都市を囲う市壁の奥に日が沈み、夜。
空が暗くなった頃、ヴェルフやヘスティア達はホームに帰還した。
彼等は一日、都市の中で『喋るモンスター』についての情報を探したものの、直接関わるものは見つからなかった、と自分達を迎えたベル達に伝えた。
一筋縄ではいかないか、とヴェルフ達と同じような芳しくない表情をベルも浮かべる。
逆にウィーネについてはどうだったのか、と彼等が彼女に視線を集めると、変わらずベルの後ろに隠れている
「……お、おかえりなさぃ」
ベルの背中から片方の目だけを出して、小さな声で呟かれた彼女の言葉にリリと命は呆気にとられ、ヴェルフは何ともいえない表情を浮かべる。
「これはまた、随分と懐かれたな」
朝まではまだ警戒していたウィーネがすっかり春姫に心を許している姿にヴェルフは笑う。
呆気にとられてすぐ、そんな彼女の姿にヴェルフに変わって何とも言えない表情を浮かべるリリの隣で、ヘスティアは両腕を組む。
「これは春姫君、母親の素質があるぜ? 間違いないよ」
昨晩、見事に振られた炉の女神は悔しそうに笑いながら、そう告げた。
その後、食事や入浴……そこでの一悶着を終えて
寝衣に着替えた皆の視線は部屋の中央、床に座り込むヴェルフとウィーネに向けられていた。
「ほら、右手も貸せ」
そこでヴェルフはウィーネの────
武器を研磨する時のように鋭利にするのではなく、丸みを帯びるように削っていく。
「よし、終わりだ」
作業を終わらせたヴェルフが青白い手首を離すと、ウィーネは鋭さを失った己の爪を見下ろし、目を丸くする。そして、笑みを浮かべた。
「ありがとう、ヴェルフ!」
「……おう!」
目の前で感謝を告げられ、ヴェルフは間を置いて笑い返した。
すぐにウィーネは立ち上がり、ベルの元へ。
「……痛く、ない?」
少年のすぐ側に寄ったウィーネは何かを期待するように、少し怯えながらベルの体に触れる。
どこに触れても、彼を傷つけず、自分の手も血に濡れないことに
「うん、痛くないよ」
ベルの笑みに、ウィーネは涙を溜めながら破顔した。
次には子供のようにペタペタと、戯れるように頬に触れ、くすぐったそうに笑うベルに花が咲くように笑みを浮かべる。
「はぁ……あまりデレデレするのは良くないと思いますよ、ベル様」
「で、デレデレなんて……」
「……貴方にとっては些細な事でも、それを気にする方がいるのではないですか?」
「!」
溜息と共に苦言を呈するリリに苦笑と否定の言葉を返そうとしたベルだったが、続いた言葉に小さく目を見開く。
固まったベルに鋭い眼差しを向けるリリ。二人を交互に見たウィーネはおずおずと口を開いた。
「リリは、ベルのことが嫌い……?」
「え……何をいきなり」
一瞬張り詰めた空気に気付いたのか、それとも詰め寄るリリがベルのことを嫌っているのではないかと不安に思ったのか、そう問いてくるウィーネにリリは首を傾げた。
質問の意図がわからないと、彼女が戸惑っているともう一度問いが重なる。
「嫌い?」
「いえ、あの……そんなことは、ないのですが……」
想定外の問いにしどろもどろになりながら、若干頬を染めるリリ。
答えられない彼女にウィーネが寂しそうな表情を浮かべると……唐突に、慌てた様子の春姫が身を乗り出した。
「私は、ベル様のことが好きです!」
顔を真っ赤にしながら、そう叫んだ春姫にリリとウィーネが驚き、ベルが照れくさそうに頬をかく。そんな中、道具を片付けていたヴェルフが悪戯っぽく笑いながら立ち上がった。
「ああ、俺も好きだぞ?」
「当然、ボクだって!」
「ふふっ……自分もです」
ヘスティア、命も共に笑いながら続く。
そんな他の
「まったく……リリだってそうです。ベル様のことが大好きですよ」
「僕も、みんなのことが大好きだよ」
ベル達の笑みに、知るはずのなかった家族の温かさを感じたウィーネは、自分の胸にそっと両手を添えた。
「みんな、ベルのことが……みんなのことが大好きなんだね」
目を瞑って、一輪の花のように微笑む少女にベル達がはっと息を呑む。
何かを噛み締めるように微笑んでいたウィーネは、目を見開くベルの胸に飛び込み、少年の鼓動を聞こうとするように耳をくっつけた。
「……あったかい」
幸せそうな表情に、ベルも、ヘスティアも、リリも、ヴェルフも、命も、春姫も、気付けば顔を綻ばせていた。
ヒューマン、
姿も形も肌の色も、全てがバラバラな異種族でありながら、少女を囲むその光景は。
温かい、家族の絵だった。
「……………………」
その絵を、音も立てずに部屋を出ていたアイズは揺れる瞳で目にした。
扉の奥にある『家族』から逃げるように後退り、腰を抜かしたように壁を背に座り込む。
体が震え、有り得てはならないものを目にした反動か、喉奥からこみ上げてくるものがあった。
「……ベル」
名前を呼んでも、竜の少女を『父親』のように優しくあやしている少年は振り返らない。
あの笑顔を向けられているのは、自分ではない。それが、どうしようもなく────
『あれ……アイズさん?』
「っ…………」
黒く染まりつつあった思考がベルの声によって晴れる。
元通り……とまではいかなかったが、表情を取り繕うことができる程度には正常に近い思考に戻したアイズは平静を装って、誰かが近付いてきている
扉の前には、やはりベルが立っていた。彼は心配そうな顔をしていたが、アイズの顔を見ると安心したように笑みを浮かべ、彼女もその笑みにぎこちないながらも笑みを返す。
先に休ませてもらう、と告げる少女を、少年はもう一度笑みを浮かべて見送った。
竜の少女と出会う前であれば、気付けていたはずの少女の心の機微に、少年は気付かない。
たとえ気付いたとしても今の少年の言葉では、彼女に届かなかったかもしれないが。
────ベル君達には、ダンジョンに行ってもらいたい。
朝日が差し込む『
信頼がおける友人の神様達……ヘファイストス様、ミアハ様、タケミカヅチ様が集まった
神様が集まっても事態の進展は見込めず────三神様は協力を約束してくれたけど────地上での情報に限りがあることがわかってきている。ならばもう、ダンジョンにまで情報の網を伸ばすしかない。
ダンジョン19階層、ウィーネと出会った場所で手掛かりを探って来てほしいと神様は告げた。
────『喋るモンスター』を探っている者がリリ達以外にもいます。
状況が急転することはあり得る、と以前集めてくれた情報からその可能性を示したリリの案に従い、僕達は即日動くことを決めた。
このまま手をこまねいていては状況に取り残される可能性もある。そうなるのは避けたい。
ウィーネを守りたいのなら、僕達が状況の最前列に立っていなくてはならない。
「【剣姫】もいるとはいえ、この三人でダンジョンに向かうのも久々だな」
「最近は人員不足に悩まされることもありませんでしたからね」
ダンジョンに向かうのは僕とヴェルフとリリ、そしてアイズさん。
命さんと春姫さんはウィーネのお世話を兼ねたホームの留守番だ。
「ベル様に加えて【剣姫】様もいますし、19階層に向かってその日の内に帰って来るのは十分可能だと思いますが……」
ホーム付近の都市南西の街路を歩きながら、思案を続けていたリリが不意にアイズさんの方へ視線を向ける。次に隣を歩く僕に。
何かを不安視、あるいは危険視しているような……そんな瞳だった。
「…………もう一人、助っ人が欲しいですね」
一度瞳を閉じたリリがそう呟いた。
「もう一人か? 戦力としては今でも十分だと思うが……」
「少し……ベル様に懸念点があります。当たらなければ問題ないですが、もしもそうなった場合進行に支障が出る可能性が非常に高いと考えています」
もう一度僕の方を見たリリに思わず首を傾げる。
僕に、懸念? 思い当たる節はない、と思う……けど。
「リリがそう言うってことは、そうなんだろうね」
僕自身が気付いてないものがあるんだと思う。
リリが口にしたということはそういうことなんだ。
「申し訳ありません、ベル様」
「謝らないで。むしろ言ってくれてありがとう。ただ、もう一人助っ人って話になると、そんな急には…………あの人は流石に難しいだろうし……」
真っ先に思い浮かんだのはお母さん……リヴェリアさんだったけど、いくらなんでも難しい。
それにウィーネについて誤魔化せる気もしない。すぐにバレてしまいそうだ。
誰かいないかと、空を見上げた時だった。
脳裏に一人、二人……三人の人物の顔が思い浮かぶ。
三人は僕達に協力してくれた人達ではあるけど、二人目と三人目の人は今どこにいるのかわからないため、難しい。でも、一人目の人ならもしかしたら。
「ねえ、リリ」
「ベル様」
声を上げたのは同時だった。
多分、リリも同じ人の顔が浮かんでいたと思う。
顔を見合わせた僕達は、とある酒場へと向かった。
そして、現在。
ダンジョンの『中層』14階層。
「はあああああああああッ!!」
裂帛の声とともに大刃が一閃され、複数の『ヘルハウンド』が両断された。
それを僕達と
僕達が助っ人を頼もうとしていたのは、酒場にいるリューさんだった。
力を借りたいとお願いしたものの、断られたその矢先に現れたのが、現在前衛で戦っているアマゾネス……元【イシュタル・ファミリア】のアイシャさん。
僕達の話を聞いて力を貸してくれると言ってくれた彼女と一度は断られたもののアイシャさんの妖しい言動に彼女を野放しにはできない、とリューさんも最終的に力を貸してくれることとなり、アイズさんに加えて第一級冒険者と第二級冒険者という豪華な助っ人を得た臨時パーティは瞬く間に『上層』を突破したのである。
Lv.4になったというアイシャさんと競うようにリューさんが再び前衛へと戻る。
『中層』という環境において、Lv.4とLv.5の二枚はあまりに強力な構成で、中衛に入る僕とヴェルフ、後衛でリリの側にいてくれるアイズさんの役目はほとんどなかった。
『──キィッ!!』
「!」
そんな折、僕とヴェルフに前衛が通り過ぎた横穴からモンスターが襲い掛かってくる。
兎のモンスター『アルミラージ』の群れ。横穴に近い僕に
ただ、僕だってLv.4だ。迫る
「──っ」
だけど、それは空振りに終わる。
振り抜こうとしたその時、僕は躊躇った。
「ベル!?」
「ベル様!?」
「っ……」
迫る
ヴェルフとリリの叫び声が響き、アイズさんが息を呑んだことがわかった。
倒れた僕目掛けて、四方から迫る
殺到する
「ギ────」
直後、周りに血煙が舞う。
振り払った左腕が当たると、
「……なんだい、今のは」
他のモンスターを倒し終えたのか、それとも僕達の異変に動いてくれていたのか、僕達を見据えるアイシャさんが怪訝そうに呟いていた。
リューさんからも一驚の気配を感じ取り、僕は思わず二人から目を逸らしてしまう。
「……対モンスターの『スキル』ってところか。あまり詮索はするものではないね。ただ……その体たらくはいただけない。少し拍子抜けだよ」
深くは聞いてこないけど、情けなく地面に座り込む僕にアイシャさんの失望の眼差しが刺さる。
どんな事情があれど、『中層』のモンスターに後れを取る姿を見せたんだ。何も言い返せない。
「クラネルさん、貴方らしくもない。何かあったのですか?」
リューさんも僕の顔色を窺いながら、心配そうに聞いてくる。
差し伸べてくれるその手に、気遣ってくれる彼女の瞳に、僕は俯くことしかできない。
(あの瞬間、僕は迷ったんだ……)
モンスターに刃を突き立てることを、迷ってしまった。
本当は僕達と同じ知性と理性を持っていて、涙を流すんじゃないかって。
そう思うと……僕の手は竦み、剣を振り抜くことができなかったのである。
ウィーネの影響を、予想していた以上に受けているみたいだ。
ダンジョンに下りてから、僕はろくにモンスターと戦っていない。
リューさん達が戦ってくれているからじゃない。僕が無意識の内に交戦を避けているんだ。
事情を知っているヴェルフとリリは口を閉ざしながら僕を見ている。
アイズさんも、こんな僕に何かを言いたげに、何かを耐えるように見ていた。
(このままじゃ、駄目だ……)
ダンジョン内において、この迷い、躊躇いは致命的過ぎる。
僕だけじゃなく、仲間達を殺す類の感情だ。
切り替えなきゃいけない……あるいは、
(っ……今、何を考えた……?)
一瞬浮かびかけた思考はすぐさま霧散し、考えに残らなかった。
何度も頭を振り、アイシャさん達に謝って、パーティの進行を再開させる。
しかし、結局。
ウィーネの笑顔が、涙がちらつき、心から迷いが消えることはなかった。
ただ、一つ。
その中で気付いたことがあった。
(『スキル』の出力が、上がってる……?)
僕の迷いと相反するように、対モンスターの際に発揮していた『スキル』の出力が跳ね上がっている。特に意識せずとも、今出せる最大の力が発揮される感覚があった。
理由はわからない。今の僕の状態を考えれば、出力が上がるどころか下がるか効果を失うのが正常な反応……だと、思うんだけど……。
(……なんでこうなってるのか、忘れちゃいけない気がする。わからなくても、わかるまで覚えておかなきゃ、取り返しのつかないことになるような……)
迷いは消えず、気付きを理解できぬまま。
僕達は18階層に辿り着いてしまった。
「よかったのかな、リューさん達に何も言わないで」
「一緒に行動して詮索されるわけにはいかないだろ。あっちはリリスケに任せておけ」
樹の迷路の中で、僕とヴェルフは肩を並べて歩いていた。
今いる場所はリューさん達に護送してもらったダンジョン18階層ではなく、ダンジョン19階層。ウィーネと邂逅を果たした『大樹の迷宮』に僕達は足を踏み入れていた。
ヴェルフと話した通り、リューさんとアイシャさんには何も言わずに僕達はここにいる。
詮索をされるのを避けるためとはいえ、後ろめたさは残っているけど、ウィーネの……『喋るモンスター』の情報を集めるために割り切るしかない。
「荒事になっても【剣姫】が残ってくれてる。俺達だけで行くとは言ってあるんだろ?」
「うん……」
僕達だけで向かうと話した際のアイズさんの様子が脳裏に浮かぶ。
努めて、無表情を保とうとしていた彼女の姿に今思い出しても胸が痛んだ。
感情がそこまで表に出ず、無表情でいることが多いアイズさんが意識して無表情を作ろうとしている……ここまでの僕の行動に耐えようとしている証だと僕は思っている。
(一度、アイズさんとゆっくり話す時間を作らないと駄目だ……)
ウィーネを保護した日から、アイズさんとまともに話せていない。
僕達の
僕達とアイズさんの間に修復できない完全な亀裂が生まれる前に、余裕がなくてもちゃんと彼女と話すべきだ。
「ベル、前衛は俺がやるぞ。いい機会だ、【
僕が考え込む横で、周囲の警戒を怠らないヴェルフは僕に何度も話しかけてくれていた。
気軽で明るい口調は、ろくに戦えない僕のことを気遣ってのものだろう。
笑いかけてくれるヴェルフになんとか笑みを返し、強く息を吐く。今この場においてこれ以上他のことを考えるのは駄目だ。意識を目の前のダンジョン、目下の目的に集中させなければ取り返しのつかないことが起きる。
宣言通り、前衛でモンスターと戦うヴェルフを
今だけでも迷いを封じ込め、炎雷を放って、剣を振るって、相対するモンスター達を蹴散らしながら、僕とヴェルフは迷宮の奥へと進んでいった。
「そろそろか?」
「うん……ウィーネと会ったのは、この辺り」
そして、僕達は目的地へと辿り着いた。
見覚えのある地形……あの日、ウィーネを見つけた場所に。
「ここまで来る途中、手がかりなんて呼べるものは見つからなかったが……なんでもいいから何かわかればいいんだがな」
ヴェルフと共に周囲を注意深く見回す。
しかし、特に手がかりとなりそうなものは見つからない。無数に存在する植物をかき分け、負傷したウィーネが身を隠していた場所を見ても、欲している情報の断片すら手に入らない。
「そう簡単には見つからないか……」
「だな……」
唯一、推測できるのはウィーネが何処から来たのかということ。
見上げるほどの高さがある巨大な下り坂が目の前に存在している。もし彼女があの天辺から転がり落ちてきたのなら、階層の奥深くからここに来たことになる。
それは推測でしかないけど、ここで何も見つからないのなら階層の奥深くに向かうべき……そう、考えていた時だった。
(……冒険者?)
不意に、横穴の一つから人影が現れた。
長い
けれど……目の前に現れた存在が僕達が求めているものだと、『風』が教えてくれた。
「おい、ベル……!?」
余計な詮索をされないように演技を始めようとしたヴェルフが、何か探し物をしているような様子の
心の中でヴェルフに謝りながら、僕は目の前の人物を見つめ続けた。やがて、その存在は僕達に気付くと、ゆっくりとした足取りでこちらへと近付いてくる。
そして、僕は数
「──同胞ノ匂イがすル」
瞬間、底冷えするような声が通路に響く。
ヴェルフが大剣に触れ、地を蹴るのを背に僕は声の質からして『彼女』の言葉を待つ。
「同胞ヲ攫っているのハ、貴方達か?」
耳朶を撫でるどこかぎこちない言葉遣い。そして膨れ上がる威圧感。
獰猛な、『怪物』の殺気が僕達目掛けて放たれる。
フードの奥から覗く双眸は、瞳孔が縦に割れていた。
遅れてヴェルフも気付いたのだろう。背後で息を呑む音が聞こえた。
「……いや、違ウ。血ノ臭いがしなイ」
対峙する僕達を見つめていたかと思うと、相手は高い鼻梁をすんと微動させ、あっさりと殺意の矛を収めた。
縦に割れていた瞳孔が直り、確かな理性を宿す美しい瞳で今度は観察するように見つめてくる。
「もしや、貴方達ガ、フェルズの言っていタ方々ですか?」
「フェル、ズ……?」
「さっきから何を言っている!?」
戸惑いを振り払うようにヴェルフが怒鳴り声を上げる。
要領を得ない発言に僕も戸惑ってはいるけど、その声で幾分か冷静さを取り戻せた。
フェルズ……恐らく人名。この人の口ぶりからして『喋るモンスター』と話した事がある人が他にもいる? 知っている人がいることはわかっていたけど、それは想定外だ。
「…………」
彼女はしばらく口を噤んだ。巨大な下り坂を背にしたまま動かない。
まるでここだけ空間から切り離されたかのような錯覚に襲われるほど静かで、時間の流れが猛烈に遅く感じてしまう。そんな中、おもむろに彼女は口を開いた。
「貴方達二聞きたイ。我々ハ、共生できるト思いますか?」
「なっ……」
「我々ハ、手ヲ取り合えるト思いますか?」
脈絡のない、思いもよらない問いに、声を上げかけたヴェルフを手で制する。
動揺を押し殺し、声の邪魔をせずに続きを待つ。
「貴方達ハ私達ヲ殺す。私達モ貴方達ヲ殺す……定め、なのでしょうか。わかり合えないのでしょうか?」
淡々とした声音の中には、諦観と捨て切れない願望めいた感情が含まれていた。
フードの中の青い瞳が物憂げに細められる。
「私ハ……日ノ光ヲ浴びたイ。この閉ざされた奈落ではなク、光ノ世界デ羽ばたいてみたイ」
天井を仰ぐ仕草に合わせて、
一瞬見えた相貌は、人を外れたものでありながら、ウィーネと同じように整っていた。
「貴方達ハ、何か違うような気ガする……少シ、期待しています」
その言葉を最後に、彼女が両の膝を深く折って屈む。
次の瞬間、彼女は跳んだ。
第一級冒険者でも真似できないであろう、大跳躍。
鳥のように軽やかに、金色の羽根を舞い散らしながら、彼女は姿を消した。
「冗談だろ……本当に、あいつ……」
「……うん、ウィーネと同じ存在だ。やっぱり、他にもいるみたいだね」
まるで白昼夢に出くわしたかのようにヴェルフが呟きを漏らす。
一足先に『風』に教えてもらった分、僕の方が動揺から立ち直るのは早かったけど、微かに指が震えている。それだけ、たった今手にした情報は衝撃的なモノだった。
「……戻ろう。今のままでこれ以上捜索するのは危ない」
僕の言葉にヴェルフは静かに頷く。
道中、互いに無言のまま、18階層の連絡路の近くに辿り着く。
そのまま18階層へと向かおうとした時だった。
「……?」
突き刺さるような視線を感じ、立ち止まる。
念のためヴェルフを先に向かわせ、連絡路の前で周囲を見渡すと……離れた位置で立ち止まる冒険者の一団があった。
光を樹に遮られ、影としてしか見えなかったけど、その一団は間違いなく僕のことを見ている。しばらく見つめていると、その一団は身を翻し、19階層の奥へと消えていった。
姿が完全に見えなくなるその刹那、最後まで僕を見ていた冒険者が嗤ったような気がした。
無事に18階層に辿り着いた僕達は、リリ達と合流した。
自分達を出し抜いたことにアイシャさんは文句を言っていたけど、僕達の様子がおかしいことに気付いたのか、必要以上に責めてくることはなかった。
リューさんも、何も話そうとしない僕達から無理に問い質そうとはせずに最後まで僕達のことを守ってくれた。
そんな二人の気遣いに申し訳ない思いを抱きながら、けれど気に掛ける余裕もなく、僕達は早々と地上へと帰還した。
『報酬はいらないよ。これは借りにしておく』
アイシャさんはそう笑って、僕達と別れた。
『クラネルさん、何か困ったことがあれば相談してください。微力ながら力になります。 ……私が力不足であれば、アリーゼ達に相談するのも良いかもしれません』
リューさんもまた、気を利かせて酒場へと戻っていった。
最後まで二人に気を遣わせてしまったことに心からの感謝と謝罪を告げる。
「……」
「……」
帰還後、僕はアイズさんと一緒に都市の街路を歩く。
リリ達と別れて、一度色々と整理したかったんだけど、アイズさんは何度も首を横に振って僕についてきた。
時刻はまだ夕刻前。太陽は西の空に傾きつつあるけど、頭上にはまだ青空が広がっている。
リューさんにアイシャさん、それにアイズさんのおかげで想定よりも早く地上に帰って来ることが出来た。
でも、せっかく時間が出来たのに地上でやれることはなく、ただ無為に喧騒や雑踏を避けて歩くだけの時間が過ぎていく。
「お、ラッキー。おーい、【リトル・ヒーロー】」
アイズさんと話すことも忘れて、無意味な時間を終わらせてホームへ帰ろうとした時だった。
帰り道で見たことのない……恐らく初対面の神様から声をかけられる。
神様らしいというか、ヘラヘラと笑いながら気さくな態度で近付いてきていた。
「……僕に何か御用ですか?」
「ひひっ、そう警戒しないでくれよ、つっても無理かぁ。胡散臭ぇもんなぁ、
都市の中で話題になる度に、こういった神様からちょっかいを受けたり……絡まれたりすることが増えた。多分、今回もその手の神様だろう。
失礼だと思いながら話半分で切り上げようとしていると、男神様はまた笑った。
「俺の名はイケロス。よろしくなぁ」
「イケロス様、ですか。それで、僕に何か……」
「それがよぉ、生意気なガキどもに顎で使われてる最中なんだよぉ。【剣姫】とデート中に悪いけどよぉ、ちょっとばかり話聞いてくれねぇかぁ」
今度は僕達を見てからかうように笑ったイケロス様に思わず溜息が出る。
他派閥の者が恋仲になることは基本ありえない。一部の人にしか僕達の関係が知られていないことを考えると、やっぱりただおちょくられてるだけだろう。
(こういう切り口は初めてだな……)
顔を覗き込んできたり、肩に手を回してきたり、すごく馴れ馴れしい神様に苦笑しか浮かべられずにいると……背後に回ったイケロス様が、何の前触れもなく僕にそれを囁いた。
「喋る
────心臓を、鷲掴みにされたようだった。
「何でもすっげー綺麗な顔をしてるらしいんだけどよぉ……19階層に出たらしいんだ。一目、見てみたくてなぁ……聞き込みをしてるんだ」
目を合わせたら駄目だ、と、本能が騒ぎ立てる。
目を合わせたら最後、僕達が隠しているものが暴かれる、と。
粘つくような声音にこれまでの日々の動揺が重なって、知らず疲弊していた心が絡めとられる。
このままじゃ、全部バレ────
「おっとぉ?」
「……ぇ?」
鼓動が早まり続け、硬直していた僕の体が温かいものに包まれる。
氷のように冷たく感じていたイケロス様の手は僕の肩から離れたのだろうか、あの不気味な感触は肩から消えていた。
「ベルから、離れて下さい」
頭上から聞こえたその声に顔を上げた。
「あ……」
アイズさんだ…………アイズさんが僕のことを抱き締めてくれている。彼女の温もりに、単純な僕の心は落ち着きを取り戻し、早くなっていた鼓動が元に戻る。
呼吸もしやすくなると、イケロス様が触れていた箇所を自分の手で上書きしてくれるように、僕の肩に触れるアイズさんの右手の力が強くなった。
「ひひ、おー怖い怖い。さっきのは冗談のつもりだったが、もしかしてお前等、本当にそういう関係なのかぁ?」
「…………」
明らかにおちょくっているとわかる声音で話すイケロス様にアイズさんは何も答えなかった。
代わりに、抱き締める力が少しだけ強くなる。ひどく情けないことに、それに安心している僕がいた。
剣呑な雰囲気を醸し出すアイズさんを前にしてもイケロス様の態度は何も変わらず、その顔に軽薄な笑みを浮かべていることが見なくてもわかる。
膠着状態が続こうとした、そんな時だった。
「やぁ、奇遇だね、こんなところで…………もしかして、オレ、君達の邪魔したかな?」
もう一人の声がこの空間に響く。
アイズさんの胸の中から顔を上げ、彼女と共に声のした方を見ると、羽根付きの帽子を被ったヘルメス様が、優男の笑みを浮かべて立っていた。
少しだけ気まずそうにしながら、それでもにこやかに僕達の方に歩み寄ってくる。
「ベル君、行っていいよ」
「え……」
「せっかくのデートなのに神に絡まれて困ってるんだろう? みなまで言わなくてもわかってるぜ。あと、デートならもっといい場所がある。今度教えてあげるよ」
碌な反応も返せない僕にヘルメス様はからかうように笑いかけてくれる。
その笑みは、イケロス様と違って不思議と嫌な感じはしなかった。
僕達にとてもらしい目配せをして、すぐに視線を移すと、ヘルメス様は相も変わらずニヤニヤと笑うイケロス様に流し目を送る。
「オレはイケロスに用があるんだ。さ、行った行った。アイズちゃん、彼のこと頼んだよ」
帽子の鍔を撫でながら、ヘルメス様は僕達に向けていた笑みとは全く違う、薄い笑みを纏う。
促されたアイズさんに手を引かれながら、僕は碌な会釈もできないまま、背を向けた。
背中にあの嫌な視線を感じながら、彼女と一緒に足早にこの場を去る。
そして、結局ろくに頭の中の整理できず、アイズさんと何も話せないまま、僕達は
ここまで見ていただきありがとうございました。