイニーケー(フェニキア)人、ギリシア系のイオニア人、ドーリア人が競って植民と小競り合いを繰り返す土地であった。

 そしてこのシラクス市から出た僭主たちが他の植民都市(ポリス)を征服したことから、ドーリア人はイオニア人とポイニーケ人のカルタゴから非常に恨まれていた。その僭主の急死によってシラクスが民主制を取り戻し、征服された各ポリスが次々と再独立を果たした後も、その恨みは消えていなかった。

 

【挿絵表示】

 

 

 ディオニスの父であった先王は元々再民主化したシラクスの役人であった。詩を嗜み、観劇を楽しみに暮して来た。けれども危機に対しては、人一倍に敏感であった。この役人が十六の時、イオニア人のアテナイ軍が島に攻め寄せたため、徴兵に応じた。民会は消極的な手を打ち続け非常に不利な戦いであった。最終的に元役人は野を超え山越え、百里以上も島内を駆け、戦い、同じく徴兵された多くの友と掛け替えのない父親を亡くした。元役人は民会に絶望した。

 元役人はその後、軍人として国のために生きた。二十一、二十二にしてポイニーケー人カルタゴの遠征軍と二度も戦った。二十五にして最高司令官に任命された。二十六にして謀略を持って(僭主)に上り詰めた。民会から実権を奪った。全てはこのシラクスのためであった。

 

 元役人は王になるとともに、城壁建造の労役を課した。大きな税を課し、戦に備えた。先王がおらねば、その後五度、ディオニスの代も含めて合計七度も攻め寄せたカルタゴや、ペロポネソス戦争の影響で幾度となく攻め寄せたイオニア人にこのシラクスは滅ぼされたはずだ。ディオニスが生まれた翌年のエトナ噴火による不作も乗り越えられなかったに違いない。

 先王は確かに地位を守るために民を弾圧した圧制者であった。しかし常に民の心にも気を配っていた。ディオニスの母とは別に、口だけの有力者ヒッパリノス家と婚姻を結んだのもそのためである。しかし民はそれを理解せぬ。

 先王が民主制を踏みにじったという一点のみでソフィストの扇動に乗って批判した。何度も先王の心を踏みにじった。特にシラクスの碌を食んでいたフィロクセノスが先王の詩を笑いものにしたことはディオニスには決して許せぬものであった。ディオニスが泣いて酒に溺れる父を見たのは他に母が死んだときだけであった。

 民に忠誠などはない。奴らの瞳に真実はなにも映らず、ただ空気と風向きだけで靡く相手を決める旗のようなものだ。そのくせ影響力は剣のように鋭いのが始末に負えない。

 

「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」ディオニスは落着いて呟き、ほっと溜息をついた。

 

 六十五の老骨に鞭打って七度目のカルタゴの遠征軍を追い払った先王は程なく亡くなっていた。先王の義弟であったヒッパリノス家ディオンが跡継ぎになるべく工作を行った。その企みは正に身を結ぶところであった。だが、先王が追放したはずの元支援者フィリストスが遺言を持って現れたことから形勢は逆転した。先王は死期を悟っていたのだ。

 

 先王がなくなった年、ディオンは新王の教育係としてプラトンを推挙した。元々ディオンが王になるための人気取りで呼び寄せていた当代随一の賢人である。民衆の人気は非常に高く、シラクスに表れた時は民衆は父の葬儀を忘れたかのように群がって歓迎した。

 ディオニスは疑問に思った。プラトンはイオニア人であり、ギリシア本土からこちらに呼び寄せられてターレスまで来ていたのが、先王が死んだ直後にシラクスに寄ったという。ディオンが父の死を予期したように先手を打てたのはなぜだ。

 この裏に気付いた時、ディオニスは怒りに震えた。あれだけ先王の恩を受けておきながら裏切るとは。ディオンは高潔な仮面の下で謀略を働かせていた。獅子身中の虫とはまさにこのことである。

 

「わしだって、平和を望んでいるのだが。」本心である。

「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」

「だまれ、下賤の者。」ディオニスは、さっと顔を挙げて報いた。

 

 何も知らぬ者が賢しらに正論を振りかざすのがディオニスには我慢ならなかった。先王の跡を継いだディオニスはフィリストスらの意見に従ってディオンとプラトンを追放しようとした。その時にも、民衆はこう言った。「讒言を真に受けて追放は許されぬ。」民衆はディオンとプラトンに味方した。

 結局、留学という建前を使って実質追放することには成功した。しかし、留学先のギリシア本土でディオンがシラクス名義で空手形を切っており、毎季、履行を求める使者をあしらうのには辟易していた。

 

「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」

 

「ああ、王は悧巧(りこう)だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、刺客は足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」

 

「ばかな。」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。

 

 

 ディオニスは市井で流れている噂もあらかた把握している。妹婿のディオンを殺した。世嗣のアポロクラテスを殺した、妹のアレテーを殺した。アレテーとディオンの子ヒッパリノスを殺した。母のドリスを殺した。賢臣のアレキスを殺した云々、――――全てデマである。

 

 ディオンは追放先のギリシア本土で捲土重来を企んで好き放題にしているし、アレテーはディオンと離縁させて再婚させただけであり、その子のヒッパリノスも息災である。ディオンの姉でアレテーたちの生みの親である義母アリストマケーも朝から元気に嫌味を言ってきている上、母のドリスは先王より先に亡くなっており、父が書き上げた劇のモデルにもなっている。ましてや賢臣アレキス(アルタキス)とやらはシラクスの人間ですらなく、わしがおびき寄せて仇を取ろうとしたプラトンを救いに来たターレスの将軍である。

 玉座の上には細い糸で吊るされた鋭い剣がぶら下っており、それに貫かれないよう細心の注意が必要である。先王をわしが毒殺したというような噂すら流行っているように、民衆()はデマゴーグに踊らされるものであり、これはアテナイ流の国を腐らせる毒であることをディオニスはよく知っていた。

 

「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」

「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。

 

 暴君と言われるディオニスにも情はあった。憎きディオンの妻であり、ディオンと血の繋がった姪であるとはいえ、異母妹アレテーに対してはディオンと別れさせ、有望な親衛隊長のティモクラテスと再婚させる程度で済ませている。

 メロスの妹とその新郎が真実存在するのであれば、二人が望むのはただ一度の祝福ではない。兄が毎日帰ってくる平和こそが望みだ。家族のことが少しでも()ぎるなら刺客を務めるようなことはできぬ。ましてやこの場で家族の存在を語るなど連座にしてくれと言っているようなものではないか。ディオニスはますます不愉快になった。それすら忘れるような単純な人間はディオニスの想像にはなかった。

 

「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」

 

 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。先王の時代のデイモンとピュティアスの話を引いてくるとは生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。こやつの後を尾行させれば、こやつを使った扇動者を辿れる。また身代わりの男とやらも扇動者の仲間であろう。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。

 人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。

 

「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」

「なに、何をおっしゃる。」

「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」

 

 刺客は口惜しく、地団駄踏んだ。

 臭い演技だとディオニスはそれ以上ものも言いたくなくなった。

 

 深夜、王城に召された男はセリヌンティウスという者であった。ディオニスの面前で、二年ぶりで相逢うて、事情を語る刺客たちの会話を通じて、ディオニスは二人の名を始めて認識し、打ちのめされた。

 

 セリヌンティウス――――セリヌンテの子。

 

 シラクスでこの名を付けているものにディオニスは心当たりがあった。ディオニスの父が二十二の時、カルタゴの第二次シケリア遠征で滅ぼされたドーリア人都市セリヌンテ(セリヌス)の生き残りである。いや、年齢からしてその子か孫であろう。

 父が大きな犠牲を払って救えなかったことを後悔し、民主制を踏みにじってまで救うと誓った者の子孫までもが父の行いを、父の名誉を否定するのか。ディオニスは罅割れた心を隠してセリヌンティウスに縄打たせた。

 

 メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。王が涙を見せてはならぬ。

 

 絶望に打ちひしがれながらもディオニスは尾行の指示を忘れなかった。ディオニスは間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 

 翌朝からいつも通りに政務に取り掛かったディオニスであったが、いつもと違ってその仕事ぶりには精細を欠いていた。いつもは受け流していたお調子者ダモクレスの追従がきょうのディオニスには不愉快で仕方がなかった。一度痛い目を見ねばあの男は変わらぬであろう。ささくれ立った心のまま仕事とその日の晩餐を終えたディオニスは気付けば先王の部屋にいた。

 

「ヘクトールの身代金」詩と演劇を好んだ先王の遺作であった。

 

 死の直前。よりによってアテナイのレーナイア祭でこの悲劇が受賞した時の父の喜びは尋常ではなかった。カルタゴを追い払ったことの何倍も嬉しそうに見えた――――実際相当嬉しかったことであろう。アリストファネス流の喜劇に迎合せず、悲劇ばかり書いていたのはゲラに居たアイスキュロスの一族に影響を受けたのか。

 

 愚かな王子パリスの行いで綺羅星のようなギリシアの英雄たちが攻め寄せることになったトロイア戦争。愚かな弟パリスを叱りつけはしても見捨てることが出来ず、妻アンドロマケーの心配を振り切って只管(ひたすら)に国を守るために戦ったヘクトールは獅子奮迅の活躍で英雄パトロクロスを打ち倒すが、パトロクロスの親友アキレウスに討取られ戦車で遺体を曳き摺り回すという辱めを受ける。

 ヘクトールの妻アンドロマケーはそれを見て倒れ、父のトロイア王プリアモスは敵陣に赴き、膨大な身代金と引き換えに遺体の返還を勝ち取る。だが結局トロイアは敗れ、ヘクトールの幼い息子は殺され、妻アンドロマケーも仇アキレウスの子の奴隷にされる――――家族の情が国を滅ぼす話だ。

 

 父は何を考えてこの題材を選んだか。わしとディオン、どちらがヘクトールでどちらがパリスか。それともヘクトールは父でアンドロマケーが母だったのか。国を治めるには情をも捨てねばならぬということか。わしには分からぬ。わしが見た父は情を捨てられるような人間ではなかった。わしはどうすればよいのか。父よ、母よ、何か言ってはくれまいか。

 

 先王の部屋で一夜を明かしたディオニスが夢をみることはなかった。

 

 

 

 

 翌朝、仮面を被り直して政務に取り掛かったディオニスは一転して鋭い働きぶりであった。もうじき尾行させていた者たちが戻ってくる。背景組織はピュタゴラス教団かディオンの支持者か。どちらにせよ今回の一件を元に根を絶たねばならぬ。午前の政務の最中に戻ってきた尾行者は浮かぬ顔をしていた。

 

「まず水を飲むとよい。メロスの背景はどうであった。」ディオニスは尋ねた。

「それが、メロスが戻ったのはアクライ周辺の集落でありました。」報告を受けたディオニスは少し苦い顔をした。アクライ――――ここから十里ほど離れたところにある比較的小さいが歴史の古いシラクスの植民都市であり、アクライ・カスメナエ・アクリライを経由してゲラに繋がる陸路の要の一つであった。

 先王が二十五にして王に就く決断をすることになったカルタゴの第三次シケリア遠征でカマリナが滅ぼされて沿岸沿いの移動が難しくなり、更にアクリライも滅ぼされている現在、ゲラに続く街道の中継地点となっているアクライの価値は高い。「それで背景は何であった。」尋ねながらディオニスは粛清も最小限で済ませる方法を考え始めていた。

「それが、メロスは誠に妹の結婚式を始めておりました。」報告者は申し訳ない顔をして告げた。ディオニスは混乱した。

「なにか、それではメロスは家族の事も考えず、わしの噂を聞いただけで直情的に殺しにきただけというのが事実だったということか。」あり得ないと思いながらも考え得る限り最もありうる答えをディオニスは問うた。

「続報次第ではありますが、現時点の情報ではそういうことになります。」報告者の顔にも困惑が浮かんでいた。

 

「くっ、くははははは、こんなことがあるのか。」ディオニスは笑いを堪えることが出来なかった。

 ディオニスは自らが、疑いの目で見過ぎていたことを悟った。「では、あとはメロスが戻ってくるかどうかだけであるな。セリヌンティウスの準備をさせておけ。」お調子者のダモクレスに任せて、ディオニスは午後の政務に戻った。

 

 

 昨日から続く雨も止んだ夕時、磔台が高々と立てられセリヌンティウスが引き出された刑場は異様な場となっていた。ただの処刑にディオニスを始めとして多く廷臣が集っており、何故が起きるのかと不思議がった市民が群をなしていた。日没が近づき、シラクスの塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。

「来ぬか。」ディオニスの声には苦々しいものが混じっていた。「王、もう日も暮れます。はやく始めないと民の娯楽にならぬかと。」ダモクレスの声には喜色が混じっている。「分かった。ならばセリヌンティウスの釣り上げを始めよ。だが、まだ日は沈んでおらぬ。ゆるりと進めよ。」ディオニスはこの臣を懲らしめることを真剣に考え始めた。日が沈んでしまう。まだか。ディオニスも焦り始めた。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとしている。駄目か。なんとか時を稼ぐ手段はないものか。ディオニスが考え始めた時、群衆の中から嗄れた声が聞こえた気がした。

 ディオニスが振り向くと「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、メロスがあらわれた。まだ気づかないダモクレスをよそに、メロスはついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧りついた。

 

 群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。ディオニスの口元に笑みが浮かんだ。「そうせよダモクレス。」セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。

 

「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」

 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、

「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」

 メロスは腕に唸うなりをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

 群衆の中からも、歔欷(きょき)の声が聞えた。ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていた。

 

 そうだ。この二人はアキレウスとパトロクロスだ。アキレウスはミュルミドーン人とされているがアキレウスの故郷プティーア、パトロクロスの故郷ロクリスはドーリア人の領域である。トロイアはイオニア人に囲まれたアイオリス人の領域だ。なるほど、アテナイで演じるにはイオニア人を打ち負かす話ではよろしくない。どこが悲劇だ、皮肉を込めた喜劇ではないか。アテナイはこれを見抜けず、まんまと受賞させた。父はアテナイを完全に出し抜いて打ち負かしたのだ。

 わしはこやつらを守るためにも強くあらねばならぬのだ。民の全てに裏切られぬ限り、わしはシラクスのために戦う。父よ、そういうことであろう。

 

「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」臭い台詞だ。顔が赤らんでいるのが分かる。わしに役者の才能はないようだ。どっと群衆の間に、歓声が起った。

「万歳、王様万歳。」いや意外と才があったのやもしれぬ。もう少し詩や演劇にも手を出してみるか。父のこともより知れるやも。

 

 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」

 勇者も、ひどく赤面した。

 

 

 

 

 

 

 

 一連の見世物が終わり群衆が解散した後、夜の宮廷でディオニスは尾行者たちの注進を受けていた。

 

「賊がメロスを襲ったとな。なるほど、それで遅れたわけか。そなたらは何をしておった。」王の声にはかつてないほどの威厳が篭っていた。

「賊は想像以上に大人数であり、我らが対処しきれなかった一隊がメロスを襲ったようです。面目次第もございませぬ。ただ顔つきからしてやつばらはカルタゴの手の者かと。」親衛隊は頭を下げた。

「構わぬ。お主等をつかせたためにメロスが目を付けられたのであろう。」ディオニスは自らの過ちを認めた。「だが、賊を取り逃がしたことは許せぬ。次の戦いで必ず挽回せよ。」

 

 

「ティモクラテス、ヘラクレイデス、急ぎ兵を整えよ。賊を装った間者どもを捕らえ背景を吐かせるぞ。夜明けとともに出る。」

 

 怒りに震える王の目は爛爛と輝いていた。

 

(「走れメロス」と古伝説、シラーの詩から。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ディオドロスの歴史書の記述を元に書かれた、フリードリヒ・フォン・シラーの「人質」(Die Bürgschaft)を元に書かれた「走れメロス」ですが、シラーの「人質」まではディオニシオス1世とピュタゴラス派の暗殺者デイモンとその友ピュティアスの話です。
 ただしディオニス=ディオニシオス1世を前提にすると「走れメロス」の作中描写と大きく矛盾することから1世の世嗣ディオニシオス2世の時代を舞台にしています。だって1世だと先王いないんだもん…流石に民衆も噂が嘘だと気付いちゃう。

 この親子は暴君の代表例として挙げられることが多いですが、シチリア島とシュラクサイが巻き込まれた戦争や災害の歴史を調べると正直、この二人に暴君をやっている暇がどこにあったのかと疑問に思います。
 ちなみに本作に出てくるダモクレスはあの「ダモクレスの剣」のダモクレスであり、先王に暗殺者を送っていたピュタゴラス教団は「三平方の定理」で有名なあのピタゴラスです。
 メロスの元ネタはピタゴラスの作ったカルト教団の送りこんだ暗殺者が1世に許される話なんですよね……暴君とはなんぞや?

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