【GOODBYE WORLD】の二次創作です。
ゲームのエンディング後の話です。
カニクマは創作者の希望。

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HELLO WORLD

#1

 

「…こんなゲームで本当に大丈夫なわけ?」

 

不安そうに熊手を見る蟹井。

 

「大丈夫だよ。…なにか不満?」

 

それに対し、熊手はニコリと微笑んだ。

蟹井はため息をつき、ゲームの脚本に目を落とす。

 

「いやさ…なんで私、死んじゃったみたいにされてるの?」

 

熊手が書いたこのシナリオ。

そこでは、ラストシーンで蟹井が死んだことが示唆されていた。

追い込まれた蟹井、開いたままの窓、ベランダから下を見る熊手——。

 

明らかに死んだでしょ、と蟹井は思う。

 

「…だって言ってたじゃん?」

 

熊手は微笑みのまま続ける。

 

「どんでん返しがあって…メタフィクションで…思いも寄らないタイミングで主要人物が死んじゃうような…」

 

蟹井は顔を上げた。

それは、創造のどん底ですがりついた、売れるための呪縛。

 

「…そんなシナリオのゲームが話題になるんだってさ」

 

熊手は、ちゃんと覚えていたのだ。

 

「…それは、そうだけど」

「完成できる?」

 

シナリオはここにある。

あとは蟹井がプログラムを組み、熊手がドット絵を描く。

極めてシンプルな工程で、このゲームは完成する。

やるだけ。あとは——やるだけだ。

 

「…いいよ。やってみる」

 

そう言う蟹井は「でも」と続ける。

 

「私たちのことをゲームにするのは…変じゃない?」

「変、って?」

「なんかさ…どっちが本当のことか、わからなくなるでしょ?」

 

ゲームを作っていると、作品の世界が現実になる。

蟹井自身、何度も経験したことだ。

バイト中だって、ゲームのことを考えてしまう。

それも「社会不適合者」と呼ばれるほどに。

 

このシナリオは、それを肯定しているようで、蟹井は怖かった。

 

「…そんなこと言ってたら」

 

熊手はソファーから立ち上がり、蟹井の作業机に近づいた。

長い茶髪がふわりと揺れる。

 

「…ゲームなんて、完成しないよ」

 

当然の言葉に、蟹井は口を閉じた。

ものを作る人は、大なり小なり不安を覚える。

その不安に押しつぶされていたら、何も完成することはない。

不安でも、作る。恐怖をはねのけ、作る。

…それがクリエイターというものだ。

 

「…そうだね」

「作ろうよ。作る意味のある、私たちのゲームを」

「…うん」

 

こうして再び——【ISOLATION STUDIO】のゲーム作りが始まった。

 

 

#2

 

「…ただいまー」

 

仕事から帰ってきた熊手は、部屋を見渡した。

カーテンが揺れていた。

部屋に風が吹き込んでいる。

ベランダを見ると——窓が開いていた。

 

ドクン、と心臓が跳ねる。

 

「カニちゃんっ!?」

 

熊手は大声で叫んだ。

 

「え?」

 

窓からひょっこりと顔を出す蟹井。目をぱちぱちとさせていた。

熊手はホッと胸をなでおろした。

 

「…よかったぁ」

 

涙が出かかっていることが、自分でもわかった。

 

「…どうしたの?」

 

蟹井が心配そうに聞くと、熊手は「いやさ」と目元をぬぐった。

 

「飛び降りたかと思った」

 

熊手が真剣に言うと、蟹井はプッと吹き出した。

 

「あんた…それ、シナリオの話でしょ?」

「う…ごめん。でもよかった」

 

ゲームを作り始めてから、熊手は蟹井のことが異常なほど気になった。

蟹井がなにかをするたびに、どこかに行くたびに、目で追ってしまう。

自分の作ったこのゲームシナリオが、そうさせるのだ。

蟹井が言った通りだ。

ゲームと現実、どっちが「本当のこと」かわからなくなる。

 

「…で、ゲームはどう?」

 

熊手のこの言葉を待っていたかのように、かといってそれを悟られない様子で、蟹井は「それがさ」と言った。

 

「出来たんだよね」

「…出来た!?」

「あとは細かいところを熊手が描くだけ」

 

熊手はぴょんぴょんと跳ねた。

 

「すごいよ! こんなすぐできるなんて…カニちゃんは天才だね!」

 

シナリオができても、ゲーム性の進行はプログラマーに一任される。プログラマー次第で恋愛物語はゾンビゲームになるし、ホラーゲームがパズルゲームになる。ゲーム制作において、プログラマーの仕事は重いのだ。

それをたった数日で完成させるなんて——やっぱり天才だ。

 

「…まぁ、仕事してないからね」

 

蟹井は照れ隠しに頬をかいた。

 

「じゃあ、あとはドット絵を完成させればいいんだね」

「うん…でも、熊手にプレイしてほしい」

 

蟹井は不安そうに言った。

 

「なにか問題があったら…言って。小さなことでも、いいから」

 

その言葉は、今までの彼女の苦悩を端的に表していた。

売れなかったゲームの数々。

それでもまた1から作る恐怖。

また売れないのではないか、というトラウマ。

自分の作ったシステムは完璧ではない。

でも、できることなら、完璧に近づけたい——その想いは、熊手もよくわかった。

ものを作る者が持つ、最低限のプライド。

 

「わかった…だけど」

 

熊手がかける言葉は、これだけだ。

 

「カニちゃんが組んだプログラムだから、完璧だよ」

 

蟹井が考えて作ったものなのだから。

ずっと一緒にいた相方を信じる。

熊手だけができる、蟹井への最大の支援は、心を支えることだ。

 

「なにそれ…勝手なこと言って」

「カニちゃんだから、そう言えるんだよ」

「…そう」

 

蟹井は顔を赤くしていた。

ようやく本音で話せるようになったせいか、蟹井はずいぶんと表情に現れやすくなった。

 

——そうだ、この顔だ。

 

専門学校時代、好きなようにゲームを作っていた頃。

蟹井はこんなふうに、楽しそうな顔をしていた。

意外と表情に出やすいタイプで、初めて見た時は驚いたものだった。

 

「…ふふっ」

 

ようやく、ここまで戻ってこれたんだ——熊手は笑った。

 

「…なに笑ってんの?」

「えへへ。なんでもないよ」

「…へんなやつ」

 

離れ離れになって、またふたりに戻った。

いや、今はひとつになっている。

 

「私たちのゲーム、絶対に完成させようね」

「…うん」

 

 

#3

 

「…できた」

「…完成だね」

 

そうして、ゲームは完成した。

タイトルは『GOODBYE WORLD』。

プログラミングを学ぶ時の「HELLO WORLD」を逆にした。

逆張りは蟹井がよく行う手法だ。

 

「ちゃんとできてよかったね、カニちゃん」

「…正直、ホッとしてる」

 

蟹井にとって、この数日間はあっという間だった。

いつもは「ああでもない、こうでもない」と時間だけが過ぎていたのに。

 

ゲームを作るのは——楽しい。

久しぶりのその感覚を、蟹井は握りしめる。

 

「…で、このゲーム、どうしよう?」

 

熊手の言う通り、問題はこれからだった。

 

「正直…売ろうとするには、まだ足りないと思う」

「完璧を求めてるの?」

 

そうじゃない、と蟹井は首を振る。

 

「音楽もSEも付けた。でも、ブラッシュアップが足りない…」

 

ブラッシュアップとは、作品の質を上げるための行為だ。

完璧にはなれないが、完璧には近づけたい。

 

「…それ、完璧にするってことじゃないの?」

「私は満足してる。できることも、やりたいことも、全部した。でも、ゲームをする人にとって、まだ足りないところがあるかもしれない」

 

蟹井はそう言って、気付いた。

 

「ふ〜ん…そうなんだ〜…」

 

熊手がニヤニヤとした顔をしていることに。

 

「な、なにその顔…」

「なんでもないけど?」

「絶対なんかあるでしょ…」

 

いやさ、と熊手は口を開く。

 

「カニちゃん、成長したなぁって。前はプレイする人のことは考えてないって言ってたじゃん」

 

その熊手の言葉が引っかかった。

そんなこと、蟹井は言った覚えがないのだ。

しかし『見覚え』はあった。

そう——このゲームのシナリオ。

 

「そんなこと…」

 

否定しようとして、蟹井は口を閉じた。

いや…熊手の言う通り、成長したのだ。

ゲームを作っているうちに、シナリオと自分を重ね合わせているうちに。

 

クライマックスの【BLOCKS】のメッセージ・シーン。

「プレイする人のことを考えてなかった」という蟹井の本音。

ゲーム内の蟹井が、現実の蟹井に乗り移っていた。

作っているゲームに、作り手が変えられてしまう。

 

ほんとうに…どっちが『本当のこと』かわからなくなっているのだ。

 

「…ふふ」

 

蟹井は笑うしかなかった。

こんなにゲームに励まされたことはない。

この初めての感覚は、蟹井に勇気を与えた。

 

「熊手」

「うん」

「売ろう」

「…ブラッシュアップしなくていいの?」

「うん。完璧じゃないけど、完璧だよ」

 

やりたいことは、全てやった。

やるべきことも、全てやった。

それでいい。それは『完璧』ということだ。

 

「…大丈夫だよ、カニちゃん。きっと、売れるよ」

 

熊手の言葉はいつも短いけれど——いつも救いになる。

 

 

#4

 

「いくよ…」

「うん…」

「押すよ…」

「押しちゃおう…」

 

蟹井がクリックする。

パソコンの画面には、「販売完了!」の文字が示された。

 

「ふぅ…」

「おつかれさま、カニちゃん」

「…この瞬間だけは、いつも緊張する」

「いつもありがとね」

 

胸をなでおろす蟹井に、熊手はほほえんだ。

 

「…売れるかな」

「売れるって。大丈夫だよ」

 

それに、と熊手は続ける。

 

「売れなかったら…また作ればいいでしょ?」

 

その言葉は、熊手自身に投げかけたものでもある。

頑張って作ったものが売れなかった——その恐怖は、痛いほどわかる。

時間をかけてシステムを作る蟹井は、なおさら怖いだろう。

 

でも、その恐怖は何度も経験しているし、乗り越えてもきた。

また作ればいいという言葉は、絶望ではあるが、希望でもある。

 

「…あんた、強くなったね」

「そ、そうかな?」

 

蟹井に褒められたのが恥ずかしくて、熊手はそう濁した。

彼女はめったに褒めない。このたまに来る褒め言葉が、熊手を喜ばせる。

 

「そうだね…また作ればいいか」

 

蟹井は販売のページを閉じた。

するとプログラムコードの画面が出てきた。書きかけのようだった。

 

「あれ? これ…別のゲーム?」

 

熊手は気付く。

明らかに販売したばかりのゲームのコードではない。

プログラムがわからない熊手にも、それがわかった。

蟹井は「これは」と続ける。

 

「次のゲームのプログラム」

「え?」

「ふと思いついたから、作っておこうと思って」

 

カタカタとキーボードを打つ蟹井。

彼女はすでに動き出していた。

売れなかったら作ればいい——それを蟹井はわかっていたのだ。

 

「…やっぱりカニちゃんはすごいよ」

 

目の前の相方に対して、再び尊敬の念が浮かぶ。

 

「そう言うあんただって…別のイラスト描いてたくせに」

「見てたの?」

「お互い様でしょ」

 

ふたりは顔を見合わせて笑った。

このゲームが売れなくてもいい。お金以上のものが手に入ったから。

でも…やっぱり売れてほしいな、と熊手は思う。

 

 

#5

 

「カニちゃん、カニちゃん!」

 

蟹井は椅子に寝転がって【BLOCKS】をプレイしていた。

操作性が悪く、ゲーム性もわかりにくくて、特にレベルデザインがむちゃくちゃだ。まぁ蟹井が作ったゲームなのだが。

慌ただしい熊手の声が飛んできたのは、高難易度ステージ「3−1」に挑戦している時だった。

 

「どうしたの。そんな大声だして…」

「うっ…」

「う?」

 

ただならぬ雰囲気に、蟹井は目だけを向ける。

熊手は息を切らせ、顔を赤くしながら、スマートフォンを握りしめていた。

 

「…売れてる」

「え?」

「売れてるよ! わたしたちのゲーム!」

 

携帯ゲーム機が床に落ちた。

ブッ、とゲームのフリーズ音が響く。

蟹井は身体を起こした。

 

「…うそ?」

「ほんと! ほら、見てごらん!」

 

熊手のスマートフォンを覗き込む。

商品管理ページには、「販売数:10000」の数字。

一瞬、数字が読めなかった。

何度も「0」の数を数えた。

いち、じゅう、ひゃく、せん……。

 

「…いちまん。ほんとだ」

「ね!? わたしたちのゲーム、売れてるんだよ!」

 

私たちのゲーム。

苦労して作ったゲーム。

楽しく作ったゲーム。

それが売れている。1万。

 

「…やった」

 

嬉しかった。

本当に、嬉しかった。

自分自身が肯定されたようで、たまらなく嬉しかった。

 

「…ふふふ」

 

ふと熊手を見ると、彼女はニヤリとした怪しい笑みを浮かべていた。

思わずぎょっとする蟹井。

 

「な、なに…?」

「カニちゃん、笑うの下手だね」

 

いくらなんでもストレートすぎでしょ。

 

「どうせ私は社会不適合者だよ」

「…そこまで言ってないよ?」

「と…とにかく」

 

蟹井はコホンと咳払いをする。

 

「わたしたち、間違ってなかったんだ」

「うん、間違ってなかったよ」

 

ふたりは顔を見合わせた。が、蟹井はすぐ目をそらした。

熊手があまりにも真っ直ぐに見つめてくるものだから、急に恥ずかしくなったのだ。首まで赤くなっているのがわかる。顔も首も耳も、どこも熱かった。

 

「ようやく…ここまで来れたね」

 

熊手は蟹井の手を握った。

彼女の言う通り、ここまでこれたのだと、蟹井は実感する。

 

「…そうだね」

 

長くて、苦しくて、つらい道のりを——私たちは歩いてきたんだ。

 

 

#6

 

壇上のスポットライト。

背後には「インディーゲーム大賞」という垂れ幕。

観客席は暗闇に包まれているが、大勢いるらしい。スマートフォンが光を放っている。

 

「…カニちゃん、大丈夫?」

 

熊手はそう声をかけた。

蟹井はわかりやすく緊張していた。身体が小さく震えている。

 

「だ、大丈夫じゃない…」

 

彼女はこういったステージが苦手だった。

専門学校の時も、緊張する蟹井を熊手が励ましたものだ。

 

「ほら、好きなもののこと考えるといいって」

「だからそれ、シナリオの話…」

「猫だよ…猫!」

「聞いてる?」

「にゃーん!」

 

蟹井は戸惑っていたが、胸に手を当てて目を閉じた。

きっと、猫を想像しているのだろう。

 

もちろん——熊手も震えていた。

『学生ゲーム大賞』の時は蟹井だけが壇上に上がった。今回は初めてふたりで上がる。

蟹井を励ましておきながら、熊手の方が緊張していた。

 

「…緊張してるでしょ」

 

いつの間にか、蟹井が目を開けていた。

 

「…してるよ」

「好きなものを考えるといいよ」

「…ふふ」

 

熊手は目を閉じ、好きなものを想像してみた。

すぐに出てきたのは、ゲームを作っている蟹井の姿だった。

口を閉じ、じっとパソコンをにらみ、カタカタと両手が動く。少しして「あー」と身体を反らせ、ソファに寝転がる。携帯ゲームをいじったかと思うと、また起き上がって——。

 

気が付くと、身体の震えは止まっていた。

 

「…ありがとう。もう大丈夫だよ」

「ちゃんとしてよね…スピーチもあるんだから」

「…うん」

 

熊手は目を開けた。隣には、一緒に苦しみを乗り越えた仲間がいる。

もう何も怖くない——そう確信する。

 

『インディーゲーム大賞『GOODBYE WORLD』の製作者、【ISOLATION STUDIO】おふたりです!』

 

熊手は蟹井の手を握った。無意識だった。

蟹井の手は、一瞬引いた。

しかしすぐさま、ぎゅっと握り返された。

 

「…いくよ、熊手」

「うん…カニちゃん」

 

ふたりはスポットライトへ歩き出す。

 

 

#7

 

久しぶりに浴びたスポットライトは、まぶしかった。

学生時代のオンボロステージよりも作りがしっかりしている。

これが大人の世界なんだ、と蟹井は思う。

 

『インディーゲーム大賞に選ばれました、製作者の蟹井さんと熊手さんです!』

 

司会の声に被さるように、歓声が挙がった。

耳が痛くなるほどの拍手に圧倒される。

隣の熊手がお辞儀をしていたので、蟹井は慌てて頭を下げた。

 

『ここで、おふたりの紹介をいたします』

 

司会が紹介に入る。

 

『まずはグラフィッカーの熊手さん。イラストとドット絵の担当で、きめ細かなドットや深みのある画面作り、複雑な色彩のコントロールなど、グラフィック面で素晴らしい活躍をされました』

 

ぺこり、と頭を下げる熊手。いつものように、ゆったりとした動きだった。緊張している様子は一切ない。

 

『続いて、プログラマーの蟹井さん。まるで映画のような緩急のある演出、各シーンで挿入されたレトロゲームの制作、そしてクライマックスでは主人公の本音をそのゲーム内で表現する見事な演出をされました』

 

蟹井も頭を下げた。

再び拍手が起こる。

スポットライトの光と、暗闇からの轟音に、めまいがする。

高揚と興奮の、心地よいめまい。

 

『素晴らしいゲームをありがとうございました』

 

スーツを来た男性が、熊手に賞状を、蟹井にトロフィーを渡した。

そして順番に握手をする。

 

『それでは、おふたりにスピーチをしていただきます。まずは熊手さん、お願いします』

 

司会の言葉に、蟹井は身構える。

マイクを握った熊手は、こほんと咳払いをした。

 

「…カニちゃんがいたから、ここまでこれました。私たちのゲームをプレイしてくださって、ありがとうございました」

 

マイクが渡され、蟹井はぎょっとした。

いくらなんでも短すぎるのではないか? 

観客は拍手しているし、歓声も上がっているけど……もっと聞きたいことがあるのではないか?

 

『ではお次に、蟹井さん。お願いします』

 

司会に背中を押されても、蟹井は固まっていた。

こういうとき、何を言えばいいんだっけ。そう、ゲームのことだ。システムのどこをこだわったとか、大変だったこととか、そういうことを言えばいいのだろう。

が、口は開かない。何を言えば……。

 

「にゃーん」

 

猫の声がした。いや、明らかに人の声だった。

隣にいる熊手が、小声で猫の鳴きマネをしているのだ。

 

その励ましに——蟹井は言うべきことを決めた。

 

「…何度も折れそうになりました。…正直、折れたときもありました」

 

本音を言えばいい。

ダサくても、頭がおかしいと思われてもいい。

 

「昔のわたしは、自分本位でした。自分のゲームが理解されなくても、理解できない人が悪いんだって。ゲームをする人のことを考えずに、自分だけが楽しんでいました。すごく独りよがりだったんです」

 

顔から火が出ている。マグマのように熱い。

言葉が何度もどもっているのがわかる。声が裏返っているのもわかる。熊手のスピーチよりはるかに長く、まとめられていない。

それでも、蟹井は本音を言い続けた。

 

「…今度は『人を楽しませることだけ』を考えて作りました。でも、それも間違いでした」

 

失敗ばかりだった、ゲーム制作。

その失敗は苦しくても、蟹井を成長させてくれた。

 

「ほんとうに大事なことは…人を楽しませながら、自分も楽しくなることだったんです」

 

息を吸う。

そのことを教えてくれたのは。

 

「…それを教えてくれたのが、クマです」

 

ふと、緊張が消えた。観客の表情が見えた。全員が蟹井のことを見ていた。

隣の熊手も、蟹井のことを見ている。

蟹井は大きく息を吸った。

 

「クマが、ずっと励ましてくれたんです。わたしの作るゲームが好きって言ってくれたんです。クマがいてくれたから…今、わたしは生きてます」

 

蟹井は横を向いた。

熊手は、いつものほほえみを蟹井に向けた。

 

「ありがとう、クマ」

 

お辞儀をして、スピーチを終える。

ずいぶん自分勝手なスピーチだったが、それでいい。

ゲームを作る者なら——少しぐらい自分勝手でもいいだろう?

 

『以上、【ISOLATION STUDIO】の、最高のおふたりでした!!』

 

観客の拍手が鳴り止むことはなかった。

 

 

#8

 

電車の中で、熊手と蟹井は無言だった。

 

状況を理解するには、時間が必要だった。

 

言葉を交わさないまま、電車に揺られていく。

 

ガタン、ゴトン……。

 

熊手はウトウトとした。

 

茜色の西日。暖かな車内。ふかふかなソファ。

 

ふと隣を見ると、蟹井が寝ていた。

 

すうすうと小さな寝息を立てていた。

 

揺れに揺れた首は、とすんと熊手の肩に寄りかかった。

 

「…」

 

熊手は静かにほほえんだ。

 

そして、蟹井の頭に、自分の頭を預けた。

 

ほんとうの幸せなというのは、こういうものだと、熊手は思う。

 

 

#9

 

家に着いて、電気を付ける。

ゲームを作り続けた、蟹井たちの居場所が待っていた。

 

「…大賞だってさ」

 

そう言葉にするのは簡単だった。

大賞。一番上という意味。とても栄誉あること。

 

「うん。嬉しいね」

 

熊手は正直にそう言う。

嬉しいという感情を、はっきりと口にする。

たぶん、蟹井も嬉しいのだろう。

実感がない、というのが正直なところだ。

 

「作りたいものを作っても、ちゃんと売れるじゃん」

「え?」

「…ほら、あのパブリッシャーのこと」

 

蟹井がそう言うと、熊手は笑った。

 

「それ、ゲームのこと…」

「どっちでもいいよ。ゲームのことでも、現実でも。見返してやったんだ」

 

蟹井が窓を開ける。

風が部屋に吹き込んだ。

ベランダから差し込む夕日が、目に映るものすべてを黄金色に照らしていた。

 

「正直…このゲームがリリースできたら、死んでもいいって思ってた」

 

蟹井はいつの間にか、本音を話せるようになった。

授賞式のステージ以来、恥ずかしさはなかった。

 

「うん」

 

熊手は静かに見守っている。

 

「まぁ…売れなくても、死んでただろうけど」

「でも、売れたよ」

「うん、売れた」

 

熊手が蟹井のもとに寄る。

赤橙に光る夕日に、蟹井は吸い込まれそうだった。

 

「私みたいな社会不適合者でも、誰かの心を動かせるんだ」

「…」

「賞がもらえたのも、私がゲームを作り続けられるのも、全部クマのおかげだよ」

 

熊手は静かにほほえんだ。

 

「私だって…カニちゃんのゲームに心を動かされてなかったら、カニちゃんとゲーム作ってないよ」

 

蟹井は目を見開く。

熊手はいつだって、本音を話している。

嬉しいことも、嫌なことも、全部。

まっすぐ、蟹井に向けて、言う。

 

「全部私のおかげなんてさ、思ってほしくないよ」

 

そんな彼女のことが、羨ましく思った。

 

「…ありがとう、クマ」

「…ううん。私こそありがとう、カニちゃん」

 

蟹井はベランダに出た。

柔らかな風が頬を抜けていく。

熊手もゆっくりとベランダに出てきた。

 

「ゲーム作るの、久しぶりに楽しかった」

「うん、楽しかったね」

「だから…もう充分かな」

 

蟹井はそう言った。

 

「そう…よかった」

 

熊手はうなずいた。

 

ベランダの向こうに街がある。

車が走っていて、歩いている人がいる。

海がある。かもめが飛んでいて、波の音がする。

空がある。茜色で、逆光にきらめく雲がある。

 

ベランダの手すりに、蟹井は手をかけた。

 

「…ねぇっ、カニちゃん!」

 

熊手が蟹井の手を握った。

初めて握った、熊手の手。

見かけと同じく、やっぱり温かい。

 

この手が、ドット絵を描いていて。

この手が、蟹井を支えてくれた。

 

「どこまでも…ついていくから!」

 

熊手が大きな声で言った。

 

「カニちゃんがどこに行こうとも——わたしっ、付いていくから!」

 

ギュッと、手を握りしめられる。

蟹井は困惑した。

 

「…でも、あんたが来る意味、ないじゃん」

「やだ…カニちゃんと一緒じゃなきゃ、やだ!」

 

子どもみたいに熊手は言った。

困惑していた蟹井は、静かにうなずいた。

そしてぎゅっと、手を握りかえす。

 

「…私、クマに会えて、ほんとうによかった」

「私だって…カニちゃんに会えて、ほんとうによかった」

 

「いつまでも…」

「どこまでも…」

 

「「一緒だよ」」

 

 

 

 

 

明かりのついた、誰もいない部屋。

窓の開いたベランダ。

暖かな潮風。

飛ぶカラスの影。

ゆるやかな海の波音。

夏の終わりを知らせるひぐらしの。

夕日は音もなく、水平線に沈んでいく。

 

 

 

 

 

グッバイ・ワールド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#0

 

「…なにこれ?」

 

「なにって…」

 

「…私たちの二次創作だよ」

 

「へぇ…こんなの、書く人がいるんだ」

 

「いるんだね」

 

「…しかも私、また死んじゃったみたいにされてるし」

 

「これ、私も一緒に死んでるね」

 

「そんな簡単に死なないっての…」

 

「…でも、ちゃんとあるね」

 

「なにが?」

 

「どんでん返しがあって…」

 

「…」

 

「メタフィクションで…」

 

「思いも寄らないタイミングで主要人物が死んじゃう」

 

「そうそう」

 

「…こんなの、書く人がいるんだ」

 

「…ふふ」

 

「…なに?」

 

「それぐらい、人の心を動かしたんだね」

 

「…」

 

「私たちの作ったゲームが」

 

「…うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最高のゲームでした。
創作者として、蟹井と熊手を見習いたいものです。
未プレイの方は、ぜひプレイしてみてください。

カニクマは、創作者の希望。

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