呪術縁起   作:生乾きの服

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36.決死の刃

 逢魔時。

 

 新宿含む周辺の街では、現在大規模な交通規制が実施されている。

 警察や消防まで動員しはしたが、街一つを空にする作業は半日程度で概ね完了した。比較的スムーズに事が進んだのは、国内に潜伏しているテロ組織から犯行予告があったとして事前に避難勧告を出していたことが大きいだろう。

 

 懸念点は多くあった。その中でも最たるものは夏油傑が予告した襲撃が嘘であるかもしれないということ。

 襲撃自体がないのならば何も問題ないが、場所や日時が少しでも違うだけで非術師を守ること、そして呪術を秘匿することすらも非常に難しくなる。

 

 しかし今、こうして呪霊の大群が押し寄せてきた。懸念は払拭され、後は敵を屠るだけである。

 

 

 『闇より出て闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』

 

 

 新宿を取り囲むように配置された補助監督たちが一斉に呪詞を唱える。

 これは呪いによって起こる現象を非術師の目から逸らすと共に、被害が拡散しないよう内部に呪霊を閉じ込める条件が付与された”帳”。

 

 結界の起動を合図として、決戦の幕が上がった。

 

 

 

 

 そして帳の外縁よりも少し外側、広大な結界の全貌を眺める事が出来るビルの屋上に、”彼ら”はいた。

 その片割れ、菅田真奈美は傍らに立つ黒い肌の異人に対して語りかける。

 

 

 「呪術師たちが戦闘を始めました。東京と京都に勢力を分断したことにより情報伝達にも遅延が起き、夏油様の思惑に彼らが気づくまでの猶予が生まれます。私たちの仕事はその猶予をさらに引き伸ばすこと。特に貴方は」

 

 「…分カッテルヨ。五条悟ヲ引キ付ケルンダロ」

 

 「ええ。期待しています。では」

 

 

 菅田はそうして必要な指示を伝え終えると、自らの配置に付くために屋上を後にした。

 

 

 

 「……」

 

 

 名をミゲルというその異人は、今しがた去っていった女の姿を思い起こし小さく舌打ちした。

 

 夏油の持つ力、カリスマ、理想…そんなものに惹かれて集まった呪詛師の集団。金銭での契約という形を取ってはいるが、自分もその一人である。

 そんな中にあって、あの菅田という女にはどうにも拭えない違和感があった。

 

 夏油を慕っているのは傍目に見ていてわかる。非術師への嫌悪の感情があり、夏油の掲げる理想に賛同しているのは確かだ。何もおかしくない。菅田真奈美というのはそういう人間なのだろう。

 

 しかしそれは非術師的な視点だ。一つ視点を切り換えて見てみると、滲み出る呪力の揺らぎがあり、彼女はそれを努めて隠そうとしている。

 

 

 (…何ヲ隠シテル?)

 

 

 例え微かな違和感だとしても、隠されると気になる。気にせざるを得ない。隠すという行為の裏には相応の理由がある。

 

 

 ただ、ミゲルの思索はそれ以上続かなかった。

 帳の一角に入っていく一人の術師の姿が目に入ったからだ。

 

 

 「マジ?俺アレノ相手シナクチャナンネーノ?」

 

 

 白髪の目隠し悪魔、五条悟を目視にて確認。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分以外誰もいない教室で乙骨は独り言ちた。

 

 

 「なーんか。とんでもないことになっちゃってるな」

 

 

 里香を除けば、本当に誰もいない。

 狗巻とパンダは新宿に配置、2年の秤、綺羅羅は京都。その他の高専所属術師、補助監督たちも軒並み百鬼夜行の対応のために出払っている。

 

 真希もまた、交流会の後から京都校で活動している。

 

 

 「妹さんかぁ…。パンダ君はあんまり仲良くなさそうって言ってたけど、本当は大切に思ってたってことだよな」

 

 

 何かの切っ掛けですれ違ってしまった関係も、修復できるのなら越したことはない。

 自分にも妹がいる。色々な事があって家族とは疎遠になってしまっているが、昔は仲良くやっていたのだ。

 

 

 「僕も…いや」

 

 

 もう一度やり直せるのなら、とも思った。

 しかし今や自分は呪術師だ。非術師の家族とは交われない、きっと交わらない方がいい。

 

 離れたところからでも彼らのことを守れるならその方がいい。少しだけ寂しいけれど、今の自分は独りではないのだから。

 

 

 『憂太ぁ…?』

 

 「…ん、ごめん里香ちゃん。ちょっとだけしんみりしちゃって」

 

 

 静かすぎて物思いに耽ってしまった。

 やることも特になくて暇なのだが、一応自分がここに残っていることにも理由がある。

 

 総監部の命だけではない。天元の座す東京高専という重要拠点の守護。それが特級呪術師としての最初の任務だと五条は言った。

 誰かに信頼されて任されて、例え留守番の小洒落た言い方でしかなかったのだとしても嬉しかった。

 

 

 そう思っていた。実際にその役目を果たす時が来るなどとは考えていなかった。

 

 

 『闇より出て闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』

 

 

 …高専に帳が下りる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高専の正門前、帳を下ろした張本人である夏油は驚きに目を見開いた。

 

 外部からの侵入者を拒み、これからすることを誰にも邪魔をされないようにするための帳が、下ろしたそばから、内側から破られた。そして目の前に現れたのは、一ヶ月前、自分に対する復讐心を顕にしていた少年。

 

 

 「仕込みが足りなかったか。いや、これが執念、因縁というものなのかな」

 

 

 明らかに待ち伏せされていた。しかし夏油の顔に焦りはない。

 

 少年は()()だ。思惑に気付いたにも関わらず、誰にもそれを伝えなかったということ。

 故に迅速に排除してしまえば何も問題はない。この間は不覚を取ったが、そういう相手だということが分かっていれば対応できる。

 

 

 「君は非常に優秀な術師だ。出来れば殺したくはないけれど」

 

 

 仕方ない。そう言いながら夏油は一斉に呪霊を繰り出した。

 加減していては足を掬われる。何らかの不吉な予感が彼から漂っている。

 疾く、確実に殺さなければならない。

 

 

 呪力で強化された低級呪霊たちが束になって襲いかかる。物量を持って制圧する呪霊操術の基本戦法。

 

 対する少年は感知結界ではなく、簡易領域に自動迎撃の術式を刻んで抗する。

 結界内に入った呪力を持った物体に対して考えるより先に体が反応し、刀を振り抜く。

 

 超速の連撃が数多の呪霊たちを膾のように切り裂いていくが、流石に手数が足りない。

 ついには黒い濁流に呑まれ、押しつぶされた。

 

 

 「……クヒッ」

 

 

 その直前、少年の口元が喜悦に歪むのを夏油は見逃さなかった。

 

 

 

 

 直線距離で約1.5km離れた山の頂から彼らを見据える者がいた。

 夏油と相対している少年と同じ姿形の人影。どちらが本体でどちらが式神なのかはわからない、それほど精巧な分身。彼の手の中には銃の引き金がある。

 バレットM82。大口径・長銃身の、破壊することに特化したアンチマテリアルライフル。彼は重機関銃用のその弾頭を呪力で強化した。

 

 夏油と相対している()()が狙撃ポイントで敵の注意を引き、足を止めさせている。

 加えて事前に展開していた感知補助結界はこの弾道計算の精密性の向上に寄与している。結界術と狙撃の複合、この時のために訓練を積んできた。

 

 

 大きな破裂音と共に硝煙を吐き出しながら弾丸が射出される。

 照準の先で胴が吹き飛び臓物が血煙と化す、彼はそんな光景を期待していた。

 

 しかし怪物というのは、どれだけ準備を重ね、完璧だと思った策をも乗り越えてくるものだ。

 

 

 「チッ」

 

 

 弾丸の軌道は合っている。だが途中で遮られた。

 虚空から朱い手が生えている。その前に十体ほどの呪霊を煙に返し、以前見た特級呪霊に受け止められたのだ。

 長距離かつ認識範囲外からの狙撃に対応した。全てにおいてあり得ない反応速度だ。当然種がある。

 

 

 「…簡易領域か。範囲も広い。結界術は得意分野らしいな」

 

 

 シン・陰流門下生の誰かの現物を見て見様見真似で覚えたのだろう。そして自動迎撃の術式を応用し、呪霊操術による自動防御に組み換えた。

 炸裂する結界を刻んだ対呪霊用の弾丸であっても貫通力は変わらないため夏油には届かなかっただろう。寧ろ弾に呪力を込めさえしなければ結界が反応せずに頭蓋を撃ち抜けたかもしれない。

 

 

 「まあこの程度で殺れるとは思っていない。文字通り挨拶代わりだ」

 

 

 

 

 

 夏油は額から滴り落ちる冷や汗を舐め取った。

 

 意識外からの攻撃にも対応するために練り上げた術式が上手く作動してくれた。

 これは五条悟の無限の壁を最初に見たときから考案していた術だ。彼のように常時発動しておくことは出来ないが、そういう危険があると分かっている時に使えばいい。

 今回は油断も隙もない。陽明の姿が目に入った瞬間に展開していた。

 

 

 「想定内といえば想定内、でも本当に狙撃してくるとはね…!」

 

 

 初撃は防いだ。しかしすぐに次弾が飛んでくる。

 狙撃位置が割れている分防御は容易いが、集中力も呪霊のリソースも割かれてしまう。

 

 そしてまだ()()()()()敵がいる。

 呪霊の濁流に呑み込まれたと思われた少年は健在だった。

 

 

 (狙撃手は仲間…いや、誰かに頼るくらいならさっさと高専に情報を流しているだろう。だとすれば、分身か)

 

 

 影を使って自己を模した人形を作れるのは知っていたが、それを自在に動かすことが出来るというのならば脅威だ。数は2体か3体か、高性能・高精度であればあるほど条件は厳しくなるはず。一度破壊してしまえば再顕現は不可か、もしくは相応のインターバルが必要になると見ていい。

 

 取り敢えずは目に見える2体、まずは邪魔な狙撃手を狩る。しかし生半可な戦力では足りない。

 後が控えているからと言って出し惜しみばかりしていられない。

 

 

 「行け、”朱点童子”」

 

 

 朱い腕がそのまま空間を割り開き、全身を顕にした中世の鬼は狙撃手のいる方角へと跳躍する。

 そしてこちらも。

 

 

 「”玉藻前”、手早く潰せ」

 

 

 伝承により強大な妖怪として畏れられたもう一体の特級呪霊。

 ”彼女”は出現するや否や、自らと目の前の少年を取り囲むように結界術を発動した。

 

 

 『オオオぉぉ…』

 

 

 領域展開により、少年は為すすべなく閉じ込められる。

 

 

 

 

 その時、一羽の黒い鷹が頭上を羽ばたいた。

 夏油は突然自身を襲った悪寒に従いその場から飛び退く。

 

 地に差した黒鷹の影が広がり、そこから人影が姿を現す。先程までと違い黒刀ではなく、白銀の直剣を携えている。本体か分身かはわからないが、これで3人目だ。

 

 

 「ようやく札を切ったな。特級はあと何体いる?」

 

 

 3人目の少年はここに来て初めて口を開き、夏油に問いかけた。

 何を言っても情報を渡すことになる。答えることにデメリットしか感じなかった夏油は口を閉ざしたままだったが、少年は構わず言葉を続けた。

 

 

 「こっちの分身の数は最大4体だ。基礎能力は本体の5~6割程度だが、術式を扱うことが出来る。それぞれ本体から呪力を分け与えられ、自己補完能も持っている。分け与えた呪力の分だけ本体の呪力量の上限が減る。分身が破壊されれば上限は戻るが呪力は消費したまま」

 

 

 術式の開示。今話した足りない能力を補おうとしているのだろう。

 語る内容が真実であるという保証はない。ただ開示の情報が確かならば、この3人目の少年も合わせて残りの2体の分身と本体がいることになる。呪力量の多さを見れば目の前の彼が本体の可能性が高いが確証はない。

 中々厄介な相手だ。しかしこの程度の戦況を軽く制圧出来ないようでは特級術師を名乗ることは出来ない。

 

 

 傍らに顔を出した呪霊の口から愛用の三節棍を取り出す。更に2級から3級までの呪霊で周囲を埋め尽くす。

 

 小手調べは既に済ませた。見たところ範囲殲滅を熟せる術には乏しい。変わらず量で畳み掛ければいい相手だ。

 それでも最大で五百体、この後に控えている乙骨との戦いを見据えたらこれ以上は使えない。

 

 再び呪霊を解き放つ。周囲の影は全て呪霊で塞ぐ。面による圧で押し潰し、首を出したところを叩く。

 先程を遥かに上回る物量を前にして十中八九逃げに徹することになるだろうという夏油の予想は、しかし外れた。

 

 

 少年は変わらず簡易領域による自動迎撃という戦法を取ろうとする。

 違いはその手に握る剣。それは夏油が考えているよりも遥かに厄介なものだった。

 

 

 ザフッ!

 

 彼の持つ白銀の刃が触れた途端、呪霊がひとりでに蒸発を始める。

 低級とはいえその剣は一振りで十体の呪いを屠っていく。 

 

 

 夏油は戦慄せざるを得なかった。

 障害として立ちはだかる可能性の高かった御三家についての情報は一通り調べており、その中で一つだけ心当たりがあった。

 

 

 「まさか、退魔の剣か!」

 

 

 正の呪力を纏った対呪霊・祓除特化の呪具。確かに禪院家にはそのような呪具が継承されていた。

 慶長の御前試合で禪院家と五条家の当主が殺し合った際、禪院の当主によって呼び出された式神が持っていた呪具。それが砕かれ、式神が消えた後も小さな破片として禪院に残った。だからあのように完全な剣の形は為していなかったはず。何らかの手段で復元したのだろう。

 

 呪霊操術とは絶望的な相性の悪さ。呪霊主体で相手をしていたのでは無駄にリソースを削られるだけ。

 

 

 (だが退魔の剣には欠点もある)

 

 

 呪霊に対しては効果が高いが人に対しては単なる刃物以上の効力はない。正の呪力を纏うという性質上通常の呪力での強化も困難だ。

 

 ならば展開した呪霊達はこのままけしかける。

 

 少年は押し寄せる呪霊の波を高速の連撃で捌いている。その間、当然退魔の剣から他の得物に持ち替えることはない。

 夏油は放った呪霊たちを足場としながら跳梁し、少年の頭上目掛けて游雲の先端を叩きつけた。

 

 

 「ッ!」

 

 

 少年の簡易領域に付与された自動迎撃が反応する。

 

 この術式は諸刃の剣なのだ。人の反応速度の限界を超えて動くことが出来るかわりに攻撃対象を選択することは困難。だからこそ普段は使わず、感知術式による予測を優先している。

 それが分かっていても今は切り換えられない。周囲から押し寄せる呪霊を捌かなければならず、逃げる場所すらないのだから。

 

 呪霊を切り払いながら頭上の一撃を迎え撃つ。不可能だと理解しながら。

 

 

 ガキンッ!!

 

 

 その()()()()()()()()()()()()退魔の剣に、破壊力に特化した游雲の一撃を受けられるような強度はなかった。

 剣身の半ばで叩き折られ、なおも止まらないその棍は少年の左の肩口を破壊しながら大きくめり込む。

 

 だが少年の表情はまるで痛みを感じていないかのように変わらず、逆に致命傷を与えた夏油の顔が僅かに歪んだ。

 

 

 (これは式神…!)

 

 

 骨と肉の感触を高精度で再現していても、少年は胸の半ばまで破壊されていながら血の一滴も吐き出さなかった。

 

 百ほど呪霊を消費して、ようやく1体。特級呪霊達はきっと分身を処理してくれることだろうが、若干の不安が残る。

 そして術式開示の情報によればあと1体の分身と、本体がいる。

 

 

 夏油は残る脅威に意識を回した。だがすぐに右手に鋭い痛みが走り、我に返る。

 限りなく人に近いからこそ、明らかな致命傷を負った姿にこれ以上の戦闘続行は不可能だと無意識に思い込んでしまっていた。だがこれは人間ではない、影なのだ。

 

 砕かれた左胸、半身の先から伸びた手が、自分の右手を力強く掴んでいる。そしてその手の中に何かを握っている。痛みの原因は、剃刀に近い小さな刃や隠し針の類だろうか。

 

 

 「…待ってたぜ。お前の方からノコノコ近づいてくれるのを」

 

 「くっ!!」

 

 

 全て計算づくと言いたげな目だった。

 分身の少年はもう片方の手で懐から刃の欠けた短刀を取り出し、勢いよく突き出してくる。それを夏油は呪霊を現出させて辛うじて防いだ。

 

 彼はそのまま鋭い鎌を持った呪霊に少年の腕を切断させ、その場から離脱しようとする。

 しかし出来ない。足元から何かに吸い寄せられている。

 

 気付けば周囲の呪霊ごと飲み込むように影の沼が開いていた。黄泉の導きは術者に近いほど引力を増すのだ。

 

 

 (目的は私の足止めか!)

 

 

 何よりも先に、迅速に術者を消滅させるため、夏油はこの場に顕現させている呪霊全てを圧縮し渦と為す。

 呪霊操術、極ノ番。数拍の溜めの後、呪力の奔流が解き放たれた。

 

 

 そして辺りを埋め尽くしていた呪霊の雲が一旦晴れたことで初めて危機の存在に気付く。

 いつの間にか4人目の少年が姿を現し、簡素な弓に矢を番えて自分を狙っていた。

 

 

 「()()()()だ」

 

 

 引き絞られた弦が解き放たれる。

 放たれた矢は夏油の胸を射抜こうと正確に真っ直ぐ進んでいく。

 

 

 認識してから刹那にも満たない時間。飛来する矢を弾くための信号を脳から四肢に届かせる猶予すらない。

 幸い簡易領域による自動防御はまだ展開中だ。これで防ぐしかない。

 

 しかしその矢は立ちはだかる呪霊の壁を全て溶かし貫いていく。退魔の剣によるものと同じ反応。

 そしてついにその矢は身を捩って避けようとした夏油の脇腹に傷を付けた。

 

 

 そう、脇腹を少し傷つけた。ただそれだけだった。 

 

 

 右腕と合わせても外傷は軽微。体に異常は感じられず、単純な即効性の毒という線は薄い。しかし囮の式神を使って、手間暇かけて作った傷だ。必ず何かある。

 夏油が自らが置かれた状況を確認している間に、4人目の少年は術式を開示するために口を開いた。

 

 

 「今放った矢の鏃には二つの呪具の欠片が付けてあった。一つは禪院に伝わるオリジナルの退魔の剣の欠片。そしてもう一つは、”劫罰の刃”という準1級呪具。消された分身が握っていたものが同じ呪具の欠片と本体」

 

 「準1級、呪具だって…?」

 

 

 それは聞いたこともないマイナーな呪具だった。

 呪具はその効力の大きさ、特異性や呪霊祓除における有用性などによって等級を測られる。呪霊などと同じように特殊な術式を付与されているものは概ね準1級以上に分類される。

 準1級ということは術式を付与されているだけで効果自体は弱く、有用性は高くない呪具のはず。

 

 

 「効果は魂の毒。それも俺の血肉に刃を浸して仕上げた毒だ。毒が消えるまで俺とお前の”傷と痛み”を繋げる。その腕の傷を見る限り矢の方は必要なかったな」

 

 

 少年は滔々と言葉を紡ぐ。

 

 一方が傷つけばもう一方も痛みを感じる。ただし片割れが負うダメージは傷ついた本人に比べて非常に軽微であり、身体が欠損する程の傷が出来てようやくもう一方の表皮が傷つく程度。更に毒の生成のためには扱う者の血肉を捧げる必要がある。

 

 効果の割りに支払わなければならないコストが大き過ぎる。故に使い道のないガラクタとしてとある呪術師の家の蔵で埃を被っていた。

 

 しかしこの呪具には本来の用途というものがあった。

 

 表向き効果が弱くみえるのは、簡単な条件を満たすだけで対象に確実に影響を及ぼすことが出来るという強力さの裏返し。

 そして術師は縛りによって差し出すものが大きければ大きいほど、その覚悟が呪術の力を飛躍的に高める。

 

 これらの事実を踏まえて、この呪具を効果的に使う方法が一つだけ存在する。 

 

 

 

 「俺は俺の命を差し出す。詰みだ、夏油傑」

 

 

 4人目の少年はそう宣告し、足元の影の境界を開く。

 

 そこから浮上してきたシルエットが何なのかを認識して、夏油は大きく目を見開き、愕然とした。

 

 

 

 ()()はおよそ一般的な人の形を為していなかった。

 

 頭と思われる部分が付いていることで、辛うじて人間という生物の成れの果てだとわかる。

 四肢を切り落とされ、両の目をくり抜かれ、鼻と耳を削ぎ落とされ、それらの傷を覆い隠すために雑に包帯を巻かれている。

 

 人として生きるために必要な全てを削ぎ落とされた物体。そうとしか言えない。

 ()はこれから復讐のための贄として捧げられる。

 

 

 

 「まさか…それが、()()()()なのか」

 

 「そうだ。もう舌すらないから代弁してやる。分身と、そして本命の呪具の効力を高めるために、本体(こいつ)は自分の体の一部を触媒として差し出した。全ては確実にこの状況を作り、お前を殺すため」

 

 

 四肢は4体の分身達に一本ずつ与えた。

 目、鼻、耳、舌、半数の肋の他、肉体から取り出せるものは全て取り出し、すり潰して血液と混ぜ込み、これに呪具を浸して毒を作った。

 呪術的な効果を消さないように反転術式による再生は行わないまま、生命維持に必要な最低限だけ残して。

 

 その上で約一ヶ月もの間、陽の光も浴びずに影の中に沈んでただ息をしていた。今は放っておいても衰弱で死にかねない状態だが、彼はその有り様すらも恨みの力に変えようとしていた。

 

 

 「これがお前の生み出した業だ。だが人を呪わば穴二つ。地獄の果てまで付き合ってやる」

 

 

 凄まじいまでの狂気を感じさせる所業にしばし絶句する。

 唐突に、抗う間もなく、夏油は窮地に立たされていた。

 

 

 この呪いを止める術はない。死を覚悟してしまっている以上、本体を殺せば呪いが発動する。本体が死ななければ恐らく分身は幾らでも湧いてくる。そして分身は、これから本体を殺す。

 

 それでも夏油はまだ諦めていなかった。どうにかして彼らを無力化出来ないか、呪いを無効化出来ないか、必死に考えを巡らせる。

 この少年は復讐のために文字通り全てを捧げたらしい。しかし自分も世界を変えるために多くを捧げてきたのだ。友人を捨て、肉親を捨て、人間性も半ば切り捨てている。こんな道半ばで終わることなど出来ない。

 

 

 短い熟考の末、結論が出た。今できること、すべきことは陽明を説得することだ。

 

 しかし実際に口を突いて出たのは全く違う言葉だった。

 

 

 

 「…私は、この間違った世界を変えたかった。そしてそれ以上に非術師が嫌いだった。虫けら以下の穢らわしい何かにしか見えないんだ。だからすまないが、君の家族を殺したことを後悔してなどいない」

 

 「だろうな。後悔するくらいならやらないような事だ」

 

 「嫌に冷静だね。こんなになるまで憎んでいる人間が全く悪びれもしていないというのに」

 

 「……。お前は、自分の親のことも嫌悪していたのか?両親も殺したんだろう」

 

 「…さぁ、どうだったかな。随分と昔のことだ」

 

 「……」

 

 

 

 奇妙な静寂が辺りを包む。

 

 今、一つの呪いが二人の運命を繋げている。

 だからかもしれない。彼らは今更になって相手の痛みを知り、互いを理解しようとした。

 

 しかしわかったのは、その心が交わることは決してないということだけ。

 

 

 

 刻限を告げる鐘が鳴るように、少し離れたところで領域を形成していた外殻が弾ける。

 中から現れたのは特級仮想怨霊の方だった。

 

 

 「流石に負けたか。だが時間稼ぎは十分だ」

 

 

 4人目の少年はそう無感情に言い、数本の剣を影から取り出し、その中の一振りを足元の本体の腹に突き刺した。

 その瞬間、夏油の腹部にも耐えがたい痛みが生じる。

 

 

 「ぐあぁッ!」

 

 

 呪具の効力は確からしかった。

 夏油は傍らから呪霊の群れを展開し、さらに自由となった特級呪霊がその分身の蛮行を止めるために動かされる。

 

 それらの呪霊が動くよりも速く、今度は胸に数本の剣が突き刺さる。

 

 

 「ごふっ…」

 

 

 夏油の口から血が溢れ出す。

 少年の命の灯火が消えかけたことで呪いの効力が大きく増しているのだ。

 

 全ての仕上げに、分身は最後の一本を大きく振りかぶり、その生贄の首を刎ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぐっ…」

 

 

 数秒の時が経ち、うめき声が漏れる。

 

 夏油は死んでいなかった。ただ首の動脈が傷つき、血がとめどなく溢れ出そうとしている。

 

 彼は意識が遠のく前に()()()()()()()()()()、傷の治療に努めた。

 心臓は既に治癒している。表面が少し傷ついただけで治療は容易く、致命傷にまでは至らなかった。

 

 

 そのうちに首の傷も治しきった彼は、無惨に胸と泣き別れた、少年だったものの頭部に目を向けた。

 目をくり抜かれ落ち窪んだ眼窩からは何の感情も読み取ることは出来ない。

 

 

 (…呪いの効力が想定よりも弱かったのか)

 

 

 考えてみれば、命を賭した呪いの効果の検証など簡単には出来ない。

 文献や伝承を頼りにあの呪具に至ったのかもしれないが、彼が期待していた程のものではなかったのだろう。

 

 ただ少しだけ違和感も残る。

 毒を使うというのならば既存の毒物を使えば、呪具など用いずとも、ましてや命まで捧げずとも良かった。だから恐らくこれは毒の耐性や反転術式による解毒まで考慮に入れた策だったはず。

 そこまで確実性に拘った彼が中途半端な手段を頼りにするのだろうか。何か過程で想定外の不具合が起こったのではないのか。

 

 夏油は警戒を解かず、()()()()()()()そんなことを考えていた。

 

 

 

 少年の分身は、本体が死んだ後だというのにまだ残っていた。

 そういう術式なのか、本体が死んだことで呪いが強まったのかはわからない。

 

 機能を失った訳でもないのに、彼は何故か仇敵である夏油には目も向けずその場に佇んでいる。

 無害ならば放っておいてもいいか、などという信じられない程甘い考えが一瞬脳裏に過ぎるが、夏油はすぐに頭を振ってそれを否定した。

 

 

 

 

 「馬鹿な……あり得ない」

 

 

 分身の小さな呟きが聞こえてくる。

 

 丁度狩りから戻ってきた朱鬼をけしかけようとしていた夏油は、一旦呪霊の動きを制止する。

 仇を仕留め損なったことに茫然自失になっている様子ではなかったからだ。

 

 

 急速に危機意識が浮上し、情報収集に努めるように働きかけてくる。

 夏油は周囲を見渡し何か違和感がないかと探し、ついに見つけた。

 

 

 あり得ないという先入観が目を曇らせていた。

 故に()()に気付いた瞬間、全身に鳥肌がたった。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 『言ったはずだぞ。お前は何をも得ることはない。復讐の果実すら遠いのだ』

 

 

 

 舌も喉も肺もないのに喋れるはずがない。

 だがその”声”は、確かに少年の頭部から響いていた。

 

 

 

 

 




唐突に出てきたガチな呪い。飛段の術のパクリなのは書いた後に気付いた。まあ失敗してるからセーフ。
そしてナチュラルに簡易領域と反転術式を習得している夏油。
特級ならそれくらい出来て当然だよな。
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