二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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迷宮敗走

「レフィーヤ、まだなの!?」

 

「もうすぐ、もうすぐの筈なんです!」

 

 怪我人を抱えるアキの声に、レフィーヤが汗を流しながら答える。

 最大の脅威を退けてもなお、人造迷宮(クノッソス)とそこに潜む闇は【ロキ・ファミリア】を滅ぼそうとモンスターや信者、多くの刺客によって襲撃を繰り返していた。

 自らの身を顧みない特攻は確実に冒険者達を追い詰め、徐々に焦りを生み出す。

 

「『扉』、閉めてこないわね。あんな景気よく閉じたり開けたりしてたくせに……!」

 

 幸いなことに『扉』による妨害はなかった。

 罠か何かかと警戒していたラウル達だったが、敵の動きが何処かおかしい。

『鍵』を使用し、奪われることを警戒……何よりも恐れているだけでなく、想定外のことが起きているのか指揮が乱れている。

 絶好の好機を逃さず、冒険者達は走り続けた。傷や疲労で膝が屈しかけようとも走った。

 

「しまっ────」

 

 その時、横道にある『扉』が突如として開かれた。

 中から現れるのは醜悪な牙を光らせる食人花達。

 焦りと疲労からか、残党達を巻き込んで突き進む怪物達に全員の反応が遅れる。

 魔法は勿論、ありとあらゆる迎撃、防御が間に合わない。開かれた『扉』に最も近かったレフィーヤは迫る大群に目を瞑ってしまった。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

 しかし、絶対零度の白風が彼女の死を阻む。

 モンスターの大群を凍てつかせる砲撃が放たれた。

 

「えっ……?」

 

「走れ、レフィーヤ!!」

 

 リヴェリアである。

 通路の奥、レフィーヤ達が見つけ出した出口を背に、新たな呪文を唱え始める魔導士の元へ冒険者達は全力で駆け抜けた。

 転がるようにリヴェリアの元まで辿り着いたラウル達は状況を手短に伝え、治療が必要な者達を急いで【ディアンケヒト・ファミリア】に運ぶ、あるいはここに治療師(ヒーラー)達を呼ぶように声を上げようとした。

 

「【ディア・フラーテル】!」

 

 その直前、純白の光輝が立ち昇る。

 声を上げるのも忘れ、目を見開いたラウル達がその光に包まれたかと思うと、その身に刻まれた傷が癒えた。『秘薬』ですら治せないとフィンが判断した彼の傷まで。

 

「怪我人をこちらへ! 応急処置を施したのち治療院へ運びます!」

 

 声を張り上げたのは【ロキ・ファミリア】の団員ではない。

戦場の聖女(デア・セイント)】アミッド・テアサナーレ率いる、治療師(ヒーラー)の一団である。

 この場にいる筈のない彼女達の姿に呆けるのも一瞬、命の灯が尽きようとしている団員達から彼女達の手によって治療され、軽傷の団員達の手によって外へと運び出されていく。

 

「これ、は……」

 

「よくやった、レフィーヤ。お前が残した杖が『目印』になった」

 

「あとはあの()やな。あの腕に残った『呪い』……あれを持ってったらアミッド達が飛んできてくれたわ。ただ、このままやと……」

 

 膝をつくレフィーヤにリヴェリアとロキが落ち着かせるように笑いかける。

 魔法円(マジック・サークル)による広範囲探知を繰り返していたリヴェリアがレフィーヤが出口に残していた『魔宝石』の稀有な魔力を探知し、この場へと辿り着いたのだ。

 加えて、あの凶悪な呪詛(カース)に侵された腕を残していたことにより、この場にアミッド達を待機させておくという行動にも出ることができたのだ。

 

「リヴェリア!」

 

「アイズ、無事か!」

 

「うん、でも……まだ、ベルとリーネ達が!」

 

「ッ……敵は統率が取れていない。今が助け出す好機だ。動ける者を集めて迎えに行くぞ! 限界まで粘る!」

 

「うん!」

 

「ババァ、俺も行くぞ!」

 

 次々と運ばれていく団員達の中でアミッドの制止を振り切り、応急処置を切り上げたアイズやベート、さらにラウルやアキが救出隊へ加わる。

 その顔に精神力(マインド)の消耗による疲労以外に強い焦燥を浮かべるリヴェリアとアミッド以外の治療師(ヒーラー)達の治療も振り払うアイズに膝をついていたレフィーヤが立ち上がろうとするが、

 

「レフィーヤ、お前は地上に戻れ」

 

「ま、待ってください! まだ、私は動けます! リヴェリア様達と一緒に……!」

 

「今の私には余裕がない、二度も言わせるな」

 

 リヴェリアによる厳命が下される。

 これ以上食い下がるようであれば意識を断つ、と語る彼女の瞳にレフィーヤは口を噤む。

 らしくもないその姿に困惑を覚えながらも、彼女はフィルヴィスに腕を引かれ、地上へと引き返していった。

 

 救出隊とこの場に残っている治療師(ヒーラー)達の護衛の為に残る者を手早く決め、リヴェリア達は再び迷宮の中へと戻っていった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 血の海と化した広間。

 血の海に浮かぶ屍の仲間に変えようとヴァレッタはベルへと急迫。

 屍の領域に踏み込んでいる少年の命の灯を消し飛ばすべく、呪いの短剣を振り上げた。

 

「ダメッ!?」

 

 背後から届いた献身的な治療師(ヒーラー)の少女の叫びがヴァレッタの心を震わせる。

 暗い喜びを宿した瞳を爛々と輝かせ、少年の首目掛けて短剣を振り抜こうとした。

 

「────」

 

「────あ?」

 

 そして、ベルの顔が血飛沫に彩られた。

 しかし、その光景にヴァレッタは困惑の声を上げる。

 

 血飛沫が舞ったというのに首を斬り裂いた感触がない。

 それどころか彼女はまだ短剣を振り抜いていない。

 その証拠に彼女が振り上げたままの右手の中には呪いの短剣が────

 

「…………は?」

 

 振り上げた自らの右手に視線を移したヴァレッタはそのおかしな光景に今度は呆けた声を漏らす。やけに軽くなった右腕……その先にはあるべき右手がなく、右手があるはずの場所からは噴水のように血が噴き出していた。

 それを認識した次にぐちゃっ、と何かが自分のすぐそばに落ちる。状況を把握できず、震える瞳がその落下物……彼女の右手を認識した次の瞬間、ヴァレッタは絶叫を上げた。

 

「あ────ああああああああああああああああああああああッ、私の、右手がァッ!?」

 

「ッ!!」

 

 血が止まらない右腕を咄嗟に抑えたことで無防備となったヴァレッタをベルが殴り飛ばす。

 防御も受け身も取れずに吹き飛び、超硬金属(アダマンタイト)の壁に激突した彼女に追撃は仕掛けず、地面に転がるヴァレッタの右手を見たベルは暗闇に包まれた通路へとそれを蹴り飛ばした。

 

「テ、メェッ、やってくれやがったなぁ!?」

 

「油断、慢心……弱者と認めた相手を嬲ることしか考えていない貴方達に、共通している弱点です……本当なら、その体を斬りたかったんですけどね……」

 

 頭から激突したのか額から血を流しながら、煙の中から出てきたヴァレッタは血走った瞳でベルを睨み付ける。

 怒り心頭だが、まだまだ余力が残っている彼女の姿に()()()()()()()()右手に視線を落としたベルは失敗を悔やむように奥歯を噛み締めていた。

 

「力が……」

 

 震える右手を何度か開閉したベルはヴァレッタの右手を斬り飛ばした際に壁の方まですっぽ抜けてしまった愛剣を横目で見る。

 距離はそこまでではないが、取りに行く素振りを見せたが最後、目の前の女に組み敷かれ、そのまま撲殺されてしまうだろう。

 

「あぁ、そういうことか……残念だったなぁ、クソガキ。そんな惨めな姿じゃなきゃ私のことを殺せただろうに……用心棒様に感謝しなくちゃなぁ!」

 

 右手を飛ばされた後に何故斬られなかったのかをすぐに悟ったヴァレッタは右手を止血しながら、凶悪な笑みを浮かべる。

 不意を突かれたが、依然有利なのは彼女側。このまま戦況が動かずとも放置しているだけで少年は命を落とし、ヴァレッタは勝利できる。

 

「だが、そんな勝ち方じゃあ腹の虫が収まらねえ。てめえは絶対に私の手で殺す!」

 

 しかし、屈辱を味わった彼女の怒りはそんな勝ち方では収まらない。

 新たに懐から呪いの短剣を取り出したヴァレッタは怒りの赴くまま、再び急迫した。

 

「忠告だけは感謝してやるよ! もう油断も慢心もしねえ。確実に、てめえを殺す!」

 

 今だけはフィンへの怒りよりも目の前の少年への怒りを優先させた女は怪物(モンスター)のような表情で短剣を振るう。

 Lv.5の実力を遺憾なく発揮する彼女を前にベルが許されたのは回避のみ。致命的な一撃のみを的確に避け、ある程度の傷を許容するベルの体に次々と呪いの傷が刻まれていく。

 

 その姿をヴァレッタは嘲笑った。

 

「反撃してもいいんだぜぇ? 出来るもんならなぁ!!」

 

 振り抜かれた短剣が真一文字に斬り裂かれたベルの傷口を抉り、その体が揺らぐ。

 少年が踏鞴を踏み、わずかに開いた間合い。ヴァレッタは無防備を晒した胴体へ止めの一撃を見舞おうと、そこへ迷いなく踏み込んだ。

 

「終わりだ、クソガキィ!!」

 

 吸い込まれるかのように女の短剣が少年の心臓へと向かう。

 笑みを浮かべ、勝利を確信してしまうヴァレッタ。

 

「────ッ!!」

 

 その時を、ベルは待っていた。

 少年の体がわずかにずれる。それだけで心臓を貫こうとしていた女の短剣が空を切った。

 空を切り、すれ違うベルとヴァレッタ。その時、彼女の首に冷たい何かが押し当てられる。

 彼女の攻撃の勢いのまま、二人がすれ違った次の瞬間、ヴァレッタの首から血飛沫が舞った。

 

「な、ぁ……!?」

 

「ひとは、そんな簡単に、変われません、よ……」

 

 ()()()()()()()()首からの血を必死に抑えるヴァレッタは無手だった筈のベルが逆手に握っている武器に気付くと、息を呑んだ。

 こびり付いている彼女の血。彼女を斬った武器の種類は、()()

 今、彼女自身が握っている『呪いの短剣』と同じもの。

 

「武器が奪われていた可能性、頭に入ってなかったでしょう……それとも、武器があっても振れないと、思ってましたか……?」

 

「あ、ぁああああ……!?」

 

「振る力がなくても、握り締めるだけなら……まだ、できます。後は、貴女の攻撃に合わせて、首に押し当てるだけで、勝手に斬られてくれます……」

 

 焦点が合っていない瞳で自分を見る少年に奥歯が砕けるほどに歯を食い縛ったヴァレッタは今すぐにでも止めを刺そうと地面に転がる短剣を握ろうとした。

 だが、首から溢れ続ける血の噴水が自らの命の危機を知らせてくる。たった一秒でさえ、惜しまなくてはいけない体の状態にヴァレッタは短剣を投げ捨て、その場から逃亡した。

 

「私が手を下すまでもねぇ、そのまま無様に他の奴らの仲間になるのがてめえにお似合いの最期だ! 余計なことに首を突っ込んだことを精々後悔して死にやがれ、クソガキ!!」

 

 一転変わって捨て台詞を吐いて逃げていくヴァレッタをベルは追うことができない。

 彼女が逃げてからしばらく、警戒するように立っていたベルだったが、戻ってこないと確信を持つとそのまま崩れ落ちるように地面に倒れ込んでいった。

 誰かの声が聞こえた気がしたが、それが誰なのかがわからない。うつ伏せに倒れたベルの意識は何かが近付いてくる振動を聞いたのを最後に、暗闇に溶け落ちていった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「帰還してない団員はガレス班後衛、ロイド、カロス、アンジュ、リザ、ルーニー、リーネ! そして、ベル・クラネルです!!」

 

「分断された位置とシャロン達の情報から推察するとこの付近の筈だ!」

 

「『扉』が閉じ出す前に探し出す! 些細なことでも良い、気付いたことがあれば何でも言え!」

 

 リヴェリアを中心にアイズやベート、アキなどの冒険者達が不気味なほどに静まり返った人造迷宮(クノッソス)を走る。

『扉』は依然動かず、モンスターも残党達の姿もない。しかし、いつ、どのタイミングで再び迷宮が牙を剥くのかもわからない。故にリヴェリア達は急いだ。

 

「────さい!!」

 

「ッ、今、リーネの声が!!」

 

「この臭い……ババア、こっちだ!!」

 

 そしてついに、獣人であるベート達が仲間の居場所を突き止める。

 彼等の後を追い、辿り着いたのは一つの広間(ルーム)。飛び込んだ瞬間、濃すぎる血の臭いとそれを生み出している血の海が目に入った。

 

「そんな……っ、治療師(ヒーラー)急いで!! 道具(アイテム)でも何でもいいから、早くッ!!」

 

 凄惨な光景に呆然とするのも一瞬、アキの声に他の団員達も動く。

 既に()()()()()()とわかってしまう仲間の骸を後回しにし、生きている可能性のある仲間の元へと駆け寄り、そして、ほぼ全ての団員が手遅れな仲間の姿に表情を歪める。

 

「リーネ!!」

 

「リヴェリア、さん……アイズさん……」

 

 リヴェリアとアイズが真っ先に駆け寄ったのは助かる可能性が最も高いと踏んだ、石室の最奥にいるリーネだった。

 無数の傷を負っているが、腕も足も首も繋がっている。意識がないルーニーを庇いながら、治癒の光を湛え続けているその姿にまだ助かると希望を覚えたのも束の間、二人の表情は凍り付いた。

 

「私達は、大丈夫ですから……この人を、助けてあげて、ください……!」

 

 その治癒の光はリーネ自身に向けられたものではない。

 涙ながらに訴える彼女の傍で血の海に沈む誰かにその光はずっと向けられていた。

 血の海に沈み、わずかも動かないその誰かとは……

 

「────ベル!!」

 

 無論、ベル・クラネルである。

 リヴェリアの取り乱したような声が広間(ルーム)に反響した。

 血で汚れるのも構わず、少年の傍に膝をつく彼女の横で動けなくなっていたアイズは震える手でベルの頬に触れる。わずかに温もりが残るその頬は、氷のように冷たくなろうとしていた。

 

「この、傷は……!」

 

 まだ微かに息が残っているベルの体を診ていたリヴェリアはそこに刻まれている無数の傷……あるべきものがない左腕と奇跡的に両断に至っていない胴体の傷に言葉を失う。

 紛うことなき致命傷。さらにフィンに刻まれていたものと同じ最悪の『呪詛(カース)』。

 呪いがなければ、リヴェリアの魔法によってアミッドの元まで命を繋ぐことができたかもしれないが、この『呪詛(カース)』は今ある『秘薬』では治せない。

 

 即ち……もう、手遅れである。

 

「ダメッ!!」

 

 多くの仲間の死を看取ってきた【剣姫】の目がそれを囁くが、少女(アイズ)はそれを否定しようとした。

 治らないとわかっているというのに手持ちの『秘薬』や回復薬(ポーション)をありったけ使用するが、やはり傷は塞がらず、血は止まらない。

 子供のようにいやだいやだと首を振り、今にも泣き出しそうな声を出すアイズに仲間の遺体を抱き締めていた団員達の視線が集まっていく。

 

 仲間の死と、見たことがないアイズの姿に混乱する団員達。

 その中でただ一人、冷静に、その双眼を凍えさせていたベートが彼女へと歩み寄った。

 

「……ベート?」

 

「……チッ、どいつもこいつも、雑魚が無駄死にしただけだってのに喚きやがって。だから言っただろ、雑魚は足手纏いだってな」

 

 アイズの背後に立ち、言い放った嘲弄と冷笑に彼女を見ていた団員達が愕然とする。

 リヴェリアでさえその行動に目を見開く中、アイズは鞘に納めた剣の柄を握り、振り向きざま、ベートの首目掛けて剣を引き抜いた。

 

「…………」

 

 寸止めされるアイズの剣。しかし、ベートは微動だにしなかった。

 冷然と涙を浮かべる少女を見下ろし、次に少年へと視線を向ける。

 

「足を引っ張りやがったら殺す……俺はそう言ったな」

 

 笑みと侮蔑が消えたベートの表情にアイズが困惑しながら剣を下ろす。

 懐から何かを取り出しながら、まるで独り言の様に呟かれた彼の言葉は傍にいるアイズとリヴェリア、そしてリーネの三人だけが聞き取っていた。

 

「俺が無様に足止めされたところで、てめえはフィンを救った。無傷とまでは行かなかったが、それでもあの行動がなけりゃフィンはまともに動けなかっただろうよ」

 

 賞賛するように、それでいて何かに苛立つように呟くベート。

 少年の手を握る少女を見た青年は懐から取り出した瓶を自分を見上げるアイズに投げ渡した。

 

「そいつに飲ませろ。あの聖女(おんな)の血で作らせた『秘薬』とやらだ。俺達に渡した秘薬(くすり)よりも効果が上がってる……らしいぜ」

 

 ベートの言葉にアイズとリヴェリアが瞠目。

 すぐさま栓を抜き、ベルに飲ませようとするが、意識を失った者にそのまま飲ませるのは吐き戻す可能性が高い。傷口にそのままかけることも考えたが、通常の『秘薬』が効かない進化した『呪詛(カース)』にはそれを躊躇ってしまう。最悪、効果を発揮せずに呪いに打ち負けてしまう未来もあるだろう。

 

 今この瞬間にも消えようとする命を前に躊躇は文字通り命取り。故にアイズは即断した。

 

「リヴェリア、詠唱をお願い……!」

 

「アイズ!?」

 

 止める間もなく、一言告げたアイズは『秘薬』を口に含む。

 何をするのかを理解したリヴェリアは今だけは何も言わず、即座に魔法の詠唱に入った。

 翡翠の魔力光に照らされながら、アイズはそっとベルを抱き上げる。

 

 そして────血に濡れた少年に口づけを落とした。

 

「!!?!!?!?!?!?!???」

 

 突然の接吻(キス)に仲間の死、少女の動揺、強者の嘲弄と立て続けに浴びてきた団員達が驚愕と言う意味ではこれ以上ないであろう驚愕の光景(シーン)に目を見開く。

 あのベートでさえ強すぎる驚愕と動揺に一瞬襲われたが、アイズの行為の意味にすぐに気付くとその目を細めた。

 

(お願い……飲んで、ベル……!)

 

 口づけを続けながら、アイズは祈る。

 下手を打てば吐き戻すだけでなく窒息する可能性もあったが、丁寧に、ゆっくりとベルの口に『秘薬』を移していく。

 ゴクリ、と何度か少年の喉が動き、自分が口に含んだ『秘薬』がなくなった少女はすぐに身を起こし、唇に架かった銀の橋を拭う間もなくリヴェリアの名前を呼んだ。

 

「リヴェリア、お願い!」

 

「【ルナ・アルディス】!」

 

 少女の声に応えた翡翠の治癒光がベル、リーネを中心に広間(ルーム)全体を包む。

 もう一度、祈るように少年のことを見ていた少女は刻まれた無数の傷が癒えていく光景に今度こそ希望を見出した。

 

「急いで地上に戻るぞ! これ以上、死者を増やすな!」

 

 リヴェリアの号令に事態を呑み込めていなかった団員達も慌ただしく動き出す。

 ベートを先頭に仲間の遺体を抱え、治癒はされたがそれでも重傷のリーネ達に手を貸してアキ達は出口へと走った。

 未だ死の淵を彷徨うベルを背負ったアイズもリヴェリアに護衛されながら人造迷宮(クノッソス)を脱出するべく、仲間達の後を追いかけた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「…………ぅ……」

 

 暗闇から意識が浮上する。

 目を焼く魔石灯の光に慣れるまで時間がかかり、何度も瞼を閉じては開いてを繰り返し、やがて真っ白な天井が目に入った。

 次に独特な匂いが嗅覚を目覚めさせ、自分がいるのが治療院の寝台(ベッド)の上だと伝えてくる。

 

「ベル君!!」

 

 途方もない疲労感と倦怠感が再び意識を暗闇に落とそうとするが、側からかけられた声が少年の意識を引っ張り上げていく。

 まともに動かない顔を何とか動かし、ベルが隣を見るとヘスティアがすぐ側に立っていた。

 

「か、み……さま……?」

 

「そうだよ、君の神様だ! どこか痛いところとかおかしなところはあるかい!?」

 

 体を起こそうとする少年を寝台(ベッド)に寝かしつけ、ヘスティアは涙を浮かべながら笑む。

 彼女の涙と笑みを見てようやく、ベルは自分があの迷宮から生還したのだと実感を持てた。

 

「……かみさま……ロキ、ファミリアの……みなさんは……?」

 

「あ……えっと、それは……」

 

 実感を持てたのと同時に、自分以外の冒険者はどうなったのかに思い至った少年はそれを真っ先に彼女に問う。

 問われた直後、ヘスティアの表情が固まった。その反応だけで彼等の身に何かが起きてしまったのだと悟ったベルはその体を無理矢理起こそうとする。

 

「ベル君、まだ動いちゃダメだ!」

 

「失礼します……っ、クラネルさん!?」

 

 ベッドから降りようとするベルを慌てて止めに入るヘスティア。

 だが、弱っていてもLv.4の冒険者。一般人と何ら変わりない神の体では止めることは難しい。

 そんな折、タイミング良く部屋の扉が開くとアミッドが姿を見せた。神と子の争いを目にした彼女は慌ててベルをベッドに戻し、動けないよう拘束を施した。

 

「ごめんよ、聖女君……」

 

「いえ……無事に目を覚ましたのなら何よりです」

 

 二人のやり取りに動きを封じられたベルが目だけを向ける。

 ヘスティアと言葉を交わすアミッドの纏う衣服は血で赤黒く汚れていた。彼と同じようにあの迷宮から運び込まれた怪我人達をここに来るまでずっと診ていたのだろう。

 

「まだ体は上手く動かないみたいだけど、おかしなところはないみたいだよ」

 

「そのようですね。ですが、油断は禁物です。彼が運び込まれた中で最も重傷だったのですから……それこそ、生きていることが不思議な程に」

 

 いくつかヘスティアとやり取りし、ベルの様子を確認したアミッドは部屋を出る。他の患者を診に行ったのだろう。

 そんな彼女と入れ替わるように、朱色の女神が部屋の外から顔を覗かせた。

 

「ヘスティア、入ってもええか?」

 

「ロキ……うん、大丈夫だよ」

 

 ドチビなどと呼ばず、真摯な声で自分の名を呼ぶ女神をヘスティアは迎え入れる。

 扉を閉め、ベッドに近付いたロキは目だけをこちらに向ける少年を見つめると深々と頭を下げた。その姿にベルは目を見開き、ヘスティアは沈痛な面持ちをする。

 

「ありがとうなぁ、少年。ジブンがいてくれんかったら、ウチ等はもっと仲間を失ってた」

 

「っ!!」

 

 ただただ感謝の念だけが込められる女神の言葉にベルは息を呑む。

 わかっていたことだ。誰かが既に死んでしまったことなど。ベルはその目に、今もなお鮮明に蘇るあの光景を焼き付けたのだから。

 

「何人……だれが、亡くなったんですか……?」

 

「…………」

 

 ロキがヘスティアの方へ目を向ける。

 話してもいいのか、話さないでおくべきか、それを確認する瞳に彼女は一つ、頷いた。

 

「四人や。見つかった時にはもう手遅れやったって話らしいで」

 

「っ……」

 

「その子ら以外にもあと少し遅かったら手遅れになってたって子も何人かいたみたいやな。ただ……帰ってきた時、『呪詛(カース)』の被害を受けてたのはフィンとジブンだけや」

 

 俯く少年を見据えながら、ロキは淡々と彼が求めた情報を語る。

 亡くなった子供の人数と脱出当時の状況を語り終えた彼女はそこで一度言葉を切り、声音を柔らかいものへと変えた。

 

「ジブンがあのクソみたいな呪いを見つけて、フィンを守ってくれたおかげで治療が間に合った子が何人もおるってことやな。だから……そんな顔はせんでええ」

 

 ロキは労わるように、何もかもに絶望したような表情を浮かべる少年の頭に触れる。

 冒険者にはありふれている『仲間の死』というものに初めて触れてしまい、決壊しようとしている感情をなだめるように優しく、頭を撫でた。

 あまり見覚えのないロキの姿をヘスティアは何も言わずに見守る。やがて、少年の右手が緩慢に動き、朱色の女神の手に触れた。

 瞳が前髪に隠れ、その表情はあまりわからなかったが、一先ず落ち着きはしたのだろう。

 

「ジブンにも謝らんとな……」

 

「いらないよ。勇者君とリヴェリア君の頼みを断らなかったのはボク達だ。ベル君が死にかけたのはあくまでボク達の責任。君達が気に病むことなんて何一つとしてない……それと、そろそろいつもの君に戻ったらどうだい?」

 

 自分にも頭を下げようとするロキを軽く手を振り、ヘスティアは止める。

 勇者君達にも伝えておいてくれ、と告げる彼女にロキは下げかけていた頭に右手を当て、小さく息を吐いた。

 

「……とりあえず目を覚まして良かったわ。ドチビがそう言うんなら、うちは今日はもう戻るで。考えないかんことが山ほどあるからな」

 

 いつものようにドチビ、とそう呼んだロキが部屋を出ていく。

 それを見送ったヘスティアはベッドの側の椅子に座り、ベルの手を握った。

 

「……神さま、これ、はずしてくれませんか……どこにもいきませんから……」

 

 天井に目を向けたまま、呟くベル。

 嘘はない。握り返してこない右手にも力はない。

 少し迷ったのちに、ヘスティアは少年を縛る拘束を解く。全てが外れてもベルは動く素振りも見せなかった。

 

「……ごめんなさい、神さま……無事にかえってくるって、やくそくしたのに……」

 

「ううん……気にすることないよ。ちゃんと帰ってきてくれただけで十分だよ」

 

 少しだけ握り合う右手に力が込められる。

 女神が手を握り返すが、きっとそれは気休めにもならないだろう。

 少年にとって、『約束』を果たせないことは何よりもあってはならないことなのだから。

 

「今はゆっくりお休み、ベル君。何があってもボクが側にいるから……」

 

 心にも体にも傷を負った大切な子供が悪夢に苛まれないよう、女神はその手を優しく握る。

 やがて、少年の意識は悪夢を晴らす竈火(かまど)の温もりに抱かれながら、再び暗闇に沈んでいった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「寝ていなくていいのか?」

 

「疲れている筈なんだけどね……生憎、全く眠る気にはなれないんだ」

 

「同感じゃな」

 

 悪夢の人造迷宮からの脱出に成功した三首領は応急処置などを終え、フィンが治療の為に寝かされている部屋に集まっていた。

 その表情は一様に暗く、その身には重たい空気を纏っている。

 

「被害は」

 

「軽傷重傷問わず、怪我人多数。そして、死者が出た。ロイド、アンジュ、リザ、カロスの四名だ。危険水域に入っていた者も複数名存在したが、アミッド達の手によって今は安定している」

 

 静かな声が部屋に響く。

 誰も視線を合わせることはない。

 

「本当に情けない話だ。分断された挙句、重傷を負わされ、仲間達を守れずに奴等の好きなようにやられてしまうなんてね……」

 

「儂等全員、気を引き締め直してもどこか慢心しておったのだろう。あの怪人(クリーチャー)は脅威ではあるが、そうだったとしても闇派閥(イヴィルス)の残党程度は御せる、とどこか低く見積もっていたということじゃ」

 

「……今だけは敗北を認めよう。だが、必ず雪辱は果たす」

 

 自責に後悔。

 敵の住処(アジト)に侵入し、仲間達を失った彼等の瞳にはそういった感情が多く見られた。

 しかし、彼等の言葉を聞いたリヴェリアの言葉がそれらの感情を覆いつくす再戦の念を燃え上がらせる。失った仲間へ報いるための誓いを共有した三人はそれぞれ目を合わせた。

 

「気合十分、けど、今は休みい。帰ってきてから一睡もしてないやろ」

 

 このまま休むことなく、ここまでの情報の確認を始めようとするフィン達を新たに部屋に入ってきたロキが止める。

 普段のふざけた様子は欠片もなく、目を薄く開けて有無を言わさぬ彼女の姿に彼等はもう一度目を合わせ、肩の力を抜いた。

 

「ロキの言葉通りだな。今は回復を優先させよう」

 

「やることは山ほどあるんや。休める時に休んどかんとな」

 

 先程まで張り詰めていた空気が徐々に弛緩していく。

 空気が緩むと、身体も疲労を思い出したのか、彼等の身にドッとのしかかる。

 

「ロキは……今まで団員達を見て回っていたのか?」

 

「ん、そうやな。最初はみんなんとこ行って色々話ししてたんやけど……その後は少年のとこ、行ってきたで」

 

 緩んでいた空気が再び張り詰める。

 言葉の続きを待つようにロキへと視線を集中させたフィン達にロキは苦笑を浮かべた。

 

「大丈夫や、ウチが行った頃には目を覚ましとった。ドチビも側におるし、今はまた寝てるんとちゃうかな」

 

「そうか……ひとまずは良かったと言うべきか。今回も、彼には助けられた」

 

「そうじゃな……あの小僧がいてくれなければ、リーネとルーニーまでも奴らに殺されていたじゃろう。あるいはフィン、お主もか?」

 

「……そうだね」

 

 ガレスの言葉に斬り裂かれた箇所を指でなぞるフィン。

 今は治療されているが、少年が妨害してもなお怪人(クリーチャー)の一撃は彼の命を脅かしていた。

 ベルがいなければ殺されていた……たとえ殺されていなくとも瀕死に陥り、『精霊の分身(デミ・スピリット)』を相手に『槍』を使う余力は残っていなかっただろう。

 そうなってしまったら、手遅れになる団員も出ていたかもしれない。

 

「ロキ、ベルは……」

 

「さっきも言うたけど、ちゃんと目を覚ましとったで。ちっと覚束ないけど受け答えもできとった。寝直しとるかもしれんけど、会いに行ってもええんやで」

 

 ベルの容態を気にするリヴェリアは話を聞き、一つ安心したように息を吐いた。

 しかし、続くロキの気を遣った言葉にはすぐに首を振る。

 

「やることが山ほど残っている。それに、今は合わせる顔がない」

 

「立場を気にしているのなら僕からの指示ということにしてもいいんだよ。今回の彼の貢献を考えれば団員達も何も言わないだろう」

 

 フィンの言葉を受けてもリヴェリアは頑なだった。

 首を縦には振らず、彼女は本拠(ホーム)に戻ると言い残してこの場を去っていく。

 扉が閉まる音が反響する部屋でロキ達はそれぞれ顔を見合わせた。

 

「目が覚めたと聞いたら真っ先に飛んでいくと思ったんじゃがな……」

 

「目の前で閉じ込められた挙句、帰ってきた時には瀕死の状態。彼を大切に思っていながら自分は何もしてやれなかったとなると……まあ、自己嫌悪に陥ることもあるんじゃないかな」

 

「そうやったとしても会ってあげた方がいいんとちゃう? あの少年もリヴェリアのことは随分と慕ってるみたいやし喜ぶと思うけどなぁ」

 

 彼女の様子を見た三人はそれぞれの見解を述べる。

 そんなことは露知らず、治療院の廊下を歩くリヴェリアはある部屋の前で止まった。

 何の変哲もない個室。その扉を決して音が鳴らないように、そっと開く。

 

「…………ベル」

 

 扉の隙間から見えるのは、落ち着いた寝息を立てて眠る少年。

 ロキの言葉通り、ひとまずは峠を越えたのであろう少年にほっと息を吐いたリヴェリアは彼を起こさないようにもう一度そっと扉を閉めた。

 

「……お前達が傷ついていたというのに、また私は何もしてやれなかった」

 

 扉を背に、呟く。

 ベルもアイズも今回の戦いで深手を負って帰還したというのに自分は何もできていない。

 慕ってくれているというのに二人を守れない、二人と一緒に戦うことが出来なかった自分をリヴェリアは唾棄した。

 

「いつになれば、私はお前達のために戦うことができるのだろうな……」

 

 自嘲するように乾いた笑みを浮かべながら、リヴェリアはその場を後にする。

 そんな彼女を、廊下の陰で一柱の女神が見つめていた。




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