おいタルタル、追ってくるな   作:飲み会後の味噌汁

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「あの者の腸には、同胞たちの血肉と怨嗟が内蔵されている。」

―――― アビスの使徒・激流


忌まわしき過去 - いずれ死するメリサンド -

 

 

 

 

 

ねぇ、聞こえてる?

 

 

 

 

聞こえてるんでしょ?

 

 

 

君が「帰りたい」って言ったから、少しだけ(かえ)してあげたよ。

 

 

 

でも長くは続かないかもしれない。

 

 

 

だって、君はこの時代の人間じゃないから。

 

 

 

ここに留まることは出来ない。

 

 

 

だから一瞬の安寧を楽しんでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妙な声を聞いていた気がする。

温和で優しそうな女性の声を。

 

どこかで聞いたことがあるような声でもあった。

どこで聞いたのかは分からないけれど、確かに聞き覚えのある声だった。

 

けれど、その声は一方的に話し終えるといなくなってしまった。

 

 

 

仕方ないから意識を現実に戻す。

 

 

 

嗅ぎ慣れない(いそ)の香りが鼻を付いて目を覚ます。

急に差し込まれた陽の光が眩しくて、視界のピントが合わず、何も見えない。

 

次は耳を澄ましてみる。

水の(さざなみ)の音以外は何も聞こえない。

喧しくも愛おしい家族も、凍えるような吹雪の音も、私を追ってくるファデュイの人たちも、何も聞こえない。

静かな風と波の音しか存在しない。

 

「あら、目が覚めた?」

 

誰かの声が聞こえた。

そこには見たことのない二足歩行の生き物がいた。

それは褪せ色の外套を身に纏っていて、頭部から伸びる水色の玉模様の突起物が小さな山を作っている。

(さなが)ら、陸の珊瑚のようだ。

 

みずみずしい肢体がペタペタと音をたてて近づいて、私の顔を覗き込む。

底知れぬ海の深淵(しんえん)を映すような赤紫色の瞳は、私をも吸い込んでしまいそうな深みを持つ。

 

まるで兄さんの眼を見ているみたいだった。

 

「ちょっと体を拭かせてね。ここの(やぐら)は海岸から目と鼻の先にあるから、潮風ですぐベタベタになっちゃうのよ。」

 

目の前の生物は、水に濡れた手拭いを絞り、それで私の()()を拭き始めた。

 

彼女言うとおり私の体は海からの潮風でベタついていた。

ほどよく絞られたであろう布の感触が心地よくて、思わず身を任せてしまう。

 

だが待ってほしい。

 

私は目の前にいる存在が何かを知らない。

所謂(いわゆる)得体の知れない生き物が何かを知らない。

コイツが人間の言葉を使っていても、滲む不気味さが拭えない。

とても恐ろしかった。

 

私は大声を出して未知の生命体を威嚇した。

 

「だ、誰ですかアナタは!?」

「うわっ、びっくり! もう、いきなり大きい声出さないで。ほら、そんなにいきなり動いたら傷が開いちゃうわよ?」

 

謎の生き物が私の身体を優しく押して寝かせようとしている。

私はその手に抗うとしたが、身体が言うことを聞かずにそのまま寝具に伏された。

まるで錆びたブリキのように。

 

「誰ですか! いや、そもそもここは何処(どこ)なんですか!?」

「あぁ〜! だからジッとしてて! せっかく巻いた包帯が取れちゃうじゃない......!」

「......え。」

 

彼女に言われて自分の身体を見る。

確かに、清潔な白い包帯が巻かれているようだ。

巻き方は少しいい加減だが、ぐるぐると何重にも巻かれたためか隙間風が傷に(さわ)ることはなさそうだった。

彼女が懸命に処置してくれたのだろうか。

 

「あらら、これはまた巻き直しねぇ。」

 

まるで側使えをするメイドのように甲斐甲斐(かいがい)しく世話を焼いてくる。

『異様な姿をした何か』が私に善意を向けているこの状況が、どこか不気味に感じる。

 

「貴女は何者なの。いやそもそも、人間なの?」

「あ......そ、そうよね。こんな姿をしてたら気持ち悪いわよね?」

 

目の前の生物はそれまでの押しの強さが見る見る内に息を潜めていき、何故か申し訳なさそうな顔になった。

彼女は自分自身の小さな肩を抱きながら遠ざかっていく。

 

妙な反応だ。

どうやら私は地雷を踏み抜いてしまったらしかった。

 

「ち、違います。本当に知らないだけなんです。この場所も、貴女のような種族のことも。」

「へ? じゃあ私に人間かどうか聞いたのは、本当にただ知らなかっただけってこと?」

「はい、恥ずかしながら。」

 

彼女は不安そうな表情から一転して喜びを露わにした。

 

「じゃあ! 貴女は本当に海の向こうから流れ着いたのね!?」

「......流れ着いた?」

「なんて素敵な運命なの! 広大な海を越して浜辺で出会う二人(わたしたち)、なんてロマンチックなの!」

「ちょ、ちょっと待ってください。流れ着いたってどういうことですか?」

「どうって、そのままの意味よ。あなたってば砂浜に打ち上げられてぐったりしていたのよ。」

 

は、はぁ?

 

「私ったらびっくりしちゃって、勢いのまま貴女をここまで運んできちゃったの。」

「砂浜に打ち上げられてたって......一体どうして。」

 

なんだ、どういうことだ。

スネージナヤらしくない空気だと思っていたが、まさか本当にスネージナヤではない他の国にいるのか。

 

「いや、それはおかしいですよ。私がいたのはスネージナヤという辺境の国です。そんな場所から、こんな見知らぬ国に行き着くなんてあまりに現実離れしていると言わざるを得ません。」

 

そうだ、そんなことはあり得ない。

テイワット大陸の地理は、少しだけだが頭に入っている。

少なくとも、スネージナヤの港から海に放り出されたのだとしても、運よく陸地に流れ着くなんて都合が良すぎるだろう。

 

それに、あの時()()()()()()()()()()()

 

あれは一体誰なのか。

謎の光を発したのも、それによって私をこの国に送り込んだのも、全部あの声のせいなのではないか。

まとまらない思考がぐるぐると廻り、草木のように絡まっていく。

 

「まぁまぁ、そんなに深く考えなくてもいいじゃない! こうも元気にお話が出来るんだから。」

「『元気にお話』ですか。こっちは右腕を無くしているのですから元気も何もありませんよ。」

「え?」

 

私の言葉を聞いた彼女は不思議そうに首を傾げた。

まるで戯言を(のたま)う子供を諭すように穏やかな調子で私に言った。

 

()()()()()()()()()()。さっきまで私がせっせと拭いていたのも貴女の右腕よ?」

「は?」

 

見ると、確かに私には右腕が有る。

 

信じがたいから、ぐっと拳を握ってみる。

そして開く。

すると問題なく動かせた。

 

「どうして......?」

 

私の右腕は深淵(アビス)の魔物に食いちぎられた筈だ。

 

神の目の烈火で傷口を無理に焼いた苦痛も記憶に新しい。

想起するだけで幻痛がする。

 

あの痛み。

あれは夢などではなかったと断言できる。

しかし、今こうして右腕が存在するのも事実。

 

明らかな矛盾に困惑している私とは対照的に、目の前の謎の生物は底なしの明るさを携えながら私の身体を触って来た。

 

「とりあえず最後まで身体を拭かせて! 拾ったからには面倒を見させてもらうからね!」

「あ、ちょっと......。」

 

彼女の有無を言わさぬ勢いに押されてしまった私は、微かに残っていた潮風によるベタつきが拭き取られていくのを享受しながら天へと視線を向けた。

 

肉体が五体満足な状態になっている理由は分からない。

とはいえ疲労は残っている。

無理に抵抗してもすぐに抑え込まれるだろうし、何より抗っても意味がない。

 

目の前の生き物は少し気味が悪いが、甲斐甲斐(かいがい)しく世話を焼いてくれると言うのだから、暫くはそれに甘んじることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しだけ時間が経った。

私はされるがままに身体を拭いてもらった。

 

「ほら、乾いたタオルで拭いたからベタつきもマシになったでしょ?」

「あ、ありがとうございます。」

「うふふ、いいのいいの!」

 

邪気のない笑顔が眩しい。

まるで彼女の態度と呼応するかのように、簡素な造りの窓から海の音が聞こえてくる。

こんな穏やかな波の音なんて聞いたことがなかった。

少なくとも、スネージナヤの吹雪をも押しのける程の波は経験したことがない。

 

きっとここはスネージナヤではないどこかなのだろう。

 

一体どうやってここに流れ着いたのだろうか。

あの時、不意に『散兵』と遭遇した私は、混乱に身を任せて海に飛び込んだのか?

 

いや、それは無理がある。

そもそも、私はあの洞窟から脱出したばかりだった。

海に面した港なんて視界にも入らなかったのに、どうやって海に身を没するというのか。

 

仮にあの場に港があり、何かの間違いで海に飛び込んだとしよう。

それでも「運よく別の国に流れつきました」だなんて、あまりに都合が良すぎやしないか。

 

だめだ。

どれだけ考えても自分がどうして生き永らえたのかが分からない。

今は、身の周りにあるもの全てが怪しく見える。

私を看病してくれた彼女もそうだ。

 

疑念が晴れないまま恩人である彼女を見る。

私の疑念の籠った視線を好意だと勘違いしたのか、目を輝かせながら私へと詰め寄ってきた。

 

「ねぇ! あなたお名前はなんて言うの?」

「名前ですか。」

「ええ、ずっと『あなた』呼びじゃ味気ないし、不便でしょう?」

 

何と言おうか迷う。

素直に「エレーナだ」だと名乗ってしまいそうになり、すんでのところで止まる。

 

ファデュイに追われる身になってしまった今、赤の他人に本名を晒すのは(はばから)れる。

仮に、ここがまやかしの世界だったとしても、名前は明かしたくない。

 

少し迷った後、私は嘘を付くことを選んだ。

 

「私には名前がありません。」

「え、お名前がないの?」

 

彼女の純粋無垢なきょとんとした顔が、私の罪悪感を増長させた。

 

「正確に言うと言えないんです。あまりおおっぴらには身分を明かせないので。」

 

我ながら馬鹿みたいな理由だ。

お忍び中の貴族にでもなったつもりか。

貧弱な自分を恨んだ挙句に人を殺して追われる身になっただけだろう。

 

深淵(アビス)の気配に怯えて家を出て、ドジをかまして洞窟に落ちた。

人のカタチをしたヒルチャール(彼ら)を食み、醜くも生き続けた。

ただそれだけだ。

 

「......うっ。」

 

自分のしでかしたことを思い出すたびに吐き気が襲ってくる。

夢だと思っていた悪夢が鮮明に蘇ってきては頭の中をしつこく反芻(はんすう)していく。

 

暗がりの中で肉を焼いた感覚が手に残っている。

人の形をしたナニカの内蔵を取り出して、血を啜った時の鉄臭さが鼻腔に充満している。

動物の肉だと思っていたソレが、かつて人間だったモノだと知った時の絶望が、自分の表情筋の()り様が記憶に刻み込まれている。

 

かつては暖かい家の中で家族と過ごしていたのに、己の愚かな過ちのせいでこんなことになってしまった。

 

今頃みんなはどうしているだろうか。

私のせいでファデュイから酷い疑いをかけられたりしていないだろうか。

弟はお利口にしているだろうか。

妹は裁縫を上手に出来るようになっただろうか。

 

もう、自分の目で見ることは出来ないのだろうか。

 

やだ、もっと一緒に居たい。

いきなりテイワットに産み落とされた私にとって、家族との空間だけが安らげる場所だったのに。

私は自分でそれを放り出したけれど、叶うことならもう一度帰りたい。

 

そうだ、帰りたい。

父さんと母さんがいるあの家に、わんぱくな兄妹たちと笑い合ったあの家に帰りたい。

帰りたい、かえりたいっ。

 

「ぃやだ、帰りたい......おうちに、帰りたいっ。」

「わわ! どうしたの!? な、泣いちゃって......お腹痛いの!?」

 

帰りたい。

 

嗚咽がしゃっくりのように溢れ出て、滝のように流れていく。

涙が勝手に湧いてきて止まらない。

視界のピントが定まらない。

 

「グスッ....ふ、ぐぅぅ...父さん、母さん....テウセル、トーニャ..........兄さん。」

「あわわわわ!? ど、どうしよう!」

 

もう何もかも嫌。

どうして私はこんなにも愚かなのだろうか。

 

勝手に怯えて、貧弱な体で外に出て怪我をして。

家族に迷惑をかけて。

 

挙句、私はかつて人であった者たちの肉を食らった。

生きるためとはいえ許されないことをした。

洞窟にいた者たちが生きていたのかは分からない。

 

もしかしたら、私は彼らを生きたまま焼いたのかもしれない。

その腹に手を翳して、覚えたばかりの炎の力で彼らの中身を熱して......。

 

やだ、やだやだやだ!

考えたくない!

私はそんなことしていない!!!

 

 

 

「う〜ん......ええい、もう!!」

 

 

 

ふと、柔らかな感触が私の頭部を覆う。

まるで取り立てのシルクに頭を突っ込んでいるような気分だった。

しばらくぶりの母さんの温もりを享受しているのではと思い込む。

 

暖かさに驚いて、一瞬だけ嗚咽が止まる。

 

「よしよし、辛かったのね。」

 

少しして、彼女によって宥められているのだと理解した。

 

「ここには怖いものは何もないわ。貴女を傷つけるものもない。ただ波の音と、オレンジの香りだけがあるだけ。だからどうか泣き止んで......ね?」

 

割れかけのワイングラスを撫でるような手つきが心地いい。

腫物扱いをするのではなく、大切なものを扱うような接し方が嬉しかった。

 

なんでこんなにも安心するのだろうか。

 

不気味な存在に撫でられているのに、どうしてそれに身を任せているのだろう。

どうして恐怖を感じないのだろう。

 

でも、嗚呼。

こうして愛を享受するのは久しぶりかもしれない。

傷つけようとしてこないという優しさが、今の私には新鮮だった。

 

「......痛いことしない?」

「しないしない! 私は村一番の優しいメリュジーヌだって評判なんだから! カロレのお墨付きよ!」

「メリュ...ジーヌ? かろれ?」

「あ、そういえば私の自己紹介をすっかり忘れてたわ!?」

 

聞いたこのない単語が出てきた。

()()()()()()は彼女のような見た目の種族のことで、カロレは人の名前だろうか。

未知の世界に混乱している私を見て、彼女は私の両手を握って己の名前を告げた。

 

 

 

「私の名前は『シグウィン』! 気軽に呼び捨ててちょうだいね!」

 

 

 

その顔はまるで初めてのおつかいを頼まれて張り切る弟のように無垢で、眩しく輝いていた。

桃色を織り交ぜた体色が可愛らしくきらめく。

 

「さて! 落ち着いたようだし貴女のお名前を決めましょうか! はて、どんな名前が良いかしらね。」

 

シグウィンは悩むような素振りを見せている。

腰に手を当てて天井を仰ぎ、うんうんと唸るその姿は、まるで玩具を選り好みする童女にしか見えない。

 

「そうだ! だったら()()しましょう!」

「え?」

 

彼女は『妙案浮かびたり!』とでも言いたげな顔をしたと思った途端、ドタバタと慌ただしく小屋から出ていった。

 

「なんなの......?」

 

まるで嵐が去ったかのような静けさが部屋を支配する。

 

何が何だか分からない私が動き出す前に、彼女はまたも慌ただしい様子で戻ってきた。

その手には、見たことのない植物たちがぎゅぎゅうと摘まれていた。

 

彼女は持ってきた植物を床に散らかすと、妙案の内容を語り出した。

 

「貴女の好きなお花から名前を取るの! 私の知り合いに、いろんな国の植物を育てようとしてる娘がいるんだけど、どの植物の名前も可愛くて覚えやすいの!」

「植物の名前......これ全部、ここらに生えているものなの?」

「そう! フォンテーヌ中に群生しているわ!」

 

シグウィンの手元に小さな花畑が咲いている。

 

鮮やかな赤、青、黄。

 

もう数えきれないくらいの花がこちらを向いていた。

中には見知ったものもあったが、大半は見たこともないものばかりだった。

 

「誰もが知っているお花の名前なら覚えやすいし、何より貴女ってとっても可愛らしいからお花が似合うもの!」

「は、はぁ......。」

 

勢いが凄すぎて反論する暇もない。

シグウィンは興奮した様子で花を一つ一つ指差しながら名前を紹介していった。

 

「これは『マルコット』、こっちが『ロマリタイムフラワー』ね。それから......」

 

どこか楽しそうな顔を見ていると、相対的に気分が落ちていくような気がした。

忘れようと思っても(なお)こびり付く嫌な記憶は、まるで乾いた髪の毛に付着したガムの如くへばり付いてくる。

それを引きはがそうとすれば、自分の身体も引き裂かれるだろう。

 

「ねぇねぇ!」

「あ、はい。なんですか?」

 

シグウィンの声で正気に戻る。

どうやら花の紹介は粗方終わったようで、あと残っているのは一輪だけだった。

 

「私はとしてはこの『バブルオレンジ』っていうお花の名前がぴったりだと思うのだけれど。」

「まさか、私の髪色がオレンジ色をしているからなんて理由じゃないですよね。」

 

まさかそんな安直な名付けをするわけがないと思いつつ、一応聞いてみる。

すると彼女は頭をコテンと傾けて悪びれることもなく肯定した。

 

「ええその通りよ。貴女の橙色の髪がとっても綺麗だったから『オレンジ』って名前はピッタリだと思って!」

「適当すぎませんか。」

「あ、あら?もしかして気に入らなかった?」

 

私の落胆が彼女に伝わったのか、シグウィンもまた調子を萎ませていく。

 

「いくらなんでも安直すぎます。」

「う~ん、そうかしら?」

「ええ。それに、私は出来る限り身分を秘めておきたいんです。容姿を推察できるような名前はあまり好みじゃありません。」

「むぅ、わがままな娘ね。その固い口調もお偉い様だからかしら?」

 

頬を膨らませているシグウィンはまるで聞き分けの悪い子供みたいで、その有り余る活力を振り回している我儘っぷりを見ていると、故郷の弟たちのことを思い出してしまう。

 

きゃっきゃと笑いながら走り回るあの子たちが恋しい。

冬景色の中で唯一暖かい存在である彼らと、目の前の彼女が重なってしまう。

無性に気分が重くなった。

 

「まぁ、いいわ。他にも可愛い名前はいくらでもあるし!」

 

シグウィンはまだ私への名付けを諦めていないらしい。

これから繰り出される可愛らしい名前の豪雨に打たれることになる。

そんな未来に思いを馳せて勝手に憂鬱になってみる。

 

彼女は満面の笑顔で向かってくるが、少しはそれに抗おうと思う。

 

「待ってください、なんで可愛い名前を付ける前提なんですか?」

 

手始めにジャブを打ってみた。

 

「だって、せっかくなら可愛い方が嬉しいでしょう?」

 

ストレートが返ってきた。

だが降参する気はない。

 

「それは貴女の価値観でしょう。私はそうは思いません。」

「えぇ、せっかく可愛いのに!」

 

かわ......。

いや、(なび)くものか。

(おだ)てたって無駄だ。

 

「あ! じゃあ『ローズ』っていう名前はどうかしら!」

「ローズ?」

「『レインボーローズ』って言う、とっても綺麗な桃色のお花があるの。名前の響きとしては綺麗だし、これなら可愛いと両立が可能よ!」

 

もう可愛いって言いたいだけだろう。

疲れていたのもあってシグウィンの提案を飲むことにした。

 

「もうなんでもいいです。呼びにくくなければ。」

「ふふっ。とっても可愛らしい貴女にぴったりだわ!」

 

さっきから可愛いって言いすぎでしょう。

なんですか、褒めればいいとでも思っているのですか。

 

「あの、その生暖かい目線は止してくれませんか? なんかムズ痒いです。」

「ふふっ。ごめんなさい、だって本当に可愛らしいんだもの!」

 

調子が狂う。

こんな褒められ方は経験にない。

身体が弱かったからあまり人前に出なかったし、家族はみんな顔が整っていたから、私だけ特筆して褒める理由もなかったのだろう。

 

だから、こうして家族以外から賛美されるのは何だか慣れない。

 

「私ね、貴女が浜辺に打ち上げられていた時はとってもびっくりしたの。服装もボロボロだし、なによりとっても傷だらけだったから。」

「なんですか、急に改まって。また私の素性を詮索するつもりなら無駄ですよ。例え拷問されたとしても何も漏らしませんからね。」

「ええ、分かってる。貴女のことはとっても気になるけれど、無理に聞こうだなんてことはしない。でも、気になるものは気になるのよ。」

「......。」

 

まぁ、気持ちは分かる。

 

「だから、これから時間をかけて貴女のことを教えて!」

「え?」

 

彼女は私の手を握った。

水気のある手触りが触覚を支配するも、不快感はない。

 

「色んな景色を見たり、美味しい物を食べたり、いろんなお話をしたり......そうやって少しずつ私と友達になってほしいの。」

「えっと、私があまりにも怪しいから、素性を探りたいんじゃ?」

「友達のことを知りたがるのはおかしなことじゃないでしょう?」

 

それにしても距離感が近すぎる気がするけれど。

 

「その、私たちメリュジーヌはフォンテーヌではあまり歓迎されてないのよ。」

「.......そう。」

 

少し考えれば分かることだ。

人間とよく似た生き物を受け入れられるのか、という問いに肯定を投げることが出来る者がどれだけいるのか。

少なくとも、私には出来ないだろう。

 

「人間のお友達が全然出来なくてね。だけど貴女となら、(いち)から、まっさらな状態から関係を築いていけるんじゃないかって思って......ダメかしら。」

 

それは、天真爛漫なシグウィンが見せる初めての悲しそうな顔だった。

人間社会に適応できない種族としての苦悩があるのだろう。

彼女とて寂しい思いをしてきたのかもしれない。

 

なんだか、ここで彼女の誘いを断ることが悪行であるかのように思えてきた。

 

ずるい。

シグウィンはとても狡い女だ。

 

「はぁ......そんな顔されたら断れないでしょ?」

「っ! 貴女、口調が!」

 

シグウィンに対して取り繕う必要はない。

私は家族にすら晒したことのない私をシグウィンに預けることにした。

せっかくローズという新しい名前を貰ったのだから、丁寧で他人行儀な『エレーナ』は暫く休憩しよう。

 

「こっちの話し方が素なの。なに、何か文句があるの?」

「ううん、ううん! むしろ嬉しいわッ!!! これからもっと雑に話してもらってもいいのよ!?」

「そ、それはそれでなんか違う気が......まぁいいか。これから、その、よろしく。」

「ふふ。ええ、よろしくねローズ!」

 

 

そう言って笑う彼女を見て、少しだけ元気が湧いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあて! じゃあこれから街を見て周りましょうか! せっかくフォンテーヌに来たんだもの、観光しなきゃ損よ!」

「え。」

 

いきなり何を言い出すのだろうか、この子は。

 

「いや、別に観光が目的じゃあないんだけど......。」

「そうと決まれば善は急げ! ()()()()()()()()()()()()()()()から、待っててちょうだいな!」

「あ、ちょっと! ......行っちゃった。」

 

人の話を聞かずに走り出したシグウィンの背中が次第に小さくなっていく。

全く、あの小さな身体のそんな元気があるのか知りたいものだ。

 

そうだね。

「......え?」

 

ふと、シグウィンではない誰かの声が聞こえる。

中性的な女性の声だ。

 

「だ、だれ? シグウィン......じゃないよね。」

そう構えないで。私は君の敵じゃあない。むしろ味方って言ってもいい。

 

脳内に響く声。

平坦なようでいて、どこか擦り寄ってくるような声色が(おぞ)ましい。

 

私は頭がおかしくなったのか?

浜辺に打ち上げられるまでの過程で石に頭をぶつけでもしたのだろうか。

きっとそうに違いない、でないと説明が付かない。

 

君が還りたいって願ったから、その願いを叶えてあげたんだよ。

 

叶えた?

私の願いを?

 

「どういうこと? 一体何のことを言っているの?」

あれ、覚えていないのかな。雪山の中で叫んだでしょう、"還してよ"って。あんまりにも真に迫る顔をしていたから叶えてあげたんだよ。

「......あ」

 

確かに「返して」と言った気がする。

洞窟を出た先で出会った『散兵』を前にして、半ば八つ当たりをするように叫んだのは覚えている。

自分自身の愚かさに目を向けることに耐えられなくて、他責の言葉を吐いた。

 

それを『叶えた』だって?

 

「まさか、この国に私を飛ばしのは......。」

そう、僕だよ。「君が私が生まれるよりもずっと前の状態に戻してよ」って言ったから、僕はそれを可能な限り形にしただけ。

 

謎の声は平坦な調子で答えた。

この声を信じるのなら、私がフォンテーヌに流れ着いたのは事故ではなく、この声の主のせいらしい。

 

あの猛吹雪で眩い光が放たれたのもこの声の仕業なのだろう。

もしそうなら、この声の主は『散兵』をも出し抜ける程の実力者ということになる。

 

 

いや、到底信じられない。

 

この声はきっと幻聴に違いない。

これまでの無理が祟ってしまったのだろう。

或いは、知らず知らずに内に酒樽にでも頭を突っ込んでしまったに違いない。

 

こんな声に構う暇なんてない、一人で支度をしに出ていったシグウィンと合流しなければ。

 

震える身体に鞭を打って立ち上がる。

膝が笑っているが問題ない。

動けるだけでも万々歳だ。

 

待って。

 

声が私を呼び止める。

 

「待たない。」

 

待ってなどやるものか。

私は家族以外の人間は信用しない。

この透明野郎。

 

「私は一言もこんな国に行きたいなんて言っていない。あなたがしたことは余計なお世話なんだよ。」

じゃあ、()()()()っていうのは何に対して言っていたの?

「そ、れは......。」

 

核心を突く質問に身体が硬直する。

弁の閉まったガス栓のように、私の喉は音を出せなくなる。

ぎちぎちと嫌な音を立てながら、私の悪意が栓を突き破ろうとしている。

 

私はあの時何を思ってあのように言ったのだろうか。

 

 

 

家族に恵まれて

 

曲がりなりにも愛されて育った

 

前世の知識もある

 

ちょっと人よりか身体は弱いけれど、それも差し引いても余りある幸福だ

 

その筈だ

 

で、そんな私は何をしたっけか

 

 

 

 

「だって......人殺しになるなんて、思ってもみなかったんだもん。」

 

 

 

......ん、声が小さくて聞こえない。もっと大きな声で言って。

「......チッ。いい、独り言だから。」

 

この声の主は存外にしつこい。

不気味だし、誰か分からないし、意図も読めない。

 

これなら、暴虐武人なファデュイの方がまだ対応のしようがあるというものだろう。

出来ることなら声の正体を見破りたい所だが、姿すら見えないのでどうしようもない。

こんな声に構う暇なんてない、さっさとシグウィンと合流しなくちゃいけない。

 

「姿も見せてくれない失礼な人に割く時間はないから。あなたの話を聞く気もない。」

 

これで私に愛想を尽かせて消えてくれればいいのだが。

 

わかった、姿を見せればいいんだね。

「............は?」

 

耳を疑った。

私は間抜け面で呆けたような声を漏らしてしまった。

吞まれるとは思っていなかった要求が通ったことにも驚いたのだが、何よりもその声の主の姿が衝撃的だった。

 

彼女はとても美しかった。

美を具現化したような容姿だった。

流れるような白髪はウェーブを描いて私の視線を奪う。

頭上には金色の輪っかが二つ浮いており、その輪っかにも鈴のような鋭利な飾りが垂れている。

 

ただただ綺麗だった。

天使のように整っていて、ひたすら白かった。

 

「......ふぅ、下界(こっち)でこの姿を取るのは久しぶりかも。なんだか慣れないな。」

 

さっきまで頭の中で響いていた音が肉声となって私に届き始める。

ぼやけてなどいない、鮮明で爽伯な声は、まるで(ライヤー)の音色を模っているかのようだ。

 

彼女は私の前に降り立つと、ふっと微笑みながら両手を握った。

温度は感じなかった。

 

「ほら。姿は見せたよ、これで僕の話を聞く用意が出来たかな?」

「あなたは、一体......?」

 

 

 

 

 

 

 

「ローズ~~~~!! 見てみてこれ! おっきなオレンジが落ちていたの! こんなに大きな果肉を持ったものなんてそうそう見られるものじゃあないわ。私ったらとってもラッキーね!」

 

 

「なっ!?」

「ん、帰って来たみたいだね。」

 

まずい!?

シグウィンが帰ってきた!

なんてタイミングの悪い!

 

この不審者と一緒にいるところを見られたら、なんて言い訳すればいいか分からない。

ただでさえ複雑な状況なのに、不審者と話している所を見られたら余計に収集が付かなくなる。

 

焦る私のことなとつゆ知らず、シグウィンは無邪気に笑いながら部屋に入ってきた。

腕の中にいっぱいの花束を抱いている。

 

「あら、まだ動いちゃダメじゃない! 街に行くとはいったけれど、それは私のサポートがあっての話よ? ほら、もう少し横になっていなさいな。」

「えっと、シグウィン。実は怪しい不審人物がここに......あれ?」

 

(くだん)の白い天使はいつの間にか姿を消していた。

シグウィンの反応を窺おうと振り向くと、彼女の抱える花束の中にセシリアがちょこんと生えていた。

 

私の日常に何者かが入り込んだ音がした。




ご愛読いただきありがとうございます。

よければ評価や感想などいただけると嬉しいです。




こういうのって積極的に言った方がいいらしいですね。
(感想や評価、PV数などはいつも見させていただいているのですが、よく考えれば私の方からアクションを起こしたことがあまりなかったので......)
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