呪術縁起   作:生乾きの服

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久しぶりの投稿

書き溜めあり


38.祈本里香

 東京高専所属の補助監督、伊地知潔高は帳が降り呪いで満ちた新宿の街の外縁近くでソワソワと手元の無線機を弄っていた。

 

 帳の副次効果による電波遮断で内部と外部の通信が断たれている状態ではある。ただ人の出入りは禁止されておらず、内外の情報伝達は口頭で、そして内部における仲間同士の連絡手段として簡易無線が用意されていた。

 

 

 「五条さん、何で出ないんだ。大至急の要件だっていうのに…」

 

 

 作戦全体に影響する超重要な情報を預かっており、出来れば直接伝えたいというのに連絡がつかない。

 まだ帳の内部でそこまで大規模な戦闘は発生しておらず、流石に無線が壊れているということはないはずだが、まさか電源を入れ忘れているのだろうか。

 

 

 「全然あり得る…。五条さんだし」

 

 「伊地知、なにソワソワしてんの?」

 

 「!?」

 

 

 微かな音もなく、いきなり目的の人物が目前に現れ唖然とする伊地知。無下限の瞬間移動は本当に心臓に悪い。

 

 五条はポリポリと頭を掻きながら彼に話しかけた。

 

 

 「(アイツ)、どうやら新宿(こっち)にはいないっぽいんだよね。京都の方から何か連絡来てる?」

 

 

 目に付く呪霊を手当たり次第に祓いながら街を回っていたが、夏油どころか呪詛師の姿も見当たらなかった。

 少なくとも事前に想定していたような総力戦に臨もうという感じではない。一応影から様子を窺う雑魚共の視線は感じていたものの、捕らえようと意識を向けるだけでたちまち蜘蛛の子を散らすように気配が消える。妙な雰囲気だった。

 

 

 「五条さん無線はどうしたんですか!」

 

 「あ。いっけね、電源点けてなかった」

 

 

 伊地知はがっくりと項垂れたくなるのを堪えるのが精一杯だった。

 しかし今はそれどころではないと思い直し頭を振る。

 

 

 「もう結構です…。それどころじゃなくて、夏油さん…夏油傑が東京高専に現れたと連絡が入ってます。今高専には乙骨くんと」

 

 「…あー、そういうことか。しくったな」

 

 「ちょっ!」

 

 

 剣呑な雰囲気になり、話の途中でスタスタと帳の外を目指して歩いて行こうとする五条を、伊地知は慌てて引き止める。

 

 

 「待ってください、続きがあります!五条さんは至急高専に帰還した後、天元様のもとに向かってください!乙骨くんもそこで待機しています!」

 

 

 五条はそこでピタリと足を止めた。

 

 

 「…天元?てっきり憂太の抱えてる里香が目当てだと思ってたんだけど」

 

 「理由は私にも分かりません。ただ、”現場の事を全て無視して、単独で、最速で戻って来るように”と言伝があります」

 

 「誰から」

 

 「…直久さんです。どうやら彼は高専の作戦には参加せず秘密裏に天元様の護衛に当たっていたようでして」

 

 

 意外な人物の名前が挙がり、五条は目隠しの裏で眉を顰めた。

 

 彼が天元と繋がっているという話はこれまで聞いたことがないが、その結界術についての造詣の深さを思い起こしてみると何処か得心がいった。

 

 

 (普通に贔屓じゃん。別にいいけど)

 

 

 国内結界の維持のため、そして天元という権益の独立性を保つため、上層部は俗世の人間が彼に関わることを良しとしない。だからこれは恐らく高専内部で長らく内密にされてきた情報。学長も一枚噛んでいるに違いない。

 

 と、そこまで思い至ったところで、五条は面倒くさそうに舌打ちをした。

 

 

 自分の存在を誇示するような強い呪力の気配。

 振り返ると、大通りの対面の歩道を歩いてくる浅黒い肌の異人がいた。

 

 

 (チッ、面倒だな)

 

 

 百鬼夜行の目的が陽動であることが分かった以上、自分の足止めに来たことは明らかだ。

 五条悟にとっては取るに足らない雑兵といったところだが、確実に1級術師以上の力はある。そして何やら厄介な代物を持っているらしい。

 

 

 「じゃあ伊地知、悪いけどアイツの相手ヨロシク」

 

 「え?え…?む、無理ですよ五条さんの頼みとはいえ流石に!物理的に不可能です!!命令でも無理です!!」

 

 「いやどう考えても冗談だし。何、僕ってお前の中でそんなに理不尽な無茶振りするイメージついてんの?」

 

 「…………いえ」

 

 「何だよその間。後で全力ケツバットな」

 

 

 五条は絶望したような表情の伊地知をそのまま下がらせる。

 

 実際こんな冗談を言っている場合ではない。

 ”現場の事は全て無視しろ”というその物言い。五条悟以外に対処不能な事態が生じているということを表すと同時に、それが夏油傑のことではないということも意味している。今の乙骨に直久まで付いていれば恐らく夏油と互角以上に戦えるはずなのだから。

 

 優先順位はあちらが上。故にこれは私情。この場の味方を捨て置け無いという我儘。

 迅速に片を付けなければならない。

 

 五条はその異人に対して吐き捨てるように言った。

 

 

 「失せろ。今忙しいんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新宿、京都での開戦から1時間と少し。

 突如として、天元の支配する空性結界の空間情報が書き換えられた。

 

 何も存在しない見渡す限りの白の世界から、木々生い茂る鬱蒼とした森へ。

 言わずもがな、”敵”の仕業だ。

 

 

 「来た。本当に…」

 

 

 事前に”敵”についての情報を聞いていた乙骨は警戒感を顕にする。

 遮蔽物が多く、辺りが”影”で満たされている。これは”敵”の術式を最大限に活かす事ができる空間。

 

 しかしその変化も長くは続かなかった。

 時間を巻き戻すかのように草木が縮みだし、深緑の世界は再び元の白へと戻る。

 

 空性結界内の情報は優れた結界術師ならばある程度自由に書き換える事ができる。ただ現在は”敵”を迎え撃つために、結界の主たる天元の命令を最優先で処理する一種の領域と化している。

 

 

 結界で作り出した木の陰に隠れていたのだろう。いつの間にか眼前に対峙していた男は興味深そうに呟いた。

 

 

 「ほう。天元が味方しているのか。あの萎びた枯れ木に、まだそんな執着が残っていたとは驚きだ」

 

 

 姿形は禪院陽明。その冷たい雰囲気は以前見た時と変わらない。

 だが呪力の禍々しさが圧倒的に増している。それだけで別の存在であることが分かるほど。

 

 その迎え撃つべき”敵”に対して、乙骨は微かに震える声で話しかけた。

 

 

 「…陽明くん、じゃないんだよね。君は一体誰なんだ」

 

 「俺が何者かなどどうでもいいだろう。()()()()対して害意を持っていることは明らかなのだからな。ここで明確にすべきはお前自身の意思だ。すなわちこの俺と対峙し、殺す覚悟があるのか、ということ」

 

 「…っ」

 

 

 ゴクリ、と乙骨は生唾を飲み込んだ。

 

 言われるまでもなかった。”敵”の存在を言い渡され、それが最近知り合った呪術師の仲間であると言われた。状況もまだよく呑み込めておらず、いきなりただ敵だからという理由で殺せなどと納得出来るものではない。覚悟など()()()()()()()

 

 

 「そうだな、人が動くためには理由が必要だ。だから敢えて言っておこう。()()()()()()()()()()()()()

 

 「え…?」

 

 

 寝耳に水だった。何故彼が自分を狙うのか、全く意味がわからない。

 そもそも事前に聞かされていたのは、彼の狙いは恐らく天元だということ。話が違う。

 

 

 「不思議に思うこともあるまい。夏油傑もお前の抱えている祈本里香を手に入れようとしていた。流石、目の付け所は良かったな」

 

 「…じゃあ君も、里香ちゃんを狙っているってことなのか」

 

 「もう一度言うが、俺の目的は飽くまでもお前だ。()()()()()()()()()()()()はある程度取り戻せたようだからな。であれば、欠けてしまった我が半身を補うに足る」 

 

 「な、何を…」

 

 

 乙骨は混乱の渦中にいた。

 自分など、里香の力のお陰で術師になれた謂わば彼女の付属品くらいにしか考えていなかった。

 しかし彼の言い方だと、自分が元で怨霊の里香が生まれたとでも言っているようではないか。

 

 その”事実”に気づかないように封じ込めていた記憶の扉を、無情にも景光は無理やりこじ開ける。

 

 

 「人為的に縛りを積み重ねて出来上がったこの身とは違う、()()()()()()()()。そして里香(アレ)は術者の強い意思(のろい)のもとに魂を縛られ作り上げられた式神」

 

 「僕が…里香ちゃんを…」

 

 「お前もまた非術師家系の生まれだ。恐らく周囲に溶け込むために、お前は自己を矮小化し、何の力も持たない凡人であると思い込もうとした。そしてそんな願望が彼女に己の責任(ちから)を転嫁することに繋がったのだろう。幼少からの抑圧、愛する者の魂を抑留する縛りも重なったことで膨大な呪力が生じたのだろうが、こちらは副次効果というべきだな」

 

 

 言葉がすんなりと脳に浸透してくる。動揺を誘うためのブラフだとは微塵も思わなかった。

 正体不明とされた怨霊の起源、それを思い出したからだ。

 

 

 

 

 あの日二人で遊んだ帰り道、手を繋いで横断歩道を歩いていた。

 その時起こった事は本当によく覚えていない。しかし直後の惨状は覚えている。

 

 昔からぼーっとした子だと言われていた。だから危険に気づかなかったのだろう。きっと彼女だけ気付いて、自分の身代わりになった。

 

 タイヤで踏み潰されて、頭部が一部欠け、脳漿が飛び出ている姿。どう見ても即死だった。

 それでも彼女に”向こう側”に行って欲しくなくて、無理やり引き止めた。そう願ってしまったのだ。

 

 

 

 

 「そうだ…全部、僕のせいじゃないか」

 

 

 全てを思い出した。

 

 家族を含め、多くの人達を傷つけてしまった。半死半生で再起不能になってしまった人もいる。

 何より彼女の魂を無理やり縛り付けてあんな恐ろしい姿にしてしまった。

 

 後悔と自責の念が止め処なく湧出し、その場に座り込んでしまいたくて、立っているだけでやっとだった。

 

 

 

 そんな乙骨の様子を眺めながら、景光は静かに語りかけた。

 

 

 「悔いているのだな。だがそれはお前が背負うべきものではない。この世の罪と穢れは全て俺が持っていく。覚悟なき者は身を委ねろ」

 

 

 影から刀を取り出す。

 

 『赤口神籬(しゃっこうひもろぎ)』。人と呪いに平等に死を与える、前世にて愛用した霊刀。

 鞘からその白銀の刃を抜き乙骨のもとに歩を進めるが、ふと何かに気づき足を止めた。

 

 

 乙骨の姿を遮るように、里香が景光の眼前に姿を現す。

 彼女の異形の顔は怒りに歪んでいた。

 

 

 「飽くまでも主を守るか。ならばお前の相手は此奴(コイツ)だ」

 

 

 景光が地面を足で叩き、影から出てくるのは巨大な人型の式神、魔虚羅。

 全身が黒い体躯だが、その右腕に備えた剣だけは白く光り輝いている。

 

 里香は剣に籠められた力に気づくことなく、内に抱く感情に任せて突撃しようとする。

 しかし乙骨は剣の本質に気付き、既の所で叫び声を上げた。

 

 

 「駄目だ里香!!下がれ!!」

 

 『!!』

 

 

 怒りの感情を覆す程の絶対命令。里香は逆らうことなく後退し、乙骨を抱えて景光達から大きく距離を開けようとした。

 

 

 すかさず魔虚羅に後を追わせる一方、景光は更に式神を顕現させる為に掌印を作る。

 

 影の中に眠る魂を捉え、実体化させた影に埋め込み、魂の情報を読み込ませるための術式を付与する。

 そして再び姿を顕した天狗は、不満気な声で主に語りかけた。

 

 

 『何故態々儂を使う。自らの手で葬れば良かろうに。そもそも何故儂の自我を残した』

 

 「最適化の時間が足りんだけだ。呪霊と化しただけあって呆れるほどしぶとく強力な自我、容易く消せるようならとうに消している。分かったら早く自分の仕事をしろ」

 

 『…承知』

 

 

 不承不承といった様子でゆっくりと歩き出した式神を見て、景光は小さく鼻を鳴らした。

 

 言葉に偽りはない。自分のように術式を用いたわけではなく、己の意思のみで現世に留まる程の自我。式神としての能力を十全に発揮させるためにはその魂の情報を削ることは出来なかった。

 

 そしてもう一つの問い。乙骨を自ら追わずに式神達に任せたのは、()()()()()()()()()()()()()がこの場に存在するからだ。

 

 

 景光は俄に抜き身の刀を振り上げる。その刹那の後。

 

 空気を破る衝撃が先んじて、次いで剣戟の音が木霊する。

 景光が徐ろに見上げてみると、頭上の空間に裂け目が現れ、煌めく白銀が降ってきていた。 

 

 

 

 

 

 

 襲撃者、禪院直久は急襲が失敗したことを悟った瞬間、刀に乗せた呪力を爆発的に放出させて身を翻した。

 

 彼は内心で舌打ちしながらも冷静に分析する。 

 天元の空性結界内に作られた隔離空間にて潜伏し、厄介な式神が離れた隙を窺って奇襲する手筈だったが、初手から結界に干渉されたせいで悟られたのだろう。

 

 

 「()()()()()()()()()()()僅かな迷いも躊躇もなく斬り掛かってくるとは、中々に徹している」

 

 「……」

 

 

 陽明…そして景光と夏油のやりとりは、高専内の結界を通じて全て見ていた。他ならぬ陽明から万が一時の保険として頼られていたためだ。

 

 陽明は直久が復讐の妨げになるとは考えなかった。

 強固な信頼があった。少年にとって直久は師であると同時に、育ての親であり唯一頼るべき大人でもあった。

 

 直久もまた当然の事としてその()()を許容した。

 それは少年を弟子として引き取った当初から決めていた事。しかし当時と比べ、その内心には小さくない変化がある。

 

 

 

 「テメェの目的は何だ。死んで尚現世にしがみついてまで、一体何を望む」

 

 

 その言葉の端には隠し切れずに滲み出る怒りがあった。

 愛弟子の体を我が物顔で使っているということに対して。そして彼の運命を弄んだ存在に対して。

 

 全ての事実を知らずとも理解していたのだ。陽明の復讐の遠因がこの男にあるということを。

 

 

 「さてな。既にお前の運命は定まっている。俺が語ってやれるのは手向けの言葉だけだ」

 

 「…そうかい」

 

 

 言葉は不要とばかりに、眼前の敵に向かって再び刀を構える。

 

 迷いはない。いずれこうなるかもしれないと最初から覚悟していた。

 後悔もない。自分に出来ることは全てやりきった。

 抗いようもない理不尽というものは存在する。それでもその壁を越えるために足掻いてきた。

 

 長い間、弟を殴った右拳が痛んでいた。あの家はもうどうしようもなく壊れていたが、自分の心はずっとそこに縛られていた。家族という未知を望み、恐れながらも憧れていた。

 

 

 「だが、もう十分だ」

 

 

 直久は自ら禁術と定めた術式を解放した。

 

 

 

 足が地に着くよりも早く宙を蹴る。

 速く、限界を超えて疾く。

 

 

 「!!」

 

 

 景光は居合による迎撃を行うも、完全に振り遅れた。最速の”抜刀”ですら届かない疾さの境地に直久はいた。

 

 

 (此奴、疾過ぎる。やはり…)

 

 

 術式により思考を加速させる事で景光の認識は追いついている。しかし肉体の動きが付いていかなかった。

 

 

 (恐らく()()()()、加えて全てを投げ打つ覚悟か) 

 

 

 肉体の時間を操る究極の結界術。直久の体内では現在外界に対して()()()の速度で時間が流れている。この後の時間全てと引き換えにすると共に、これまでの途方もない研鑽の全てを吐き出そうとしている。

 

 

 屈められた身から剣閃が繰り出され、景光の右の前腕が飛ぶ。

 影の術式では到底動きに追いつけない。しかし事前動作から結果を予測していた彼は、既に左手の中に用意していた短刀を直久の頭が来るべき場所に置くように突いていた。

 

 それでも。

 

 

 (…間に合わん)

 

 

 短刀の一撃は()()()()躱され、左腕もまた切り落とされた。

 なにせ全ての動作が音速を優に超えているのだ。予測は飽くまで予測であり、予知とはなり得なかった。

 

 

 空気の壁を無理矢理引き千切り、相手に如何なる行動を起こす隙も与えない。

 直久は全身が裂けそうになる程の反動に、弛まぬ鍛錬で手に入れた屈強な肉体と高度な呪力強化術をもって耐える。

 

 そしてこの状態を維持するために必要なのは肉体の強度だけではない。不完全な術式を完璧以上に扱うために、今もなお代償を支払い続けている。

 頭蓋が割れるような感覚、それが痛みなのかどうかすらわからない状態。焼き切れつつある脳が奏で上げる悲鳴だ。

 

 ただ只管に術式を維持し、かつ外界の状況もまた高度に把握し、最適な動作を行うための思考を保つ。

 邪魔な防衛本能や反射を全て削ぎ落とし、生物としての自己を壊す行為。”術式使用後、確実に命を落とす”という縛りの元に呪力をもって脳のリミッターを外すことで可能となった、人間の機能を遥かに超えた思考の加速と最適化。

 

 言われるまでもなく元々末路は一つのみ。しかしただでは果てぬ。

 

 

 

 もはや成すすべ無く再び四肢を切り落とされ、少年の胴だけが宙高くに放り出される。

 

 血液が飛沫となって舞い、白い空間を染め上げる。

 赫の現実感が、色を認識する機能を死守していた直久に変わらぬ確信を与える。

 

 式神ではあり得ない流血をもって真偽の判断を下す。

 彼は間髪入れずに刀を手放し、今度は懐からとある呪具を取り出し、呪力を抑えるための封を解いた。

 

 

 それは約十一年前、伏黒甚爾が所持していた特級呪具。五条悟によって破棄されようとしていたところに介入し、譲り受け、いざというときのために天元に預けていたもの。

 

 

 (識を操る奴の術式!陽明の心を隔てているものがその術式なんだとしたら、これなら!!)

 

 

 『天逆鉾(あまのさかほこ)』。その効果、”あらゆる術式の強制解除”。

 

 

 

 

 その呪具の異質な呪力が流れ込む直前。

 

 陽明の記憶を共有し、今起きている現象の全てを把握していた彼は、”直久の人生”に対して一種の畏敬の念を覚えていた。

 

 

 (闇を祓う光、覚悟の極地だ。それが凡庸な一個をここまで昇華させ得る。故に人は…)

 

 

 

 そして赤が弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二体の強力な式神から追われながら、乙骨は里香とより深く繋がろうとしていた。

 

 全速力で宙を駆ける里香から感じるのは、無尽蔵の愛情と庇護欲。

 魂を縛られ続けたことを彼女は微塵も苦痛に思ってはいないし、それどころか歓喜の情すら覚えている。

 

 それでも罪の意識を覚えるのは、誰のためでもない、自分のため。自分が人であるために。

 

 

 「…わかってるよ里香ちゃん。今はそれどころじゃない」

 

 

 乙骨は現状に不要な全ての余分な感情を隅に追いやり、自らの式神の逞しい腕に抱かれながら考えた。

 事前に直久が魔虚羅と呼んでいた式神、その右腕に備わっている剣。アレには恐らく強力な正の呪力が籠められている。現在の呪霊に近い、負の呪力で体が構成されている里香があの剣の一撃を食らえば只では済まないだろう。

 

 しかし解決方法は先程景光が言っていた。自分は”天然モノ”なのだと。

 

 

 「里香ちゃん、これから君は君自身の体を作り変えるんだ。彼と同じ、影の術式で」

 

 

 陽明との数回の接触で、影の術式については体験できている。

 事象の”解析”、そして”模倣”と”適応”。同じ力が元々備わっていたというのならきっと出来るはずだ。里香が完全顕現し、彼女と深く繋がっている今、確信すら持っている。

 

 その前に、敵の動きを止めなければ。

 

 

 「まずはアレをやる」

 

 

 里香の手の中に構築されたメガホンを受け取る。

 蛇の目と牙の紋様が描かれた即席の呪具。声を呪いに変換し、命令するためのもの。

 追手の方にそれを向け、大きく息を吸い込み、ゆっくりと声を発する。

 

 

 「”動くな”」

 

 

 強力な呪いには同等の対価が必要となる。だが並の術師では喉どころか脳漿すら弾けさせてしまうほどの反動も、里香という膨大な呪力の塊によって帳消しにされる。

 その瞬間、目論見通り魔虚羅と天狗の動き止まった。

 

 

 (よし、これなら!)

 

 

 効果は確かにあった。しかし長くは続かないだろう。

 この僅かな猶予を活かして里香の肉体を再構成する。

 

 

 彼女の額に手を当て、その芯を探る。

 温かい。ずっと見ぬ振りをしてきた罪の証を今は感じ取ることが出来る。

 

 そして再び考える。この期に及んで何故自分は生き延びようとしているのか。

 性懲りもなく愛する人の魂を再び弄んでまで、一体何を求めているのか。

 死ねば楽になれるのに。罪も穢れも投げ捨てて、彼女と同じところへ行ってしまえばいいのに。

 

 

 (…今はただ、人としての精一杯を。里香ちゃんもそれを望んでる。それに、今の僕は呪術師だ)

 

 

 なし崩し的に縛ってしまった魂を解放し、改めて契約を交わす。

 

 

 「君が僕の罪を受け入れてくれたように、僕も君の全てを受け入れる」

 

 

 あの少年を殺す覚悟はまだない。しかし自分の罪を背負って生きる覚悟は出来た。

 そうだ、自分は最後まで生きなければならない。

 

 

 「愛してるよ、里香」

 

 

 

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