呪術縁起   作:生乾きの服

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一転してシリアス


11.転機、遭遇、解放

 

 

 

 段々と暑さを増してきた7月末。呪霊の数や質が最盛期を迎え呪術師の忙しさもピークになる頃、俺は一つの転機を迎えようとしていた。

 

 

 曲がりくねった山道を進む車の中、俺は補助監督から任務のブリーフィングを受けていた。

 

 「〇〇県□□町。本日未明、この街のある温泉旅館が全焼し、概算で二十数人の死亡者が出るという事故が起きました。地元住民への取材で大規模なガス爆発による引火が原因だといって朝刊の記事にもなりました。ただこれはカバーストーリー、実際には早々に近隣の“窓”によって現場付近に呪力の残穢が確認されています。直ちに現地の警察消防含めた一般人に対して現場周辺への立ち入り制限がなされ、高専より2級呪術師が派遣されて調査が行われていました。ただ…」

 

 「呪術師、それに同行した補助監督とも連絡がつかなくなった。そこまでは聞いています」

 

 派遣された術師は2人、その内一人は京都校3年の先輩だ。俺も何度か任務に同行したことがある2級術師で準1級呪霊くらいなら単独で祓える実力はあったはず。近々1級に推薦されるという話も出ていた。彼が行方不明になった時点で危険な任務だということは分かる。

 

 また補助監督は呪術師に万が一の自体が生じたことを外に報告するために任務中は安全圏にいて定時連絡を行うことが義務の一つとされる。それすら無くなったということは危険域が想定を超えて大きかったということ。立ち入り禁止区域を拡大させている今、死傷者数の実数も少なく見積もられている可能性がある。まだ誰も正確に事態を把握できていない。

 

 「で、俺は何をすれば?」

 

 「禪院さん、あなたに任されるのは、音信不通となった派遣術師と補助監督の捜索、および現場調査の続行に加え、敵性存在が確認された場合にはこれの排除までが求められます。あなたが職員を発見出来なかった場合、彼らはMIA扱いとなります。無論、あなた自身も同様です」

 

 「まあ十中八九何かしらいるでしょうね。でも2級で駄目だったんならちゃんとした1級術師を寄越すべきでは?」

 

 「あなたが派遣される理由は、現時点で現場に急行できる術師が他にいないこと、そしてこれまでの任務実績から1級相当の実力があると判断されてのことです。上はこの任務を1級案件と判断し、解決した際にはあなたを1級術師に昇格させると言っています」

 

 「やっぱそんなとこか」

 

 緊急事態だからといって焦って中途半端な術師を派遣するのは愚の骨頂。逆に言えば俺はそこそこ実力を評価されているのだろう。

 ただ詳細不明というのは危険度も不明ということで、場合によっては特級案件とされてもおかしくないのだ。特に今回は先遣隊との連絡がつかない時点で想定される危険度が跳ね上がっているのだから。

 

 早い話、俺は事態を見極めるための捨て駒の一つと見做されている。即座に五条悟を呼ばないのは、単に彼が忙しいからか、反五条派閥が彼に借りを作りたくないのか、或いはこの期に及んで事態を楽観視しているのか。

 

 

 だがどれだけ危険だろうと俺には任務を遂行する義務がある。

 上の等級に限界が来るとその影響は下の等級に押し寄せ、事故と殉職者が増える。下手したら実力の劣る術師を無理やり動員するために呪霊の等級誤認が“故意に”為されることすらあると聞く。勿論“上”の命令で、ただほんの少しの時間を稼ぎたいがために。今回の件だって既にその兆候はある。

 

 そういうことが明るみに出ると、最終的に割を食うのは非術師なのだ、社会の秩序を守るためには必要な措置だったという言い訳が決まってなされる。確かにそれも一つの正解と言えなくもないが、 余りに近視眼的だ。非術師の代わりに術師が犠牲になり、いつまで経っても人材不足が解消しないという現実にすり替わるだけ。

 

 

 必要なのはほんの少しの余裕だ。呪術界が体制を立て直すだけの余裕が欲しい。人が育ち、次の世代へと続く土台が出来て、ようやく根本的な問題の解決へと乗り出すことが出来る。

 だが俺の見立てではその余裕を自ら潰そうとしている輩が上層部にいる。恐らく、自分たちの権勢を保つために、今の呪術界のクソみたいな状況を持続させようとしている。

 

 まずはその現状を変えたい。1級に昇格するだけでは全く足りない。禪院の現当主を早期に隠居させて家督を引き継ぐためには、その上を目指す必要がある。

 しかし急がば回れ、一歩一歩着実に進むしかないのだ。俺には五条悟のような力も才能もないのだから。

 

 

 

 

 現在、旅館から半径7km圏が立ち入り禁止区域となっている。

 補助監督は大事を取ってさらに3kmは離れた場所に待機する。ここが丁度10km地点。

 

 「…闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」

 

 旅館までの道を境するように俺自身の手で帳を張った。これで向こう側の光景を覆い隠して塞ぐ。補助監督にはこの近くで待機してもらう。

 

 ここから旅館までは小走りで30分ほど、全力で急げば数分程度でつく。

 何か異常があった場合、異常がなくても30分ごとに携帯電話で補助監督に連絡をするが、電波障害や他の様々な要因によって圏外になる可能性もある。そのため俺は3時間経つ前に一度経過報告のためにここへ戻る。

 それすらも出来なかった場合、この件を本当の緊急事態として特級案件に繰り上げ、五条悟に改めて応援要請するように彼には頼んである。しかし応援については先に挙げたような理由で受理されるかどうかわからない。

 

 如何なる強敵がいた場合でも、俺は最低限情報を持ち帰らないといけない。それすら不可能だった場合、情報の遅れがそのまま現場の判断の遅延を招き、近隣住民の安全が保障できなくなる。今の時点で周辺住民が無事なのはただの偶然の産物かもしれないのだ。

 

 失敗は許されない。

 

 

 

 

 

 街の中を走る小川沿いに上流まで逆行する。周辺の調査などをしているような余裕はない。それでも慎重に、警戒感を強めながら歩を進める。

 目的地の方向から、瘴気のように嫌な感じが立ち上っている。

 

 俺は誘われている。

 そうはっきりとわかるくらい、呪力の残り香が下流に流れてきている。

 呪力から仄かな知性の香りが鼻につく。

 

 しかし近づくにつれてわからなくなってくる。呪詛師による犯行も視野に入れていたが、奴らがわざわざ高専に喧嘩を売るようなことをする理由が思い浮かばない。

 呪詛師は基本的に呪術を悪用して自己の利益を貪ろうとする輩や愉快犯が大部分を占める。高専に目を付けられて困るのは自分たちなのだから、出来るだけ目立つような行動を避けるのが普通だ。

 自信家、傲慢。あるいは力はあるが大した知性のない間抜けな術師なのか。

 

 それにしても何なんだ、この違和感、そして焦燥感は。同じような任務は幾つかこなしてきたはずなのに。

 

 

 

 

 

 30分ほど早足で歩いて、目的の旅館に随分と近づいてきた。

 道中に人気はなく、人払いはうまくいっているようだった。

 

 そして遂に辿り着く。

 

 

 

 温泉周辺の開けた土地に、見渡す限りの黒い瓦礫があった。

 

 本館、別館ともに完全に燃えて炭と成り果てていた。

 柱の幾つかが燃えカスとして中ほどまで突き立っている状態。地に散らばっている無数の判別不可能な炭。屋根も壁も全て崩れ落ちてしまっている。

 

 事前に外観写真や見取り図などは見ていたが、全く面影がない。生半可な火力ではこうはならない。これまで未確認だったが、内部にいた人間の生存は絶望的だろう。どれだけの人間がいたのかすらわからない。

 そして最も重要な要素、呪力の残穢が見て取れる。呪霊、あるいは呪詛師の仕業であることは一目瞭然だ。消息不明の術師達を探すのは後回しにしなくてはならない。ここが既に危険地帯であることは明白だった。

 

 

 電話で補助監督に現場の状況を報告していた時。

 ふと、首筋に悪寒が走った。

 

 

 燃え落ちた建物から、自然に温泉がある方へと足が向く。

 確実に何かがいる。

 

 汗が背を濡らすのを感じる。本能が、今すぐ逃げろと叫んでいた。

 だが呪術師としての理性が、任務のために歩を進めろと急かす。

 強固な理性を持って内に荒れ狂う呪力を必死に鎮め、出来得る限り気配を消す。

 

 「…相当ヤバいのがいます。これから接敵しますが、多分しばらく連絡出来ません。危険度をさらに繰り上げます。30分経っても連絡がなかったら特級案件として躊躇なく五条悟に応援要請してください。無理なら危険域を最低20km圏まで拡大して待機、1級術師は呼ばないでください。貴方は今すぐに移動を」

 

 『それほどですか…。わかりました、ご武運を』

 

 俺は電話を切って、鬼門の方へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 温泉に何者かが浸かっている。小さな人影だ。

 いや、人と言い切るには余りに存在が歪だった。

 

 呪霊。それも確実に特級クラスの、見たこともない膨大な呪力量。旅館を燃やし落とした犯人としてこれ以上適当なモノはいないだろう。

 

 

 「高専とやらの呪術師か」

 

 

 声が聞こえた。俺のものではなく、当然、目の前の存在から。

 

 温泉から立ち上る湯気が払われ、火山のような頭部に顔面の中心に大きな単眼が見て取れた。やはり明らかに人ではない。

 呪霊に人と明確なコミュニケーションを取れる個体がいるというその事実に、俺は愕然とした。

 

 

 恐らくこいつは正真正銘の“特級仮想怨霊”。しかも発生してからかなり時が経っている。

 

 勝てない。逃走の二文字が脳裏を過ぎる。 

 

 呪いとしての格が高すぎる。それに伴う人に近い知性。

 経験に基づいて彼我の戦力差を分析し、勝率が限りなく低いと頭が勝手に判断する。確実に祓えるのは、恐らく五条悟のみだ。

 俺が今すべき事は、ここで30分と少し時間稼ぎをするか、今すぐ何とか逃走して外に危機を伝えること。

 

 

 …出来るか?この化け物相手に?少なくとも時間稼ぎなど不可能だ。

 

 

 呪霊は俺の内心の焦燥など見越しているように嗤い、構わず話しかけてきた。

 

 「フン、怖いか?この儂が。さっきの術師共よりは多少出来るようだが、五十歩百歩だな」

 

 意味を持った言葉を流暢に話す。

 

 やはり行方不明の術師はコイツにやられていた。

 だが、今コイツは俺を見くびっている。すぐ攻撃を仕掛ける気はないようだ。

 俺は少しでも情報を得て逃走に繋げる隙を作るべく、呪霊に対話を持ちかけた。

 

 「…高専を知っているということは、その術師たちとも話したのか。何が目的だ」

 

 「勘違いするなよ。今貴様が息をしているのは只の偶然に過ぎん。余計なことは喋るな」 

 

 

 ビリビリと呪力が威圧感となって襲い掛かる。

 まるで蛇に睨まれた蛙のような心地だった。

 

 呑まれはしない。呑まれた瞬間俺は死ぬ。

 

 俺の胆力を見て取って、呪霊は少し愉快そうに鼻を鳴らした。

 

 「さっきの奴らは自らを2級の呪術師と言っていた。貴様は何級だ」

 

 呪霊が問いかける。

 その問いは俺にとって予想外なものだった。

 

 

 呪術師の実力に興味がある?いや、確かにこれほどの知性体、自らの脅威となるような存在を見極めようとしていると考えるのが自然かもしれない。行動様式にまで影響する人に近い思考回路を持っているのだ。

 

 それならば、やるべきことが変わってくる。

 

 「…準1級だ。ちなみにこの任務で1級に昇格するはずだった」

 「フン、察するに1級が最上位の等級。つまりお前を始末すれば儂に敵うような人間はいないということだな」

 「いや、ソレは違う」

 「何…?」

 

 「俺たちが千人束になっても敵わない存在がいる。特級呪術師、五条悟。彼が出てくれば、呪霊如きに勝利はあり得ない」

 

 俺がそういった瞬間、呪霊の顔に怒りが宿ったのがわかった。どうやらプライドが高い性格のようだ。

 俺の言葉に関わらず、コイツは俺を殺す気だろうが。

 

 

 

 このすぐ後、俺は殺されるかもしれない。それでも俺は俺を通すことでどうにかして五条悟の存在を印象付けなければならない。

 そうしなければ無知なこの呪霊は自分には敵がいないものと勘違いし、自らの望むまま人を殺し始めるかもしれない。

 

 俺は死力を尽くして、この害虫に人間の脅威を教えなければならない。知性を逆手に取り、五条悟という抑止力の存在を示し、自らの存在の保存を望むように仕向けるのだ。

 それが呪霊にさらなる知性を与える結果になるとしても、今は近くにある多くの人の命のため、この小さな怪物と戦うことが今の俺の役割だろう。

 

 逃走は出来なくなった。

 

 結局五条悟に縋るしか道がない自分の無力に、少しだけ苛ついた。

 

 

 

 

 

 

 

 呪霊がゆっくりと湯から上がる。

 

 陽明は冷静に感知結界を展開し、次いで影の中の余分をほとんど全て吐き出した。数多くの銃火器、呪具、日用雑貨など重りとなるものを全て。格上の敵に対して一番重要なのは敏捷性、そして反射速度。

 祓えるものなら祓う。逆にそのつもりで行かなければすぐに死ぬことになるだろう。

 

 

 蝉の声が煩く耳元に響く。

 しかし聞こえてはいない。

 

 緊張から汗が吹き出し、額を伝い、目に入る。

 そして瞬きした一瞬で、目の前から呪霊の姿が掻き消えた。

 

 (速い!!)

 

 予想はしていたが、目で捉え難い速度となると結界による感知だけが命綱になる。

 呪霊は既に陽明の背後に回り込み、上半身に向けて手をかざしている。

 それでも直哉よりは遅く、対応できなくはない。

 

 足元の影を用いて体を180度急旋回させ、瞬時に呪霊に向き直る。

 しかし陽明は抜刀による迎撃の選択肢よりも影の中への緊急退避を選んだ。偏にその掌に感じた圧倒的な呪力量ゆえ。

 若干体勢が悪い。呪霊が翳している手が邪魔をして首を狙いづらい。一撃で殺しきらなければ逆に殺される。敵の底知れない呪力と機敏さを前にして一息に葬り切る自信はなかった。

 

 呪霊の手から膨大な熱量が放出される。陽明が迎撃を選択していたら一瞬で黒焦げになっていたに違いない。

 しかし結果は空振り。放熱が終わり目の前から獲物が消え、呪霊は周囲をキョロキョロと見回した。

 

 

 足元に違和感。

 

 「ヒャハッ!!」

 

 呪霊は足元の波打つ影に対して熱を放射し続け、獲物があぶり出されるのを待つ。

 

 

 しかしいつまで経っても、何も出てくる気配がない。

 

 (ヤツはこの影の中に逃げ込んだハズ。術式が持続しているということはまだ生きている。外界から隔たれた空間なのか?ならば中に空気はあるのか、どうやって息をしている)

 

 既に5分ほど経った。影の周囲の地面が赤熱し、溶融しかかかっているにも関わらず、変わらず影はそこにある。

 このままでは呪力の無駄だと判断した呪霊は一度熱の放射を止めた。

 

 

 

 

 陽明はこの一瞬だけを待っていた。怖気づいた獲物を狩人気分で狩ろうとし、放熱を止めると同時にこの場から離脱しなかった、その呪霊の油断を。

 

 

 影の中は一種の結界であり、内部の状況は完全に把握することが出来る。そしてその境界面もまた結界の一部。熱放射が止んだことはすぐにわかった。

 思い起こされるのは焼け落ちた旅館。熱や炎による攻撃は想定の内だった。

 

 陽明は呪霊の攻撃が終わるまで空気を含めた熱伝導物質を取り込むのを止め、こういった潜伏時用に残しておいた携帯酸素ボンベを使って呼吸をしていた。

 さらにこの影は光子を遮る。つまり電磁波として伝わる輻射熱すら遮断する、ほぼ完全な断熱空間。

 

 しかし自分自身が潜伏している場合は基本的に境界を閉じることが出来ない。熱という呪力から変換された物理現象ではなく、より原始的な呪力放出による衝撃であれば影の内部を貫通してダメージとなっていた可能性もあった。幸いにも敵は単純な呪力放出ではなく術式による攻撃を選んでくれた。

 

 

 

 影の中から音速に近い速度で刀身が現れ、呪霊の足が切り払われる。

 

 「なッ!」

 

 突然の出来事に対応しきれず、バランスを崩す。

 

 これはただの一時凌ぎ。呪霊は人間と違って呪力で容易に自らの体を修復できる。しかし陽明はほんの少しの時間さえ稼げればよかった。

 その欠けた機動力と意識の隙をついて一気に影の中から飛び出し、呪霊から距離を取るように跳躍しながら銃を両手で構えた。

 

 「死ね」

 

 対上級呪霊用特効弾。急所に着弾してしまえば内から呪力を散らせる結界術が炸裂し、如何な特級呪霊といえども大ダメージは免れないだろう。さらに陽明はどれだけ敵の呪力出力が高くとも防御を貫けるように、呪詛の言葉と共に全力で呪力を込めた。

 

 実力差の大きい者同士の戦いにおいて決着は一瞬だ。例えそれが相手に劣るものであったとしても。

 

 陽明の思惑通り、不意を突かれた呪霊は近距離からの発砲を避けることが出来ず、超音速の弾丸が呪霊の防御を容易く貫いた。

 

 

 

 

 

 

 陽明はそのまま大きく距離を取り、呪霊を見遣って自らの攻撃の結果を確認した。

 

 真依に作ってもらった5発の弾丸全てを撃ち切って、当たったのは最初の1発。あとは全て焼き払われた。そしてそれが指し示す事実がある。

 

 胴の中心を狙った弾丸は、呪霊が咄嗟に体を捻って避けようとしたためか左の脇を掠めるにとどまったようで、左半身が抉れていた。ただそれだけ。

 ダメージはある。だが想定していたほどではない。呪力量があまり減っていない。切り払った足は既に呪力によって復元され、抉れた半身も回復しようとしていた。

 

 

 陽明は自分でもわかっていた。こうなってしまった原因はただ一つ、自身の恐れによるものだ。

 敵の反撃を恐れず、完全に死を覚悟した上で至近距離での攻撃を続けていれば、相打ちかも知れないが今頃祓えていたかもしれない。

 あのとき躊躇なく首を取っていたら。結局本当の意味で命を賭していなかったのだ。

 

 迷えば死ぬ。常に自分に言い聞かせていたはずの言葉を思い出した。

 

 (………失敗した。三輪に偉そうなこと言えねーなぁ、これじゃ)

 

 初見、油断という意識の隙を突いての不意打ちが失敗した以上、後は正面切っての戦いしかない。

 既に敵に油断はなくなった。憤怒の形相が今の呪霊の内心を物語っていた。

 

 

 「貴様ァ!!もはや灰すら残さんぞ!!」

 

 

 敗因は、自分の甘さ。

 こんなところで終わりたくないという抑え難い感情が、逆に死地を招き寄せた。

 

 

 

 

 

 呪霊が先ほどを上回る凄まじい速度で駆けてくる。離れていても目で追えるか追えないか。

 しかし正面の呪霊だけに集中できない。結界感知により突然周囲に現れた呪力の気配を掴んでいた。

 

 モコモコと周囲の岩壁から火山の噴火口のようなものが生えてきて呪力が充填される。

 

 四方からの熱放射攻撃、これはなんとか避けられる。だが呪霊本体の攻撃は避けようにも素の速さで負けてしまっている。陽明はもはや為す術が無くなり、再び影の中に籠城するという愚策に逃げるしかなくなった。これが夜であれば闇の中、影を伝って自由に移動できたものの、生憎の晴天下の昼下がりだった。

 

 状況は完全に詰んでいる。

 

 「馬鹿の一つ覚えか!だが無理やりにでも引きずり出すぞ!」

 

 呪霊はそれすらも許すつもりがなかった。

 一度鼠に噛みつかれた身だ。出し惜しみすることなく葬り去る。

 

 呪霊を中心として、陽明が逃げ込んだ影ごと周囲の空間を取り囲む結界が発生する。

 掌印を組み、ついに呪術の最奥が披露された。

 

 

 (領域展開!!やはり使えたかッ!)

 

 

 結界内の情報が書き換えられる。溶岩と岩壁で囲まれた熱量をもった空間へと変わる。

 陽明が潜んでいる影の内部が底から押し出されるように縮んでいく。こうなると陽明は地上に出ざるを得なかった。

 

 影から押し出された陽明は即座に領域の必中効果に対抗するための簡易領域を再展開するが、連続展開時間1分という縛りは変わらず用いている。敵の出力を中和するためには縛りを用いるしかなかった。

 

 それ以前に。

 

 (熱い…!これは領域の環境効果かッ!皮膚が、粘膜が、気道が焼かれる!!)

 

 この空間を占める熱量に耐えるために全力で集中して呪力を纏わなければ焼き切れてしまうだろう。

 どちらにしてもこの状況は長続きしない。

 

 詰みだった。どう考えても。

 

 

 「グッ…!」

 

 肌を焼く熱に抗うために動くことすら出来ない。必死の防御すら貫き、少しずつ熱が肌を焦がしていく。

 出力が違いすぎた。

 

 そんな陽明の様子に呪霊が苛ついたように、そして感心したように呟く。

 

 「…貴様、この領域の熱に耐えるか。それに必中攻撃も発動しない。どんなカラクリだ?教えればもう暫く生きながらえさせてやるぞ」

 

 「だ、れが…」

 

 ヒリヒリと気道が焼かれ、声が掠れる。

 

 呪霊は無意味に生を繋ごうと努力する陽明を見て、ゆっくりと一方的に絶望を与える行為に愉悦を覚え始めていた。呪いの本能そのままに。未知なる結界術への興味は自身への言い訳だった。

 

 

 

 呪霊の思惑通り、陽明の内心を占めているのは絶望だった。それも生まれて初めて感じるような純度の高いもの。

 

 一瞬ごとに命が減っていく感覚。あと十数秒もすれば簡易領域すら持続できなくなり、必中効果の標的になる。それでなくとも敵はいつでも自分を殺せる。

 簡易領域という人が編み出した技術への好奇、或いは単に甚振りたいのか、今すぐに攻撃してこないのは単なる気まぐれに過ぎないだろう。

 

 熱に浮かされ、次第に今の状況がわからなくなって来た。どう考えても詰んでいるこの状況で、ひたすら耐えることに何も意味なんてない。耐えていれば誰かの救いの手が差し伸べられるなんてこともあり得ないのだから。五条悟は確実に間に合わない。

 

 

 故に、これはただの意地だ。

 まだ呪霊に対して人の恐怖を教えていない。

 

 人の可能性を、殺意を、怒りを、憎しみを、欲望を。呪いを目の前の()()()()()に与えてやりたい。

 

 (死ぬ、死んでしまう、せっかくここまで、どうして、このゴミのせいで俺が苦しまないといけない、何故コイツは生きている、呪いの癖に、唾棄すべき害虫の癖に、邪魔だ、死んでしまえ、熱い、痛い、苦しい、憎い、憎い、憎い、殺す殺す殺すコロスコロス…)

 

 今自分は、心の底から、全身全霊で目の前の敵を呪っている。

 

 自分自身に対して知らずの内に隠し続けてきた真の欲望に支配される。

 力が欲しい。何者にも負けない、全てを凌駕するほどの圧倒的な力が。

 

 

 

―――ならば鎖を断ち切れ。そして呪い()の本質を解き放て。

 

  お前にはまだやるべきことがあるのだろう?

 

 

 

 忘却の檻に封じられた意思。

 彼は今一度、無意識のうちにその存在に触れた。

 

 きっと“あの時”と状況が似ていたからだろう。

 唯一無二の絶望。真に死と隣合わせになったことで、隠し、抑え、封じていた自らの本質を認めたからこそ。

  

 魂に刻まれた力はいつもそこにあった。

 陽明は自らの内から際限なく呪いが湧く感覚を覚え、眠るように意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…術式解放、『呪術縁起』」

 

 

 

 




漏瑚は簡易領域による術式中和を知らないという設定。

渋谷での描写から、領域展延の技術は羂索から教えられたものと考えられ、同質の結界である簡易領域についても知らなかったのではないか。
またそもそも大抵の術師が領域に入れた時点で焼き切れるので、これまで簡易領域を使う術師を見たことがなかったのでは、という予想。
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