呪術縁起   作:生乾きの服

37 / 40
一旦書き溜め分は終わり


37.識神

 

 「朱点!潰せ!!」

 

 

 夏油は自らの本能に従い、地面に転がっているその少年の頭部を真っ先に破壊しようとした。

 呪いが継続していた場合自滅することになるだろうが、そんなことは頭になかった。

 術師も非術師も関係なく、”アレ”は人とは相容れない。なぜかそう思った。

 

 しかし朱い鬼が命令を遂行するよりも先に、頭の傍らにいた分身が動いた。

 呪霊を止めるためではない。自らの本体を破壊するために。

 

 影から一振りの戟を取り出し、頭部を叩き潰そうと振り下ろす。

 

 その直前、少年の頭、そして切り離された胴体から影が広がり、”術者の肉体”を取り込んだ。

 

 

 

 

 分身の少年は必死に現状を分析していた。

 そして結論付けられるのは、自分の本体が乗っ取られたのだという俄には許容しがたい事実。

 

 本来、分身と本体の影空間は全て共有されていたはずだった。だから影に沈み境界を閉じ、再び開いた時に何れかの影の中に転移することになる。禪院陽明として統一されていた自己認識が術式の同一性を担保していた。

 しかし今現在、取り込まれたはずの肉体は”自分”の影の中にはない。携行していた呪具の存在は感じるから、そもそも別の空間に取り込まれている。

 すなわち術者が異なっている。今あの影を操っているのは自分とは別の存在。 

 

 

 「クソッ、そういう事か!」

 

 

 分身の少年は後悔で歪んだ顔で地団駄を踏んだ。

 

 呪具の効果の検証は、()()()()()。その上で、命を捧げさえすれば確実に敵を殺せると踏んで実行に移したのだ。

 だから呪具の効果が想定より弱かった理由は、そもそも陽明の肉体がまだ死んでいなかったからに他ならない。

 

 そして一つの契約に基づき、少年の命の危機を排除するために表出する存在がある。その事自体は把握しており、元々は”彼”ごと葬る予定だった。だが首を断ち切られても死なない人間などいるはずがないという思い込みが見誤らせた。

 

 尽く予想を裏切られ、自らの本体に刻まれていた術式の性質を、ようやく彼は理解した。

 

 

 

 

 

 

 分身の陽明、夏油、場のニ体の特級呪霊。誰も動こうとしない。

 しばらく膠着状態が続き、彼らが警戒していた気配が浮上する。

 

 影の中から再び人影が浮上し、一人の少年が姿を現す。

 切り離された首は元通り接着され、そして目と鼻と耳、左腕を除いた四肢が復元されている。

 元々死にかけていたとはとても思えないほどに生気を取り戻している。

 

 

 反転術式によって取り戻した舌を使い、”御門景光”は開口一番、自分の半身に対して嘲りの言葉を吐いた。

 

 

 「仇敵と仲良く横並びで、良いざまだな。全てを捨てると意気込んではみても、お前にとってはそれが一番楽だっただけだろう」

 

 「…黙れ」

 

 「憐れだな、大言を囀ることしか能がない奴は。まあいい、さっさと腕を返せ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 分身の陽明は歯を食い縛り、戟を影に落として黒刀を取り出す。

 

 居合の構えを取りながら自分の中で言い訳をする。

 夏油より先にこの男に刃を向けるのは、彼が人の災いになるからではなく、夏油への復讐の道を閉ざされたくないからだと。

 

 

 対する景光は不快さで顔を歪ませると、足元の影を広げ、黒い大海を作り出した。

 

 

 「もはや見苦しい。疾く去ね」

 

 

 そこから生え出る黒い触手たちが分身の元に伸びていく。

 

 分身は触手を切り払いながら自らの影も広げて対抗しようとするが、小さな領域でもある影が相手のそれに触れただけで思い知らされた。 

 

 無理、不可能だ。なぜならこれは一つの世界だから。虚無の影には千年間蓄えられてきた膨大な人の因果が詰まっている。自分はそこから生まれ出た一つの種子でしかない。

 

 元々純然たる下位互換、従属存在でしかなかった分身は、太母たる無意識の海に意識を拡散させられ、その自我を消失させた。

 

 

 

 

 

 「…四肢を失い、最期は断頭。自らの意に反して”昔”の再現までするとは、つくづく救えぬ」

 

 

 分身の形が溶け崩れたことでその場に転げ落ちた一つの腕を、景光は影の中に取り込んだ。

 次いで反転術式を使い、失った左の肩口から先を復元する。

 

 

 身体の欠損を丸々補う高度な反転術式だ。分かっていたことではあるが、その光景を眺めていた夏油は目の前の少年に畏怖の念を抱かざるを得なかった。

 

 無惨に四肢を欠損し、達磨にされた状態から反転術式によって元の体に治癒した。それはいい。

 問題は呪力がまるで減っていないことだ。そんな芸当は六眼の持ち主にしか不可能なはず。その上首を切り落としても死なない人間をどうやって殺せば良いのか。

 

 

 「俺の殺し方が気になるか。勿体ぶるつもりもないから教えてやろう」

 

 「…一体どういうつもりだい?」

 

 「なに、単なる恩返しだ。お前がいなければ今ここにいる俺は存在しない。何も知らぬまま、抗うことすら許さず死なせてしまっては余りにも不義理というものだからな」

 

 

 その傲岸不遜な物言いに、夏油は眉を顰めた。

 

 妙な義理堅さを感じさせる割に、彼の中では自分を殺すことは決定事項らしい。

 そして奇妙なことに恩讐が180度変わってしまっている。先程までとはまるで別人だが単なる二重人格というわけではないだろう。明らかに強くなっている。

 

 既に逃げる選択肢はなく、戦う他ないのだということは分かっている。ならば少しでも未来に繋がる可能性を紡がなければならない。

 

 

 そんな夏油の密かな覚悟を感じ取り、景光は頷いた。

 

 

 「その意気やよし。では術式開示といこう」

 

 

 

 

 そも、この術式は千年の昔、考え得る中で最高の呪術師だった男が生れ持ち、そして隠し、腐らせたものだった。

 

 名を『識神転輪式(しきしんてんりんしき)』。

 

 識神(しきしん)とは”心”を表す。術式が意識を形作り、幾重にも重ね合わせて拡張し、思考の次元を高める。

 術式自体が、既に術式によって形成された思考回路、疑似脳に刻まれている。これは肉体と魂を媒体として顕現する一種の式神であり、肉体そのものに遍在している。

 

 術者にとって肉体とは呪術の依代に過ぎず、故に思考と呪力が尽きない限り、例え物質的な脳が死んでいたとしても反転術式で蘇らせる事ができる。

 こうして肉体と術式が互いを補い合い、絶えることのない調和の円環をもたらす。

 

 

 「それを踏まえて、俺を殺すためには依代である肉体を術式ごとまとめて消滅させるか、あるいは何らかの方法で術式を潰した後で肉体を殺せばいい。呪力を尽きさせてから殺すのもアリだ」

 

 

 夏油は内心で歯噛みした。彼の術式は擬似的な不死をもたらすもの。しかし天元が持つ概念的に不死を優先させる術式とは違う。彼を殺すことは可能だ。

 

 ただその能力は未知数。今持てる自分の全てを吐き出すことも考えなければならない。

 乙骨の相手をしている余裕などもうない。敵の油断に付け込み、自分が生き残ることだけを考えなければ。

 

 

 (…計画が全部崩れたな。本命に会う前に、というのがなんとも情けない。皆を不要な危険に巻き込んでしまった)

 

 

 僅かな後悔の念を振り払う。

 そして游雲を両手に握りしめ、構える。必ず次に繋がる活路を拓くために。

 

 

 

 しかしその時、呪いが顔を覗かせていた。

 

 

 「足りんな、必死さが」

 

 

 景光は、希望の籠もった目を見て()()()()()()()()呟く。

 

 

 「それはそうだ。お前には俺と戦う理由がない。謂わば受け身の覚悟のみ。…だが”次”を考える余裕など与えん」

 

 「なんだって…?」

 

 「お前に”次”など存在しない。だから最期に、必死になるための理由をやろう」

 

 

 彼はそう言って、足元の影から一体の式神を生み出した。

 

 

 「陽明はお前の”家族達”を皆殺しにすると息巻いていたが…実を言うとな、奴の復讐(ねがい)は既に半分叶っていたのだ」

 

 

 

 

 

 言葉の意味はすぐに分かった。

 

 夏油傑は理解させられた。彼は紛うことなき呪いであると。

 それは夏油の思考を真っ白に静止させ、同時に全てを理解させるには十分なものだった。

 

 式神は次々と顔を変化させていく。()()()()()()()()()()()()

 声色すら変化させて、一人の名を呼ぶ。

 

 

 「夏油様」

 

 「…夏油様」

 

 「夏油様ぁ」

 

 「夏油さま」

 

 

 その顔で名前を呼ばれるたびに、嫌悪と憤怒と憎しみ、あらゆる負の感情が綯い交ぜになって夏油の内心を圧迫していく。

 

 それは偽物であり、本物でもあった。

 何故彼らの事を知っているのか。こんなにも真に近い式神として顕せるのか。実際にどうやったのかは分からないが、一つの事実が胸に刻まれた。彼らがもうこの世にはいないのだと。

 

 今になって初めて、頭ではなく心で理解する。

 ただ死ぬだけではない。大切な人たちが尊厳を踏みにじられ、魂までも冒涜されることが、こんなにも心を掻き乱すのだということを。

 

 

 しかし自分は術師の世界を作るという大義のために親をも殺した人間。今更私情に揺り動かされるような甘さなど持っていない。

 だから今抱えているこれは復讐心とは少し違う、義務感や使命感に近い感情だった。

 

 怒りや嫌悪と共に、確かな覚悟を籠めて言葉を吐き出す。

 

 

 「貴様は、必ず私が祓ってやる」

 

 

 原初の願いは、呪いの無い世界を作ることだった。

 

 そして今、目の前に、人に仇なす悪性(のろい)を感じる。

 故に再び呪術師として、この悍ましい呪いを祓う(ころす)のだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帳が張られた時点で、乙骨憂太も何らかの異常が起きていることには気付いていた。

 そのすぐ後に帳が消失し、それらの原因を探しに行こうとしたところで、彼のもとにある人物からの使者が訪れた。

 

 

 

 薨星宮直上、空性結界内。

 現在は何も無い白い空間を形作っているそこに、乙骨は呼ばれていた。

 

 初めて来る場所という以前に、高専だけでなく呪術界全体における要地だという話は常々聞いている。何故自分がそんな場所に呼ばれたのか全く思い至らず、何かやらかしてしまったのではないかという不安から目線をしきりにあちらこちらに動かしていた。

 

 自分をここに連れてきた人物は先程から全く動かず、心ここにあらずといった様子。

 もしかして忘れられているのではないかと思い尋ねようかどうか迷っていたところ、ようやくその人物から話しかけられた。

 

 

 「乙骨憂太。お前に天元様からの言伝がある」

 

 「天元様?っていうとあの」

 

 「そうだ、あの天元だ。そして任務だ。お前はこの空性結界の迷宮で待機しろ。最低限五条悟が戻ってくるまで。奴とは帳の影響で直接連絡が取れないが、人づてに連絡がつき次第戻らせる」

 

 「呼び捨て……じゃなくって、もしかして、やっぱり誰かが高専に攻めて来てるんですか?」

 

 

 このタイミングで高専に帳を張るような人物に心当たりなどなかったが、直感的にそうなのではないかと思い尋ねてみた。

 

 

 「ああ。奴の狙いはどうやらお前だったようだが、そんなことよりも大きな問題が一つ生まれた」

 

 「問題って、一体どういう」

 

 「恐らくもうしばらくしたら()がここに来る。今のうちにお前は里香を完全顕現させて、その感覚に慣れておけ。さっきも言ったが特級案件の任務だ」

 

 「言ってないですけど!?特級案件?!」

 

 

 矢継ぎ早に多すぎる情報を渡されて乙骨は叫ぶしかなかった。

 訳が分からない。長い事里香を顕現させてはいけないと言われ続けて、それが半ば常識と化していたところなのに。

 

 しかしその男の表情は真剣そのもので、有無を言わさない圧があった。

 

 

 「無理矢理にでも理解しろ。このまま状況が最悪な方向に進めば五条悟ですら対処できなくなる可能性があるんだ」

 

 

 すなわち人の世が終わるかも知れないのだという彼の言葉に、乙骨は生唾を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数千の呪いを従え、今ここに百鬼夜行と為す。

 領域が世界を自分色に染め上げる術だというのならこれもまた領域。

 大小強弱入り混じった種々雑多。一寸先すら見通せぬ呪霊の壁。

 

 羽虫たちは餌の捕食を願いながらも、絶対の主に待てをかけられ涎を垂らす。

 早く、早く、早く、早く喰わせろ、と。

 

 

 周囲の三次元空間全てを無数の呪霊に取り囲まれ、御門景光は尚笑った。

 

 一匹一匹は取るに足らない雑兵で、強者を前にすれば一目散に逃げ出す。

 しかし弱者は寄り集まることで自らを狩人だと勘違いし、獲物を甚振るのを好む。

 

 醜悪極まりないが、(のろい)の性質をよく表している。

 

 

 

 『甚振り、喰らい、殺せ』

 

 

 遂に主命が下される。

 有象無象達は我先にと獲物を喰らうために突撃する。魂の底に眠る畏れに気づかぬ振りをしながら。

 

 

 その時、影がドーム状に盛り上がり、大きく口を開け、襲い来る呪霊たちを捕食しようとした。

 しかし呪霊の操手は、構わず呪いを投げ入れる。暴食の末に腹を下せと言わんばかりに。

 

 百、二百と呑み込まれる呪霊達。彼らは全く無意味に消費されているように見えて、その実全てが数体の呪霊の目を通して観察されていた。

 

 

 (奴の影に空間容量的な限界はなさそうだが、別の空間に転移させている訳では無い)

 

 

 影に消えていった呪霊の中でも、存在すら消されたものと、まだ反応が残っているものがいる。恐らく内部では何らかの方法で消化作業を行っているのだろう。呪力が目に見えて消費されていっている。

 

 ヒントはある。より等級が高く強い呪霊が残されている。呪力量が多いほど消化に時間とコストが掛かるのだ。

 

 

 (反転術式だ。恐らく正の呪力で内部を満たし、呪霊を構築する呪力を相殺していっているに違いない)

 

 

 少し想像しただけでも膨大な呪力消費だということがわかる。明らかに呪力総量よりも消費量が多く、極めて高い呪力効率と自己補完能を備えているのは間違いない。それでもこうして減少に転じている以上、無限というわけではなく、限界が存在する。

 呪霊のストックはまだまだ豊富だ。このままの戦法で呪力を尽きさせることが出来れば。

 

 

 否、不可。そこまで甘い相手ではなかった。

 

 

 「そろそろ胃もたれしそうだ。返品させてもらおう」

 

 

 影がポコポコと更に盛り上がり、呪霊の形を取って飛び出してきた。

 

 

 

 「まさか…!」

 

 

 夏油が驚愕に目を見開く。

 呪霊操術で使役していた呪霊たち、それが今や影を媒介とした式神と化している。それだけではなく、単なる呪力より情報密度の高い影の肉体を得たことで元より強化されている。

 

 影の式神たちは押し寄せる呪霊の大群に拮抗し、喰らいつき、新たな主のために壁を為そうとしていた。

 

 幾重もの呪霊や式神達の壁を挟みながら二人の術者が言葉を交わす。

 

 

 「数は力…僅かに押され気味か。では開示の続きだ。先程俺は呪霊を溶かすのと同時に、その魂を”解析”していた。彼らはその魂の情報を元に再現した式神だ」

 

 「魂の、解析…!」

 

 

 ギリッ、と歯を食い縛る。

 分かっていた、察していたことだった。”家族達”もあの影に取り込まれ、同じ方法で”再現”されたのだと。

 

 今になって思う。こうして自分がここにいること自体が彼によって仕組まれたことではないのか。そうでなければ”家族達”が狙われる理由がない。

 

 恐らく彼は何らかの理由で陽明の体に封じ込められており、肉体の臨死を切っ掛けにこうして表出したのだろう。

 では何時からこの状況を狙っていた。あの時、陽明の家族を惨殺した時か。いやそれよりも前、御門家の人間から暗殺の依頼を受けた時から既に仕組まれていたのか。

 

 深謀遠慮。最悪の呪詛師が悍ましさを覚えるほどの、底知れぬ欲望と悪意がここにある。

 

 

 

 「クク、いい塩梅に温まってきたな。では見せてやろう。識の位階を高め呪力の因縁生起を読み解く、我が術式の真骨頂を。露払いは任せたぞ、()()

 

 

 術式解放。

 

 景光は影より一体の式神を作り出す。

 かつて相対した特級呪霊、その魂を暴き、冒涜し、反転して使役神と為したもの。

 

 山伏装束に一対の翼を背負った天狗は、現れるや否や両手で掌印を結ぶ。

 

 

 『平伏(ひれふ)せ、木端共』

 

 

 ”(から)”の術式が刻まれた結界を閉じない領域は、必中効果を持たない代わりに彼の持つ術式性能を飛躍的に高める。

 呪力を纏った暴風が竜巻を形作り、矮小な呪いたちを巻き込みながらすり潰していく。

 澄み渡る夕闇空の下で、空気の乱流が辺り一帯全てを引き裂き破壊する。

 

 

 

 体を宙に浮かせるほどの風に、夏油は連なる呪霊達に体を預けることで抗う。

 そのまま現出している呪霊の大半を裡に戻し、二体の特級呪霊を伴って大きく後退する。

 

 街一つ容易く潰すことが出来るような強力無比な手札を晒されてもなお、彼は冷静に勝機を窺っていた。

  

 

 あの天狗のような姿をした式神を顕現させた後、少年の呪力量は減ったままだった。先刻分身について開示した通りに、本体の呪力量上限を削って作成した式神なのだろう。

 

 そして今、低級呪霊を模した式神たちは顕現を解き、その分の上限は解除されている。基本的に呪力の自己補完能は呪力総量に比例しているが、彼の場合その比率が通常の術師よりも遥かに高い。

 だが本体の呪力量は増えていっているものの、呪力の回復が明らかに遅くなっている。

 

 

 (つまりこうして強力な式神を顕現させている間は呪力総量と共に自己補完能が落ち、本体は通常想定される以上に弱体化する。やはりリソースは無限ではない)

 

 

 絶対に祓わなければならない。

 

 多くの”家族達”が既に彼に殺され、魂を取り込まれ、冒涜されている。その情報を明かしたのはこちらの憎しみを煽ることで喜びを得ようとしているのか。将又あの陽明という半身の復讐を手伝っているというのか。

 

 分からない。分かるのは彼が呪いであるという事実だけ。

 いずれにせよ、今は報いを。呪いには呪いを返すのだ。

 

  

 

 化身『玉藻前』、『朱点童子』。二体の特級呪霊を天狗の元に向かわせる。

 式神は先程から掌印を結んだまま動かない。恐らくこの規模の暴風を発生させるために必要な縛りなのだろう。

 

 鬼の代名詞としての屈強な肉体を持つ朱鬼が先行し、空力に抗いながら一気に距離を縮ませる。

 天狗は翼をもって飛翔し逃れようとするが、それを見た鬼は拳を強く握り込み、地面に向かって振り下ろした。

 

 呪力の光と共に大地に亀裂が走り、隆起、陥没する。更に呪力を爆発させて岩石を弾き飛ばし、宙に浮いた礫を足場として伝い、鬼が天狗の懐へ飛び込む。

 

 

 『グオオオォォ!!』

 

 『ええい鬱陶しいわ!この紛い物が!!』

 

 

 拳の連打を叩き込まれてなお天狗は掌印を解かず、足のみでそれを受けた。

 風を起こし続けることだけが主人から下された絶対命令だったからだ。彼は現在その本来の人格を模倣(エミュレート)している。

 

 拳の乱打の末、踵落としの一打によって天狗は叩き落とされ、身を翻して着地する。

 

 そこに待ち受けていたのは傾城(けいせい)の伝承を持つ呪霊。結界が天狗と呪霊を包み込む。

 

 再びの領域展開。その外殻は外側からの攻撃に弱い。敵を全て閉じ込めている訳では無い以上外から破られる危険性がある。

 しかし夏油はその対策を思いついていた。

 

 空から地に降り立った朱鬼は、領域の外からさらに領域を重ねる。

 結界の強度の条件を外部からの攻撃に対して強化。必中効果を起動させず、内部にある味方の領域を守る。二重の領域により、敵を中に閉じ込めるためだけの領域が完成した。

 

 

 天狗の領域は境界を閉じないと言っても直接的な攻撃能力は持たない。彼が領域に閉じ込められた事により、ようやく暴風が止む。

 そして式神の使役者は呪力量と補完能を欠落させたままだ。

 

 

 

 「使役呪霊にこのレベルの結界術を扱わせるとは中々やるな。それに良い読みだ。切り離した式神を戻すには直接俺の影に触れさせなければならない。”魂の異なる式神”は”俺自身”ではないからな」

 

 「…加えて、一度壊れてしまえば再び同じ式神を召喚することは出来ない。呪力量上限が元に戻る時間にもペナルティがある。そうだろう?」

 

 「概ね正解だ。やはり()()()

 

 

 露払いが居なくなったことで再び呪霊の数が活きる。

 夏油は飽くまで数による圧殺を目指し、手駒たちを展開した。

 

 しかし今度は影に取り込ませはしない。呪霊を純粋な呪力に還元し、圧縮し、解き放つ。

 

 影の内部に攻撃を取り込むことで無効化される可能性は考えられるが、見たところ結界術による擬似空間の延長線上にある術式。空間を格納するという術式対象の概念、その内包と外延の許容限界を超えるエネルギーを撃ち込み、空間ごと破壊すれば突破できるはず。

 

 全ての呪霊を注ぎ込めば、恐らく可能だ。確実に消滅させられるように、機を窺う。

 

 

 

 

 夏油が詰めの算段を取り、殺気を迸らせる中。

 景光は再び周囲を取り囲もうとする呪霊たちを眺めながら語りかけた。

 奇妙なほど穏やかに。

 

 

 「夏油傑、お前は優れた()()()だ。感情(のろい)に支配されず、感情(のろい)の力をもって己が望みを遂げようとする者。しかしその意思の終着点は冒涜の底の底と定まってしまった」

 

 「…何のことだ」

 

 「弔いだよ。我が呪術は黄泉への手向け。最後まで全力で抗い、せめて安らかに逝け。”殉死者達(かぞくたち)”と共に」

 

 

 それは死の宣告であり、憐れみの言葉でもあった。

 御門景光は、夏油傑を確かに憐れんでいた。

 

 

 理解し難い感情を、夏油は今ようやく理解した。

 この呪いから感じるのは他でもない、()()()()。彼は憎しみでも、怒りでも、嫌悪でもなく、ただ憐れみと慈しみをもって人を貶め、冒涜するのだと。 

 

 その悪性を表すかのような異質な呪力が辺りを包んでいく。

 纏わりつくような不吉な瘴気に呪霊たちが震え怯える。

 

 

 「思考の拡張には先がある。事象の”解析”、そして”模倣”と”適応”。これは俺自らの魂を分け与え、術式を”適応”に特化させた式神」

 

 

 さらなる術式開示。魂とは命であり力。自らの一部を預けることで生成した式神は、そのコストとリスクの高さに比例して強力な能力を付与される。

 

 

 夏油はかつてないほどの脅威の芽生えを感じ取り、敵対者を殲滅するために術式の引き金を引く。

 景光を取り囲んだ呪霊たちが数百体単位で圧縮され、全方向からの収束した呪力が彼を焼くために流れ込む。

 空気を震わせるほどの熱。まともに食らえば空間ごと焼滅させられるだろう。

 

 

 

 

 しかし夏油の期待とは裏腹に、声がどこからか聞こえてくる。

 

 

ーーーひふみよいむなやここのたり、ふるべゆらゆらとふるべ。

 

 

 力の籠もった言葉、祝詞だった。

 

 

 (これは布留の言!!一体どこから……っ)

 

 

 声の出どころを探しすために辺りを見回そうとしたその時。

 思考の一切が漂白され、静止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつかの夏の日。

 茹だるような蒸し暑さでも不思議と不快感がない。私は呆然としたまま目に見える景色を確かめていた。

 

 黒板には綺麗な字で数式が所狭しと書き連ねられている。

 手元にはB罫のノート。開かれたページは完全な白紙だ。

 

 

 気づけば私は懐かしい、遠い記憶の中にいた。

 思考が回らずに呆けていると、傍らから名前を呼ぶ声がする。

 

 

 「いい加減起きろよ、傑。もう授業終わったぜ?」

 

 「授業…?」

 

 「ったく、寝惚けんな。何で俺が起きててお前の方が堂々と居眠りしてんだよ。夜蛾センも不公平だよな、優等生の傑ちゃんには甘ぇんだから」

 

 

 ”現在”と変わらない、かつての親友の姿がそこにはあった。

 

 学生服の袖や口元に涎が垂れていることに気づき、私はハンカチを取り出して急いで拭った。

 不覚にもここ最近の任務の疲れが出てしまったのだろう。

 

 

 「人からの信頼とは積み重ねるものだよ、悟。不平を言う前に君も普段からちゃんと真面目に授業を聞いてノートを取ればいいだろう」

 

 「チッ、マジうぜぇ。口を開けば説教クセェことばっか言いやがって。…あ、そうそう。そういえばお前、母親から手紙が届いてたよな」

 

 「…は?なんで知ってる?もしかして無断で私の部屋に侵入したのか!?」

 

 「親友が健全じゃない本を隠し持ってないか探してやるのは寧ろ義務だろ。それより机の上に放りっぱなしで返事に悩んでたみたいだったから、僕ちん気ぃ利かせてお返事書いちゃったよ。最近彼女が出来ました!って、硝子の写真付きで」

 

 「………。悟、少し表に出ようか」

 

 「あ?やだよ。外なんてもっとクソあちーだろーが。一人で行けさびしんぼ」

 

 

 怒りで頭が真っ白になることがあるのだということをその時初めて知ったのだった。

 本当に、流石にない。人の部屋に勝手に上がり込み、親からの手紙を勝手に覗いて、あまつさえ勝手に嘘の返事など。

 

 どうやってこの馬鹿に分からせてやればいいのだろうかと頭を抱えて真面目に悩んでいると、馬鹿はまるで何事もなかったかのように話しかけてきた。

 

 

 「にしても、今どきメールじゃなくて親子で手紙の遣り取りとはね。なに、傑ママって機械音痴なの?」

 

 「そういうのじゃない。ただ何と言うか…」 

 

 

 他愛もない問いに対して少し言い淀む。

 

 

 両親とは特別仲が悪かったわけではない。真っ当に、息子として愛してくれていることは分かっていた。

 

 ただ私には、自分は彼らとは違うのだという漠然とした思いがあり、恐らく彼らもまた私に対してそういった思いを抱いていた。

 見える者と見えない者、力を持つ者と持たない者。同じ世界にありながら分かたれている。それを理解していたから、彼らは私が呪術師になることを止めなかったのだろう。

 

 高専に入学し、自分の同類と出会ってから余計にその感覚が強くなった気がする。

 次第に連絡を取らなくなり、何となくの気まずさから彼らを遠ざけるようになっていた。

 

 

 

 あの耳障りな拍手の音が頭から離れない。

 

 

 

 切っ掛けは嫌悪の感情だったが、別に彼らを嫌悪していた訳ではない。しかしこの間違った世界を正すという大願を叶えるためには、少しの甘えも許されなかった。

 

 だから殺した。

 浮き彫りになっていた距離感だけを拠り所に、彼らは唾棄すべき低劣な生き物なのだと自分に言い聞かせながら。

 

 せめて苦しませないように、眠らせるように。

 

 

 

 

 流れ出るのは生涯の記憶。穢れを知らず、希望の光だけを見ていられた青い時間。

 呪いで穢され捨て去ったはずなのに、振り返るのは輝かしい思い出ばかり。

 

 それでも思い出の最後は、いつも必ずそこで断ち切られる。

 断ち切ったのは自分自身だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 (これは、走馬灯…なのか)

 

 

 見果てぬ白昼夢。最期に思い浮かんだ顔は誰のものだったか、もう覚えていない。

 

 現実を支配する圧倒的な死の予感に、夏油はゆっくりと後ろを振り返り、そして諦めとともに悟る。

 背後にいたその存在こそが自らに絶対的な終わりをもたらす者なのだと。

 

 

 

 

 

 翼を持った蛇の頭。完全なる循環と調和、そして真理を表す法輪を背負う、()()()()

 禪院の生み出した最強の式神がその威容を顕す。

 

 

 

 「其の穢れを以て、遍く穢れを祓い給え」

 

 

 

 禍津識神(まがつのしきがみ)転輪神将(てんりんしんしょう)魔虚羅(まこら)

 

 

 

 

 

 

 




2Pカラーまこちゃん。十種の式神にアレンジされる前の原種、という設定



本文上で説明されるかわからない識神転輪式(以下識神術式)の補足
・識神術式を式神に刻むことで分け与えることが出来る。術式コストとして、その分術者自身が扱うことの出来る思考リソースが減る。これに伴い呪力操作精度、呪力量上限と自己補完能が落ちる。
・魂を用いた式神の作成方法として
1.魂を核として式神を作り、識神術式を分け与えることでその情報を読み込み模倣する方法
2.魂を術者が解析し、その特性を式神の術式として事前にプログラムする方法
3.2の式神に対して識神術式を分け与える方法
の3つがある。
・1は性能が高いが、その分高いコストと魂の喪失リスクが生じる。呪力の自己補完能を持つ。術者自身の消費は式神作成時の初期呪力コスト、上述の術式コストが掛かる。式神の呪力総量>術者の呪力量上限の低下量。
・2は破壊されても再現することが出来るが性能は1より明確に劣る。呪力の自己補完能を持たない。式神の呪力量=術者の初期消費呪力量。
・3は破壊されても再現できて呪力の自己補完能も持つ。性能は2より高く1より劣る。1と同等以上の作成コストが掛かる。式神の呪力総量=術者の呪力量上限の低下量。前話からの分身がこれ。
・1と3は基本的に術式コストを割くほど性能が高くなる。
・術者と異なる魂を元にした式神は術者自身ではないので、その影同士は繋がりを持たない
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。