───私の中で、黒い炎が燃えている。
“強さ”を求め猛り狂う、とても醜く汚い漆黒の炎。
怪物を殺せ、憎め、滅ぼせと狂おしいほどに叫ぶ
フィンが、ガレスが、そしてリヴェリアがそれに従うままに戦い続けていた私を止めてくれた。
もしあのまま戦い続けていたら今の私は存在していなかっただろう。
みんなのおかげで黒い炎が鎮まって、でも消え切ることなく、再度燃え上がる機会を待つように燻り続けていたその時、あの少年が現れた。
星と月が輝く綺麗な夜空の下で、私の英雄になると誓ってくれた少年。
あの瞬間、心の奥底で燻っていた黒い炎は完全に消え去った。
そう、思っていた。
「──────────」
血の海に沈む思い出の少年。
その光景を見た時、私はその考えが間違いだったことに気づく。
───私の中の黒い炎は、消えてなんていなかった。
そう思った次の瞬間、心の奥底で黒い炎が燃え上がった。
吹き荒れるのは黒風。大切な
───ワタシたちの英雄を奪おうとする、あいつを殺そう?
黒く染まった私の中で誰かが囁く。
心を支配する
「アイズ、さん?」
赤髪の女を見下ろしているのはレフィーヤと同じ【ファミリア】に所属している【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。
美しい金の髪も瞳もその姿はアイズそのもの。レフィーヤにとっては姿が見えただけで安心感を与えてくれる存在。
だというのに彼女の胸中は不安に満ちていた。
(この、『風』はなに……アイズさんの風はこんなに不気味なものじゃ……)
女が、レフィーヤが警戒心を高める中、アイズは足に力を込めて、崖から飛ぶ。
そして、鈍い音と共に赤髪の女は勢いよく吹き飛んだ。
「───えっ?」
アイズの体勢から赤髪の女を蹴り飛ばしたということだけは分かった。
一切の認識を許さず、結果だけを残した彼女の速さにレフィーヤは戦慄する。
最高の味方が助けに来てくれたはずなのに、不安がぬぐい切れない。
アイズは蹴り飛ばした女を一瞥もせずにベルのそばに膝をつく。
血の海に倒れこみ、ピクリとも動かないその身体を自身が血に濡れるのにも構わず抱き起こし、
半分死んでいたベルの身体が電流を流されたかのように跳ねる。
苦しむようにアイズの腕の中で暴れているが、やがて収まり、その瞳に光が戻る。
「げほっ……ア、イズざん……?」
「ごめんね、ベル。遅くなっちゃって……これ、飲める?」
取り出したもう一本の万能薬をベルの口に近づけ、ゆっくりと飲ませる。
それを飲み終わるころには深い刃傷もある程度は塞がっていた。
「傷はもう大丈夫だと思うけど、血を流し過ぎてるからゆっくり休んでて」
「アイズさんは……?」
「私はあの女を殺す」
ベルを抱えたアイズがレフィーヤの元に駆け寄る。
彼女にベルを託し、視線を向ける。どこか怯えているようなそんな彼女にアイズは首を傾げていた。
「ベルの治療をお願い。あと、巻き込まれないようにここでじっとしてて。魔法の援護も大丈夫だから」
「っ……は、はい……」
「……レフィーヤの魔法のおかげでここにいることがわかったよ……ありがとう、レフィーヤ」
女に放った魔法の炎弾。あの時、一部を空に向けて放ったのはアイズ達に自分たちの居場所を知らせるため。それは確かに届いていたようだ。
向けられたその優しい眼差しはいつものアイズのものだったことに少しだけ安心感を覚える。
「あとは任せて」
「アイズさん!」
レフィーヤの声を背中に浴びながらアイズは女に向かって歩き出す。
女はアイズの『黒い風』を警戒していたのか、それとも先ほどの蹴りが余程効いたのかここまで何も行動を起こさずにただアイズを見ていた。
「念のため聞いておくけど……貴女がベルを殺そうとしたんだよね?」
アイズの言葉に女は油断なく剣を構えながら、その閉じていた口を開く。
「そうだ、と言ったら?」
「【
衝突。
黒い風が生み出した驚異的な速度を以て肉薄。黒く染まった《デスぺレート》が地を斬り裂く……いや、砕く。
女がその衝撃で吹き飛ぶ。同時にアイズが宙を舞い、後退した女を空中から襲う。
「ッ!」
真上から振り下ろされた剣をかろうじて長剣で受け止める。
だが受け止めたことで浮いた体は地面に叩きつけられ、背中が地を削っていく。
立ち上がろうと上体を起こすがその顔を風を纏った足が蹴り飛ばす。
赤髪の女は鞠のように吹き飛び、再び地面を削りながら大きく後退。
後退した位置には既にアイズが先回りしており、再度女が蹴り飛ばされ、壁に激突。
激突した女のその顔面を掴み、壁に叩きつけ、顔を削りながらそのまま投げ飛ばした。
「かわせばいいのに……もしかして痛いのが好きなの?」
「貴様ァ……!」
血に染まったその顔を憎々しげに歪め、女は地を蹴る。
放たれるのは一つ一つが一撃必殺となる剣撃の雨。
それら全てをアイズはその場を動くことなく受け止めていた。
咆哮を上げ、襲い掛かる女をアイズはただ冷徹に見ている。
当然見ているだけではなく、ほんのわずか、隙とも言えない隙に剣撃をねじ込み、女の命を脅かす。
立て直そうと女が後ろに飛べばそれに追随し、決して敵のペースに持ち込ませない。
「強……過ぎませんか……?」
その戦いを見て、レフィーヤはただ茫然と呟くことしかできない。
アイズの強さは知っている。知っていたはずだ。
だが、今目の前で戦っているアイズの強さはレフィーヤが知っているそれを遥かに超えている。
レフィーヤから見ても赤髪の女の戦闘技術はアイズに劣っていない。むしろ単純な技術ならば今のアイズを超えているかもしれない。
純粋な剣技もそうだが拳と蹴りも混ぜたその攻撃は見たことがないほど凄絶で、酷烈だった。
だがその攻撃はより凄絶な乱撃で潰される。
『技と駆け引き』など関係ない圧倒的な力の差が、女をただねじ伏せていた。
戦闘が始まってからそれほど経っていない。それでも黒い風を纏う今のアイズと赤髪の女の間には何をしようとも覆すことが出来ない力の差があるのが見て取れる。
だがアイズの優勢で進むそんな中、二人の戦闘を見ているレフィーヤの胸中でいくつかの違和感が生まれた。
(あの人………アイズさんを観察してる……?)
瞬きする間に十、二十、三十を超える黒刃が女に叩き込まれ、それを防ぎきれなかった赤髪の女の左腕が使い物にならなくなるそんな中でも、女はその瞳を怒りに染めながらアイズを視ていた。
いつの間にか女からの反撃も最低限になり、明らかに耐えの姿勢に入っている。
加えてアイズの攻撃が当たらなくなってきている。
腕の一本を奪いはしたが、彼女が発揮している力に見合った成果とは思えない。
(アイズさんがそれに気づいているかはわからないけど……もしもこのままいけば───)
そう考えていたレフィーヤの前で神速の薙ぎ払いが女の体の間に滑り込んできた長剣ごと女を吹き飛ばす。
アイズの風剣を受け止めたその剣は大きく弾かれ、地面を滑っていく。
「もう貴女を守るものはない。大人しく死んで」
勝負を決めようと身を守るものが無くなった女に風剣を振りかぶる。
「ッ!」
自分の勝利を疑っていないその言葉に女の緑色の瞳が吊り上がる。
アイズの風の出力がさらに上がり決着がつく、その時だった。
「───ァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!」
地面に転がっていた宝玉の胎児が叫喚を上げる。
アイズの風に呼応するように、アイズの纏う風の正体に気づいたように。
その叫びにアイズが振り向く。
赤髪の女が何か行動に移すよりも早く、宝玉の中から胎児がアイズに向かって飛び出してきた。
自身の目の前に現れたそれをアイズは迷うことなく斬り裂き、地面に叩きつける。
(……何これ?)
二つに斬れたその胎児は活動を止め、女の傍に転がる。
赤髪の女はそれを一瞥もせずに大きく目を見張り、信じられないものを見る目でアイズを見ていた。
「なに?」
黒い風の中でアイズが顔を顰める。女のその反応が不愉快だからというのもあるのだろうが……。
それ以上に先ほどの胎児を斬ってから、見てから、胸の中に言いようのない不安が生まれていることに苛立ちを隠しきれていなかった。
「宝玉のあの反応は……そして黒く染まっていて気が付かなかったがこの風は……そうか……」
そんなもの関係ない、考えるのはあと、と何かを呟いている女目掛けてアイズが踏み込む。
(武器は今はない。両腕で防ごうとしても、まとめて斬る!)
戦いを終わらせようと放ったアイズの一撃は───
「お前が『アリア』か」
───その『
ドクンッ、と一際強い鼓動の音。アイズがその金色の瞳を大きく見張る。
その動揺が風にも伝わったのか、出力が僅かに落ちる。
出力の低下と僅かな硬直。その隙を女は見逃さず、アイズを殴り飛ばす。剣で受け止めるがその威力に後方まで吹き飛ばされ、間合いが開く。
地面に剣を突き刺し、何とか停止。
だがその態勢のまま動くことはできなかった。
(なんで、その名前を……)
感情が揺れる。
同時に『風』に変化が見え始める。
『漆黒の嵐』から本来の風へ。
感情が揺れ、思考が散らばったことで発動していた『スキル』の効果が落ち始めたのだ。
「っ!?」
金色の瞳に宿っていた黒い光が消えた瞬間、追い打ちをかけるようにアイズの全身を凄まじい痛みが襲う。
内側から破裂しそうな激痛に彼女の視界が一瞬白く染まる。
「あれだけの力だ。何かしらの代償はあるとは思っていたが……それよりも先に器が保たなかったか。左腕は潰れたがこの程度で済んだのなら上出来だ」
あの『スキル』は憎悪の丈により効果が向上する。
しかしその憎悪はLv.5の器では扱いきれないほどに高まってしまっていた。圧倒的な力を発揮していながら敵を倒しきれずに終わったのはそのせいだ。
結果、力に振り回され、赤髪の女に耐える隙を与えてしまったのだ。
この力を統べることが出来ていれば、この戦いはとうの昔に終わっている。
息を荒げ、膝をつくアイズ。
それを一瞥し、地に転がった胎児の死骸の片割れを女は拾う。
「……ッ! 【
悲鳴を上げる身体を風で動かし再び斬りかかるアイズ。
目にも止まらない速さで銀刃が振り抜かれるが………
「先ほどに比べれば明らかに遅いな。それに軽すぎる」
その一撃を女は潰れた左腕で受け止めた。
出力が落ちているとはいえ風を纏った自分の一撃を傷ついた腕で受け止めた相手に驚きを隠せない。
赤髪の女とアイズ。先ほどまでとは立場が一変していた。
「とはいえ、お前が再びあの『風』を纏うと面倒だ。今ここで、確実に仕留めさせてもらう」
赤髪の女は表情を変えず、死骸の片割れを握り潰す。
アイズに走る強烈な悪寒。咄嗟に防御を固める。
次の瞬間、強烈な衝撃が走り、彼女の細身の体は再び後方に吹き飛ばされた。
「っっっっ!」
「あの『風』でなくともやはり便利だな……『アリア』の風は」
風の鎧と固めた防御を貫通してくる凶悪な一撃を見舞われ、アイズが再び膝をつく。
本来のアイズなら吹き飛ばされた直後、反撃とまでいかなくとも態勢を整えることはできた。だが先ほどまで扱っていた身に余る力の代償がアイズをこれでもかというほど蝕んでいる。
(身体が……思ったように動かない………全身が、引き攣ってるみたい……!)
そんなアイズに対して女は背を向け、飛ばされた武器を拾いに行く余裕を見せている。潰したはずの左腕も何故か再生しており、他の傷口も閉じ始めている。
完全に形勢は逆転した。アイズの勝ち筋はほとんどないだろう。
それでも、
「……立つか」
アイズの後ろにはベルが……ベル達がいる。自分が負ければベル達は殺される。
どれだけ身体が傷んでも、勝ち筋が見えなくても、それが嫌なら立つしかなかった。
「どこまで耐えられるのか、見物だな」
女の剛剣が唸りを上げて迫る。
アイズはそれをなんとか受け止めることしかできなかった。
霞みがかった少年の意識が爆音によって強制的に覚醒する。
咄嗟に飛び起きようとした身体が激しい痛みによって崩れる。
「アイズさんが……」
意識を取り戻した少年が戦闘の途中だったこと、アイズに助けられたことをレフィーヤの声で思い出す。
音のする方向に顔をなんとか向ける。そこでは防戦一方になっているアイズがいた。
「っアイズさ……あ……!」
グラッとベルの視界が歪む。
意識を失う前に自分がどんな状態だったのか鮮明に蘇ってくる。
ベルが意識を取り戻したことに気づいたのかレフィーヤ達が駆け寄ってくるのを視界の端で捉えた。
「クラネルさん! 大丈夫ですか!」
「そんなことよりも、アイズさんを……!」
「動いちゃダメです! 傷口が開いちゃいますよ!」
目の前でアイズが吹き飛ばされる。自分の眼に映るその光景を否定したかった。
少年が憧れていた彼女が、あんなに強かった彼女が成すすべもなく赤髪の女に追い詰められている。
余裕がありそうな女に対して、膝をつき、息を荒げているアイズ。どちらが優勢なのかは聞かなくてもわかった。
「なんで、あんなにっ……!」
自身と戦った時の女は確かに遥か格上の存在で勝ち目など存在しない相手ではあった。もしかしたらアイズでも苦戦するかもしれないと内心、ベルは思っていた。
だが苦戦するとは思っていても、ここまでの差があるだなんて、ましてや彼女が負けるだなんて微塵たりとも思ってはいない。
「っ!」
目の前でアイズが反撃に移る。
だが、その反撃はベルの目から見ても余りにも遅すぎる。
「………っああ!」
「無茶です! そんな身体では……」
「じゃあただ黙って見ていろって言うんですか……! 僕のせいであの人が傷つくところを!」
止めようとしてくるレフィーヤを制する。
剣を杖代わりに立ち上がる。が、
「───あ」
血が足りない。血が流れ過ぎている。
ふらふらと足が覚束ず、その場に膝をつく。
「そんな身体で何ができるんですか……! 私の魔法だってあの人には通じません……私達は……団長達が気づいてくれるまで、ただ見てるしか………」
レフィーヤの相貌が悔しそうに歪む。
───悔しいけどレフィーヤさんの言う通りだ。僕達はあの人に手も足も出なかった。だからここで黙ってフィンさん達を待つ───
(なんてことができるわけがないだろっ!)
理屈はそうだったとしても感情は違う。
元はといえば自分の勝手な行動がこんな事態を巻き起こしたんだ。そのせいで好きな人が傷ついているのに何もしないでただ黙って見てるなんてできるはずがない。
(それに……あの人の『英雄』になるんだろ! なのに何度もあの人に守られていいわけがあるかっ!)
今ある手札で何ができるのか頭を回す。
武器、道具、魔法、スキル、なんでもいい。
「何ができる……! 今の僕に何が………?」
その時、固く握り締められた拳が淡い光を放っていることに気づいた。
リン、リン、と高くか細い音を鳴らしながら白い光が集束と収斂を繰り返している。
「なんだ……これ」
僅かに硬直。だが混乱しながらもすぐにその正体に気づく。
「もしかして……【
【
その効果は
ベルが何度も使おうと試みたが一度も発動しなかった謎のスキルであり、ヘスティア曰く
白い光が集まっている右手を穴が開きそうなほど見つめる。何故この場面で発動したのかなんてわからない。
だがもしも、彼女を助けたいという想いが
直後、轟音。舞う土煙の中からアイズが吹き飛ばされてくる。
なんとか立ってはいるもののもう既に限界が来ているのが明らかだった。
「っ! レフィーヤさん!」
「は、はい!」
「……力を貸してください!」
考えている時間はない。
だから一か八か、この白い光に賭ける。
「今あの人は僕達なんか眼中にありません。その隙をつけばアイズさんを助けることができるはずです」
女の意識は完全にアイズのみに絞られており、ベル達は歯牙にもかけていない。
その隙をつけば確かに何かできるかもしれない。
「あの人は僕達を助けに来て傷ついてるんです。それを黙って見てるなんて僕にはできません」
アイズの足枷にしかなれない今の自分でも出来ることはある。
そう訴えてくるベルの瞳。時間がない今、そこまで多くの言葉を形にはできない。だがベルは確信を持っていた。
この人なら動いてくれる、と。
「……私は何をしたらいいですか?」
きっと自分と同じ憧憬と師を持つ彼女なら動かないはずがないと。
予想通りレフィーヤは覚悟を決めた表情で一度ベルを見て、自分たちの敵を見据える。
「あの炎の魔法をあの人目掛けて撃ってください。僕はそれに紛れて接近します。あと、出来れば───」
ベルの一つの要望。
それを聞いたレフィーヤは躊躇いなく頷き、杖を構える。
「わかりました。私の魔法に当たらないように気を付けてくださいね」
一度大きく息を吐き、魔法の詠唱に入るレフィーヤ。
ベルはその前に陣取り、女を観察する。
女は限界を迎えているアイズを仕留め切れないことに苛立ちを見せている。レフィーヤの詠唱やベルの放つ光に気づいている様子はない。
勝機はある───なら、
「ルルネさん、巻き込まれないように下がっていてください」
「わ、わかった……」
詠唱の完成。
レフィーヤが魔法を放つと同時にベルは駆けだした。
あとはベルの白い光ともう一つのある目論見が成功するかどうかにかかっている。
「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!!」
数千を超える炎弾が爆音と共に女に降り注ぐ。
その音に紛れ、ベルは魔法を詠唱。
「【
風の加護が再びベルを包み込み、体が訴えてくる苦痛を緩和する。
大幅に強化されるベルの能力。だがこれでは足りない。
不意を突いたところであの身体能力と反応速度の前では、この速さでは全く足りていない。
ならばどうするか────簡単なことだ。
限界ギリギリまで無理矢理加速させればいい。
それができる魔法をベルは持っているのだから。
「チッ!」
赤髪の女が後ろに飛ぶ。
そしてすぐに女がいた場所に炎弾が降り注ぐ。
「これ………レフィーヤの……魔法?」
錆び付いた人形のように緩慢な動きで顔を動かす。
アイズの視線の先には
夥しい紅蓮の魔力弾を放ち続け、赤髪の女を狙い、周囲を火の海に変えていく。
「先にあのエルフから潰しておくべきだったか」
炎弾から逃げていた女の視線がレフィーヤに向けられる。
この炎弾が止み次第、いや今すぐにでも女はレフィーヤを殺しにかかるだろう。
「っ!」
「お前はしぶといな、『アリア』」
柄を握る手が震える。
力が入らない身体を奮い立たせ、そんなことはさせない、と目の前の敵に襲い掛かった。
「【
蘇る気流。
風の加護の力を取り戻し、意志の力で身体が訴えてくる呻吟をねじ伏せる。
降り注ぐ炎、発生した煙で身を隠し、女に突貫。その背後から渾身の力を込めて斬りかかった。
「無駄だ」
その一撃は女が無造作に振った左腕一本に食い止められた。
目を見開くアイズのその腕を掴み、そのまま地面に叩きつける。
「がはっ……!」
叩きつけられた背中が地面を盛大に砕く。
肺から全ての空気を引きずり出されたアイズの身体は、全ての神経が切れたように全く言うことを聞かなかった。同時にその手から剣が滑り落ち、地面に転がる。
いつの間にかアイズを助けようとレフィーヤが放った炎弾も撃ち止めになり、紅蓮の雨は止んでいた。
続けて詠唱をしてはいるが間に合いそうにない。
「先にお前だな。随分と時間がかかったが、ようやく終わりだ。宝玉は台無しにはなったが……お前が手に入るのならこれ以上ない成果になる」
女が手に掛けようと力尽きたアイズに歩み寄る。
アイズが敗北の悔しさに顔を歪める───その
「っ!?」
アイズに歩み寄る女の側面。
燃え盛る炎の海、魔法によって
アイズに匹敵しかねない速度の少年の奇襲に女は目を見張る。
「あっ……!」
だが、そんな奇襲も赤髪の女の驚異的な反応速度によって避けられてしまう。
赤髪の女は一歩後退し、剣の間合いから外れる。そして反撃を叩き込もうと少年に身体を向ける。
レフィーヤとルルネが悲痛な声を上げ、女は虫を見るような表情でベルを見ていた。
(これでも、届かないのか───)
ベルのその顔が苦渋に満ちる。魔法の影響でその剣を止めることはできない。
居合のように構えられた剣を振り抜いてしまい、その一撃が空を切る───はずだった。
黒剣に埋め込まれた宝石が一瞬光を放つ。
「!!?」
赤髪の女の意識外、『風雷と白光』を纏った漆黒の長剣、その斬撃が伸びる。
当たることなく、霧散するはずだった一撃は女の左半身を深く斬り裂いていた。
(───なんだ……何が起きた!? それに、この威力は……!)
理解が追い付かず、左半身から流れ落ちる夥しい量の血を抑え、距離を取る。
奇跡的に女の
アイズを背に庇うように立ち、こちらに剣を突き付けてくるベルを睨みつける。
「紛い物風情が……何をしたっ!」
「………」
警戒するように構える女。目を逸らせば先ほどのような攻撃が飛んでくるとでも思っているのだろう。
だが、先の一撃はベルにとっても予想外の一撃だった。再現しろと言われてもすぐにあんなものできるはずがない。
(魔法が飛んだ……斬撃が飛んだ……剣が伸びた……? でも助かった……これならアイズさんを逃がせるかも……)
剣を突き付けて虚勢を張っているが、魔法とスキルの代償かある程度は回復したはずの体力も精神力も全く残っていない。だが囮になることぐらいはできるかもしれない。
睨み合いが続き、女が口を開こうとしたその時、ベルとアイズの後方から一条の閃光が走る。
「くっ!」
寸前で女がそこを飛び退き、命中することはなかった。
だがその閃光─────見覚えのある長槍─────は荒地と化した地面を穿ち、ベル達に希望をもたらす。
「援軍か……」
女が目を向けた崖上に立つのは金髪の
たった一人。だが女の聴覚はその背後から来ている複数の足音を捉えていた。
「『アリア』と同程度ないしはそれ以上の実力を持つ冒険者が複数……この傷では流石に分が悪い、か」
フィン達が降りてくる姿を確認した女は一度アイズを……そしてベルを強く睨みつけ脇目も振らず速やかに逃走。彼らがベル達と合流する頃にはその背中はもう見えなくなっていた。
「リヴェリア、ここは任せる。僕達はあの女を追う。行くぞ、ティオネ、ティオナ」
「はい、団長」
「りょーかい!」
リヴェリアに指示を出し、フィンはティオネとティオナを連れ、赤髪の女の後を追った。
そんな三人を見送ったベルは緊張の糸が切れたのか膝から崩れ落ちる。完全に崩れ落ちるより早く、ベルを支えるように温かい手が当てられた。
横を見ると、フィン達と共に駆け付けたリヴェリアが心配そうに見つめていた。
「遅れてすまない。レフィーヤ、アイズを治療しろ!」
「はい!」
振り返り、レフィーヤに指示を飛ばす中、リヴェリアも詠唱文を紡ぐ。
二人の手を中心に生まれる温かな緑光が地面に寝かされた二人の傷を癒していく。
「お母さん……」
「なんだ?」
「僕は……アイズさんに
「……わかった。ここでじっとしているんだぞ」
リヴェリアは一度ベルの頬に触れ、アイズの元に向かう。
アイズの治療に終わりが見えた時、赤髪の女を追っていたフィン達が戻ってくる。
「どうだった?」
「……逃げられたよ」
リヴェリアの言葉にフィンは首を横に振る。
最初の差を結局縮めることが出来ず、フィン達が追い付くよりも早く、女は湖に飛び込んだとのことだ。
湖に飛び込まれ、ここでその行方をくらませてしまえば追跡は不可能。
大草原、湿地帯、そして広大な森林。身を隠すところは至るところに存在する。闇雲に探しても見つけることは不可能だろう。
人員を動員しようにも相手はLv.5を劣勢に追い込む怪物。見つけた人間が殺され、結局命が無駄になるだけなのだからそれもできない。
地上に向かうのか『下層』以降に避難するのか。
どちらを選択するにせよ、今のフィン達は赤髪の女の足取りを追うことはもうできないだろう。
「アイズの様子は?」
「命に別状はない。
それに頷き、フィンはベルに手を差し伸べる。
「ベル、立てるかい?」
「はい、大丈夫そうです」
「……すまない。こんなことに巻き込んでしまって」
「……今回の件でフィンさん達が謝ることなんてないです。むしろ謝らなければいけないのは……」
その先を言うよりも早く手を握られる。フィンのその目を見て、ベルはそのまま立ち上がる。
アイズに目を向けると彼女もリヴェリアに支えられながら立ち上がっているところだ。
ベルの視線に気づいたのか、彼女は彼を見て大丈夫、と伝えるように淡く微笑みを浮かべていた。
「………………」
こちらを気遣った笑み。そんな笑みを浮かべさせてしまう自分の弱さに腹が立つ。
最後に一矢を報いることはできたがそれが何だというのだ。迂闊に動いて、アイズに守られて、自分ではなく彼女が傷つけられたというのに結局彼女を救ったのは自分ではない。
フィン達が来てくれなければ、彼女は間違いなく殺されていたのだ。
今の自分では勝てない相手だから仕方がない、そんなことは口が裂けても言えるわけがない。
一人、無力感に苛まれ、悔しさにその拳を強く握りしめる。
階層の天井、蒼い薄闇を生む水晶の薄明かりが、そんな少年を照らしていた。
いつも感想、評価、お気に入り登録、誤字脱字報告ありがとうございます。
作品を書く際の励みとなっております。
今回のアイズのスキル発動時の【ステイタス】は憎悪によってLv.7の最上位に相当していました。しかし、Lv.5のその器では使いこなすことが出来なかったこと、憎悪に満ちていても聞き逃すことが出来ない名前を聞かされて感情がかき乱されたことで全ての力を発揮できずに倒しきることが出来ませんでした。
ベルの最後の一撃はあの剣だから放てたものになっています。
独自の設定がありますが今後ともどうかよろしくお願いします。