呪術縁起   作:生乾きの服

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久しぶりの投稿です。長め。

一応時系列0巻分までは書いて一区切り付ける予定。
超遅筆なのでいつになるかわかりませんが。


26.真実と悪意

 御門陽明。非術師の家系に生まれた術師の才能を持った少年。

 小学3年生の夏休みに家族で遊園地に遊びに行っていたところ呪霊の襲撃に巻き込まれ、天涯孤独の身に……否、彼には一応まだ親族がいた。

 

 父方の祖父母はともに他界しているが、母方の、御門家の親族はまだ残っている。禪院家の分家の末裔だというが、直久はこれまで聞いたこともなかった。分家筋と言えど血の絶えた非術師、きっと禪院の一門としては見做されていなかったのだろう。

 どうやら彼らは少年の母親のことを勘当していたらしい。だが何処から情報を掴んだのか、早くも御門家の親族から高専の元に問い合わせがあった。

 

 陽明は我々が引き取る、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室を訪れた時、少年は窓から空を眺めていた。

 直久は無遠慮に彼のベッドの元へ近づいた。つい昨日身内を全て失った幼子の心情は慮って然るべきだっただろうが、生憎と彼は普通の子供ではない。

 

 先に取り調べをした補助監督から少年の様子は聞いていた。

 悲壮や絶望など感じさせないほどしっかりとした受け答えをし、だが努めて気丈に振る舞っているのかといえばそうでもない。まるで何事も無かったかのように平静を保っていたという。

 取り調べをした彼は、子供らしさどころか人間味がなくて不気味だと言っていた。

 

 

 見知らぬ気配がやって来たことに気づき、少年が振り返る。 

 

 

 「…誰?」

 

 「禪院直久、1級呪術師だ」

 

 「ああ、アンタが俺のことを助けてくれたのか。ありがとう」

 

 「どうだったかな」

 

 

 陽明は気を失う前後の事を覚えていなかった。

 天元から得た情報からしてもこの少年自身が呪霊を祓ったことに間違いはない。ただ覚えていないというからには相応の理由がある。

 直久は迂闊に真実を伝えることは控え、適当に誤魔化すことにした。

 

 

 「確かに言えるのはお前が地獄から生還したということだな。取り敢えずこれからの話だ。よく聞け、お前には幾つか進むべき道がある。お前の母方の親族から問い合わせが来ている。1つは彼らの元で非術師として…」

 

 「嫌だ」

 

 

 言葉の途中で少年に遮られた。

 

 

 「俺は呪術師になる。そしてこの世にある呪いを一つ残らず祓う」

 

 

 見ると彼は無表情の中、強い決意を瞳に秘めていた。

 直久は一つ小さく息をついた。

 

 

 「…復讐か、それなら止めておけ。怒りや憎しみ、呪いが原動力なのに呪いを断てるはずがない」

 

 

 当然、誰も前向きな気持ちで幸福を噛み締めながら呪いを祓っているわけではない。

 呪術の才能とは得ようと思って得るわけではない天与のもの。呪術師は皆周囲との差異を認め、自分に与えられた力の()()()使い道を求めてその生き方に辿り着いたものばかりだ。分相応に人並みに、自分に出来ることを淡々と熟しているに過ぎない。

 

 仕事の隙間に生じた余分な感傷によって人を助けたいと思うこともあるが、全てを救うことなんてできないのは誰もが理解している。

 呪いに対して怒りや憎しみを向けても意味がない。呪いを生み出すのは人だ。この世から呪いを完全に無くしたいのなら人を滅ぼすしかない。その道を辿ればいずれその結論に行き着く。

 

 自分はそんなことを許すためにこの場に来たわけではない。 

 確かな善性を持ちながら呪いの道を選んだかつての後輩を思い出した。

 

 

 「…憎しみは確かにある。でも、例え家族でも、()()()()()()()()()()()()()()。もう終わった事の為にこの命を使おうとは思わない」

 

 「なに?」

 

 

 平坦な口調、それでいてどこか強い意思を感じさせる言葉だった。

 

 

 (コイツ…マジで言ってやがる)

 

 

 初対面の子供に対して感じる違和感。考え方が大人びているとかそういう問題ではない。

 怒りや憎しみという感情が分離して主観的な判断に影響を与えていない。一言で言えば割り切り過ぎだ。

 『やるべきことだからやる』とでもいうような、まるで歯車や機械のような在り方にも関わらず、どこか熱が籠もってもいる。肉親を過去と断じておきながら、彼らを失った原因を絶つことに執着している。そんなチグハグな印象を覚える。

 

 一体それは何のため、何処から生まれている欲求だ。復讐の為と断言する方が余程まともだ。

 

 

 (始めから歪んでいるのか、それとも…)

 

 

 天元の言葉を思い出す。この少年の中には複数の異なる意識があると、そう言っていた。

 今表出している意識が本来の人格なのか、あるいは違うのかはわからない。ただ目の前の彼こそが、これまで彼自身の人生を歩んできた存在であることはわかる。

 

 この違和感が内に秘めた歪みの発露なのかどうか。

 

 

 「その言葉、本当にお前の胸の内から出たものか?」

 

 「…どういう意味?」

 

 「話は聞いた。家族仲は良かったそうだな。大切な家族だったんだろ?何でそんなに簡単に割り切って前を向ける。何故呪いを祓おうとする。誰の為に。自分か、他人か」

 

 

 矢継ぎ早に言葉を投げ、呪術師を志す動機、その人物の心の在り様を問う。奇しくも高専入学の際に掛けられる言葉と同じものだった。

 

 直久の質問に、少年は真剣に考える素振りをした。

 そして暫くして口を開いた。

 

 

 「…俺は今、自分も他人も心底どうでもいいと思ってる。ただ俺の人生を使って何かを変えられるなら、呪いの無い世界を作りたいと思った。それが何のためなのかは自分でもわからないけど、もうやるって決めたから」

 

 

 だから立ち止まっているような暇なんてない、と相変わらず迷いのない口調に、直久は眉を顰めた。

 

 しかし一応得心もいった。この僅かな熱の正体は焦燥感だ。

 それは彼が人の生の儚さ、無常を目の当たりにした結果。彼が自身の経験から得た答えだった。

 

 

 (喪失感の穴埋め、無意味な生に意味を見出そうとする足掻きか)

 

 

 直久にも覚えがあった。細かいことなど何も考えずに我武者羅に前に進むしかない時がある。特に絶望に近いものを内に抱いている時、そうしなければ立ち止まったまま進めなくなるのだ。

 冷静に見えるようでも不安定。恐ろしいのは箍が外れたとき。

 

 

 いずれにせよやることはもう決まっている。

 鎖が必要だ。人や社会を律し、支えるための規律、規範、失った他者との繋がりを与えること。

 五条悟を始めとして多くの呪術師が正しくその枠の内に留められているように、この少年もまた教え導く必要がある。

 

 だが直久が声をかけようと口を開こうとすると、陽明に機先を制された。

 

 

 「アンタに頼みたいことがある。俺に呪術を教えてくれ」

 

 「……」

 

 「俺は強くならないといけない。そして多分、アンタは強い。迷惑なのは承知の上だけど、俺に出来ることは何でもする。雑用なら何でもこなすし、働けというのなら働く。だから…」

 

 

 少年は土下座でもしかねない勢いで頭を下げた。

 多分靴を舐めろといったら即座に舐めるだろう。そのくらいの熱意だった。

 この幼い子供は今、自分の全てを掛けて嘆願している。

 

 

 もう一つ伝わってきた。呪いを祓うという目的とはまた別の感情。

 この世の理不尽に屈したくないという反骨心のようなもの。その気持ちは真実偽りのない彼自身の心の声だった。

 

 

 「顔を上げろ。言葉には呪いが宿る。呪術師が何でもするだなんて軽々しく口に出すな」

 

 「ごめんなさい……って、呪術師?」

 

 

 ふん、と直久は鼻を鳴らした。

 

 

 「明日から修行をつけてやる。キツ過ぎて後悔しても知らねぇからな」

 

 

 そのぶっきらぼうな物言いに、少年は少しだけ笑みを漏らした。

 そして思い出した。そう言えばまだしていなかったことがある。

 

 

 「俺の名は御門陽明。これからよろしくお願いします、師匠」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽明に修行をつけるのは楽だった。

 彼の呪力量、出力は中の中といった程度だが、物覚えも頭の回転も早く、結界術の適性もある。術師としての才能・適性が直久と似ていた。

 

 そして人に言われずとも自分のやるべきことを探してストイックに熟す。半年もすれば直久の持つ知識は吸収しつくしてしまった。

 知識を与えられたそばから吸収して発揮する様を見るのはある種の快感でさえある。複雑なパズルのピースがかちりと嵌るような感覚。

 普段は仕事に忙殺されながらも、弟子が自分の知識に適応していく様子をのんびりと見守るのは存外楽しいものだった。

 

 

 過酷で平穏な修行の日々が過ぎていく。

 天元が危惧した何かが顕在化することはなかった。ただふとした拍子に違和感を覚えることは多くあった。

 

 

 

 「ねー、これ凄くね?俺の影空間を参考にして結界による空間拡張を応用してみたんだけどさ」

 

 

 そう言って陽明が持ち出して来たのは一つの簡素な革袋だった。

 

 巾着のような形態のそれの口を緩めて、手を突っ込む。

 すると、あれよあれよと呪具から雑貨からモノが次々と出てくるではないか。

 

 

 「すげぇな…」

 

 「中に入れたモノの重さがそのままなのは欠点だけど、これなら術師が呪具を携帯するのに便利だろ。直久にやるよ。これまでの感謝の印として」

 

 「ああ、ありがとう」

 

 「ホントは量産したいんだけど一つ作るのだけでも結構大変なんだ。どうにかして工程を短縮したいけど、六眼でもあれば変わるのかな」

 

 

 

 陽明は呪具製作を得意としていた。特に結界術を物体に対して拡張させる技術については師を既に凌駕しており並ぶ者がなかった。有用な呪具を生産することは他の呪術師の利益となり呪霊祓除、生存率向上に寄与するという考えの元に努力を重ねた結果ともいえる。

 ただ当然のことながら、複雑で高性能な呪具であるほど製作に時間と労力を要する。そして呪具製作は呪術と同じく制作者自身の技術力に依存するところが大きすぎるため、他人に製法を継承することも困難だった。実際にやってみて、とてもではないが一人の力で世の中を動かし得るものではないことを彼は理解した。

 

 

 とはいえ、呪術を学んで僅か1年経たずにここまでの技術を身につけられるのは、才能と努力があったとしても異常としか言えなかった。 

 陽明は初学の事柄でも()()()()()()()()()()()()()()()()()振る舞うことがあった。さらに本人にはその自覚がない。

 

 不可解なことはまだある。彼の使う影を対象とする術式、基本性能は影の中に物体を収納したり自身が潜んだりすることが出来る()()の能力だ。

 便利で有用ではあるが、流石に天元の話していたモノとイメージがズレる。そもそも抑制されているとの事だったのに普通に使えている。そして本人も気にしていたことだが、()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()だということも引っかかる。術師の術式が判明するのは多くの場合5~6歳の頃、9歳はかなり遅いし、タイミングがタイミングだ。

  

 考えられるのはやはり彼に内在する存在から何らかの影響を受けているということ。問題はそれが善いモノなのか悪いモノなのかどうかだ。

 直久は師である天元を何よりも信頼している。彼が危惧するほどの存在、謎を謎のままにしておくのは愚策。

 

 

 ただ、ある程度の予想、というより妄想のようなものはある。

 

 呪術の世界では魂の存在が容認されている。人の身に魂を降ろして死者と会話を可能とする降霊術などは大衆にも認知されているが、実際に本物の降霊術式は存在している。また特級や特級に準ずる等級の呪物の中には人の魂が封じられたものがあり、それを人が体内に取り込むことで肉体の情報が書き換えられてしまうことがあるという。

 これまで観測されてきた経験的事実から、魂は人や物の成り立ちの根源、或いは死後剥き出しとなって霧散する生前の情報、などというやや曖昧な理解が一般になされている。

 

 直久が想像しているのは死者の魂の干渉。呪霊や呪物に転ずるでもなく、生者から働きかけるでもない、ある種の死者転生の法。

 

 

 (まあただの勘だ。前例は寡聞にして知らないし、根拠もないが…)

 

 

 どうしてこんな考えを持つに至ったか。それは陽明だけでなく、彼の家系が一貫してある特殊性を持っているということを知ったからだ。

 

 術師の血を絶ち、術師として生まれることがない血の呪い、そしてそんな彼らの中に突然湧いて出た術師の子供。

 呪力を全て奪われて生まれた人間のことが脳裏に焼き付いている。だからだろうか、御門の人間には本来何かしら術師の才能があったのではないかと感じてしまった。陽明の中に潜む何者かが一族の才能を全て奪ってしまったのではないかという、そんな突拍子もない妄想が湧いてきて頭から離れなかった。

 

 そもそも一族単位での呪縛など普通はあり得ないのだ。どこかに人の意思が介在していない限りは。

 

 

 

 

 

 以前、天元に尋ねたことがある。

 

 

 「死後の世界か……私には計り知れない。私は死というものからは最も遠い存在だからね。だが長いこと生きてきて多くの人の死に触れ、少しだけ学んだことがある」

 

 「へぇ、人と全然関わらない最重度の引き籠もりなのにな。やっぱ国内結界を使ったノゾキか?」

 

 「……」

 

 

 天元は反応しなかった。

 つまり正解。都合の悪いことを言われると黙る癖があることに直久は気付いていた。

 

 天元は気にせず(本当に気にしていないかは知らないが)話を続けた。

 

 

 「…死に際の強い未練は強い呪いを遺す。最もわかりやすいのは人が呪霊に転ずる例だが、これは実際のところかなり希少だ。何故だかわかるか?」

 

 「呪力を留める器がないからだろ。基本的に個人の呪力は時間経過で散る。だがこれは必ずしも消失を意味せず、多くの個人の散らばった呪力が一つところに集まることで呪霊として形を成す。しかし術師はもともと呪力の放散が少なく局在性が高いからか、死後個人として呪霊に転じやすい。だから術師を殺すときは呪力で呪力を相殺する必要がある。現世への執着はその傾向を強めるってことか」

 

 「そう。強い未練、執着によって意思が呪力として遺り、呪いを形作る。逆に言えば、確実性を持って意思を呪力として留める術と適切な器さえあれば死後も呪いとして生き続けることができると言える。例えば、結界術を極めれば不死に近づくことも出来るかもしれない。君は不死になりたいと思うか?」

 

 「さぁな。ジジイになったらそういうことも考えるかもしれねぇが、アンタを見てたら不死なんて面倒くさそうだと思ったぜ」

 

 「…そうか」

 

 

 

 

 

 結界術は意思を留める術。では適切な器とは何か。

 人の魂の器として最も適しているものは人以外にない。他者に取り憑いて生きる擬似的な不死という可能性を、かつて天元は言外に示唆したのだ。

 例えば呪物の受肉による他人の身体の乗っ取りはその内の一つ。陽明の中の何者かはそれとは別の、未知の方法で黄泉返ったのはないだろうか、と直久は考えていた。

 

 

 

 ふと思い立つ。

 

 

 (そういや一時期コイツの親戚共から付き纏われてたが、いつの間にか見なくなったな)

 

 

 現在、直久と陽明は23区外のとある山の麓に空き家を買い取って住んでいるのだが、事件直後からしばらくの間、御門の親戚達が家まで押しかけて来たり、陽明を小学校で出待ちして来たりという出来事があったことを思い出した。非術師相手ということもあり何度か警察を呼んだりして対処している内に、いつの間にかパッタリと音沙汰が無くなっていた。

 

 千年振りに生まれた御門家の術師として、彼らは陽明のことを渇望していた。そして陽明は彼らのことを、自らが術師になるという妄執を抱えている哀れな狂人たちの集団と言い捨てた。直久は両者の間に見えない因縁の糸があるような気がしてならなかった。

 

 やはり人の秘密を知りたいならばまずはその生まれ、起源(ルーツ)を辿る必要がある。

 直久は少しだけ調べ物をする時間を作ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

  

 季節は春。奈良県南部、吉野の地。直久は急峻な山嶺と咲き乱れる桜に囲まれたその土地を訪れていた。

 

 吉野山から大峰山にかけての山岳地帯は、飛鳥時代の大呪術師で修験道の開祖ともされる役小角(えんのおづの)がかつて修行を重ね、日本独自の仏である蔵王権現(ざおうごんげん)を示現したという伝説がある。全国的に桜の名所としても知られているが、これは桜が修験道の本尊である蔵王権現の神木であるとされて植林が進んだことによる。古くは神仏習合にて多数の寺社仏閣が建てられた修験の聖地であり、明治の神仏分離・廃仏毀釈にてそれら寺院の多くが取り壊されて今日に至る。

 

 御門家の人間がこの地に居を構えたのはそういった背景に縋ってのことだろう。 

 山岳とは擬死再生の地。過酷な環境に身を晒すことで一度死に、穢れを浄化して生まれ変わる。彼らは悟りを開くためではなく術師となるために、明治以降禁止されている修験を続けているのだ。

 

 それは古来からの精神修行ではない。非術師が術師になることなどないという現実を決して直視することなく、信じて努力し続ければ必ず道が拓けるという彼らの思想はもはや狂信としか言えない。頭のおかしい、狂信者の集団と言われても仕方がないだろう。禪院には及ばないまでもある程度纏まった数がいるらしいのが恐怖だ。

 

 だが直久は彼らを鼻で笑うことなど出来なかった。自分もかつては術式という才能を欠いていたことに悩み囚われていたのだから。

 

 呪術が秘匿されるべき理由の一端がここにある。強者と弱者の違いを知ることは恐れだけではなく、ときに強さへの憧れを生み出してしまう。

 持たざる者の羨望は嫉妬になり、行き過ぎればやがて憎悪へと変化する。

 

 禪院から分岐した彼らはきっと本家と同等以上に積極的に術師の血を取り入れようと努力したことだろう。しかしその努力は決して報われることがなく、積み重ねた分だけ後に引けなくなり、泥沼に嵌っていった。

 

 栄華を極める禪院本家を仰ぎ見ながら、本来は自分たちこそあの立場に在るべきだった筈なのにと、彼らは今もそういった妄執に囚われ続けているのだろうか。

 

 

 

 

 街から遠く外れて山の中、廃寺のうちの一つ。彼らはかつて廃仏毀釈により破却に陥るところだったそこを守り買い取り、自分たちの住処としているようだった。

 

 先に近隣(といっても山一つ分は離れている集落だが)を訪ねて下調べをしたが、どうやら御門の人間たちは近所でも”ヤバい”宗教にハマったイカれた集団と認識されているらしく、積極的に近づこうとする人間はいないようだった。

 

 確かに現代日本で日常的に滝行をしたり、素手だけで岩山を上り下りしたりなど修行をする人間はおかしい。その他にも夜な夜な叫び声に似た奇声が聞こえる、近づけば攫われて食われる、などあること無いこと言われて避けられているらしい。

 

 

 「それにしても絶景だな」

 

 

 山一面を覆う桜色に、小さくため息が出る。用事なんて放って置いて花見に洒落込みたい気分だった。

 ここで大人しく花を見ながら酒でも飲んでおけばいいものを…。

 

 

 「……。まあ修行が日常と化してるのは俺も同じか」

 

 

 陽明に修行をつけるようになってからその傾向が増している、というより最近は陽明の修行に付き合うために自身も鍛えていると言った方が正しいだろう。

 

 禪院家への執着が消えた時点で呪術師で在り続ける理由も失ってしまった。とはいえ今更一般人としての生き方を探すのも面倒だったから惰性で続けていたわけだが、近頃はやりがいを感じているところもある。

 弟子の正しき導となるように努力することが、直久に一種の生きがいというものを与え始めていた。

 

 

 

 

 

 山の中腹になだらかな土地があり、そこに件の廃寺があった。

 しかし山門が近づくにつれ、直久は警戒を強めた。離れていても分かる異常があったからだ。

 

 非術師しか居ないはずの家に呪力の気配。

 

 

 (…いるな。複数の呪力、呪霊か術師か。気配からは恐らく術師だろう)

 

 

 結界内の空間情報を直に取り込む感知結界術は脳に大きな負担が掛かる。取り込む情報にフィルターを掛けることも出来るが取捨選択する時点で僅かにラグが生じるし情報の鮮度も落ちる。したがってフィルターを掛けることはせず縛りも兼ねて時間制限を設けているわけだが、長年この術を使用してきたことで直久の脳にはある変化が起き始めていた。

 

 後天的に視力を失って聴覚が発達する人がいるように、感知結界術を使わずとも、術によって拡張された感覚を再現するために五感が向上してきているのだ。そして拡張した情報を扱うための処理能力も。

 

 

 研ぎ澄まされた感覚によって異なる呪力を弁別すると、その内の一つに覚えがあった。

 

 

 (何故ヤツがよりにもよってこんな場所にいる。まさか…)

 

 

 緊急で高専に、五条悟に連絡を取るべきかどうか。

 なにせ相手は()()()()使()()()()()()()。学生時代ならいざ知らず、今は各地に潜伏しつつ戦力を整えていることが予想されていた。自分では敵わない可能性は高い。

 

 迷う理由はない。直久は懐から携帯電話を取り出した。

 

 

 「あー五条か。近くに夏油が居る。そう、奈良の山ん中。地図情報をメールで送ったから、来たかったら来い。…無下限のルートが通ってないから30分くらいは掛かる?一瞬であちこち飛ぶから調整が大変って、ホント微妙に使い勝手が悪いなお前の術式。……っと、悪い、ヤツに気づかれたらしい。切るぞ」

 

 

 ふう、と息をついて電話をしまう。山門から50メートルは離れて木陰に隠れていたのだが、どうやら周囲に結界が敷かれていたらしい。巧妙に隠蔽されていてすぐに気づくことが出来なかった。

 

 

 「チッ、そういえばヤツは優秀な生徒だったな」

 

 

 高専に貼られているものと同タイプの、侵入者の存在を知らせる感知結界。以前高専の結界術の講義で教えたことがある。

 自分の技術を敵に使われたら世話はない。こと呪術に限っては教える人間を選ぶべきだという先人の言葉が身に沁みた。

 

 

 門の内側から何人か駆けてくる。

 恐らく夏油の仲間だ。そして実力は多分大したことがない。ヤツが身内には甘いとかそういう性質を残しているのならやりようはある。

 

 門は開かれず、塀を飛び越えてくる影が3つ。どれも白装束を纏い、各々の手には刀剣が。

 

 

 「何者だ」

 

 「貴様、呪術師か」

 

 

 呪詛師たちが思い思いに口を開く。

 直久は「見りゃわかんだろ」と少しだけ呆れながら、足元に転がっている砂利を両手に握り込んで呪力を込めた。

 

 

 「あらよ、っと」

 

 「ぐあっ!」

 

 

 勢いよく投擲された礫の散弾が呪詛師たちの足を撃ち抜く。1級術師による呪力の籠もった投擲は一つ一つが軽く拳銃と同程度の威力、2級未満程度の術師では防御しきれない。回避行動を取ろうとするも間に合わず、彼らは足から血を流しながらその場に倒れ込んだ。

 

 見立て通りの雑魚、とは言っても術師故にしぶとい。

 

 念のため上肢も潰すかどうか迷ったが、あまりやり過ぎては夏油の逆鱗に触れるかもしれない。人質はある程度無事が保たれているからこそ意味がある。

 

 

 

 

 うめき声を上げる男たちを尻目に、直久は山門を見やった。

 ゆっくりと門が開き、中から一人の男が出てくる。

 五条袈裟を身にまとい、長髪を一房後ろで結い上げている胡散臭い坊主姿。

 

 夏油傑、特級術師が一人。

 

 

 「誰かが結界の感知網に引っかかったと思ったら、アナタか。お久しぶりです、直久さん」

 

 

 夏油が目を細める。

 倒れ伏す男たちの一人が、夏油が出てきたことで口を開いた。

 

 

 「っ、すみません、夏油様…」

 

 「だから出なくていいと言ったのに…。まあ大事には至っていないようで何よりだ。…それにしてもいきなり酷いな、彼らが一体何をしたと言うんです?」

 

 

 感情の見えない声色で夏油は直久に語りかけた。

 心中穏やかではないのだろうが、それは直久も同様だった。

 

 

 「何かしたのはお前だ、夏油。一体人様の家で何してる?」

 

 

 陽明に執着していたはずの一族の人間が姿を現さなくなった原因を、直久は既に察してしまっていた。

 夏油傑が非術師を劣等種と見做して殺す危険思想の持ち主となっているという噂はどうやら本当だったらしい。

 

 恐らく、この家の人間は夏油に殺された。

 

 動機はある。術師の血ですら非術師に塗り潰す呪いなど、術師だけの世界を作りたい夏油にとってみれば悪夢のようなものだろう。

 

 足元で転がっている男達もその優生思想に共鳴している一派だろう。

 馬鹿馬鹿しい。コイツらは夏油という灯火に集る羽虫だ。たかが礫の投擲で行動不能に陥る程度の生物強度でよくそこまで粋がれるものだ、と直久は鼻で笑った。

 

 

 「何、というか、ただの花見ですが…。最近はここを拠点として使ってるんですよ。俗世と離れているし、()()したら案外使い心地が良かったもので。まあ家族たちには不便だと言われますが」

 

 「…他人の家乗っ取って花見とはイカレてんな。それに家族だと?あの隅っこでこっちを覗いてるガキどものことか?」

 

 

 開いた門の影から二人の少女がコソコソとこちらの様子を覗いていた。

 ふたりとも顔が似ている。恐らく姉妹、或いは双子。どこで拾ってきたかは知らないが、まだ幼い。きっと陽明と同年代くらいだろう。

 

 直久は、ペッと唾を吐き捨てた。

 

 

 「トコトンふざけた野郎だな。肉親をテメェで理不尽にぶっ殺しておいて家族ごっことは」

 

 

 元々、夏油と彼の両親の仲は悪くなかったと聞いていた。それを彼は、高専から離反する直前、ただ非術師だからという理由で殺した。

 

 

 直久にとって家族とは血の繋がり以上の意味を持たない。だがその繋がりこそ、断ち切ることができない呪いのようなものだった。

 あそこには忌まわしい思い出しかない。家を出て、呪術師としての修行と経験を積んで、弟子を取って、生きがいのようなものを見つけ、ようやく執着から解き放たれようかというところ。家族に対する諦めを得るまで、険しく苦しい道程だった。

 

 だが例えそんな碌でもない存在であっても、殺したいと思ったことは一度もない。かつて弟のことを殴ったときも、理不尽に対する怒りと悲しみと絶望だけが胸を占めていた。今では確かめようもないが、きっとあの天与呪縛の男も同じような気分だったのだろうと思った。

 

 

 理解できない。血の繋がりとはご大層な理想で上書き出来るほど浅いものではないはずだ。

 直久は数年ぶりに会った男に、得体の知れないものに対する嫌悪感を覚えた。

 

 

 そして嫌悪とは別に、怒りを覚える理由もあった。

 

 

 「もう一つ聞くが…、去年の夏、〇〇県の遊園地で起きた呪霊による非術師虐殺、アレはお前の仕業か?」

 

 

 直久は夏油を睨めつけた。

 

 

 現場に夏油の残穢は見当たらなかった。だがそれは彼が関与していないという証拠にはならない。

 

 例えば、あらかじめ呪霊操術のコントロールから外して呪霊を解き放ったら、術者の残穢は呪霊自身の呪力に掻き消されて分からなくなるのではないか。

 当然術者の指令も通せなくなるが、ただ無差別破壊や虐殺をさせたいのなら呪霊の本能に任せておけばいい。

 

 あの時、残穢の中にほんの僅かに既視感を覚えた。そしてこの場所に夏油が現れたことで、予てより頭の片隅に存在した微かな可能性が現実味を帯びた。彼が陽明たち家族を狙って事件を起こしたという可能性が。

 

 

 夏油は一瞬だけ目を見開き、目を細め、薄く笑みを零した。

 

 

 「よく気づきましたね。上手く隠せていたと思ったんですが」

 

 

 肯定。直久はギリッ、と歯を噛み締めた。

 その薄笑いを見て、本当に非術師であれば人を殺しても何の痛痒も感じない怪物に成り果ててしまったのだと理解した。

 

 陽明に知られるわけにはいかない。今彼が復讐の道に走らずに済んでいるのは特定の仇がいないからかもしれない。悪意が人を変えてしまうのだということは目の前の存在が証明している。

 これ以上余計なしがらみを抱えて人生を棒に振る必要はない。

 

 ふぅ、と一息ついて冷静さを取り戻す。

 

 

 「何故隠した?既に処刑確定のお前にそんなことする理由なんてないだろ」

 

 「ああ、別にアレは私が望んだことではないんですよ。…そうだな、やはりアナタには話しておきましょうか。あのケダモノ共の話を」

 

 「…なに?」

 

 「ここを訪ねてきたということは御門家に用があったんでしょう。話をする前に、まず私の家族達の安全を保証していただきたい。その代わり私もこの場でアナタを傷つけることはないと約束しますよ。”縛り”です」

 

 

 思いがけない提案だった。足手まといを抱えたまま戦うのは難しいだろうと思っていたが、どうやら向こうにはそもそも戦うつもりがないらしい。そして逃げる様子もない。

 

 好都合だ。直久としては五条悟が到着するまで時間を稼げば勝ちなのだから。

 それにこちらから夏油に対して危害を加えるなとは言われていない。これは恐らく直久を乗せるための意図的なルールの穴、どうとでも対処出来ると舐められているのだろう。直久が足元にいる木っ端術師から攻撃されても軽くあしらえるのと同じ。癪に障るが、条件としては問題ない。

 

 

 「いいだろう。”縛り”だ」

 

 

 他者間での”縛り”は両者の同意と言葉一つで成立する。契約によって人の行動をほとんど確実に制限することが出来る、呪術における何よりも優れた要素だ。簡易だが効果は絶大、故に扱うものは慎重に内容を吟味し、自身にとって不利な要素をできる限り排除しなければならない。

 

 そんな初歩中の初歩を夏油が理解していないはずはない。呪術界から追われる身である彼がここまで悠長に、呑気にしていられるのはその力の強大さゆえか。特級術師である夏油にとっての天敵は同じ特級の中でも上位存在である五条悟のみなのだろう。

 

 夏油は五条が既にこの場所に向かっていることを知らない。だからその慢心を突き、ただ時間稼ぎに徹すればいい。当然隙があれば容赦なく刺す。

 

 

 

 「それじゃ立ち話も何ですし、少し上がっていきませんか?お世話になった先輩をもてなすためにお茶菓子くらい出しますよ」

 

 「元々他人の家だろうが、何主人面してんだ。ここで話せ」

 

 

 もはや互いに敵同士なのに腹が立つほど気安い上、とんでもない面の皮の厚さだ。

 中は敵地な上、屋内だと戦闘も逃走もしづらい。攻撃されないとはいえ格上相手にそこまで平和ボケできるようなおめでたい頭はしていなかった。

 

 

 「残念。…ではちょっと失礼」

 

 

 一言発するとともに、夏油の正面から多脚の異形が3体出現する。そして直久の足元に伏している呪詛師たちを担いで門へと向かった。

 

 夏油はこちらを不安げに見守る少女達に穏やかに微笑みかけた後、呪霊に門を閉じさせた。

 

 

 

 (…やはり厄介だな)

 

 

 直久は一連の流れを見て改めて分析する。

 

 呪霊操術。基本性能として術者から数メートルの範囲で自在に手持ちの呪霊を現出させられる。それもほぼノーモーションで。

 

 呪霊を単純な飛び道具として使ったとしても強力な上、個々の呪霊にそれぞれ多様な特性がある。術式を持っている準1級以上の呪霊を複数同時に扱えるのは脅威という他ない。そして恐らくそれらの呪霊は術者自身の呪力で強化することも出来る。

 対抗できるのは同等の手数を持つ式神使い、あるいは夏油の手持ち呪霊全てを超越する圧倒的な個の力だけだろう。

 

 

 (五条がトラブって来れなくなったり、そもそも夏油と戦闘の意思を見せなかった場合は俺がやり合う必要があるわけだが、()()は未完成だしな)

 

 

 さてどうするかと思案していたところ、不意に夏油がクックッと笑い声を漏らした。

 

 

 「…何がおかしい」

 

 「いや、久々に高専の人間と会って、少し思い出し笑いをね。悟が教師になったという噂を聞いて笑ったもので。どうです、彼は上手くやってますか?」

 

 「チッ。んなこと気にしてどうする。呪詛師に堕ちて過去なんて切り捨てたんだろうがよ」

 

 

 あくまで親しげな様子を崩さない夏油に対し、直久は苛立ちを覚えた。

 夏油も彼を不快にさせる意図はなかったのか、笑みを浮かべるのを止める。

 

 

 「…手厳しいな。しかし確かに私は自らこの道を選択した。昔を振り返るのは全て終わってからでいいか」

 

 夏油は少しの間目を伏せ、雑念を振り払うように首を振う。

 そして真剣な顔つきで自分の思想をゆっくりと話し始めた。

 

 「私は汚いものや醜いものをどうにも許容できない人間らしく、実のところ自分の術式も好きではないんですよ。呪霊はその最たるものですから。おまけに取り込むときの味は最悪の下を行く」

 

 「……」

 

 「呪霊を生み出す根源たる非術師のことを、私は許容できない。彼ら自身も醜い。弱くて脆い癖に、誰もが日々の安寧を享受できる事を当たり前だと考えている。それが幾多の呪術師達の屍の上に築かれているとも知らず、あまつさえ術師の力に怯え、妬み、虐げる。…彼らは上位種たる術師にとっての害悪、進化の過程で切り捨てられるべき旧人類、猿です。無意味に増え過ぎた非術師を間引き続けることで、やがて世界は術師という種に適したものに進化するのだと、私は信じているんですよ」

 

 「…後半はさておき、そういう考えもあるってことは否定しねぇよ」 

 

 

 自身の好悪の感情によって生存競争による進化の促進という都合の良い理論を利用している。

 極論だと思ったが、直久は寧ろその好き嫌いの部分は否定しなかった。

 

 呪術師の殉職率は高い。自らその道を選んだもの、選ばざるを得なかったもの、どちらも区別なく死んでいく。彼らの屍の上に成り立っている世界を憎む、情の深い者もいるだろう。

 

 ただ禪院家という環境で幼少期を過ごした直久には、術師だけの世界が素晴らしいものであるとは到底考えられなかったが。

 どんな世界でも強者の上には強者が、弱者の下にはさらなる弱者が生まれる、それだけの話だ。

 

 

 

 「とはいえ今の世界は非術師を中心として回っている。数の力は無視できず、やむを得ずに彼らの手を借りることも多い。例えば私は呪詛師に仕事を回している仲介人を飼ってましてね。ある時彼が依頼を運んできました」

 

 「…依頼だと?」

 

 

話の流れが変わった。同時に嫌な予感がした。

 

 

 

 「暗殺依頼です。とある少年の家族を皆殺しにしろ、とね」

 

 

 

 早速嫌な予感が的中した。

 

 

「っ!まさか!」

 

「あの仲介人は中々優秀な猿で、私にとって利益となる仕事を選んで持ってくる。猿というよりは犬だな。…もうお察しのようですが、依頼主はかつてのこの家の住人です」

 

 

信じ難かった。だが直久には即座に理解できてしまった。

御門の人間は陽明を手に入れようとしたのだ。例えどんな手段を使おうとも。

 

 

「奴らは術師の血を打ち消す家系であると、私は聞いた。禪院から生じ、禪院と同じ様に術師の血を取り込んできたにも関わらず、千年間の歴史上一人も術師が生まれることがなかったと。だとしたらそれは決して広めてはならない最悪の呪いだ。だから私は、奴らの血を根絶やしにすることにした」

 

 

 

 

 陽明の両親のことを、陽明を囲い込み非術師として育て、腐らせている害悪だと考えた御門本家は、陽明の家族を皆殺しにするように、呪詛師界隈に依頼を持ち込んだ。彼らには家が啓かれた当初から受け継いできた財産、主に呪具の類が禪院家に劣らないほど豊富に存在しており、報酬には事欠かなかった。

 

 依頼の条件は陽明を除く家族を皆殺しにすることと、もう一つは下手人が居るという事実を誰にも悟られないことだった。そのためには事故や災害に近い現場を装う必要があり、少年の家族が標的であることを隠し、また彼の感情の矛先を犯人や依頼人である自分たちに向けないようにするための策であったらしい。

 

 無理難題に近い条件だったが、優秀な術師であれば可能な仕事ではあった。夏油は何の障害もなくこなしてみせ、御門家から一定の信用を得ることができた。

 

 しかし事件の後、陽明は高専の呪術師に引き取られ、御門本家は憤慨した。そしてその術師の暗殺をも夏油に持ちかけた。所詮はまだ子供の身、周りに頼る大人がいなくなれば流石に自分たちに縋るしかなくなるだろう、と。

 

 

 「呪いの根源らしい強欲と自己中心ぶりだ。だが仕事をこなしたことで得た信用、そして奴らの焦燥は私に付け入る隙を与えた」

 

 

 御門本家の人間は一族の人間を全て監視し、把握していた。家から出ていった親族の子に万が一術師が生まれた場合、すぐに本家に迎え入れられるように。その偏執狂のような執着と行動力に夏油は助けられた。

 

 夏油の目的は御門の血の根絶。そのためには各地に散らばっているだろう彼らの親族を集める必要がある。

 だから依頼を受ける条件として一族の召集を求めた。相手は強力な術師だから、呪術的儀式で一族の呪力を集める必要がある、などと適当な嘘をついたらあっさりと信じた。自分たちは所詮非術師であり、幾ら書物を読み漁り術師に近付こうと努力したところで呪術のプロフェッショナルに知識で及ぶはずもないことは自覚していたのだ。

 夏油を優れた術師として認めており、また元々術師への信仰に近い憧れがあったことが彼らを盲目にしたと言ってもいい。

 

 

 驚くほど上手くいった。そして夏油にとっては幸いなことに、歴史上で本家から離れた親族というのは予想に反して非常に少なかった。代々子は少なく、まるで血脈を拡散させないようにするように身内だけで固まり、ほとんど全ての親族が互いに協力し、連絡を取り合っていた。陽明の母親は例外と呼べる存在だった。

 一つの生物のように一体となって行動する姿に、夏油は日頃感じている嫌悪感とは別種の気色悪さを覚えた。

 

 

 そんな理解し難い()()と術師への異常な執着に、夏油は僅かに興味を抱き、尋ねた。

 彼らは言った。陽明がいれば、きっと我らは生まれ変わることが出来るはずだと。しかし何がどういう理屈でそうなるのかは自分たちでもわかっていないようだった。

 夏油は最終的に彼らをただの狂人達の集団と結論づけた。きっと閉鎖環境にあって自分たちの狂気が伝播、反響しているのだろう、妙な一体感はそのためだと。

 

 

 とにかく結果として、夏油はかの一族の人間を老若男女問わず全員、造作もなく鏖殺することが出来た。お誂え向きに彼らが記録していた家系図によると明らかな取りこぼしもなかった。

 ただ一人を除いて。

 

 

 

 「あの陽明という少年は殺さないようにと念押しされていましたが、呪霊のコントロールを解いたらどうしようもありませんからね。まあ死んだら死んだで構わないと思っていました。確実性を高めるために奴らの信用を得るという方法を取っただけで、他にもやりようはあった」

 

 「だろうな。だがそこまで徹底するならアイツを見逃す理由はねぇはずだ。術師だから殺さなかったなんて言うわけでもあるまい。何が目的だ。そしてこんなことを何故俺に話した」

 

 「…一言忠告しておいた方がいいと思いまして。彼を呪術師として育てているようですが止めた方がいい。正直言うと、そろそろアナタがここに来るのではないかと思って待っていたんですよ」

 

 

 夏油はあの事件の日のことを思い出した。だが敢えて直久には語らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 観覧車に乗りながら殺戮の舞台を眺めていた。

 

 熊や象のような体躯の呪霊たちが眼下の猿共を踏み潰す。害虫駆除のために燻煙式殺虫剤を炊いているような感覚。快も不快もなく、ただただ退屈だった。そのうちにゴンドラの外の叫び声や悲鳴がやがて子守歌のように聞こえてきて、欠伸を漏らす。

 

 しかしある時突然、背筋が凍るような悪寒が現れた。

 

 反射的に見下ろすと、いつの間にか件の少年を中心として辺り一面に広がった影が、呪霊達に纏わりつき、飲み込んでいた。消失反応を起こすことすらなく、彼らはそのまま消え去った。一面の黒の中に混ざる白はやけに目立っていた。

 

 

 遠く離れた冷たい金の瞳と視線が交錯する。彼は屍達の中心で呟いた。

 ありがとう。と、確かにそう言っていた。嗤いながら、自分の家族を殺した実行犯に向かって。

 

 

 ぞっとした。今現在のこの状況が、全て彼の思惑通りなのではないかという気がした。

 夏油はしばらく呆然として少年を見つめていた。

 

 

 そして影は消え去り、少年はただ意味もなくその場に立ち尽くす人形に変わった。

 先程とは打って変わってどうしようもなく無防備だ。この場で彼を手ずから殺すべきかどうか迷った。

 

 だが夏油は計画を思い出し、そしてこれ以上安易に刺激するのは悪手だと判断して踏みとどまった。

 恐らくその選択は正解だっただろう。根拠はない。強いて言えば直感だ。

 

 

 その直後、直久が現れ、少年は高専の保護下に入って機会を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 「あの子の中には怪物がいる…と、私が言うのも変な話ですが、アレは目覚めさせない方がいい」

 

 

 夏油は真剣な眼差しで直久に忠告した。

 その余りにも不吉な呪力は呪霊と同じ、術師と非術師の区別なく人という種に仇なす存在なのではないか。呪いの世界に身を置くことで目覚める可能性は高まるだろう、と。

 

 

 直久は再び舌打ちするのを抑えきれなかった。本当にお前が言うなと。なにが起こったのかは知らないが、どう考えても夏油が与えた負荷によって起こった変化なのだから。

 

 

 「…わざわざ俺に言いたかったのはそれか。意味わかんねぇとこで糞真面目だなお前。悪いがアイツが特殊なのはもう知ってんだ。ついでに呪術師として育てるのももう決まってる。寧ろお前がここで死んでくれたら色々憂いがなくなると思うんだが?」

 

 「それは遠慮しておきますよ。為すべき大義があるうちは私も死ぬわけにはいかないのでね」

 

 「そうかい。だがアイツも止まらないぜ。お前達のせいで止まれなくなったんだ。俺から見たらお前も十分怪物だよ。アイツとお前は似てる」

 

 

 一度道を決めたらどこまでも愚直に突き進む。正しいか間違っているかさえどうでもよく、それだけが自分のやるべきことだと信じて。

 だからだろうか、弟子の親の仇なのに何となく憎みきれない。それでもここで死なせておくのが間違いなく最善だ。

 この度し難い真実(悪意)にあの少年を晒す訳にはいかない。

 

 

 

 

 直久は日の高さを確認した。

 

 そろそろ五条が到着する頃合いだ。だが山門の内側で慌ただしく動く気配に直久は気付いていた。

 夏油もまた傷ついた仲間の応急処置や撤収準備をするための時間稼ぎをしていたのだ。

 

 予想通りか、境内から大きな翼が付いた呪霊が人を乗せて次々と飛び立っていく。先程現出した多脚呪霊は翼を隠し持っていたようだ。

 

 

 「夏油様!全員撤収完了です!」

 

 

 上空からの声が響く。

 ということは、今度は実力行使によってもうしばらく足止めをしなくてはならないということ。

 

 

 「お前の術式、五条とは違って他人を守ることに向いてるな。宝の持ち腐れだ」

 

 「ハァ、本当にとことん辛辣ですね。アナタはどこか執着に欠けている人だから私の同志になってくれないかとも思ったんですが…この様子では無理そうだ」

 

 「寝言は寝て言え。生憎俺はお前ほど暇人じゃねぇ」

 

 

 世の中がどうなろうが露ほども興味がなかったのは確かだ。だが今はもう自分のやるべきことを見つけている。

 

 

 

 直久は陽明にもらった巾着から一振りの刀を取り出す。

 

 夏油は背後に鳥型の呪霊を出現させた。呪霊が腹から伸ばした触手によって夏油の肩と脇を掴み、飛び立とうとする。

 

 

 「もうそろそろ悟が来そうだ。名残惜しいですが、私もお暇させていただく」

 

 「…なんでわかんだよ」

 

 「私達は親友ですから」

 

 

 気色の悪いことを言うなと直久は思ったが、気づかれた原因があるとすれば自分の態度以外にないだろう。

 思い返してみると、自分に有利な縛りを結んでいたことを除いても特級術師を相手にする切迫感が足りていなかったようだ。

 

 

 

 

 このまま空に逃げられては手が出せなくなる…訳では無い。一応奥の手は用意してある。

 未完成な上にリスクを伴うがこの際致し方ない。

 

 

 「そう言えばお前、禪院甚爾に負けたらしいな」

 

 

 逃げる準備を整えていた夏油の澄まし顔が、一瞬だけ歪んだ。

 彼はただの挑発だと受け流そうとしたが、直久にとっては挑発などではなかった。

 

 これから切り札を切る、その予告だ。

 

 

 

 「『領域加速』」

 

 

 

 言霊と共に発動する、結界術の深奥。

 全身に入れ墨のような紋様が浮かび上がる。

 

 

 次の瞬間、夏油の視界から直久が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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