それは禪院直毘人が当主になる前の出来事。
禪院直久はただ只管に木刀を振っていた。朝から晩まで、それしかすることがなかったから。
禪院家では、術式を持たずして生まれた男子は全て『躯倶留隊』に所属することになる。
禪院最下層の戦闘部隊だ。日夜血の滲むような鍛錬に励み、それでいて上の立場の術師たちからこき使われるのが仕事。
有事の際には真っ先に捨て駒として使い潰される。代わりは幾らでもいるのだと言って。
ただ直久はまだ12を数えたばかりで幼く、周りに同じような歳の者もいない。体が出来ている隊員との訓練に混じるには力不足。
だから剣を振っていた。
(クソ、クソッ、クソッッ!!)
胸の内で只管呪詛の言葉を刻みながら。
直久の母親は、彼の術式の有無が判明するその時まで期待をかけ続けていた。
3人の兄は術式こそあれ相伝ではなかった。
禪院の実力主義とは男の世界の話。この家での女の価値は、如何に優れた子を産むか、相伝を持っている”人間”を産むことが出来るかが全てだった。
「直久、お前はあの出来損ない達のようになるんじゃないよ」
彼女は自分の四男に対して口癖のように言って聞かせた。
自分の子供のことを悪し様に罵る事ができる碌でなし、と世間では捉えるだろうが、年端も行かぬ子供にとっては親こそが全て。
直久は自分の兄たちが出来損ないのクズであると信じ込み、自分は彼らとは違うのだと思い込んでいた。
だが6歳になっても、7歳になっても術式は現れなかった。
普通、術師に刻まれている術式が判明するのは5、6歳の頃。そうでなくても持っている子供は自分でそれと察しているものだ。
直久は何も持っていなかった。自分で自分が何も持っていないということを心底から理解した。
すぐに母の関心は自分に向かなくなった。それどころか憎しみすら向けられていることを察していた。
生まれたばかりの弟、直哉に対して、自分のことを『出来損ない以下のクズ』と言い聞かせているところを覗き見てしまった。
どうしていいかわからない。何で自分はクズなのか。クズはどうやったらクズじゃなくなるのか。
彼は絶望し、救いと導きを求めた。すなわち父の元へ。
父は、直毘人は片手で酒瓶を呷りながら鼻で笑った。
「ハッ、弱いからクズなんだろうが。自分で考える能も無いような馬鹿は、馬鹿みたいに只管剣でも振っておけ!」
聞いたのが間違いだったとは思わなかった。
弱くてはダメ、馬鹿でもダメ。強く賢くならなければならない。まだ素直さが残っていたその子供は、そうやって言葉を曲解した。
涙を誰かに見られるわけにはいかない。弱さに付け込まれて謗られる。
直久は木の陰でこっそりと泣いて、父の言いつけ通りただ只管剣を振ることに明け暮れた。
程なくして直久は躯倶留隊に所属し、同じ出来損ない達の群れの中で暮らし始めた。
ここの人間達の間には妙な仲間意識がある。
傷を舐め合い、それでいて互いに見下し合い、すべてを諦めている落伍者の集まり。
クズしかいないが、ここが自分の居場所。ここでは別にクズでも許される。
クズで何が悪いと開き直りながら、力あるものには媚び諂う、それでいいではないか。
そんな気色の悪いぬるま湯に浸かっているような感覚を皆で共有し、歳を重ねるにつれて、その感覚に慣れていく。
直久は彼らと少しだけ違った。未だ幼いからこそ、現実を見ることが出来ないからこそ、どうしても諦めることが出来ない。
しかし、自分はもっとやれるんだ、周りの奴らとは違うんだ、と自分に言い聞かせて剣を振り続けたところで術式が刻まれることもない。
無意味に時間だけが過ぎていく。段々と彼らに近づいていく。自分が嫌いになっていく。
何も変わらない現実に疲れ、少しだけ諦めの兆しが見え始めていたある日、彼の前に
直哉の術式が判明した。父と同じ、投射呪法。
直毘人によって類稀な戦闘用術式に昇華し、彼を次代当主筆頭へと押し上げた相伝術式。
直久は、直哉の前から隠れた。
あの碌でなしの母は直哉に言い聞かせていた。かつて自分がそうだったように、直哉もまた、兄である自分のことを見下している。
出来損ないと見下されたくない。自分がただの踏み台でしか無いと認めたくない。踏み台以下の存在なのだと考えたくない。
弟を、血の通った家族を敵であると憎みたくはない。ほんの僅かに残っている自尊心の欠片が自分を恐れさせる。
初めて情けなさから死にたくなった。
「クソが…」
ずっと避け続けている。これまで直哉と会話一つしたことがないが、近頃は視界に入ることすら避けている。
弟に面と向かって馬鹿にされたとき、一体自分はどうなるのだろう。
怒るのか、悲しむのか、憎むのか、殺意を覚えるのだろうか。…多分全部だ。
どうしようもない弱者、落伍者。性根から終わっている。でも一体どうしろというのか。
くだらない雑念を抱きながらただ剣を振る。
誰も自分に期待しない。もはや自分自身でさえも。なのに、無駄だと思いながらそれしかすることがない。
『全てが無意味だ。無価値な自分に未来なんて有りはしない』
ただ、偶然にも今この瞬間、同じことを考えている人間がこの家にはもう一人いた。
「だから全部ぶっ壊してやるよ」
その日、禪院に鬼が現れた。
天与呪縛のフィジカルギフテッド、呪力から完全に脱却したただ一人の人類が、禪院家で好き放題に暴れ回った。
重症者多数。だが死人はただ一人としていない。
恐らく彼は自分が後々呪詛師として認定されることを厭ったのだろう。
或いは、彼らには自分が手を汚す価値すらないと見下し返したのかもしれない。
術式どころか呪力を全く持たないその男は、幼い時から罵られ、忌み嫌われ、時には命を落としかねない”遊び”に突き落とされてきた。
身体が成長するにつれて天与呪縛による恩恵は大きくなっていきはしたが、これまで男がそれを使うことはなかった。
使っても意味がない。そんなことをしたところで何も変わらない。懇切丁寧に刷り込まれた術師至上主義の価値観が、男から未来を、人生の希望を奪っていた。
しかし意味がないからといってやらない理由にはならない。
何のきっかけもなく唐突に、全てを壊したくなったのだ。
躯倶留隊、灯、そして炳が総出で男を鎮圧しようとしたが、全て返り討ちにされた。
手足を折られ肩や顎を砕かれ戦意を根こそぎ折られた術師たち。彼らの脳髄には決して消えることのない鮮烈な恐怖が刻まれた。
最終的に事態を収めたのは中立を保っていた直毘人だった。彼は現当主を説き伏せ、禪院が抱える幾つか価値のある呪具と引き換えに、男が金輪際禪院家に対して危害を加えないことを秘密裏に要求した。
謂わば手切れ金だった。果たして男は、禪院甚爾はそれを呑み、清々したと言って家から出ていった。
かの鬼人の暴れっぷりを見て、少年は学習した。
躯倶留隊の招集もこっそりとサボり、普段偉そうにしていた奴らの慌て様を見て、彼は内心笑い転げていた。
見ていてスカッとしたどころじゃない。道が拓けたような気がした。
間違いなくアレが正解だ。こんな家にいても良いことなんて何もない。そう気づいた。
一方、内心で慕っていた甚爾がいなくなり、その切っ掛け、彼の力を決して認めようとしなかった度し難い馬鹿どものことを、直哉は心底から見下していた。
四人いる兄も、どいつもこいつも出来損ないのクズ。今の彼にとっては八つ当たりの対象でしかない。
一言で言えば間が悪かった。
とはいえ、直久がたまたま廊下で直哉の進路を塞いでいただけではあったが。
「どけや。…ほんま鬱陶しいわこの出来損ない。何で生きとるん?死んだ方がええんちゃう?」
「……ああ」
それが最初で最後の兄弟の会話。
気付いた時には、拳で弟の頬を砕いていた。
胸糞悪い。ついでに後味も最悪だった。
まだ力の使い方も碌に知らない小さなガキを嬲って気分が良くなるわけがない。想像した通り、全部の感情が綯い交ぜになっている。
しかし良い切っ掛けだと思った。
彼はそのまま逃げるように家を飛び出した。何の宛もありはしなかったが、このままここにいるよりはマシな筈だと信じた。
後ろ盾も何もない無知な子供が一人で生きていけるほど世間は甘くない。
三日で雨風や寒さ、飢えで苦しむことになるも、あの家に戻ることだけは御免だった。
生きるために頭をフルで働かせる。自分の唯一の武器は術師であること。体力や腕っぷしだけはあった。
クソみたいな治安の路地裏で少し年上の悪童たちに喧嘩を売り、金を巻き上げまずは身なりを整える。
体格は同年代と比べれば大きいとはいえ、まだ子供の域を出ない。顔立ちも幼く目立ちやすい。
それでも出来るだけ子供であることがわからないような格好をし、人の目につかない薄暗闇を歩く。
ただ時には必要な情報を得るために幼気な子供を装う事もある。利用できるものは利用する。
順調に日陰での生き方を学んでいく。
喧嘩やカツアゲは資金源の一つではあるが出来るだけ控えなければならない。出る杭は打たれる。目立ってはいけない。
警戒するべきは数だけは多い非術師たちの目。警察に目をつけられるのだけは御免だ。
呪術界の目はそんなに気にしなくてもいい。窓なんてそこら中にいるわけじゃないし、単なる身体強化術だけではほとんど残穢も残らない。警戒するに越したことはないが。
必要以上に他人と関わらない。家で散々学んだこと。人間なんていうのは漏れなくクソだ、誰も信用することはできない。弱みにつけこんで利用しようとする輩は幾らでもいる。年端も行かない子供だというのならなおさら。あるのは善意を装った悪意だけ。
必要なのは金。子供の身でも出来るのは盗み。そういうわけで、処世術としてスリ、窃盗の技術を鍛えていった。バレても逃げ足があればそうそう捕まることはない。
大切なのは自然さだ。臭いや汚れで成功率は下がるから、身なりにも気を遣った。
取り敢えずポケットの中の金や食べものには困らなくなった。
しかし衣食住の住だけは如何ともし難く、仕方なくその辺の公園で寝泊まりしたりホームレスたちの溜まり場に紛れ込んだりもした。
偶に変態から襲われそうになったが、そいつらは死なない程度にボコボコにした。
その辺で屯してシンナー吸ってる悪ガキ共にも家くらいはある。切実に家が欲しい。
だがそもそも住所不定無職、身元すら不明のガキに家を貸す馬鹿はいない。口座すらない。住み込みバイトなんていうのも不可能、年齢を誤魔化しても流石に幼すぎてバレる。
(もうマル暴でも頼るか?ていうかいっそ鉄砲玉にでもなるか?……ねーわ。あの家にいたときとなんも変わんねぇよ)
例え鉄砲玉から抜け出して裏社会で成り上がろうとしたところで、途中で呪詛師として呪術師に屠られるのがオチ。
家や呪術界と関わりたくない癖に、術師であることだけは捨てられないのだ。
ある程度余裕が出来たせいで考えてしまう。
そもそも自分は何をしているのだ。何をどうしたくて家を出たのだ。
ただ逃げ続けた先に何を求めている。そこに未来はあるのか。
…自分を馬鹿にした奴らを見返してやりたい。自分と同じクズどもの目を覚ましてやりたい。
あのムカつく飲んだくれを、ドブカスサラブレッドを越えたい。
そしてあの時の鬼のようになれたら。
そんな事を考えていたから見誤った。もしかしたらあまりにも先が見えなくて自棄っぱちになっていたのかもしれない。
「…おいクソガキ。さっき俺の財布盗ったな?手癖の悪い奴だ。しかも術師ときた」
早足で撒いたと思ったのに、いつの間にか後ろから近づかれ、肩を掴まれていた。
多分すぐに捕まえなかったのは他に仲間がいると考えて泳がされたのだろう。
答えを返す暇もなく、奥歯が折れるほどぶん殴られ、首根っこを掴まれて持ち帰られた。
だがそれはこれ以上無い幸運だった。人生の運を全て使い果たしたのではないかというほどの。
この中年の男もまた術師で、術式を持っていない癖に次元違いに強く、そして間違いなく善人だったのだから。
人生で初めて出会った人種だった。
「おいおい手ぇ休めてる場合じゃないぞ。もう日が暮れてんだ」
「ゼェ、ゼェ、ゼェ…!」
「今ので何回目の抜刀だ?」
「ハァ、ハァ…な、ななせんごひゃ」
「え?な、にゃに千?まだ二千か。じゃああと八千だな。今日は徹夜だ、頑張れよ。じゃあ俺は飯食ってくるから」
「クソがッッ!」
幸運とか善人といったのは完全に間違いだった。最悪の凶運、悪魔より酷い大悪魔だ。
間違いなく今まで会った中で一番ヤバい類の人種。イカレた狂人。
この男、シン・陰流の師範で1級術師、自称もうすぐ最高師範と嘯く人物に捕まってしまったのが運の尽き。腐った性根を叩き直してやると言われ否応なしに即弟子入りさせられた。
彼は呪術師としては珍しく道場を構え、広く門戸を開き弟子を募っているものの、その修行の余りの厳しさ故に逃げ出してしまう者たちばかりだった。
しかし当の師範としては自分のやり方に全く疑問を持っていない。シン・陰の修行をつけてやるどころか衣食住を完備している。一体何が不満なのかと逆に不満に思っていた。
直久には他に行く宛がない。確かに衣食住が揃っているのは良いことだ。
だが何としても逃げたほうがいいと確信している。ここがヤバいところだということはもう確定している。
まだ道場に来てひと月も経っていないが、既に3人いる兄弟子達全員が夜逃げしようとした。
まずこの道場の門を叩いた者が生得術式を持っていた場合、敷地内での使用を縛りで禁止される。修行でズルしないようにという話だが、実際には脱走させないためだった。
そしてこの道場の敷地には術師が外に出ると感知することが出来る結界が張られている。それに加えて謎の資金力でシン・陰師範代の見張り兼修行監督(シフト制)までつけているのだ。
道場自体も脱走者を逃さないために改築が進められ、道場というか監獄より監獄のような作りになっている。普通の道場はあんなに高くて内に反り立っていて頑丈そうな壁に囲われていない。
逃げた弟子たちは師範および雇われ師範代たち(彼らは術式の使用を許されている)によって全員道場に連れ戻され、いい度胸をしていると言われ、報奨として1週間の無限組手権(義務)、そして抜刀十万回の権利(義務)が与えられる。これは1ヶ月の間に義務として課されるものと同じ量だ。なお師匠の手が足りない時は雇われ師範代が代行する。
その他に結界術、シン・陰流剣術、シン・陰流格闘術、抜刀(別口)、普通に座学など、一体どこにそんなに詰め込む時間があるのかというほど修行させられる。
一応、病気や怪我で続行不可能となれば流石に辞められるが、ここを訪れる術師にそんな軟な者はほとんどいない。頑丈で中々壊れない自分の体を誰もが恨んでいた。
術師としての実力は確かに向上する。そして弟子たちは向上した能力を使って脱走を図る。
師の許しが出るまで外出すら出来ないのだ。彼らは皆、道場から逃げるためだけに修行していた。
追手を完全に撒けば諦めてわざわざ探しに来ることはない。その時点である程度力が付いたものと判断されているのかもしれない。
経験者による悪評は凄まじいが、外部から見たらそこそこ優秀な術師(大体2級)が割りと短期間で排出されてくるため師範としての功績だけは上がっていく。道場を開いて十数年、四十そこそこの歳で最高師範目前だ。
実績という餌に釣られて哀れな犠牲者がやってくる。死ぬほど厳しいという噂だけど別にそこまでじゃないだろ、と謎の自信を持っている馬鹿が次々と。
そのような事情もあり、彼の元でシン・陰の皆伝を許されるのは一握りの変態だけ。誰もが途中で逃げ出し辞めていく。
師範の方も半端な術師が濫造されていくことに頭を悩ませていたが、未だに自分は悪くないと思っているのでやり方を変えるつもりは全くなかった。地獄を見ないで強くなれるはずがないだろう、と。
直久は一月でそんな内情を把握した。
自分より上の実力の兄弟子たちが逃げられないのなら今の自分ではどう足掻いても無理だろう。
まずは力を蓄えるしかない。この檻から逃げ出せればなんとかなる。
…本当に?
(…馬鹿かよ。もう俺は逃げ出して来てんだぞ。今更どこに行こうってんだ)
目標はあるのだ。禪院の奴らを全員越える。見返してやる。
皆伝が必要だというのならやってやる。それで強くなれるというのなら。
目的意識の差は結果に現れる。
直久が拉致監禁…もといシン陰門下となってから早三年、兄弟子たちが皆道場から去った後も、彼は師から押し付けられた無理難題を黙々と熟し続けた。偶に脱走を試みはしたが、まあそういうこともあるだろう。
術式こそ持たないものの、禪院の直系という血は彼に恵まれた体格、呪力量、出力をもたらし、稀に見る身体強化術の使い手として成長させた。
しかしどれだけ身体強化を極めようと、己の才能ではあの天与の暴力にまでは届かない。優れた五感による戦闘勘も真似できないものだ。
考える。自分が持っている武器は少ない。体と、頭と、呪力。
体では敵わない。だったら、残りで差を埋めるしか無い。
直久はその年の暮れ、師匠に直談判した。
「東京高専に行かせてくれ」
「なに?」
「師匠、俺の結界術はどんなもんだ?」
「…天賦の才がある。基礎について俺から教えられることはもうほとんど残っていない。だが図に乗るなよ。まだ発展途上だ」
結界術。呪力を用いて世界に境を作り空間を操る術。簡易領域など師事してから僅か1ヶ月で会得してしまった。
簡易領域をベースとした結界術を剣術に組み込んだシン・陰の技もみるみる吸収していった。
まるでシン・陰を学ぶために生まれてきたような少年だ。あと数年も修行を積めば皆伝を許すことも出来るだろう。
「天元に師事したい」
「…あ?」
「俺に必要なのは多分結界術だ。最も優れた結界術師である天元に教わるのが一番効率がいい」
何と言ったのかすぐにはわからなかった。天元と言ったのか?聞き間違いか?呼び捨てするな馬鹿。
「お前馬鹿なのか?脳味噌筋肉で置換されちゃった感じ?」
「アンタほどじゃねぇよボケ師匠」
「まず大前提として天元様がテメェみたいなどこの馬の骨ともわからん悪ガキに会う筈ねぇだろうが、上も周りも絶対許さんわ常識的に考えろ」
「直接会わずとも文通みたいな感じでいけない?あと縛りで秘密にするとか絶対に危害を加えないとか服従を誓うとか」
「ああ、そうか…俺が悪かった。明日は少し休め。な?」
「頭おかしい奴扱いしてんじゃねぇよ、自分が一番イカレてる癖に」
そう言って真剣な目で睨んでくる馬鹿弟子に対して、彼は呆れてものも言えなかった。
不死の術式を持つ天元は、国内結界の柱として東京高専地下深くの薨星宮で結界の維持・運用を務めている。
かの存在は俗世に対してほとんど干渉しない。また逆に世俗が干渉することも望んでいないだろう。薨星宮への道は常に隠され、側近などの限られた人間のみが接触を許されている。
呪術界では天元の見えない意思を汲み取り、結界を維持して貰う代わりに彼の平穏を約束するという暗黙の了解が成り立っている。
天元に私的に接触を求めるなんて論外、上層部の不興を買うどころではない。呪術界に対して反逆の意思ありと曲解されてもおかしくはないほどなのだ。
「でも実際さ、折角長生きして色々知識を持ってんのにそれを広めようとしないのはデカすぎる損失だと思わねぇ?天元一人だけじゃなくて術師総出で結界強化すれば呪霊なんてそもそも湧かなくなるかもよ?結局その方が天元の平穏も保たれる」
「人が皆善人というわけじゃない。シン・陰の技術を門下の内に留めているのと同じだ。知識もまた力、見方を変えれば災いの元。私利私欲の為に悪用しようとする輩は絶対に出てくるし、一度広めてしまえば取り返しがつかない。術師の場合個人が世に与える影響が大きすぎるんだ。そして不死ではない俺たちには常に継承の問題が付き纏う。そもそも結界術の才がある人間なんてそんなに多くはないし、呪霊祓除のため人員確保と戦闘技能向上を優先しなければならない呪術界にそんな余裕はない」
失伝している知識は確かに多いだろうが、術師が優先すべき戦闘技能、領域関連の結界術は各家の文献や相伝という形で俗世でもきちんと継承されている。シン・陰の技術も同様だ。それだけでも使いこなせている者は少ない。
国内結界の強化目的で天元に比肩、或いは準ずる結界術師を量産するなど夢物語でしかない。リスクとコストが大きい割に実現可能性が低すぎる、というより全く不明瞭だ。
「難しいけど絶対不可能ってわけではないだろ。不必要かもしれない知識でも学ぶことで何か見えることがあるはず。やらずに全部諦めるのは大人の悪い癖だ。少なくとも一考する価値くらいはあると思うけどね」
「お前の場合は禪院を越えるための一助にしたいだけだろうが。下心しかない奴が言っても全く説得力ねぇよ、この馬鹿弟子が」
「チッ、バレてたか。でも交渉するくらいいいだろ。そもそも天元サマが何考えてるのか誰もちゃんと知らねぇんだ。全部憶測、ただ結界張って貰わなきゃ困るから、話しかけたら気分害しちゃうかもってビビり散らかしてるだけ。もしかしたら覗き趣味で引きこもりなだけの気のいい婆ちゃんかもしれねぇのに」
「引きこもりて…。流石、小坊の身分で家出してスリで生計立ててた奴は恐れ知らずだな」
「ちなみに師匠が否と言った場合、どっちみち脱獄して直接高専に自分を押し売る予定」
「ハァ…。知ってるよ、そういう眼だ。もういい勝手にしろ。だが一区切り付いたらまた戻ってこい。まだ教えることはある」
「あざっす!」
師は自分の欲を優先した。
すなわち自分の弟子を最後まで育て、才を伸ばし切るという選択肢を取ったのだった。
前話の流れぶった切って唐突に始まった主人公の師匠の話。時系列ぶっ飛ばしながらダイジェストで。
直哉がドブカスなのは環境が悪いと思っている派。必然的に母親がドブカスに。
直哉の兄弟は何人かいて、直毘人は術式の判明する5~6歳を目安に子ガチャ繰り返してるイメージ。直哉で当たりが出たから打ち止めという感じ。年齢的にもありそう。
扇は子の出来のせいとか言うならもっと頑張れって感じ。
それはそれとして推定6歳児を全力でぶん殴る12歳児は流石に倫理的にマズイ。けど書いた。
禪院家に倫理観なんてもんは無いからセーフ。