扉をくぐった先は、騒がしいホールから一転して物静かであった。
照明である魔石灯の光は抑えられており、薄暗い。先ほどまでのホールに見劣りしない広間であるが、人の数とテーブルは少なく、空間を贅沢に使っていた。
「どうぞ、こちらへ」
テリーの背中を追いながら、ベル達が広い室内を見渡していると、どこからともなく現れた黒服の男性給仕がベル達を奥のテーブルへと案内してくる。一方でリューとシルはテリーに近くのテーブルへと案内されていた。
片や招待された貴族、片や話題の冒険者。どちらが優先されるか、あるいはどちらの方が
黒服の給仕に案内される傍ら、ベルはリュー達の方へと視線を飛ばす。あちらでは二人をテーブルへと案内したテリーが席についている者達と気兼ねなく話しており、その後、リュー達の紹介が行われていた。
(いきなり動くことはないか、もう少し様子を見よう……それにしても、モルドさんの言っていることは本当だったんだ)
表面上、和やかな空気が流れている別のテーブルに意識は向けつつも視線を切ったベルはもう一度周囲を見渡し、その顔をかすかに顰める。
『好色の
周囲にはドレス姿の見目麗しい美女、美少女達がおり、客に酒を注いでいる。その顔には貼り付けたような笑みだけがあり、その瞳は昏く、死んでいた。
「……真摯に応えてくれた、ねぇ……反吐が出るわ」
「……同感です」
互いにのみ聞こえるように呟いた二人は背後にいるテリーへと怒りを飛ばした。
そのテリーがいけしゃあしゃあとリュー達に語っている言葉がまた、二人の怒りを刺激する。
彼女等は背後の男の
「この部屋の雰囲気も、気持ち悪い……これならさっきまでの
オラリオの真の『治外法権』という言葉が脳裏に蘇る。
誰の目も届かないこの部屋だからこそ、このような光景がまかり通るのだろう。
ここには傲岸な
思わず吐き気を催すこの部屋の状況に一度落ち着こうとベルが深く息を吐いたその時だった。
「がはははははははっ!! 皆さんも耳が早い! ええ、おっしゃる通り、新しい愛人として迎えたのです。せっかくですので紹介しましょう! おい!」
テリーの大笑が響き渡った。
その言葉に二人が思わず、足を止める。
部屋中の視線を集めたドワーフの
給仕が恭しく礼を取った後、
「初め、まして……アンナと申します」
自らをアンナと名乗った少女にベル達の目が鋭く細められる。
間違いない。隠し切れない怯えを言動の端々に滲ませる彼女が、依頼主が奪われた娘だ。
「神様達から求婚されたって聞いたけど……あの話の神様達の中にはからかいとかじゃなくて
「ええ、とても美しい方です」
その容姿は二人から見ても整っており、無意識に褒め言葉が出る程だった。
女神とも張り合えるであろう可憐で美しい少女は周囲から向けられる不躾な視線にわずかに体を震わせており、その姿はただただ庇護欲をそそる……同時に、男の嗜虐心までも。
「お客様、そろそろ……」
「……必要ない。この場の雰囲気を堪能したのち、本日は帰らせていただく」
リューがテリーに仕掛ける……そのタイミングで間が悪いことに給仕が二人を奥のテーブルへの案内を再開しようと声をかけてきたが、リアはそれを拒否。
狼狽える給仕に一歩前に出た彼女はじっと、彼を見た。
「えっ……いえ、それは……」
「そちらにとっても好都合だろう? この男の運は異常だ。ともすればこの
勝負を始めた彼女達の側を離れるわけにはいかない。
同じ目的ならば、場合によっては手助けすることだってできる筈だ。
全てを奪い尽くした時、そうなった場合の責任は取れるのか、と閉じていた目を薄く開くリアに黒服の給仕がたじろぐ。
本来であれば、ただのはったりだと切り捨てることもできるが、先程の
「だが、そうだな……せっかく
「は、はい」
はったりではない、と一瞬でも思わせた時点でこの勝負は彼女の勝ちである。
想定外の言葉と圧に怯んだところで彼女は畳み掛けるようにそう提案。思わず頷いてしまった給仕に一瞬笑みを浮かべた彼女は、すぐ近くのテーブルへと歩を進めた。
「もしよろしければ、私共と一戦、いかがでしょうか」
挨拶もなく、突然勝負を求めた彼女に席に座っていた四人はわずかに目を見開く。
有無を言わさず、空いている席へと座った彼女は一勝負が終わったのであろうカードを集め、彼等を見渡した。
「ただ、この場で使う
その発言に席についていた者達がどよめく。
自分自身を
「彼はオラリオを騒がせる
しかし、それよりも早くリアが妖艶に微笑んだ。
「身体には自信はありませんが、顔には自信があります。それに……まだ
その言葉に男達の目の色が変わる。
黒色のドレスの胸元に手を当てる彼女はその目付きに密かに微笑んだ。
彼女の気が変わらぬうちに勝負を始めたいのか、あれよあれよと言う間に勝負の準備が整い、すぐに勝負……ポーカーが始まった。
そして、ほんの数分後に勝負は決した。
「キングのフォーカード……私の勝ちですね」
結果は大勝。
一発勝負とはいえ、誰一人として傍に立つ少年の手を握る彼女の
余計ないちゃもんをつけられて時間を奪われる前に賭けられた大量の
「これでしばらくは自由に動ける……どうしたのベル君、妙な顔して」
「……確実に勝てるとは言い切れない賭博で僕だけならともかく、貴女自身を
「負けたら、なんて考えてもいなかったわ。勝つ自信しかなかったもの。あの
クスリ、と笑う彼女にベルは小さく溜息を吐いた。
しかし、それも一瞬。卓につかずにこの場を自由に歩く大義名分を得た二人は意識を勝負から観察へと切り替え、リュー達のテーブルを見据える。
始まってからしばらく経っているのか、リューの前に置かれた
「運が向いていないだけ……と、思いたいですけど」
「……いえ、どういう理屈かはわからないけど、
もう一度テーブルを見た二人はリューのみが
他の者達が持つ
「どうしますか?」
「……横から入って
望みは薄いが、介入し、仕切り直しとまでは行かずとも
二人にまだ何もするなとでも言うような薄鈍色の瞳にベル達の足が止まる。
直後、テリーが面白がるように
側に立たせた
その代償とは、シルの身柄。暇な時に
瞬間、リューの表情が抑えられない瞋恚の炎によって揺れ動く。
ドワーフの
「生意気な者や欲に目が眩んだ者、あとは貴方のような正義感に突き動かされる者……私は全て食い物にしてやりましたよ」
本性を隠そうともしなくなったテリーの言葉にリューの体に殺意が満ちる。
テリーや彼に協力する者達への怒りが抑えられないと、懸念や
「貴方」
しかし、その直前。
震えるリューの手にシルの左手が重ねられる。
彼女に合わせて動こうと、密かに身構えていた二人は動くのをやめ、自分達を止めた彼女の言葉を、動きを待った。
「皆さん、夫は少々疲れているようです。ですので、ここからは代役を立てて
その提案にテリー達だけでなくリューまでもが驚きを露わにする中、彼女が何をしようとしているのかを即座に見抜いた二人はつかず離れずだったテーブルとの距離を縮めた。
健気な若妻が嵌められた夫を庇う完全演技をシルが行うと、リューの瞳の奥から炎が消えていく。冷静さを取り戻した彼女は、妻に諭され、無謀な行動を諦めたように俯き、無言となった。
「代役……まあ、よろしいですが、今の貴方達の代役を務めるような物好きがいますかな?」
「はい。きっと、私と主人の危機を助けて下さったあのお方なら、今の私達の力になってくれると確信しております」
最後の望みに縋るように、瞳を僅かに潤ませ、体の震えを抑え込む伯爵夫人の姿にテリーは何の疑問も浮かべることなく、笑みを深めた。
「では、他の者にこの場への案内をさせるので、その者の特徴を」
「案内の必要はありません。僕が代役を務めさせていただきます」
テリーの言葉を遮り、彼等の前に立った少年の姿に
外の
「話は聞こえていました。喜んで代役を務めさせていただきます」
「ありがとう、そしてごめんなさい、クラネル様。このような事に巻き込んでしまって……」
「そんな顔をしないでくださいシルさ……いえ、シレーネさん。あの日、助けることの出来た貴方達がこのような形で引き裂かれるなんて、僕も望んでいませんから」
示し合わせていたかのように、彼女の役に既に適応しているベルの言動に、俯いていた顔を上げたリューが困惑した様相を見せる。
シルの笑みに微笑みを返したベルはすぐ隣のリューへと視線を向けると、ほんのわずかな躊躇いの後、彼女の手を取った。
「なっ……クラネルさ────」
「僕に任せてください、マクシミリアンさん。必ず、貴方達に勝利をお届けします」
驚愕にリュー・リオンの反応が見えかけた彼女だったが、覆われていない自分の右目を真摯に見据えてくる少年の目にその動揺をすぐに呑み込む。
儚い伯爵夫人、縁が出来た貴族を救おうとする冒険者を演じる二人の演技はほぼ完璧と言っていい。それを自分の動揺一つで台無しにすることなど許されない。
しばし見つめ合った後、リューは立ち上がり、ベルに席を譲る。伯爵夫人に続き、伯爵からも託されたことを示すように、彼の肩に悔やむように震わせた手を置いたリューはシル、リアと共にベルの背後に立った。
「……というわけです。未熟者ですが、ここからは僕がお相手をさせていただきます」
「ふふふっ、まさに英雄ですなぁ、クラネル殿。縁があるとはいえ、このような不利な状況下でマクシミリアン殿達の代役を務めるとは。しかし……神々に与えられた二つ名通り、その精神性はまだまだ未完でいらっしゃるようで……」
状況を見もせずに、先ほどまでのエルフのように無駄な正義感に駆られたのであろう白髪の少年をテリーは嘲笑う。
彼の言葉に周囲の
強がりだと、さらに彼等の笑みが深まる中、中断されていた
「では始めたいと思いますが……ちなみに、ポーカーの
「基本の
ドローポーカーとは配られた五枚の手札の中で
その提案にテリー達はまたも笑う。先ほどまでの
「良いでしょう。相手が理解できない複雑な
「ありがとうございます、ではよろしくお願いします」
少年の提案を受け入れ、新たな
(お高くとまったエルフの若造め……その身一つで悲劇の
リューからシル、そしてリアへと視線を移したテリーの心の中で嗜虐心が首をもたげる。
(この女も器量が良い。勝利した暁にはまだ手を出していない
生意気なエルフから伴侶を奪った後の行為を想像したテリーはさらに良いことを思いついたとばかりにカードに隠れた唇を歪める。
エルフ達の
やがて、このテーブルの全員にカードが行き渡る……その直後だった。
「
「……!?」
テーブルに
響き渡る音に彼女達に向けていた視線が彼の元に集まるが、その行動を前にテリー達はおろか、リュー達でさえベルに対してその正気を疑うような視線を向けた。
「よ、よろしいのですかな?」
「はい。二言はありません」
思わず、本当に良いのかとテリーが聞き返すが、ベルは微笑みと共に問題ないと首肯する。
その手にカードはない。カードはテーブルに伏せられたまま、一つも動いていなかった。
この場の者達が動揺するのも無理はない。何故なら彼は配られたカードに触れることも見ることもせずに、いきなり勝負を仕掛けたのだから。
まるで自分の勝利を確信しているかのような微笑みを纏いながら。
(流石に驚かされたが……それだけが狙いだろう。一戦目を捨て、一か八か俺達全員が降りることに賭けたというところか。愚か過ぎて笑えてくるわ)
彼の行動に動揺し続けるふりをしながら、ベルを心の中で嘲弄したテリーは周囲の者に密かに目配せを行なった。
「あぁ君、アルテナワインの三十年ものを頼む」
彼等の中で決められた暗号の一つ……彼の
それを交わしたテリー達は彼の勝利を確信し、上辺だけの
「この老いぼれとの一騎打ちのようですが……どうなさいますか、英雄様?」
「
「おやおや、随分強気でいらっしゃる。ならば私も
ベルと老紳士の一騎打ち。
リューでさえもベルの行動に瞳に不安を浮かべながら見つめる中、老紳士が無謀な勝負を仕掛けた少年に目を細めると、彼は更に
「
「……!?」
再三に渡る
何をしたいのか理解に苦しむのは獣人の老紳士とテリー達。何故カードを見もしていないのに勝負を仕掛けられるのだ、と表情が歪んでいく。
駆け引きをしようにも、相手がカードを見ていないのだから駆け引きのしようがないのだ。
「は、はははっ……よろしい、勝負と行きましょう。現実というものをお見せしてあげますよ」
それでもこの
浅はかな考えを捻じ伏せてやろうと、テリー達、ベルの行動に不安を覚えるも同時に期待もしているリュー達が静かに見守る中、
老紳士の役は当然、フルハウス。
対してベルは、
「フォーカード」
「えっ……!?」
「なっ!?」
四枚のカードが並んでいることを宣言した。
リュー、テリーの両陣営が驚愕に息を呑む。
特に勝ちを確信し、その相貌が歪むことを期待していたテリー陣営の驚愕は相当なもので暫し、全員が言葉を失っていた。
「こ、これは、一本取られましたな……」
驚愕、動揺、憤怒、屈辱……様々な感情が胸中に浮かぶテリー達だったが、それはすぐに別の感情へと取って代わられた。
「
「っ……!!」
またもカードが配られた直後、何も見ずに仕掛けてきた少年にテリー達の顔色が変わった。
『二度はない』という怒りと『まさかまた』とわずかに芽生える疑念。押し黙るテリーが様子見で勝負を下り、先程と同様に最も
「また僕の勝ちですね」
「な、ぁ……!?」
だが、やはり少年の
この二連勝がテリー達の心を怒りではなく疑念の方へと一気に傾かせた。
その後も少年は終了後以外にカードを見もせずに勝負を仕掛け続けた。
未熟な少年の表情はどこへやら、穏やかで不敵な微笑みを纏って。
何度かはテリー達も勝負に乗りはしたが、その全てで大敗。フルハウス以上の
(焦るな、まだ問題ない……確実に勝てる
重なっていくベルの連勝。積み上げられていく最高額
表情から余裕を失いながらもテリー達は虎視眈々とその時が来るのを待つ。
しかし、まるでそんな膠着状態が来るのを予測していたかのように、勝負を見守っていた伯爵夫人がベルに声をかけた。
「すごいです、クラネル様! どうしてこんな
「最初の方の
「あらら……役が一つもないですね。勝負をされたら危なかったんじゃないですか?」
「ここ数回は一つも役は成立してなかったと思います。でも……
わざとらしく、テリー達に聞こえるように笑い合い、ベルとシルは彼等に微笑みを向ける。
呆然と彼等の微笑みを見た
「やめろっ!?」
テリーが思わず制止の声を出してしまうが、協力者達が止まることはない。
激怒した
「ふふっ……」
完璧な混乱状態に陥り、もはや声を出す事すらできない愕然とした表情を晒す
それから間もなく、脱落者が出た。テリー以外の
風前の灯であったはずの相手の
「まだ、やりますか?」
「こ、このっ……!」
一枚の
賭博の楽園の王である自分が『オラリオの治外法権』であるはずのこの場所でたった一人の冒険者に翻弄されている事実は耐えがたい屈辱であるが、認めなければこのまま惨めに敗北する。
何とか打開しようと、
そして、最後の
そうとも知らずに
その目に飛び込んできたのは四枚の『
(勝った! やはり最後に勝利の女神が微笑むのは俺だ! 天は俺に勝てと言っているのだ!!)
流れを奪われた始まりの勝負の意趣返しとも取れる
この
「…………」
血走った瞳で睨みつけられるベルはこのポーカーで初めて、手札を見た。
そして、ほんのわずか、その目を見開く。
「マクシミリアンさん、シレーネさん。僕を頼ってくれてありがとうございました」
彼女達を見ずに背後の二人へ言葉を紡ぐベル。
今の自分と同じ、勝利を確信したかのような瞳にテリーは気圧されたが、己の
大量の
ベルは二人へ言葉の続きを紡いだ。
「今日の僕は『幸運の兎』、なんてちょっと照れちゃう呼ばれ方もしましたが……この『幸運』が貴方達の力になってくれて良かった」
直後、カードが公開される。
「ロイヤルストレートフラッシュ」
獣人の老紳士が勢いよく椅子を蹴飛ばし、腰から床に倒れ込んだ。
その衝撃でテリーの
限りなく低い確率で成立するそれを一度もカードを交換することなく、成立させたという事実にテリーが再び用心棒に怒号を飛ばすが、やはりその首は横に振られた。
「……『兎』に跨った
二人から歓喜と感謝の声を向けられて笑う少年の姿に彼女もまた微笑んだ。
しかし、それをすぐに収める。彼女の役割はここからなのだから。
凄まじい怒気を纏い、屈辱と憎悪にその顔を歪めるドワーフに目を細めたリアは、自分の役目が来ることを確信しながら、その時が来るのを待った。
ここまで見ていただきありがとうございました。