年明けのとある日の朝。
「陽明、お前今どんな呪具が欲しい」
直久がそんな突拍子もない質問を投げかけてきた。
そう言えば前に中学卒業と高専入学の祝いとして何か呪具を買ってやる的なこと言っていた。まともな呪具は大体馬鹿みたいに高いし、返せない恩をこれ以上受けるわけにはいかないと断ったはずだが。
「別に俺が買うわけじゃねぇ。これからとある呪具を貰いに行くんだが、それをそのままお前にやるよ」
「なんか含みがあるな」
「気のせいだ、気にすんな」
出かけるから準備しろ、と指示される。
まあ出かけるのはいいけど、直久は今日も普通に仕事だったはずだがそっちは大丈夫なのだろうか。
何故か補助監督が家の前に既に待機しており、彼の運転する車に揺られること数時間、俺たちがやって来たのは奈良県のとある神社だった。
確かにここなら何か呪具の類が納められていそうではあるが…。
「呪具は呪具でも、さすがに国宝級のやつとかじゃないよな?」
石上神宮、布都御魂大神という神霊を主祭神として祀っている。主祭神の御神体である布都御魂剣、八俣の大蛇を斬ったという天羽々斬剣などが祀られているという伝承がある。ちなみに十種影法術にも縁深い布留御魂大神も祀られている場所とも言われる。
大鳥居を抜けて参道を歩く。
直久曰く、今日の彼の任務はここで行うことになっているという。
呪具の取引の立会人とかか?それなら確かにある程度腕っぷしが強くないと務まらないだろう。呪具狙いの呪詛師が襲ってくることも事例として偶に聞く。
平日なのでそこまで人はいないが、それでもこんなところで堂々と呪具の取引を行うのだろうか。ぱっと見てわかる結界の類は見当たらないが。
観光客用の境内マップを見ながらあれこれ考える。呪具に用があるなら祭器庫か?
「あれ、拝殿の方?」
「用があるのは本殿の方だ」
「そんなとこ入っていいの?」
「おいおい俺たちは呪術師だぞ?そもそも古くから神聖な領域とされている禁足地とか神域なんてもんはその時代の術師が結界で呪力をコントロールするために設けたもんだ。寧ろ許可を降ろす側だ俺らは」
「なーるほど」
結界で呪力の流れをコントロールして集約し、限定された呪霊の発生場所が京都周辺にはいくつかある。
それと同じだというのなら、今回の目的はやはり呪霊退治なのか。
「まあただ呪力が溜まるわけじゃない。こっちだ」
直久に先導されて、拝殿後方にある、石製の瑞垣に囲まれた小さな土地に入る。
ここが禁足地、神域と呼ばれる場所。元々は布都御魂剣を地中に埋めて祀っていたという伝承がある。
俺たちはそのまま本殿に足を踏み入れる、のではなかった。
本殿の更に裏手に隠し扉があった。それも二つ。
直久はその内の一つを開き、内部へ入る。そこには地下へ続く階段があった。
俺は柄にもなくワクワクしながら後ろについていく。
「呪具の製法は様々なものがあるが、今から目にするのがその一つだ」
地下へ続く洞穴に、歩きやすいように段差を付けたという感じだ。少なくとも現近代の代物ではない。
表に掛けてあった松明片手に、この石製の階段をどれだけ降りただろう。かなり深くに位置していることはわかる。明らかに何かを封印していますよという雰囲気。
降りきった先の鉄の扉を鍵を使って押し開ける。鍵を使ったことで何らかの結界が解除されたようだ。
そして俺たち二人は暗い洞穴に出た。大体半径50メートル程の半球形の空洞。
まるで何かの儀式場のような雰囲気だ。
直久が空洞の周囲に松明の明かりを灯していく。そして中央に鎮座している何かが明かりに照らされた。
「剣…?でもこれは…」
呪力で描かれた方陣が空間内に張り巡らされ、その中央に直刀が突き刺さっていた。
それは曲りなりにも神が宿るとされている御神体とは思えないほど禍々しい呪物だった。
「アレには国内からこの空間に溜まる呪力が集約されている。天元様の結界も利用してな」
「…伝承への畏れ、仮想怨霊と同じ様な仕組みか」
「さすが、察しが良い」
仮想怨霊とは、人々の共通認識がもととなった呪力が形を為して生まれる呪霊。
この空間にはそういった特定の呪力を集める結界が張られている。そして呪力が呪霊として形を為すのではなく、あの剣という器に封印されているのだ。
「アレは自然に強力な仮想怨霊が発生しないように呪力を封じる器だ。許容量を超えれば当然呪力は溢れて呪霊が生まれる。定期的に溜まった呪力を祓うのが呪術師の仕事になる」
「そんなヤバいもんを拝借しようってわけ?」
「術師が呪力を込めて愛用するだけで呪具になる。それなら長い間伝承への畏れを受け続けた剣は神剣になって術式も刻まれるって寸法だ。それなりのリスクはあるが、高い確率で有用な呪具を作れる。呪具も結局は消耗品だからある程度安定した供給源が必要なのさ。当然、アレは本物と言うわけではなくあくまでレプリカ。本物はまた別の所に保管してある」
本物があるのか…。ということは伝承の元になった英雄や神も同様に存在するということだろうか。まだ色々とわからないことが多いな。
「術師が確実に処理できるように年数の調整はしてある、らしい。今アレを引き抜くと出てくるのはおそらく1級相当の呪霊だと。お前が祓え」
「え、マジ?」
俺はこれまで数多くの呪霊を祓ってきたが、1級呪霊を単独で祓ったことはまだない。そんなに数がいるわけではないし、依頼を受ける許可も得られなかった。
「キレイに祓えたら一先ず修行は終わり、皆伝はまだだが、術師として一人前と認める。残った任務報酬の呪具もやる。それとも自信がないか?」
「いや、やるよ。呪具も何だかんだいって欲しいし」
呪いの器としての呪具、パチモンとはいえ本物に類する能力は持っているはず、欲しくないわけがない。
それに期待には答えたい。呪霊に簡単に殺られるようでは半人前。例え自分が力及ばない特級呪霊に遭遇したとしても最低限撤退出来るくらいの実力が一人前の呪術師には必要だ。そのわかりやすい要件が1級術師になるということ。つまり1級未満は誰も彼もが半人前なのだ。
俺は覚悟を決めて地に突き刺さる直刀の前に進み出た。
布都斯魂剣のレプリカ。天羽々斬剣とも呼ばれ、素戔嗚命が八俣の大蛇を退治した際に用いたと言われる神剣を模したもの。ただの模造品と言っても、おそらく器自体も名のある刀鍛冶が鍛えた業物だろう。
俺がその剣の柄を握ろうと手を翳すと、その前に剣がひとりでにガタガタと震え始めた。発している邪気といい、見た目が完全に妖刀のそれだ。
危険を察して剣のもとから飛び退くと、大量の呪力が吹き荒れて何かの形を作り始める。そして薄っすらと大きな手のひらが現れ、天羽々斬(偽)の柄を握り、深々と地に刺さった剣を引き抜いた。
そいつは両手持ちの剣の柄を片手で握り込んでしまうくらいには大きかった。4メートルはある。一般の日本刀よりも長いその長刀が脇差しかナイフのように見えるサイズ感だ。
筋骨隆々とした人型の肉体に腰巻きを身につけただけのシンプルスタイルの呪霊。顔に目は付いておらず口が縫い合わされている。呪霊ってどいつもこいつも眼がたくさんあったり逆に全く無かったりするけど、そういうのが恐怖や嫌悪感の象徴だったりするのだろうか。
うん、取り敢えず強そう。纏う呪力から見て呪霊単体なら1級あるかないかくらいかもしれないが、あの妖刀を持つと話が変わってくる。
「あれって本当に1級?ていうか呪霊が呪具使うなんて聞いてないんだけど」
「あー、まあヤバそうだったら割って入る。向こうがこっちを狙ってこないとも限らんし」
「答えになってないけど、まあ了解」
恐らく敵わない相手というわけではない。相手の力量を見定める目というものを養ってきたからわかる。
だったら俺は自分がこれまで培ってきた実力を全部発揮するだけだ。
陽明が出方を窺っていると、呪霊の方から動きを見せた。
呪霊は偽・天羽々斬で高々と上段から空を斬りつける。
瞬間、陽明は酷い悪寒を感じて右横に飛び退く。
キンッという甲高い音が鳴り響き、肌一枚隔てた隣の空間を一瞬の内に何かが通り過ぎていくのを感じた。
もといた場所をチラ、と一瞬流し見てみると、呪霊の足元から陽明の遥か後方まで地面を切り裂く一筋の線条が刻まれていた。
(不可視の斬撃を生み出す…、それがあの呪具に刻まれた術式か)
まずは冷静に相手の能力を分析する。陽明は既視感のような、どこか自分の中で言いようのない違和感を覚えるが、今はそんなことを気にしている場合ではないと気持ちを切り替えた。
一応術式の発動条件として呪具で空を斬りつけるという予備動作はあるらしい。剣の軌跡から斬撃の軌道は読み取れるが速度については計り難い。陽明は術式を見切るために感知結界を展開した。
呪霊が呪具を振りかざすことによって二撃三撃と斬撃が発生した。
結界感知によって剣の軌跡からこちらに向かって飛んでくる線条のような何かがあるのがわかるが、速度も斬撃の範囲もバラツキがあって感知結界なしで避けるのは厳しそうだ。
呪霊は笑い声こそ上げないものの、実に楽しそうにブンブンと妖刀を振り回し、その度に陽明目掛けて見えない斬撃が飛んできている。
縦横無尽に動き回る呪霊の元から飛んでくる斬撃をスレスレで避けつつ思う。今は呪霊が遊んでいるから避けるのも比較的容易いが、向こうが距離を詰めてきたら直接剣を交わす必要が生まれる。
その時に術式によって生じた斬撃が受けた刀を透過してくるような事があれば否応なく体が切り刻まれてしまう。まずはこの斬撃を弾くことが出来るかを確かめる必要がある。
(…来た!)
呪霊が袈裟方向に呪具を振る動作を確認して、斬撃の予想軌跡から半身ずらす。空を斬る刃は高速ではあるが音速には遠く及ばない。全力の抜刀であれば感知してから合わせる事は十分可能だ。
陽明は斜めに傾いた体勢のまま、タイミングを測って刀を抜いた。
刀身は半円を描いて不可視の斬撃と衝突した。“ギィィン!”という金属同士がぶつかる様な音が鳴り響き、腕に衝撃を受ける。そしてそのまま受けた刀を振り抜いてみると上方に斬撃が弾かれたようで、天井に亀裂が入るのが見て取れた。
(大前提はクリア。後気になるのは呪霊自身の術式だけど…)
そろそろ1分、簡易領域の制限時間が来る。その前に舞台を整えなければならない。
「悪いけど明かり消すぜ!」
直久に向けてそう叫び、陽明はクナイを影から取り出し四方に投擲した。呪哭刀と同じ材質の黒いクナイだ。射程範囲内であれば投擲後すぐに影に戻して再び取り出すことができる。
儀式場の周縁に灯された篝火台を打ち壊し、空間を闇に戻す。これでこのドーム状の空間内面を術式を使って自由に移動できるようになった。
簡易領域のクールタイム中は影に潜んでやり過ごすという作戦だが、陽明が隠れている間は呪霊の矛先が直久に向くことになるだろう。呪霊は闇に潜む生き物、大抵は視覚よりは呪力感知をメインにして外界を認識している。結局同じ空間にいる以上高みの見物をすることは難しい、それは直久自身も分かっている。
「当然自衛はするが…」
予想通り、呪霊は影に潜んで感知が難しくなった陽明を探すことをせずに直久目掛けて呪具を振り回し始めた。
しかし斬撃を弾くことが出来るというのは今しがた陽明が証明したばかり。同じシン陰流の使い手で剣士としての実力では陽明を優に上回っている直久からすれば、不可視とはいえただ直線的に飛んでくるだけの斬撃を捌くことなど容易い。
(まるでガキだな)
周囲に燻る僅かな光源を元にして夜目を強化して敵を見やる。厳つい見た目をした呪霊も初めて玩具を手に入れてはしゃいでいる幼子のようにしか見えない。戦術などまるでなく、ただ高い呪力量と呪霊としての本能から湧き出る殺意に身を任せているだけ。こういう手合には階級が下の術師でも隙を突いて格上殺しを起こしうる。つまり陽明の実力を試すテストとしては余り適当とは言えない。直久が一人前とみなす条件は誇張無く1級相当の実力を持った術師なのだから。
(あんまし褒められたことじゃねぇが、少し痛めつけてやるか)
シン陰流は才能を持たない者達のために平安時代の術師が考案した呪術流派。陽明のような例外を除いて門下生は基本的に生得術式を持っておらず、武器となるのは単純な呪力操作、そして鍛え抜かれた肉体と剣技のみである。
そんな古の流派を継承し、その果てに到達した境地は、基礎のゴリ押しだった。
直久の簡易領域も陽明と同じく時間制限付きのものだが、彼の方が練度が段違いに高く、同じ結界の効力を発揮するためにも縛りを緩くすることが出来ている。大抵の場合において常に結界を纒いながら戦闘を行うことが出来る。これによって結界内の敵の一挙手一投足に加えてほとんどの呪術的な現象を視覚に頼ること無く把握可能となる。
直久は呪霊が放つ斬撃を全て弾きながら最短経路で接敵していく。斬撃を全て元の軌跡で弾き返してやろうかとも考えたが、力の向き的に不可能な仕組みになっているらしい。
「ヴヴヴ…!?」
それまで直久のことを脅威と認識していなかった呪霊が縫い合わされた口から声にならない声を上げる。
「遠距離から一方的に嬲れるとでも思ったか?甘ぇよ」
直久は言葉を投げかけつつ呪霊の巨体目掛けて逆袈裟に切り上げた。対する呪霊もその一撃に対して上段から呪刀を振り下ろして応える。
ガキン!と大きな音を立てて二つの剣撃が重なった。
呪具自体の斬撃の上に術式による斬撃が加わった二重の衝撃が刀越しに直久の腕に伝わり、足元が沈み込む。それでも芯がブレることはなかった。
逆に彼は呪霊が振り下ろした呪刀をかち上げ、顕になった無防備な胴を駆け上がり、腹に蹴りを叩き込んだ。
「オラァッ!!」
巨体が宙に浮いて十数メートル吹き飛ばされる。そして呪霊が起き上がる隙を与えないように一息に跳躍した。
矢継ぎ早に鮮烈な剣筋で四肢を骨から斬り飛ばし、達磨になって縮んだ呪霊をボールのように蹴り上げる。
「ヴァア”ア”アァ!!」
呪霊がくぐもった叫び声を上げるが、直久は完全に無視して追い打ちした。
落ちてくる背中に向けて脛蹴りを入れ、人型故に存在する脊柱を粉砕し、さらに回し蹴りで壁へと叩きつけた。
両者から少し距離を取って影から様子を窺っていた陽明はその一方的な蹂躙の様子に少し引いていた。体躯が大人と子どもほどに違う相手に対してものともしない。肉体の強度が自分とは段違い、脳筋ゴリ押しにもほどがある。既にそのスタイルを見知ってはいても冷静に見てみれば酷いものだ。しかし自分も同じものを目指しているから何も言えない。
あと言えるのは、自己防衛の範疇を明らかに超えている。
「俺にやらせるんじゃないんかい」
「悪い悪い、攻撃されたからつい体が勝手に」
「殺戮機械か何か?」
「そんなことより、奴さんがようやくやる気出したみたいだぞ」
陽明が空間の内壁に打ち付けられた呪霊に目を向けると、先程より一回り大きな呪力が立ち上っていた。
「フー、フー!!」
口元を憎しみに歪ませたことで糸を引きちぎり縫い合わされていた口が開かれる。
呪力によって呪霊の四肢が復元され、折られた背骨も元に戻ったようだった。呪霊は人とは違い、高度な反転術式を用いずとも呪力で体を修復できるが、これだけの損傷を治癒しても呪力量が目減りしていないのは驚異的と言えるだろう。
そして手足を取り戻した呪霊は放り出された妖刀の元へと一目散に駆け出し、それを手に取るとすぐさま大きく開かれた口の中に放り込んだ。
その光景を見て陽明が悲鳴を上げる。
「あっ、俺の呪具飲み込みやがった!汚ねぇ!!」
「まだお前のじゃねぇだろ。ぼやっとすんな、来るぞ」
「わかってるよ!」
視線の先では、薄っすらと淡く緑に光る線条が呪霊の体中を覆い、顔面には新たに4つの瞳が開かれていた。そして体が一回り縮んでいる。
分かたれたものを一つに。呪具を取り込んで自らの力とする術式。呪霊は生命の危機を契機として遊びを消し、忘れていた存在意義を思い出した。
自分は土足で神域に踏み入る賊を誅滅し宝剣を守る番人、そんな自らを形作る呪力の情報を元に構築した
「だいぶマシな面になったな」
「なに敵に塩送ってんだよ、さっき祓えただろ。多分かなり強くなってんぞ」
「大丈夫だ、お前がちゃんと実力を出し切れば勝てる」
「大層なご評価をどうもっ!」
問答している時間はない。呪霊は既に動き出していた。
陽明はすぐに思考を戦闘用へと切り替える。
距離が離れていては獲物を狩ることが出来ないということを呪霊は既に学んでいる。まずは弱い方から排除するため、敵は上級呪霊の身体能力を持って陽明の元へ飛びかかって来た。
「チッ!」
無手のはずなのに先程よりも威圧感がある。呪具を取り込んだことを思えばアレと同等の術式を行使出来ると考える方が自然だ。
呪霊は陽明の元に駆けてくる最中に手を翳して術式を発動し、予想通りにどこからともなく3つの斬撃が飛んできた。予備動作ほとんどなし、不可視、高速かつ複数同時発動と、より厄介な攻撃に変貌している。感知結界なしで正面から捌くのは非常に困難だろう。
しかし地の利は自分の方にある。空間全体が暗闇に包まれている以上、呪力を使うが自らの影を広げて高速移動することも敵の移動を制限することも出来る。
陽明はひとまず結界で感知した3つの斬撃を影に溶け込み回避し、そのまま呪霊の着地地点に影を伸ばして影空間へ敵を引きずり込もうとした。
突然闇に足を取られた呪霊が一瞬よろめく。しかしすぐに呪力を放出して抵抗できることを察し、バランスを保った。
陽明はその僅かな隙に影の中を移動して呪霊の背後に回り込む。
体勢からして完全な死角、そこから呪霊の首元目掛けて抜刀を放つ。
「ッ!」
キンッ!
咄嗟に陽明の攻撃を察知した呪霊は術式を発動し、自らの死角からの攻撃に斬撃をぶつけた。不可視の斬撃と衝突して、今度は陽明の刀が弾かれる。明らかに斬撃の威力が増している。
「ぐっ…」
弾き損ねた斬撃が陽明の左肩を抉る。そこまで深くはないが、呪力のガードを容易に貫通する威力であることは証明されてしまった。
呪霊が追撃の術式を次々と放ち、陽明は影を使って呪霊の元から離れざるを得なかった。
呪霊は考える。自分の方がやはりあの子供よりも強い。そして自分を一方的に嬲った術師の方はなぜか攻撃してこない。今のうちに確実に子供の術師を殺って強者との戦闘に備えなければならない。子供の術師が使っている刀も取り込んで力を付けられるだろうか。
先程までの慢心はほとんど消えている。だが彼はまだ発生して間もない身、若年ながらも熟練の術師である陽明を相手取るには経験不足だった。特に現在相対している敵を思考の枠から外すというのは致命的だろう。あるいは未だに敵と見做していないという油断がまだそこにあったのかもしれない。
呪霊が皮算用をしている間に陽明は呪霊を祓う手順を構築していた。
(…呪力の感知能力は高いだろうとは思っていたけど、死角からの不意打ちにも対応されるか。だけど今のは不完全な抜刀だった。まだ俺の全力じゃない)
一応、この呪霊を確実に祓えるだろう奥の手は用意してある。しかし気軽に使用するにはコストが少し高いし、何よりつまらない。
不意に陽明は自分の口角が上がっているのを感じた。戦闘狂の自覚はなかったが強敵との戦いは嫌いではない。自分がこれまで培って来たものを発揮できる唯一の場だからだ。
もっと深く、自らの内に潜る。呪力の深奥を掴むために、この敵を打ち倒すために。
自らの存在と目前の敵以外の全てを自己が認識する世界から排除する。直久の存在も今は邪魔だ。
そして即席の縛りを作る。簡易領域と無形影法術の10秒間という使用時間制限を設定。これによって無理矢理両者の能力の底上げする。時間経過後は両者とも著しく精度が落ちることは確実。しかし向こうの術式は既に割れている上、影を活かす暗闇と感知結界によって環境要因も支配下にある。例え万が一未知の呪霊が領域展開を使ってきたとしても強化した中和用の簡易領域で対処可能。このプランで問題ない。
身体強化術のギアも最大に上げる。もう持続力は必要ない。超短期決戦で行く。
この瞬間、呪霊は陽明の呪力出力が大きく変わったことを認識し、少年は“獲物”から“敵”になった。しかしそれを認識したときには既に運命は決まっていた。
再び足元に影が迫り、呪霊は呪力でバランスを保とうとするが、先程より取り込もうとする力が強い。寧ろ影が体を覆うために侵食しようとしているようだった。深く沈み込むことはないが地面からの抗力を使って跳躍することも出来ず、結果的に呪霊はまるで底なし沼に足を取られたようにその場に縫い付けられていた。
(敵の移動制限に成功、条件はクリア。残り7.4秒)
これで敵は斬撃を飛ばしてくるだけのただの固定砲台と化した。
そして感知結界の展開。結界による攻撃感知後の情報伝達遅延を解消し、思考との接合を強化したことで斬撃が発生した時点で攻撃に反応可能。だがあくまでこれは保険でしかない。
危機感を覚えた呪霊が斬撃を乱射してくるが関係ない。こちらは先程と同じように影を使って移動すればいい。
陽明は再度影の中に溶け込んで移動を図る。そして呪霊の背後に人影が現れた。
二番煎じ。呪霊はそう来るのはわかっていたとばかりに、後ろを振り返りながら斬撃をその人影に向けて打ち込む。今度は弾くことも避けることも出来ないように、至近距離から7つの斬撃が人影に襲いかかった。呪霊の顔に嘲りの表情が浮かび、すぐに凍りついた。
「残念、デコイだ」
呪霊の背後に現れていたのは、陽明が咄嗟に囮として使うために携帯していた呪骸だった。
呪力を帯びただけのただの人形が切り刻まれて粉々に爆ぜる。
呪霊が振り返ったさらにその後ろ、元々の正面の影から陽明は現れ、既に居合の構えを取っていた。
嘲笑から一転、焦りと恐怖が呪霊を襲う。斬撃の同時発動限界数は8つ、今発動した斬撃はまだ使用できない。しかし一つだけでもこの急場を凌ぐことは出来るはずだ。
あくまで希望を持って、呪霊は自らの拳とともに最後の札を切った。
陽明は呪霊の術式の限界のことなど知らなかったし、知る気もなかった。たった一瞬の溜め、自らがその一撃に極限まで集中するための僅かな猶予を欲し、それは既に叶った。
一つの斬撃が発動し、刹那の間にこの身を裂こうとしている。後どれだけ斬撃を出せるか知らないが、それより速く、全てを叩き斬る。
少年が刀を抜いた瞬間、黒い稲妻が閃く。そして稲妻によって歪曲された空間は斬撃ごと呪いを両断した。
ほんの僅かに遅れて、空を切り裂く音が耳元に届いた。
呪霊がくたばったのを確認するために徹底的に切り刻んだあと。
名もなき呪霊の切り刻まれた肉片が煙とともに消え、その跡には一振りの直刀が残っていた。
禍々しい呪力の残滓は感じない。無事に儀式を終了できたと見ていいだろう。
呪霊に呑み込まれた時は消化されてしまったかとも思ったが、よく考えれば器が現実の物体として存在する以上呪霊が消えたらその場に残る可能性のほうが高かったことに気づいた。
俺は小走りで呪具のもとに向かって喜々として拾い上げた。
刃渡り三尺程の長寸片刃の直刀、柄無し。少なくとも抜刀術には向かないな。そもそも鞘ないし。
剥き出しの
「おっ?」
少し呪力が吸われて刀身から斬撃が発生したようだ。
次はもっと速く、呪力を込めて。すると先程よりも速い斬撃が飛んだ。
どうやら呪具自体の剣撃と同じくらいの威力の斬撃を飛ばす術式らしい。近接で振るえば単純に2倍の威力を発揮する剣として使えるようだ。これは良い物を手に入れた。
性能を確かめ終わり、俺が呪具を影の中に収納していると直久が話しかけてきた。
「気に入ったみたいだな」
「あ、無駄に敵を嬲って無駄に敵を強くした戦犯だ」
アレ絶対わざとだってもうバレてるから。術師が突発的に実力を伸ばすことがあるように、呪霊も呪物を取り込んだりなんたりで飛躍的に強くなりかねない。だから祓えるときにさっさと祓えと日頃から俺に散々言っておきながらこれだ。寧ろわざとじゃなかったら逆に怒るわ。
「…耳が痛いが、一応お前の実力を見込んでのことだし大目に見ろよ。呪術師やってくならこのレベルとは時々戦うことになるんだからな」
「別にいいけどさ。俺だって自分でイケると踏んだから離脱しなかったわけだし」
尻拭いをしてくれる人間がいるなら自分で戦う必要はないといえばない。現呪術界には五条悟という最強の尻拭い役がいるので、極論どんなやらかしをしたとしても事態は必ず終息する。その間に出るであろう犠牲の数々を許容できるかはまた別の話だ。したがって万年人手不足の呪術界において全ての呪術師に最低限求められる能力は、任務の成否を問わず生きて帰還する力ということになる。
しかし呪術師という人種は自分が逃げることで発生する犠牲を許容できない者が多い。自分が死んで今日の犠牲者を減らすか、生きて明日の犠牲者を減らすか。誰もが前者を選ぶ。
1級術師、その斜め上の特級術師は尻拭いをする側の立場で、そういったお人好しの1級未満の術師たちを守るためにも生半可な理由では逃げることが許されない。だからこそ俺は、恐らく特級にも届いていたと思われるあの呪霊を自力で祓い、実力を示さなければならなかった。
俺は帰り道の階段を登りながら問いかけた。
「それで、俺はその高級なお眼鏡に適ったか?」
後ろから着いてくる直久は軽く溜息をつきながら答えた。
「ハッキリ言ってまだ粗が大きい。基礎能力ではあの呪霊の方が勝ってた。お前、足りないスペックを補うために即席で無茶な縛りでも結んだだろ。じゃなかったらあんなにアッサリと決着がつくわけがない」
「…どんな洞察力だよ。絶対バレないと思ってたのに」
「そういうとこが甘ぇんだよ。自分でイケると思ったところで万が一は起き得るんだ。俺というバックアップがいる事は分かってんだから無茶苦茶するくらいなら素直に引け」
「お前なら勝てるって言ったのアンタだろ…。自分の言を自分で否定するとか、流石にそれは性格が悪過ぎないか?」
「呪術師たるもの裏の裏を読めってこった」
つまり『お前なら勝てる』と言ったのは本当だけど正解の選択肢ではないって酷すぎる。それで素直にバトンタッチしたら俺の見せ場ないじゃねーか。言っていることはご尤もだから何も言えないけど。
「不安定な力は時に無力よりも性質が悪い。呪術においてリスクはバネだが、そのリスクが時に術師を殺す。最後に頼れるのは地道な積み重ねだけだということを忘れるなよ」
「流石、積み重ねの化身が言うと重みが違うね。結局俺は不合格ってこと?」
「そうは言ってねぇ。最後の一撃、アレは良かった」
「あぁ、あの黒閃か」
流した呪力と物理的衝撃が0.000001秒以内、実質ほぼ同時に物体に到達することで生まれるとされる黒く輝く空間の歪み。狙って出せる術師は存在しないと言われているし、俺もほぼマグレだと思っている。あの時滅茶苦茶集中していたのは確かだが、もう一度やれと言われても出来る気がしない。特に刀でやるのは拳でやるより数段難しいし、俺の呪力によく馴染む呪具だから出来たようなものだ。
しかしそんな俺の考えを直久は否定した。
「アレはお前のこれまでの修行が引き寄せた必然だ。同じような極限状態に置かれた時、お前はまた黒い火花を散らす事が出来る。黒閃ってのはそういうもんだ」
「…褒めたり貶したり忙しいな」
「褒めても貶してもねぇ、客観的な事実を述べてるだけだ。それとも不服か?」
「…いや」
何となく釈然としないけど、一応は一人前として認められたということだろう。
でももう少し素直に褒められないのか?すごい不完全燃焼感あるんだが。
「これより1級術師相当としての任務受領を許す。…と言っても非公式だから恐らく高専では準1級スタートだがな。修行は欠かさず続けろよ」
「わかってるよ…」
俺は気のない返事と共に後ろから見えるようにひらひらと手を振った。
所持武具一覧
・呪哭刀:影の術式を編み込んだ黒刀。影の術式を適用することで形を失って影に戻る。折れても元の形状に復元できる。陽明の呪力と親和性が高い。切れ味がいい。丈夫。
・天羽々斬(偽):刀自体の剣撃と同等の威力を持った不可視の斬撃が発生する。見えないが実体は存在しているので感知したり弾くことも出来る。
・クナイ:呪哭刀と同じ素材を用いて作った呪具。性質も同じ。
・木刀:何の変哲もない木の剣。
・その他