二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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英雄と娼婦

 全身で風を切って走る。

 屋根の上を走る僕の耳に着地する音が次々と背後より届く。

 背後を一切振り返ることなく、屋根から屋根へと飛び移る……と見せかけて壁を蹴りつけ、歓楽街の路地裏へ転がりながら着地する。

 

「とにかく、歓楽街を出ないと……捕まったら色々とまずい!」

 

 持ち前の敏捷を活かしつつ、幅広の通りと小径を不規則に進み、アマゾネス達を引き離す。

 これで諦めてくれたらいいんだけど、残念ながらそんな簡単に終わるはずがない。

 突然、頭上に影がかかる。路地から見える空を覆いつくす巨大な存在が建物の壁を破壊しながら、僕の真後ろに着地……というか炸裂した。

 

「ゲゲゲゲゲッ!!」

 

 蒼い月夜を背に現れた褐色の隕石の拳が迫った。

 打ち抜かれそうになる体を進路をわずかにずらすことで回避、耳のすぐ横を剛腕が掠める。

 勢いは止めず、路地を飛び出したが、周囲に大勢の恩恵をもらっていない一般人が見えた。

 

「っ!」

 

 逃走経路は変えず、背後の怪物の攻撃に彼等彼女等を巻き込まぬよう跳躍。

 再び屋根の上に戻り、また走る。

 

(『敏捷』は僕の方が上! それでも一歩間違えば追い付かれる!)

 

 第一級冒険者の脅威を背中に感じつつも、その事実に少し余裕が生まれる。少なくともこの状態が続けば、僕が捕まることはない。

 既にフリュネさん以外のアマゾネスは引き離したのか、その姿はどこにも見えない。警戒すべき脅威は勢い衰えずに迫るフリュネさんのみ。

 そう思って、僕は出口に当てをつけるべく、屋根から街路に降りる……それがダメだった。

 

「見つけたぞッ!!」

 

「はっ!?」

 

 降りた瞬間、アマゾネスの声が響いた。

 思わず声を上げ、振り向くと目の前に迫る三人のアマゾネス。

 捕まえようと手を伸ばし、追いかけてくるその三人からまた逃げる。この状況で出口の当てなんて付けられるわけがない。

 

「────行かせないよ」

 

「くっ!」

 

 一本道の街路を突っ切ろうとしたその時。

 音もなく急迫してきた女傑(アイシャさん)の蹴りが防いだ腕に僅かな痺れを残す。

 怪物(フリュネさん)ほどではないとはいえ、重たい感触に僕の足は止まってしまった。

 

 その隙を見逃されず、放たれた鎌足の二撃目が僕の肩を打ち抜く。

 大きなダメージはないけど、確かに体勢を崩された僕に対して、刀剣に及ぶ脚の範囲(リーチ)を駆使したアイシャさんが流れるように、激しい乱打を見舞ってくる。

 

(体術……近づけない……!)

 

【ステイタス】だけで言えば勝っているという自負がある。

 だが、その差を『技』によって埋められてしまう。加えて不意を突かれたことと見たことのないアマゾネス独自の体術が僕を近寄らせず、【ステイタス】頼りの強引な攻めを封じてくる。

 耐えることが出来ても僕はそれじゃダメだ。この場を離れないと……アイシャさんにフリュネさんまで加わったら、連携なんてなくても逃げるのがめちゃくちゃ難しくなる!

 

「そら、どうし────」

 

「っ────!!?」

 

 一歩下がることで間合いを外れ、何とか攻めに転じようとしたその時。

 凄まじい勢いで何らかの投擲物が僕達の間、そしてアイシャさんに衝突する。

 吹き飛ぶアイシャさんと……()()()()()()()()()()()()。その光景に思わず後ろを振り返った僕は多分しばらく夢に出てくるであろう光景が目に入ってしまった。

 

「どきなぁあああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

 僕が見たのは必死に抑え込んでくるアマゾネスを気にも留めず、むしろ投擲物として扱って僕とアイシャさんに投げ飛ばしてくるフリュネさんの姿。

 それはもうこの世の物とは思えないほどに恐ろしい顔だった。子供の僕が見たら間違いなく悪夢に悩まされてしばらくお母さんに一緒に寝てもらうことをお願いすると確信を持つぐらいに本当に恐ろしかった。

 

「あンのっ、ヒキガエルゥ……!?」

 

 心底忌々しそうに吐き捨て、フリュネさんを睨むアイシャさん。

 その横を一息に駆け抜ける。想定とはまるで違うけど、生まれた隙に逃走を再開。

 

「リーシャ! イライザ! 三番通りに入った坊やを止めな!」

 

 背後から追い縋るアイシャさんが叫んだ。

 アマゾネスに向けられた指示ではない……じゃあ一体誰に────

 

「止まれー!」

 

「えええっ!?」

 

 目の前に飛び出してきた娼婦達の姿に思考を止められると同時に全力で制動をかける。

 また足を止めてしまった僕に今度はまた別の娼婦が道を遮ろうと姿を現し、今一番やりづらい恩恵をもらっていない存在達にたまらず、僕はまた路地の中へと入ってしまった。

 

 その間もアイシャさんの声が響く度にどこからともなく娼婦が姿を見せ、進路を妨害してくる。

 何故こんな逃走劇になっているのか……少し考えたらすぐにわかったであろう答えにようやくたどり着き、僕は走りながら顔を青くした。

 

(ここっ、【イシュタル・ファミリア】の領域(テリトリー)じゃん!?)

 

 アマゾネス達は元より、娼婦達による妨害もそれだけで合点がいく。

 

 全てが敵になることをもっと早く気付けてれば屋根から降りなかったのに!?

 というか何でそんな簡単なことに気付かなかったこの大間抜けがっ!!

 

「やばい……やばい…………やばいっ!」

 

 平静が消え、表情に焦りが満ちる。本当にまずい状況に陥ってしまっている。

 未だ出口が見つかっていないどころか、第三区画から抜け出せる気配もない。

 それでも、とにかく、情けなく、走るしかなかった。

 

「あいつ、遊郭に行くぞ!」

 

 街路に降りる悪手はもう絶対に打たないと全力で屋根の上を走った僕は少し前までいた遊郭に辿り着いていた。

 もう相手もなりふり構ってこなくなったのか、矢を撃たれたり、飛具(ブーメラン)が飛んできたり、挙句の果てには鎖まで投げられている。

 

「はぁ……っ、しつっこい……!」

 

 どれだけ逃げても必ず捕捉して色々としてくる彼女達に思わず毒づいてしまう。

 僕が逃げることの何がそんなに楽しいのか、瞳を輝かせ、笑みを浮かべているその姿には心の底から腹が立つ。

 下には恩恵のない人達だっているのにこんなことまでしてくるその熱意は何なんだよ……!

 

 ────面倒だな、我慢せずにもう蹴散らしてもいいと思うけど?

 

「……!?」

 

 誰かの声が聞こえたと思った次の瞬間、ズキッ、と血が昇った頭が強く痛んだ。

 一瞬の強い痛み、怒りを代弁するかのような誰かの声に体が強張り、屋根の上で体勢が大きく崩れる。そこに中型の飛具(ブーメラン)が炸裂してしまった。

 

『きゃ、きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!?』

 

 上手く受け身を取れずに屋根を転がった僕はそのままどこかの娼館の二階に突っ込んでいた。

 悲鳴を上げる着物姿の娼婦と下敷きにしてしまった男性客に慌てて謝りながら、足を止めずにまた駆け出す。

 もうあの痛みはなく、あの声もどこかへと消えてしまっていた。

 

 建物内を大騒ぎにしてしまったことを心の底から謝りながら、走る。

 凄く広い屋敷と言ってもいい娼館は複雑な構造になっていて、我武者羅に走ったことも相まってかアマゾネス達の追跡はそこまで強くなかった。

 けれど、それも時間の問題。いずれはこの建物内の全ても中立から僕の敵に回ってしまう。

 その前に何とか逃げ出すために走る、けど……流石に息が切れてきたかも……。

 

「はっ……はっ……ここは……?」

 

 息を整えるために立ち止まり、汗で張り付く服をはだけさせながらついでに周囲を見渡す。

 大騒ぎとなっているのは窓から見えるもう一つの屋敷。どうやら気付かないうちに別館に迷い込んでいたみたいだ。

 嘘のように静まり返る別館内で何とか息を整える。けど、すぐに階下からアマゾネス達の声が。

 

 階段を一番上まで駆け上がり、廊下を駆け抜け、そこに並ぶ扉の一つに飛び込んだ。

 誰もいないことを祈りながら、扉を静かに閉めてそっと離れる。

 部屋の中は薄暗い。その中だからこそ、確か……襖と呼ばれる扉の隙間から覗く光に釣られた。

 廊下に戻るなんて愚行はせず、襖に手をかけ、中に身を滑り込ませる。

 

「────お待ちしておりました、旦那様」

 

 そして、僕は彼女と出会った。

 あの『笑み』を浮かべた、狐人(ルナール)の少女と。

 

「今宵、夜伽を務めさせて頂きます、春姫と申します」

 

「……は?」

 

 春姫と名乗った彼女は、追いかけられていることも忘れていた僕にそんなことを宣う。

 どうぞこちらへ、と優しく手を引かれ、連れていかれようとする先は部屋の最奥。

 慎まし気に置かれた、布団の上。

 

「ちょっ、ちがっ……!?」

 

 何か勘違いをしている彼女の行動に気が動転し、寄り添う彼女を引き離そうとした僕は盛大にその場で足をもつれさせた。

 そして、あろうことかそのまま春姫と名乗った少女と一緒に布団に倒れ込んでしまった。

 

「す、すみません……」

 

「…………」

 

 自分から倒れたというのに春姫さんに押し倒される形となってしまい、胸辺りに頭を預けている彼女にすぐに謝罪をする。

 ややあって、緩慢な動きで起き上がった彼女の顔が目と鼻の先に来た。

 間近にある綺麗な翠の瞳。ここまで来る間に出会った娼婦達とは違う清純な雰囲気を纏う彼女の頬が少しずつ赤く染まる。

 

「しょ、娼館は……初めてで、ございますか?」

 

「うえっ!?」

 

 頬を真っ赤にした彼女の問いに思わず素っ頓狂な声が出てしまい、慌てて口を塞ぐ。

 大声を出せば外にいるであろうアマゾネス達にバレてしまうという思いからきた行動にまたもや何を勘違いしたのか、目の前の少女が小さく喉を鳴らした。

 

「わ、わかりました……春姫に、お任せください……!」

 

 そして、意を決したかのようにそう呟くと、よく似合っている紅の着物を脱ごうとする。

 静止……するよりも行動したほうが早い!?

 

「ま、待ってください! 何か、何か勘違いしてます!」

 

 何とか長い上衣をはだけさせたところで彼女の肩に触れ、今出せる精一杯の声量で叫んだ。

 先ほどの僕と同じように困惑した様子を見せる春姫さん。僕の胸元辺りを見て何故か目を大きく見開く彼女にこれまでの話をしようとして、しかし、躊躇ってしまう。

 他の娼婦と雰囲気は違えど、間違いなく彼女も【イシュタル・ファミリア】の一員。話せば、ここにアマゾネス達を呼んでしまうのではないか?、と。

 

「春姫っ、いるかい!?」

 

「っ!!??」

 

 そんな躊躇いを覚えているうちに外からまたアマゾネス達の声が。

 廊下を走る音がどんどんと近付き、もうすぐそこまで来ていることがわかる。やばい、と思って隠れ場所を探したけど、そんなものがあるはずもなく。

 無慈悲にも、寝床の襖が勢いよく開かれた────

 

「むぐ────!?」

 

「春姫っ、ここにヒューマンのガキがっ……やべっ」

 

 その直前、顔が何か柔らかいものに包まれた。

 機能しなくなった視覚ではなく、聴覚が襖が開く音、アマゾネスがどこか気まずそうな声を上げたことを伝えてくる。

 

「あ、すいません」

 

「どうぞ続けてください」

 

 そして、アマゾネス達が去っていく音も。

 襖が閉まり、外から何故か嬉しそうな声が聞こえてくる中、僕はそこから抜け出した。

 抜け出した僕は布団の隣に座り込み、目の前の布団……いや、顔を真っ赤にして意識を失っている狐人(ルナール)の少女を見つめる。

 

「とのがたの……さこつぅ……」

 

「……何だったんだ、一体」

 

 勘違いのおかげで安全圏となった部屋。

 とりあえず彼女が起きるまで待とう、と暑さから行儀悪くはだけさせていた服を元に戻す。

 寝言のように何事かを呟く少女を前にして、訳が分からないと僕はがっくりと首を折っていた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「も、申し訳ありません!?」

 

「いえ、ここに忍び込んだ僕が悪いですから……」

 

 赤面した狐人(ルナール)の少女が頭を下げてくる。

 正座をして、何度も謝ってくる彼女は太い狐の尾をぎゅっと丸めていた。

 お互いに謝り合うという不思議なことになりつつ、改めて向かい合う。そのまま、どちらからともなく、事情を話し合った。

 

 春姫、と改めて名乗った彼女は先に案内されている筈の客が部屋におらず、疑問に思っていたところに現れた僕のことを客として迎え入れてしまったらしい。

 ……そのお客さんってもしかしなくても、下敷きにしたあの人のことなんじゃないかな……ということはこの部屋での騒動は元をたどれば僕のせい……?

 

 彼女の話を聞いた後に僕もどうして客でもないのにここに現れたのか、その理由を話す。

 何となく彼女は大丈夫なような気がしてのことだったけど、そんな迂闊な行動が功を奏した。

 

「それは……大変でございましたね」

 

 アマゾネス達を呼ぶ素振りもなく、むしろ同情的な表情を浮かべてくれる春姫さん。

 もしかしたら、アマゾネス達の『狩り』を知っているからこその表情だったかもしれないけど。

 

「では、娼館の営業時間寸前までここに隠れていませんか? 時間になりましたら、私が抜け穴まで案内いたします。ここならば、きっと見つかりません」

 

「い、いいんですか?」

 

 彼女の浮かべる笑みに含まれる善意は疑うのが馬鹿らしくなるほどに純粋で、その提案に僕はすぐに食いついた。

 何だろう……さっきまで凶暴な女の人達ばっかりだから、春姫さんがものすごく優しく感じる……実際、すごく優しいんだけど。

 

「お礼になるものがなくて、なんだか申し訳ないです」

 

「お礼……でしたら、約束の時間が来るまで、私とお話をしてくださいませんか?」

 

 何かお礼を、と口にした僕に春姫さんは頬を染めて、いじらしく訪ねてくる。

 僕のような存在、お客ではない来訪者が珍しいのか、お伽噺の住人を見るかのように輝く瞳に僕は笑みを浮かべてそれを快諾させてもらった。

 

 窓辺の障子を小さく開け、蒼然とした夜空、そして優しい月の光に照らされながら、二人だけのささやかな会話を始める。

 

 最初は僕の話を春姫さんにした。

 まずは出身地の話を、次に都市(オラリオ)に来た理由を。

 

「やはり、冒険者になるべくこのオラリオには来られたのですか?」

 

「はい。夢を……『約束』を果たすために僕は冒険者を目指しました」

 

 夢、と口にした時、春姫さんが一層儚げな笑みを浮かべたのを見逃さなかった。

 その笑みは張見世で見たあの『笑み』と酷似していて、僕は続く言葉を途絶えさせてしまう。

 

「あ……も、申し訳ありませんっ。私ばかり、お話を聞いてしまって」

 

「えっ……あ、いえ! 大丈夫ですよ」

 

 言葉が途切れたことに勘違いしたのか、春姫さんが顔を赤らめる。

 照れながらも浮かべる笑みは先ほどとは打って変わって、ごく普通の少女の笑みに見えた。

 ……ちょっと、春姫さんの話を聞かせてもらおうかな……。

 

「大丈夫ですけど……それじゃあ、春姫さんのお話も聞かせてもらってもいいですか?」

 

 あの『笑み』以外にもいくつか気になることがある。

 その一つが何故春姫さんのような人が歓楽街(ここ)に身を置いているのか。アイシャさん達のような娼婦がひしめくオラリオの『夜の街』に置いて、彼女は異質だ。

 心優しくも世間知らず、清らかな『箱入り娘』のような春姫さんが何故ここにいるのか。

 

 その理由を聞いて、僕は愕然とした。

 

「勘当されて……攫われて……売られた……?」

 

 彼女の出身は極東。これは何となく察しがついていた。

 狐人(ルナール)の分布地域と独特な名前、あとはこの遊郭から。

 

 極東の貴族の生まれであった彼女は寂しさはあれど、少ない友達とも遊びながら、何不自由ない暮らしをしていたと話してくれた。

 

 だけど、彼女は勘当されてしまった。

 その理由は、父親の客の大切な品物を食べてしまったから。

 

 ()()()()春姫さんが極東の神様に捧げるお供え物を食べてしまい、それに激怒した父親が罰を与えようとしたとのことだが、それを客人が止め、罰の代わりに彼女はその客人に引き取られたと。

 聞けば、その客人の小人族(パルゥム)は春姫さんをいたく可愛がっていたらしい。随分とその客人に都合よく進んだ話に自分のことでもないのに無性に腹が立つ。その客人を疑ってるわけじゃないけど。

 

 その後も怒涛の展開だった。

 その小人族(パルゥム)と共に帰路に就く道中、モンスターの群れに襲われて。

 小人族(パルゥム)に見捨てられたところを盗賊に助けられて。

 女性としての『価値』を盗賊と繋がりがある貿易商に見出されてオラリオに売られて。

 

 そして、今に至る。

 

「大勢の冒険者様がいらっしゃる迷宮都市(オラリオ)にとって、この歓楽街は肝要なのです」

 

 春姫さんの前だというのに思わず片手で顔を覆ってしまう。

 薄々わかってはいたことだけど、なりたくてなったわけじゃないであろう娼婦になった彼女の口からそれを聞かされると……ちょっと、言葉にならない。

 都市の治安を守るギルドが歓楽街────ひいては人身売買に目を瞑っているという現実は、春姫さんという被害者を前にすると、流石に衝撃を抑えきれない。

 

「あっ……で、でも! 島国育ちの私は大陸に興味がございました。叶うのなら、ぜひ来てみたかったのです」

 

 僕の反応に慌てた様子で春姫さんが取り繕っていた。

 だけど、さっきまでは綺麗だって思っていた微笑みも、今となれば痛々しく見えてしまう。

 

「クラネル様には怖い思いをさせてしまいましたが、アイシャさんや遊女(おねえさん)達も優しくしてくださるんですよ?」

 

 さっきまで色々と話をしていたというのに、今は口を噤むことしかできなかった。

 僕が何を言っても彼女にとっては気休めで、無責任な言葉でしかない。

 ましてや、勝てるかもしれない相手に逃げることしかしなかった僕が……【イシュタル・ファミリア】を敵に回す選択肢がない僕が『ここから逃げましょう』なんて妄言を吐くことは絶対に許されない。

 

「それに……極東にも沢山の物語が伝わっている、このオラリオには憧れていましたから」

 

「物語……『迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』、ですか?」

 

「はいっ」

 

 俯く僕に春姫さんは変わらない様子で言葉を紡ぎ続けていた。

 嬉しそうな彼女の言葉に顔を上げる。目を細め、言葉と同じくらい嬉しそうな笑みを浮かべている春姫さんと視線が合った。

 

迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』。

 故郷にいた頃から僕の愛読書(バイブル)であったオラリオで紡がれた英雄達の物語。

 世界中に広がっているそれをもとにした童話やお伽噺を彼女も読んでいたのだろう。

 

 そこからは英雄譚の話ばかりをした。

 共通の話題があったことが嬉しかったのか、狐耳をピン!と立てて饒舌に話す春姫さん。そこまで有名じゃない物語まで知っている彼女に引っ張られて僕も楽しくなり、何度も相槌を打って、沢山の物語の話をした。

 ともすればそれは先ほどまで直面していた現実から逃れる行為だったのかもしれない。けれど、そうだったとしても春姫さんが子供のような笑みを浮かべて楽しんでくれているのなら、いくらでも彼女と話をしていたいと思った。

 

「私も本の世界のように、英雄様に手を引かれ、憧れた世界に連れ出されてみたい……そう思っていた時もありました」

 

 しかし、その時間は唐突に終わりを告げる。

 両目を瞑り、微笑する春姫さんの姿に逃れようとしていた現実に引き戻される。

 

「……なんて、ただのはしたない夢物語でございます。英雄様に連れ出してもらえる資格は、私にはございません」

 

「っ、そんなことはっ!」

 

 悟ったように、またあの『笑み』を浮かべる春姫さんに思わず声を荒げる。

 

「英雄は春姫さんみたいな人を見捨てたりなんてしない! 資格がないなんて、あるわけない!」

 

 今の僕に春姫さんが見てきた現実の全てを否定なんて出来ない。

 でも僕が憧れた英雄達は、あの人達が来る前もいなくなった後も祖父が読み聞かせてくれた英雄達なら、貴方を救うはずだと訴えることはできる。

 

「きっと、物語の英雄様もクラネル様のようにお優しい方ばかりなのでしょう……けれど私は、可憐な王女でも、怪物に捧げられた哀れな聖女でもありません」

 

 けれど、僕の言葉は────

 

「私は、()()です」

 

 ────他ならぬ、物語の英雄によって否定された。

 目を細め、微笑んだ彼女は自分の立場を静かに話し、そして、その言葉を口にした。

 

「英雄にとって、娼婦は()()の象徴です」

 

 彼女の瞳は貴方も知っているはずだ、と静かに語っていた。

 それを知っている僕は、何も言うことができなかった。

 悲しみに暮れるわけでもなく、あの『笑み』を浮かべ、ただ淡々と、自らの全てを受け入れていた彼女に、もう何もできなかった。

 

「……もう、刻限ですね」

 

 動けなくなった僕の前で窓の外を見た春姫さんが呟く。

 約束の時間だと告げて、彼女は立ち上がった。

 

「とても楽しい、夢のような時間でございました……ありがとうございます」

 

 窓から覗く月夜を背に、笑みを浮かべる彼女に何かを言おうとして、言葉が出なかった。

 春姫さんに手渡された厚手の頭巾を被り、彼女に導かれるまま、あっさりと娼館を出る。

 そのまま何も起こることなく、あれだけ出ようとしても出られなかった歓楽街の裏道に辿り着いていた。

 

「この先は『ダイダロス通り』に繋がっています。大通りに戻らずこの道を利用すれば、アイシャさん達に見つからないはずです」

 

 道標(アリアドネ)はわかりますか?、と聞いてくる彼女に何とか返事を返す。

 彼女が手にしていた魔石灯を受け取った僕は促されるまま、迷宮街の入り口をくぐった。

 少し歩き、後ろに振り返る。春姫さんはその場から動かず、微笑みながら頭を下げてくれた。まるで見えない壁でもあるかのように、彼女は僕についてこようとはしない。

 

「…………くそ」

 

 とっくに春姫さんは見えなくなった迷宮街の中。

 何もできない自分に怒りを覚えながら、僕は帰路に就いた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「う、ううっ……」

 

 天井に吊るされた魔石灯が輝く中、ヘルメスは何故か寝台(ベッド)の上で力尽き、何故か服を全て剝かれたまま、顔を手で覆い、しくしくと泣いていた。

 そのすぐそばでは、天鷲絨(ビロード)張りの長椅子(ソファー)に女神が腰かけ、煙管(キセル)を吸っている。

 何故か全裸のまま、煽情的な細い足を組み、うっすらと汗ばんでいる女神……あの時、ベルの前に姿を現したイシュタルは静かに嗤っていた。

 

「フレイヤが最近執心している子供、ねえ……」

 

 どのような手段を用いたのかは不明だが、ヘルメスからあらゆる情報を絞り出した女神は数時間前、宮殿の中で一瞬目が合った白髪の少年を思い浮かべる。

 

「あんなガキに夢中だなんて……あの女神(おんな)の気が知れん」

 

 己と同じ『美の神』であるフレイヤを嘲笑う。

 イシュタルはフレイヤに敵愾心などと呼ぶには生温い憎悪を抱いていた。

 世界で最も美しいという讃美を我が物にし、自分を見下しているあの銀の女神を思い浮かべ、その紫水晶(アメジスト)が如く、美しい瞳に昏い炎を宿す。

 

「予定とは違うが、思わぬ情報を知れたのは僥倖だ」

 

 元はただ彼女が依頼した荷物を歓楽街の客に扮して運ぶだけだったヘルメスから絞り出したフレイヤの弱味とも取れるその情報。

 それを前にして、彼女は煙をくゆらせ、何かを渇望する猛獣めいた笑みを浮かべた。

 

「いいだろう、あのガキを寝取(うば)ってやる」

 

 イシュタルが動く。

 それが破滅に繋がる道だと気付かず、瞳に冷たい光を宿す『道化』を演じる男神に導かれて。




ここまで見ていただきありがとうございました。
良ければ次回もまたよろしくお願いします。
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