風の弾ける音が轟く。
血に濡れた金の長髪が跳ね、剣士の華奢な体は血をまき散らしながら吹き飛んでいった。
「……っ」
剣を突き立て、何とか立ち上がるも膝から力が失われようとしている。
装備は一部が機能を果たせないほどに破壊され、金の双眼の片方は血によって潰されていた。
満身創痍でありながら剣を構えようとするアイズにレヴィスが近付く。
「存外に粘ったな」
彼女の体も傷ついている。いや、
アイズと彼女の風によって刻まれた傷口からは蒸気────『魔力』の粒子を発散させ、刻まれていた筈の傷が癒されていく。
「一度斬られておきながら、よくやる。お前はやはり強い」
戦いの熾烈さを物語るように、破壊された広間。
まるでアイズの強さを喜ぶかのように無表情の中に喜色を浮かべるレヴィス。
そんな女に対し、何とか動き出そうとするものの、レヴィスに肉薄される。彼女の左手がアイズの顔を鷲掴みにし、そのまま壁に叩きつけた。
「あぐっ!?」
壁に亀裂が走り、叩きつけられた壁からアイズが崩れ落ちようとする。
それを許さず、レヴィスは乱暴に左腕を薙ぎ、いともたやすく彼女を床に投げ出した。
「お前は強い。だからこそ……残念だ」
床にうつ伏せになり、呻くアイズの耳朶にレヴィスの冷え冷えとした声が落とされる。
少女が緩慢な動きで離れた位置に立つ女に視線を向けると、薙いだ左腕を力なく下ろしたレヴィスは失望したような光をその瞳に宿し、アイズを見下ろしていた。
「今のお前の力にあの日の『漆黒の風』が合わさっていれば、私の期待通りの戦いになっただろうに。何故、中途半端にあの力を使った」
不満を垂れるように語るレヴィスの言葉をアイズは初め、理解できなかった。
だが、直後、『漆黒の風』という言葉にまだ開いている片目を見開く。
「先ほども言ったが、あの日のお前は今よりもずっと強かった。今よりも私が弱かったからではない。あの日のお前であれば、代償ありきとはいえ今の私とでも互角の戦いになっただろう」
思い出す、18階層での出来事。
赤髪の
使ってはいけないと三首領から厳命されていたあの力を、
「24階層でもお前はあの力を使ってこなかった。それは必要がないからだとここに至るまで考えていたが……代償に加え、何らかの条件が必要なのか?」
土足で心を踏み荒らされていく。少女の心の内の傷が暴かれようとしていく。
冷徹に、残酷に、ただただあの『力』を使用し、自分と戦うことを望んでいる女の言動にアイズの心は凍えようとしていた。
「お前の風はあの男が斬られた時、黒く染まった。あの男を好いているのか……あるいは
そして、女はある仮定を立てる。
傷ついた少女が激昂する、一つの仮定を。
「あの男だけを斬っていれば、他の仲間の心配などと言う
「ッッ!!」
痛みを無視し、凍える瞳で自分を見下ろすレヴィスにアイズは突貫。
仲間達を想う気持ちが余計な感情などと、言わせたままで終わって良い筈がない。
渾身の力で放たれる斬撃。それをレヴィスは虫を払うかの如く、手を振るだけで弾いた。
「必要のない時間だったな。終わりにしてやる」
吹き上がる気配のない黒風にレヴィスは目を細め、無防備を晒したアイズの体を蹴り飛ばした。
ごろごろと地面を転がり、壁に当たった少女は破滅の足音が近付いてくる中、消えようとする意識を必死に手繰り寄せる。
(立た、なきゃ……だめ……立って、戦わないと……)
心の中で
力を失おうとする手足に大喝し、側に落ちている
「もう止めろ、アリア。足掻いても無駄だ。今のお前では私に勝てない。助けなども期待するな。今頃お前の仲間もこの馬鹿げた迷宮の中で果てているだろう。万が一、助けが来たとしても……お前の目の前で、私はその助けを殺す」
無感動なレヴィスの声が落とされる。
言葉となった絶望に剣を握っていない手が、がりっ、と床を引っかく。
「お前に、救いはない」
────知っている。
そんなこと、アイズはもう知っている。
助けはやって来ない。手は差し伸べられない。救いは来ない。
母親を守っていた父親のように、アイズが憧れた英雄は彼女の元へは現れなかった。
────だから、私はからっぽになった。
────だから、私は剣を執った。
────だから、私は強さを求めた。
強さに餓え、悲願しか残っていないからっぽの彼女に救いはない。
けれど────
「いま、は……」
血だらけの体を、震える腕が床から引き剥がす。
赤い命の雫を零しながら、細い足が立ち上がっていく。
閉じられていた片目をこじ開ける。
「みんなが……いる」
大切な友達が、可愛い後輩が、頼もしい戦友が、母親のように見守ってくれる大人達がいる。
凍てついた心を溶かして笑顔を思い出させてくれた、愉快で、楽しくて、温かな
そして────
────私を救ってくれる『英雄』はいない……そう、思っていた。
あの白い少年がいる。
綺麗な星空と月の下で、涙を流す
みんなと出会う前の私に、笑顔を思い出させてくれた大切な
みんなとの絆も、少年との絆も、かけがえのない絆だ。
もう失いたくない居場所だ。
「だから……諦めない!」
目を見張るレヴィスの前で、アイズは完全に立ち上がった。
輝きを取り戻した金の瞳で人の形をした怪物を見据える。
(私は、貴方にまた敗けた……とても悔しいけど、それはいい……でも、みんなだけは奪わせない……みんなの命だけは、譲れない!)
この場での敗北は認める。
しかし、【剣姫】が敗北を認めようと、大切な仲間の命を奪っていくことをアイズは許さない。
瞳を閉じ、剣を騎士の如く構えるアイズ。彼女に抗う意思はあれど、目の前の女への戦意はない。あったとしても今の体ではLv.7を優に上回る怪人には到底太刀打ちできない
故にアイズの戦意が向けられているのは……彼女達を苦しめ続けている、人造迷宮クノッソス。
「────いくよ」
命を燃やせ。
体に残された生命の炎を。
「【
目を開くと同時に、風が解き放たれた。
「【
風を呼び、一度は敗れた気流を纏い直す。
「【
吠えること、三度。
己の内に眠る力を呼び起こすかの如く、大いなる『風』が生み出された。
出力という点だけを取れば、あの日の黒風以上の暴風にレヴィスは目を見開き、吹き荒ぶ風に腕で顔を覆った。
この場の空間だけでなく、張り巡らされた通路にも風は流れ込んでいく。
「大精霊の『風』……」
レヴィスの目が鋭く細められる。
命を燃やすアイズの意志を受け、荒れ狂う風はレヴィスを阻み続けた。
上がり続ける風の出力に忌々しく眉を顰めた女は動かざるを得なかった。このままでは迷宮の奥深くに潜む『精霊の分身』が反応する恐れがあったからだ。
「無駄な真似を……」
放っておけば勝手に自滅するであろうアイズを今すぐにでも止めるべく、レヴィスは嵐の中へと身を躍らせる。
突き出された剣をアイズは防ぎ、逃れる。全身全霊で何かを待つための足掻きが始まった。
そして、ほぼ同時刻。
人造迷宮を彷徨う冒険者達に風が届く。
絶望を運ぶ闇の風ではなく、希望の輝きを灯す光の風が。
「アイズだ! アイズが呼んでる!」
疲弊に染まり、消えかけていたティオナの笑みが蘇る。
本能の塊であるアマゾネスの少女は一も二もなく走り出した。
「あの娘、伝えているんだわ! 自分の居場所を────
迷宮の隅々まで風を行き渡らせる。
破天荒極まる手段だが、
「走れい、ひよっこども!! この『風』を失った時が儂等の敗けじゃあっ!!」
アイズが命を燃やしてこれほどまでの『風』を生み出していると即座に見抜いたガレスは『風』の流れに向かって怒鳴り散らす。
壊れた重装を鳴らしながら、団員達の驚愕を殺し、彼もまた彼女の元へと駆け出した。
「何だってんだこの風はァ!? 邪魔すんじゃねえ!!」
敵であるヴァレッタも風の嘶きを聞いていた。
まるで邪魔をするかのように叩きつけられる風に呻き続ける。
「ラウル!」
「行くっす!」
敵対者には向かい風に、自分達には追い風になるかのように運ばれてくる『風』の発生源に向けてラウル達も駆け出した。
「べ、ベートさん!!」
吹き寄せる風を受け、ベートもまた急転換する。
その背中をラクタと意識を取り戻した団員達が追った。
「アイズさんです! フィルヴィスさんっ、この『風』、アイズさんの
「馬鹿な、こんな出鱈目な風量……信じられない」
窮地を脱したものの、少年と離れてしまったエルフの少女達もまた違った反応を見せながらも『風』の源へと向かい始める。
「だが、これだけの風なら【リトル・ヒーロー】も向かっているはずだ! レフィーヤ、合流を優先するぞ!」
「それはっ……いえ、わかりました!」
自分達を導く『風』を辿れば分断されてしまった少年も向かっているはず。
彼と合流できずとも、他の部隊と合流できる最初で最後になるであろう機会を逃すわけにはいかない。有無を言わせぬフィルヴィスに従い、レフィーヤは駆け出した。
「信じられん……」
その光景を水膜で見ていたバルカは言葉を失っていた。
故に、全ての『扉』を閉めようと迷宮の隅々まで走る『風』を止めることは出来ない。
たった一人の少女の魔法によって、始祖の執念に一矢報いられる。
昔日の
「【剣姫】の元に集う……? 虫の息であった冒険者達が?」
『風』に導かれ、どれだけ進路を制限しようと
「これが【ロキ・ファミリア】…………これが、【剣姫】」
『D』の記号が刻まれた左眼と一緒に男の目が見開かれる。
少女が放つ『風』の咆哮に、少女へ向けられる冒険者の信頼の証に、バルカは確かに戦いた。
「カハ……ハッ………ハッ…………」
がくん、とアイズの足が沈む。
命が燃え尽きるよりも早く、残りわずかだった
放ち続けていた『風』が消失し、広間に静寂が戻る。
「また抵抗されても手間だ……意識を刈り取るついでに、動けないよう四肢を断ってやる」
風の『鎧』を超えた風の『砦』を崩すことが出来なかったレヴィスの顔が苛立たしげに歪んだ。
あと一歩、いや、既に勝利していたというのに無様な防戦を崩せず、最後の一手を詰めることの出来なかった女の剣が振り上げられる。
もう動くことの出来ないアイズに長剣が見舞われようとした正にその時。
「ッ!?」
背後にある通路より、凄まじい殺気が見舞われる。
振り向いた彼女の元へ、灰毛を逆立たせた【
「あの時の、
「────死ね」
傷だらけの少女を見たベートの怒りと殺意に満ちた蹴撃がレヴィスの剣を弾き飛ばす。
『風』を喰らい、強化された一撃が体勢を崩し、隙を晒す
「随分うちの娘を苛めてくれたみたいじゃない」
瞳が裂け、【
高速の斬閃を浴び、数時間前にレヴィスが斬った勇者のように、彼女の体勢が完全に殺された。
怒涛の奇襲は途切れない。さらにもう一人、【
「────手加減、できないから」
頭上、超大型武器を振り被るのはティオナ。
傷ついた
「いっっくよおおおおおおおおおおぉ────ッ!!」
「ぐ────ァああああああッ!!」
振り下ろされた
【勇者】と【未完の英雄】を斬った呪いの黒剣と共に、レヴィスの右腕が宙を舞った。
「────────」
間髪入れずレヴィスの視界に飛び込んでくるのは、岩の如き巨拳。
「飛べい」
最後に、ガレス。
左腕の
壁に激突し、広間全体を揺るがすのを気にも留めず、構えを解いた冒険者達はすぐさまアイズの元へと駆け寄った。
「アイズ!!」「平気!?」
「んなわけねーだろっ、見て
「みんな……」
自分の『風』に応えてくれた仲間達の姿にアイズは知れず笑みを滲ませていた。
「本当なら叱りつけたいところじゃが……お手柄じゃ、アイズ。でかした」
「ううん……みんながいてくれたから……」
掛け値ないガレスの賞賛に、アイズは首を横に振った。
治療が行われている間にも続々と複数の足音がアイズ達の元に集っていく。
「ガレスさん! みんな!!」
「ラウル! って、団長!?」
現れるラウルとアキ達、そして、重傷を負っているフィンの姿にティオネが取り乱す。
間もなく、先行したベート達に続いたラクタ達が合流を果たしていく中、落ち着きを取り戻すべく、ガレスが号令をかけた。
「落ち着け!! お主ら、状況を報告しろ!!」
「あたしとアークスが
「レフィーヤ達とガレス班後衛のリーネ達がまだ合流してません! それから……【リトル・ヒーロー】もです!!」
「団長が『秘薬』では治せない
「アイズさんの傷は『秘薬』で治せます! でも、傷が多くて……」
「俺の分を使え!! さっさと治しやがれ!!」
ガレスを中心として、迅速に動く【ロキ・ファミリア】。
矢継ぎ早に情報の共有、指示の伝達を行ない、傷を負った者に的確に応急処置を施していく。
「タナトスの眷属共は何をやっている……」
広間に響いた声にベート達が武器を構える。
ゆっくりと煙の中から立ち上がったレヴィスが受けた傷から
「まあ、いい。邪魔な羽虫どもをここで全て片付けてやる」
「……ちょっと、この数とやろうっての?」
自分達を見ても戦意を欠片も衰えさせない
武器を構える彼女等を冷たい瞳で見下ろしたレヴィスは切断された右腕を拾い上げた。
「手負いの貴様らなどわけない。お望みなら
武器を構えようと、士気を取り戻そうと、ベート達は満身創痍。
強がりだと見抜いたレヴィスは繋がった右腕で地面に転がった剣を引き抜いた。
「……
「は、はい……!」
斧を装備したガレスを前衛
空気が張り詰め、今にも戦いが始まろうとする。
直後。
「────えっ?」
広間の壁面が、破られた。
前触れなど一切なく、視界一杯に広がった巨体にアイズ達が時を止める。
レヴィスさえも驚倒する中、一人、状況を瞬時に把握したガレスは団員達を強制的に動かす怒号を撒き散らした。
「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」
冒険者の本能に訴える第一級冒険者の怒号が考えるよりも早くアイズ達を動かす。
動きが遅れた第二級冒険者達を抱えるなどして、【ロキ・ファミリア】は全力の撤退を試みた。
訳も分からず目の前にあった通路を走り、
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!?」
床を転がり、何とか体勢を立て直したアイズ達が見たのは巨大な
肩高6Mを超えるその巨体は見た目だけで言えば紛れもなく『牛』であった。
その体色はやはり、極彩色。そして、額に位置する部位に『女』の姿があった。
不気味な微笑を張り付けた、
その姿に強い既視感を覚えた冒険者達の中で、アイズは呟いていた。
「『
「随分と面白いことになっているな」
【ロキ・ファミリア】がアイズのもとで一堂に会する少し前。
レフィーヤ達に逃げられた壁画の回廊である神物がタナトスのもとへ訪れていた。
自身の目的を果たすべく、
「いくら
「知っているぞ。今。ロキの連中がこの迷宮に紛れ込んでいるのを。仮想フレイヤとしてこんなに適した存在はいない」
「いや、でもさ。今、ロキの子供達はもう限界まで追い詰められてるんだよね。こんな怪物を解き放っちゃったら現場を混乱させて逃がしちゃう可能性が……」
ギチギチと、拘束具を鳴らしながら『魔石』を喰らう怪物に視線を落とすタナトス。
あと一歩であの【ロキ・ファミリア】を全滅させられるというこの状況を崩したくない男神は何とか凶暴な笑みを浮かべる女神の説得を試みようとする……正にその時。
「ん……なんだろ、この風────」
『────ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
突如、『風』が吹いた。
頬を撫でた『風』が目の前の怪物に届いた瞬間、まるで何かを見つけたかのように空間を震わせる大咆哮と共に自分を抑える拘束具を破壊するべく、暴れ始めた。
「びっっっっくりしたぁ……急に何、これ」
「見ろ、どうやらこいつも暴れたい様だぞ」
タナトスの眷属達が混乱状態に陥る中で男神は冷や汗を一つ掻いたものの、心のどこかでちょうど良いか、などと考えていた。
隣に立つ女神もまた同じく、男神の説得を躱す都合の良い出来事が起きたとほくそ笑む。
「んー、じゃあやろっか。レヴィスちゃん達に怒られるかもしれないけど、ここで暴れられるよりはずっとマシでしょ」
ここでこの怪物に暴れられることに加え、
「さぁて、見せてもらおうか。
戸惑いながらも、それに従った眷属達の手によって怪物────『
二柱の神によって、誰の手からも離れた混沌が再び巻き起ころうとしていた。
「フィルヴィスさん、今の音は……!」
「わからん……だが、近いぞ!!」
吹き荒れていた『風』が止み、合流する前に指針を失ってしまった彼女達だったが、直後に響いてきた轟音の方向へ進路を転じた。
途中で合流した他の仲間達と共に通路を走って間もなく通路の終わりが見える。その先にある広間に仲間達の姿を見つけたレフィーヤは安堵と喜びの声を上げ、広間へと踏み入った。
そして、それに気付く。
「なっ……『
「レフィーヤ!?」
「無事か!?」
驚愕の声を上げたレフィーヤにティオネ達の視線が向けられ、歓声が上がる。
だが、ゆっくり無事を喜ぶなどできない。『
「来るぞ!!」
ベートの叫びと同時に凄まじい破砕音が響く。
始まったのは単純な突撃。だが、そこに秘められた質量と破壊力は桁違いだった。
真横へ全力の回避運動をしたアイズ達の後を駆け抜け、そのまま
「
「なんて威力……!」
想像を絶する破壊力に第一級冒険者ですら言葉を失う。
完全な
「おい、どうすんだ。
「逃げるに決まってるでしょ!? 早く治療しないと団長が危ないのよ!」
「逃げるにしても、まだリーネ達とアルゴノゥト君が来てないよ! それにあれ、逃げたとしても絶対追って来るよね……」
ベートの言葉にティオネが嚙みつき、ティオナがまだ来ていない仲間達を思い、渋い顔をする。
出口はレフィーヤ達の手によって発見されている。後は決断をするのみ。
煙の中からゆっくりと姿を見せる『
「だ、団長!?」
ラウルの驚声が上がった。
「
直後、響いたその声に誰もが声の主へと視線を向ける。
自らの両の足で立つ
「団長っ、動いちゃダメです!? 傷が……」
神の手によって巻き起こった混沌。
それを勇者は許さない。
「大丈夫、ラウル達のおかげで随分と休めた。傷はベル・クラネルに救われたおかげで致命傷にも届いていない。なら……ここからは僕の番だ」
右腕一本で槍を掴んだフィンが槍で床を叩く。
左腕が動く素振りはなく、傷口から止まらぬ血を流しながらも、フィンは敵を見据えた。
自分を守ってくれた団員達に応えるべく、命を懸けて自分を救ってくれた少年に応えるべく。
「ベート、ガレス、ティオナ、ティオネ……十秒、稼げるな?」
「ああ」
「おうとも」
「もちろん!」
「お任せください!」
「ラウル達は巻き込まれないように下がっていろ────一撃で終わらせる」
フィンの声にまとまることのなかった指針が瞬時に定まる。
即ち、『
もう一度、フィンが力強く床を突く。
それと同時にガレス達が飛び出し、『
『遊ビタイノ? …………ッ!?』
無謀にも自分に向かってくる四人の姿に『精霊』の唇が弧を描いた。
しかし、すぐにその笑みは消滅する。彼等の背後────
「【
────瞳を閉じ、歌を紡ぐ勇者の姿に。
「【捨てられし真名、刻まれし光。
「【語れ
「【轟く馬蹄、終わらぬ蹄跡、騎士達の歌は今もなお高らかに響く。────すなわち誓約、
『ア……ァア……!?』
紡がれゆく歌に『精霊』は恐怖を覚えると共に死を幻視した。
死をもたらす光を消すべく、『精霊』は巨体を走らせようとする。
だが、四人の冒険者がその行く手を阻む。第一級冒険者の一糸乱れぬ連携が何人たりとも勇者には近づけさせない。
「【一族よ、集え。この御旗のもとに。同胞よ、続け。聖烈の光は今も先前に】」
「【我が名は一走、蹄鉄とともに駆ける者。大いなる
『ッ……【突キ進メ雷鳴ノ槍代行者タル我ガ名ハ────】」
「馬鹿が」
近づけないと悟った『精霊』は呪文を奏でる。
短文詠唱かつ人知を超えた高速詠唱は一秒と経たずに勇者を射抜く筈だった。
歌を紡いだ瞬間、凶狼が速攻。大口を開けた『精霊』の口内を蹴り砕き、魔法の制御権を奪う。直後、
『ア、ガァ……ァ……』
「【もし許されるのならば────今ここに、女神の一槍を】」
『────!?』
口と共に爆発によって失った瞳が急速に再生した『精霊』は見た。
光を放ち、真紅に染まった勇者の瞳が自分を射抜く姿を。
「【ティル・ナ・ノーグ】!!」
全てを貫く黄金の巨槍が放たれた。
迫りくる『槍』に声にならない叫びを上げた『精霊』は両手を突き出し、渾身の魔法を歌う。
『【荒べ天ノ怒リヨ】!! 【カエルム・ヴェール】!! 【
詠唱、
しかし、その神業を目にしても冒険者達に一切の動揺はない。
瞬間、巨槍が鎧を貫通。安堵の表情を浮かべた『
フィンの切り札たる『槍』は彼自身の
その威力は『
光の一槍が走った後には、ただただ蹄跡が刻まれるのみ。
重傷を負った中であの日追い詰められた『
「レフィーヤ、出口までの案内を頼む。このままリヴェリア達との合流を目指す。その後、すぐに合流できていない団員とベルの捜索に入る。余力が残っている者はそのつもりでいてくれ」
「わ、わかりました!!」
先頭に立とうとしてラウル達に止められて再び抱えられたフィンを中心に冒険者達は出口に向かって走り出す。
誰もが全身をボロボロにしながら、それでもその顔に希望を宿し、仲間達の命を救う為に冒険者達は灰が舞う大広間を後にした。
『風』が吹いた。
道を示すように激しく吹いていた風は、壁を背に座り込み、力なく項垂れる一人の冒険者の元へ辿り着くと、意思を持っているかのようにその場を循環し、やがて冒険者の体を優しく包み込む。
人造迷宮に囚われた冒険者達が『風』の元へと走っていた頃と同時刻。
大量の灰に囲まれたまま項垂れていた冒険者────ベル・クラネルは目を覚ます。
「………………ぅ…………?」
意識が覚醒すると同時にその身に降りかかる
全身に負った傷と『呪い』も重なり、本来であれば指一本動かせる筈がなかった。
しかし、少年はゆらり、と緩慢な動きで立ち上がる。その身から消えた筈の風に支えられて。
「アイ、ズさん、の……か、ぜ……」
息も絶え絶えにポツリと呟く。
仮面の
だが、ベルは生きていた。その理由はベル自身もよくわかっていない。わかっているのは身を包んでくれているこの風が完全に消えた時が自分の命の終わりということだけ。
「よん、でる……いかなく、ちゃ……」
ボタボタと完全に溶けてしまった傷口から血が零れる。
それでもベルは走った。走るしかなかった。
生き残るためにはこの『風』が消える前にアイズの元へ辿り着く、あるいは他の誰かと合流するしかない。何度も転びそうになりながら、何度も転びながら、ベルは走る。
どれだけの距離を走ったのか、今は何層にいるのか……働かない頭はそんなことを考えるのをとうにやめ、ただただ『風』が導く先へと走るよう体に指示を出した。
やがて、『風』の勢いが弱まり始める。
未だ、アイズの元に辿り着くことはできていない。
それでも走って、走って、走り続けた先……ついに『風』が止んでしまう。
「────ハハハハハハハハハハハハハッ!!」
「────めて!!」
直後、通路の奥より誰かの声が響く。
耳障りな嘲笑と……誰かの悲痛な叫び声にベルは閉じようとしていた目をこじ開け、まだ残ってくれている風を総動員して通路の奥に見える広間へと疾走した。
「────────」
飛び込んだ広間で見たのは……血の海だった。
霞んでいた視界がその光景に鮮明さを取り戻す。
「あぁ?」
血の海の中心に立ち、哄笑を上げていた女が振り返る。
握られているのは呪いの短剣。言わずもがな、その刀身は血塗られている。
思わず、呆然と周囲をベルは見渡した。鮮明になった視界がこの空間で何があったのかを正しく伝えて来ていた。
周囲には冒険者が倒れていた。
腕がない者、足がない者…………首がない者。
共通していることと言えば、もう既に
「あなた、は……」
聞こえた声にベルがはっとしたようにそちらを向く。
短剣を持つ女の奥、眼鏡をかけた傷だらけの少女が涙を流しながら、壁際に立っていた。
呪いに既に侵されている……だが、致命傷は負っていない。
「んだよ、あの女に斬られたクソガキじゃねえか。なんでテメーがまだ生きてんだよ」
姿を現してしまった少年にどこか上機嫌なまま、短剣を振り鳴らす女が首を傾げる。
その体は重傷を負ったかのように誰かの血で真っ赤に染まっていた。
「だが、丁度いい。テメーもこいつらの仲間にしてやるよ。部下だけじゃなく、巻き込んだ冒険者まで死ねば、あいつはどんな顔をしてくれるんだろうなぁ……」
仇敵の顔が歪むところを想像したヴァレッタの瞳に暗い喜びが宿る。
再び霞み、揺れ始めた少年の瞳に禍々しい凶笑と不気味な短剣の輝きが映り込む。
少女の悲鳴と共に、血の海と化した広間に新たな血飛沫が舞った。
ここまで見ていただきありがとうございました。