呪術縁起   作:生乾きの服

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出る杭は打たれるのが呪術界


19.天狗と影

 

 

 天狗とは元々、中国において凶兆を表す流星を指していたものだった。日本の飛鳥時代でも同様に流星を表す語として登場するが、そのイメージは定着しなかった。

 

 そして平安中期頃になり、役小角を開祖とする修験道、山岳信仰と結びついて再び現れる。修験者あるいは山伏と呼ばれる者たちは修行によって悟りを開こうとする者のことだが、傲慢故に自我に囚われ仏道から外れた山伏は天狗と呼ばれるようになった。その姿は山林に住む鳥そのものだったという。修行者にとって鳥の声や羽ばたきは仏道を妨げる怪異と捉えられたためともいわれる。

 

 仏道の智慧を持つため人間道に戻れず、信心も無いため天道にも行けず、それでいて仏道の罪を犯せざる者。彼らは死後に六道輪廻とは異なる輪廻、天狗道に堕ちる。そこは決して悟りを得られず救われることのない魔界だ。

 天狗は仙人の如く様々な神通力を操り、仏道を妨げる天魔外道の妖怪として仏僧たちに畏れられた。

 

 一方で、山岳に疎い民衆は山地を異界として認識し、そこで起きる怪異を天狗の仕業と呼び、天狗を山の神として畏れ敬ってもいた。

 また優れた力や智慧を持った仏僧、修験者などは大天狗になるとされた。特に神として信仰の対象となるほどの大天狗には名が付けられている。

 その内の一つ、京都鞍馬山の大天狗は『僧正坊』、或いは『鞍馬天狗』と呼ばれた。幼少の牛若丸、すなわち後の源義経に剣術を授けたとされている日本で最も有名な天狗である。

 

 名が通っているということはそれだけ畏れを集めやすい。仮想怨霊とはそうした伝承を元に人々の想念が呪力と化し、一つ所に寄り集まって生まれる存在である。

 

 

 

 

 

 縫い目の男を追うような隙はない。

 今は目の前の脅威を退けなければならない。

 

 感知結界内で渦巻く気流が呪霊を覆っているのが分かる。

 得物は簡素な太刀が一振りだけ。見たところ特殊な呪具などではないだろう。

 

 (ヤツに向かって風が吹いている。風…いや、気流を操る術式ってところか。応用の幅が広そうだ)

 

 伝承から想定される能力、戦法も同時に予測する。

 格上の敵を前にしても心の水面は波打つことなく凪いでいる。この間とは違う、少しずつ成長している。

 

 戦いはいい。余分なことを考えずに済む。

 如何にして目の前の敵を薙ぎ倒すかだけを考えればいいのだから。

 

 天狗の八相の構えに対し、陽明は普段通り抜刀術で迎え撃つ構えを取る。

 極限まで集中し、蝉の声すら遠のいていき、ついには止んだ。

 

 

 

 突風と共に天狗が地を蹴り、正面から一気に距離を詰めてきた。

 予想通り空力を付加した踏み込み。自分の前面の空気を薄くして抵抗を減らし、後面は厚くして追い風を作っている。

 

 刃と刃が交わり、両者とも相手に傷を負わせることは適わなかった。

 

 

 (とんでもなく疾い!素で直哉の初速と同等以上か!)

 

 しかも操れる空気は自分の周りだけではないらしい。

 

 陽明は自身の抜刀のキレが鈍っているのを感じた。呪霊が空気の壁を作って抵抗を増していたのだろう。

 膂力も自分より上。最速の抜刀で決めきれない以上、まともに打ち合っていては押し切られる。

 

 天狗の横薙ぎの一撃を刀で受け、衝撃に対して抵抗せずに吹き飛ばされる。

 一度距離を取って態勢を立て直そうという腹積もりだった。

 

 しかし着地する前に突然の暴風が陽明の体を宙に浮かせた。

 

 (チッ、軽すぎだ!もっと重りを詰め込んどくんだった!)

 

 火山呪霊と対峙した時に減らした影の中身をほとんどそのままにしていたのが仇となった。

 

 空中に浮き上がり無防備を晒してしまっている。風に煽られるままで体勢も定まらない。迎撃は困難だった。

 見れば天狗が片手で印を組み、既にこちらへ飛翔してきていた。背部の翼はただの飾りではなかったようだ。

 

 (ぶっつけ本番になるが仕方ない)

 

 危機的状況であっても不思議なほどに冷静だった。どうすればいいのかが頭に浮かんでくる。

 その浮かんできたイメージを元に術式を発動させる

 

 本来陽明が術式を適用させることが出来るのは自身の影のうち、“自分以外の物体に投射され、かつ自身の体と連続しているもの”に限られていた。足元に出来る影、手で触れて壁に映る影などがそれだ。その影を境界面として特殊な性質を持った内部空間を構築する術、それが無形影法術。

 衣服や靴、刀などは解釈次第で“自分”の範疇から切り離すことが出来るが、構造上自身が内部に入り込むことは困難。しかし術式反転を扱う上で影の起点としての役割は果たす。

 

 日の光から隠れる位置に刀を隠し、刀に投射される影が陽明自身を包み返す。

 

 術式反転『影返し・纏』。

 術者自身が境界となる影を広げて纏うことで物理的な攻撃を透過させ無効化する術。弱点は起点となる影の座標が移動することで生成した影も消えるという縛り。

 だから、敵の攻撃にタイミングを合わせる。

 

 

 天狗が動けない的の胸に平突きを食らわせた。

 

 だが手応えはまるでなかった。獲物を突き刺したはずの刀は少年を覆う影の中に吸い込まれ、そのまま持ち手の自分をも引き込もうと力が加わっている。

 異常を察知した天狗は即座に翼をはためかせて離脱を試み、意外にもすんなりと離れることができた。

 

 直後に素早く偽物の影が消えていく。暴風が止んで陽明が落下し、起点となる影がズレたためだ。

 

 

 宙に浮かんだままの天狗を見上げながら、陽明は“実験”の結果を確認した。

 実は先程、手記に記されていた縛りを破り、起点の移動中も僅かな時間だけ術式を継続していたのだ。

 

 (…なるほど。防御には有効だがかなり呪力を食う。起点の移動に伴って連続して展開すると大体静止時の100倍以上か。常に影を纏いながら動き回りでもすれば10秒と持たずに呪力が枯渇するな)

 

 逆に言うとそれだけの時間は動きながらでも無敵の状態を維持できる。切り札としては十分。

 

 

 

 

 陽明が自身の手札を確認しつつ、次の一手をどうするべきか考えていると、不意に何者かの声が聞こえた。

 自分でも縫い目の男でもない、ましてや幻聴などでもない。

 

 

 「儂の太刀を捌くか。見事也」

 

 

 まさかと思い、目を見開く。

 

 それは陽明の人生で二体目、意味のある言葉を話す呪霊だった。

 最初の時ほどの驚きはなかったが、それでも異常事態であることに変わりはない。不可解なこともある。

 

 「…自我が残っているのか。契約呪霊だということはわかるが、何故アイツに付き従っている?」

 

 呪霊を式神として符に封じるためには縛りによって契約を交わす必要がある。

 大抵は高位の術師が弱い呪霊の存在を保証するという縛りを使う。祓わないでいてやるから我に従え、といった具合に。

 だがこれほど実力があり高度な知能を持っている存在が唯々諾々と術師に付き従うとなれば余程の理由だろう。

 

 陽明の言葉を聞き、天狗は愉快そうに笑った。

 

 「天狗とは自我に囚われるがゆえに解脱し得ぬ者の成れの果て、何も不思議なことはあるまい。そしてヤツもまた儂の同類」

 

 「同類…?」

 「然り。見苦しく現し世にしがみついている俗物。儂と道を同じくしていなければ殺しているところだ」

 

 「雇い主の悪口を言っていいのか」

 「心配せずとも、ヤツの前ではただの無口な仮想怨霊だ」

 

 カラカラと笑う呪霊の声に邪気は感じない。

 憎み、嫌悪すべき呪霊を前にして不思議な気分だった。

 

 だが敵意はある。隙間ほどの時間も油断はならない。

 邪気が無いからといっても悪ではないということにはならない。呪いの側として呪詛師に手を貸している時点で自分にとっては悪だ。

 

 

 陽明がそんなことを考えていると、天狗はさらなる爆弾を落としてきた。

 

 「もう一つ。ヤツは勘違いしておるが、儂はそもそも仮想怨霊ではない。人が未練と共に死して呪いに転じた存在よ」

 

 そう言って、天狗は鳥の面を剥がし、僅かばかり素顔を覗かせた。

 

 そこには人の顔面があった。どこにでもいるような好々爺が不敵な笑みを作っていた。

 

 

 それは陽明にとって何よりも衝撃だった。

 人が死後呪いに転ずる場合があるということは術師にとっては半ば常識ではあるが、ここまで自我と知能を保っている存在は記録でも見たことがない。

 

 人から生まれ、人の顔を持ち、人と同じ言葉を話す存在。肉体を為している呪力によって行動を縛られているだけの、異なる人の形。呪霊は人間の別の姿なのだと、直感的に理解してしまった。

 

 「まあ天狗に対しての畏れがなぜだか儂に集まって来よるから見当違いとまでは言えんが、それも最近はめっきり少なくなった。時代が変わったのだろう。お陰である程度の自由を得られた」

 

 「…何故それを俺に明かす。主には黙っている癖に」

 

 陽明が問いかけると、天狗は…呪霊は初めて邪気を呪力に覗かせた。

 智慧を授ける者として問いに答えずにはいられない。

 

 「ククッ、奴に気取られたらどんな扱いをされることやら。それに何故とは異なことを言う。天狗とは魔縁…人を“導き、迷わせる”のが儂の仕事」

 

 面を通しても分かる邪な笑みだった。

 

 「己の不明ゆえにどれだけ遠回りするというのか…人の愚かさというものはどれだけ見ていても飽きぬものだ」

 

 「一体何が言いたい」

 

 「誰しもが見たくない真実から目を背けているということだ。小僧、貴様も例外ではない」

 

 そこにあるのは世に蔓延る愚者共を見下す傲慢な目だった。

 陽明にはその言葉の真意はわからなかった。

 

 

 (…謎は残っている。俺自身のこと、何か自分でも預かり知らない秘密があるのは間違いない。でも)

 

 自分が呪術師であることに変わりはない。

 

 やはり自分が何者であるのかなど至極どうでもいい。

 人であろうと呪霊であろうと何も変わらない。人も呪霊も、等しく呪いになり得るのだということを、この呪霊は教えてくれた。

 そして少なくとも目の前の存在はただの呪いでしかない。

 

 呪術師の仕事は唯一つ、呪いを祓うことだけ。

 

 

 

 

 

 天狗は陽明の呪力と術式に見覚えがあった。遥かな昔、まだ自分が人として生きていた頃。

 敵意とともに増した少年の呪力を見て、天狗は自分の予想が当たっていたことを察した。

 

 (この小僧、やはり“景光”の…。奇妙な縁もあったものだ)

 

 この少年の内にかつて見知った魂の残滓が垣間見えた。呪いに憑かれたか、はたまた生まれ変わりか、いずれにしても過去の因縁など碌なものではない。

 

 だが懐かしさからつい言葉を交わしてしまった。

 

 (もう暫く浸っていたかったが、主命に背くわけもゆくまい)

 

 天狗はここに至った経緯を内心で振り返った。

 

 

 

 先月、陽明が件の調査任務に向かい大地の呪霊・漏瑚と交戦したのは、縫い目の男の思惑によるものだった。

 

 親しい人間を無惨に殺されて尚復讐に縋ることのない精神。呪術界を変えようと我武者羅に走る若い才能。

 

 簡単に利用できる駒ではない。逆にゆくゆくは大なり小なりの障害となり得ることを察した男は、その芽が出る前に葬ろうとした。別に陽明が特別というわけではない。男はこれまでも同じように自身にとっての障害が発生する前に出来る限り取り除こうとしてきた。この地道な工作により、現在の呪術界はまるで進歩のない老害が支配する、自分にとっての箱庭となったのだ。

 

 しかしその思惑は外れた。あの時、確実に死ぬ運命にあった少年は生き残った。それどころか彼は漏瑚を見逃しさえしたのだ。

星漿体が暗殺された十年前の事件のように、何か因果が変わったような予感があった。

 

 男の予想は裏切られ、逆に興味を引かれた。六眼の持ち主でもない少年に一体どんな謎が眠っているのか。新しい呪力の形に繋がる何かがあるのではないかと。

 

 

 また夏油傑の死体に用があることも確かで、この戦いは陽明が夏油傑を殺し得る人材かどうかを測るテストでもあった。

 いいところに転がっている高専側の適当な人材が夏油を殺し、その死を五条悟に知らしめること。それが現在求めている結果。少なくとも情報が高専に流れば夏油は追い詰められる。

 

 

 追い込んで力と秘密を暴き出せ。別に殺しても構わない。天狗に下したのはそういう指示だった。

 

 仮に死んだ場合は繋ぎとして肉体をいただく。少なくとも戦闘用ではない今の肉体よりは役に立つだろう。

 目論見通り、陽明はリスクを最小限にするために一人で来た。高専の目を欺き入れ替わるのは容易い。適当な人材とは彼のガワを被った自分であってもいい。

 

 少年と天狗、この場でどちらが勝っても男が失敗することはない。

 無論陽明が勝ってしまった場合、男にとって新たな脅威が顕在化するのは間違いないが、今は自分の興味のほうが優先されていた。

 

 

 (全く碌でもないことを考える奴だ。奴こそ正しく呪いの権化)

 

 

 呪霊と呪術師。生き残るのは二つに一つ。

 今しがた言葉を交わしたのは単なる気まぐれだ。問答無用となった今、手加減する意味もない。

 ()()()()()()()()()()()()と矛を交える昏い悦びに、天狗は面の下で目を細める。

 

 そして太刀を鞘に納め、両手で印を組んだ。

 

 

―――領域展開『尸解自在天(しかいじざいてん)』。

 

 

 天狗の癖に慢心しないのは如何なものか、と妙な笑いが漏れた。

 

 一つ、縫い目の男の計画は、この呪霊が特級術師にも匹敵する実力の持ち主であることが前提だった。

 

 

 

 

 

 

 突然、天候が変わった。

 瞬く間に空に暗雲が立ち込め、暑い夏の晴天から暴風吹き荒ぶ豪雨へ。

 

 陽明は困惑を隠しきれなかった。

 呪霊の術式によるものだろうが、ここまで広範囲に影響を及ぼすことができるのかと。

 

 印を結んだのは見えたものの、まさか領域展開ではないだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()そんな真似が出来るはずがない。

 

 

 だがその予想に反して、己の最も信頼する術は明瞭に真実を述べていた。

 

 (感知結界が剥がされた!?)

 

 天候が変わってすぐ、簡易領域をベースとしている結界が消失した。

 つまり辺りの空間に術式が刻まれているということに他ならない。

 

 類推される事実を元に、即座に陽明は中和用の簡易領域を再展開する。

 

 陽明が感じていた違和感は正しかった。すなわち結界術の技量が明らかに向上しているということ。時間制限の縛りを用いずとも同等以上の精度で簡易領域を使えるようになっているのだ。そして術式中和能力と共に、呪力量、出力も以前より上がっている。

 

 領域に対して過不足なく対抗できているという事実。自らに潜む未知が否応なしに浮き彫りになるが、そんなことに気を回している余裕はなかった。

 

 

 「簡易領域か。無駄な足掻きだな」

 

 くだらないというように呪霊は鼻を鳴らした。

 

 天狗の言う通り、状況は圧倒的に不利だった。

 簡易領域で必中効果を打ち消しているが、問題は感知結界が使えないことだ。アレは簡易領域の中和能力を削って得た容量に感知術式を刻んでいるため中和用と併用は出来ない。

 従って凄まじい敏捷性を持つ敵の攻撃に適切に対応するのは困難。尚且つ相手は空中を自在に移動することが出来る。

 

 (何よりもまずは飛び道具が必要だ。銃弾は多分風で逸らされる。とくれば…)

 

 陽明は偽・天羽々斬を影から取り出す。そしてもう片方の手に握っていた呪哭刀を半ばまで影に戻して不定形化させ、天羽々斬に纏わせた。

 ドロドロとした影が次第に形を為して元の呪哭刀の形に戻る。

 

 これは合成呪具、天羽々斬を呪哭刀の中に収納・装填した。そして抜刀に適し、強度と切れ味に優れる呪哭刀に天羽々斬の術式を付与している。呪具を設計する段階で考案していた機能の一つだった。

 

 

 迅速に納刀し、抜き放つ。

 キンッ!と甲高い音を立てて不可視の斬撃が飛んだ。

 速度は抜刀時の剣速、つまり音速の手前。

 

 だが。

 

 「ぬん!」

 

 天狗は当然のようにそれを太刀で弾いた。

 

 陽明は続けて斬撃を飛ばすが、明らかに全て見切られていた。

 恐らく領域内であること、そして気流を操る術式を使うことで感知能力を得ているのだろう。

 

 

 分析している間に、突然眩い光が現れたかと思うと、背後から凄まじい轟音が鳴り響いた。

一瞬だけ流し見てみたら、台風の中だというのに近くの植木が燃えている。稲妻が落ちたのだ。

 

 気流を操り、天候を変え、暴風と天雷をもたらす領域。きっと中和が解かれれば必中でアレが落ちてくるに違いない。

 

 (本当に何なんだコイツは!!何でこんな凶悪な呪霊が人の下についている!?)

 

 これは恐らく自然現象をそのまま利用している領域だ。空にある雨雲は本物。必中ではないだけで、その内落雷に晒される危険性は十分ある。

 もはや領域外に逃走するくらいしかいい対処法が思いつかない。だが周囲の風が、自分の動きを阻害するように、呪霊の動きを助けるように流れている。敵は見逃してくれないだろう。

 

 

 

 天狗が再び突風と共に急降下してくる。先程よりもさらに疾く。

 頭上からの振り下ろしだ。

 

 嵐の中、再び剣戟が木霊する。

 

 太刀筋を勘で予測し、初撃は何とか受けきれた。

 しかし落下、強風、怪力のエネルギーが籠もった強力な一撃に、陽明の足が地面に沈み込む。

 天羽々斬の術式効果を使っても受けるだけで精一杯だった。

 

 「そらそらそらそら!!」

 

 縦横無尽に走る剣閃に対して死力を尽くして刀を合わせる。

 刃が交わるたびに風が起こり、鎌鼬のように陽明の肌を裂いた。

 

 陽明は天狗の剣舞に翻弄されながら拭えない違和感を覚える。

 この太刀筋、見覚えがある。何よりもよく見知っていた。

 

 (まさか、シン・陰流!)

 

 呪霊の身でありながら古より続く人の技術を使っている。

 未だ半信半疑であったが、死して呪いに転じたという話は嘘ではなかったらしい。

 この呪霊の生前はシン・陰の門下、或いは…

 

 

 考察する暇もない。

 僅かに出来た隙を突いて天狗が陽明の脇腹に蹴りを叩き込む。

 そして蹴りで吹き飛ばされたと思ったら、下から巻起こった風で宙に浮かされた。

 

 急いで下を見遣っても天狗はいない。だとすれば上しかない。

 

 予想通り、風で浮き上がる陽明に先んじて、天狗は飛翔して上を取っていた。

 陽明は空中で体を翻し、回転の勢いを刃に乗せて上方からの攻撃に合わせる。

 

 キィイン!!

 

 甲高い金属音が暴風を裂く。

 軸が効かない空中で衝撃を受け、為すすべなく落とされた。

 

 接地に合わせて影空間を展開して衝撃を殺すが、すぐに影から押し出されて地上に戻される。

 結界術の性質を持つ影空間は領域によって潰されてしまうのだ。

 

 (やはり領域内での潜伏はごく短時間しか無理か!影を伝って逃げることもできない!)

 

 有効な手札がない。覚えたての術式反転も禄に性能を発揮できない。何よりもやはり空を自在に飛べるのは反則だ。

 陽明は必死に考えを巡らせるが、敵にはそれを待ってやる理由もなかった。

 

 「中々やるな!」

 

 天狗は楽しげな様子のまま陽明から距離を取る。

 そして太刀を頭上に放り投げ、両手で掌印を結んだ。

 

 

 厚い積乱雲の下、突発的に生じた強力な上昇気流と共に今までにない暴風が渦を巻く。

 風は次第に強まり、辺りの木々を千切り、古びた遊具(アトラクション)を鉄塊に変えながら巻き込む竜巻となった。さらにダメ押しと言わんばかりに、天雷が竜巻に降り注ぐ。

 

 途方もない巨大な力の塊が傷だらけの少年に近づいていた。

 

 

 逆に陽明自身も渦に吸い寄せられている。勝手に体が宙に浮く。

 彼は刀を地面に突き刺し、竜巻に引き寄せられるのに抗わなければならなかった。

 術師の身体能力でも身動きが取れない程の風。

 

 (待て、流石にあり得ない、領域内といえども術式性能の上昇倍率が高すぎる!!……まさか)

 

 その可能性に気付き、陽明はすぐさま簡易領域を解除した。

 

 何も起こらない、その事実が重要だった。

 必中術式は刻まれているが何も発動しない、最初から簡易領域で中和しなくてもよかったのだ。

 

 感知結界を剥がされたことで勘違いしていたが、この必中命令は全て何の効果も持たない(から)の術式。

 空間に刻まれた術式は中和に意識を使わせるためのブラフ、そしてこれは必中効果を使わないという縛りで術者自身の術式性能を飛躍的に高めるための領域。

 

 必中を代償として得た超必殺。領域内の気象は全て術者の手の内にある。

 領域同士の押し合いだけではなく、敵が必中中和によって対抗してくるのを念頭に置いた術式構築だった。

 

 

 竜巻が全てを巻き込みながら黒く肥大化していく。力の渦は呪力をも纏い、内包するエネルギーを何倍にも倍加させている。どう足掻いても逃げられない。

 巨大なミキサーのようなものだ。巻き込まれれば肉体を引き裂かれ確実に死ぬ。反転術式どころか影を使う隙間さえない。

 確定した死がすぐそこに在った。

 

 

 

 だから、再び求めた。

 死に瀕して、陽明はその存在の呼びかけを聞き入れた。

 

 

―――使え、その身に刻まれた術式を。そして聞け、この俺の声を。

 

 

 かつて交わした契約。絶望の淵に立ち、自らの意思で求めなければ聞こえない声。忘却の檻に封じられた禁忌の力。

 天魔波旬を囚えるための鎖がまた一つ砕かれた。

 

 

 

 

 

 

 竜巻と少年の影が重なり、その命は潰えたかのように見えた。

 しかし天狗は領域内の事象を全て知っている。少年は竜巻に取り込まれる直前、忽然と姿を消していた。

 

 

 領域が消えていくのを感じる。

 嵐も竜巻も消えはしないが、既に制御は彼の手を離れていた。自然の流れに反した異常気象はすぐに正常化するだろう。

 

 天に巻き上げられた瓦礫の山が地に降り注ぐ。

 

 

 「…空性結界の展延による領域解体」

 

 天狗は突如として起こった異変を、冷や汗を流しながら分析していた。

 

 

 簡易領域のベース、空性結界の空いた容量に領域を打ち消す情報を流しながら広げたのだ。

 そのためには結界縁から領域の構成情報を分析し、逐次的に中和情報を逆算する必要がある。そして能動的な術式中和が領域を侵食する。

 

 あり得ない。一体どれほどの演算能力があれば可能となるのか、それすらもわからない。少なくとも人間の脳ではまず不可能だ。

 しかしかつて神域と呼ばれ、同じ業を使った人間がいた。

 

 

 天狗はおもむろに太刀を構え、振り向きざまに薙ぎ払った。

 甲高い金属音が打ち鳴らされ、果たして刃は止まった。

 

 見れば消えたはずの少年が刀を抜いていた。

 

 またしても見覚えがある。これは影に融け込み、空間の裏側を伝って跳躍する術。余りの不安定性故に“彼”の生前、終ぞ完成に至らなかったはずの暗殺術だ。

 

 天狗がその名を呼んだ。

 

 

 「…まさか本人とは。どうやら死して力を手に入れたようだな。我が不肖の弟子、景光(かげみつ)よ」

 

 

 陽明の肉体には、呪いが宿っている。天狗はいち早くその正体を見抜いていた。

 

 禪院家初代当主の孫にして、初代に並ぶとまで謳われた傑物。そして呪いへ転ずる以前の彼の弟子の一人だ。

 師が呪いへ堕ちたならば、弟子にもその素養があったのだ。

 わからないのは、何故呪いへと転じながら肉の体を持っているのか。呪物や呪霊の受肉体というわけでもないだろうに。

 

 だが少なくともわかっているのは、この呪いが宿主の少年を食い物にしている害毒であるということ。

 

 

 剣を弾き、互いに距離を取る。

 

 「呪いを祓い、無辜の民を救うことに心血を注いでいたお前が堕ちるとは!」

 

 天狗が吐き捨てるように言う。己が身を振り返ることもなく、失望を隠すことすら忘れていた。

 

 呪いに堕ちた者の欲望は純化される。目の前の存在から感じるのは世界全てを手に入れたいという欲。

 その男は呪術師として在ることに全てを捧げていたはずだったのに、何故。

 

 

 少年の身に宿り、ついに表在化した亡霊は薄く笑みを浮かべた。

 お前がそれを言う権利はないだろうに、と。自分勝手な物言い、正しく呪いらしい。

 

 「この世は呪いに満ち満ちている。地に蔓延る人、それ自体が呪いの塊なのだから当然だ。貴様と同じ、死して真実を悟ったに過ぎない。一体俺に何を期待していたんだ?」

 

 「全てだ!だがお前は圧倒的な力の前に斃れた!それを聞き及んだ時、()の運命は決まったのだ!」

 

 呪いの王、両面宿儺。誰よりも優れた能力と意思を併せ持っていた弟子は、かの存在に挑みかかり、何ら痛手を負わせることなく敗れた。

 

 そして間もなくして人々は屈服し、生殺与奪の権を宿儺に預けた。恐怖のあまり抗うことを止め、自ら家畜に堕したのだ。

 その時の絶望たるや、筆舌に尽くし難い。失望と言い換えてもいい。

 救えない。救う価値もない。死んでいった者たちの粉骨砕身を欠片も慮ることなく呪いの王に媚び諂う豚共の姿を見て、彼の心は折れた。

 

 彼は人に期待することを止めた。だからこそ呪いの身に転じ、砂粒以下の僅かな可能性に賭けた。

 縫い目の男、羂索。他者の肉体を渡り、呪いを広げる事しか能のないあの男が、度し難い人という種を変える可能性に。

 

 

 景光と呼ばれた男は、そんな師の変わり果てた姿に冷笑を漏らすしかなかった。

 

 「結局は転嫁か、我が師の事ながら呆れたことだ。自らの意志を亡くし他者に寄り縋るしか能がない者に用はない。疾く去ね、下郎」

 

 天狗だ何だと気取ってみても、勝手に期待し、勝手に失望して憎み呪う。自身が侮蔑する人々と何ら変わることがないつまらない存在だ。

 

 まこと愚かとしか言いようがない。無様に生き恥を晒すよりは、死んだ方が身のためだろう。

 かつての師の成れの果てといえど、相手は単なる呪いの化身。情など湧こうはずもない。

 

 景光は掌印を結んだ。僅かな苛立ちと共に。

 

 

―――領域展開『無明長夜』。

 

 

 明けることのない暗闇をもたらす領域。

 本来『何も情報を与えない』だけの術式が、()()()()()()()()()()()()()()()によって能力を底上げされている。

 

 間違った情報を与えられ、感覚を打ち消され、時間も、空間も、自分の感覚さえもわからなくなる。取り込まれたものは術者に齎される偽りの光に縋る事しか出来ない。領域を解体され術式すら使えない天狗に抗う術は何も残っていない。

 

 しかし自らの運命を他者に委ねる惰弱にはお似合いの末路だろう。

 

 「地獄を彷徨え。…いや、天狗道だったか?まあどちらでも同じことだ」

 

 呪霊は膝を付き、景光の前に首を差し出した。まるで苦しみ懺悔する罪人のような様相だった。

 裁きを待つことしか出来ない憐れな呪霊の首を、彼は微かな慈悲の心を持って一刀のもとに撥ねた。

 

 

 そして呪霊の消失反応が起こるよりも早く、影から伸びた手が遺骸を内へと引きずり込む。

 黄泉への導き。堕ちた魂は影の牢獄へと繋がれるのだ。

 

 「未練に満ちた貴様の魂は俺が有効に使ってやる。安心して逝くといい」

 

 影を操るその術式、真の名を『黄泉影法術(よもつかげぼうじゅつ)』という。

 死して自己を取り込んだことで覚醒した、魂の行く末を左右する術式である。

 

 




この人たち誰?と思うかも知れませんが、平安の過去回想にちょっとだけ出してるオリキャラです
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