術式がアレなので微クロスタグを付与
結界術は基本的に呪力による境界で内外の空間を区切り、内部に特殊な性質を付与する呪術。
付与できる条件は結界の基礎的な容量や強度に依存するが、技量のある術師であればある程度自由に決めることができる。
ただし術師が変えることの難しい条件もある。領域などの結界では物理的な距離や時間を含めた位相差が外界に対して生じるため、外殻を失えば途端に自壊する。逆にそういった位相差の小さい結界は外殻を必要としない。
つまり結界に刻まれた術式によって生じる事象が現実空間を大きく歪めるか否か。これが外殻の要不要といった条件を定めることになる。
このような前提のもと、特殊な条件を付与することで起こる現象がある。
簡易領域のように内外の位相差が小さく容量の空いた結界において、敢えて外殻で区切って大きな位相差を許容できるようにし、さらに結界に対して術式を付与しないこと。こうすることで、まるでその許容量を埋めようとするかのように結界内の空間に変化が起きることがある。
すなわち、時の流れが変わるのだ。
(後ろッ!)
夏油は消えた直久をかろうじて目の端で捉え、即座に呪霊を使って飛翔した。
だがすぐに上から飛ばされてくる殺気に気付く。
直久は自分が飛ぶよりも更に速く、高く跳躍して先回りしていたのだ。
呪霊に移動を任せていたのでは身動きが取れないと判断し、頭上に呪霊で防壁を作りながら地上に降り立とうとする。
その壁の隙間から直久が
(なんて出鱈目な動きだ!)
地に落ちた夏油はそのまま蓄えた低級呪霊を惜しみなく放出して周囲を覆い、即席の障壁を作り出す。
暗く閉ざされたドームの外からザザザザッ!という聞いたことのないような音がするが、何が起きているのかはわかった。
この瞬間にも凄まじい勢いで壁が削られている。その部分に集中して呪力で強化した呪霊を固めていってはいるが、あと数秒も持たないだろう。
(…剣術のみで毎秒10体以上の殲滅ペース、流石に速すぎる。これは単なる身体強化ではないな)
直前にその名を出されたことでかつての忌まわしい敵を想起してしまう。
垣間見えた、あの天与呪縛のフィジカルギフテッドに匹敵、或いは凌駕するほどの機動力。何もない宙空で移動してくるのも身に覚えのある理不尽さだった。
あの時と同じ、圧倒的な個の力の前には半端な呪霊を出しても壁としてすら機能しない。
正直侮っていた。1級術師といえ所詮は術式を持たない非才、努力のみで辿り着ける境地などたかが知れているだろうと。否、彼には結界術という立派な才能があった。
(慢心は厳禁ということか、肝に銘じておこう。だが問題はない)
直久が生得術式を持っていないという事実を鑑みればこれは結界術でしかあり得ない。しかも恐らくかなり特殊な条件下で機能する、体内を対象とした何らかのバフ効果だ。
結界術は生得術式とは違い一度術式を構築するだけでも難易度が高い。これ程の術式効果となると難易度も相応に高く、維持するためにはさらに極限まで高まった集中力を要するはず。確実に長続きはしまい。
(縛りのせいでこちらから
リミットまで攻撃を捌きつつ逃走の隙を窺うのが正着だ。しかし低級とはいえ無闇に呪霊を消費しては後に響く。貧乏性というわけではないが先のことも考えて節約を心掛けなくてはならない。
そして五条が到着する前に逃げなければならないため、あまり悠長にもしていられない。
夏油は禪院甚爾から引き継いだ武器貯蔵呪霊、そして呪具を引き出した。
(まあここで悟に会ってみるというのも案外アリかもしれないけど。今のアイツはちゃんと私を殺せるんだろうか)
手元の呪具を見て、どうでもいいことが頭に浮かぶ。呪霊が蓄えていた呪具類は禪院家から権利を主張されていたが、道端で呪霊ごと拾ったと言って突っぱねたのを何となく思い出した。
夏油の推測は当たっていた。
『領域加速』は体表を外殻と定めて体内を対象空間とする結界術。術式は何も付与されておらず、結界術自体の基本特性による時空間制御にのみ重点を置いた異質な術だった。
条件を調節し、体内の循環、代謝、骨格筋運動、神経伝達を含めたあらゆる生体活動が外界に対して加速するように制御する。
ただ欠点、および使用上の難点は多く、一番大きい問題はその不安定性だった。
身体の動きに合わせて体表、すなわち外殻の形が変わり、絶えず情報の更新を続けなければならない。またその度に結界内部の空間情報が更新され、時間の流れも変わる。歪みが大きくなれば結界は破綻する上、下手したら術式の対象となっている身体が歪みに押しつぶされる。
時々刻々と変化する最適な条件を割り出して術式構築するには思考のリソースが根本的に足りておらず、全てを人一人の脳でコントロールすることは本来不可能。難易度で言ったら六眼無しで無下限呪術を使いこなすことと大差ないだろう。だから直久は破綻を覚悟の上で、ある程度の不安定性を許容した。
重要なのは時間の流れの差異が大きくなりすぎないようにすること。酷い時には結界内外で100倍以上の差になってしまうことがあり、そうなると結界の維持も追いつかず、結界だけではなく肉体も外界との位相差に耐えきれずに崩壊しかねない。
結界をなんとか維持でき、かつ呪力で強化した身体が戦闘機動に耐えきれる限度は高々4~5倍速までといったところ。そのラインを超えず、かつ実戦で有用な速度を得なければならない。
少しでも安定させるため、嘱託式結界術の要領で全身至るところに呪力による刻印を施し、術式構築を補助。また実験段階で試行錯誤を繰り返し、微細な時間の流れの操作を調整・訓練した。
そこまで準備しても使用の際は結界の調整に全神経を注ぐ必要があり、当然他の結界術は使えない。また術式を解いた後には大きな反動もあるため簡単に中断することも出来ず、戦闘行動自体が常に綱渡りの連続となる。
だがそれら多くのデメリットを抱えてなお余りあるメリットがある。
体術の高速化は言うに及ばない。感知結界術の濫用で五感が向上したことにより直久は空気の微妙な密度の変化まで捉えることが出来るようになっており、空気の面を最高速で蹴ることで空中跳躍すらも可能となった。
そして外界からの入力情報に対して感覚が加速し、世界の全てがスローモーションに変わる。これにより超人的な反射速度を得ることができる。
また無意識下に発動できるほど繰り返し訓練した技はこの極限の集中状態でも使うことができる。
シン・陰流『抜刀』の応用、『水月』。呪力を用いた鞘走りによる加速を、空気を仮想の鞘として行う彼のオリジナルの術。
最高速度は抜刀に及ばないが今の加速状態であれば問題にならない。基本の剣術に組み合わせて超高速の剣舞を実現する。
約5秒間、無尽蔵に湧き出てくる呪霊を尽く葬り去り、補充速度が追いつかずついに防壁に穴が開く。
暗闇に夏油の不敵な笑みが覗いた。
一旦戦闘に移行した以上、もはや時間稼ぎなどと悠長なことは言わない。
今ここで殺る。その一心で敵の喉元を突こうとした瞬間。
「!!」
左のこめかみ辺りに風切り音があり、直久はその場から飛び退いた。
直後、赤い三節棍が空を切る。
特殊な術式は付与されておらず破壊力に特化した特級呪具『游雲』の一撃。使用者の膂力に依存するものの、純粋な破壊力はあらゆる呪具の中でトップクラスに位置する。
超人的な反射によって後の先で避けることが出来たが、攻撃のタイミングを予測して置かれた完璧なカウンターだった。食らっていれば頭蓋が吹き飛ばされていたかもしれない。
周囲を覆っていた呪霊の群れが晴れる。そこにはヒュンヒュン、と三節棍を振り回して肩慣らしをする夏油の姿があった。
彼は自分から『直久を傷つけてはならない』という縛りを結んだにも関わらず、直久が防壁を突破するのに躊躇なく攻撃を合わせてきたのだ。
(…ガチで殺しに来てやがる。俺と心中するつもりか?)
術式維持に集中していた直久の思考が僅かにぶれる。余りにも予想外で異常な行為だったからだ。
他者との縛りを破れば何が起きるかわからない。理不尽には理不尽を、縛りを破って相手を殺したりしたら何の前触れもなく突然死ぬことだって十分あり得る。
当然、夏油自身そんなことは百も承知。彼は殺意を持って一撃を繰り出しながら、それでいて直久が上手く避けてくれることに期待していた。
必殺の攻撃であれば回避行動を取らざるを得ないだろうという超攻撃的防御だ。だが中途半端な一撃では受けられて縛りに抵触する、あまりにリスクが大きい異常行動だった。
(私もあの時とは違うんだよ)
そこには直久の実力を侮ったことへの謝意と賞賛、自らへの戒め、そしてかつて破れた超人的な身体能力に対するリベンジの精神があった。
禪院甚爾に敗北したことは夏油の深層心理に思いの外大きな影を落としていた。それこそ彼が非術師を猿と呼ぶきっかけとなったくらいには。
だから徹底的に鍛え直した。あの怪物に体術で遅れを取らないように。
さらに本来不利に働くはずの直久と結んだ縛り、それに付随する形で夏油が取った『命を賭して攻撃する』というリスクと覚悟が新たな縛りとなり、呪力は彼に力を与えた。
甲高い金属音がリズムを奏でる。
新たな縛りで身体能力が向上していても、夏油は直久の高速斬撃の嵐に全て対応出来ているわけではない。基本的な速さで劣り手数の多さで押し負けるところを適宜出現させた呪霊でなんとか受け流しているが、既に衣服や肌に多くの切り傷がついている。
だが深手は一つも負っていない。体術において基礎スペックで圧倒的に勝っている直久が押しきれない理由が存在するのだ。
一つは游雲という武器が持つ優れた性能。
ガキン!とこれまでとは異なる音が鳴る。
「チィッ!」
直久は舌打ちをして僅かに距離を取り、刀を夏油に投擲する。そして懐の巾着からもう一振りの刀を取り出そうとした。刀身に亀裂が入ったことがわかったのだ。
游雲は長い年月を掛けて呪力で強化し、強度と威力を高めることで特級の位階を与えられるまでに至った呪具。破壊力だけではなく堅牢さにおいても他の追随を許さず、並の武器では簡単に破壊されてしまうという特性があった。武器を破壊されないように戦うことは今の直久にとって小さくない負担となっていた。
夏油は投擲された刀を軽く払って、武器を取り出そうとしている直久の隙を突こうと駆けた。深追いすることでカウンターを食らうリスクもあるはずだったが、彼はそれを全く気にすることがなかった。
(カウンターは、無い!)
その確信の元に敵の頭部目掛けて必殺の一撃を叩き込まんとする。
三節棍の変幻自在の軌道とはいえ、普段なら軽く避けて抜刀のカウンターで斬り伏せるところ。
だが直久は大きく飛び退いて回避した。
予想した結果が得られ、夏油がほくそ笑む。
最初の游雲の一撃に対する反応から感じていた違和感は正しかった。
(やはりな。
敵を殲滅するという目的意識によって戦いながらも、無意識下の生存本能がより強く彼を生かそうとする。だからカウンターを狙える隙がありながら咄嗟に安全を取ってしまう。
原因は視覚や聴覚の情報を受け取ってはいてもそれを主観的に処理し切れていないこと。ほとんどの思考を結界維持のために費やし、戦闘における対応力が大きく削られてしまっている。
夏油が攻めに転じなければそれでも良かった。直久がこの致命的な欠点がある切り札を切ったのは空への逃げ道を塞ぐためだが、縛りによって獲物を一方的に嬲れる狩人の立場だったということも大きい。
戦闘における精神負荷によって術式維持に支障が出る。それを理解した夏油が攻勢をかける。
身体が勝手に避けるということを除いても、游雲による攻撃を受けることは出来ない。当たれば致命傷、よくて手足が吹き飛ぶ可能性がある。縛りによって夏油を道連れに出来るというのはあくまで可能性の話であって、確定ではないのだ。
直久は本能の不可抗力に従い、無駄に避け続けるしか無かった。
そして総計約5分間の短い攻防の果て、来るべき終りが来る。
再度刀に亀裂が入った瞬間、極限まで張り詰めていた緊張の糸が途切れた。
直久は夏油から大きく距離を取り、その場に崩折れると口から血を吐き出した。
「こふッ、ゴホッ!」
喀血。肺の血管が一部破綻した。術式が中断されたことによる反動だった。
時の流れが正常化する際、通常の結界術であれば体表の外で歪みが是正されて体内にまで影響が及ぶことは少ない。だが元から体内を対象とした結界は別だ。
例えば血流が瞬間的に急加速した状態になる。その圧力の影響を抑えるために直久は体内の血管や臓器、血液自体も呪力で強化したが、元々脆い末梢の毛細血管の一部は破綻を免れることが出来なかった。肺の他の臓器や手足でも内出血が起こっているし、筋繊維があちこちちぎれている。全身が悲鳴を上げ、激痛を伝えてくる。戦闘の続行は難しいだろう。
(だがなんとか頭は守れた、らしい。危なかった)
他をある程度犠牲にしてでも頭部に呪力を集中した。高専に戻れば反転術式の治療を受けることが出来るが、家入でも他人の脳の治療は難しいのだ。
(…失敗したな。夏油の奴、信じらんねぇクソ度胸だ。普通あの縛りで攻撃してくるか?)
その場に倒れたまま夏油を睨みつける。彼が近づいてくることはない。縛りがある以上直久を本当に殺すことは出来ない。
領域加速という術が欠陥品であることはわかっていた。ここまであっさり見抜かれて対応されるとは思わなかったが。
しかしこれ以上術式に改良を加えていくつもりもない。術式構築の簡略化や補助刻印は詰めた上でこれだ。欠陥の原因が根本的な脳のスペック不足にある以上、一生かかっても使い物になる気がしない。
記憶にある鬼神に近づくために作った術ではあるが、出来もしないことに夢を見る子供時代はもう終わったのだ。一応陽明に伝授しはしたが、自分が出来なかったことを人に押し付けるつもりもない。未完成のままお蔵入り予定だ。
そして五条悟はまだ来ない。これだけ有利な条件にありながら、人のことを舐め腐っている生意気な後輩に一矢報いることすら出来なかった。
(こんなザマじゃ、禪院の馬鹿どもを見返すなんて土台無理な話だったな)
自嘲気味にそんなことを考えていると、夏油が悠長に話しかけてきた。
「弛まぬ研鑽と創意工夫の結晶、素晴らしい術でした。術師という種の可能性を見せてもらいましたよ」
「…ごほっ、イヤミ言ってんじゃねぇよ、クソ後輩」
「いや本当、高専に置いておくには惜しいと思ってるんですよ。本当に私達の仲間になりませんか?」
「まだ言うか…。呪詛師なんて呪術師以上に割に合わねぇよボケ」
何故なら五条悟がいるからだ。
直久が呆れたように言うと、夏油は肩を竦めてみせた。
そして先程とは違う、大きなペリカンのような呪霊を出現させ、その背に飛び乗った。
「仕方ないですね。それじゃ、なかなか悟も来ないようですし、そろそろ行きます」
「…まるで会っても良かったって口ぶりだな」
「ま、彼がちゃんと呪術師をやってるかどうかは興味があったのでね。ひと目見た後は動けないアナタを人質にして逃げればいいし。縛りのことをアナタが持ち出しても真偽の判断なんてできませんから」
それを聞いて直久は本当にげんなりした。苦労してやったことが無駄骨どころかマイナスだと言われればこうもなろう。
夏油も言いながら愉快そうに笑っている辺り、自分の仲間の扱いに対する意趣返しのつもりなのだろう。
「悟に、いい加減遅刻癖は直した方がいいと言っておいてください」
そう言い残して、夏油は悠々と飛び去っていった。
その約5分後。五条悟が到着した。
無下限呪術の座標調整がようやく終わったのだろう。上空にいきなり現れた。
彼は未だに地に伏している直久を見つけて地上に降りた。
「傑は?」
「もういねーよ。お前がカップラーメン作ってる間に逃げた。間の悪ぃ奴だ」
「…ハァ、だよねぇ」
五条はため息を一つついてその場に座り込んだ。
既に呪力の気配から察していたようだ。
しかし意外と焦ったりそこまで気落ちした様子はない。ついでにやる気もあまり感じられない。
(こりゃそもそも当てが外れたか?)
まさか道草を食っていたわけではないだろうが、この様子では例え間に合っていたところで夏油と戦っていたかどうかは怪しい。
五条がかつて夏油を一度見逃した事実については今のところ東京高専内だけで留められているが、そのうち決定的に明るみに出るかもしれない。
この先夏油が大きく動いた時、五条に共謀の容疑でも掛けられたら面倒なことになる。
「呼び出しといてなんだが、お前ここで夏油に会ってどうするつもりだった?」
「どうって、フツーに戦ってたよ。今度はちゃんと殺す気でね」
「へぇ…?」
そのはっきりとした意思表示を今度こそ意外に思う。
考えが伝わったのだろう。五条は心外だと言わんばかりに、サングラス越しに直久を睨みつけた。
「パイセンさぁ、イチオー
「うん。ぶっちゃけお前もそのうち呪詛師堕ちして世界が終わってもおかしくないとか思ってた。寧ろなんで教師なんかやってんの?気色悪い一人称使い始めたりしてよ。もう慣れたけど」
「……」
即答された上にそもそも呪詛師っぽいと言われたのが余程気に食わなかったらしい。
五条は横になって動けない直久の上に座り直し、そしてガシガシと頭を掻いた。
「おい降りろよ、先輩だぞ」
「確かに最初は僕も教師なんて道はこれっぽっちも考えてなかったさ。柄じゃないのもわかってる」
「普通に語り始めんな。そんなに興味ねーから」
怪我人の上に平気で腰掛けるクズに対して殺意が湧く。血が止まって呼吸も落ち着いたが、内蔵がダメージを負っているのは確かなため下手に暴れる事もできず為す術がない。
五条は気にせず続けた。
「正直、昔の僕は今が楽しければそれで良かった。傑と一緒に馬鹿やるのがマジで楽しくてさ。アイツは正しいことしか言わないから偶にウザったかったけど、それに反発してケンカすんのも楽しかったんだよ」
五条が柄になく真面目な雰囲気を出すので、ツッコみたいのを直久は我慢した。今が楽しければ良いのは変わらないだろ、と。
しかし流石に五条より子供っぽくなるのは御免被りたかった。
「だから正しいことしか言わないはずのアイツが非術師を虐殺したって聞いた時は意味わかんなくてね。術師のため?とか言うけど、術師も非術師も所詮他人じゃん?単なる好き嫌いをご立派な理由で誤魔化してるだけだって、そう思ったんだけどさ」
「まあそれは大体俺も同意見だ」
つい先程夏油と会話して抱いた感想だ。
彼も意外と冷静に夏油のことを分析しているらしい。
「でも実際、自分の好き嫌いだけであそこまで覚悟ガンギマれる奴じゃねーのよ、アイツは。多分それで世界が良くなるって本気で信じてて、そうしたいと本気で思ってんだわ。それが出来ると思ってるところまで含めて、スゲェ子供っぽいよな。イカレてる」
「(ツッコまねぇぞ)…それで?結局なんで教師になったんだよ」
夏油が唯一無二の親友だったのだということしかわからない。
自分と同じように、五条は善悪に意味を見出していないと思っていた。夏油が本気で誘えば一緒に堕ちる道だってあったはずだ。
「
「……」
「んで、わかったことといえば、傑が出てってから全然楽しくないってこと。今のままじゃ人生が楽しくならない。そしてある時思ったんだ。『そうだ、教師になろう』ってね」
「……。話聞いたらなんか疲れたわ」
「老化?まだ二十代だよね?」
「もういい、大体わかった。歩けねぇから肩貸してくれ。つーか運んでくれ」
「マジで老化?」
「…もしかしてお前、俺が好き好んで野外でぶっ倒れてると思ってねぇよな?」
「いや冗談だけど。傑と戦って時間稼ぎしてたってことくらい普通にわかるし」
「じゃあさっさとどけよグラサン馬鹿」
五条に関わると疲れる、というのは嘘偽りない感想だ。彼と人付き合いしたいのなら、人のことをブンブン振り回すのが生態なんだから仕方ないと諦めるしか無い。
しかし人の気持ちがわからないこの最強も、彼なりに他人に寄り添おうとしているのだということは何となく伝わってきた。呪術師として、教師として在ろうとする姿勢はその表れだろう。
(…”隣”ねぇ。コイツが人並みに孤独を感じるような性質だとはな。ニセモノじゃねぇよな?)
それはきっと夏油と出会ったことで培った人間性なのだろう。
対等だと思っていた人間がいなくなって寂しい。そして唯一救いたかった人間を救えなかったことを悔やみ、その親友が行くかもしれなかった
悪くはない。切っ掛けは夏油の真似事のようなものだろうが、続けているうちに本物になる可能性だってある。
実際に再び夏油と対面したときにどうなるかはまだわからない。しかし悪いようにはならないに違いない。
その後しばらくの間体を休め、吉野から去る前に直久は五条に釘を刺した。
「ここで俺が夏油に遭遇したことは口外無用だ。高専にも報告するな。そしてこの家のことも。ここは後で俺が片付ける」
「どういう意図?」
「高専というより、俺の弟子に秘密にしておきたいことがある」
「いや、別に言わなくても普通に黙ってたのにって意味。僕がクソ真面目に報告なんて上げるわけないじゃん」
「…冗談だよな?」
もしかしてまともに任務の報告も上げたこともないのだろうかという懸念から言ったのだが、五条は違う意味で受け取った。
「おっ、パイセンも僕のジョークがわかってきた?流石の僕も傑のことは学長にくらい報告しようとするよ」
(なんだコイツぶん殴りてぇ)
冗談かどうかも分かりづらいし意味不明だしクソつまらないということより、滅茶苦茶真面目な話をしてるのに容赦なく冗談をぶっ込んでくる神経が信じられない。これが他人にウケると思っているのが終わっている。それとも、夏油限定かよ、とツッコんでほしかったのだろうか。
意味がない気がしてきたと思いながらも、一応直久は説明した。
「この家の以前の住人は俺の弟子、陽明の親族だ。夏油が全員ぶっ殺した」
「!…アイツマジか」
「一応、殺された奴らの自業自得ではある。まあこの際それはどうでもいい。奴らの罪と夏油の罪、どっちもアイツには知られたくない。だから学長には俺から言っとく」
陽明の心には今もポッカリと穴が空いている。そこに復讐心などというゴミを焚べたくないと直久は思っていた。新しく湧いてきた懸念もある。
肩を貸している五条が横目で不思議そうに見る。
「随分と入れ込んでるんだね。そもそもスーパードライなアンタが弟子を取ったって時点で意外だよ」
「成り行き上仕方なくだが、何だかんだ今の生活が気に入ってんだ。才能があるってのは教える身としては見てて楽しいな。呪術界を変える、五条悟を超えるっつって頑張ってるよ。ちなみにまだ9歳だ」
「…なるほど、そりゃ面白そうな子だ」
子供らしく身の程知らず。しかしそうでないと強くはなれない。
子供には可能性があると五条は信じている。だから教師の道を選んだ。
強くなって自分に追いついて欲しいという自分本位な考え。そうすることでしか他人と関わることに希望を見出せなかった。
『君は五条悟だから最強なのか。最強だから五条悟なのか』
五条悟は強すぎる。たった一人で人類を皆殺しに出来るほど、強い。
そう、最強なのは一人だけだった。
親友と道を違えたあの時、自分は他人とは違うのだと決定的に自覚させられた。それから新しく他人と関わるたびに、きっとそのうち
それなのに、この期に及んでまだどこかに期待が残っているのだ。誰かがそんなの知ったことかと言って、線の上を飛び越えて来ることを。
五条は楽しげに笑った。
「あーあ、うちの恵にもそれくらいやる気があったら絶対強くなれるのに。子供にやる気出させるにはどうすればいいのかねぇ」
「めぐみ?お前が面倒見始めたとかいうガキか。女なの?」
「いや男の子。7歳…いやもう8歳だったかな?もし本人に会っても女みたいな名前とか言わないようにね。超不貞腐れてしばらく口利かなくなるから」
「もう言ったのかよ…。どんだけデリカシーねぇんだ」
幼い子供が兎に角繊細な生き物だということは自分でも知っているのに、なんでこれで教師なんてしているのか直久は本当に不思議だった。
「そう言えばすごい今更だけど、その顔とか手とかのスミは何なの?どっかのヤの付く事務所にでも就職するとか。或いは呪いの王とか目指してたり」
「何だ呪いの王って。結界術の補助のためのマーキングだよ。その内引っ込む」
「へぇ~、まさか自作?パイセンって結界術の知識はマジで豊富だよね。前も言ったけど、真面目に高専の講師に復帰してくんない?年1億くらいなら全然出すよ」
「残念だが、ついさっき教える人間は選ぶって決めたばっかなんでな」
「あっ、断るならこのままここに置いていくね。こんな山奥じゃ多分滅多に人は来ないと思うけど」
「それは卑怯だろお前」
東京高専地下、空性結界内部。
直久は家入から治療を受けてすぐ、天元へ経過の報告、そして助言を請うために再びこの場所を訪れていた。
結局御門家についてわかったことはほとんどない。ただ夏油の反応から、”何か”が目覚めかけたということがわかっただけ。その何かについての予想も変わりない。
「…俺は陽明に御門の先祖かなんかが取り憑いてんじゃないかと考えてる。ただ本人がそれに全く気付いていない、或いは忘れてるってのがわからん。なんでだと思う?」
直久からの問いに対し、天元は少しの間考える素振りをした。
「…魂の転生に近いものか。黄泉返りという観点においては呪物に宿った魂の受肉も転生だと言えるが、器の適性が高ければ自我が殺されずに残ることがある。確かにこの場合個人の内に複数の魂と意識が共存する事になり、現状とも符合する」
「だがアイツは生まれてからこれまで呪術とは無縁だった。親戚は妙ちくりんな奴らだったとはいえ、両親は普通の非術師で間違いない。呪物をぶちこまれる隙なんてなかったし、なんとアイツ自身赤ん坊の頃のことも覚えてるらしいからな。まあそれはそれで大分おかしいんだが」
「原理に立ち返ろう。呪物というものは魂を保護するための入れ物であり、他者の魂と肉体に干渉するための触媒でもある。したがって、基本的にこれなくして魂は己を保つことが出来ず、他人の体を乗っ取ることもできない。だが何らかの方法によって器無しで己の魂を保つ事ができた場合、受肉は不可能ではない。呪術的に人が個体として成立する前の段階、つまり胚や胎児の状態ならば拒絶されないかもしれない」
「胎児か。そう言えば呪胎九相図なんてものもあったな。アレはまた別の話だろうが…」
呪胎九相図。明治時代にとある術師が知的好奇心のもと、呪霊の子を孕んでしまう特殊体質を持った女性を利用して実験を繰り返し、九度の堕胎によって生みだされた九つの呪物のことだ。
「意識が肉体に依存していないあの特殊な在り方…可能性は高い。そしてここまでの仮定が正しいとして、忘却という事象に何か意味を見出すとしたら、やはりその存在は彼の中に封印されている状態なのだろう。呪術においては認知すること自体が存在の強度を上げることに繋がる。逆もまた然り、忘れられれば弱くなる」
「認知……仮想怨霊然り、帳で炙り出すと雑魚呪霊でも影響力が強まるのと同じだな」
「そう。呪術的な封印を維持するために最も効果的な方法、それは鍵を持った人間が対象の存在自体を忘れること。忘却による存在の弱体化、さらに認知しないという行為が内包するリスクは縛りとなり、封印の強度を底上げするんだ。彼の中に何者かの意思が封印されているとして、それを忘れているということは、恐らく鍵は表の彼が持っている。封印を施したのが彼自身なのかどうかはわからないが、外的要因以外で内から封印を破れなくするのが目的だったのだろう」
「…なるほど。だが状況証拠から考えると、ソイツは一時的に表に出た。肉親が目の前で殺され、自分の命も危機に陥って、陽明が無意識下にソイツの力を強く求めたんだろう。そしてソイツも外に出たがっていた。まあ良く考えなくても碌でもない奴だから封印されたって考えるのが妥当だろうな」
「……」
であれば、きっと忘れたままでいさせるのが最善なのだろう。
夏油の言う通り、呪術師を続けることでその存在が目覚める可能性は高い。
「…結局、私は選択を君に委ねた。この先賽の目がどう出ようとも受け入れよう。だが君はどうする?」
「今更どうもこうもねぇよ。アイツが呪術師になりたいっていうんなら俺は導いてやるまでだ」
あの少年はもう歩き出してしまった。止まったり引き返したりすることは絶対にない。そういう子供だ。そして自分は師の役を引き受けた。
ならばせめて弟子には後悔のない道を進ませたい。
「ま、悪いようにはならねぇさ。きっとな」
あっさりと過去編終わり。
どうみても固有時制御な出オチ術式。時の流れが変わる設定はカッパのアレから。
身体加速に呪力強化とエア抜刀術を加えて九頭龍閃や射殺す百頭を連打する男に、鍛えたからという理由で素で対応する異常者。
游雲で殴られてもほぼノーダメの覚醒乙骨と肉弾戦でタメ張る異常者。
やっぱ何かおかしい。
あと五条とか夏油の内面の解釈については色々あると思いますが、この作品内ではこういう感じということで、解釈不一致でもどうかお目溢しを。