二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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白兎失意

 悪夢の迷宮探索から一夜。

 ベルは変わらず、ベッドの上にいた。アミッドから絶対安静の指示を受けて。

 

「少なくとも今日一日は絶対安静。特に左腕はぜっっっったいに動かさないように、だってさ。動かしたらベッドの上に磔にするって言われちゃったよ」

 

 泊まり込みで見舞ってくれるヘスティアの苦笑交じりの言葉にベルもまた苦笑を浮かべる。

 斬り落とされた少年の左腕はアミッドの手によって元通りになっていた。正しく言えば元通りになろうとしていた、だが。

 固定包帯(ギブス)によって固定されている左腕は綺麗に繋がってはいる、だが、腕としての機能はまだほとんど戻っていない。

 斬り落とされた腕はそこまで時間が経っていないうちに氷漬けになったため、腐敗こそしなかったが、呪詛(カース)による後遺症が残っているのだ。

 

「ちゃんと元に戻るんでしょうか、これ」

 

「その点は大丈夫じゃないかな。聖女君はちゃんと元に戻るって言ってくれてたしそこに嘘はなかったからね」

 

 反応が鈍い腕に少しだけ不安な顔をするベルにヘスティアは安心させるように笑いかける。

 重傷を負っていることを除けば、とても穏やかな雰囲気が病室内に流れていた。

 

「…………神様、【ロキ・ファミリア】の皆さんは……」

 

 無論、そんな穏やかな時間は長続きはしなかった。

 ベルの問いに笑顔が固まったヘスティアは、わずかに目を細め、それに答える。

 

「もう治療が終わったみたいだから、ここにはいないよ。やることがいっぱいあるみたいだからね。ベル君がちゃんと治った後に一度話をしたいってロキが言ってたかな」

 

「……そう、ですか」

 

 彼女の答えは求めていたものとは違ったのか、あるいは聞きたいことがあったがそれを聞くことを躊躇ってしまったのか。

 ベルは言葉を詰まらせ、そのまま顔を俯かせた。

 穏やかな雰囲気が一転、帰還後に少年が目を覚ました時と同じような暗い雰囲気が漂い始める病室。その扉を誰かが強く叩いた。

 

「ん、誰だろ。入っていいよー」

 

「失礼します!」

 

 ヘスティアの許しを得た瞬間、勢いよく入ってきたのは命だった。

 ここまで走ってきたのか、少し息を切らした様子の彼女は目を覚ましているベルの顔を見ると表情を明るくし、すぐにその表情を焦燥に染め上げた。

 

「ベル殿! ご無事でしたか!」

 

「は、はい! えっと……そんなに焦って、どうしたんですか?」

 

 彼女の様子に暗い雰囲気など吹き飛び、命を落ち着かせながら彼女の言葉を待つ。

 ヘスティアから水を手渡された命は感謝と共にそれを一息に飲み干すと、心を落ち着かせるように深く息を吐いた。

 

「その……ベル殿にだけ話したいことがあるのですが……」

 

「……神様」

 

「いいよ。ボクは席を外す……というかそろそろバイトの時間だからボクはこのままバイトに向かうよ。終わり次第また来るから、話すのはいいけどちゃんと安静にするように」

 

 しっかり釘を刺し、病室を出ていくヘスティア。

 彼女を見送ったベルはまだ息が切れている命に椅子に座るよう勧め、彼女の話を待った。

 

「いきなりですが、本題に入らせてもらいます。ベル殿が不在の間、自分は春姫殿の所在を伝えるべく、そして『殺生石』の情報を求めてタケミカヅチ様の元へ赴きました」

 

「……何かわかったんですね?」

 

 ベルの瞳に命は重々しく頷く。

 その表情は暗く、何らかの手がかりを得た者の姿では到底なかった。

 

「『殺生石』……その名を口にした瞬間、春姫殿の生存を知って喜んでいたタケミカヅチ様の表情が一変。どこでそれを聞いたのかを、本当にイシュタル派がそれを手にしたのかと、思わず震えてしまう程の剣幕で何度も確認してきました」

 

「タケミカヅチ様が……?」

 

 超越存在(デウスデア)たる神がそこまで動揺する道具(アイテム)とは一体何だと言うのか。

 その答えを持つ命は両の手を握り締め、『殺生石』というものについて語り出した。

 

「『殺生石』とは、狐人(ルナール)専用の道具(アイテム)狐人(ルナール)()()を原料として用いる『玉藻の石』と『鳥羽の石』というものを掛け合わせた、禁忌の魔道具(マジックアイテム)です」

 

「遺骨……!?」

 

 浮かんでいた疑問の答えにベルは驚愕した表情を浮かべる。

 遺骨が材料……死者を弄ぶ最悪の行為に驚愕は留まることを知らない。

 だが、続く命の言葉がそれ以上の驚愕をベルの中に生み出した。

 

「本来であれば『玉藻の石』という道具(アイテム)狐人(ルナール)が持つ魔法……『妖術』の効果を跳ね上げるだけのものです。しかし、『鳥羽の石』と融合したその時、あまりにおぞましい力を発揮するのです」

 

「その、力って……?」

 

「『鳥羽の石』が最大の効果を発揮する満月の夜に使用した者……狐人(ルナール)の魔力を……いえ、魂を()()()()()()()のです。生贄となった狐人(ルナール)()()()()()に変えて……!」

 

 言葉を絶すると言うのは正に今この時のことを言うのだろう。

 男神の言葉をそのまま伝えてきているのであろう少女の表情が暗い理由がわかった。状況が解決するどころか、時間制限(タイムリミット)と永遠の別れを突き付けられたのであればこんな表情にもなる。

 

「あの笑みは……そういうことだったんですか……」

 

 脳裏に蘇る狐の少女の儚い笑み。

 何もかもを諦め、終わりを受け入れた、あの笑み。

 

 重なる、重なってしまう。

 あの日、同じような笑みを浮かべていた、女神の笑みと。

 

「それは、ダメです。そんなこと、させるわけにはいかない!」

 

「ベル殿……!」

 

 あの日とは違う、まだ()()()()

 手遅れでないのなら、まだ助かるのなら。

 黙って見過ごすことなど、出来る筈がなかった。

 

「次の満月は……」

 

「明日です。動くのであれば今日か明日しか残っていません……」

 

「……今夜、歓楽街へ向かいます。夜の闇に乗じて春姫さんがいるであろう遊郭に潜入しましょう。部屋の窓を開けておくのでここに来てください。僕の武器と防具を持ってきてくれると助かります」

 

 悠長にしている場合ではない。

 情報を整理した二人は今夜、春姫の元へ向かうと決断した。

 脱走がバレれば、ヘスティアにもアミッドにもそれはもう怒られるだろうが、それを怖がっている場合ではない。

 

「英気を養っておいてください。辿り着くにせよ、辿り着かないにせよ、間違いなく戦うことになると思いますから」

 

「わかりました。では、自分は戻ります。また夜に……」

 

 部屋を出る命の背を見送ったベルは固定された左腕に目を向ける。

 固定包帯(ギプス)の下の左腕はやはりほとんど動かない。戦いになれば大きな(ハンデ)、そして弱点になるだろう。

 この体でどこまで戦えるのか……それを頭の中で想像(イメージ)しつつ可能な限り体を休ませながら、ベルは命が訪れる夜が来るのを待った。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 その夜、僕は【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院を抜け出して命さんと共に歓楽街へ走った。左腕以外の体の調子はそこまで悪くない。

 人が多く存在する南東のメインストリートを避けた僕達が走るのは『ダイダロス通り』。あの日、春姫さんに教えてもらった抜け道へと向かう。

 

「……ここです。ここから遊郭へと侵入できます」

 

「こんな場所が……」

 

 誰からも忘れられたような路地裏を通った僕達の視界に歓楽街……遊郭が広がった。

 その中で最も大きな建物を見据え、隣の命さんにここからの行動を伝える。

 

「まずはあの大きな建物の最上階に向かいます。運が良ければそこに春姫さんはいます。出来れば張見世を確認しておきたいところですけど……今回は諦めましょう」

 

「運が良ければ……というと、あそこ以外に春姫殿がいる可能性も……?」

 

「むしろそっちの可能性の方が高いです。春姫さんがあの中にいなかった場合は……【イシュタル・ファミリア】の本拠(ホーム)に侵入します」

 

 命さんが息を呑んだ。

 当然だ。客として出向くのではなく侵入した時点で僕達は彼女達の敵。

 隠密とはいえ、たった二人で向かえば見つかった時点で春姫さんを探すどころの話ではない。【イシュタル・ファミリア】の力と物量で押し潰される。

 

 でも、あそこにいなかった場合はこうするしかない。

 大本命は敵の本拠(ホーム)なんだから。

 

「……わかりました。自分も覚悟を決めます。そもそも、【イシュタル・ファミリア】から春姫殿を取り戻すというのに生半端な覚悟でいたのが間違いでした」

 

 頬を叩き、気合と覚悟を入れ直した命さんと頷き合う。

 路地裏を飛び出し、建物の陰に隠れながら春姫さんがいた屋敷へと僕達は向かった。

 正面からなんて愚の骨頂。慎重に屋敷の裏口に回り、そこから侵入。幸いなことに裏口の方には見張りやお客、娼婦の姿はどこにもなかった。

 

「こっちです……」

 

 なるべく音を立てないようにしながらも急いだ。

 アマゾネスや娼婦の人達をかわしながら、敷地内の最も隅にある別館へと向かう。

 階段を上り、最上階へと向かう刹那、ふと、違和感を覚えた。

 

(……誰もいない……アマゾネスどころか……娼婦の声も何一つ聞こえない……?)

 

 二階、三階、四階と階段を駆け上がるが、やはり誰もいないし何も聞こえない。

 人の姿もそうだけど、あの日、急いでいても耳に入って来ていた娼婦の声も聞こえないなんてやっぱりおかしい。

 まるで人払いがされているような────

 

「っ……ベル殿……!」

 

 違和感に襲われながら、最上階へと足を踏み入れた瞬間、命さんに引き戻される。

 思考を中断して、彼女の方を向くと命さんは正面だけを見据えていた。

 

「……クソ」

 

 僕も正面へ向き直る。そして、思わず毒づいた。

 正面、長い廊下の先には扉がある。春姫さんがいたあの部屋に続く扉が。

 だけど、僕達はそこに走っていくことは出来なかった。門番のように壁に背をつけるアマゾネスの女傑が立っていたからだ。

 

「アイシャさん……!」

 

 なんでここに、どうしてわかった、なんて疑問が浮かんでくるけど、それをすぐに消す。

 今必要なのは誰も呼ばれずにあの先に行くにはどうしたらいいのか、ということだけ。

 

 アイシャさんがいるということは、いるのだろう。あの先に、春姫さんが。

 その点に関しては運が良い。【イシュタル・ファミリア】の本拠(ホーム)へと侵入しなくて済むのだから。でも、アイシャさんがここにいるというだけでその運の良さは帳消しどころか最悪なものに成り変わる。

 

 アイシャさん、あとはフリュネさん以外の人であれば一秒とかけずに意識を奪う自信はあった。

 でも、この二人のどちらかがいるとなるとその時点でこの行動は失敗だ。意識を奪う前に他のアマゾネスを呼ばれて、春姫さんと話なんてできない。

 

(でもやるしかない……できるできないの話じゃないんだ……ここで会えなきゃ、もう春姫さんと会えなくなる……!)

 

 僕達の姿を見つめていたアイシャさんが組んでいた腕を解き、壁から背を離した。

 脱力した状態でじっと僕達を見つめてくる彼女に先制攻撃を仕掛けようと、命さんと一瞬視線を交わす。足に力を込めた次の瞬間、

 

「気合十分なところ申し訳ないけど、私にアンタ達と戦う気はないよ。他の連中を呼ぶ気もない」

 

 そんなことをアイシャさんは口走った。

 思わず面食らい、飛び出そうとした体が前につんのめる。

 転びそうになった僕を支えてくれた命さんと共にもう一度アイシャさんの方を見た。

 

 嘘じゃ……ない?

 

「ついてきな。あの狐と話をしたいんだろう?」

 

 全てお見通しだと言いたげに、僕達に背を向けるアイシャさん。

 ここまでの全てが僕達を誘い込む罠……なんて考えもしたけど、そもそもこんなことをしなくてもアイシャさんが他の人を呼べば、罠を張る必要はどこにもない。

 逡巡後、すぐに僕達はアイシャさんに続いた。扉の前に立った彼女は僕達が来たことを確認すると、ゆっくりと扉を開く。

 

 見えたのはあの日と同じ襖。

 かすかに漏れる光もあの日と丸っきり同じだ。

 

 開きな、と視線で語るアイシャさんに従って、僕は襖を開く。

 その襖の先には、開かれた障子の先に広がる夜空と月を見上げる一人の少女がいた。

 

「春姫さん……」

 

「────えっ?」

 

 今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気を纏うその姿に思わず声が零れる。

 狐の耳を揺らした彼女が振り向くと、信じられない者を見るように目を見開いていた。

 

「クラネル様……どうして、ここに────」

 

 初めに僕を、すぐに命さんも視界に収めた春姫さんはすぐに口元を手で覆う。

 再会の喜びなんてものはそこにはなく、彼女は嘆くようにそっと目を伏せた。

 

「春姫殿……っ」

 

「命さん……」

 

「話をしたいならさっさと終わらせるんだね……そう長い時間は取ってやれないよ」

 

 自分を拒絶するようなその姿に顔を曇らせる命さんと目を伏せて何も語らない春姫さん。

 声を掛けるべきか迷ったところで、襖の前に立ったアイシャさんが声を上げる。

 振り向くと、彼女はその相貌に脂汗を湛え、何かを耐えるように佇んでいた。

 

「っ……春姫さん、ここから逃げましょう! このままじゃ貴女は……!」

 

「…………」

 

「……『殺生石』」

 

 アイシャさんの様子がどこかおかしいことを意識しながら、春姫さんの説得を試みるけど、彼女は目を伏せたまま何も言わない。

 けど、命さんのその言葉に微動だにしていなかった体が確かに跳ねた。

 

「やはり、本当なのですね……明日の夜、貴女が犠牲になるというのは」

 

『殺生石』の儀式が行われるというのはやはり事実のようだ。

 俯いて沈黙したままだったとしても、今の反応でそれがわかってしまう。

 僕達が確信を持ったからか、春姫さんは目を開き、俯いていた顔を上げて僕達を見る。そのまま、何かを語ろうと口を開いた次の瞬間、視界の端でアイシャさんが動いた。

 

「やれやれ……そんなことまで知られていたとはね」

 

 春姫さんのすぐそばに座り込んだアイシャさんは彼女を抱きかかえ、口を塞ぐ。

 この場から逃げ出さないように、あるいは僕達から守るようにアイシャさんは春姫さんを抱きしめていた。

 

「僕達が知っているのは、『殺生石』の儀式を行うということだけです。何故こんなことをするんですか? こんなことをする必要がどこにあるんですか?」

 

「【フレイヤ・ファミリア】を潰すため」

 

 返ってきた答えに思わず言葉を失う。

 端的にそう答えたアイシャさんは何かを抑え込むように胸に手を当てながら、計画の大要を僕達に語り始めた。

 

 ────春姫さんの『魔法(ようじゅつ)』を『殺生石』に封じ込め。

 ────石を砕き、『魔法(ようじゅつ)』を行使できる破片を量産し。

 ────その力を以て、【フレイヤ・ファミリア】を壊滅させる。

 

 馬鹿げている。

 都市の頂点に君臨する【フレイヤ・ファミリア】を倒す? 春姫さんの『力』で?

 春姫さんの『力』がどれほど強力でも、【イシュタル・ファミリア】の戦力では【フレイヤ・ファミリア】を……都市最強を倒すことは出来ない。

 無理だ、有り得ない、不可能だ……そう断言しようとしたところで、昨日の光景を思い出す。

 人造迷宮(クノッソス)の内部にいた、一柱の女神の姿を。

 

(断言……できない。もしも、あの赤髪の怪人(クリーチャー)が協力するなら、あの迷宮に【フレイヤ・ファミリア】が誘い込まれてしまうのだとしたら……)

 

【フレイヤ・ファミリア】の総戦力と春姫さんの『力』次第だけど、決して荒唐無稽な話じゃなくなってしまう。

 戦慄すると同時に、命さんから聞いた『殺生石』のある仕様を思い出す。砕かれた石の破片が一つでも紛失、あるいは壊れた場合、魂を奪われた(こども)はどうなるのかというもの。

 抗争となったら多くの犠牲が間違いなく出る。その犠牲の中で石の破片が一つもなくならない可能性はあるのか。あるわけがない。

 

「あんたらは知らないだろうけど、春姫の『力』は凄まじい……それを知ったイシュタル様が【フレイヤ・ファミリア】を攻め落とす計画を本格的に立てる程度にはね……」

 

眷属(ファミリア)を……家族を見殺しにするんですか!? 戦いの道具にして、使い捨てにして!?」

 

敵対派閥(フレイヤ・ファミリア)を倒せば、『殺生石』の中身は春姫に返すとイシュタル様は約束している」

 

 ふざけるな。そんな約束は最初から破綻している。

【フレイヤ・ファミリア】を相手にして、破片が全て無事に戻って来るなんて絶対にありえない。魂を粉々にされた春姫さんは絶対に元通りになんてなれない。

 

 僕達の糾弾の声に苦しそうな表情をしていたアイシャさんが仮面のような無表情を纏う。

 突然苦しみが消えたかのようなその姿に思わず言葉に詰まった。

 

「貴女はっ……それでいいのですか!?」

 

「……お前達は何もわかっていない」

 

 命さんの震えるような声の問いに、アイシャさんは首を振った。

 春姫さんを抱きしめる力を少しだけ強くしながら、ほとほと疲れたように彼女は述べる。

 

「女神の嫉妬ほど、面倒で厄介なものはない」

 

 ────その嫉妬で下界の有様を歪める。

 ────その嫉妬で人の運命を簡単に狂わせる。

 ────その嫉妬で戦争なんかも起こす。

 

 真に迫る声音で語るアイシャさんに二の句を告げなくなる。

 神の命令に背くことのできない殉教者のように、同時にそんな自分に苛立つようにアイシャさんは僕達を睨み付けた。

 

「馬鹿な娼婦の話をしてやる。いつも辛気臭い顔をしている狐人(ルナール)の小娘が、そいつは反吐が出るほど気に食わなかった。いくら世話をしてやっても何もかも諦めたように笑いやがる」

 

「……!」

 

「嫌気が差したその馬鹿な娼婦は過去に一度運び込まれたとある『殺生石(いし)』を八つ当たりして、ブチ壊した」

 

 彼女の口から語られるとある娼婦の話に僕達は目を見開く。

 彼女に抱き締められる春姫さんも何も知らなかったかのように驚愕して顔を振り上げる。

 

「すぐにその娼婦のやったことはバレた。クソッタレなヒキガエルに散々ボロクソにされた後、主神の手で頭がおかしくなるほど……『魅了』された」

 

 アイシャさんはずっと胸に押し当てていた手を僕達に向ける。

 その手は何かに耐えるように小刻みに震えていた。

 

「その娼婦はもうイシュタル様の命令には逆らえない。命令に背こうとすれば手足は震え、『殺生石(いし)』を壊そうとすれば立てなくなる……こうやって話すのもいつまで出来るか」

 

 先ほどまで見せていた苦しむような素振りにはそういう理由が……。

 震える手を強く握りしめたアイシャさんは口を閉ざした僕達をじっと見つめる。

 

「お前達は、あの女神の恐ろしさを何も理解していない。理解していなかったからこそ、春姫を奪いに来るなんて無謀な行動を取れたんだよ」

 

「っ……」

 

「まあ、ここまで来たことだけは褒めてあげるよ。それで? ()()()()はどうするんだい?」

 

 双眸を細めたアイシャさんが僕達の『ここから』を問う。

 

 ……これから春姫さんの身に何が起きるのかを改めて理解できた。

 ……それを防ごうとすれば、何が起きるのかも改めて理解できた。

 

 その上で、僕達はどうするべきなのか……。

 答えは出ず、僕達は言葉に窮した。

 

「……結局、その程度かい。少しは期待してここで待ってたんだけどねぇ……」

 

 アイシャさんは心から失望したような目をしていた。

 失望したまま、鋭い眼差しで僕達を射抜く。

 

「やっぱり駄目だね。お前達に……お前に春姫は任せられない」

 

 容赦のない眼差しは僕だけを見ている。

 有無を言わせないその眼光に僕はこの時、確かに気圧されていた。

 

「……知ってるかい、ベル・クラネル。何の気まぐれを起こしたのか知らないけど、春姫が私にあんたのことを話してきたんだよ。それはもう楽しそうに、嬉しそうにねぇ」

 

「えっ……」

 

 思わず、声が漏れた。

 呆れがほとんど、その中にわずかな嬉しさを混ぜた声音で話してくれたアイシャさんの春姫さんを抱き締める腕に力がこもる。

 動けないというのに慌ただしくしている春姫さんを見つめた彼女の眼差しにはほとんどの人が気付かないほどに小さな、けれども確かな慈愛が見えた。

 

「本音をっ……言えば、この子を笑わせたお前なら、何が何でも奪いに来るんじゃないかと……そう、期待していたんだよ……ああ、確かに私は期待していたんだよ、お前に」

 

『魅了』の効果が表れたのか、抗うように空いている片腕で胸を抑え、項垂れるアイシャさん。

 次に顔を上げた彼女の瞳にあったのは、『失望』……それだけだった。

 

「だが、確信した。お前にこの娘は救えない。お前には、覚悟が足りていない」

 

「っ……」

 

「敵対する覚悟も巻き込む覚悟も、お前には足りていない。春姫と心中する覚悟なんて語るまでもない。とことん期待外れだったよ、ベル・クラネル」

 

 何も、言い返せない。

 僕一人だったら、あるいは命さんと二人だったら、春姫さんのために【イシュタル・ファミリア】と敵対する覚悟はできたかもしれない。けど、僕は……僕達はもう一人じゃない。

 僕達が【イシュタル・ファミリア】と戦争を起こせばみんなを巻き込む。

 神様を、リリを、ヴェルフを……家族(ファミリア)以外の知り合った人だってそうだ。

【イシュタル・ファミリア】は僕達への報復という大義名分を得たら、交友関係を調べ上げて徹底的に見せしめにしてくるはずだ。

 

 それは、できない……みんなを巻き込む覚悟は、僕には……!

 

「今すぐこの場から消えろ。そして、二度とその面を見せるな。もしも、明日の儀式を邪魔するような真似をしたら……イシュタル様に献上して『魅了』の傀儡にしてやるよ」

 

 春姫さんが遠ざかる。

 体を動かしたら、手を伸ばしたら、届く場所にいるのに彼女はどんどん遠ざかっていった。

 

「…………」

 

「…………!」

 

 体が動いた。

 前ではなく、後ろへ。

 

 アイシャさんと春姫さんに背を向けて僕は部屋を出た。

 命さんの声が聞こえた気がするけど、何を言っているのかはわからなかった。

 

 情けなく、惨めに、アイシャさん達から逃げ出した僕達はいつの間にか春姫さんに案内された路地裏に辿りつき、僕達は立ちつくしていた。

 

 神様達と春姫さん。そのどちらかを選ぶしかなかったんだ。

 天秤にかかった両方を選ぶことなんてできない。

 

 だから、これは、仕方が────

 

「…………あの日から、僕は……何にも、変わってない……!」

 

 言い訳を続ける胸の内を黙らせる。

 手の皮が裂けるほどに強く握りしめた右手を壁に叩きつける。

 女神(アルテミス)様を救えなかった(ころした)あの時から、僕は何も成長していない。

 成長していたら、両方を選ぶ選択肢(みち)に進めた筈だ。なのに僕はどちらかしか選ぶことができなかった。

 

 覚悟のない自分に怒りを覚える。

 成長できていない自分に呆れてしまう。

 あまりに弱い自分に吐き気がする。

 

「こんなものがっ……『英雄』であってたまるか……っ」

 

 背中が熱い。僕の心に呼応するように。

 僕の胸の中を埋め尽くし、胸を焦がすこの感情は一体何なんだろうか。




ここまで見ていただきありがとうございました。
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