呪術縁起   作:生乾きの服

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34.有明の月

 俺は僅かな足音を立てる事もなく医務室の扉の前まで歩いていった。

 

 やけに重い引き戸をゆっくりと開け、中に入る。鍵が掛かっていないことに少し違和感を覚えたが、今はそんな些細なことを気にしている余裕はなかった。

 

 足は鉛のように重く、吐き気が止まらない。未だに視界が赤く、血の臭いが鼻にこびり付いている。苦しいのに、休みたいのに立ち止まれない。早く奴を殺せと煮え滾る臓腑が訴えて来る。

 

 

 微かに聞こえる寝息の音を辿る。安らかな眠りを表すその音も、今の俺には引き裂かれるような叫び声に聞こえる。

 

 自覚はしている。マトモな精神状態ではないと。右手に取り回しの良い短刀が握られているのが端的にそれを示している。

 しかし俺はここまで狂って来ていながら、これ以上なく冷静でもあった。

 

 

 この部屋に先刻呪霊に昏倒させられた少女が休ませられている。()()()()()として彼女を選んだのには幾つか理由がある。

 

 抵抗されれば無用な迷いが生まれる。だからなるべく無抵抗な相手を。

 そして、たった半年程度の関わりとはいえ、”出来れば守りたい”と思うくらいには交流を深めた人間だったから。

 

 その程度だ。俺は交わした約束を反故にして投げ捨てるなんてことが容易に出来るような外道だったらしい。

 それでも、儚く細いこの繋がりが、俺の怒りと憎しみが籠もった刃を止められるのかどうか知りたかった。

 

 

 まだ歩は進む。まだわからない。

 殺せるかもしれないし、殺せないかもしれない。どちらにも転び得る。

 直接顔を見てみたら何か変わるのか。

 

 

 俺が寝台を遮っているカーテンに手を掛けた、その時。

 

 急に首筋に悪寒が走り、俺は反射的に振り向きながら短刀を振るった。

 

 キンッ、と軽い金属音と共に何かを弾いた。

 暗がりの中探してみるのも面倒で、感知結界を展開して確かめてみる。

 

 

 「苦無(くない)……禪院真希か」

 

 

 武器が飛んできた方向を見ていると、物陰から人影が姿を現した。

 暗闇の中目を凝らすと、真希が敵意を顕にしながらこちらを睨めつけている。

 

 深夜だというのに妹を傍で見舞っていたのだろう。突然訪れた不審人物に対して咄嗟に隠れ、影から様子を窺って不意打ちを図るとは素晴らしい機転だ。

 

 

 「テメェ…一体何考えてやがる。そんな物騒なもん持って夜這いってわけじゃないよな」

 

 

 真希は剣呑な雰囲気のまま吐き捨てるように言った。

 

 

 「…呪力がほとんど無いせいか、気配が薄いな。気づかなかったよ」

 

 「質問に答えろ。返答次第じゃただでは済まさねぇぞ」

 

 

 戦って俺に敵うと思っているのかいないのか、完全に戦闘態勢を取っている。

 しかし彼女がそんな様子なのにも関わらず、俺の方は反対に、極限まで張り詰めた緊張の糸がプッツリと切れたような感覚を覚えていた。率直に言って安堵していたのだ。

 

 妹を守ろうとする姉の姿。俺はそんな彼女の内に一つの答えがあるような気がした。

 

 

 「声を荒げるな。まずは場所を移そう。少し話がしたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 警戒して距離を取りながらも、真希は俺の誘いに乗って着いて来る。

 そのまま校舎の外に出ると、曇り空が少し晴れ、細い三日月の光が差し込んできていた。

 

 建物の明かりが消えた敷地内は現代文明をあまり感じさせない。しかし街灯すら全くないのは、術師なら夜目を強化すれば明かりなどいらないだろうという馬鹿げた思想でもあるのだろうか。

 そんなくだらない事を考えられるのは思考に余裕が戻ってきた証拠なのだろう。

 

 月明かりに沿って延々と道を進んでいると、ある程度来たところで痺れを切らした真希が話しかけてきた。

 

 

 「…オイ、どこまで行くんだよ。話したいだけならもうここで良いだろ」

 

 「ああ、お前がそう言って止めてくるのを待ってたんだ」

 

 「ざけんなよこの野郎」

 

 

 見てはいないが額に青筋でも立てているのだろう。

 俺はここでようやく足を止め、月を背にして振り返った。

 

 改めて真希の面を見てみると流石は双子、真依によく似ている。姉妹揃って仏頂面なのが全てを台無しにしている。

 違うのは眼鏡の奥。真依と違って強い意志を感じさせる瞳だ。

 

 

 「ジロジロ見てんじゃねぇよ。さっきの質問に簡潔に答えろ。真依に何しようとした」

 

 「…殺そうとした。正確には、殺せるかどうか試した」

 

 「……あ?」

  

 

 俺が望み通り簡潔に答えると、真希はやや遅れてから疑問符を掲げるような声を出した。

 どうやら情報の処理が追いついていないらしい。何をしようとしていたかなど本当は分かりきっているだろうに、俺がそんなことをするはずがないという先入観が否定させていたのだろう。存外信用されていたようだ。

 

 真希が再び戦闘態勢に入る前に、俺は右手を挙げて機先を制した。

 

 

 「やめとけ。()()お前が俺に勝てる訳無いだろ」

 

 「訳わかんねぇ、何が言いたいんだテメェは!」

 

 「少し質問したいだけだ。例えばの話、禪院の奴らが真依を虐げ犯した果てに殺してしまったとする。お前は奴らを苦しめて皆殺しにするか?」

 

 

 唐突な問いかけを聞き、その情景を想像したのだろう。真希はこれまで以上の憤怒の形相で俺を睨みつけてきた。

 そんな彼女の様子を見て俺は安心した。無意味な会話をしなくて済む。

 

 

 「俺はあの男に会ってからずっとそんな気持ちなんだよ。今の俺じゃそのための力が足りない。でも頭の中で声が囁くんだ。俺の周りの人間を皆殺しにすれば手に入るってな」

 

 「マジでイカレちまってんのか…!」

 

 「ああそうだ。頭がおかしくなるほど焦がれてる。けどお前も俺と同じだろ。ずっと力を求めてる。何をしてでも力を手に入れたいと思っている。もしその方法があるとしたら、お前はどうする」

 

 

 俺の言葉を聞き、真希は息を呑んだ。余程興味があるのだろう、少しだけ敵意が鳴りを潜めている。

 嘘は言っていない。彼女も俺と同じなのだ。

 

 

 「他でもない、お前の半身である真依を殺すこと。そうすれば力を得ることが出来る。これまでお前を見下し虐げてきた者たち全てに復讐出来る。それがお前の望みだったはずだ」

 

 

 魂を分け合って生まれた双児が力を得る方法がある。片割れを殺せば良い。

 単に分かれたものが完全な一つになるというだけではない。呪術的に繋がりを持ったもう一人の自分を手ずから殺すという行為そのものが自己の無意識に多大な負荷を与え、縛りとなり、呪いの力に還元される。

 

 つまりは生贄。古今東西あらゆる場所で行われてきた最もポピュラーな呪術的儀式を双子は簡易的に行うことが出来る。

 片割れを殺すような最低最悪な精神に強力無比な力が宿ってしまう。それが遥かな昔から双子が凶兆と言われて来た理由。平安の時から存在し続けてきた”声”がそう囁いている。

 

 呪力を奪われた天与呪縛の場合どうなるのかは未知数だが、あるいは完全に呪力を失ってフィジカルギフテッドの能力が強化されたりするのかもしれない。

 

 

 「ふざけんなッ!!何で私がそんなことしなくちゃならない!そんなの本末転倒だろうが!!」

 

 「真依はいずれお前の預かり知らないところで野垂れ死ぬ。弱い呪術師は死ぬのが定めだ。お前はそれを許容していたはずじゃないのか。自分が彼女をこの道に引きずりこんだことを知ってなお、呪術師でいようとしているんだから」

 

 「…ッ!それとこれとは別だ!」

 

 「ああ、別だな。お前にはそこまでする程の理由はない。だが俺にはある。だからやっぱり、彼女を殺そうと思う」

 

 

 ギリッ、と真希は歯を食いしばった。

 

 話が通じない頭のおかしい呪詛師相手に、この場をどう切り抜けようかと思案しているのだろう。五条悟は今どこで何をしているのかと考えている。この上なく分かりやすい。

 

 まだ何も失っていない彼女は、大切なものを失わないようにするために必死だ。しかし力の無い者には何も守れない。

 

 

 「…直接手を下さずとも、喪失による憎しみと怒りがお前に力を与えるだろう。その上でお前はどちらを選ぶ。妹を守るため、この場で俺と戦って死ぬか、戦わず生き残って力を得るか」

 

 

 呪いが望んでいる。足りない、得るために捨てろ、と俺に囁く。

 

 

 

 しばし様子を窺うが、返答を待つまでもない。

 彼女の瞳は凪いでいる。

 

 

 「マジで言ってんなら…答える必要があるか?」

 

 

 それ以上何も語らず、真希は懐から刃の厚い短刀を取り出した。

 

 例え無意味かもしれないとしても、ここで犬死にするとしても守るために戦うという意思。死力を尽くせば何か望んだ結果を得られるかもしれないという、ほとんど神頼みに近い、己の無知無力を曝け出す行為。

 

 こういう結果になるということは分かり切っていた。何も失わずに何かを得たいと我儘を言う、それが人だ。

 だが悪いことではない。呪いの痛みなどに頼らず、自らの知恵と努力と天運を信じて進む。それこそが人であることの意義だろう。

 

 呪力の恩恵を得られずとも、折れずに足掻き続けた人間。俺が求めるものはきっと彼女の中にある。

 

 

 

 

 真希が動き出す前に、両の掌に潜ませていた苦無を連続で投擲する。正面からの攻撃を真希は短刀の二振りで容易に叩き落とす。自分の足元に落としたのは奪って再利用しようという肚だろう。

 しかしその武器は俺の式神だ。

 

 二つの苦無の影は二匹の蛇を形作り、真希の足元に巻き付いて縛り付けようとする。

 彼女は咄嗟に飛び退くが、辺りは僅かな月明かりが差すのみの漆黒。拡大解釈によって広げられた俺の影が着地点を覆い、呪力に乏しい真希は黒い沼に足を取られた。

 

 俺から距離が開くほど術式の効力は弱まり、完全に足を沈み込ませるには至らないが、少しでも隙を作れれば十分。

 そもそもの自力が違う。術式抜きでも呪力込みの身体能力は俺の方が上だ。

 

 真希の懐に飛び込むように、一息に土を蹴る。蛇たちも追従し真希の足を絡め取る。

 小さく舌打ちの音が鳴り、俺の首元目掛けて短刀の一閃が飛んでくるが、踏み込みが全然効いていない。加えて感知結界がその動作の”起こり”を伝え、リアルタイムで軌道予測が為される。

 

 危なげなく見切り、手首を掴んで腕を引き伸ばし、反対の肩を掴んで彼女を思い切り押す。同時に、蛇たちが俺の胴に巻きつこうと身体を伸ばし、真希の足を掬い上げた。

 

 真希は為すすべなく弧を描くようにして倒れ、影に背を浸らせる。これで身動きが取れなくなった。

 即座に俺は馬乗りになり、影から引き抜いた黒刀を逆手にして振りかぶった。

 

 

 

 時間にして僅か十秒足らず。最後は単純な合気と式神術の複合。幾通りか思いついた中で最も確実で速く、そして()便()()無力化できる方法を取った。これは俺たちの間に隔絶した実力差があるからこそ出来たこと。

 

 1級術師と2級術師程度でこれだ。特級との間には一体どれほどの壁があるのだろう。

 五条悟、乙骨憂太。少なくとも、全力の彼らと正面切って戦えと言われたら勝てる自信など全く無い。夏油傑も同様だ。

 

 しかし体を木っ端微塵に破砕せずとも、首を刎ねれば人は死ぬ。

 方法が無いなら探せば良い。その為の時間はまだ少しだけある。

 

 

 

 

 振りかぶった刀の(きっさき)を落とし、地に深々と突き刺す。

 ()()()()刃物を突き立てられたというのに真希は瞬き一つしなかった。

 

 

 「続きだ。お前にはもう一つだけ道がある」

 

 「……なに?」

 

 「アイツは本当に絶望的に弱いけど、最近は結構頑張ってるんだ。今ならきっと着いてきてくれるから、今度はちゃんと姉妹で支え合え」

 

 「……」 

 

 「それと…ありがとう」

 

 

 真っ直ぐ視線が交錯する。彼女は言葉を返さなかった。

 

 俺はゆっくりと立ち上がって振り返り、月光に向かって歩き出した。黒い刀をその場に残したまま。

 真依が血反吐を吐くような思いで構築した呪具だ。刻まれた術式は十全に発揮出来ないだろうが、姉の手によく馴染むだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 答えは俺の中で既に出ていた。それに気づくことが出来た。

 

 俺は何としても復讐を遂げたい。過程よりも結果が重要だと思っている。

 しかしやはり過程も大事なのだ。得るために捨てる呪いの力。それは俺の本当の望みではない。

 そして求める結果に至るための過程は一つではない。

 

 この場所で得た繋がりは俺にとって、()()()()()大切だった。自分で断ち切ることなどできそうにない。

 

 

 

 意志が定まったことで、再び”声”が脳裡に響く。

 この鬱陶しい感覚にもいい加減慣れてきた。

 

 

 『…残念だ。お前もまた、救い難い人の道を往くか。そこまでの憤怒と憎悪をもってしても精神を呪いで塗り潰すことは適わぬというのか』

 

 「ああ、お前の言うように俺は甘い。俺とお前は違う存在なんだ。だから俺は俺のままで復讐を果たす」

 

 

 肉体を共にしていながらも、俺達の主観的価値観は既に決定的に分離してしまっている。だからこそ他者間での縛りが成立する。そして対価に釣り合わない過ぎた欲望は身を滅ぼす。

 力とやらを半分しか持っていかなかったのは、それが本来のコイツの取り分でしかなく、あの時提示できた対価で結べる縛りの限界だったからだ。

 

 力を得ることはコイツ自身の望みでもあった。だから俺の価値観を呪いの側に寄せ、俺と一つになることを望んだのだ。

 

 

 『道理を弁えぬ者よ。この先お前は後悔することになるだろう。必ず己の愚かさを嘆くことになるだろう。覚悟を捨て去ったお前では、もはや何をも得ることはできない。…誠、救えぬ愚かしさだ』

 

 

 ”声”には失望と諦念が入り混じっている。単なる負け惜しみだ。コイツは賭けに敗けた。

 だが俺はまだ賭け続ける。一つだけ賭けの勝率を上げる方法を思い付いたのだ。

 

 

 『…お前の浅知恵など透けて見えるが、精々足掻けばいい。最後に一つ、あの男はお前の事など()()()()()()()()()眼中に無いとだけ言っておく。仇敵と相対することすら出来ずに終わるのは余りにも憐れだからな』

 

 

 そう言ったっきり”声”は聞こえなくなった。俺を懐柔する策は潔く諦めることにしたのだろう。

 

 一方、俺は今言われた言葉の意味を考えていた。奴とは短い付き合いだったが、その性質は掴むことが出来た。無駄なことはしない、その一言一句にすら意味を籠めている。

 

 

 「…そういう事か」

 

 

 夏油は去り際に俺の相手をすると言った。それがただのポーズだとして、その行為に何か意味をもたせるとしたら、奴はあの場にいた人間に何かを印象付けたかったという事。そもそもの宣戦布告すら同じ目的だった可能性もある。

 

 すなわち目眩まし、陽動作戦。百鬼夜行の地に奴自身は現れないかもしれない。

 そして奴の”大義”を果たす上で最も邪魔なのは五条悟。彼に対抗するための術を求めて今回の行動を起こしたのだとしたら、その標的には心当たりがある。

 

 敵の狙いさえ分かってしまえば策は幾らでも練ることが出来る。しかし分からないのは、”声”が何故俺にそんなことを伝えたのかだ。奴に憐憫などという曖昧で生易しい感情はないはず。俺を夏油とぶつけてどうしたいというのか。

 

 いや、そこまでは余計だ。余計な事を考えている余裕はない。今は自分の目的を達することだけを考えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2017年9月17日未明より、禪院陽明は呪術高専との連絡を絶ち、失踪した。

 

 彼と最後に接触した学生の証言により失踪は自発的なものであるとされ、人手を割いての捜索などは特に行われなかった。ただ夏油傑の件で神経質になっていた上層部により、彼を発見し次第拘束・尋問を行うよう呪術師各位に命令が下された。

 

 しかしそんな悠長なことを言っている場合ではないということに彼らが気付いたのは、京都高専の武器庫から準1級以上の呪具が大量に持ち出されていることが発覚してからだった。

 

 

 

 

 禪院本家。

 

 家人たちが粗方寝静まった真夜中に、直毘人は寝室の縁側で月見酒を嗜んでいた。

 大盃の水面に揺らぐ欠け月を眺めながら最近の世情に思いを馳せる。

 

 夏油傑の予告した百鬼夜行まで残り約1ヶ月。当然禪院家にも迎撃要請が届いており、各戦闘部隊は各々の面子を保つためにこれに応じることを決定した。

 近年稀に見るような規模の呪術戦、彼らにとっては日々の研鑽の成果を見せることが出来る檜舞台だ。だから何時にも増して気合を入れて鍛錬に励んでいるかと思いきや…、必ずしもそうではなかった。

 

 皆、非術師(下民)の街を守るため命をかけることに乗り気ではない。夏油が劣等種共を鏖殺したいというのなら好きにすれば良いというスタンスだ。

 その考え自体は別にいい。問題は彼らの性根が捻くれて腐れきっているということだ。

 

 誰も彼も、見下すことの出来る劣等階級が存在することで向上心が死んでしまっている。術師としての価値観を保つために非術師との関わりを断っていることが、彼らに閉じた安全な世界を形成させ、その狭い世界を守ることだけに執着させている。かつての天与呪縛の男を虐げたのも彼らのそういった性質によるものだ。

 

 しかし本来強さだけが術師、そして禪院の価値なのだ。それを追い求めることを止めたら何も残らない。

 

 

 

 「お前もそう思うだろう」

 

 

 直毘人は水面の月を遮ってきた影に向かって話しかける。

 傍らに目を向ければ禪院陽明が音もなく忍び寄っていた。

 

 前に見たときよりも身長が伸び、そして確実に強くなっているようだ。

 老人は満足そうに頷いた。

 

 

 「どうでもいい。力のない呪術師は野垂れ死ぬだけだ」

 

 「クク、道理だ。して、こんな夜更けに何しに来た。各地で窃盗を働きながらうろついているらしいが」

 

 「察しの通り、呪具を貰い受けに来た。別に押し込み強盗してやってもいいが、事を荒立てないに越したことはない」

 

 「大した自信だな。それで、そんな事を許して俺に一体何の得がある?」 

 

 

 妙に機嫌が良さそうな老人に対して、陽明は小さく鼻を鳴らす。

 

 

 「俺は夏油を殺る。その手柄は禪院のものだ。つまり処刑を任されている五条を出し抜ける。終わったら呪具は返す」

 

 「お前一人で、呪術界全てを敵に回した特級術師を倒せると?呪具を預けるに足る保証がないな」

 

 「…じゃあどうしようか。やっぱり力尽くで持っていくしかないか」

 

 

 僅かな躊躇いも見せることなく、流れるように、陽明は少し疲れた様子で足元の影からいつもの黒刀を取り出した。

 

 禪院の当代の主に向かってこの狼藉。しかし当の直毘人は愉快そうな調子を保ったままだ。

 熟練の、”最速の術師”に対して勝算を持っている。今はそれだけで十分だった。

 

 

 「良い、持っていけ。その代わり条件がある」

 

 「……」

 

 「必ず勝つことだ。ついでに奴が持っている呪具も回収しろ。ウチに所有権のあるモノが幾つかあるはずだ」

 

 「…ああ、わかった。感謝する」

 

 

 直毘人は懐から鍵束を取り出して投げてみせた。

 後生大事に持ち歩くようなものではない。この急な訪問者を予期していたのだろう。

 

 陽明はそれを受取り無言で去っていった。

 

 

 

 

 再び静けさを取り戻した夜闇の中、直毘人は小さく息をつく。

 

 最初に会った時とはまるで違う。明日ではなく過去しか見ていない、そんな目。

 あの少年からは死臭がした。まず間違いなく生きて帰るつもりなどないだろう。

 

 それでも貴重な呪具を託したのは、禪院の閉塞した現状を打ち破る風を彼に感じたからだ。

 

   

 「…フン、期待薄だがな」

 

 

 分の悪い賭けではあるが、もし万が一があったなら。

 

 

 

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