呪術縁起   作:生乾きの服

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サブタイネタバレ安定


18.縫い目の男

 

 「ダメだ。誰がどう考えても罠だろう、危険過ぎる」

 

 

 朝陽が差し込む学長室。

 色々ご迷惑掛けました、と挨拶がてら昨夜届いたメールの件を夜蛾学長に伝えたところ、案の定止められた。

 迷惑一丁追加って感じだなこれ。

 

 「いやダメとかじゃなくて、もう行くことは決定してるんですけど」

 

 「君の推測通り、君自身が標的の可能性の方が高い。自信の程からかなりの実力を持った推定呪詛師、あるいは徒党を組んで襲ってくる可能性もある。緊急事態ではないのだから事前調査にもっと時間を割くべきだ。1級に昇格して少し傲っているんじゃないのか?」

 

 「事前調査も何も、このメール以外に手掛かり無いですけど。あと俺以上に調査に適した術師なんて五条悟しかいませんよ。俺以下の術師や補助監督を連れて行くのは論外……任せられるのは直久か東堂…あと直哉とかくらいか」

 

 リスクを過小評価することはない。先月の火山呪霊クラス、想定しているのはそのレベルだ。

 有象無象が何人いたところで徒に犠牲が増えるだけ。

 

 「だったらこれが特級案件に近いものだということは気づいているだろう。目的が君であるのなら無視したところでまた連絡が来る。悟の手が空くタイミングを待ってからでも…」

 

 「そこに呪詛師がいるとわかっているのに放置するなんてのも論外です。呪いを一度見過ごせば一回り大きな災禍を連れてきます。そして非術師や力のない呪術師が死ぬ」

 

 予想される災禍を未然に防ぐ、或いは最小限に留めるために確実に呪いを祓う。そのための1級術師だ。そんなことはこの人が誰よりもわかっているだろうに。

 

 夜蛾学長が大きなため息をついた。

 

 「…端から失敗時のバックアップだけを期待しているということか。しかし1級呪術師とはいえ君はまだ学生だ。上から()()()振られた任務以外で無茶をする必要はない。何故そこまで死に急ぐようなことをするんだ」

 

 「俺は学生である前に呪術師です。それに俺の代わりはちゃんといる。俺が死んだところで誰も困らない」

 

 この間の火山呪霊の件があって、俺は自分が死ぬことを常に織り込んでおく必要があると感じた。だから直久には後のことを頼んである。禪院のことも含めて。

 無論死ぬつもりなんて毛頭ないけど。

 

 そんな俺の言葉に夜蛾学長は眉間のシワを深め、耐えきれずに静かに語気を荒らげた。

 

 「…代わりのいる人間などいるものか。だがもう今は何を言っても無駄なのはわかった。無事に戻ったら覚悟しておけ」

 

 「ご随意に」

 

 まあ家入さんにも挨拶は済んでるし、この用事が無事に終わったら京都に直帰するつもりだけどな。あと家入さんには馬鹿は死んでも治らないんだな、とか酷いこと言われた。

 どうせ京都に帰ったら楽巌寺学長や歌姫先生から絞られることも確定している。説教の量は出来るだけ少ない方がいい。

 

 俺は軽く一礼をして踵を返し、学長室から退出した。

 

 

 

 

 

 

 陽明が学長室から出て行って、夜蛾は何度目になるかわからないため息を吐いた。

 

 相手が自分を過大評価した三流の呪詛師であれば何も問題は無いが、まずありえないだろう。あの文面は高専に対する挑戦とも取れるものだった。五条悟の不在に合わせている時点で強かさを感じる。

 

 陽明の説得は不可能。力づくで止めようとしたところで強行突破されるのがオチ。ここに来て彼が行ってきた所業を見れば明らかなことだ。

 

 そして現在高専が派遣できる人材で詳細不明の疑似特級案件に出せるような者はいない。

 唯一2年の秤金次は特級任務をこなし得る人材ではあるが、アレは調子の波が大きすぎる。情報不足の中でさらに不確定要素を付加するのは悪手、下手をして荷物になられては困る。彼も未成熟で不適。

 

 結局、現状の戦力では陽明が一番呪術師として完成しており、リスクも一番小さい。今できることは彼の実力を信じて送り出すことだけだ。

 

 

 「彼は生き急いで…、いや死に急いでいるのか」

 

 つい先日強力な特級呪霊と会敵して死にかけ、昨日はついに自分から死に瀕し、今また死にに行くような真似をしている。向こう見ずというにも限度がある。死にたがっていると思われるのも当然だ。

 

 呪術師というのが救い難い仕事だということはわかっている。自分が動かなければ非術師や同業者が割を食うことがわかっているから働かざるを得ない。どんなに責任感から縁遠くエゴイスティックに見える人間にも、根底にはそんな意識が頑固な汚れの如くこびり付いている。

 だからみんな死んでいく。理想や目的に対して力が足りず、何の意味もなく犬死にしていく者も多くいる。

 

 そしてあの陽明という少年は呪術師を体現したかのような存在だ。弱者のことを気にかけ、守り、背負おうとする。真面目で、勤勉で、責任感が強く…そして手の届かない理想を追い求めようとする姿は、夜蛾にかつての教え子の一人を彷彿とさせた。

 

 「アイツのようにはならないだろうが、しかし…」

 

 行きつく先が明るい未来でないことはわかる。

 

 

 陽明は自分が死んでも誰も困らないと言ったが、万年人手不足の呪術界において一騎当千の1級術師の代わりがそういないことは自分でわかっているはず。だからアレは、自分が死んでも誰も悲しまないだろうという意味だ。

 

 呪術師は他者との繋がりを意図的に避ける傾向にあり、恐らく彼は特にその傾向が強いのだろう。他人に深く入れ込み過ぎないようにすることで、自分がいなくなっても他の誰かがいなくなっても、自分たちの心理的負担が大きくならないようにしている。

 

 虚しく響くだけの言葉ではない。止まることを知らない彼を繋ぎ止められる何かが必要だ。

 彼が高専での学生生活でそれを見つけてくれることを、夜蛾は一教育者として願うばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 とある山間、今では廃墟となっている遊園地。ジェットコースターもメリーゴーランドも、全て錆付き苔むしている。人の手が入らなくなってからある程度の年月が経っていることが窺える。こんな場所を訪れる者は廃墟マニアか心霊好きか、或いは呪術関係者くらいなものだろう。

 

 

 7年前、この場所で呪霊による無差別殺人が起きた。

 

 呪術の秘匿を遵守するため、表向きには山奥から出てきた複数の熊が人々を食い殺した、ということになった。整合性を取るために、可哀想な無実の熊達が生贄として差し出された。まあ正直かなり無理のある言い訳ではあったが、現場を知らない第三者、そして命の危機という極限状態にあった生き残った人々の記憶は『そういうこともあったかもしれない』と改竄された。

 なにせ相手は見えざる怪物。非現実的な記憶なんてほとんど空隙のようなもので、現実的な嘘で埋め合わせるのは意外にも容易だったりするのだ。或いは死に際で()()()()()()()()()()()()()彼らの信じたくないという思いに付け込むということでもあった。

 

 事件後、即座にこの遊園地は閉園となり暫定的な結界が敷かれた。人々の印象に残る事件が起きた土地には呪力が澱みやすい。呪霊が湧かないように、湧いても対処できるように一定期間監視し、連日の報道が終わり大衆から事件の記憶が薄れるまで体制は続いた。

 

 そうやって秩序は保たれる。表面さえ取り繕ってやれば、傷を持たない人間はすぐに忘れる。凄惨な事件も無味乾燥な記録へと変わる。痛み…負の感情を伴わない記録はやがて風化し、かつてあったかどうかも定かではない幻へと消えていく。人は何も学びを得ることなく一時の平和が築かれ、次なる惨劇へのいとまが生まれる。

 最悪の殺戮劇もこの世界では珍しいことではない。表に出ないだけで似たような事件は度々起きているのだ。

 

 自分の番が来るその時まで知らないままでいられるということ。果たしてそれは救いなのかどうか、俺にはわからない。

 

 

 

 中央の区画の噴水広場。敷き詰められたタイルの裂け目から雑草が無造作に生え、土が露出しているところも多い。

 こんな変わり果てた風景でも昨日のことのように思い出せる。

 

 薄っすらと地面に残っている黒い染みへと、俺は道中で買った百合の花を手向けた。 

 

 あのメールに書いてあった通り、今日は故人の命日でもある。

 花を添えたのは何となく。特別な感傷は持っていない。墓は別の場所にあるし、遺骨の一部も影の中にある。ここはただの殺人現場でしかない。

 

 一応結界の見直しは年一回行っており、元々今日もその予定だったが、実際のところ既に必要ないとは思っている。

 今回みたいに嫌がらせに使われても嫌だし、今年で終わりにしようか。

 

 

 

 そんな俺の思考は、背後に現れた気配によって遮られた。

 

 敷地内に侵入した何者かがこちらに向かって歩いてきていた。

 …侵入経路は空。恐らく式神使いか。

 

 俺はかなり早くにここに着いている。罠の類が何もない事は確認済み。ついでに事前準備も万端。

 

 

 それは男の声だった。

 

 

 「もう7年も昔になるのか。あれは痛ましい事件だった」

 

 

 不測の事態に備え、何時でも武器を取り出せるように準備する。

 ソイツに害意が無いのは分かっていたが、これは職業柄の習性のようなものだ。

 俺は十分な警戒心を持って後ろに振り向き、その男の容貌を確認した。

 

 見れば中肉中背、黒いスーツ姿に眼鏡をかけた優男。短髪で、良く言えば普通、悪く言うと印象に残らないような顔だ。

 特徴といえば、額に薄っすらと、()()()()()()()()が一筋走っていることだろうか。

 

 纏う呪力を隠しもしない。事前の予想通り、立ち居振る舞いからも相当な実力があることがわかる。

 

 俺が無遠慮に観察していると、再び男が話しかけてきた。

 

 「しかし話し合いに来ただけだというのに随分と警戒心が強い。この敷地に張ってある結界は自作かい?見たところ“帳”を応用した補助結界、しかも維持の必要が無く簡易設置ができる嘱託式か。その若さで見事なものだよ、いや全く」

 

 男は気色の悪い能面のような顔を歪ませてくつくつと笑っている。

 そして俺は目の前の男が予想を超える実力者であることを察して歯噛みした

 

 

 コイツの言う通り、俺はこの遊園地を取り囲むように事前に結界を張っておいた。

 

 嘱託式の補助結界『夜光界』。起点となる呪具をいくつか要地に設置し呪力を込めることで発動する、俺が編み出した傑作。

 帳の物理障壁効果や視覚効果を除いて呪いを炙り出す効果を抽出し、結界内の座標情報と合わせて呪力に内包して記号化。俺の使う感知結界術とリンクさせて復元し、情報過多になり過ぎない程度に術師や呪霊、呪力を纏った物体の動向が把握できるというもの。

 

 今回は自分の感知結界術を強化するために使った。だが嘱託式にした時点でこの結界の主はいない。つまり利用しようと思えば誰でも使えるのだ。

 この結界の効果を即座に言い当てた時点でコイツが卓越した結界術師であることは確実だ。要らぬ餌を与えてしまったかもしれない。

 

 

 「呪詛師の分際で話し合いとはな。御託はいいからさっさと用件を言えよ。自己紹介するつもりは無いんだろ」

 

 「まあ名は幾つか持っているけど、君にとって空疎な記号など無意味だろうと思ってね。…では早速本題に入ろうか。依頼はとある凶悪な呪詛師の討伐だ」

 

 男は楽しげに目を細めて語りだした。

 

 「最近になって各地で行方不明者が急増傾向にあることは知っているよね?繁忙期に重なっていたことから呪霊による被害と推測されていたが、実際には彼が関わっている。君も違和感を覚えていたはずだ。補助監督を使って非術師の新興宗教団体について色々調べていただろう。呪詛師が裏で関わっていると睨んで」

 

 努めて表情は変えない

 ただ俺は内心で驚愕していた。

 

 正直言って未だ見知らぬ暗殺対象などよりもコイツの方が余程不気味だ。

 余りにもこちらの事情に詳しすぎる。

 

 「…高専に内通者でもいるのか。何故わざわざそれを明かすようなことを言う」

 

 「高専の情報が高専関係者だけから漏れると考えるのは視野が狭いよ。警察、行政、司法と私には知り合いが沢山いる。秘匿は必ずしも完全ではないんだ」

 

 高専に内通者が居ないとは言っていないがな。この分だと確実にいるだろう。

 簡単に明かすということは、コイツにとってそんなことはどうでもいい事象だということか。

 まあ確かにこの男の素性や目的すら知らない時点で内通者がどうこう言っても仕方ないことではある。確かめることも困難。

 

 「ともかく、君が血の臭いに勘づいた時には煙のように消えている。行動を起こす枝葉は架空の団体で構成されているんだろう。似たような団体が星の数ほどあるんだから辿っていくのも容易じゃない」

 

 「くどくどとわかり切ったことを言うな。要点だけを話せ」

 「せっかちだなぁ、よく言われるだろ」

 

 軽薄な笑みはそのままにして男は呆れたように軽く肩を竦めた。

 そしてその名前を発した。

 

 

 「呪詛師の名は夏油傑。彼が根城としているのは11年前に解体された旧盤星教の支持基盤となっていた組織だ。君には彼の暗殺を頼みたい」

 

 

 俺は目を見開いた。

 

 夏油傑。10年前に100名を超える非術師を虐殺し高専から離反した呪詛師。4人の特級術師のうちの一人。

 離反してから行方を眩ませ、高専は奴の居場所どころか痕跡さえ見つけることが出来なかったのだ。

 

 欠片も予想していなかった名前が出たことに唖然としていると、男は俺に向かって小さな何かを投げて寄越した。

 それは一つのフラッシュメモリだった。

 

 「その中に、例の組織における人や資金の大まかな流れが記録してある。精査していけば教祖様が今現在どの団体に巣を作っているか大体わかるんじゃないかな」

 

 得意げに話す男から目を離さないようにしながら、俺は間違っても紛失しないようにメモリを影の中に落とした。

 

 

 全く意図せず夏油傑の情報が手に入ったことは非常に大きい。

 

 だが今俺は奴よりも、目の前の男の方が脅威だと感じている。

 10年間呪術界から隠れ仰せてきた男の情報すら網羅しているという異常性がそうさせた。

 

 俺は影から銃を取り出し、男に向かって構えた。

 

 「おいおい、折角貴重な情報を教えてあげたのに、恩を仇で返すのかい?」

 

 「黙れ。貴様、一体どこまで根を張っている。目的は何だ」

 

 「何も特別なことはない、ただ彼が私にとって邪魔だというだけの話だよ。そして私は夏油傑の団体で幹部として働いていたことがあるんだ。その時の伝手さ」

 

 全てが嘘ではないが本当のことも言っていない。コイツの根はもっと深いところにある。

 何を根拠にしているか不明だがコイツは俺が件の特級術師を殺せると言っている。そしてそんな俺から逃げ切れると考えている。

 

 コイツを野放しにすれば取り返しのつかないことになると俺の勘が言っていた。固よりそのつもりはなかったが。

 

 「人脈に自信があるということはよく分かった。悪いが手足をもいででも拘束させてもらう。抵抗するな。最悪殺す」

 

 「私を呪詛師と断定した上で排除すると。随分と乱暴だね」

 

 「疑わしきは罰せよだ。そもそも高専を通さずに暗殺依頼なんて出してる時点で呪詛師認定でいいだろ」

 

 「アハハ、それもそうか」

 

 男は、じゃあ仕方がない、とぼやきながら懐に手を伸ばした。

 

 易々と得物を取り出させるつもりはない。既に警告はしている。

 俺は素早く弾に呪力を込め、躊躇なく引き金を引いた。

 

 

 大きな破裂音と共に、弾丸が男のみぞおちに向かって進む。

 だが既に取り出していた呪符がその進路を塞いでいた。

 

 呪符…恐らく式神の封印符。弾はその先にある異空間へと吸い込まれた。

 

 

 男は口元を弧に歪ませて語った。全て計算通りだと言わんばかりに。

 

 「式神術のうち、結界術を応用して符に契約呪霊を封じ込める方法は周知の通り。古より受け継がれてきた伝統的な呪術だ」

 

 撃ち抜かれた符から呪力が漏れ出てくる。

 

 俺は舌打ちするのを抑えられなかった。

 

 「現代のほとんどの術師は低級呪霊を封じる容量しか作り出せないようだから勘違いされているけれど、熟達した結界術師であればこうして高位の呪霊を収めることもできる。覚えておくといい」

 

 呪力が漏れ出す穴、空間の裂け目から鳥の鉤爪のようなものが現れる。まるで人の手が鳥の足で置換されているようだ。

 その異質な手が裂け目を大きく広げ、呪霊の姿が顕になった。

 

 

 大きな体躯をした人型の呪霊。修験道の山伏装束、そして赤い鳥の面と背部の両翼。

 

 「…天狗」

 

 思いついた言葉が無意識に口から出た。

 このプレッシャー、恐らく登録済みの16体の一つ。

 

 

 「御名答。彼の名は特級仮想怨霊『僧正坊』。あの大地と炎の精霊を退けた君ならきっと超えられるだろう。それじゃ、後はよろしく。期待しているよ」

 

 

 誰に対してか男はそう言い残して、俺に背を向けて去って行った。

 

 




ちなみに現時点でメカ丸はまだスパイじゃないと思います
メロンパンが夏油を乗っ取る前で真人と組む前なので
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