歓楽街より帰還したベルは、治療院のベッドの上で眠れぬ夜を過ごした。
無理矢理眠ろうと目を閉じても、瞼の裏に春姫の笑みとアイシャの瞳が浮かぶ。
無力への怒りが少年を眠らせない。
「ベル君?」
「……あ、はい。どうかしましたか、神様?」
バイトを休み、様子を見に来てくれたヘスティアの声に反応が遅れる。
慌てて取り繕った笑顔を浮かべるも、彼女はじっとベルの事を見つめていた。
「昨日の夜、眠れなかったようだね。何かあったのかい?」
「それは……」
見透かされている。
そう気付いたベルは口を噤む。神に嘘は通じないが故の本来なら正解の行動ではあったが、この場においては愚策も愚策。
「答えられない、という事は何かがあったのは間違いないみたいだね」
「う……」
見ず知らずの神からの問いならまだしも家族である主神の問いに答えないという選択は隠し事をしていると言っているようなものだ。
彼女の瞳に見つめられ、言葉に窮するベルは正直に答えるべきか否かを迷っていると、そこでヘスティアが表情を僅かに緩めた。
「ベル君、もし絶対に話したくないって思っていないのなら、ボクに話してくれないかい? 誰かに相談……吐き出したいことがあるんだろう?」
「……でも、これは……」
「吐き出したい気持ちがあるのに話してくれないのならその腕が完璧に治るまで聖女君にお願いしてベッドの上に磔にした上で監視も付けてもらうよ。それが嫌なら、ボクに話すことだね」
話さないという選択肢を潰してくる女神の笑みにベルは思わず面食らう。
動きを止められた上に見張られてしまえば、話す話さない以前にそこで終わりだ。
彼女が消えるその時にベッドの上で何もできないなど、絶対に避けなければいけない。
「っ……昨日の夜、病院を抜け出して、歓楽街に行きました」
「うん……それで?」
「春姫さんの事情を知って、彼女を助けたいと思いました……でも……できませんでした……!」
「……どうして?」
「……神様達を、巻き込んでしまうから……それだけは駄目です……!」
ベルの途切れ途切れの言葉をヘスティアは静かに待った。
苦しそうにするのならその背に触れ、震えが見えるのならその手に触れて。
「アイシャさんに言われました。僕には覚悟が足りないって……本当に、その通りです。春姫さんを助けたいと口では言いながら、みんなを巻き込む覚悟も、【イシュタル・ファミリア】を敵に回す覚悟もなかった」
「…………」
「天秤の片方しか、僕には選べませんでした……僕は、あの人を選べなかったあの日から何も成長していなかったんです……」
自嘲するようにベルは笑う。
俯く自身の眷属に女神は何も語らない。静かに少年に寄り添うだけ。
「……話を聞いてくれてありがとうございます、神様。それと、また歓楽街に行ってすみません」
「遊んでないってわかってるから大丈夫だよ。話をして、少しぐらい気分は晴れたかい?」
「話さないよりは……そうですね」
俯いていた顔を上げ、隣のヘスティアにベルは笑みを浮かべる。
強がり混じりのその笑みに目を細めた彼女は口元に浮かべていた笑みを消し、一つ切り出した。
「さて、ベル君……
「……えっ?」
透き通るような青が
僅かに神威が漏れる彼女の姿にベルが思わずたじらう。
「今の君の話には『嘘』があった。それはもう盛大なものがね」
「う、嘘……? 嘘なんて、僕は……」
「君自身、気付いていない、あるいは無意識のものかもしれない。それでもはっきりと、君の言葉の中には『嘘』が混じっていたよ」
「き、気付いていない? 無意識?」
ヘスティアの説明を受けてもベルには全く理解できなかった。
嘘を吐いた覚えはなく、そもそも嘘を吐く理由がない。
どこに嘘があったのかを思い返しながらあたふたするベルにくすり、と笑ったヘスティアはベッドに座る少年の目の前に立ち、その髪を両手でくしゃくしゃっと撫でまわした。
「か、神様っ?」
「命君とタケから話は聞いてる。今夜が刻限なんだろ? もう一度、自分の胸に手を当てて、よく考えてみるんだ。君はどうしたい、ベル君?」
神として、
女神の手から解放された少年は言われたまま、胸に手を当てて、考え込む。
「僕は……」
その姿を見たヘスティアはそっと側を離れ、扉へと向かう。
扉を開こうとした彼女は少年に背中を向けたまま、最後に言葉を紡いだ。
「ベル君、これだけは覚えておいてくれ……ボクは何があっても君の味方だよ。どんなことをしたって、世界が君のことを否定したって、ボクだけは君を受け入れる、君の側にいる」
「……!」
「もしかしたらヴェルフ君にリリルカ君、命君も側にいてくれるかもしれないね。後はあの二人も……かな?」
顔を上げたような気配があったが、ヘスティアは振り返らず、部屋を出た。
これ以上話しておくことはない。後は
どのような選択を執るにせよ、今日の夜には全てが決まる。ヘスティアは何が起きようと少年の傍にいるべく、彼が帰る場所である
「…………ああ」
ヘスティアが去った治療院の一室。
胸に当てていた手を力なく放り投げたベルは一度目を閉じる。
脳裏に浮かぶアイシャの失望した瞳、春姫の全てを諦めた笑み。
ドクン、と心臓が強く鳴る。
失望の瞳には見返したい、全てを諦めた笑みには救いたい、と。
戦う理由として十分過ぎる想いは既に胸の内に宿っている。
しかし、もう一つ。
春姫達への想いと並ぶ思いが少年の中に芽生えていた。
彼女達の瞳と笑みをかき消すように、脳裏に浮かぶ人造迷宮の光景。
レフィーヤ達と共に行動した時に見えた、女神の相貌。
迷宮に呑まれた【ロキ・ファミリア】の団員の姿。
【イシュタル・ファミリア】の主神は、
ズクン、と心臓が強く騒ぐ。
直接的にではない。だが、
あれを野放しにすることは出来ない。万が一女神の計画が成功してしまえば、
どのような力を発揮するにせよ、みすみす強化させるわけにはいかない。
「……でも、それ以上に僕は────」
閉じていた目を開く。
初めの出会いは24階層の
【ヘルメス・ファミリア】やアイズ達と共に戦い、そのおぞましさを知った。
次の出会いは偽りの雪原。
その次の出会いは
仲間達と共に戦い、何か一つ間違えれば、仲間達を失っていた。
そして、
尊敬する【ロキ・ファミリア】と共に戦い、一時的だったとはいえ仲間として共に戦った人達を目の前で奪われ、敗北した。
芽生えたもう一つのベルの思いは単純明快だった。
「────あいつらが、憎いんだ」
反吐が出る程、憎いというだけだった。
少女の救済と
解放された左腕を何度か動かそうとする。やはり、あまり動かないが痛みはそこまでない。戦闘では全く使い物にならないだろうが、体の痛みがあまりないのなら戦える。
それを確認すると、ベルは窓を開き、下を通る人が少ないタイミングを見計らい屋根へと上がる。そのまま屋根を駆け、少年はある場所へと向かうのであった。
【ヘスティア・ファミリア】
その一室、自らに与えられた自室の中で命は歓楽街と【イシュタル・ファミリア】の情報をまとめた紙と睨みあっていた。
昨晩の話を聞いて簡単に引き下がるほど、彼女の物分かりは良くない。突き付けられた現実に抗い、大切な友を救うために命は考え続けていた。
「……一体、どうしたら……っ」
だが、解決策は何一つとして思いついていない。
情報を整理すればするほど、解決策を考えれば考えるほど、この状況を覆すことが出来ないと理解させられてしまう。
こうして考えている間にも刻一刻とその時は迫っている。その焦りが彼女の思考に
「……春姫殿を救えないのなら……『殺生石』を狙えば……」
一つ、そんな考えが浮かんだその時、屋敷が俄かに騒がしくなる。
何かあったのかと、部屋を出た命は玄関に向かった所でその目を見張った。
「だ、脱走してきたのですか!?」
「うん。驚かせてごめんね」
「それはまあいい……いや本当は良くないが、何かあったのか?」
「ちょっとね……命さん、丁度良かったです」
玄関先でヴェルフとリリと話をしているのはベルだった。
騒ぎの中心にいる少年は命を見つけるとすぐに彼女の側へと寄る。
「二人だけで話したいことがあります。大丈夫ですか?」
「っ、はい! 自分もベル殿に相談したいことがあります!」
突然のベルの行動とその言葉から昨夜の件についての話だと気付いた命は聞き返すことなく即座にそれを承諾。ベルと共に応接室へと向かおうとする。
「待ってください、ベル様! 色々と聞きたいことがありますがそれは一旦置いておきます。その話はリリ達が同伴してはいけないお話なのですか!?」
「……ごめん、今は話せないかな。ボク達の中でもその話について何も決まってないから」
「そうか……俺達に出来ることは何かあるか?」
「ボクと命さんの武器と防具の整備をお願いしてもいいかな。優先してほしいのは武器の方で」
「任せろ。リリスケ、ちょっと手伝え」
「ええっ!? ……はぁ、仕方ないですね。ひっじょーに気になりますが、無理に聞き出す訳にもいきません。ただし、お話が終わったら……いいえ、全部終わったら、そんな体で脱走してきた理由なども含めて根こそぎ話してもらいますからねっ!」
必要以上に踏み込まない二人にベルは目線で礼を送る。
ヴェルフの工房へと向かう二人を見送ったベルと命はそのまま応接室へと向かった。
「話と言うのは春姫さんの件についてです。命さんの相談も同じだと思いますが、どうですか?」
「ベル殿の言う通りです。春姫殿について、もう一度貴方と話をしたかった」
互いの話の内容が同じものだという事を確認したベルは一度頷く。
そして、何も取り繕うことなく自分の意志を彼女に告げた。
「命さん、ボクはあの人を助けに行きます」
揺るぎない意志の込められた眼差しに射抜かれた命は目を見張った。
願望ではなく、既に心が決まっているベルに少女は肩を揺らす。
「春姫殿を助けに行きたい……その気持ちは自分も同じです。ですがっ、その後はどうするのですか!? 春姫殿を救えたとしても【イシュタル・ファミリア】は永遠に自分達を追ってきます! 追ってくるだけでなく、自分達が関わった人達にも報復の手が……!」
春姫を救えたとしても、【イシュタル・ファミリア】は彼等を永遠に追い続ける。
その過程で彼等に関わった多くの者が傷ついてしまうだろう。
最も恐れるべきなのは自分達以外の誰かを巻き込む未来。
そんな未来が訪れてしまえば、春姫を助けられたとしても心の底から笑う事なんてできない。
それを理解した上であの少女を助けに行くのかと、命は眦を吊り上げた。
「もしもそんなことになってしまえば春姫殿も、自分も、ベル殿も……誰も幸せになれません! 別の方法を探す、べき……」
そこまで叫んだところで命の言葉は尻すぼみとなった。
別の方法など彼女の中には何も浮かんでおらず、それを探す時間もないと知っているから。
「大丈夫です、命さん。ボクも考えなしにそんな提案をしたわけじゃないですから」
「……何か、思いついているのですか?」
顔を上げた命はベルが微笑んでいることに気付いた。
安心感を覚えるような柔らかな笑みに解決策があるのかと、顔を明るくする────
「【イシュタル・ファミリア】を滅ぼします」
────そして、すぐにその顔を凍り付かせた。
思わず、乗り出していた身を退く。
笑みは変わらず浮かんでいる。だが、その笑みはどこか冷たさを感じるものに変わっていた。
「ほろ、ぼ……何を……言って……?」
「そうすれば春姫さんも助けられますし、追われることも報復を恐れることもない。元を絶つことができれば、ボク達の勝ちです」
愕然とする命を置いて、ベルは話を続ける。
「あ、もちろん滅ぼすと言っても【イシュタル・ファミリア】の全てをというわけではありません。狙うのは……女神イシュタル様だけです」
狙うのは主神のみ。
娼婦などの非戦闘員は当然として、向かってこない限りは団員達もなるべく傷つけない。
【イシュタル・ファミリア】を滅ぼすとは言ったものの、正確には【ファミリア】を解散させることが目的だと、詳しく語るベルにようやく命の理解が追い付き始める。
「イシュタル様を捕らえる……そんなことが出来るのでしょうか? イシュタル様の周りには当然護衛もいるでしょうし、そこまで向かうのにどれだけの
「もちろん、そう簡単なことではないです。でも……今のボクにならそれができます」
ベルのその言葉を聞いた時、命はずっと抱えていた違和感が強まり、眉を顰める。
何か様子がおかしいと、指摘しようとした彼女は……それを押し殺した。
過激なことになってしまったが、目的は変わっていない。春姫を救い、【イシュタル・ファミリア】の手から逃れられる方法も思いついていない。
「いえ……ボク達になら、ですね。命さん、力を貸してください」
だから命は、その手をとった。
春姫を救う為に、【イシュタル・ファミリア】と戦う覚悟を決めた。
「決行は夕陽が落ち、月が見え始めた頃。潜入するのは昨夜と同じ場所から。それまでは休んだり、
時間になれば迎えに行く、と告げて去るベルを見送った命は一人、佇んでいた。
心の中に迷いがある。あの
「いえ、今はこれでいい。春姫殿を救う為なら、自分は……!」
頭を振り、迷いを胸の奥へ押しやった命は応接室を出て、外へと向かう。
彼女の足が向かうのは、【タケミカヅチ・ファミリア】の
「『殺生石』の存在を知られたァ~?」
多数の
儀式は今夜。殺生石の儀式の準備の為に集まった彼女達の中心にアイシャはいた。
「誰かはわかってるのか?」
「【ヘスティア・ファミリア】の兎だよ。どこかで春姫と会ったのか、妙な正義感を働かせて探りを入れてるって情報が今日、届いた」
「……まあ、問題ないんじゃない? 兎を相手できるのはアイシャとフリュネぐらいだけど、あの子一人で私達全員に何かできるとは思えないよ」
アマゾネス達が口々に突然現れた不穏分子に見解を述べる。
レナの言葉に賛同する者が多いが、賛成反対問わず、アマゾネス達はたった一人の存在に警戒を払わずにはいられなかった。
第一級冒険者以外の他の誰かであれば、誰が来ようと捻じ伏せ、食らうことができる。
だが、彼女達は知っている。不穏分子の少年が不可能を可能にする力を持っていることを。
「あのクソガキ一人にビビり過ぎじゃないかァ? 儀式をするのはアタイらの
アマゾネスらしくない慎重さを発揮する団員達に呆れた声を漏らすフリュネは一本の短剣を取り出した。【フレイヤ・ファミリア】用に用意していた
儀式の中断はありえない。儀式を阻止されるなど以ての外だ。
もし現れたのなら試運転でもしたらいい、と粘ついた瞳で見つめられたアマゾネス達はそれがどこから提供されたかも知らずに互いに頷き合い、獰猛な笑みを浮かべた。
「そもそも来ない可能性の方が高いだろォ? 春姫の為だけにアタイらのところに一人で来るんだったら、神時代始まって以来の大馬鹿者だよ!」
「来るよ、あの坊やは」
高笑いするフリュネを一瞥したアイシャは淡々と告げた。
訝しむフリュネ達には視線もくれず、彼女は大窓の外を見下ろす。
「雄の顔はしていなかったが、あの目には……」
眼下に広がる歓楽街に向かって、アイシャは呟いた。
「確かな、『怒り』があった」
自らへの怒りや【イシュタル・ファミリア】への怒り。
多くのものを内包した怒りが、あの目にはあった。
期待していたものとは違う。
しかし、向かってくるのなら何でもいい。
覚悟がないとアイシャはベルに突きつけた。
それを訂正することになるかもしれないと、少年の目を思い浮かべて彼女は静かに笑う。その笑みの真意を知る者は春姫のみ。
アイシャが笑みを浮かべたのと同時刻。
春姫は宮殿の一室で窓の外を見る。空では陽が沈み始め、月が顔を見せていた。
もうその時が迫ってきている。
震えを押し殺した彼女は少年と少女がいるであろう街の方角を静かに見つめていた。
空に蒼い闇が広がっていく。
満ちた黄金の月がその姿を露わにする。
月の光が荒廃した路地裏に差し込み、たった二人、天高くそびえる女神の迷宮と対峙する冒険者を照らし出した。
「行きましょう、命さん」
「はい」
二人の作戦は至って単純。ベルが囮として暴れて、命が救い出す。
緻密な計画は二人では立てることも実行することもできない。故の単純な作戦。
今のベルにはそれが最も合っていた。
「それではベル殿……ご武運を」
「命さんも、春姫さんをお願いします」
短い言葉を交わし、二人は分かれる。
誰にも見つからぬよう、宮殿近くの物陰へと移動したベルは
宮殿の前庭には門兵のアマゾネス達が多く配置されていた。しかし、その中にアイシャとフリュネの姿はない。
それを確認したベルは物陰から前庭の中央へと姿を現した。
「なっ……!?」
「【ファイアボルト】」
前庭に音もなく現れた少年の姿にアマゾネス達が虚を突かれる。
十秒分の
白光を纏った大炎雷が宮殿の正門へと炸裂し、その余波のみで前庭と門前にいたアマゾネス達を一掃する。動く者がいなくなった前庭を抜け、ベルは宮殿内部へと進撃を始めた。
「侵入者だ!」
「数は!?」
「ひ、一人っ、【リトル・ヒーロー】が単独で────」
瞬く間に怒号一色に染まった宮殿内をベルは疾走。
目の前に立ち塞がる者のみを相手取り、相手取った者の意識を一瞬で刈り取りながら、少年は上へ上へと雷の残滓を残して駆け上がっていく。
「止まれえぇーーーー!?」
雷の如き速さを前に
矢を射かけようとも、魔法を撃とうとも、敵の姿を捉えられない。
だというのに雷は自分達を完璧に捉え、確実に数を減らされる。それはもはや戦闘などではなく、一方的な蹂躙と言えるものであった。
(やっぱり数は多いな……命さん、上手く侵入できてたらいいんだけど……)
なるべく目立つようにベルは逃げる。
その中でもベルは敵の数……主にLv.3を削ることを意識していた。
春姫の救出とは別、もう一つの作戦を果たす為に。
(イシュタル様を見つけた時に数が揃ってたらちょっと面倒だ。囮になってる今の内に削れるだけ削っておきたい)
春姫の救出とは別、女神イシュタルの捕縛。
たとえ春姫を助け出せたとしてもそれが達成できなければ、本当の平穏は訪れない。
「こいつ、まさか本気で私達を相手に一人で……!?」
とはいえ、儀式の完遂前に春姫を助け出せなければ女神を捕縛できても意味がない。
最優先はあくまで命を春姫の元へと辿り着かせることだ。
それを胸にベルはとにかく暴れた。誰が見ても囮とは思えないほどに。
「【ファイアボルト】」
無詠唱とは思えない威力の炎雷が通路の先に見えた窓ごと、アマゾネス達を外へと吹き飛ばす。爆炎と共に舞うアマゾネス達の後に続き、ベルも外へ。屋根を足場に上階へと駆け上がる。
その姿とアイシャの忠告により、少年の狙いを理解した
「恩に着ます……ベル殿」
他方、ベルが暴れ回る宮殿正面とは真逆側。
裏口よりあっさりと侵入した命は僅かに残る
(
上階をしばらく駆け上がった命は警備に投入されている数とその質に思わず目を細める。
現在地はおよさ二十階。ここに至るまでにやり過ごした
警備が薄くなるほどに一定以上の強さがある人員がたった一人に投入されている。
戻ってくる気配が欠片もないということは未だ彼は大暴れしているのだろう。
(一体、ベル殿はどれだけ……そもそもあれは本当に────)
ベルが浮かべた笑みが命の脳裏を掠める。
あの笑みと言葉から命はベルの様子がおかしいことに気が付いていた。
春姫を救う為に指摘こそしなかったが、ここでの暴れ方と組み合わさり、ここに来てその違和が強く、大きくなる。
「……全てが終わってから話せばいいことです。今は目の前のことに集中しなければ……」
もう一度、その違和を押し殺し、命は窓から外に出る。
外壁を伝って、彼女は上方に見える僅かな明かりが漏れる一室を目指した。
「乗り込んで来ただと?」
贅をつくした
「宮殿中のLv.3以上が対処に回っているようですが、全く相手になっていないと。今はフリュネとアイシャが向かっているようです」
「今来たという事は狙いは春姫だな。あの兎と狐がいつの間にか接点を持っていたとはね……」
青年従者タンムズの報告にイシュタルは片手に持つ
「ヘルメスにでも聞いて、無駄な正義感にでも駆られたのか。少し考えれば無謀だと理解する筈だろうに……それだけあいつに惚れたのか?」
女神はおかしそうに目を細め、
「タンムズ、兵を退かせろ」
「!……よろしいので?」
主神の言葉にタンムズは瞠目する。
驚愕する従者を尻目に、イシュタルは妖しい笑みを浮かべた。
「興味が湧いた。私自ら出向いてやる」
女神は
彼女の視線の先にあるのは歓楽街の一角。ベルが戦っている宮殿の一角である。
その『眼』で何かを追っていた女神は一度瞳を閉じる。次に開かれたその銀の瞳には、冷酷な光が宿っていた。
「オッタル」
「ここに」
椅子から立ち上がり、自らの側で臣下の礼を執る従者の名を呼ぶ。
「イシュタルは線を越えた」
彼に一瞥もせず、銀の双眸を細めた女神────フレイヤは底冷えする声で言い放った。
「今までの悪戯なら笑って許してあげたけど……駄目よ、
号令をかけなさい、そう彼女の命を受けた従者────オッタルは女神に一礼。
そして、大音声を解き放った。
「武器を取れ!! 我等の女神が望むのは戦場の宴だ!!」
女神の命のもと待機していた都市最強派閥の眷属達が揃って軍靴の音を踏み鳴らす。
武器を用意し、迷うことなく駆け出していく、その一糸乱れぬ動きは忠誠の証だった。
百を超える眷属達が女神の神意のもと一斉に動き出す。
「……気に食わないわね」
周囲が喧騒に包まれる中、オッタルを側に引き連れたフレイヤはぽつりと呟いた。
「何がでしょうか」
「この流れが、よ……まぁいいわ。今はそんなことよりも大事なことがある」
どこかの
しかし、今は言葉通り、そんなことよりも大事なこと……彼女がその『眼』で、より近くで確認しなければいけないことがあった。
「あの子の『魂』に澱みが見える……その形の変質は認められないわ」
フレイヤが見初めた少年の透明な『魂』。
なるべく手は出さないと決めていたが、黒く穢していくその澱みは彼女にとっても、少年にとってもあってはならない変化。
「私も出るわ。準備が出来次第、行きなさい」
イシュタルを滅ぼし、魂の変質を防ぐ、あるいは抑えるべく、彼女はホームを出る。
自分を敵視する『美の神』を初めて敵と認めた女神が玉座から立ち上がり、眷属達と共に【イシュタル・ファミリア】への進攻を開始した。
ここまで見ていただきありがとうございました。