二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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白兎侵攻

 ベルは宮殿三十階を走破しようとしていた。

 途切れない戦闘娼婦(バーベラ)の襲撃を回避、迎撃しながら大階段を駆け上がっていく。

 数の利、地の利を活かし攻め立てるのは戦闘娼婦(バーベラ)達。しかし、有利に事を運んでいるのはベルの方であった。

 不利な状況など物ともせずに、当初は纏っていた雷の付与魔法(エンチャント)すらも温存する少年は額に薄く汗を滲ませながら、続々と集結する女戦士(アマゾネス)の軍勢を引き付けていった。

 

「────どきなァァッ!!」

 

「来た……!」

 

 宮殿中央、吹き抜けの廊下を駆け抜けようとしたその時、頭上より大銀塊が飛来する。

 高速回転する大刃────大戦斧を回避したベルは先ほどまで自分がいた場所を階下まで貫通していった斧には見向きもせず、待っていたとでも言うように頭上を見上げた。

 

 視線の先、遥か上階の廊下に立つのはニMを超す巨女。すぐ側には黒い長髪の女傑。

【イシュタル・ファミリア】最強格であるフリュネとアイシャの姿にベルは目を細めた。

 

「アタイが恋しくて戻ってきたのかぁ~い? 感激じゃないかッ!! アタイもアンタが恋しくてたまらなかったところだよォッ!!」

 

 他の団員に用意させた新たな二本の大戦斧を手にしたフリュネが階下の少年に熱を帯びた視線を向ける。そして次には分厚い口唇を吊り上げ、床を蹴った。

 

「今、会いに行くよォ!!」

 

 頭上の階から飛び降りたフリュネの顔にこの状況下においても原始的な恐怖を覚えたベルは思わずその場から全力で回避。

 吹き抜け沿いの廊下からいくつもの部屋が並ぶ通路へと全力で逃げ込む。背後では舞い降りた巨女が床を轟然と砕き、周囲一帯を揺るがしていた。

 

「兎の後を追うのはあのヒキガエルに任せな! 他の奴らは全員あそこに集まるんだ!」

 

(アイシャさんは、来ない……?)

 

 芽生えてしまった恐怖を振り払ったベルは廊下でアイシャの鋭い指示を耳にする。

 冷えた頭が様々な攻勢を思い描き、瞬く間に次の一手を選択。

 後退から即座に反転。目の前から迫るフリュネへと肉薄した。

 

「なんだ、アンタもヤる気じゃないかァ!!」

 

「ッ!!」

 

 急接近を仕掛けたベルにフリュネは動揺せず、大戦斧を上段から振り下ろす。

 繰り出された縦断の一撃に対してベルはさらに踏み込むことで大刃の間合いから逃れた。

 大戦斧の柄を掠めるように懐へと潜り込んだ少年は剣を振り抜こうとする。

 

「小賢しい!!」

 

 しかし、それをフリュネは自らを駒の如く回転させることによって防ぐ。

 視界の端から迫る振り下ろしていた斧の柄が側頭部を掠め、ベルを懐から追い出した。

 まるで投げ飛ばされたようにフリュネの背後へと飛ばされた少年は飛ばされた勢いを緩めず、それを利用し、距離を取る。

 間合いを空け、床に刺した剣を軸に反転したベルは振り向こうとするフリュネの背中へ右腕を突き出した。

 

「【ファイアボルト】!」

 

「ちぃッ!!」

 

 咆哮を上げる無数の炎の雷。

 激しく舌を鳴らしたフリュネは斧で打ち払おうとするが、迎撃が間に合わなかった一部の炎雷は彼女に着弾。その体を大きく吹き飛ばす。

 

「あァ……効くねェ♡」

 

「う……」

 

 瓦礫の中から飛び出してきたフリュネの恍惚とした表情に床に刺した剣を抜いたベルの肌に鳥肌が立つ。

 絶対に逃がさないと熱のこもり過ぎた瞳は爛々と輝き、侵入者を捕らえるという目的はとうに忘れていた。

 ただ目の前の雄を食らうことだけを考える本能の化身と化したフリュネが口端を引き裂き、ベルへと猛襲を仕掛ける。

 

「イシュタル様に引き渡すのはやめだぁ、アンタはアタイが一生飼ってやるよ!!」

 

「そんなのは、ごめんです!」

 

 吹き抜けの廊下を抜け、どこかの広間へと辿り着いたベルは斧を振り回すフリュネに応戦。

 黒剣と衝突した大戦斧の風圧が肌を斬り裂き、衝突の余波が広間を震わせる。

 

「まだまだイクよォ!!」

 

 二人の戦闘は激しさを増す。

 壁に、天井に、床に、深々と残る斬撃の爪痕。数分も経たないうちに彼等がいる広間は崩れかけ、戦場の移動を余儀なくされる。

 無論、移動中も戦闘が止まることはない。部屋、廊下、階段、果てには外壁までもが今の二人には戦場であり、気を抜けばやられる死地でもあった。

 

「しぶといねェ……!」

 

(舐めてたわけじゃないけど、やっぱり強い……第一級冒険者……!)

 

 万全な第一級冒険者との訓練などではない本気の戦闘。

 表面上は平静を保ちながらも内心ではこのままでは勝てないと歯噛みをするベル。

 戦況は互角。Lv.4でありながらLv.5と互角などあまり類を見ない事だが、両者の実力はほとんど拮抗していた。

 

「……うん、使おう」

 

「あん?」

 

「【目覚めよ(ブロンテ)】────【ケラウノス】」

 

 その均衡を破るべく、ベルは雷を呼び起こした。

 短い詠唱と共に生まれた雷を一目見た瞬間、フリュネは表情から余裕を消し、階層主との対決に備えるが如く、警戒心を最大まで引き上げる。

 そして、戦闘が再開された。ベルの圧倒的攻戦、フリュネの圧倒的防戦という形となって。

 

「なぁ……!?」

 

 ただの振り上げが砲撃のような威力となって防ごうとした斧ごとフリュネの上体をかちあげる。

 無防備を晒す腹部に追撃の回し蹴りを受けた彼女の体が鞠のように地面を跳ね、通路を飛んでいく。視点が二転三転とする中、なんとか立ち上がるが、直後に迫ったベルの連撃に彼女は見る見るうちに宮殿の奥へと追い込まれていった。

 

「調子にぃ……乗るなアァァァァァッ!!」

 

 地面を強く踏みしめ、強引に斧を振り回す。

 当たれば如何に優勢だったと言えど形勢が覆る大戦斧の豪閃を────ベルは剣を滑らせ、斬り払う。そして、目を見開くフリュネに肉薄し、巨大な腹部へ渾身の蹴撃を見舞った。

 

「ぐげェ!?」

 

 たった数分。

 互角であったフリュネとの戦闘をそれだけで制したベルは彼女が吹き飛んでいった広間の中へと足を踏み入れる。踏み入れた直後、そこで広がる光景に目を細めた。

 

「アイシャさん……」

 

 視界に広がったのは四方を囲むように配置されている戦闘娼婦(バーベラ)の軍勢。

 大階段がある広間を埋め尽くさんばかりのこの数を指揮したのであろう女傑の名前を思わず呟いたベルは彼女と視線を交えた。

 

「まさかあのヒキガエルとここまで戦えるとはね。まるで別人だよ」

 

「別人なんてそんな……ボクはボクですよ、アイシャさん」

 

 二人が言葉を交わすも、その場の空気は一触即発。

 ここまでの立ち回りとフリュネとの戦いによって女戦士(アマゾネス)達は委縮……などするわけがなく、ウズウズしている者に熱っぽい視線をベルへと向けている者までいる。

 四方を見遣ったベルは歩を進め、荘厳な柱と窓が並ぶ広間、その中央で立ち止まる。

 自ら囲まれる形を取った彼の姿にアイシャが目を細め、周囲の戦闘娼婦(バーベラ)達に指示を出そうと片手を振り上げた、その時。

 

「下がれ、お前達」

 

 頭上よりアマゾネス達に声が投じられた。

 その声に、ベルが微かに笑みを浮かべたのをアイシャは見逃さなかった。

 場にいる戦闘娼婦(バーベラ)達が驚きながら振り向いた先、大階段の奥からゆっくりと絶世の美貌を誇る褐色の女神が煙菅(キセル)を片手に下りてくる。

 見る者を惑わせる『美の神』イシュタルは自分のみを静かに見据えるベルの姿を愉快そうに見下ろしていた。

 

「ど、どういうことだぁい、イシュタル様ァ!? いきなりしゃしゃり出てぇ!!」

 

 背後に従者を引き連れる主神に物怖じせず、フリュネは怒声を響かせた。

 敗北の屈辱か、戦いに水を差された事への憤怒か、顔を真っ赤にする女戦士(アマゾネス)の長を、イシュタルは一瞥する。

 

「聞こえなかったか、フリュネ。下がれと私は言った」

 

 紫水晶(アメジスト)のごとき瞳が何の感慨もなく向けられる。その声音にはただ一つ、『逆らうな』という絶対の神意が込められていた。

 フリュネの裂けた口端が引き攣る。戦闘娼婦(バーベラ)達から戦意が失われていく。

 目の前に(おす)がいるというのに、彼女達は次々とその武器を下ろしていった。

 

「お前達全員、『殺生石』の儀式へ向かえ。今度こそ必ず成功させろ、失敗は許さん」

 

 刃向かうことを許さない神命に戦闘娼婦(バーベラ)達が一も二もなく動き出す。

 一人、また一人と従順に広間を後にしていく。瞳を歪めるように細めるアイシャもまた主神(イシュタル)をしばし見つめた後、黒髪を翻し去っていった。

 その背中をベルが見つめていると、去り際、肩越しに自分を見遣ったアイシャと目が合う。

 

 完全撤退していく女戦士(アマゾネス)達。最後の一人が広間を出た次の瞬間、何の前触れもなく、タンムズがベルの前へ肉薄した。

 行く手を阻むように立つ美丈夫に一瞥すら寄こさず、ベルはイシュタルを見据える。

 彼女は微笑みを纏いながら階段を下り、少年へと近付いて行った。

 

「よく来たな、処女神(ヘスティア)の眷属よ。()とは言え単身で乗り込むとは、思った以上に気骨がある。これだけの暴れ方からして、囮の作戦とは違う別の目的がありそうだがな」

 

 全てを見透かしているかのような紫水晶(アメジスト)の瞳。

 臆することなく、その瞳をベルは正面から見据える。

 

 途端、何かが魂に干渉するかのような気味の悪い感覚に襲われた。

 優しく、ドロドロに溶かしてくるような感覚に少年は気付かれない程度に眉を顰める。

 

「さて、こうして会うのは二度目になるか。最初に目にした時はあの女神(おんな)の趣味を疑ったが……なるほど、撤回しよう。中々いい面構えをしている」

 

「……聞かせてください」

 

 面白そうに笑っていた女神はベルの言葉に眉を上げる。

 次には彼の表情を見て、その笑みを消した。

 

「どうして、春姫さんを犠牲にするんですか?」

 

「……貴様、私を前にして他の女の話が出来るのか」

 

 正面から美の神(じぶん)を見つめるベルにイシュタルは煙管(キセル)を吹かす。

 面白い男だ、と少年自身に興味を示した彼女はベルの問いに答え始めた。

 

「まず春姫は私が買った。汚い男どもの家畜に成り下がるところを救ってやったんだ。むしろそんな女をこうまで重宝しているのを感謝してもらいたい」

 

 歓楽街に売り払われたとは名ばかりで、春姫は物好きの豪商達の慰み者になろうとしていたという事実に、ベルの表情が揺らいだ。

 それに機嫌を良くしたイシュタルは自分と春姫の出会いをさらに語る。

 

「私が拾った命だ……親の為に子は尽くすものだろう?」

 

「そんな……!」

 

「それになぁ、ベル・クラネル。私は春姫を殺そうだなどと思ってはいない。あの女神を倒せば、あいつの魂は返してやる。少しの間借りるだけだ」

 

 あの日、アイシャが語ったものと同じ答えにベルは奥歯を噛み締める。

 全てが終わった後、春姫が元通りに帰って来る可能性は皆無。イシュタルの言葉は虚言で、聞くに値しない戯言でしかない。

 

「言っておくが……春姫は私が手を下さずとも、他の誰かの手で同じ運命を辿る。あれが秘める『力』は()()()()()()()

 

「……!」

 

「震えたぞ……あの娘に恩恵を刻み、あの『力』を見つけた時、この『力』をもってすればあの気に食わない女神を引きずり下ろすのも可能だと!?」

 

 春姫の『力』を話し始めたイシュタルは狂気を露わにした。

 力に呑まれた下界の子供のように。

 

「春姫は私の切り札だ! フレイヤを奈落に突き落としてやる!!」

 

「……たとえ春姫さんがどれほど強力な力を持っていたって、今の【イシュタル・ファミリア】では【フレイヤ・ファミリア】を倒す事なんて出来ません」

 

 わずかな時間とはいえ、『最強』に鍛えられたからこそ、ベルはそう呟く。

 状況が整えばあるいは、とは考えはしたものの整えるまでにどれだけの犠牲が出るか……そもそもその準備が整う前に攻め込まれでもしたら────

 

 ベルが思考を重ねた次の瞬間、それを遮るようにイシュタルはその眦を裂いた。

 

「貴様もか!? 貴様もあの女を称えるのか!? ふざけるな!! あのメス豚のどこが私を上回る!! 貴様らの目は節穴か!?」

 

 床に叩きつけるように、女神は嫉妬を爆発させる。

『下界の人間』では到底及ばない激情の発露にベルは初めてイシュタルに気圧された。

 

「……称えてなんていません。ボクはただ事実を述べただけです。今の貴方達が【フレイヤ・ファミリア】に勝てる可能性は限りなく低い。そんな戦いに春姫さんを利用していいわけがない」

 

 圧された気持ちを前に出すように、一歩踏み出す。

 神と子供の睨み合いが続く。神威を浴びても自らの意見を変えず、臆さない子供に女神は驚き、激情が収まっていく。やがて、完全に落ち着いたのか薄く笑みを浮かべた。

 

「貴様はあの『力』を知らんからそのような態度を取っていられるんだ。儀式が終わり次第、『魅了』した貴様に真っ先に春姫を使わせてやろう。光栄に思え?」

 

「…………」

 

「それにだな……貴様は春姫を利用と言ったが、私が血も涙もない神だったら、春姫を『魅了』しつくしてとうに人形にしているさ。私の命令だけを聞く、忠実な女狐にね」

 

「……それは」

 

「私は私なりの慈悲で、あの哀れな娘を可愛がってきてやったぞ?」

 

 手の上で煙管(キセル)を回すイシュタルの言葉をベルは否定できない。

 彼女の言葉は決して偽りではなく、事実であったから。

 

「窮屈な思いをさせてきたのは仕方がない。だがアレには綺麗な服も、贅を尽くした飯も与えてきた……女の悦びを知る機会も恵んでやった」

 

「……ッ、女の悦びだって? そんなもの、あの人は望んでいない!! あの人は娼婦である自分に苦しんでいた! なんで、あの人に娼婦をやらせる!?」

 

 春姫を鳥籠に閉じ込め、自由を奪い、娼婦という役目を強制してきたイシュタルに今度はベルが激情を発露させた。

 相手が神だということも忘れて声を荒げ、彼女を問い詰める。

 

「わからんなぁ、何故貴様等は娼婦を忌避する? 体を重ね、快楽に身を委ねることは神聖だ。男の獣性を鎮め、女は世界の安寧の柱となる」

 

「……!」

 

「この世界では雌雄が交わることで新たな命が誕生し、豊穣に結びつくだろうに。多くの男と交わることは決して不浄ではない。私には子供達の言う事がさっぱりわからん」

 

 声を荒げたベルにイシュタルは肩を竦めた。

 言葉の通り、まるで理解が出来ないと不思議そうな表情を浮かべる女神にベルは眉を顰める。

 

 神との()()()()()()

 人造迷宮(クノッソス)で一度、神と子の価値観の違いを示されてもなお、それは大きな衝撃をベルの中に生み出す。

 衝撃を押し殺すベルはまた一歩踏み出す。抑えつけようとタンムズが肩に手を掛けるがそれを振り払い、さらに一歩前へと出る。

 

女神(あなた)の言う通りなのかもしれない。ギルドが……都市(オラリオ)が歓楽街の存在を容認しているように、娼婦という存在はこの世界に不可欠なのかもしれない」

 

「……」

 

「それでも……そうだったとしても、娼婦である自分に苦しんでいる人達だっている筈です。お願いします、そんな人達を……春姫さんを解放してあげてください」

 

 破滅の定めから解放してやってくれと。

 ベルはイシュタルの前で深々と頭を下げた。

 

「無理だな」

 

 しかし、それを受けても女神の表情は小揺るぎもしなかった。

 性愛を司る彼女にベルの訴えは届かない。春姫の苦しみは理解できない。

 下げられた頭へ煙管(キセル)の煙を吹きかけ、彼女は目を細める。

 

子供(おまえ)の我儘と(わたし)の真理ではいつまで経っても平行線だ。もとより、付き合う気はない」

 

 イシュタルが指を鳴らす。

 瞬間、背後にいたタンムズが動き、ベルを取り押さえようとかかった。

 

「……わかりました」

 

「が……!?」

 

 しかし、彼はベルを拘束することができなかった。

 逆に目にも止まらぬ速さで動いたベルの右腕にその顔を鷲掴みにされ、宙に浮かされる。

 

「タンムズ!?」

 

「もう、お願いはしません。当初の予定通り……貴方の派閥(ファミリア)()()()()()

 

 骨が軋む音が響き、苦悶の声を上げる従者の姿にイシュタルが声を荒げる。

 次に先ほどから雰囲気を一変させたベルの姿にその目を大きく見開く。

 

「なんだと……?」

 

戦闘娼婦(バーベラ)達を引かせたのは失敗でしたね。おかげで主神である貴方を簡単に捕らえることが出来る」

 

「なっ……」

 

 意識を失ったタンムズが乱雑に放り投げられ、イシュタルを守る者が消える。

 自分を捕らえようと迫るベルの瞳に彼女は慄き、思わずその場から後退る。

 自らの『魅了』の力さえも一瞬忘れ、下界の子に恐怖を覚えたという事実に気付くと、イシュタルはその美貌を屈辱に歪めた。

 

「糞ガキが……!」

 

 イシュタルの瞳が妖しく輝く。

 美の神の権能、『魅了』の輝きがベルを包み込む。

 

「…………」

 

「────は?」

 

 しかし、その輝きが効力を発揮することはなかった。

 少年の歩みは止まらず、その瞳が光に侵されることはない。

 思わず呆けてしまったイシュタル。悠々と彼女の前へと進んだベルは彼女を捕らえようと右手を伸ばした。

 

「イシュタル様ッ!!」

 

「!」

 

 その手をイシュタルの前へ躍り出たタンムズが弾く。

 一瞬で意識を刈り取られたという自らの状況を把握できないまま、目覚めた瞬間に目に入った女神への不敬者を振り払ったタンムズは背後の女神へと即座に駆け寄った。

 

「ご無事で!?」

 

「……ありえん……美神(わたし)の力を弾くだと……? 何故『魅了』されない!?」

 

 自らを救った従者を労うこともせず、イシュタルは癇癪を起こしたように叫んだ。

 それほどまでに有り得ない出来事が起き、一瞬で怒りが頂点に達するほどに女神としての矜持を傷つけられた彼女は己の指を血が滴る程に噛み、ベルを睨み付ける。

 従者であるタンムズでさえ思わず一歩引いてしまう美神の怒りを正面から受け止めた少年は淡々と答えた。

 

「貴方の『美』よりボクの『想い』の方が強かった……そんなところじゃないですか?」

 

「ッッ!!」

 

 既にイシュタルの矜持はズタボロだった。

 そこに追い打ちをかけるベルの言葉に彼女はその瞳を裂く。

 少年の答えは『お前なんかより良い女を知っている』などと言われたも同然のもの。そんな答えを宣った下界の子の存在を許すことができなかった。

 

「タンムズッ、フリュネ達を呼び戻せ!」

 

「はっ、し、しかし……」

 

「『殺生石』の儀式の人員は十分揃っている! 残りの不安要素はこのガキだけだ! ここで捕らえ、儀式を完璧に終わらせてみせろ!」

 

 明らかに冷静さを欠いている女神の指示にタンムズは動けない。

 その指示に従い、この場を離れればものの数秒でベルはイシュタルを捕らえるだろう。そうなれば『殺生石』の儀式の終了を待たずして、【イシュタル・ファミリア】は終わる。

 女神の愚考に意見を呈すことも出来ず、この場を離れることも出来ないタンムズに苛立った様子のイシュタルが声を荒げる……その時だった。

 

「っ……なんだ?」

 

「今のは……」

 

 ドンッ!! と耳を震わす爆発音が響き渡った。

 思わず広間の窓の外を見遣ったイシュタルとタンムズが揃って怪訝な顔をする中、その音と()に目を細めるのはベル。

 僅かに覗く赤い光を見た少年はその場からなりふり構わず疾走。イシュタル達の背後の階段でも、自身の背後にあった通路でもなく、広間の窓の方へ。

 減速することなく窓を駆け抜け、粉々に砕いた窓から外へと身を投げ出した。

 

「う、兎が逃げたっ、捕まえろっ!!」

 

 走り寄り窓辺から階下の団員にタンムズが命じるのを他所に、激昂したイシュタルは吠えた。

 

「絶対に逃がすな!!? あのガキを私の前に引きずり出せ!!」

 

 乱心する女神の叫びにタンムズは一も二もなく従った。

 少年を捕らえるべく慌てふためきながら広間を飛び出す。

 イシュタルもまた、自らを貶した子供を捕らえるべく広間を後にした。

 

「コケにしやがってぇ……!」

 

 美の神とは到底思えない表情のイシュタルの手の中で煙管(キセル)が真っ二つに折れる。

 自らの破滅が近付いているのも知らずに、彼女は怒りの赴くまま上階へと向かうのであった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「命ちゃんにはわからないよッ!!」

 

 春姫を救うべく、彼女の元へと辿り着いた命を待っていたのは涙ながらの叫びだった。

 娼婦に身をやつした彼女は命が差し伸べた手を振り払い、自らを恥じるように、娼婦に堕ちた自分が許せないと言うように張り裂けんばかりの慟哭をあげる。

 

「私はっ、娼婦だよ!? あの子に助けてって言えばいいの? あの子が危ない目に遭うことがわかっているのに? こんな汚れた体で側においてくださいって、そう縋ればいいの!?」

 

「春姫、殿……」

 

「できないよっ!? 私には、できないっ……」

 

 頭上からそそぐ月の光に濡れる彼女は触れれば消えてしまいそうなほどに儚く、美しかった。

 救いを望まない春姫に時間と場所すらも忘れ、己の無力感に打ちひしがれた命は立ち尽くす。

 

「────撃て!」

 

「っ……ぐっ!?」

 

 その瞬間。

 彼方から走った一条の雷が命に命中する。

 肩を抉った灼熱の一撃────春姫と対峙していることを察知した戦闘娼婦(バーベラ)による『魔剣』の一撃に命の体が揺らぐ。

 

「命ちゃんっ!?」

 

 不意の一撃に威力以上の衝撃を受けた命の体がぐらつき、橋の胸壁から身を乗り出す。

 咄嗟に手を伸ばした春姫の手が命の手に触れる……その刹那、第二射が命を襲った。

 黒髪の少女は刀を折られながらその雷弾を防ぎはしたものの、反動によって橋から落ちる。

 大切な友達に届きかけた春姫の手は何も掴めずに空を切り、命は空中廊下から落下した。

 

「ぁ……あぁ……っ……」

 

 春姫は顔を両手で覆い、その場で泣き崩れる。

 あらゆる事柄を自責するように、掠れた声でごめんなさいと何度も呟いた。

 

「く……っ……!」

 

 一方で、空中を落下していく命は焼かれた右肩を抑え、歯を食い縛る。

 少女を置き去りにした空中廊下が、見る見る内に遠ざかっていく。

 

「無念……っ!」

 

 眦を吊り上げた命は腰巾着に手を回し、一発の閃光弾を取り出す。

 悔しさを込めるように投げつけ────上空に赤い光華を打ち上げた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 ベルと命は救出作戦の前にいくつかの合図を決めていた。

 その内の一つ、赤い光の閃光弾は救出作戦の失敗を意味する。

 

 イシュタル達の元を離れたベルは外壁から再び窓を叩き割り、上階を目指していた。

 命による救出作戦が失敗に終わったとしても、まだ全てが終わったわけではない。『殺生石』の儀式が完遂されない限り、殺生石(いし)が砕かれない限り、希望は残っている。

【イシュタル・ファミリア】を滅ぼすというもう一つの目的を一旦側に置く。あくまで彼女を救い出すことが第一の目的にして最優先の目的。

 

 それは今のベルにとっても同じだった。

 

「わかってる……まずは春姫さんを救い出す。イシュタル様を捕らえるのはその後だ」

 

 まるで自分に言い聞かせるように呟きながら、春姫の救出、あるいは『殺生石』を破壊するべく、ベルは儀式が執り行われる空中庭園を目指す。

 

「まだ、終わっていない……!」

 

 無論、彼女もまた空中庭園を目指す。

 宮殿外壁の一角に不時着した命は眉を吊り上げ、穴の開いた肩に破いた布を巻きつけた。

 たとえ一度拒まれようと、命は諦めない。そこで諦めてしまう程度の心持ちならば、初めから彼女はこのような場所にいない。

 

「……っ」

 

 もう一つ、彼女の心を奮い立たせるものがあった。

 それは共に戦うベル。異質な雰囲気を纏い、あのような言葉を口にした少年を目にしてしまった命は彼と共に最後まで戦うと心に誓っていた。

 本当の最終手段を執ることになった時、彼一人に罪を背負わせないために。

 

 春姫が連れていかれた空中庭園に向かって、少年少女は疾走。

 月が満ちようとしている。彼等の救出作戦は終焉に近付こうとしていた。




ここまで見ていただきありがとうございました。
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