静けさに包まれた
広間にいる者達は全員動きを止め、慄然とした眼差しを一人の少年にそそいでいた。
卓上に
思いもよらぬ結果、その結果へと導いた少年の『幸運』に誰もが驚愕を隠し切れていない。
その中で伯爵夫妻に扮するリューとシルはこの機を逃すまいと、悠然としながら瞳を揺らすテリーへと視線を投げた。
「
シルに微笑みかけられ、テリーは拳に力を込める。
勝った者の願いを叶えるというのが
側にいる亜麻色髪の少女、アンナ・クレーズを一瞥したテリーは屈辱と代役を受け入れた自分の迂闊さを悔いながら、返答した。
「よろしい……彼女にはしばらく暇を出すことにしましょう。思えば、異国から来たばかりで疲れているでしょうからなぁ」
自由となった首に手を当て、まだ困惑しながらリューの元へと向かうアンナの姿にテリーは腸が煮え返る思いだった。
暇を出すとは言ったが、この部屋から出したが最後、彼女が自分の意思でここに戻ってくることはないだろう。まだ何も愉しんでいないというのに、事実上の手放しだ。
「これでよろしいですか、マクシミリアン殿?」
己の元へやってきた
自分に恥をかかせたことを後悔させてやると、心の中で憎悪を滾らせるテリーの瞳に、リューは目を細めた。
「いや、まだだ」
その言葉に、テリーは心の中を燃やし尽くさんばかりに燃え上がる怒りの炎に薪をくべた。
「……何ですかな。このアンナだけではご満足していただけないと。いやはや、マクシミリアン殿はエルフにも関わらず強欲でいらっしゃる。私はどれほど愛する者を手放せばいいのでしょう?」
額に青筋が浮かぶが、衆目の手前、怒りを必死に抑えるテリー。
せめてもの抵抗として皮肉たっぷりの言葉を投げかける彼を無視して、リューはそれを告げた。
「
その発言に、再び
静寂を破るのは、エルフの背後に立つベルとシルの小さな笑い声である。
「貴方が金に物を言わせ奪い取った、全ての女性を解放してもらおう」
リューの宣告に室内にいた美姫達が弾かれたように振り返る。
夫の発言に最初は瞠目していたシルは笑い声と共に肩を揺らし、側の少年へと声をかけていた。
「主人はとても欲張りなんです。こんなエルフの御仁はいかがでしょうか、クラネル様?」
「とてもいいと思います。奪われようとしていたんですから、その分しっかりその相手から奪い返しておかないと、相手も諦めないでしょうから」
とてもおかしそうに、楽しそうに笑い合う薄鈍色の髪の少女と白髪の少年。
不満げな瞳で自分達に視線を向けたエルフに二人は更に笑みを深めた。
「……こ、このっ」
唖然としていたテリーの顔が赤黒く染まる。突き抜けた憤激によるものだ。
もはや本性を隠しもせずに、その強面をもって彼等へ凄む。
「調子に乗るなよ、若造ッ! 何を勘違いしている? 何様のつもりだ? たかが
華やかな
「…………」
「…………っ!?」
テーブルに拳を叩きつけ、立ち上がったテリーを前にリューの背後にいた女性が彼女の隣に並び立つ。困惑するリューだったが、開かれたその瞳を目にした瞬間、彼女の正体に気付くと、一瞬激しい動揺に襲われ、その場で息を呑んだ。
「この俺を敵に回して生きていけるとでも思っているのか!? ギルドが守ってくれるなんて考えているのなら大間違いだ!!
「違う」
テリーの恫喝を、灰髪の女性の静かな一声が遮った。
「貴方、
その言葉に、テリーが……ドワーフの
言葉の続きを譲るように自分に視線を寄こした灰髪の女性への動揺を殺したリューは、彼女の言葉を引き継ぎ、固まった目の前の男へそれを叩きつけた。
「貴方の名前は、テッド」
叩きつけられた断言に、男の顔色は激変した。
「過去、このオラリオで違法の賭博を繰り返していた店の胴元……都市から追放された主神が天界に送還されていたとしても、その背には封印された【ステイタス】が残っている」
「私も用意してたのだけど……必要なかったみたいね」
リューとリアが懐から取り出したのは、結晶の欠片と真紅の液体が詰まった小瓶。
『
ドワーフの
その小瓶に明らかに動揺を隠せていないドワーフの
「ふ、ふふ……これは、とんだ言いがかりをつけられたものだ」
異様な空気に支配される
凍り付いた時を動かしたドワーフの
しかし、その瞳には敵対者への剣呑な殺意が宿っている。
「くだらない出まかせに耳を貸すつもりなど毛頭ないが……この俺、ひいては店の沽券に関わる戯言を吹聴して回る輩を、生きて帰す訳にはいかん」
テリーが片手を上げた途端、それまでたたずんでいた用心棒達が動いた。
金で雇われている用心棒は忠犬の如く、主の意志に従い、リュー達を包囲する。
この世から彼等の存在を消し去って、口止めをするつもりだろう。
「一応……そう一応、殺す前に聞いておいてやろう。貴様ら、何者だ?」
自分を知っているエルフとヒューマンの女を交互に見る彼の姿にリューは隣にいるシルから
「私に覚えはないか?」
その返答に怪訝な表情を浮かべていたテリーだったが……覆い隠された相貌、唯一覗く右眼と視線を合わせた途端、ぶわり、と大量の汗を流し始めた。
「ま、まさかっ、リオン!?」
「私のことも忘れちゃったのかしら」
顔から色という色が抜け落ちていくテッドが彼女の正体に恐れおののく中、リューの隣に立った女性が頭からもう一つの小瓶を取り出し、中に入った液体を振りかける。
途端、灰色に染まっていた長髪が色づく。
溶けるように消えていく灰の中から姿を見せたのは、炎のような赤。
普段とは装いが違うが、忘れる筈のないその色と瞳にテッドはその目を限界以上に見開いた。
「ア、アリーゼ・ローヴェル!?」
並び立つ正義の眷族にテッドが崩れ落ち、そのまま後退る。
「な、何故っ、貴様らが!? それにっ、リオンは死んだはずでは……!?」
命はあるが、機能不全に陥った
そして、その一員であり、
それを知ったからこそ、テッドはこれまで名を騙り、傍若無人に過ごしていたのだ。
その報いが目の前に迫っているのだと、彼はその身を震わせる。
「名を偽ったお前の所業は、風の噂で耳にしていた」
「な……」
「私が何故、お前の悪行を見逃してきたか、わかるか?」
言葉を紡ぐことが出来ないドワーフを見下ろし、リューは瞳を細める。
「理由は二つある。一つは、私にはもう正義を語る資格がないこと。そしてもう一つは……」
直後、その目を見開くと共に語気を強めた。
「ひれ伏して罪を懺悔したお前に、アストレア様がお許しになる機会を与えたからだ」
テッドの顔が蒼然となる。
ベルとシルは過去に彼女達が彼と何があったのかは知らないが、それでも一つだけ確かにわかることがあった。
それは、目の前のこの男がその時から何も変わらなかったということだ。
「や、やれぇ、お前等ぁ!?」
怒りを剥き出しにしたリューと静かに笑うアリーゼの姿に、テリーはとうとう叫び散らした。
取り乱しながら用心棒達にリュー達を始末するよう指示を出す。
「貴方にはもう免罪の余地はないわ」
四方から掴みかかってくる屈強な男達。
それを一蹴しようとするリューを制し、アリーゼが笑みを深めた。
直後、雷光が彼女達の周囲を走った。
「ありがと、ベル君」
「シルさんとアンナさんは任せてください、リューさん、アリーゼさん。ここに近付いてくる人達は僕がお相手します」
自らとシルとアンナの周囲に雷を侍らせるベルに二人は頷く。
一瞬で意識を奪われた用心棒達が地面に転がった一瞬後、
「あの方に代わって、私達がお前を裁く」
騒然となる部屋の中央でわなわな震えるテッドは、自分の元へ悠然と近付いてくる正義の眷族達になりふり構わず、最強の切り札をつぎ込んだ。
「ファウスト!! ロロ!! 奴らを殺せぇ!?」
雇い主の命を受け、背後に控えていた二名の用心棒が動く。
用心棒の中でも別格の存在である彼等にリューとアリーゼが表情を引き締めた。
「ファウストとロロはあの『黒拳』と『黒猫』だ! 名を聞いたことがあるだろう!」
切り札である二人の攻めに防戦となるリューとアリーゼを見たテッドが久方ぶりに獰猛な笑みを浮かべる。
『黒拳』と『黒猫』とは五年前まで猛威を振るっていた『賞金稼ぎ』と『暗殺者』の通り名だ。
裏の界隈に轟くその実力は第二級冒険者でさえ仕留める程のもの。
第一級冒険者が二人いようと容易く勝敗はつかないとテッドは浅はかにもそう考えていた。
「給仕ども、アンナとその女を…………?」
正義の派閥の恐ろしさを骨の髄まで刻み込まれているドワーフは余裕のない声で給仕達にベル・クラネルに守られている女達を人質にしようと指示を出す。
しかし、その声に応える者はなく、視界の端で誰かが動く気配もない。
怪訝な顔で彼女達の戦いから視線を外し、周囲を見渡したテッドはまたもその目を見開くこととなった。
「ベルさん、
「この程度なら何の問題もないですよ。少し痺れさせるぐらいなので」
「な、ななな、なぁ……!?」
彼の視界に広がったのは先ほど、アンナ達に襲い掛かった用心棒達と同じように地面に転がっている部下達の姿。
部下達の体の周囲には雷が弾けており、外部から抑え込まれていることは明らかだった。
それを為したと見られる少年と傍にいる少女達をテッドは凄まじい形相で睨み付ける。
「では、後は私が……さあ、皆さん!!」
それを意にも介さず、胸の前で手の平を叩いたシルに美姫達の視線が集まる。
女神のように微笑み、よく通る酒場の店員の声で彼女は語り掛けた。
諦観にまみれていた美姫達の心に火を灯すように、その瞳に光を取り戻させるように。
溜め込んできていた怒りを爆発させるかのように、シルはにっこりと笑った。
「ここからは貴方達の時間です……目一杯、暴れちゃいましょう♪」
その笑みを最後に、美姫達が溜め込んできていた怒りが爆発。
少しずつ動けるようになり、立ち上がろうとしていた給仕達に美姫達は一斉に飛び出した。
他の用心棒とは異なり、腕っぷしに自信のない給仕達では怒り狂った美姫達を止めることなど到底無理な話であり、絶叫が
「大人しく捕まる気はありませんか? 多くの悪行を積み重ねてきた悪人とはいえ、あまり手荒な真似はしたくありません」
「なっ、なっ、なぁっ……!?」
呆然としていたテッドに少年の声がかかる。
少女達を背後に、右手に纏う雷を彼へと向け、投降するように呼び掛けた。
「二度は言いません。さあ……」
「ぐ、ぅううううううッ……舐めるなよ若造があッ!!」
忌々しい正義の眷族と同じような光を宿す深紅の瞳にテッドは皮が裂けるほどに握り締めた拳から血を流しながら、怒号を撒き散らした。
「おいっ、誰でもいい!! 【ガネーシャ・ファミリア】を呼べぇ!?」
そして、本当の最終手段を執った。
後ろ暗いものしかないテッドの身を考えれば、余計な懐疑を招く恐れのある都市側の救援を望むことはなるべく避けたかったが、もはやそんなことを言っている場合ではない。
彼の【ファミリア】がこの場に現れればまず真っ先に
雷によって起きた麻痺がいち早く解けた用心棒の一人がその指示に殉じ、
瞬間、その用心棒の全身が痙攣する。まるで雷に打たれたかのように。
「……はっ?」
「言い忘れていましたが、皆さんはその扉には触れない方が良いですよ。魔法を付与してあるので触ればそこに転がった人の二の舞になります」
大暴動の中でもその声は部屋を飛び出そうとしていた者達によく届いた。
例え届かなくとも、触ればどうなるのかはテッドの用心棒が示してくれている。
何かが仕掛けてある扉に触れようとする豪胆な者は彼等の中には存在しない。扉の前に立ち尽くし、何かを仕掛けた少年を彼等は唖然と見た。
「
自分を見る貴族達に小さく笑みを浮かべたベルは部屋全体に雷を纏わせているとは思えない程に涼しい顔をしながら、浮かんでいた怒りがしぼみ、恐怖が顔を出し始めているテッドへとまた一歩近づく。
「まだ何かあるのなら、今の内に出しておいてください。もしないのであれば、そろそろ諦めませんか? この
「……ま、まだだっ、まだ、ファウストとロロが────」
最終手段も封じられたが、まだ切り札が残っていると最強の手札に縋ろうとしたテッドだったが、誰かが崩れ落ちる音が背後から響いた。
思わず振り向いた先、テーブルを巻き込んで転がる彼等の姿にテッドの瞳が絶望に染まる。
「あの子達の偽物の割にはよく頑張ったわね」
「名を偽る相手は選んだ方がいい。本人達がいれば、もっと酷い目に遭っていた」
意識を失った彼等に言葉を投げかけていた正義の眷族達が自分を見据える。
汗一つ、傷一つない彼女達の姿を見たドワーフが膝から崩れ落ちる。
もうテッドに打つ手立ては、彼女達に刃向かう気力は、なかった。
「ベル君、知り合いの憲兵を呼んでくるから魔法を解いてもらってもいいかしら。私が出たらもう一度お願い」
「わかりました」
項垂れるテッドを縛り上げたアリーゼが
静まり返る
「この人とは無関係の人もいるかもしれませんが、ひとまず皆さんには憲兵達の事情聴取を受けてもらいます。妙な動きをしたら彼と同じように縛り上げます……そんな感じで大丈夫ですか?」
「はい。幾人かは既に彼と共謀していることがわかっていますが、暗躍していた期間を考えるとこの程度で済むはずがない。全て、法の下に明かしてもらいます」
立ち並ぶ二人に圧された
特に妙な動きを見せることもなく、美姫と呼ばれた女性達に協力してもらいながらテッドに雇われた用心棒達や給仕達を縛り上げていると、樫の大扉が開かれ、大勢の憲兵達が姿を現した。
「全く……
店の
指示を出し終えた麗人はというと、その光景を一瞥したのち、そんな呟きと嘆息と共にアリーゼ達とリュー達を見据えた。
「もっとするかもしれなかった貴方達の苦労は消えたし、それでおあいこにできないかしら?」
「……多くの者に見られてしまっている以上、なかったことにはできない。だが、なんとかしよう。そこのエルフについては特に、な」
「ありがとう、シャクティ」
彼女達に深い信を置いているためか、事情を聞かずにシャクティはリュー達を店の
店の裏手には巨大な
そこを抜け、『エルドラド・リゾート』の前に出ると広がる楕円形の広場には
「私はここまでだ。行け」
「ありがと、シャクティ。この娘は私達が連れていくけど、他の子達をお願いね」
見えてきたのは一台の馬車。リューとシルがあらかじめ依頼していた箱馬車である。
「これで一件落着、かしら」
「そうですね。お疲れさまでした」
何やら話し込むリュー達と馬車に乗るアンナ達から少し離れ、二人は一息をつく。
演技を重ねたからか、二人はどことなく疲れたような顔をしていた。
「……そういえば、ずっと聞きたかったんですけど、アリーゼさんが変装をした理由ってあの人がいるってわかってたからなんですか?」
「そうよ。私が何も変装をしないで向かってたらあの男が姿を見せることはないって思ったの。リオンも他の事情があったようだけど、変装をしていたでしょう?」
自分を捕らえた正義の眷族達の前に名を変えたとはいえ姿を見せる度胸はあの男にはない。
それを理解していたからこそ、変装と演技をしたのだとアリーゼは語る。
「予想はしていましたけど、やっぱりそんな感じだったんですね」
「油断しきっていたところを見るに変装は正解だったわね。依頼主の娘さんも手を出される前に何とか助け出すこともできたから依頼は大成功! …………ただ」
そこで一度言葉を切った彼女は、馬車に乗っているアンナを見た。
「テッドの様子とあの部屋の惨状を見ると、もっと早く……それこそあの男の悪行の噂を聞きつけた時点で行動に移すべきだったって、そう思ったわ」
笑みから一転、表情を曇らせたアリーゼは右手を強く握りしめる。
彼女が何故そう思ったのか、美姫と呼ばれ
「……っと、せっかく依頼を達成できたのに暗い雰囲気になっちゃったわね、ごめんなさい」
「いえ……アリーゼさん、あまり気に病まないでください。
「わかってるわ。気遣ってくれてありがとう」
何とか励ましの言葉をひねり出そうとするベルにアリーゼが笑みを浮かべていると、アンナを乗せた馬車が動き出す。
車輪が回る音が遠ざかり、静けさを取り戻す路地裏。どちらからともなく、同じ目的を持っていた二人組がそれぞれ歩み寄った。
「クラネルさん、それにアリーゼも。協力していただきありがとうございました。おかげで当初の目的を無事遂げることが出来ました」
「あんたも無茶をしたわね。あのまま
向かい合った同じ神を主神と仰ぐ二人が言葉を交わす。
礼を告げるリューに対し、当時の状況を思い返したアリーゼが苦笑を浮かべた。
無事に終わったからこそ、笑みを浮かべることが出来るが、もしも何かが起きていればこのように会話を交わすこともなかっただろう。
「……その通りです。何かを仕掛けてくるとは想定していましたが、あのままではその仕掛けを見破る前に私は負けていたでしょう。あの時、すぐに
「まぁ、私は少しだけ安心したけどね。
瞑目し、反省する姿にアリーゼは苦笑とは違う穏やかな笑みを浮かべたが、リューはそんな彼女に一瞥も向けず、唇を噛んで背中を向ける。
そんな彼女の姿にアリーゼの顔が一瞬悲し気に歪んだのをベルは見逃さなかった。
「今日はこれで、帰らせてもらいます。少し疲れました」
「私もこれで失礼します。ベルさん、またお店に来てくださいね。ノエルもみんなも待ってますから。今日はありがとうございました」
振り返らず、数歩、前へと出たリューに続き、シルも路地裏を去っていく。
最後にベルとアリーゼへと笑みを残して。
「……僕達も帰りましょうか」
「……そうね」
二人が去っていった路地裏口とは別の道を進み、ベルとアリーゼは帰路に就く。
どうやらあちらこちらで騒ぎになっているらしく、彼等が歩く薄暗い路地裏まで喧騒が届いてくるが、二人の間に会話はほとんどなかった。
疲れか、あるいは何か考え事をしているのか、時折ベルが向ける視線にも気付かずにアリーゼは俯き加減に歩いており、ベルも背後にいるそんな彼女に声を掛けられずにいる。
「…………ねえ、ベル君」
「……? はい、どうかしましたか?」
結局、当初の予定であった路地裏口に辿り着くまで会話が弾むことはなく、このまま解散になるのかとベルが思っていたその時だった。
不意にアリーゼが立ち止まる。そして、前を歩いていた少年の背中に声を掛けた。
「ちょっと聞いてみたい事があるんだけど、いいかしら」
「聞いておきたい事……何ですか?」
真剣な眼差しを向けてくる彼女と正対したベルはその眼差しを真っ向から受け止める。
数秒、少年の瞳と見つめ合った彼女はある問いを投げかけた。
「貴方にとって、『正義』って、なに?」
何の脈絡もなく、正義の女神の眷族である彼女は、未完の英雄と呼ばれる少年にそれを問うた。
その問いを、そしてそれをこの場で問う意味を、ベルは理解できず、言葉を詰まらせる。
「えっ、と……」
「……ごめんなさい、いきなりすぎたわね」
困惑し、答えを出すことが出来ないベルの様子にアリーゼの眼差しが和らいだ。
「今までのあの派閥との戦いと今回みたいな事件を経験した君からどんな答えが出るのか、ちょっと聞いてみたかっただけなの。聞いておいてあれだけどあまり気にしないで」
今は答えはいらない、と笑う彼女にベルはただただ困惑を深めた。
立ち止まった自分の先を歩くアリーゼの背中を見つめていると、彼女が立ち止まり振り返る。
「ただ……もしも、答えが出たなら、私に教えてくれないかしら。きっと、『英雄』なんてものになる君の答えを、今の私に」
振り返った彼女の瞳は、何かに迷うように微かに震えていた。
その震えはすぐに笑みに覆い隠される。だが、ベルの心にそれは確かに刻み込まれた。
「さっ、帰りましょ!」
先を歩き出した彼女はそれ以上、何も語ろうとはしなかった。
アリーゼから
いくつもの光が溢れる、華やかな夜の大通りが見える路地裏の片隅で、ベルの心に一つの問いが刻まれるのであった。
ここまで見ていただきありがとうございました。
ここからは私事になりますが、個人的な事情で一週間ではなく、二週間の間隔になります。
期間は何とも言えないのですが、なるべく早く投稿間隔を戻せるようにはしていきます。
どうかご了承ください。