7年前のその日も、暑い夏の日だった。
人生で3度目の夏休みの朝。
俺は車の後部座席で不貞腐れていた。ただでさえ暑くて仕方ないのに無理やり外に連れ出されたからだ。
面倒な学校から解放され、冷房の効いた部屋でだらだらと本を読むという至福の時をついさっき奪われたことに立腹していた。
母さんがそんな俺の様子を助手席から覗いてため息をつく。
「アンタいつまでそんな不景気なツラしてんの。幸せが逃げてくわよ」
「これ見よがしにため息ついてる人には言われたくねーよ」
「誰のせいよ誰の」
何で俺が責められなければならないのか。朝っぱらから面倒事に引っ張り出したのはそっちだろうに。
それというのも隣で無邪気にはしゃいでいるコイツのせいだ。
「にーちゃん、ふけーきむくれつらー♪」
鼻歌を歌いながらご機嫌に兄をからかう少女の頬を、俺はむにっと引っ張ってやった。
「生意気な妹め。お前が遊園地に行きたいなんて言わなければむくれっ面なんてしなかったんだぞ」
「いひゃい!いーじゃん遊園地!にーちゃんってば家でも学校でもいっつも本読んでばっかりなんだし!」
「最近は事あるごとに邪魔されてそれどころじゃないんだけど?」
「邪魔ってひどい!」
今度はコイツのほうがむくれっ面になった。
面白いので頬を指で突っついていたら噛もうとしてきやがったから引っ込めた。なんて奴だ。
「はぁ…、それはそれとして、なんで事前に言っとかねーんだよ。さっきいきなり言いだされたらそりゃ面倒になっても仕方ないだろ」
早朝からコイツが急に「遊園地に行こう」と言って布団にのしかかってきたのだ。
両親共々事前に計画を立てていて、知らなかったのは俺だけだった。
「前もって言っといたらアンタって子は何がなんでも行かなくていい理由を作ってくるでしょうが」
当たり前だ。俺は基本的に面倒事は避けるし自分のしたいことを絶対に邪魔されたくない性質なのだ。
だから遊園地などという暑い中金だけ取られてクソつまらない遊具を体験するだけの施設なんて絶対行きたくないし、さっきも当然抵抗した。
「…でも小春に泣き真似まで仕込んでくるのは流石に意味わかんねーよ」
普通に泣かれて抵抗力を削がれた。
事前連絡なく予定を組まれて、挙げ句迫真の嘘泣きで騙されたこっちの身にもなって欲しい。
気づけば運転中の父さんが愉快そうに笑っていた。
「父さんの差金かよ。割りとそうやって小賢しいことするよな」
「クックッ、陽明は泣いてる子には優しいからな。特に愛する妹の涙なんて効果覿面だったろ」
「…別に優しくねーし。あと人のことシスコンみたいに言うなよ」
別に優しくしてるつもりなんてないし。泣いてたら鬱陶しいから泣き止ませようとしてるだけだし。
「んー、ねぇシスコンってなに?」
「妹のことが大好きなお兄ちゃんのことだよ」
「あーもう!変なことばっか吹き込むなよ!!」
「こはるもにーちゃんのこと大好きー!」
そんな恥ずかしいことを言ってへばりついてくる妹を剥がすことが出来ない。もしかしたら俺はシスコンなのかもしれない。
両親がミラー越しに微笑ましいと言わんばかりにニヤニヤして見ている。俺のことを次々と罠に嵌める悪魔どもめ…。
もう遊園地とかどうでもいいから、とにかく今はこのむず痒い空間から逃げ出したかった。
でも、本当は俺もまた家族のことが大好きで、いつまでも一緒にいたいと思っていた。
いずれ必ず終わりは来るけれど、それはもっとずっと先のことだと…。
脳髄に焼き付くような血の匂い。そして網膜を焦がす鮮烈な赫で我に返る。
何時の間にか、つい先程まで笑顔だった人たちはいなくなっていた。
目につくのは屍の山。阿鼻叫喚の地獄と化した風景だけ。
父さんは原型を留めない潰れた肉塊に。
母さんは化け物に上半身を食われ、臓物が断面からはみ出た死骸。
そして俺のことを大好きだと言ってくれた幼い妹は、涙を浮かべ、光を映さない虚ろな瞳でこちらを見ている。
ああ、体はどうしたんだ。なんで頭だけなんだ?
目の前の現実を受け入れられず混乱して働かない俺の脳が、必死に危機を伝えてくる。
俺だけが見ることのできる怪物。これまで目にしてきたような“羽虫たち”とは違う。虎よりも、象よりも屈強な体躯を持つ奴らに俺は容赦なく叩き伏せられ、奴らは逃げ惑う人々を踏み潰し、噛み殺し、引き千切っていった。
どうやらようやく蹂躙し終えたらしい。“見ることができない人間”を優先していた化け物たちが再び俺の方に向かって来ている。気配がゆっくりと近づいている。
逃げられない。地面に打ち付けられた体が悲鳴を上げている。何処が折れているかすらわからない。
「ひ、ひ、ひひひ…」
なんだか笑えてきた。笑うしかなかった。なんで、どうしてこんなことになってしまったんだ。
感情がぐちゃぐちゃだ。泣きながら笑っている。そんな中でも頭の片隅に冷徹な自分がいて、全ては終わってしまって手遅れなのだと告げている。
もう全部どうでもいい。何処にでもある日常が何時までも続くものと信じていた、そんな愚かな俺はもう死んだのだ。
ここが俺の命日だ。先立った家族と運命を共にすればいい。
その方が絶対に楽だ。万が一にも生き延びて、この地獄を毎秒ごとに思い出さなければならない人生なんて御免だろう。
俺が無様にも絶望し自分の運命を受け入れた気になっていると、ふと、自分の側に誰かが立っていることに気づいた。
苦痛とともに頭を動かし、目線だけそちらに向けてみる。
ソイツは俺自身だった。
容姿も衣服も俺と遜色ない、ただ頭髪だけが黒く塗られている、俺の影。
間違いなく幻覚だ。
内臓でも破裂して頭に血が回っていないのかもしれない。しかしそれにしては思考がよく廻る。
臨死体験というやつだろうか、いつの間にか時が止まったように動かなくなっていた世界の中で、ソイツは俺に語りかけてきた。
『このまま死ぬか、生き延びるか。選べ』
…生き延びてどうする。一体俺に何が残っている。大切なものは何一つ守れなかった、こんな救えないゴミに。
そもそも俺に、このちっぽけな弱者には選択肢など与えられていないだろう。
俺がどうして良いか分からずに逡巡していると、“影”が指で何かを指し示した。
不思議と楽になっていた体を動かしてその方向を見る。
そしてあの化け物共を再び視界に入れた途端、胸の奥から沸々と湧き上がる激情を覚えた。
誰に言われずとも理解した。否、元から知っていたのだ。
“呪い”だ。
あれこそ俺が誅殺すべき不倶戴天の敵。
その使命を果たすために俺はこの世に生まれてきたのだと、そんな気がした。
『これは“契約”だ。お前に俺の力を与え、生き長らえさせてやる。代わりに、お前の持つ随縁真如の智、その鍵の片割れを頂く』
何のことを言っているのかわからない。
俺はコイツがただの幻覚ではなく、何か
だがそんなことはどうでもいい。俺にはやるべきことが出来たのだ。
何があろうと生き延びなければならない。そのためには悪魔にでも魂を売ってやる。
「何でもいい、くれてやる。だから力を寄越せ」
生きる意思を確認した“影”は口元を愉悦で歪ませ、俺の視界は暗転した。
『…再び目覚める頃には俺のことは何も覚えていないだろう。全ての咎は俺達から智慧と力を奪ったあの“臆病者”にある。恨むなら奴を恨むがいい』
寝苦しさを感じて目を覚ます。病衣に寝汗が滲んで気持ち悪い。
室内は冷房が効いているようだから暑さのせいではないだろう。
俺がまだ無力な子供だった頃の記憶。
最悪の夢見だ。もしかすると夢を見たと自覚するのは初めてかもしれない。いつもは修行で限界まで体力を使って泥のように眠っていたから。
幸せだった頃の思い出も、結末が最悪であれば全てが悪夢に変わる。自分では気にしていないと思っていても、こうして吐き気を覚えている辺り、ただやせ我慢しているだけなのかもしれない。
「…もう7年だぞ。いつまで引き摺るつもりだ」
そんな独り言を言ってみても気分は変わらなかった。
俺は昔のことを全て覚えている。それはただ記憶力がいいという話ではない。
何の因果か、巷で瞬間記憶能力と呼ばれるものに近い能力を持って生まれた。見聞きしたもの、経験したことをそのままに思い出すことができる。
忘れたくても忘れられない。だから前に進むために、考えないように努力しなくてはならない。
まだ暗い医務室の天井が目に入る。
結局、昨日一日は家入さんの指示に従って大人しく入院していた。体力が有り余っているから寝付きも悪くなるし余計なことを考えるのだろう。やはり限界まで体を酷使して死んだように眠るのが性に合っている。
音を立てないようにしてベッドから抜け出す。
ベッドサイドに用意されていた予備の制服に素早く着替え、昨日届いたメールにもう一度目を通し、一つため息をついてからスマホをポケットに突っ込んだ。
窓から覗く微かな星明かりを頼りに忍び足で歩く。
出口を求めて隣の部屋に移動するとデスクライトの小さな明かりが見えた。家入さんが机に突っ伏して寝ている。
何となく申し訳ない気持ちになりながら静かに扉を開け、振り返ることなく部屋を出た。
夜明け前の運動場で一心不乱に刀を振る。
より速く、鋭く、正確に。自分の身体の構造、筋や神経の使い方に意識を回し、身体強化の精度を上げる。呪いを祓うという目的のため、自分の中の余分を消すために続けてきた日課はいつしか生き甲斐のようになっていた。
だが今は切り払えない雑念が残っている。幾ら余分を削ぎ落とし自己を最適化したところで越えられない壁というものは存在する。例え音より速く剣を振れても、それより速く動く人間がいる。彼との間には無限の壁がある。
あの特級呪霊との遭遇以降、そのことを意識することが増えた。どうすれば彼を超えられるのか、そんなことばかりを至極真面目に考えている俺は、もう既に狂ってしまっているのかもしれない。
五条悟の強さの根源は彼の持つ“六眼”にある。呪力を見通す眼は呪力への深い理解と規格外の呪力操作精度を実現し、俺たち凡夫が100年努力して得る能力を短期間で得ることが出来る。そんな存在が空間に潜む無限を操る強力な術式を使うのだから、1000年努力したところで追いつくことすら不可能だというのはわかりきった道理だ。
道理を叩き斬るためにはどうすれはいいのか。
空も僅かに白み始めてきた。疲れはないが、一度手を止めて俺の術式対象である影に意識を向ける。
ようやく反転術式を会得することができたが、それでもまだ足りないものが多過ぎる。領域さえ使えれば何か変わるのではないかとも思うが、俺は未だに領域展開することが出来ない。
呪術を扱う上で最も重要なことは、術者の認識だ。
さっき見た夢はこのイメージの原点であり原型。あの事件が切っ掛けになって、俺は“影”を自分の術式として自覚し、扱うことができるようになったのだ。
そして昨日死にかけて生得領域を訪れたことで呪力の核心だけではなく自分の術式にも近づけたはず。幻影と虚構、そして死。それが今俺の中にある“影”のイメージ。
しかし俺は何故かあの生得領域を自分のものとして認識出来なかった。これまで使ってきた“影”が自分のものでないような、他人の術式を扱っているような。近づくどころか逆に遠ざかってしまったような、そんな感じがする。
言いようのない違和感があった。
ふと思い立ち、呪力の限りを術式に注ぎ込み影を広げる。
すると術式反転によって俺の影が運動場を覆い尽くして余りあるほどに広がっていった。
これだけ広範囲に術式を発動しながら、まだ余力がある。暗闇という条件を差し引いてもこれは異常だ。俺の呪力はこんなに多くなかったはず。
それに結界の構築能力が明らかに上がっている。感知結界の時間制限の縛りも要らないかもしれないくらいに。
脳裏に過る”忘却”という言葉。忘れるはずのない俺が何かを忘れているのではないか。
霞が少しだけ晴れたように、あの悪夢の光景が浮かんでくる。
…そうだ、そもそも俺が今こうして生きていること自体がおかしいんだ。
先日特級呪霊に殺されるまでもなく、確か俺は“あの時”死ぬはずだったのに。
俺には自分自身預かり知らない何かがある。今初めてその異常に気づいた。
忘れているものの正体、それさえ掴めれば俺は…。
そんなことを考えていたとき。
パシャッ、と水が撥ねたような音がした。
「わっ、何だこれ、水?沼!?」
突然、運動場の端の方で誰かの驚く声が聞こえ、思考が中断させられた。
暗がりで気づかずに俺の影を踏んだのだろう。呪力の感じで誰のものかはすぐにわかった。
何で起きているのかはわからないが。まだ朝の5時前だぞ。
「こんな夜明け前に何してんだ、乙骨憂太」
「うわッ!!」
足元の影から現れてみせたら滅茶苦茶驚いてくれた。
俺が移動したことで広がった影がすぐに消えた。起点となる元の俺自身の影の座標を動かしてはいけないという縛りのせいだ。
作り出した影の中を辿って瞬時に移動することは出来るが、移動した後は消える使い捨て。割りと呪力を食うし呪力配分や使い所が難しい。
「えっと、君は禪院…陽明くん?地面から生えてくるとか凄い術式だね。でも何でこんな時間に?体はもういいの?」
「陽明でいい。体調は万全、昨日寝すぎて眠れなかっただけだ」
「へぇー、反転術式っていうんだっけ。アレだけ血塗れだったのに凄いなぁ」
「そっちこそ、流石に朝の散歩にはまだ早いと思うが」
特級術師、乙骨憂太はその馬鹿デカくてわかりやすい呪力を撒き散らしながら、何故か照れくさそうに頬を掻いた。
「えっと僕は…朝練だよ。誰よりも呪術師歴が浅いし、ちょっとでも努力して早く皆に追いつかないといけないって思ってコッソリやってるんだ。呪力で強化すればなんとかなるけど、素の体はまだまだ貧弱だから」
成る程、呪力量が多いからといってそれに頼るだけでは駄目だと自覚しているということか。確かに呪力で強化するにも元々の肉体が強靭だったほうが効率はいい。
そして日中は同級生たちと呪力を使った訓練をしていると。
「センス全振りの天才かと思ったら、意外と努力家なんだな」
「天才ってそんな…というか僕のこと知ってるの?」
「この業界にいて知らないヤツはいないだろ。特級呪霊に憑かれている特級被呪者。厄介ごとの種。ザ・問題児。多分上層部からはさっさと消えてくればいいのにって思われてるぞ」
「酷っ!?」
何いってんだコイツ。酷いというか当然のことだろう。
乙骨がかなり天然だということはわかった。自分の立場をわかっていなさすぎる。
祈本里香という正体不明の力の塊、それ自体が一つの大きな脅威だ。
しかし誰も彼も勘違いしがちなことだが、その力を完全にコントロール出来てしまった時が真に恐ろしいのだ。
底知れぬ莫大な呪力の塊。知性に乏しい呪霊では持て余すその力も、術師の智慧を持って余すところなく利用できれば街一つどころか国を落とすことも不可能ではない。
五条悟然り、特級術師の力というのは個人で保有していいラインを超えている。人一人の意思で国を滅ぼせるような力など本来あってはならないものだということは小学生でもわかる。特級というレッテルは管理・制御することが出来ない存在に対するヤケクソの当てつけなのだ。
俺の目から見ても乙骨はただの被呪者ではない。顕現していない段階でも感じる里香のプレッシャー。この規模の呪いに取り憑かれて平然としている時点で、元々ただの一般人だったというには無理がある。
まず間違いなく隔世遺伝による才能の開花だ。呪術歴数ヶ月足らずでこの練度。悲しい事に、入学前から散々修行漬けにしてきた三輪の実力を軽く追い抜いてしまっている。この成長速度なら里香なしでも特級の名に恥じない術師として成長することだろう。
あとそもそも里香の力の出処が里香自身にあることが考えにくい以上、乙骨に由来するものである可能性の方が高い。
五条悟も似たようなことを言っていた。今は事実確認している段階らしい。血統がちゃんとしていれば有名術師の血筋の権威とやらで保守派の目も優しくなるんだと。正直その辺の感覚はよくわからないが。
まあ乙骨の力が呪術界を支えるために有用であることは事実だから、俺としては取り敢えず呪詛師にさえならないでくれたらそれでいい。
「それで、何か俺に言いたいことでも?」
「あ、えっと…」
暗がりでも呪力で暗視を強化すれば表情を読み取れる。
乙骨は言うべきか言わざるべきかとソワソワしていた。
「陽明くんは真希さんの親戚、なんだよね?名字同じだし」
「ああ。戸籍上はな」
「戸籍上?」
「俺は今年に入って禪院家に入家した余所者だ。俺が当主の養子ポジションだから、一応は従兄妹ってことになるのか」
ということは真依も従兄妹関係。これまで考えたこともなかったが意外と近いな。しかしやはりあの直哉の奴が兄弟の身分なのが何より嫌過ぎる。
「…大きな家だってことだけは聞いてたけど、当主とか養子とか、何だか想像つかないな」
「知らないままでいいさ。知って面白おかしくなるようなもんじゃない。お前も本当は禪院のことなんてどうでもいいだろ?本題に入れよ」
乙骨は真剣さを滲ませて俺の目を見ていたから、世間話をしたいわけではないことはすぐにわかった。
会ったのは偶然だが、元々俺に用事はあったのだろう。
「どうでもよくは…。いや、どうでもいいかも知れない。僕が知りたいのは、昨日君と真希さんが何を話したのかってことなんだ。真希さん、少しだけ様子がおかしかったからさ」
「ああ、なるほどね…」
どうやら真希は俺の言葉で凹んでいたらしい。一言も言い返さずに去っていったからどうなったのかと思ったが。
まあ『呪術師なんて辞めてしまえ』という旨を婉曲的に伝えただけだ。彼女にとってはキツイ言葉だっただろうが、凹んでいたといっても一時のことだろう。そんなこと実家で言われ慣れているはずだし、俺の言葉一つで意志が変わるのなら今ここにはいないはず。
だから、アレはただのしょうもない八つ当たりだ。
禪院の書庫をひっくり返した時に、古い文献を見つけた。とある術師たちについての記録。
双子は呪術的に繋がっており、その生得領域、そして魂を共有する。禪院の長い歴史に刻まれているかつての術師たちの中には双子もいた。彼らは領域、そして呪力を互いに割譲していたらしい。
つまり双子の術師の強さはその片割れに依存する。姉が強くなるためには妹も強くなる必要がある。直毘人は恐らくそのことを知っていて真依を呪術師の世界に放り込んだのだ。そして多分、彼女もそのことを知っている。
真依は口では術師になんてなりたくないと言っているが、実際のところ訓練の類は非常に真面目にこなしている。苦手だった体術もさまになってきた。任務でも自分で呪霊を祓うことが増えた。恐れや嫌悪を力に変える術を覚え、僅かながら呪力量も増えてきている。
俺に押し付けておけばいいのに、やらずともいいことをやっているのだ。多分アレはどうでもいいと嘯いている姉のためにやっていることだろう。
以前何でそんなに頑張るのか理由を尋ねたときには『来年の交流会で真希をボコボコにしたいから』なんて答えたのにな。前々からわかっていたが真依の言葉は何一つ信用できない。
結局アイツの居場所は真希の隣にあるのだ。置いていかれるのが嫌で彼女なりに付いていこうとしている。
あの姉はそんな妹の心など知らないだろう。知っていたらあんな家に置いていかないはず。
親から真っ当に愛を貰った俺に、親から虐げられてきた彼女を非難する権利がないことはわかっている。術師でなければ価値がないという刷り込まれた価値観がそう簡単に変わらないことも。彼女は術師で在り続けなければ自分を保てないのだろう。
そんなことはわかっているけど、俺に言う権利はないけど、妹泣かしてんじゃねーよカスと言いたくなっただけだ。
畢竟ただの八つ当たりだが謝るつもりはない。ムカつくものはムカつくんだ。
「…ま、いずれにしても少し入れ込みすぎか。良くない傾向だな」
「え?」
うっかりと漏れた独り言に乙骨が反応する。
「心配せずとも大した話はしてない。真希は強い人間だろ?」
「えっと、うん、それはそうだけど…」
「だよな。じゃ、朝練頑張れよ。お前には期待してる」
そうして俺は乙骨の肩にポンと手を置き、踵を返した。
「いや、ちょ、まっ」
世の中ではこんな風に自分の言いたいことだけ言って勝手に納得して人の話を聞かない奴は嫌われるらしい。知ったこっちゃないな。
乙骨は真希のことが気になるようだが、話してやる義理はない。というかこれ以上話していると藪蛇になりそうだ。
コイツ結構仲間想いっぽいし、真希のことどうこう言ってるとその内ブチギレそう。流石に挨拶程度に留めておこう。
それに来月の交流会でもう一度会うことになる。どうせキレさせるならそこがいい。
今日は外せない用事があるのだ。特級術師とマジ喧嘩なんてして無闇に体力を消耗したくない。
懐からスマホを取り出して昨日深夜に届いたメールをもう一度開く。
寝ぼけ眼で見間違えたのだという可能性に期待したが、その一通のメールは変わらずそこにあった。
差出人は……
From:xxx+++@****.com
subject:依頼
禪院陽明君。
君に依頼したいことがある。
内容はとある呪詛師の討伐、恐らく君にも縁がある相手だ。
明日正午、〇〇県グリーンランド跡にて待っている。
目標の呪詛師についての情報を提供することを約束しよう。
確か家族の命日だろう?場所、日時共に君にとって都合が良い筈だ。
毎年恒例の結界更新のついでに少し時間を頂きたい。
では良しなに。
「死ねボケ」
思わずスマホを握り潰しそうになってしまった。名乗りもなしに人を一方的に呼びつけ、あまつさえ故人のことにまで言及してくるとは、こんなに巫山戯た文章は見たことがない。場所も日時も完全に嫌がらせ目的でしかない。
そもそも高専を通さない時点で十中八九コイツ自身が呪詛師だ。やっぱ呪詛師ってクソだわ。
気が紛れたはずが再び苛立ちが湧いてきた。今朝の夢見の悪さは間違いなくコイツのせいだ。
色々問題はあるけれど、一番は俺の周辺情報と行動が把握されていることだな。今年は東京校にも用事があったが、それがなくても毎年この時期に墓参りのためにこっちへ来ているのだ。そして俺にはあの事件現場に張られた結界の定期チェックの役目もある。
大いに舐められている。俺相手なら捕まらないと踏んでいるのだろうが、代わりに五条悟を差し向けたら一体どんな顔をするだろうか。まあ彼は今日も任務でいないが、それも計算づくか。
ほぼ確実にそれなり以上の手練れでそんな奴が暗殺依頼。依頼なんて建前で、目的の半分以上は俺自身にあると考えていいだろう。どんな罠が仕掛けられているかわかったものではない。
『呪霊と呪詛師滅すべし』が信条の俺に行かない選択肢なんてないんだけども。
「鬼が出るか蛇が出るか」
流石に高専側にも情報は伝えておいた方がいいだろう。夜が明けたら報告しよう。
夜蛾学長や家入さんにまた小言を言われるのは確定だから、少しだけ憂鬱だった。
乙骨くんをキレさせる方法
禪院「真希って呪術師向いてないよね。幾ら身体能力高くても呪具紛失したら戦闘不能って終わってるでしょ。特に素で呪いが見えないのは致命的。どうせその内犬死にするだろうしさっさと呪術師やめたほうがいいと思う」
乙骨「は?今僕の恩人のこと馬鹿にした???」