呪術縁起   作:生乾きの服

40 / 40
40.贖う術は

 

 戦いの前、俺は直久と話をした。

 

 最期の刻に、大事な話を。

 

 

 

 『夏油の狙いは乙骨憂太…。まあそう言われれば奴の無謀にも思える宣戦布告の理由付けはできるな。で、絶賛失踪中のお前が俺に連絡してきた理由は?』

 

 「…思い出したんだよ。奴が俺の家族の仇だって」

 

 

 努めて平静を装いながら言葉を吐く。

 気を張っていないとすぐに電話を握りつぶしてしまいそうになる。

 

 奴を仇と認識してから感情のコントロールが上手くいかない。

 術式による負の感情の封印、その許容量を超えてしまっているのだろう。

 

 

 『…復讐か。こうなっちまったなら今更止めやしねぇ。好きにしろよ』

 

 「やっぱり知ってたんだな。あの時の茫然自失の俺でも残穢を捉えてたんだから当然か」

 

 『恨むか?お前に黙ってたこと』

 

 「…そんなわけないだろ。アンタは俺に呪術師としてのイロハを叩き込んでくれた。だけど今の俺は呪術師失格だ。もう奴を殺すまで止まれないんだ」

 

 

 本当に直久には感謝している。恨む筋合いなんてこれっぽっちもない。

 しかしもう思い出してしまった以上、彼が今まで与えてくれたものを、その厚意とともに全て台無しにしなければならない。その行為が誰も救わないことを理解していながら。

 

 ただ、俺はその申し開きをするために彼に連絡を取ったわけではなかった。

 

 

 『話して解決出来る問題じゃない。さっきも言ったが気の済むまでやればいい。だがな、復讐なんてのはお前がこの先前に進むための方法であるべきだ』

 

 「…今の俺に自分の未来なんて考えられない。命を差し出すことは大前提だ。成否だけの問題じゃない。失敗すれば俺の我が儘一つの為に大勢の人が危険に晒されるかもしれない。さっき話したろ。俺の中に別の自分がいるって」

 

 

 是が非でも俺に呪いの道を進ませようとする存在。奴が顕在化することを恐れていながら、俺は自分を止められない。

 

 

 『……ほんっとにテメェはどうしようもねぇ馬鹿だな。なんでこの期に及んでまだ周りのこと考えてんだ?そんな余裕があんならやめちまえばいいだろ』

 

 「俺にとってはどっちも大事なことなんだ。だからもし万が一俺が奴に乗っ取られたら、俺ごと奴を殺して欲しい」

 

 「はぁ…」

 

 

 呆れたようにため息をつく男に対して、俺は電話越しに頭を下げることしかできなかった。

 

 

 長年俺が手も足も出なかった強い術師。直久は俺の中で圧倒的な強者…。師であり、親であり、兄でもあり、唯一心の底から信用できる人間だった。

 きっと俺が失敗しても何とかしてくれる。これまでと同じように。

 

 

 子供染みた甘えた考えだ。思えばあの時の俺はどうかしていた。子が親を頼りにするように、絶対的な保証を欲していた。彼は五条悟ではないというのに。

 

 自らの死を目前にして何か寄る辺が欲しかったのだろうか。今となってはもうわからない。

 一つだけわかっているのは、俺は彼の言った通り、どうしようもない馬鹿だったということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果。これが結果だ。

 

 目の前に横たわる男の亡骸。無残に分かたれた首と胴。

 血に塗れた自分の右手に目線を流す。

 

 刃はもう手の中には無い。殺ったのは俺ではない。

 俺は自分自身に秘められた業の大きさを正しく理解していなかった。

 

 そうやって責任を転嫁したり、言い訳してみたところで何の慰めにもならなかった。

 最初から分かっていたからだ。こうなってしまう可能性があるということは。

 

 

 いや、それすらも嘘だ…。

 

 

 

 「全てお前の半端な選択が招いた結末だ」

 

 

 耳障りな声に対して言い返すことも、耳を塞ぐことも出来ない。その声が言っていることはどうしようもなく正しい。

 他の誰でもない、俺が彼をこの死地へと追い込んだ。

 

 受け入れられないのは、甘かったからだ。

 覚悟が足りていなかった。俺が出来ていたのは自分の命を懸ける覚悟だけだった。

 

 ずっと、自分など手も足も出ないほど強い人間だった。彼が死ぬところなんてまともに想像出来ていなかったのだろう。ただ復讐心という感情に囚われて思考停止していた。

 

 

 

 「復讐を果たせず、大切な人間を死なせ、何も得られない。お前はどちらかを捨てなければならなかった。何も捨てずに全てを得るなどという甘い現実は存在しない」

 

 「…そうだ。全部俺のせいだ。わかってるから、もう黙っててくれ…」

 

 

 嘲るでもなく、淡々と事実を突きつけて責めてくる。

 ただ俺の心を傷つけることだけが目的の言葉の棘。

 

 誰かに言われずともさっきから自分の中で反芻し続けている。もう沢山だ。

 

 

 「心が軋むのなら術式を使って鎮めればいい。自らの意思でこそなかったが、これまでもお前はそうしてきた。俺を封印するために負の感情を消し去ってきたろう?」

 

 

 そう、やろうと思えば出来る。息をするように、今すぐこの苦しみと虚無感を取り除いて、後ろで偉そうに講釈たれている憎い仇に斬りかかることは出来る。

 

 でもそうしたくない。自然に湧き出る大切な感情を無かったことにするなんて、人のすることじゃない。

 この悍ましい怪物と一緒になるのだけは御免だった。

 

 

 「飽くまで人であることに拘るか。ではどうやって罪を贖う。今お前に出来ることはこの場で俺を祓い、その男の仇を討つことだけだ」

 

 「……」

 

 「…後悔を乗り越える気力すらないか。素のお前がここまで意志薄弱だとは、少々予想外だ。”奴”の方に寄り過ぎたようだな」

 

 

 俯いたまま黙り込んでいると、()()()()()()()()()()()()()()()()御門景光は、苛立たしげに舌打ちをした。

 

 

 

 それは俺とほとんど同じ姿形をした分け身。違いは髪の色が白ではなく黒であるということ。 

 俺が肉体の主導権を取り戻す直前、景光が自身の持つ全能力、そして魂と人格の情報を注ぎ込んで作った式神だ。

 

 恐らく、少し前から同じように式神を作って裏で行動を起こしていたのだろう。

 

 目的は分かっている。『識神転輪式』は術者の”識”、すなわち”心”を操り拡張する術式。元となる心が分かたれたままではその真価は発揮できない。だからこそコイツは未だに俺と同一化することを望んでいる。”人”として束縛されている俺の心、その軛を外そうとしているのだ。

 

 実際のところ、乙骨が俺と同じ術式を持っているというのは奴の曖昧な予想に過ぎなかった。しかも例え術式が同じだとして、魂ごと術式を取り込んだところで、その心を溶かし同一化させなければ無意味だ。

 元が自分自身でさえこうなのだから、途方もない時間が掛かってもおかしくない。だから乙骨を狙っているという奴の言葉は、逆に彼を遠ざけることが目的だった。

 

 

 この期に及んで俺が奴の望みを叶えてやるはずがないだろうに。

 奴自身もそれを理解しているからこそ俺から分離して最低限の自由を確保したのだ。

 

 どれだけ強くとも、万能な力を持っていようとも、人一人の心すら動かせない。その苦心が伝わってくるようで、それだけで仄暗い復讐心が僅かばかり満たされるような心地だった。

 

 

 

 しかし奴は策を練った。俺に取引きを持ちかけようと今のこの状況を作った。

 俺の心を無理やり捻じ曲げるために。

 

 

 「最後に選択肢をやろう。お前が俺に協力するなら、たった今死んだその男、禪院直久を蘇らせることが出来る。さあ、どうする?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 20分。

 

 五条悟が異邦の術師を相手にこれまで費やした時間。それを長く取るか短く取るかは人によるが、この異人、ミゲル・オドゥオールにとっては果てしなく長い時間であった。

 

 

 ナイフを喉元に突きつけられているような感覚を全身で感じている。

 

 不可視の力場が周囲を取り囲んでいる事を天性のセンスで察知し、彼はその手に持つ黒い縄を手当たり次第に振り回す。

 すると何かが弾けるような音と共に威圧感が消えた。

 

 しかし全く脅威は去っていない。

 敵の術式に気を取られていた間に、術師本人が懐に忍び寄っており、息をつく間もなく拳打を浴びせてくる。

 

 

 (早ク早クハヤク終レッ!!!)

 

 

 暴風雨のような攻撃を何とか凌ぎながら、ミゲルはただ只管祈っていた。

 

 

 

 

 

 異邦の呪詛師と相対し、五条悟が圧倒している状況だ。現代最強の術師が本気で相手を殺すつもりで戦っているのだから当然と言えば当然。しかし相手が未だに息をしているというのが何よりも異常だった。

 

 

 (チッ、予想以上に面倒臭いな)

 

 

 まず呪力強化のレベルが非常に高い。基礎となる筋骨格の強度が日本人である自分と比べて優れていることもその一因となっている。

 敵の能力を下げて自分の能力を上げるという術式効果も加え、体術で勝ちきれない。

 

 そしてそもそも自分が体術に頼らなくてはいけなくなっている要因がある。

 異人の手にある黒い縄。あの呪具が呪力を乱し、無下限呪術が尽く無効化されてしまう。

 

 体術で決めきれない以上、術式を多用してあの黒い縄を消費させて尽きさせるしかないが、小技を連打したところで呪具の消費は遅々として進まない。

 しかしこれは市街戦な上、周囲にまだ多くの術師や補助監督が存在している。術式の出力を上げすぎると味方に甚大な被害が出てしまう可能性がある。

 

 

 (マジで面倒くせぇ。そもそも何処からこんな奴引っ張ってきたんだよアイツは)

 

 

 旧友の胡散臭い笑みを思い出して舌打ちする。自分の親友をやれていただけあって大した人誑しだ。

 

 とはいえ呪具も残り半分を切ったようで、あと10分程すれば尽きるだろう。

 それまで高専で戦っているだろう術師たちの健闘を信じて祈るしかない。

 

 

 しかし彼はすぐに気付かされることとなる。

 その考えが甘かったのだという事に。

 

 

 

 

 パァンッ!!

 

 

 

 

 突如として大きな破裂音が新宿の空を裂いた。

 

 それは日本人には余り聞き馴染みのない音だったが、ある程度特徴的ではあった。

 

 

 (銃声⋯?)

 

 

 五条は即座に音の正体に思い至る。しかしなぜそれが発せられたのかまでは解らない。

 

 新宿に来ている高専術師で銃を得物として使っている者はいない。では敵の呪詛師か、と言われれば疑問が残る。非術師の根絶を大義として掲げる呪詛師の集団が、非術師の生み出した文明の利器を用いるだろうかという疑問が。

 

 

 (⋯結構近かったな)

 

 

 戦闘の最中だというのにその音が気になって仕方がなかった。

 

 恐らく直感、虫の知らせというもの。自らの感覚を否定することなく、五条は目の前の敵を一旦無視して音の出処に向かうことに決めた。

 

 

 

 

 

 術式によって宙の無限を踏みながら地上の異常を探す。

 

 果たしてそれはすぐに見つかった。

 

 

 

 路上に見られる僅かな血の赤。

 

 それに群がる呪霊たち。

 

 アスファルトの上に倒れ伏す教え子の姿があった。

 

 

 

 

 「棘っ!!」

 

 

 叫んだのが先か術式を使ったのが先か。

 五条は既に教え子を抱きかかえ、その容態を確認していた。

 

 

 (銃創!やっぱりさっきの銃声はコレか!)

 

 

 頸部に穿たれた深い穴。恐らく狙撃銃の弾丸を受けてこの程度の破壊で済んでいるのは呪力強化の恩恵だろうが、如何せん傷が深い。

 幸いにも主要な頸動脈は傷ついていないようだが、それでも次第に血が溢れてくる。

 

 

 (ピンポイントで喉がやられてる)

 

 

 漏れ出してくる空気の音、吸い込んだ血液が泡立つこぽこぽという音。これでは発声は愚か、呼吸も碌に出来まい。

 敵の狙いが呪言を潰すことなのはほぼ間違いない。しかし態々狙いにくい首を狙った理由が解らなかった。

 

 いずれにしても凄まじいまでの狙撃精度だ。呪力の残穢も僅かに残っていることから、術師の仕業であることは確実。

 

 

 (取り敢えず硝子のところに送るのが先決⋯ッ!)

 

 

 そこで気づく。敢えて彼を殺さなかった理由。

 生きてさえいれば治せるという希望をちらつかせる。それが目的だと。

 

 

 (まさか、餌のつもりか!?)

 

 

 当然、五条悟に向けたものではない。

 獲物はその他の大勢、弾丸を呪力強化によって弾けない弱者たち。

 

 

 新宿の各所で異質な銃声が鳴り響き始め、五条悟に語りかけていた。

 

 全力を傾けて守って見せろと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然魔虚羅が消えたといって戻ってきた里香と共に、乙骨は直久の加勢に向かっていた。

 方向感の無くなる真白い空間だが、呪力自体は感じるから方向は合っているはず。気になるのは感じる呪力が一つだけだということ。

 

 しかし幾ら進んでも目的の呪力にたどり着けない。同じ景色が広がっている。

 

 

 「どうなってるんだ一体…」

 

 

 と、そうこぼしたのも束の間。

 目の前に四つ目の怪人がいきなり出現し、乙骨は即座に臨戦態勢を取った。

 

 敵意はなさそうだったが、呪霊に近い雰囲気のそれを新たな式神だと思い刀を向ける。

 

 

 『武器を納めてくれ。私は天元だ』

 

 「て、天元様!?し、失礼しました!!」

 

 

 慌てて刀を納めてその場で土下座を始めた乙骨に、天元は苦笑を漏らしながら語りかけた。

 

 

 『先刻姿を見せておけば良かったね。といっても、ここにあるのもただの虚像ではあるが』

 

 「天元様、一体何がどうなってるんでしょうか」

 

 『私に分かるのは、どうやら”彼”は君と直久を分断し、直久の方を葬りたかったらしいということだ。そして直久は、既に亡くなった』

 

 「…え?」

 

 

 直久が死んだと聞かされて、乙骨は呆けた声を出すしか無かった。

 

 知り合ってから僅かな時間しか経っていない、どういう人物なのかも分かっていない。少し前に多少言葉を交わした人間でしかない。

 

 実感というものがいまいち湧かない。

 

 

 (…まだ戦いの最中だ。考えるのは後でいい)

 

 

 そう思い直し、状況を確認するために口を開く。

 

 

 「…そうですか。それで、”彼”は今…」

 

 『直久が斃れた後、程なくして”彼”は自分の分身を作った。そして結界への干渉が始まり、こうして君との接触が遅れてしまった。君が目的地にたどり着けないのも彼の結界術のせいだ』

 

 「五条先生はまだ来られないんですか」

 

 『先刻、新宿に突然呪詛師が多数現れ、現場の呪術師と補助監督を襲い始めた。タイミングからみて恐らく”彼”が事前に放っていた式神だ。五条悟を足止めするのが目的だろう』

 

 「そんな…」

 

 『それぞれの個体の基礎能力は高々2級術師程度だが、その数と戦術が厄介だ。恐らく街に展開している呪術師よりも多く、また呪術に現代兵器を交えた戦法を使い、呪術師側も経験に乏しい。既に少なくない犠牲が出ているが、五条悟がいなくなればさらに増える』

 

 「……」

 

 

 乙骨はこの場で戦えるのが自分しかいないことを理解し、グッと両の拳を握りしめた。

 

 

 (幾らこっちの方を優先しろと言われたところで、五条先生は目の前で危ない目にあってる人を見過ごせない。それは正しいことだ。ここは僕が何とかするしかない。…でも分からないな)

 

 

 外部からの干渉を避けて一つ所に留まっている”彼”は一体何をしているのか。

 それを確かめる意味でも、”彼”のもとに向かわなければならない。

 

 

 「天元様。僕を彼のところへ送ってください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 禪院直久を生き返らせる。

 

 景光にとってそれは自分で殺した人間を自分の都合で蘇らせるということ。命に対する最悪の冒涜だ。

 

 急速に頭に血が上るのを感じながらも、俺は即座に奴の言葉を遮ることが出来なかった。

 死者の蘇生などという想像を絶する術が本当にあるのかどうか、知りたくてたまらなかった。

 

 

 「肉体はほぼ完全な状態であり、表裏一体である魂の情報を複写することも容易。まずはその情報を核として式神を作る」

 

 

 だがコイツの口から出たのは期待ハズレもいいところだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()。だがそんなものは人とは認められない。

 

 

 「巫山戯るな!そんなのはただの木偶人形だろうが!自分の意思なんかない、偽物でしかない!」

 

 

 術者がかくあるべしと願って作った人形。その心も体も全てが術者の心に依存する。さっき景光が生み出した天狗。アレも所詮コイツの心が生み出した過去の幻影に過ぎない。魂の有無なんて心があることの証明にはならない。

 

 そして俺自身ですら()()()()の心の隙間に生まれた影のようなもの。自分の意思に保証が持てないことの不安、恐ろしさを今になって実感する。景光の思い通りになっていないという事実だけが俺の自我を肯定している。

 

 思わず声を荒げてしまうが、景光は構わず続ける。

 

 

 「”心”とは変遷する魂と肉体の情報から生じる波のようなもの。肉体が術者に依存するというのなら、”心”すらも術者の思惑を外れない。そういう意味ではお前の言は正しい」

 

 

 言葉を区切りながら俺の言葉を肯定する。

 

 

 「しかし逆に言えば、肉体を完全に物質化して再現することで術者の心象から逃れ、その束縛から、呪いから解き放たれる。魂の情報が物質化されてしまえば、それこそが絶対たる”心”の裏付けだと思わないか?偽物が本物にもなると」

 

 「情報…呪力の物質化…、構築術式…」

 

 

 景光が頷く。

 

 呪力による物質の具現化。物質の性質や細かな物理法則など知る由もない術師にそれが可能となる理由を今の俺は知っている。

 構築術式には一種の降霊の要素があり、術者の知覚や経験を縁として構成情報を降ろしているのだ。人々の集合的無意識、阿頼耶識から。

 

 しかし一個人が人間という物体を構築することは不可能に近い。それは単なる呪力量の問題ではない。

 

 阿頼耶識に溶けた情報は膨大だ。大抵は人の脳が許容できる程度の不完全な情報しか降ろすことが出来ず、余りにも複雑な物体の再現は困難。補完のために術者の主観と想像を交えてしまえばそれは式神と同じ、術者の心象に概念を依存した不安定な存在でしかない。

 

 

 「人は個々の心に一つの世界を宿すほど複雑な生き物。再現の為にはそれらを包含する()()()()()()()()()()()解さなければならない。これは俺とお前、どちらか一方のみでは適わないことだ」

 

 「…俺達が一つになればそれが出来るって…?馬鹿な…。そんな…、そんなことが本当に出来るなら…」

 

 

 

 

 そこから先は神にのみ許された領域だ。

 死者すら容易に蘇るのなら人としての価値観など不要。この男が人を捨て去ったのはそういうことだ。

 生も死も等しく無意味であるといって、命というものに特別な価値を見出していないのだ。

 

 

 俺には分からない。その先に一体何があるのか。何を為すべきなのか。

 

 ずっと昔に死んでしまった俺の家族。もしかしたら彼らをも生き返らせられるというのだろうか。

 果たして俺はそれを望んでいるのだろうか。彼らはそれを望むのだろうか。

 

 分からない。俺は彼らを喪った悲しみを乗り越えたわけじゃない。悲しみも辛さも、術式によって全てなかったことになってしまっただけだ。

 

 

 直久はどう思うだろうか。

 そう思って見てみても、亡骸は答えてくれなかった。

 

 

 

 景光は迷う俺の姿を静かに眺めている。

 そして不意に口を開き、彼は初めて自分の意思を語り始めた。

 

 

 「かつての俺の祖父は、今の俺が求める力を持っていた。しかし”人”としての意識に縛られ、それを行使しようとしなかった。悪意でなく善意からでさえ、何かを変えることを恐れた」

 

 「……」

 

 「彼の考えも理解できる。絶対的な正しさなど存在せず、神でさえ全てを救うことは出来ない。誰かを救うことは誰かを貶める事に繋がり、そこには必ず個人の好悪の感情が付き纏う。そして大き過ぎる力を持つ者がその感情を肥大化させれば世界の変革すら起こってしまう」

 

 「……」

 

 「神の如きを自覚していたが故に、彼は自らを最も畏れ、公平に、平等に誰も救わなかった。何もしなければ、何も望まなければ全ては自然の流れのまま誰を害する事もない。他を顧みて自己を殺す、それも一つの道だ」

 

 「……」

 

 「だが、御門景光という男は”変える”覚悟をしたのだ。自らの我によって世界すら呑み込む覚悟を。お前も俺なのだから分かるはずだ。自らの選択の責任は果たさなければならないと。…故に今こそ我ら、再び一つとなる時」

 

 

 ”呪いの力をもって、全ての呪いを断つために”。

 

 

 呪いの権化はそう言った。

 

 

 

 

 空いた心の穴に言葉の毒が流れ込む。

 

 だが分からない。コイツが何を言っているのか。脳が理解を拒んでいる。

 抽象的な”救い”という言葉を聞きながら、俺は催してきた吐き気をどうにか抑え込んでいた。

 

 この男の内には一片の悪意もない。ただ真摯な願いがある。そしてその願いが独善であることを理解し、目的の為に全てを犠牲にするという覚悟がある。

 

 余りにも歪だ。人を人とも思わず悲劇だけをもたらして来た人間が、一体何を救うというのか。 

 しかし今の俺はこの男の望みを間違いだと断言できるだけの見識も、気力も持ち合わせていなかった。

 

 

 だって生き返って欲しいから。それが単に目先の欲で、間違いなのだと分かっていても。

 確かに俺の大切な家族だったのだから。

 

 決断しなければならない。だけど分からない。俺はどうすればいいのか。

 

 

 

 

 

 迷い、そして永遠とも思える時間が過ぎ…

 

 結局、その答えを出したのは俺ではなかった。

 

 

 

 「…駄目だよ。陽明くん、それは駄目だ」

 

 

 

 突如として空間に裂け目が現れ、声が響く。

 

 空性結界の循環定義に割り込んで作られた隔離空間。天元の介入であることは一目瞭然。

 

 そこから現れたのは一人の特級術師、乙骨憂太。

 彼は隔離空間で俺たちの会話を聞いていたようだった。

 

 彼は凛然とした面持ちで語りかける。

 

 

 「それをやったらきっと後悔する。死者は蘇らない。蘇っちゃいけない。分かってるからこそ君は迷ってるんだろ」

 

 

 ああ、そうだ。自分の都合で死なせた人間を自分の都合で蘇らせたいだなんて、景光の奴と何も変わらない。人間のすることじゃない。死なせてしまった直久にも顔向け出来ない。

 これ以上なく正しい。だからこそ聞きたくない。

 

 しかし俺は俺の願いを否定しないで欲しいと思いながら、誰かに止めて欲しいとも思っていた。

 

 

 「俺は…、俺は……」

 

 

 なんという優柔不断、意志薄弱なことか。

 

 俺は弱い。どうしようもなく弱かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景光が珍しく苛立ちと怒りを声に滲ませて言う。

 

 

 「黙れ。貴様、死んだ祈本里香の魂を抑留させた分際でどの口が」

 

 「…黙るのはお前だ。僕の()()()をお前みたいな奴に正される筋合いなんてない」

 

 

 莫大な呪力に敵意を載せて景光を威圧する。

 それだけでビリビリと空気が震える。

 

 乙骨は今、本気で怒っていた。

 

 俯いて弱々しい姿の陽明の姿を見て、乙骨は憤りを露わにする。

 当然陽明に対してではない。いつも自信に満ちていた彼をここまで追い込んだ”敵”に対して。

 

 

 (僕は、特に陽明くんと親しい訳じゃない。でも腹が立たない訳がない。大切な人を殺されて、剰えその死すら利用されようとしてるなんて。…どうしようもなく卑劣なことだ)

 

 

 それは単なる義憤でしかない。だが自分の命を懸けても良いと思うくらいには怒っている。

 そしてそこには景光の卑劣さに対する怒りの他に、死者を蘇らせるという禁忌への拒絶もあった。

 

 多くの苦悩、他者からの排斥、孤独を経験した。それらが自分が死者を無理やり引き止めたことに起因していた事を知り、何より自分が大切な人の命を弄んでいたことが分かり、死ぬほどの後悔があった。死者を蘇らせてはならないという教訓を魂に刻むには十分なほど。

 その苦悩を知りもしないで死者を冒涜しようとする輩を許すことは出来ない。

 

 敵だ。紛うことなき敵。

 

 

 「ゴメンよ里香ちゃん。やっぱりこの戦いが終わったら一旦お別れだ」

 

 『憂太…』

 

 「…最後に、アイツを倒すための力を貸して欲しい」

 

 

 今のままでは力が足りない。足りない力を得るためには代償が必要となる。

 乙骨はそのための対価を払うために里香のもとへと近づく。

 

 

 

 

 だがその途中、彼と彼女との間を黒い何かが遮り、乙骨は思わず後ずさる。

 改めて見てみると、それは見覚えのある一振りの黒刀。

 

 

 俯いていた少年はいつの間にか立ち上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

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