冒険者稼業
◇
side-エレーナ
雷神の凶人を免れたエレーナは柔らかい芝生の上に叩きつけられる。
久方ぶりに嗅ぐミントの独特な香りが鼻を刺激する。
そこらに点在するたんぽぽから出る種毛たちは爽やかな風に乗って天空の城の遥か下方で見えなくなる。壮大で爽快な自然の楽園、それがモンドという場所だ。
まぁ、今はその自然のありがたみに浸る余裕はないのだが......
「───ゲホッ!ゲホッ.....あい.....かわず、転移が雑!」
「おいおい。窮地を助けてやった友人になんて口の聞き方だよ、エレーナ。」
稲妻で再び雷神と接敵したエレーナは、突如として現れた謎の男「淵上」によって命を救われた。彼は「アビスの使徒」と起源を同じくするものであり、エレーナと同じように
転移は座標を目印に行う。
それゆえに、稲妻に行ったことのない私にとって、島国に侵入するには「既に稲妻に行ったことのある人物」の協力が不可欠だ。そこで白羽の矢を立てた先がこの男、淵上だった。
稲妻に入る時も彼の協力を......あ!そうだ、思い出した!
「そういえば、なんで転移先の座標を鎮守の森の奥深くにしたんですか?おかげで余計な手間を取らされたんですが。」
「いや、どこもかしこも魔物やファデュイでうじゃうじゃしてたんだぜ?むしろ安全な場所はあそこくらいしかなかったのさ。それに、おかげで神里家の令嬢と親しくなれただろ?一石二鳥ってやつだ」
「......こんのクソ眼鏡」
「ああ!?おま、なんてこと言うんだ!?前から思ってはいたが、お前って相当口が悪いよな!そんなんじゃ友達できないぞ!」
やっぱりコイツ殺そうかな。
もうほとんどアビスの使徒みたいなモンだし、痛め付けてもどうせ再生するでしょ。
「......はぁ。やっぱりあなたじゃなくて
「いや、アイツは堅物すぎるだろ。それに既に例の旅人と敵対してる。お前とアイツが一緒にいる所を見たらもっと面倒なことになるぞ?」
恐らく淵上は根本的な勘違いをしている。
「いや、そもそも私と師匠も敵対してますよ」
「───あ?なんだって?」
「師匠───私はアビスの使徒である彼に剣の扱い方を学びましたが、それと思想はまた別の問題です。それにあの時は元の時代に戻ったばかりだったし、胡桃と出会う前だったから余裕がなくて......半ば無理を言って指南してもらったんです。だからそもそも味方とかじゃありません」
私と師匠の関係を知った淵上はガシガシと自らの後頭部を掻いて困ったような顔をしている。趣味の悪い眼鏡がその滑稽さを際立たせていた。まるで「仕方ねぇなぁ」とでも言わんばかりである。
「お前、本当に無茶苦茶ワクワクする人生を歩んでるよなぁ.......命がいくつあっても足りねぇよ」
「変わってあげましょうか?ほら、双剣も差し上げ......」
「オーケー、今の話は無しだ。俺には神様とサシで戦う力も、命を投げ出す度胸もないんでな。」
「そうですか、それは残念です」
この男は得体の知れない出自の割にはどこか憎めない性格をしており、後々に旅人たちの知人となるのだが、それはまた後の話だ。
彼と話しながら双剣の刃こぼれを確認する───うん、問題ない。
愛剣を納めて辺りを観察する。
見渡す限り森、森、森───緑が多い茂る森にしか見えない。人の気配なんて毛ほどもないこの場所なら大ぴらに話ができる。やはり淵上は場所選びが上手い。そう考えると余計に稲妻での転移が憎たらしく思えてきた。
いや、また暴走しても意味がない。
何より疲れている───少しでも身体を労ってあげたい。
鳥たちの囀りに癒されつつ傍にあった滝壺の水で喉を潤す。
澄んだ水が内臓に染み渡っていく。
「ぷはっ.......久しぶりに綺麗な水を飲めた気がする.......で、ここは具体的にはどこなんですか?」
「ん?」
「モンドには深い森がたくさんある。この場所がその内のどの森かは結構重要なことなんです」
「ああ、そういう........ここは"囁きの森"だ。」
「つまり、私たちは今、モンド城のすぐそばにいるわけですか?」
「おお、よく地形をわかってるじゃないか。当たりだ!」
浴衣を着た淵上が雑草を踏みしめながらエレーナの方へ寄ってきた。
見下すかのように口角を吊り上げている顔が憎たらしい。
「お前はファデュイの執行官をこれでもかってくらい嫌がってるからな。今のテイワットの中でファデュイの執行官がいない国なんてモンドくらいだろ?だからここに......人気の少ない森を選んで飛ばしたわけだ。」
「じゃあ、あえてモンド城が近い森を選んだ理由は?」
「あのな......そもそも人目を避けるのが目的だろ?深い森の奥地に行こうとするあまり、闇夜の英雄がいる館やヒルチャールの住処に近づいたら元も子もないだろ?だから、多少は城に近くとも人気の少ない場所に転移したってわけだ。どうだ、頭いいだろ?」
頭の悪い回答に辟易する。
しかし、この滑稽さが今はありがたい。
そういえば、胡桃と別れてからは全く心の休まる時間がなかったな。
この男は愚かだけれど、馬鹿じゃない......今なら、普段から私を気遣ってくれていたのが分かる。
「......ありがとうございます」
「え、お前今お礼を言ったのか?」
「本当に失礼ですね。最近、ちょっと自分自身の振る舞いについて考える機会があっただけです。私だってお礼くらい言いますよ」
「そうか?」
一先ず窮地を脱出できたことに安堵しつつ、これからのことを考える。
自分はこれから世界の歴史を改竄し、人々の死を無かったことにする。それが自分に許された贖罪を果たす方法だ───そのためには先ず、準備を整える必要がある。
世界樹が根を張っているであろうスメールで潜伏するために、携行可能な食料を調達し、武器を研いでおく必要があるのだ。
そのためには金がいる。
しばらくはサボっていた冒険者稼業に身を費やすしか選択肢はない。憎きファデュイの執行官の息がかかった「冒険者協会」という名の魔の巣窟を思い出して吐き気を催す。ああ、あんな場所はできるなら赴きたくないのだけれど、テイワットで合法的に傭兵仕事で金を稼ぐのなら冒険者として生計を立てるのが盤石だ。実際、異邦人である旅人もそのようにしていた。
ここから一番近い冒険者協会の支部はモンド城下にある。
否が応でもモンドの街に入ることになる───ああ、憂鬱だ。
一度は旅人とダインスレイヴの接触を確かめるためだけに入ったが、あの時は屋根裏などの目立たない場所から観察していただけだった。でも今度は人前に出てキャサリンから依頼を引き受ける必要がある。
久しぶりの苛烈で陰鬱な日常に戻った気分だった。
沈む気分を無視して立ち上がる。
尻についた草と土を振り払い、腰の双剣をしっかりと固定する。
出立の気配を感じ取った淵上が「行くのか?」と聞きながら私の背中を見つめている。
「ええ......ここでお別れです」
「それは『またね』って意味か?それとも───『永遠の離別』か?」
「さあ?解釈はお好きなように。」
「そうかよ」
それ以上、彼は何も言わなかった。
私がこれから何をしようとしているのかを察している様子だった。
苦しい。
私はこれから同じ思いを何度も味わうことになるのだろう。
それにしても、この男との別れに感傷的になる日が来るなんて思いもしなかったが。
そういえば、師匠にはもう何年も会っていない。
少なくとも、胡桃と出会ってからは一度も。
師匠は、彼はどうしているのかな。
彼はやけに熱心な信奉者だから自ら危ないことに首を突っ込みたがる......個人的には彼には生きていてほしい。私にとって胡桃やシグウィンが親友なら、あの人は親みたいなものだ。スネージナヤでは享受できなかった温もりを教えてくれたんだ。
まぁ、やってることが過激だし、誰かの恨みを買ってもおかしくないような人だから、彼が私の師匠であるということはあんまり大ぴらには言えないけれども。
彼はゲームの中ではなんて表記されていたっけ。
ああ、そうだ、「アビスの使徒・激流」とかなんとか......そんな感じの名前だった気がする。
大層な名前だ。
中身はただの素朴で一途で、ちょっと生きすぎただけの普通の人間なのに。
◇
この日、私はモンドの冒険者教会を訪れていた。
気候は快晴。
淵上という名のうるさい男から離れられて気分はまずまずといった所だ。
「鹿狩り」で朝食を済ませたあと、いつものように双剣の手入れを行った。さっきも刃の調子を見たばかりだが、こういうのは何度見てもいい。メンテナンスを怠って土壇場で武器を失うよりは遥かにマシだろう。
「よし。」
刃こぼれはない。
敵の血を吸い続けた双剣の刃は今でも現役だ───大丈夫、依頼は問題なくこなせるだろう。
欠伸を噛み殺しつつ、今日の依頼を確認するべくキャサリンに声をかける。
「おはようございますキャサリン。何かいい依頼はありますか?」
「え!?こ、
キャサリンはエレーナを奇妙な呼び名で呼ぶ。
私が名を明かさずに活動しているため、役職で呼ぶしかないらしいが......正直もっとマシな呼び方があると思う。
それにこの呼び方は「リンネア顧問」と被るから紛らわしい。勘弁してほしいものだ。
「お久しぶりですキャサリン。あとその呼び方は辞めてくださいって前から言ってますよね。」
「今までどこに行っておられたんですか!?いきなり来なくなったから心配していたんですよ!?」
「はぁ......ちょっと家内のゴタゴタに巻き込まれていただけですよ、大袈裟な。」
青緑色のドレスがよく似合っている彼女は華のような笑顔を向けてくれた。
キャサリンのような可愛らしい乙女が笑みを浮かべてくれることで救われる冒険者たちは多いだろう、エレーナもその例に漏れない───彼女が『傀儡』の手によって作られた人形でなければの話だが。
かつてファデュイの執行官について調べ尽くしていた時、第七位である『傀儡』と、彼女によって作られた人形たちの真実を知ることになった。旅人たちがそのことを知るのはスメールシティに赴いてからしばらく経ってからになるのだが、私はそれよりも更に深い真相を知ったのだ。
キャサリンは『傀儡』によって作られた機械人間であり、キャサリンを通して『傀儡』自身もその世界を覗き見ることが出来るらしい。
まあもっとも、この話は『傀儡』以外の執行官の手下たちが吐いた不確定な情報だから信じるには値しないが、命の瀬戸際で吐いた情報に価値があるのも事実だ。それ以来エレーナは冒険者協会には顔を出さなくなっていた。
もし自分の素性がキャサリンに割れて仕舞えば、またファデュイの手が伸びてくるかも知れないと思うと気が気がじゃ無かったからだ。
「依頼を探していますので見繕ってくださると嬉しいです。」
「え、急にいらっしゃったと思ったら、急に依頼の話ですか!?」
「もちろん───ああ、迷子の猫探しは当分ごめんですよ」
「ああもう!色々言いたいことはありますが───分かりました!確認しますので少々お待ちください!逃げないでくださいよ
「ええ、お願いします───だからその呼び方やめてくれないかな.......て、もういないし。」
エレーナはうんざりしながら依頼書が来るのを待つことにした。
フードの下から周囲を警戒し続ける。
今の所ファデュイの追手はいない。
「───できれば楽な依頼がいいな」
神や執行官といった強敵ばかりと戦っていたからか、彼女の肉体は限界を迎えていた。
しかし金がない以上働かなければならない。
こうしてキャサリンの元へ足を運んだのも何か手頃な依頼を受けるためだ。
「次はスメールで『散兵』を尾行して世界樹に潜り込まなきゃだけど、旅人がスメールに行くまでは自由行動だし、今の内に小遣いを稼いでおかないとね。まぁどうせすぐ必要じゃなくなるけど」
叶うのであれば、手頃で割りの良い依頼を所望したいと考えているのだが、とはいえ、冒険者である以上は依頼の選り好みは期待できない。
結局はキャサリンが持ってきた依頼をこなす他ないのだろう。
彼女が確認してくれている間は手持ち無沙汰になるので、冒険者手帳を開いて時間を潰す。
栞を挟んでいた頁を開く。
そこには、
しばらく待っていると、キャサリンが気まずそうな顔で依頼書の束を持って帰ってきた。
───なんだか嫌な予感がする。
すぐにでもここから去ったほうがいい気がするのだ。
「帰ろかな.......」
「顧問!折いってお願いがあるのですが.......」
「───はぁ、言ってみてください。」
「あ、ありがとうございます!」
それ見たことか。
こういう時の予感ほどよく当たるものだ。
「ドラゴンスパインの特別討伐任務に当たったパーティーが帰還しておらず、連絡も取れない状態が続いているんです。」
「援軍は?」
「それが......すでに応援を送ったもののその後誰も帰ってこず───恐らく、全滅しています」
「───リンネア顧問は?」
「彼女はちょうど別の任務のために別地へ遠征中でして......ついでにナド・クライにも寄ると仰っていたので当分は戻られません」
「なるほど。救助に行ける人がいない、と。」
ドラゴンスパインのような極地に臨めるSランクの冒険者は現状16名───いえ、例の旅人を加えると17名でしたか。
いずれにせよ、少ない人数だ。
今すぐに応援に行ける冒険者がいない、ということだろう。
「はい、そこでまた貴女様にお願いできないかと思ったのですが......いかがでしょうか?」
「いかがって、実質選択肢なしですよねこれ」
これは───どう足掻いても逃げられそうにない。
これ以上嫌がった所でキャサリンを困らせるだけだ。
彼女の人の良さそうな顔が困惑によって歪むのはなんだか罪悪感を感じてしまう。ローブの内ポケットから小型時計を取り出して時間を確認する───まだ日は上がったばかりだ、時間ならたくさんある。
どうせ他に手頃な依頼はない───この依頼は避けることは出来なさそうだ。
「報酬は?」
「へ?」
「ですから、ほうしゅ───」
「引き受けてくださるのですか!?さっすが顧問!!!」
厄介な依頼を引き受けてくれる人間が現れたことが嬉しかったのか、キャサリンは黄色い歓声をあげてエレーナの両手をブンブンと上下に振り回した。
あまりの喜び様に少し引いてしまう。どんだけ依頼の引き受け手に困っていたのだろうか。冒険者の中には荒くれ者も少なくない。たとえ冒険者教会の受付嬢相手であっても、乱暴を働こうとする輩は現れるものだ。
そんな環境で働いているのだから、厄介な依頼を引き受けてくれる人間が相対的に輝いて見えるのだろう。
「ちょ、うるさいですよ!?声が大きい!もう報酬などの細かい話は後でいいです!これ以上騒がれてもちょっと困りますし。」
「あ、コホン......申し訳ありません、つい。」
「はぁ───それで、肝心の内容ですが───そもそも彼らが受けていた依頼はどれですか?」
テイワットの地図が広げられる。
キャサリンはドラゴンスパインの右中央あたりを指差した。
「こちらです───ヒルチャール王を含む魔物の群衆が発生したので、これらの巣穴を特定してマッピングをするというものです」
は?
マッピング?
「討伐依頼ではないんですか?」
「はい。魔物が凶悪なのもありますが、そもそも吹雪が吹き荒れる山間での討伐ですから、行うのなら国を挙げての大討伐になります───当依頼はそのための準備作業となっております。しかし───」
「帰ってこれない現状を見るに、既にマッピングすら難しい程に魔物の数が増えている可能性がある。だからこそ
「───さすが。おっしゃる通りです」
要は依頼難度の見積もりをシクッたから、その尻ぬぐいかよ。
マッピング自体は失敗しているし、帰ってきた人間がいないところを見るに魔物の練度も相当だろう。
これはやり甲斐がありそうだ。
はっきり言うとめんどくさい依頼ってやつ。
「わかりました、すぐに向かいます。」
「本当に助かります顧問!ほんとう、どうお礼を言ったらいいのかッ───!」
「困った時はお互い様ですよ。強いて言うならそのふざけた呼び方を辞めてくれると嬉しいのですが?」
割と切実な願いを口にした。
これ以上目立つのはごめんなのだ。
「それはちょっと、難しいです......というか、そう仰るのなら
「う、それはちょっと」
「特例ということでライセンスもそのまま引き継げるようにしますから!」
「や、それはやだ......そうだ、偽名とかは?」
「いや真正面から偽名登録を打診しないでくださいよ......聞かれたら「ダメです」としか言わざるを得ないんです。どうかご理解ください。」
ダメか。
やっぱ組織に属するっていうのはめんどくさいな。
個々人は優秀で柔軟な思考を持っているのに、それが組織の一員となった瞬間に規則という鎖に縛られる。こうして偽名での登録すら許されないところを見るに、協会側がエレーナを注視しているのは明白だった。
まさか、既に『傀儡』は私を認識している───?
だから『
じゃあ、今こうしている間にも追手が───いやよそう。
今考えても意味がない。
ああでも、一度考え出したこの思考は脳の隅にへばりつき続けるのだろう。
本当に余計なストレスだ。
「っち、だから来たくなかったんだ、冒険者協会なんて。」
「い、今舌打ちしました?」
「気のせいです。気のせい気のせい。」
「......もう、そんなんだからお友達ができな」
「黙ってください」
クソ。
やっぱり誰しもシグウィンみたいに二つ目の名前を許容はしれくれないのか。
やっぱ嫌いだ冒険者協会なんて。
◇
依頼を引き受けてから数時間後、ようやくドラゴンスパインに到達した。
一言で言えば───奇妙な有様だった。
ドラゴンスパインの麓には誰もいなかった。
聞いていた話では、彼らは本隊と先遣隊の二手に別れたらしい。
先遣隊が先行して入山して敵の数や動向、縄張りの位置を再確認する。
その結果次第で作戦の遂行是非を全体で話し合い、作戦遂行が可能であるとされれば、今度は本隊が入山して魔物を掃討してベースキャンプを建て、そこから全体マッピングを行うという手筈だった。
つまり、本隊が出張っているであろう今、この場には先遣隊が残っていると思ったのだが───そこはもぬけの殻だった。
「もしかして全員で山に入ったというの......?それじゃ隊を分ける意味がないのに。」
もしそうなのだとしたらまずい。
それはあまりに無謀だ。
ドラゴンスパインの気温はスネージナヤにも劣らぬ極寒地帯だ。そして寒冷地という極限地帯では備えが重要だ。入山の前に防寒具と最低限の備蓄の確認をして、複数人で班を構成する。
それぞれが細かい役割を与えられ、細切れにタスクをこなして任務を達成する───それが
初めから全資源を投入して達成できるような依頼なら、そもそも冒険者教会が緊急依頼として張り出すに至らない。今回のように、手練れの冒険者の受諾を募っている時点で、力づくでは解決できないような問題があるのは明らかだ。
だから、今のように誰一人として残っていない拠点は奇妙だ。
「嫌な予感がする......!」
現地にいるであろう本隊への合流を急いだ。
猛烈な吹雪で前が見えない。
スネージナヤよりも凄まじい吹雪に慄く。
入山してからしばらくして、私は本隊と魔物が戦った現場に到着した。
「何これ───血だらけだ」
生きている人間は見当たらない。
そのくせ、ヒルチャールだけは無駄に跋扈している。
三十匹はいる。
「───誰かの声が聞こえる。まさか生き残りがっ!?」
吹雪の中から誰かの声が聞こえた気がしたので耳を澄ますと、確かに自分以外の肉声が鼓膜に届いた。聞き覚えのない声だったが、かなり大声で叫んでいることだけわかった。
まだ誰か戦っている。
「急ごう!」
◇
side-ベネット
俺の───俺の不幸体質のせいだ。
また人を巻き込んでしまった。
最初はちょっとした依頼だと思っていた。
お盛んなヒルチャールの群れの位置を把握するだけの仕事だったのに、いつの間にか仲間は全滅して、山中拠点も破壊された。もう打つ手なしだ。
「くそぉ!」
俺の目の前にはクソでかいヒルチャールがいる。
普通のサイズなんて目じゃないくらい大きい......コイツのせいでみんな殺された。
固い雪の鎧で全身を覆っていて全く刃が通らなかったし、図体の割に頭もキレる個体だ。
こんなのどうにも出来ない。
俺の体の震えが、寒さのせいなのか、それとも恐怖から来ているのか分からない。だが少なくとも、この化け物に立ち向かう余力がないのは確かだ。
でも、男には諦めちゃならない時がある......仲間を殺されてオズオズ帰れるわけがねぇ!!!
「うおおおおお─────」
「うるさいですよ。」
「───おあっ?」
誰かの声がした途端、俺の体が後ろに引っ張られた。
服の襟を掴まれているらしい。
声の主の方を振り返ると、そこにはフードで顔を隠した少女がいた。
「一旦離れて作戦を立てます」
彼女は冒険者教会が遣わした援軍だった。
◇
フードのせいで彼女の顔は見えなかったが、とても美しい顔立ちをしていることは見てとれた。まぁ、こんな状況下で下心なんて湧き起こらないから「ああ、綺麗だな」としか思わなかった。
それよりも目を引いたのは、彼女の腰に下げられた双剣だ。
鞘に収められたその剣は変わった形状をしていて、刀身が少し湾曲していた。業物には違いないだろうが、扱う人間も選ぶだろう。そんな武器を提げている彼女もまたかなりの強者であることは間違いなかった。
「はい、どうぞ。」
「携帯食......」
俺よりも幼いであろう少女が携帯食糧を投げてよこした。
俺はそれを齧らずに見ていた。
食欲なんて湧くはずもないからな。
でも、ここで食べ物を無碍にするのも違うだろ!
俺は助けてもらったんだ、それに報いるために気力を高めるんだ!
「───食べないんですか?」
「食べるさ!ありがとう!」
「そうですか」
少女は淡々としている。
血が通っていないのではと思うほどに冷静だ。
ここ数日もの間、極寒の環境に置かれていたベネットにとって、救助の手である少女は女神のように見えてもおかしくない筈だったが、少女はそれを許さぬほどの冷徹さを漂わせていた。
「話の続きですが───あなた以外はみんな死んだのでしょうか?」
「はは、いきなりだな───ああそうさ......みんな死んじまった。俺が不甲斐ないばかりにな。」
「なるほど」
少女はそれだけ言うと、興味を無くしたかのようにこれからの話をし始めた。
どうやって魔物を倒すかという作戦だったが、その内容は驚くべきものだった。
「これからの話ですが───まず、
「───なっ!?」
あの化け物をそのままにしておくつもりなのか!?
「何か文句でも?」
「.......仲間が!あのヒルチャールに殺されたんだ!それにあの化け物を野放しにしておいたら二次被害になる恐れがある!」
「二次被害ですか───では聞きますが、今まさに
「そ、れは───」
「私に課せられたのは
言い返せなかった。
俺たちは何もできずに敗北した、そんでもってこの少女に助けられた。
そんな状況下で俺が何か出来るわけもない───この少女に従う他ないのも分かっている。
それでもあの怪物をこのままにしておくのはダメだ。
結局最後まで何もできなかった俺に課された最後の責務だろう!
「でもよ!お願いだ!」
「でももだってもありません」
「───っ、」
「もう我儘を言える段階ではありません。───顧問の決定に従え、
「こ、顧問......?あんたは一体?」
少女はいつの間にか抜剣していた。
碧と蒼で彩られた宝石のような刀身が吹雪の中で輝いている。
───この
これほどの強者に、俺の望みを呑んでもらえるとは思えない。
でも───やっぱり仲間の無念を置いて行けない!
彼らの遺体だってまだ転がっている!
俺には彼らを故郷まで送り届ける責任があるんだ!!!
「頼む!!!!」
「......っ!」
「俺も微力ながら協力するから、どうかあの魔物を一緒に討伐してくれないか!?都合の良いことを言っている自覚はある!自業自得だってことも!でも、でも!俺は自分のケツも拭けない腑抜けにはなりたくない!あんたが......君が顧問だって言うのなら、その強さと思いをぜひ俺にも教えてもらいたいんだ!」
「思い.......
「当然だ!」
精一杯の眼力で少女に訴える。
我ながら情けないと思う。
こんな幼い冒険者に縋るなんざ......でも、それでもいいんだ!
俺は仲間のためなら何だってする!
吹雪が痛い!
目が凍りそうだ!
今、俺の眼球に水をかけたなら呆気なく割れてしまうだろう。
それほどまでに凍てつく風が俺を痛めつけてくる。
でも、そんなの関係ない。
ここで引いたら、俺はきっと一生後悔する!
「───最後の最後に、他者の死を悼む冒険者を見るハメになるなんて..........分かりました」
「え?」
い、今、なんて言ったんだ?
受け入れてくれたのか?
「依然として、最優先事項は
「!!た、戦ってくれるのか、一緒に!」
「人命優先ですよ」
「ああ!ああ!」
彼女は俺の我儘を受け入れてくれた。
少女は一見冷たいようで、どこか温かみのある人だった。
◇
少女の作戦はこうだ。
まず俺が囮になって魔物たちの気を引く。
吹雪で視界が悪いから、出来るだけ派手に騒ぐか魔物の面前に躍り出る必要があるが、今更怯えていられない。俺は思い切ってデカいヒルチャールの前に敢えて飛びむつもりだ。
で、次に───このヒルチャールを出来る限り山の奥地に誘い込む。
ヒルチャールの群れそのものから引き剥がし、且つ視界の悪い吹雪の中に孤立させる。
それから、神の目は使うなとも言われた。
彼女曰く、「こんな雪山で火なんて使ったら雪崩が起きるでしょう」とのことだった。
それはご尤もだと思ったし、なんなら他にも彼女は極寒地で注意すべきことを沢山教えてくれた。
「彼女は雪山出身なのか───いや、今はそんなことはどうでもいい。きっと彼女自身もそう言う筈だ!」
今は作戦に集中するんだ!
俺に任された役割は重要だが、どれも難度は低い。
意を決してかかればしくじることはないだろう。
問題は───全てが少女の手腕にかかっていることだ。
俺はただ「囮になって指定の位置まで誘導して」としか言われなかった。
「あとは自分が削るから」と。
しかし小さな女の子がデカい魔物相手に太刀打ちできるビジョンが見えない。
良くてなぶり殺し。
最悪の場合は肉薄できずに瞬殺されるのがオチだ。
「やばいぞ、なんか不安になってきた。そもそもあんなに小さな女の子が魔物と戦えるわけが......!」
不安を背負いながら
巨躯から覗く視線が矢のように体に突き刺さるのが分かった───鳥肌を抑えるのは不可能だった。
「───うっ、この........こっちだ!化け物!」
「グ....オオア」
ひたすら走る。
吹雪の中を行く。
目が痛い、足もだ。
止まっている余裕はない、走り続けろ!
少女が言っていたように、子分のヒルチャールがいない場所まで誘い込むんだ!
途端に何かが脚に当たる感触がした。
「.....うあ!?」
な、何が起きた!?
脚が、脚が熱い!!!!
凍りの破片が......俺の脚にぃ........
怖い、恐い!!
終わりか?
ここが最後なのか?
ここなのか、俺の終わりは。
俺によくしてくれた友人の顔が走馬灯によって浮かび上がる。
フィッシュル
モナ
バーバラ
ノエル
レザー
ごめん
すまない、すまない!!
俺は.......ここで──────
「グオオオオッ〜〜!!!」
「───ぅ!」
頭を抱えて蹲った。
無慈悲にもヒルチャール王の拳が迫り──────
その瞬間、少女が吹雪の中から飛び出してきた。
「グオオオオ!?...........アアアアアアアア!!!!」
ヒルチャールはすぐに少女に狙いを直して拳を振るう。
少女を砕かんと襲いかかる───だが。
「──────.......ッふん!」
「──は?」
魔物の拳が当たることはなかった。
少女は双剣を構えたまま身体を捻って回転した───アビスの使徒のように。
もっとも、ベネットはアビスの使徒のことなど知らない。
ゆえに、少女が得体の知れない技を繰り出したようにしか見えていない。
ザリザリザリザリザリザリッ!!
刃を付けた人間車輪となった彼女は魔物の腕を切り裂きながら進撃していく。
一瞬のうちに敵の目の前に躍り出る。
「───っ!!!」
大きく踏み込んで魔物の顔面に肉薄する。
双剣を素早く納刀し、いつの間にか拾っていた二本のダガーに持ち替えて───
「.......ぉらあ!!」
ギチュッ
「グォォォ!?」
ダガーは眼球の内側へと侵入して、肉壁と繊細な硝子体を粉々にしていく。
透明なガラスのような何かが宙を舞う。
「まずは、
一瞬の出来事だった。
何事もなかったかのように平気な顔でズボッと腕を引っこ抜く。
ダガーは敢えて眼球内部に残した───目の回復を許さないためだ。
瞳孔と肉の隙間から漏れ出た房水が彼女の腕を汚した。石油にも劣らぬベタつきは一端の戦士ですら顔を歪ませるほどの不快感を催すものだが、少女はそれすら意に介さない。
「次は
腰のホルダーに収められた双剣を手に取って抜刀した少女は、目にも止まらぬ速さで跳躍した。ヒルチャール王の耳に風を切るような音が届いた頃には、既に彼の耳は存在しなかった。少女が左耳を削いだのだ。
ザンッ!!
すぐに木を足蹴にしてさらに跳躍───残った右耳も削いでしまった。
獲物となったヒルチャール王は痛みに悶えることしかできない。
「グ.......アアッ!?」
「うるさい」
視覚と聴覚を奪った。
あとは削るだけだ。
間髪入れずに斬撃を見舞う。
斬撃を入れた部位の体表面に断流の紋様が付着する。
ヒルチャール王はまだ痛みに悶えている。
エレーナは構わず斬撃を見舞い続けた。
「ウオ......アアアアアッ!?」
魔物は呻き、前方を掻き分けるように右腕を振り回している。
少女は魔物の腕を紙一重で交わしながら筋肉を削いでいく。
腕橈骨筋から上腕三頭筋にかけて刃を沿わせる。
やがて肩の付け根まで到達した所で思い切り剣を振り抜いた。筋肉が断裂する音と共に魔物の右腕がだらりと落ちる。
「
どれだけ屈強な肉体であろうとも、こうして中の筋肉を削いでしまえばまともに動かせなくなる。非常に簡単だ。
体が大きいから動きも鈍くて大振りだ───狙いを定めやすくて助かる───少女は内心で感謝していた。
「グォアアアアアアッ!!」
「
とぐろの様に斬撃を描いてヒルチャールを削ぐ。
身体のあちこちから出血し、足元の雪を赤く染めている。体を硬い岩で覆っている様だが関係ない。生き物として動いている以上、関節の繋ぎ目は防御できないだろうから、少女もその継ぎ目をピンポイントで斬っているのだ。
「.......っぁい!」
「───グオオ、アアア!?」
足の腱を切った。
あんなデカいヒルチャールの足元を彷徨いたら踏み潰されるに決まっているのに、少女は臆さず奴の足元に寄ってその腱を削いで見せた。
ヒルチャール王がバランスを崩して尻餅を付く。
少女はその隙を逃さず、続けて斬撃を見舞う。
「疾すぎる......これがSランクの冒険者の実力なのか?」
狂乱の如き疾さ。
まさに疾風怒濤。
魔物が反撃する隙もない。
固い氷の表皮で覆われている魔物の体表をいとも簡単にスライスしている。林檎の皮のようにペラペラになった肉たちが雪のカーペットに敷き詰められていき、体勢を立て直そうとする魔物の足元を掬う。
対する少女は常に魔物の上や斜め前方から飛びかかるように斬りかかっているため、地面の肉に足を取られることはない。
敵の身体はみるみる細くなっていく。
剛健だった肉体は、今や筋繊維をスライスされたせいで
ふと、何かが砕け散る音がした。
「───え?」
ヒルチャール王は首の後ろから大量の血飛沫と白い石(恐らくは骨)を撒き散らしながら脱力している。
明らかに絶命している。
「.........マジか。」
本当にただの
神の目も使わずに、あんなにデカい魔物を殺し切った。
ヒルチャール王はその場に平伏していた。
腕はだらんと放られて力を失っており、潰された両目から滴る血液がその腕を伝って地面を染めている。
よく見ると、項垂れる顔の後ろ───うなじの辺り───がぱっくりと割れていて、肉が顕になっていた。
「動けなくしたところを背後から思い切り引き裂いたのか......?」
恐らくこれが決定打になったのだろう。
首の血管と頚椎を断絶されたことでヒルチャールは死んだ。
生命体としての活動限界を迎えたのだ。
───末恐ろしい技術だ
少女の手腕は鮮やかと言う他なかった。
まず視覚と聴覚を潰し、攻撃の要である腕の筋肉も削いだ。
その後に腱を切って機動力をゼロにして、万全の状態を作ってから首回りの筋肉を落とし始めた。
そして筋肉が断裂してだらりと前傾姿勢になった魔物の後ろから、頚椎ごと首をぶった斬ったと──────なんだそれは、たとえSランクの冒険者でもここまで出来ないだろ──────ベネットはそう思った。
「なんだ、
少女は息切れの一つも起こさずにただ双剣の血を拭った。
歯磨きをするように、何でもないことであるかのようにヒルチャール王の遺体を見ている。思い出したかのようにベネットの方を見てこう告げた。
「すみません、本当に倒しちゃいました。」
「あ、ああいや、そうか───いいことだろ、それは。」
「───そうですか?ならまぁ、いいか。」
ベネットは戸惑いを隠せていない。
窮地だと思っていた雪山は少女にとっての狩場だったのだ。
「撤退します───この極寒ですから遺体もすぐには腐らないでしょう......まずはこの状況を協会に知らせるのが先です」
「あ、ああ!そうだな!」
戦いは少女の勝利で幕を下ろした。
「あ、そうそう。私は協会には同行しませんからね。」
「へ?」
「キャサリンに会うと『傀儡』に.......ああいや、その.......そう!あまりに難度の高い依頼を押し付けられて私は怒っているんです。不愉快です。だからもう帰ります───キャサリンにはそう伝えてください」
「えぇ!?ちょ、ちょっと!?報酬はどうするんだ!?ちょ、おい〜〜〜!?」
◇
全てが終わり、エレーナに救助されたベネットはキャサリンに事の経緯を報告した。
「───ええと、すみません。もう一度お聞きしても?」
「だからその、顧問さんはあの後すぐにどっか行っちまったんだ。」
「どっか、行った.........?」
「『報酬はいらない。それよりも今度はもっと楽な依頼を融通してくれ』とか言って........ええと、キャサリンさん。大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですとも。あの方は割といつもこうですから........でも、ああ!『傀儡』様、私はまたお務めを果たすことができませんでしたぁ......申し訳ありません」
この時、『傀儡』は執務室で重いため息を吐いていたらしい。
コイツいっつも格上と戦ってんな