「この手配書、なんだって何百年も刷り続けてるんだろうなぁ?」
「───さぁな。よっぽど捕まえたいんじゃないのか。規模で言えば、例の『連続少女失踪事件』なんか比にならなん被害を出したんだろ、ソイツ。そりゃ国のために必死になって探すだろ。」
「けど、あのヌヴィレットだぜ?探そうと思えばいつでも見つけ出せるんじゃないのか?」
「それを俺に言われても困るが────じゃあ、他に目的があるってか?一体なんのために?」
「そりゃ、手配書の目的なんて一つだろ───ただ会いたいんだよ、きっと。」
「はぁ、アホらし。国のお偉いさんがなんで殺戮犯を懇意にするんだよ。」
失敗した
失敗した
最初はただの好奇心と、少しの同情がきっかけだった
この世界に生まれながら、この世界の根幹に関する禁忌とも言える知識を有した人間が必死に生に縋っている姿を見て、助力の手を差し伸べた
それまでと同じように手助けをしたつもりだった
ただの可哀そうな人間
小さな、死に体の女の子
不安要素はなかった
欠損した肉体も巻き戻した
しかし、一つだけ巻き戻し損ねていたものがあった
あの子の肉体に染みついた
まさか、臓器や血液自体に癒着しているとまでは予想していなかった
私の善意によって、スネージナヤの娘が四百年前のテイワットに降り立ってしまった
今の彼女の精神状態は極めて危険な領域にある。少しでも歯車が狂ってしまえば暴走してもおかしくない
絶対に彼女を止めなければならない
かといって、僕がこれ以上権能を行使すれば
どうにか言葉で彼女を制さなくちゃならない
地底に沈んだ文明の二の舞を生むのは避けたい
◇
劇場へ紛れ込むのは簡単だった。
直近に起きた様々な騒動の影響で備隊の準備も疎かになっていたようで、裁判場ではまともな点呼すら行われなかった。私は何食わぬ顔で劇場へと潜り込んだ。
どかりと席に座り、しばらくして開廷した。
ヌヴィレットとヴォートランが私を見て少しの狼狽を見せたようだが、気のせいだと思うことにした。
裁判は粛々と進んだ。
民衆は悦楽に浸り、騒ぎ立てる。
「───静粛に」
ヌヴィレットによって劇場が静まる。
「その見解は認めよう。ヴォートラン、君の復讐には正義があった。」
「君の選択は理解できるものだ。だからこそ、これからの判決に憂いと......心痛を感じざるを得ない。」
多少の野次はあったものの、最高審判官の進行によりヴォートラン被告の罪科の有無を言い渡す場面となった。当の本人である彼───ヴォートランは彼らしくない無謀な態度で臨んでいる。まるでヌヴィレットを挑発しているように見えた。
「残念ながら、個人の正義は法律の正義と同義であるとは限らない。君は復讐のために職権を乱用し、私刑を下した。これは現行法に反する行為だ。」
「故に......私は君に『有罪』を言い渡す。」
彼の平坦な声で判決が言い渡される。
「ヌヴィレット.....一体何が気に食わない!?これまでお前からの命令には全て応えた!加えて、俺の部下たちも無罪を主張している。だというのに、何故見逃してくれないッ!?」
「これもお前の正義だと言うのか......答えろ!ヌヴィレットォ!!!」
冷酷無比な判決に場がざわつく。皆が席を立って意義を唱えているが、その中にあるのは正義の心だけではない。
「クソぉ......ヴォートランが勝つ方に賭けてたってのに......このままじゃ大損じゃないか!」
この裁判の行く末によっておこぼれを貰おうとする者は少なくない。傍聴席で小声を漏らす奴らは自分の今後にしか興味がなく、カロレやヴォートランへの関心などないのだろう。
人間やみんな
どうして利己的でしかいられないのか。
やはりやるのなら今しかない。
どうしてか、今の私は何か不思議な力に操られているような感じがする。何をしてもいい気がするんだ。
殺せ
今、観衆の視線は被告に釘つけだ。
間抜けにも無防備な頸を晒している。
殺せ
やるなら今だろう。
「───ローズ?」
え
「......な、どうしてシグウィンがここに!?」
「やっぱり!どうして歌劇場にいるの?今日はお留守番してるんじゃなかったの......?」
「シグウィンこそどうして此処にいるの。」
クソッ!?
どうして、よりにもよってこんな時に彼女がここに来ているんだ!?
「ウチはいても立ってもいられなくって、せめてヴォートランの判決を見届けたかったのよ。」
「そう、なんだ。」
自分が座っている座席の背もたれから身体を起こしてシグウィンを見ると、彼女の瞳は疑いの光を放っている。嘘を吐いたのかと私を責め立てているかのように瞳孔が揺れている。「
私はシグウィンに嘘を吐いてしまった。けれど、それも仕方がないだろう。私はもう人間の醜さを目の当たりにしてしまった。カロレの死体を見てしまった。彼女の無念を無かったことになんて出来ない。
観衆の一人が怪訝な顔を向けながらシグウィンに問いかけた。
「お前、メリュジーヌか?」
「え......?」
「以前、街のど真ん中で大勢に中傷されてたろ?民衆だけでなく、俺たち特巡隊の人間も見てた。」
「シグウィン、下がってて。」
「お、おい失礼だな。別に全員が全員メリュジーヌを迫害しようってわけじゃないんだよ。俺があんたらに危害を加えることはない。むしろ、その逆だ。」
男は両手を広げて笑って見せた。
「逆?まさか守りに来たとでも言いたいのですか?」
「おおその通りだ。ヴォートランの奴が言った通り賢いな。お嬢さん、君は彼女の......例のカロレの一件の第一発見者らしいな?」
男の表情に悪意はない。
しかし油断は出来ない、この男が味方である保証などどこにもない。
「それが何か?」
「それは素晴らしい!」
「は?」
「え?」
「つまり君は、傷心の最中にいるにも関わらず!亡き友の為に馳せ参じたというわけか!?」
「な、何を言って」
「得難い英雄だ!この腐敗した政体を立て直すために力を貸してくれないだろうか!?全ては、かつて栄えたレムリアの再生のため!」
レムリア───なんでか
「こんな人の言うことを聞いちゃダメよ、ローズ。」
「シグウィン、レムリアって何?」
「それは───いいえ、待って。どうしたのローズ?どうしてそんな冷静な顔をしてるの?」
どうしてって、私にだってわからない。
いや、心当たりくらいならある。私の内で叫ぶ魂達の中に、物語の中でしか聞かない国や偉人の名前を聞くことがあるのだが、レムリアもその例に漏れないのだ。この男はかつて栄えた王国の住民なのだろうか?
「さあみなさん!共に立ち上がるのです!こんな裁判は聞くに耐えない、ただの茶番!どうしてヴォートラン氏のような英雄が罪禍を背負わなければならないのでしょうか!?」
「なんだあのイカれ野郎は?」
「放っておきましょ。マシナリー技術の発展を危惧している懐古主義の連中ですわ。いっつも奇怪なことばかり吹聴して.....嫌になる。」
「無念にも散っていったメリュジーヌのため、英雄カロレのために、愚かな最高審判官を打ち晴らすのだ!ヴォートラン氏の慟哭を聞いた者は、ぜひ私と共に剣を取るのだ!」
やかましい男は周囲の目を惹いた。
騒音を聞きかねた誰かが大声で注意する。
「おい、警備隊!この頭のおかしい奴を早く取り押さえてくれ!うるさくて敵わない!」
「そうだ!せっかく休みを取って傍聴しに来たってのに、せっかくの風情が台無し......ん?おい、あのメリュジーヌ、どこかで見たことがないか?」
視線が集まれば、その先にいる存在もまたスポットライトを浴びることになる。その対象が話題の的になっている者であれば尚更だ。
「あ、私も見たことがあるわ。確かつい最近街で話題になっていた子じゃないかしら。」
「おいおい、なんだって傍聴席にまでいるんだよ。」
「確かに。休日くらい目を休ませて欲しいもんだ。こんな時にまで汚いやつを見たくない。」
「おいおい言い過ぎだろ。あのメリュジーヌはフリーナ様とヌヴィレットのお気に入りらしい、あんまり言うとしっぺ返しを食うぞ。」
「だけどよぉ......」
「おい!メリュジーヌがなんでこんな場所にいるんだぁ!」
「おい、なんだアンタ!」
騒ぎは渦になり、勢いを増していく。
「メリュジーヌたちだって私たち人間に迎合できるように努力してるじゃあないか!それなのに、まだ目の敵にするのか?アンタら保守派の出番はもう終わったんだよ。」
「そうだ、その子から離れろよ!」
「うるっせぇな!俺のお袋はメリュジーヌのせいで食いっぱぐれちまったんだよ!?文句を言うくらいはいいだろ!?」
「気の毒だとは思うが......これ以上暴れても逆効果だろ。頼むから大人しくしてくれよ。」
「ウルセェよ!」
「あ、おい!待て!」
「この......おい、メリュジーヌ!なんとか言えよ!?」
「きゃっ......!」
聴衆の一人がシグウィンへと掴み掛かった。流石にやりすぎだろう、先に手を出したのはこいつらだ、こうなればこっちも強く出なければならない。
「シグウィン......ッ!?ちょっと、離してください!」
「黙れ小娘!」
「ばか、止めろって!?おいそこの......メリュジーヌとお嬢さん!もう退廷しろ!ここは危ない!」
「いや、メリュジーヌを庇うのはおかしいだろ。実害が出ているのは事実だ。」
「なっ!?アンタまで何を言っている!?」
「お、騒がしくなってきたな。」
「いいぞぉもっとやれぇ!」
「くそ、もう滅茶苦茶だ!」
「やめて、子供がいるの!押さないで!」
「おい治安隊、何をしているんだよ!早く暴動を抑えるんだ!」
「お前、お前たちみたいな得体の知れない化け物がいるから、俺らみたいな家も職もない奴が追いやられるんだ!」
「あ、」
「シグウィンあぶな」
ガンッ
シグウィンが人並みに押されて、席の肘掛けにぶつかってしまった。
ちょっと大きな音がした。
「シグウィン大丈夫!?どこかぶつけて.............シグウィン───?」
さぞ痛いだろうと思って声をかけたが、彼女は返事を返してくれない。たんこぶが出来たであろう頭皮を押さえながら痛い痛いと言うものだと思っていたのに、彼女は静寂を貫いている。
「え......シグウィン?」
彼女は答えない。
ぐったりとして動かない。
おかしい。
「おい誰か、医療キットを持ってこい!怪我人がッ!」
「......お、おい!やり過ぎだろ!?」
「だってコイツがっ、メリュジーヌがよぉ......!」
「ねぇ起きて、どうしてまだ寝てるの」
「限度ってモンの話をしてるんだよ俺は!俺らは保守派を名乗ることはあっても自ら過激派を自称することはなかっただろうが!なのに.....これじゃあ守るどころか加害者そのものじゃあないか!」
「うるせぇッ!そういうお前もカロレとかいうメリュジーヌをじわじわと公衆の面前で問い詰めている時は物凄く生き生きしていたじゃあないか!お前だって人のことを言えないぞ!」
「シグウィン......目を開けて」
「やり過ぎだろっ!?なんだってこんな公衆の面前で!」
「じゃあお前がやりゃいいだろ!?後から俺を責め立てるのは違うだろうが!」
「保守派なんて名ばかりだ、これじゃだたの過激派になっちまうよ.....ッ」
「誰か、誰か写真機を持ってきて!」
「こりゃ、今日の夕刊の紙面ネタは決まりだな。」
「おい、不謹慎だぞ!」
「何言ってる!こういう面白いことを求めて傍聴券を取った癖によぉ......!」
「この......ゴシップ喰らいの糞野郎が!」
「じゃあお前はどうして傍聴席にいるんだよ!安全圏から裁判を楽しみたいからだろうが!人のことを言えないだろう!」
「おい、お嬢ちゃん大丈夫か!?しっかりしろ!クソッ、どうしてこうなるんだ.....!」
「マレショーセ・ファントムは何してる!?」
「もう裁判どころじゃないぞ!」
これはなんだ?
これが正義の国?
正義って何だ。
「おい君!君だけでも此処を出るんだっ!もう秩序は崩れた、じきに暴力の温床に......お嬢さん?」
どうしてだろう
世界の音が聞こえない
この場には私と、項垂れるシグウィンしかいないように感じる
重くなったシグウィンの身体を抱きしめて、語りかける
かつて
「シグウィン......私ね、カロレに人間と仲良くするための方法について聞かれた時に、『誠実さが大事』だなんて事を言ったんだ。馬鹿みたいな言葉だけど、あの時は本当にそう思っていたの。」
「でもそれは間違っていた。」
「だって、私たちが正義や誠実さを以て接しても、奴らはケダモノだから、構わず私たちの喉笛を搔っ切ろうとしてくる。」
「カロレや、貴女のようなメリュジーヌを殺すために躍起になっている。」
「保守派の連中だけじゃない。」
「この国には利己や大衆的な悦楽を目的とする人間がたくさんいる。」
「強大な力を持つフリーナやヌヴィレットはとっても良い人達だけど、それに守られる人間たちはどす黒い悪意に染まっている。」
「私も同じなの。」
「表では良い顔をして、腹の底では自分の命と身内の利益ばかりを優先している。」
「同じ血を分けた筈の家族でさえ、私は本心から愛せたことがない。」
「愛おしいと思いつつ、どこか疎外感を感じてた。」
「勝手に恐がって逃げ出して、傷付いて、かつて人だったものを勝手に口にして.....多くの人間を殺した。」
「そして今度は、カロレという友人を守れずに失った。」
「シグウィン......貴女という親友までも。」
「貴女は私に花の名前を教えてくれたよね。ローズって名前、あの時は誤魔化したけれど、なんだかんだで嬉しかったの。病弱で気弱な私にとって、外で遊ぶ同年代の友人なんていなかったから、初めて誰かに愛称を付けてもらってとっても嬉しかったんだ。」
殺せッ
「この国で目覚めてから......いや、あの洞窟で肉を食って深淵を物理的に宿した時からずっと、私の中で誰かの声が叫んでいるの。」
殺せッ!
「私が誰かを殺さないと、また友達が殺されるかもしれない」
陛下の願いの成就と、我々の悲願の達成を!
天理の犬が俺たち人間を裁こうってか?
博士様!どうか助けてくださいぃ!
「スネージナヤにいる家族が殺されるかもしれない。テウセルたちが......トーニャが死んでしまうかもしれない。だから早く元の時代に戻らないといけない。」
「帰らなきゃならない......だけど、そのためには時間を操る彼女をその気にさせないといけない。」
「馬鹿みたいだよね。結局は神様なんかの力を借りないと、元居た時代にすら戻れないなんて。」
「最初は詰んだと思った。」
「私はただの人間―――神を説得するなんてこと出来るはずがない。」
「でも、一つだけ―――いい案を思いついたの。」
「今、私の中にいる
「異なる時代、異なる種族、異なる思想の異なる人たちが私に囁くのーーー敵を殺せって」
「でもそんな恐ろしいことしたくない」
「かつて犯した過ちを繰り返すなんて嫌だった」
「けれど今―――迷いは吹っ切れた」
「だって」
「コイツらは殺していいクズなんだから」
それから私はその劇場にいた人間の頸をできる限りいっぱい落とした。
◇
side-ヌヴィレット
眼の前の惨劇は何だ?
「うわぁぁ!?なんだよ、やばい奴が───化け物がいるぞぉ!!!」
「人が───夫の頭がぁ......お、オェェェェ!」
「いいから人を寄越せ!緊急事態なんだ───はぁ!?切り裂き魔かって?知るか!切り裂き魔でもここまで大胆にはやらないだろ!?」
なぜ傍聴席の人間たちが皆
なぜ―――なぜローズが人を殺している!?
「警備隊!」
「「───っは!」」
私の声に反応したのは辛うじて生き残った数名の警官たちで、すぐに私の方へと振り向いた。
「傍聴人とヴォートラン被告を保護して迅速に退避しろッ!」
未だかつてない程に張りつめた声を出したせいで喉が焼けそうだ。
「これは訓練でも演目でもない───非常時用マニュアルに沿って班を組み、指揮系統を維持しつつ劇場から後退しろ!」
私の怒号が劇場に響く中、それを飲み込むようにかつて聴衆だった者達の嘆きと慟哭ぬ波が押し寄せる。この地に訪れて
少女の肉体は漆黒の鎧に包まれており、その躯体をより大きく演出している。
───揺らめくマント
───黒々とした鎧
───独眼のマスク
どれも見たことがない異様な出で立ち。
これをどう称したらいい?
彼女の内に巣食っていたのは悪魔の類だったと言うのか。
「ヌヴィレット!」
「......ッ、ヴォートラン?」
「あれは彼女だ......ローズだ!魔物じゃあない!どうしてあんな姿になっているのかは分からないがっ」
「ああ、無論わかっているとも。」
「ヌヴィレットさん!ヴォートラン隊長!伏せてくださいッ!!!!」
「ッむ!?」
「うぉっ!?」
轟音と共に突風が吹き荒れる。
ステージの左右上部にある傍聴席は吹き飛び、その一方に居たヴォートランがホールの床に向かって落下している。咄嗟に彼の落下点に水のクッションを作って受け止めた。もう高所も安全じゃない。いや、そもそもこのホール内に安全な場所などないのだろう。
「......助かった、ヌヴィレット。」
「......気にするな、それよりも君が行くべきは要塞の中だ。少なくとも、ここを死地とするべきではない。」
「そうか、それは随分と厳しい判決だな。」
「私を恨むか?」
「まさか。アンタだって俺の意図を汲んだからこそ、俺に有罪を下したんだろ?むしろ感謝しているくらいだ。」
「───そうか」
「しかし、あの嬢ちゃんは一体何者なんだ?あの姿は......」
「それを知る者はこの場にはいないだろう。ここで考えても答えは出ない。」
彼との逡巡の会話で少し冷静になってきた。周囲には倒れ伏して血を流す民衆と、辛うじて生き残って混乱の最中にある民衆、そして特巡隊の面々。
敵は一人───突如として変容を遂げたローズ
味方は多数───劇場に待機していた特巡隊
数だけを見れば戦況はかなり有利だ。
しかし、その戦力差は瞬きを経るごとに縮まっていく。
既に治安部隊による事態の沈静化の処置が図られているが、経過は芳しくない。
「おい、あまり奴には近づくな!あのデカい剣は装甲でも防げん!」
「距離を取れッ!」
「無理だ!いくら歌劇場ホールが広くても、座席が邪魔であまり動き回れない!中途半端にちょこまかするより接近した方がマシだ!」
「だが、あの黒い霧はなんだ!?あれに近付けと言うのか!?」
「ぶった切られるよかマシだろ!エリナスよりは図体は小さい、榴弾で仕留めるぞッ!」
「榴弾だぁあ!?ただの傍聴裁判にそんなもん用意してねぇよ!?」
「それ、なら......いっそ今から調達しろッ!」
「無茶言え!?」
もはや指揮系統は死んだ。
この狭い屋内で突然民衆を殺し始めた
フォンテーヌの誇る精鋭たちを以てしても、自らを顧みない者の暴走を無傷で抑えるのは困難だろう。
この状態を予期していたにもかかわらず、これを防げなかったのは私の過ちだ。ヴォートランも同じ考えだったのだろう。幼子である筈の彼女が、その年端に似合わぬ程に巨大な憎悪と力を秘めていることを見抜いていた。
初めて彼女と会ったあの日、シグウィンの隣を歩く彼女の内側に何かが巣食っているのが分かった。あの時点で何か行動を起こすべきだったのだ。
この
「ふっ!」
水龍としての力で水の圧力を生み出し、ローズを拘束した。どのような屈強な生物も水という絶対的な存在の前には無力だ。一度それに捕らわれたのならば、脱出することは叶わない。
その筈......なのだが。
「『アアアアアァァァァッ!!!!』」
彼女は水の縄を易々と引きちぎってみせた。
「.....やはり、そう易々と拘束することは出来ないか。」
大きな剣を思い切り振りかぶり、腰を落として構えている。
狂乱に興じながら、大声で訳の分からない言葉を放っている。
「『ツァーリよ!どうして我々を見捨てたのですかぁ!?』」
「『クソッ!何が黄金だ!?ただの人でなしじゃないか!外界の力に溺れた愚か者だ!』」
「『か、怪物がやって来たぁ!俺たちの仲間を食いちぎって、切り裂いて......仕舞いにはごおごおと焚きつけやがった!』」
「なぁ、ヌヴィレット。俺の聞き間違いじゃなければ、あの娘の言っている事は随分と懐古的というか、何というか......ツァーリっていうのは既に逝去した辺境国の皇帝の名前だよな?なんだって彼女がその名前を叫んでいるんだ?」
「その問いに答えるにはスネージナヤ・パレス秘蔵の歴史書を借用する必要があるだろう。それと彼女の出自の調査も必要だ。」
「へぇ、まさか噂の女王様と知り合いなのか?」
「いいや、面識はない。」
「だろうな。まぁ知ってたが───くるぞッ!」
ヴォートランの掛け声とほぼ同時に刃が飛来し、床を切り裂いた。
頑健な造りの筈の床の破片が四散する。
「───ここは私が請け負う。」
「は?」
「彼女はまともな人間ではとても太刀打ち出来ない......このままではフォンテーヌ廷の住民を皆殺しにされてしまうだろう。それは絶対に避けねばならない。」
「おい待て、だからと言って彼女をヌヴィレット一人で迎え撃つってのはおかしいだろう。せめて応援を待て。」
「いいや、これが最善だ。」
「何を......あ、おい待てッ!?」
ヴォートランの静止を振り切ってローズの元へと突っ込む。
血の香りが鼻の奥を突く。
「───っ、ローズ!聞こえるか、私だ!ヌヴィレットだ!」
「『ママぁ、痛い......痛いよぉ!』」
「何を言って......」
「『アグラヤ、どうして分からない!?人間との逢瀬を遂げた所で待っているのは破滅の峠だということを!何故戻らないんだ!?』」
「私のことが分かるか、私は───」
「『───ああ、死の執政だ!俺たちは全員終わり......ここで壮絶な死を迎えるんだッ!』」
「『兄さん、お願い還って来て!そんな不気味な力に負けないでっ!』」
「もう、声すら届かないのか───?」
ローズは支離滅裂な言動を撒き散らしながら客席の人間を鏖殺している。元素龍の力で肉体を押さえつけられているというのに、その内から溢れ出る謎のエネルギーは形を成し、刃となって踊り続ける。
乱舞。
人の血肉が散る、踊るように散っている。
悲鳴が轟く。
化け物が躍るたびに地獄の園が拡がっていく。
まるで血のじょうろで水やりをするように。
あまりに凄惨な光景を見てしまい、自ずと己の最高審判官としての役割と実行するために動きだしていた。水の槍を天井に吊るし、一気にローズへと降らせる。まるで銃弾が鉄鋼を砕いたかのような轟音が鳴る。床に敷かれたカーペットが紙吹雪の如く宙に舞い、木目が露わになった破片が四散していく。
ローズ───と思われる怪物はけたたましい慟哭を齎しながら進軍を始めた。彼女は何故か私とヴォートランを無視して
「『帰りたい......兄さん、お母さん、お父さん......みんなぁ。』」
「何故私たちを無視している?どこに行くつもりだ......いや、まさか!?」
彼女の視線の先、そこにあるのはより多くの命。
「フォンテーヌ本廷の方に向かうつもりか!?」
それだけは絶対に阻止せねばならない。
これ以上、無垢の民を殺させるわけにはいかない。
君は───
「君は───ここで止める」
「『トーニャ、テウセル、兄さん、みんな......許してください。ごめんなさい。危険に晒してごめんなさい。人を殺してごめんなさい。ごめんなさいごめんなさい。』」
◇
───事案発生から数分後、フォンテーヌ廷にて
フォンテーヌ本廷は混乱の最中にあった。
歌劇場で誕生した化け物が街に迫っているという一報が入って数分が経過していた。治安部隊による避難誘導が急ぎ行われたのだが、中途半端に情報を受け取った民衆が大人しく誘導に従う筈もなかった。
「落ち着いて避難してくださいッ!」
「どけよッ!?ちんたら歩いていたら死んじまうよ!」
「押さないで!お願いですから走らないで!ゆっくりならみんな間に合いますから!」
「クソッ、こういう時にヴォートランが居れば......」
「被告様のことを言っても仕方ないだろ、今は私たちでやるしかないんだ!」
「ママぁ......どこぉ!恐いよぉ!」
逃げ惑う人々の足音と声があちこちで鳴っている。秩序や統制は崩れ、残ったのは人間としての生存本能のみ。発達した文明を確立しつつあったフォンテーヌという国にしてはあまりに皮肉な状態だろう。
街のカフェカウンターには誰もいない。
もはや茶を嗜む余裕などない。これから訪れる断罪の時を恐れて走ることしか出来ない。
早馬によって伝えられた情報は「本廷から見ておよそ北東方向より、魔獣の大群が襲来する」という者だった。部隊は即席の班を作り、すぐに住民の避難援助に取り掛かった。まぁ尤も、誰一人事態を正しく把握できている者はいないのだが。
「ああもう、なんだって歌劇場から魔物の大群が来るんだよ!?ていうか、なんの魔物だよ!?まさかエリナスの生まれ変わりでも来てるっていうのか!?」
「エリナスなわけないでしょ!今、歌劇場は隊長の裁判が執り行われてる......ヌヴィレット裁判官がいるあの場所でエリナスが再来したとしても、食い止められない筈がない。こうして避難指示が出たってことは───それはつまり、彼でも抑えられないナニカがいるってことだよ!」
「じゃあ、どうしろって言うんだ!?」
「いいから避難誘導を続けるの!ここでうだうだ考えたって答えは出ないッ!」
治安部隊も混乱している。
突如発令された避難勧告の真意を探る者、それを諫める者、ただ従う者―――様々だ。
―――轟音
「待て、なんだ。なんの音だ?」
「あぁ?なに言って......」
「だって、何かデカい地響きみたいな」
―――轟音
「いや、気のせいだろ。こんなにもドタバタ民衆が行き来していれば、そりゃ地面も揺れるって」
「そうか......?でも確かに......」
―――轟音
「......いや、なんか―――近づいてきて」
グアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!
ソニー
フラウ
以上2名───瓦礫の下敷きになったことによる圧死
フランチェスコ
アン
ゴッツィ
マントヴァーニ
以上4名───対象の前腕尺骨部より突出した刃腕に接触し、重度の臓器損傷により出血死
ビリー
ジョルノ
カナレット
以上3名───対象の周囲に常駐していた紫黒色の濃霧に接触、体組織の腐敗により即死
◇
アァァァァァァァァ!!!
「ぐくッ......これほどとは!」
水龍と
余波が街並の隙間を泳いで石灰道の瓦を剥いでいく。もし道に人間がいれば、それもまとめて吹き飛ばす。血が家の外壁を塗装する。この街は突如として魔神戦争の再現をする舞台となったのだ。
ローズが纏う魔王武装の外殻は更なる歪な進化を遂げている。独眼のマスクの上部から生えている蒼角はより鋭利に成長し、胴体を覆う鎧は頑健になっている。
「『カロレ!シグウィン!やだ、やだぁぁぁぁぁ!!!!!!置いてかないでぇ!』」
「『人間なんてみんなクソくらえ』」
「『散兵が―――彼がなんでここにいるのっ』」
「『人間なんてみんなクソくらえ』」
「『肉が、ヒルチャールの肉が......脂がぁ、ああ!』」
「自我すら保てていないのか......っ!?」
ヌヴィレットの問いに答える者はいない。
「『ダインスレイヴ様、執政が......あの黒い死神が』」
「『陛下はもう死んだんだ、私たちはあの女皇に平伏する他ないんだよ』」
「これ以上の被害は看過できん、岩肌の枕で申し訳ないが───少し眠ってもらおう。」
既に
彼女の鎧にヒビが入る。
「『ああぁ!痛い痛い痛い!───痛い!!!!』」
「何っ!?」
瓦礫の塊を刃で斬った!?
「石造りの瓦礫を紙のように、こうも易々と......!?」
物理的な抑制は尽く意味を為さないらしい。
「....
水元素を高圧力で凝縮させて線状に放つ。
水とは思えないような軋轢音が空気を裂きながらローズへと飛来し、やがて彼女の鎧を貫いた。
ァァァァァァァァ!!?
苦悶の慟哭が街に轟く。
聞いたものを震え上がらせるだけの十分な迫力を伴うそれは、彼女が痛手を負ったことを示していた。痛みのあまり辺りの建物を闇雲に破壊していく。怪獣という言葉すら生温い、彼女という魔物は既に理性を手放している。
ヌヴィレットはようやく活路を見出した。
恐らく迫撃砲や榴弾程度の爆撃では傷一つすら付かない頑健な鎧でも、水龍の力であれば砕くことはできるようだ。
「やはりその黒い鎧は即席か......君自身、戦いに慣れていないのだろう!?中途半端な鎧の形成に力を割いていては私を
「『ああ、あああ......痛い、痛いよぉお母さん!』」
「───私は、君の母君ではないっ!」
この広い世界では、元素力を操れるかどうかがその者を賢者たらしめるかを決めると言っても過言ではない。常人はその王台に乗る権利すら持たない。多くの者は何もできずに散るしかない。しかしヌヴィレットは違う。
勝機を見出したヌヴィレットは水の発破陣を空中にいくつも展開し、まるで砲撃の雨のような時雨をローズへと食らわせた。
「いい加減、ここで止まれ......ッ!」
「『ヌヴィレット......ヌヴィレットォォォォォッ!!!!』」
「ふっ!」
「『が っ 』」
再び水砲が彼女を貫通した。
呻くごとに鎧がフケのようにパラパラと焦げ落ちていく。
「顔の鎧が......独眼のマスクが割れた!」
黒い霧の隙間からローズの顔が見える。
もう鎧を纏う力もないようだ。
このまま削り切る!
再び水砲門を彼女へと向ける。
半狂乱に陥るローズを抑えるなら今しかない。
この好機を逃せば次にいつ隙を見出せるかわからない。
「これで最後だ」
「『お、アアア......オア、』」
「心配は無用だ。胴体は残すよう善処する.....もういい加減に眠ってくれたまえ。」
弱っているローズにとどめを刺すべくヌヴィレットが構えると同時、彼女が大きく口を開けて天を仰いだ。見ると、彼女の周囲に漂っていた黒い濃霧が街のあちこちに離散し始めていた。街路樹を枯らしながら人々の合間を縫って進み、それらは瓦礫の山を包み込んだ。
「瓦礫を集めている?」
それこそ、ヌヴィレットが先ほど瓦礫の山を拾い上げたように、ローズもまた街の瓦礫を掻き集め始めたのだ。
「まさか、先ほどの私の真似のつもりか?しかし、今更そのような悪足掻きなど意味を為さない。」
「おい、ヌヴィレット!!!!」
「っ......ヴォートラン?」
ヌヴィレットの眼下からヴォートランが見える。頭から血を流している当たり、彼も戦いの余波で飛び散った瓦礫の破片を受けたらしい。彼は自身の怪我を全く意に介していないようだが。
彼はヌヴィレットの頭上を指差して何かを叫んでいた。
「ヌヴィレット、
「何......、っ!?」
フォンテーヌ廷の遥か上空に瓦礫の集合体が浮かんでいた。
それはヌヴィレットとローズがいる地点よりも更に高度の上空にて滞空している。
雨雲をも貫いているそれは、恐らく"釘"のように見える。
作りは無骨で、それゆえにそれが殺戮を目的にしていることは明白であった。その無骨で巨大な釘はローズの手によって造られものだ。即席ゆえにお粗末な作りだが、一つの街を物理的に潰すには十分すぎるサイズだった。
「おいおいおいおい、待て待て待て待ってくれ!?冗談じゃあないぞ!あんなデカブツを降らされたら......フォンテーヌ廷が潰されてしまうっ!」
「ヴォートラン隊長!?どうしてここにいるんですか、逃げてください!」
「何を言っている!人のことを言っている場合か!?総員ここから退避しろっ!?潰されるぞ!!」
辛うじて残っていた隊員たちがヴォートランの生存に歓喜すると同時に避難を促すが、間に合わないだろう。
街は再び混乱に陥るしかない。
ヌヴィレットは静かにローズを見た。
黒い鎧のほとんどは既に剥がれ落ち、独眼のマスクは半壊して幼くも整った清廉な顔立ちが見えた。虚な瞳孔は何も写していない。
「その殺意も君のものか?それとも、先ほどから叫んでいる
「『......』」
「答えない、か」
手を翳す。
水門を全てローズへ向ける。
「これ以上の殺戮は看過できない......最高審判官としての最高権限をここに行使し、君をここで処断する。職務執行法に基づいて武力を本格活用する───君はもう休んだ方がいい。」
そこまで
突如、魔王と天の巨大な釘が消えた。
◇
「......消えた?」
天から降り注ごうとしていた
黒い霧も、彼女から剥がれ落ちた黒い鎧の破片も、何もかも消えた。
ヌヴィレットは目の前で起きた消失マジックに言葉を失ったまま、静かに地上へ降り立った。ヴォートランが焦った様子で走ってくるのが見える。勲章がボロボロになっているようだが、彼の顔つきは未だ鋭いままであった。
「ヌヴィレット!なんださっきの瓦礫の釘は!?いや、というかローズは一体どこに───」
「消えた」
「え?」
「目の前で消えた。聞き覚えのない声がした直後、跡形もなく消失した。」
「な、なんだそれは。意味がわからない。」
ヌヴィレットとて同じ気持ちだった。
「衛生兵を伴った救護班を作成してくれ、可及的速やかに。」
「は?まさか、この状況でまともに隊が機能すると───」
「させるのだ。これ以上の犠牲は看過できない。」
「......了解した。生き残りを集めて作業に入る。」
呆然とする脳内で儚げな少女がシグウィンやフリーナと笑い合っている光景を浮かべる。
そのあと、目の前に広がる地獄を見た。
鉄臭い赤色の液体の海
住民が瓦礫に押しつぶされて死んでいる
治安部隊
無差別な殺戮、鏖殺の具現
魔物の大群であってもここまで悲惨に殺しはしないだろう
「私は......止められなかった、のか?」
無力だ
あまりに無力だ
「すまないカロレ、すまない......すまない」
フォンテーヌ廷に大雨が降り始めた
「すまない」
◇
side- ヌヴィレット
あれから何日経った?
「あら、ヌヴィレットさん」
「体調はどうだ、シグウィン。」
私はどうすればいい?
「もう大丈夫、おかげさまですっかり良くなったわ。まだちょっとクラクラするけれど......」
「あまり無理はしないでくれ。何かあったら私がローズに叱られてしまう。」
シグウィンにローズのことをどう伝えればいい?
「うふふ、あの
「......それは、」
「頭を打ってしまったから、直近の記憶を覚えていないのだけれど、あの娘と傍聴席にいたのは覚えているのよ......はぁ、あの
もう会えないという事実をどう言うべきだ?
これ以上の残酷さを彼女に強いるのか?
「───もう少ししたら会えるだろう。」
「え、本当!?」
「ああ、きっと会える。私が呼び戻して見せるとも。絶対にッ......私が。」
「ヌヴィレットさん......?」
私は、嘘を吐いた
もし真実に神という存在がいるのなら、私は虚偽を垂らした罪によって裁かれるだろう
その日が来るまで、せめて友人である彼女らが再会を果たすくらいのことはしなければならない
フォンテーヌを襲った一連の事件はヌヴィレットの奮闘により終結したが、その被害は甚大なものとなった
フォンテーヌ本廷の家屋の一切は全壊
住民の三割が死亡
救助活動にあたった警備隊の半数が死亡(遺体の大半は身元判定が不能な程に損壊していた)
最高審判官であるヌヴィレットの命により、当事案の首謀者である少女はテイワット全土において指名手配された
指名人の名はローズ
暮れ色の美しい髪を携えた人殺しの少女
出自は不明
罪状は『人命の殺害』と、『国家転覆』並びに『内乱罪の疑い』
なお───彼女の行方は四百年もの月日を経た現在でも分かっていない
もう少しで稲妻終わり───のはずです
あといつもご愛読、誤字報告などありがとうございます
(誤字方向が早すぎて私が追いつけていないという・・・)