ベルとリリは昨日と同じようにダンジョンでの探索を終えて地上に帰還した。
外に出ると辺りにはすっかり夜の帳が降りており、昼間の喧騒とは真逆の夜の静けさというものが辺りを満たしていた。
「ごめんリリ。結構長引いちゃって」
「いえいえ、お気になさらず。ベル様はリリのことなんて気にせずに思う存分戦ってください。その分、リリの懐も温まるのですから」
二人が契約を交わして既に三日。
二人は互いに互いの影響を受けて順調と言える日々を送っていた。
リリのサポートのもと、冒険者としての力を存分に発揮しているベルは特に順調と言えるだろう。
一方で、駆け出しの冒険者としてはあり得ないほどの収益を叩きだすベルの存在は、リリにとってもこれ以上ないものとなっていた。収益以外の要素もそう思う要因となっているのだが。
「じゃあリリ、これ今日の報酬ね」
バベル内でシャワーを浴びて、換金を終えたベル達は昨日と同じバベルの簡易食堂の椅子に座っていた。
ベルは換金所で既に分けてもらっていた二つの袋の内の一つ……大きく膨らんでいる方をリリの前にどんっ、と置く。
それを見たリリは呆れたように一つ溜息をついて、ニコニコ笑みを浮かべている少年を見つめる。
「……ベル様はもう少し常識と物欲というものを知ったほうが良いのではないでしょうか?」
「うーん、常識はちゃんと身についていると思うけど……物欲だってちゃんとあるわけだから僕もお金はもらってるし」
「リリの言う常識というのは冒険者としての……いえ、やっぱりいいです」
目を吊り上げたリリの言葉が詰まる。それを言って目の前の少年が変わってしまうことを恐れるように。
「常識よりもですね、ベル様はもう少し物欲を持った方が良いです。持っているのかもしれませんが物欲が薄すぎます。今のリリの立場で言えることではありませんがベル様は人が良すぎるんですよ!」
その恐れを隠すようにリリは一気にベルに詰め寄る。
ベルはそれを手で制しつつもその行動を嬉しく思っていた。リリが自分との間に何やら線引きをしていたことをよく感じていた身としては、このような小言や行動をとってくれるほどに自分に心を開いてくれたことが何よりも嬉しかった。
「でもリリのおかげでこんなに稼げてるのは事実だし……それにリリだって今はお金が必要なんでしょ?」
「それはそうですけど……そうなんですけど~…………分け前はベル様の方が上、せめて公平にしてください! 戦っているベル様よりもリリの方が多く貰うというのは納得がいきません!」
「え~、でも……」
「でももだってもありません! 今日だってリリの方が報酬が多いっていうのはわかっているんですよ! まだパーティを組んでそこまで経っていないからこそ言います! これからは報酬は最低でも公平にしてください! わかりましたか!?」
「……うん、わかった」
息を切らしているリリをベルはやはり嬉しそうな笑顔で見ている。
その笑顔を見ると自分がこんなに心配しているというのにその顔はなんだ、と少々腹は立つがそこまで嫌な気持ちにはならなかったこと、そして冒険者を心配している自分がいることに驚いた。
その日は結局リリの言う通り、報酬の分け前を公平にしてお互いに同じ額を持っていくことにした。
二人はそのままバベルを出て、そのふもとで少し話す。
バベルの上層に住んでいる神の話にバベルがどうしてできたのかという話、そして天界で過ごしている神々の話。
その話の途中、リリが不意に呟いた『死に憧れていた』という言葉がベルの印象に残った。
昔のことだと彼女は話してその憧れは既に振り切っているような姿を見せていたが何故かどうしようもなく、寂しそうに笑う小さなその姿にベルの胸は苦しくなった。
「さぁ、ベル様。今日はもう遅いのですから帰りましょう。それから明日のことなのですが、【ファミリア】の方で予定が変わり、一度ホームに戻る必要が出来てしまったので明日の探索はお休みさせていただいてもよろしいでしょうか?」
それはリリもそうだった。
ベルと話すその顔には笑みが浮かんでいるが、その内心は穏やかではない。
彼女は自分の中でベルの存在が大きくなっていることに気がついていた。
自分を一人の人間として見てくれるその姿は今まで出会った冒険者とは全く違う。そんな少年が自分の行いのせいで全てを失った時のことを想像すると、昏い喜びどころか罪悪感が抑えきれないほどに湧き上がってくる。
「【ファミリア】の……大丈夫なの? その……他派閥のことに首を突っ込むべきじゃないんだろうけど、すごく心配だよ」
またこれだ、とリリは内心で毒づいた。
その瞳が、その声が、彼女の心を溶かし、かき乱す。
この少年は他の冒険者とは違うのではないか、というありもしない希望を抱かせる。
「大丈夫ですよ! どうせ誰もリリ
そんな考えを心の奥に封じ込める。
どうせこの冒険者も他の冒険者と同じなのだ、と何度も何度も心の中で反復させてフードの下で無理矢理笑みを浮かべる。
この少年が他の冒険者と違うなんて、もうとっくにわかっているはずなのに。
笑みの裏にある虚しさに必死に気付かない振りをしながら、彼女は歩き続ける。
自分をなんか、なんていうそんな少女の姿を少年はしばらく見つめ、やがて彼女を追いかけ始めた。
「……ふふっ、またさらに強くなったみたいね」
場所は【
美しい月に照らされたその室内で、遥か下方に見える小さな白い影に呟きを落とした女は熱を帯びた目で見つめていた。
「予想以上の早さではあるけど……ええ、貴方はそれでいいのよ」
その女───美の神フレイヤは見初めた少年のその成長速度に少々驚きつつも、少年に対する深い情愛と執心をもって、それを称賛していた。たとえ成長が遅かろうともフレイヤはそんな少年をゆっくりと見守っていただろうが。
「より強く、より相応しく……もっともっと輝いて? それが貴方の義務なんだから」
早かろうが遅かろうが成長すればするほど、少年の輝きは増す。
成長が早ければその日が来るのが早くなり、遅ければ少年を影ながら見守るそんな日々が続く……フレイヤにとってはどちらに転んでもそれぞれ違う楽しみ方ができる。
「貴方がどこまで強くなれるのか、どこまで輝けるのか……その魂はどんな色に染まるのか、想像するだけで楽しみだわ……」
恍惚とした表情を浮かべながらフレイヤは初めて少年を見つけたあの日のことを思い出す。
少年を見つけたのは本当に偶然だった。
オラリオ外のある『砂漠の戦争』を終わらせ、何をしてもどこか心が満たされない日々を漫然と過ごしていた時のこと。自分の願いを叶えてくれる存在など『下界』にも存在しないのだろうと諦めかけていたその時だった。
その姿を銀色の瞳に捉えたのは。
あの姿を、あの魂を見た時、フレイヤの時は止まった。
多くの存在を魅了してきたあのフレイヤが
数多くの魂を見てきたフレイヤの眼ですら見たことがないほどに透明なその魂に。
───欲しい。
時が動き出したフレイヤは真っ先にそう思った。
他の何かをかなぐり捨ててでもあの少年が欲しい、と全身が疼いた。
フレイヤの前に現れた見たことがない魂、すなわち『未知』。
初めて見る、という感覚を久方ぶりに味わったフレイヤはこれ以上ないほどに興味を持っていた。
だからというわけではないがフレイヤはもう少し様子を見てみることにした。
今すぐにあの少年のもとに向かって自分の物にするのは簡単だ。だがそれでは自分が求めているモノとは全く違うものになってしまうだろう。
それを知った神々は
「貴方がいつ私のモノになるのか……本当に楽しみだわ……」
フレイヤの眼により強い情愛と慈愛が混ざり合ったような光が宿る。
小さな少女と一緒に歩いている少年を無遠慮に見つめていたそんな時だった。
───彼のその目がフレイヤを射抜いた。
「あら? また気づいたのかしら?」
少年の視点からその姿は見えるはずがない。だがその目は確実にフレイヤを射抜いている。
しばらくバベルの最上階があるであろう場所を警戒するように見つめた少年は何事もなかったかのように歩き出した。
こちらに気づいたことには驚いたが、それ以上にあの少年が自分のことを視てくれたことが嬉しかった。
「初めて見た時は今までの子たちに比べてそんなに才能に恵まれた子には見えなかったけど……ふふっ、誰かの教えとあの子の努力がその才能の差を覆している……それともずっと隠れていた『才能』が開花したのかしら?」
興奮を隠しきれない様子でフレイヤは自身の体に手を回し、自身を抱く。
そうしなければ、全てが台無しになるというのに今にも少年の元へ走っていってしまいそうだった。
「ああ……少し落ち着かないとダメね。いずれあの子は私のモノになるのだからその時まで我慢しましょう。ヘスティアには悪いことをするけど……まあ仕方がないわよね」
所詮、下界はフレイヤの箱庭。いつでも手出しはできる。本当に我慢が出来なくなるその時まで自由に遊ばせよう。
奪う際にあの純粋なヘスティアの悲しむ顔を見るのは少し辛いが、あの少年のためなら背に腹は代えられない。もしあまりにも悲しむようだったらヘスティアも自分の庇護下に置いてたまに会わせてあげるのも良いかもしれない。他の神ならこんなことは考えもしないが、ヘスティアなら別だ。
打算もありはするが、大体は本心からそう思っている。
「貴方を私のモノにするのが待ち遠しいけど…………そうね、そうなる前にもう一つぐらい『魔法』を使えてもいいかもしれないわね」
死んでしまったら元も子もないもの、と付け加えて愛おしそうにベルを見つめ続ける。
フレイヤが見たベルの戦いはシルバーバックとの戦闘と食人花との戦闘。
前者は危なげなく勝利していたものの後者は相手がはるか格上だったとはいえアリーゼが来なければそのまま殺されていた。たとえアリーゼが来なくとも、殺される前に眷属を助けに向かわせたがフレイヤの知らないところで同じような状況になれば助けられるわけがない。
(【ステイタス】自体は随分と成長してるみたいだけど……もしかしたらオッタルみたいに全アビリティを限界近くまで上げてるのかしら……)
限界近くどころか限界を超えて【ランクアップ】しているのだが、流石にそこまではいくらフレイヤの『眼』とはいえ見抜くことはできない。
アビリティには不満はない。だから問題は格上との戦闘になった際、どのようにして格上との差を埋めるのか。そこで『魔法』の出番だ。
(あの子の魔法は見た限りでは二つ。けれどもその二つは雷と風の
───死なせないどころかあの子はより高みへと至れるかもしれない。
更なる高みへと至った少年の姿を想像してしまったフレイヤはいてもたってもいられず、早速手出しすることにした。
「これがいいかしら? それともこれ?」
部屋の隅に鎮座している本棚。多くの本が並んでいるそこから彼女は色んな本を取り出し、中身を見つつじっくりと吟味を始めた。
どのような魔法が発現するのかはその時になるまでわからない。だがより良い魔法が発現する可能性があるモノを選ぶことはできる。
慎重に吟味した結果、一冊の
(あとはこれをオッタルに……いえ、それはやめておきましょうか)
目を向けた先にいるのは限界まで鍛えられたであろう肉体を持つ2
もし彼があの少年の前に現れたら、少年は驚いてしまうかもしれない。
(驚かすのもそれはそれで面白いのだけど、あの子は思ったよりも他の冒険者に詳しい。オッタルが私の【ファミリア】の団長だということも知っているでしょうね)
もし警戒してこの本を読んでくれなかったら……そう考えるとオッタルに任せることはできない。
それに彼の中で【フレイヤ・ファミリア】に対しての警戒心が高まることは避けたい。ならばどうするか。
(……手渡す必要はないわね)
あの少年の行動はよく知っている。単純な話だった。
少年がよく来てくれる……行っている店に置いておけばよいのだ。そうすれば、後はどうにでも彼に本は渡るだろう。もしも知識としてこの本のことを知っていても表紙でバレないようにそこにも細工も施しておいた。
それを見てフレイヤは楽しそうにクスクスと笑みを漏らしていた。だが、不意にその笑みが消える。
「それにしても……あの子の魂にあるあの二つの光……あれは一体何なのかしら」
自分の邪魔をする二つの光……特に金色の光にフレイヤは苛立っていた。
少年を初めて視た時から存在する謎の光は魂を守るかのようにずっとその傍で輝いている。
透明な魂と同様に、魂に寄り添う光などというものは視たことがなかった。
「あの子は欲しいけど……あの光はいらないわ」
魂を見守る翡翠の光はまだいい。だが魂に寄り添う金色の光は許せない。
薄暗い部屋の中、その金色の光に妙な嫉妬を覚えたフレイヤはその整った顔を歪ませ、そう静かに呟いた。
昨日リリが言ったように、彼女はバベルの門の前にはいなかった。
【ファミリア】の集まりがあるからとは言ってたけど…………
「リリ、大丈夫かな……」
その【ファミリア】の集まりというのがどうにも不安だった。
リリの【ファミリア】内での扱いは彼女から聞いたから知っている。大丈夫だと言ってはいたもののその扱いを聞いた身としては心配で心配で仕方がなかった。
でも心配だからって【ソーマ・ファミリア】の
「……今日は僕も探索休もうかな」
リリのことを考えたらどうにも気分が乗らなかった。
こんな気持ちでダンジョンに行くのは危険だろうしね。
───そんな楽をしている場合じゃないだろ?
頭の中に響いてくる誰かの声を頭を振ってかき消す。
「とはいえ、何を……今日中に武器とかアイテムを補充しておこうかな」
あの戦いで武器を失ってしまったし、時間が出来たのなら見繕うのもありかもしれない。
【ロキ・ファミリア】の
そう考えた僕は早速バベルの上の階層に向かい、自分に合いそうな武器を探すことに決めた。
そう決めたのはいいのだけど……
「………うーん……どれもしっくりこないかな……」
色々な剣を手に取ったり、軽く振ったりしたけど、どれも手に馴染まない。
あの紅剣みたいに、とはいかないとわかってはいたけどここまでとは思っていなかった。
(あの剣を打った人の名前が分かればなあ)
まあ仕方がないか、と僕は店を後にすることにした。
馴染まない武器を使って変な癖がつくのも嫌だし。
結局また手持ち無沙汰となってしまった。
アイテムを買いに行くことも考えたけど、よく考えたらアイテムはほとんど消耗していない。フィンさん達からもらったものと僕が買ったものを合わせたら十分すぎるほどに残っている。
「今日は部屋の掃除でもしようかな。最近ずっと神様に任せっきりだったし」
たまには休むのも大事だ、と自分に言い聞かせてそのまま僕は
ある程度綺麗にしたところで終わりにしようと思ったのだけど、始めると集中してしまって気づけばお昼になっていた。部屋に関しては自分でも驚くほどに綺麗になっている。
「お昼は……バスケットを返しにも行きたいしシルさんのお店で済ませようかな」
部屋の片隅に置いてあるバスケットを持って僕は部屋を出る。
夜には何回か行ったことはあるけど、お昼に行ったことはなかったっけ。
お昼のあのお店はどんな感じなのかな、とちょっと楽しみにしながら僕は店に向かって歩き出す。
お店に辿り着いた僕を迎えてくれたのはやっぱりシルさんだった。
「あれ? ベルさん!」
「こんにちはシルさん。席空いてますか?」
「はい! 大丈夫ですよ! お昼にも来ていただけるなんて嬉しいです!」
嬉しそうな笑顔で歓迎してくれたシルさんにまずバスケットを返して席に着く。
メニューを見つつ、周囲に視線を向けると僕の他にも何人かの人達が店内でくつろいでいる。夜の時の冒険者に溢れた喧騒とは違い、女の人やその人たちに連れられた子供たちが中心で穏やかな空気が流れている。
(メニューも夜の時とは結構違うんだな。喫茶店みたいな料理がほとんどだ)
料理を注文しようと店内を見渡すと、一冊の本が目に入ってきた。
目立つところとはいえ一冊だけ置いてあるその本はインテリアと見るにはその……正直変だ。
「ベルさん、ご注文はお決まりで……どうかしましたか?」
「えっと、この本なんですか?」
「ああ、それは……いつの間にか今ベルさんが座っているカウンター席に置いてあった本なんです。昨日までなかったのに今日の朝に急に現れて不気味だったので……こうして飾っておいて何があってもいいようにしてるんです」
本が急に現れるのは確かに結構不気味かもしれない。
いや……こんな風に飾ったりするのはどうなんだろう……
一応その本を視界に入れないようにしながら料理を待つ。
運ばれてきた料理を食べているといつの間にかシルさんが隣に座っていて、彼女と取り留めのない会話を交わす。時折ミアさんの視線が飛んできてたけど大丈夫なのかな?
「それじゃあ今日は探索をお休みにしたんですね。それでお昼にここに来てくれたと」
「今日はちょっと気乗りしなくて……ずっとダンジョンに潜っていたのでたまには休むのもいいかなって」
嘘だ。探索を休むと決めた時から背中が熱くなって、頭の中でずっと声が響いてきている。
もっと戦え、もっと早く強くなれ、もっと自分の弱さを恥じろ、など今まで聞こえてなかった僕を責める誰かの声が。休んでよかっただなんて今の僕は少しも思っちゃいない。
「……休息というのは大事なものですよ? だからそんなに休んだ自分を責めないで大丈夫」
その声に顔を上げるとシルさんが心配そうな顔で僕のことを見ている。
考えていることを表情に出さないようにしていたのだけど、顔に出てしまったのだろうか。
口元を隠す僕をシルさんは少しの間見つめ、微笑む。
「ベルさん、読書はお好きですか?」
「えっ?」
脈絡がないその声に思わず呆けた声が出る。
読書はそんなに嫌いじゃない……というか結構好きかな。
英雄譚とかお母さんがよく読んでいた本とか色々見てきたし。
「結構、好きだと思います。それがどうしたんですか?」
「それだったら読書するのは如何でしょうか。休息をとったことで色々なことを考えてしまうのなら、そんなことを考える隙も無いくらいに一つのことに集中するのもいいですよ」
いつの間に持ってきていたのか飾ってあった白い本を手にしながらシルさんは笑う。
表紙を開いて、目次を見たシルさんは一つ頷いて、その本を手渡してくる。
「この本、目次だけ読んでみたんですけど冒険者様のお役に立てそうな内容のものなんです。ゆっくり休みながらこの本で勉強もしたらそんなにご自分を責める必要はなくなるんじゃないでしょうか?」
手渡された本の重みが手に伝わってくる。
頭の中で響いていた声はシルさんの言葉で少しだけ収まったような気がした。
大きく
「……帰って読書することに決めました。話を聞いてくれてありがとうございます、シルさん」
「お役に立てたのなら何よりです。その本、もしも読んで気に入ったのでしたらそのままベルさんの物にしても大丈夫ですので」
「流石にそんなことしませんよ。この本は読み終わるか本の元の所有者がいるのならその人が現れるまで僕の
「ありがとうございます! 私たちもちょっと扱いに困っていたのでそれはとてもありがたいです」
シルさんはまだ何か言いたそうにしていたけど、奥の方からミアさんの声が響いてきて残念そうに席から離れていった。
本を隣に置いて、少し冷めてしまった残った料理を口に運ぶ。うん、冷めてても美味しい。
食事を終えて席を立った僕はもう一度シルさんにお礼を言ってからお店を後にした。
「シル、あの本を渡してしまったのですか?」
「うん。渡しちゃった」
「一応店の備品扱いだったのですが……それにあんな怪しい本をクラネルさんに渡すのはシルにしては珍しいような気もするのですが……」
「確かに結構怪しいよね……でも大丈夫。あの本は、きっと大丈夫」
「…………シル?」
僕は知らない。
店の中でシルさんが慈愛に満ちた微笑みを浮かべていたことを。
まるで僕を見守る何処かの神様のように、横にいたリューさんだけがかろうじて気付ける微笑みを浮かべていたことを。
ホームに戻った僕は早速シルさんから貰った本を読むことにした。
椅子に座り、テーブルの上に置いた白い本をじっと見る。急に現れたというのは正直不気味だけど、見たところやっぱりただの本だ。聞いたことがない題名とあまり見たことがない装飾をされているから結構な高級品だという予想はできる。
そうやって表紙を見ていると頭の中の声が早く読めと言わんばかりに騒ぎ出す。その声に従ってとりあえず表紙を開いた。
『自伝・鏡よ鏡、世界で一番美しい魔法少女は私ッ ~番外・めざせマジックマスター編~』
『ゴブリンにもわかる現代魔法! その一』
僕はそっと本を閉じた。一度眉を揉んで表紙をじっと見る。
この装飾から結構期待していたんだけど、一ページ目に書かれていたその二つで一気に気が抜けてしまった。頭の中で響いていた声もそれに呆然としているのか何も響いてこなくなっている。
シルさんは一体これの何を見て冒険者の役に立つと言ったんだろうか。それとも目次だけと言っていたけど本当はもっと先まで読んでいたからそんなことを言えたのかな?
正直もう見る気はなくなってしまったけど、せっかくシルさんから借りたのだからそれを無駄にするのも忍びない。ちゃんと最後まで読もう。
出だしを無視して読むとこの本は『魔法』に関するものだということがわかった。
まあ目次にも魔法がどうとか書いてあったからわかってはいたけども。
内容は章のタイトルとは違って、至って真面目なものだった。真面目なものではあるのだけど内容は七年前にお母さんから学んだことがほとんどだ。
復習にはなるから次々読み進めていくと、一文一文の間に妙な文字?(数式?)が走っていることに気づく。【
ページをめくる。
このページからあの人に教えてもらっていない文が続く。いつの間にかその文に引き込まれながらただ読み進める。魔法とは興味である、引鉄は常に心の中に介在するなどの言葉が次々頭の中に入ってくる。
ページをめくる。
【絵】が現れた。
顔も目も鼻も口も耳もある人の顔。真っ黒な筆跡の文章で出来た、瞼を閉じた人の顔の絵。
ページをめくる。
『欲するなら問え。欲するなら砕け。欲するなら刮目せよ。虚偽を許さない醜悪な鏡はここに用意した』
それが僕の顔だと気づいた瞬間、その絵の瞼が開いた。
もう一人の『僕』の目が僕を射抜いたその時、僕の意識は途絶えていた。
ページをめくる。
『じゃあ、始めよう』
僕の声が聞こえてくる。頭の中で響いていた声とはまた違う僕の声。
いつの間にか周囲の景色が変わり、手の中から本が消えていることにも気づかずにその声に耳を傾ける。
消えたはずのページをめくる。
『僕にとって魔法って何?』
憧れだ。
憧れの英雄達が使う起死回生の切り札。
永遠に追い求め続ける金と翡翠の憧れ。
『僕にとって魔法って?』
道を切り開くものであり、誰かを守るためのものでもある。
無力な自分の力を補ってくれて、大切な人を守るために力を貸してくれる……困難な状況に陥った時、目の前にそびえ立つ高い壁を打ち破ってくれるそんなもの。
『僕にとって魔法ってどんなもの?』
風……ではない。あの『風』はあくまで僕を救ってくれた『彼女』の魔法。僕はその力を借りているだけに過ぎない。だから僕にとっての魔法というものは……………『炎』だ。
大切な人の笑顔を守り、絶望を打ち滅ぼした炎。
守らなければいけない人達に希望をもたらす不滅の聖火。
厳密に言うとあの『炎』は魔法とは違うのかもしれない。
だけど僕にとっての魔法は……あの『炎』だ。
『その魔法に何を求める?』
……より速く、より強く、雷霆のように駆け抜け、あの人を守れることを。
あの人が苦しんでいるのなら、誰よりも速くあの人を救えることを。
『それだけ?』
叶うのなら…………あの人の隣に立つ資格が欲しい。
あの人が、ずっと笑っていられる世界を作る力が欲しい。
あの人を蝕む絶望を、あの人の闇を晴らせるような、英雄になりたい。
『我ながら欲張りだねぇ……』
欲張りだったとしても、僕は
それが、僕の
『わかってるさ。それが
目の前の僕がそっと微笑んだ。
それを見た瞬間、僕の意識は現実に引き戻された。
わずかに声が聞こえる。
聞き慣れた綺麗な声。徐々にその声は大きくなり、やがて僕は目を覚ました。
「ベル君!」
「ぁ……あれ、神様……?」
「起きたかい? どうしたんだいテーブルの上で突っ伏したりなんかして。具合でも悪いのかい?」
心配そうな神様の顔が近くにある。ぼんやりとした頭のまま、僕は顔を上げて周囲を見る。
場所は変わらずホームである教会の隠し部屋。時間は……夜の七時!?
時間を見て一気に頭が覚醒する。読み始めたのが一時過ぎだということを考えたらもう六時間眠っていたことになる。
「ってああ、本を読んでたのか。本を読んでたら眠気に負けちゃって机で寝ちゃったってところかな?」
……寝ていた?
神様の視線の先、テーブルの上にある白い本。これを枕にして僕は眠っていたらしい。
読み終わってる……?
読んでいた時のことを思い出そうとしても記憶に霧がかかったかのようにぼんやりとしている。
誰かと話して、その誰かに何かを尋ねられていた記憶はある。けど現実味が全くない。長いようで短いそんな夢を見ていたような……
「大丈夫かい? もし具合が悪いのなら休んでいていいよ」
「……いえ、大丈夫です。夕食の準備、僕も手伝います」
心配してくれる神様の言葉を制して、一緒に夕食の準備をする。
先に帰って来ていたのに何も準備できていなかったのが申し訳なかったけど、そのことに対して神様は嫌な顔一つしなかった。
「そういえばあの本はどうしたんだい? 君の趣味に合うような本とは思えなかったけど」
「あれは……知り合いの人に貸してもらった本なんです。ていうか趣味に合わないってなんですか。僕だってこういう本は読みますよ?」
「あはは、ごめんよ。それにしてもこんな古めかしい本、その人もよく持っていたね。ボクでも滅多に見たことがないよ。よければ後で見せてもらえないかな?」
「はい、わかりました」
夕食の片づけをして、シャワーを交互に浴びた僕達は今日も【ステイタス】の更新をすることにした。
前回から期間は空いていないからそこまでは上がっていないかもしれないけど。
神様が針を取り出している間に上着を脱いでベッドの上にうつ伏せになっておく。
「じゃあ始めるよ。といっても更新したばかりだからそこまで伸びて……おや?」
背中をなぞっていた神様の指が止まり、不思議そうな声を上げて止まる。
口も指も動かなくなった神様に何か問題でもあったのか聞く。
「……魔法。スキルを除けば、二つ目の魔法が発現してる……だけどこれ───」
「本当ですか!?」
「のわっ!?」
驚きのまま体を起こしかけたところで、背中に神様が乗っていたことを思い出す。
神様を弾き飛ばすギリギリで踏みとどまり、ゆっくりと元の体勢へと戻る。
「すみません神様……」
「平気平気! ちょっと驚いたけど……まあとりあえず全部終わらせるからもう少し待っててくれ」
ちょっとそわそわしながら待っているとすぐに更新は終わった。
神様が書き写してくれた紙をもらい、他には目もくれず、魔法の欄を見る。
【ファイアボルト】
・速攻魔法。
・戦意によって威力上昇。
・護るという意志によって効果向上。
それを見た僕の心は喜びよりも困惑の方が強かった。
……詠唱文がない? 速攻魔法ってどういうこと?
魔法というものは全て『詠唱』をしなければ発動しない。加えて詠唱の長さでその魔法の威力は決まる。
そうだというのにこの魔法には詠唱文が存在しない。神様が書き忘れたという線もまあないだろう。
「一応言っておくけどボクが書き忘れたってわけじゃないからね」
「あ、はい。流石にわかってます」
「そうかい? それじゃあ早速この魔法について一緒に考察していこうか」
まず神様と話したのは魔法の発動条件について。
魔法の欄は何度見ても魔法名と効果と思われるものが書かれているだけで詠唱文は存在していない。だから僕らはこの魔法には詠唱が必要ないのではないのかと推測した。
詠唱がないということは書かれている通り、速攻で発動できるという利点がある。しかし『詠唱』が短いどころかそれがないこの魔法は他の魔法のような決定打にするには威力が足りない可能性が高い。
それでも無詠唱で魔法を撃てるというのは戦闘の際、僕に大きな優位性をもたらしてくれると思う。
次の二つはまあそのままだろう。これに従えばこの魔法の威力を高めることが出来るというもの。護るという意志がトリガーになるのは攻撃系の魔法としては珍しいんじゃないかと神様は言っていたけど。
「結局推測の域を出ないからボク達の考察が当たってるのかはわからないし明日試し撃ちでもしておいで。それが一番手っ取り早くこの魔法について知れる方法だから」
「……それもそうですね。これ以上考えても何も出てこなさそうですし」
もう夜も遅い。今からダンジョンへ向かったとしても明日に支障が出てしまうだけだ。
僕達はこのまま就寝することにした。寝る前に簡易的な本棚にシルさんから借りた本を仕舞う。
(あ、神様が本読みたがってたの忘れてた。まあ明日でもいいかな)
神様は随分と疲れていたのかもうベッドの上で寝息を立てている。気にしていたとはいえわざわざ起こしてまで読んでもらうようなものでもないだろう。
翌日、本の正体が
いつも感想、評価、お気に入り登録、誤字脱字報告ありがとうございます。
執筆の際の励みとなっております。
ベルは知識として
今回、炎の魔法が発現したのはアイズ達に出会う前に読んだ祖父が加筆済みの『英雄を始めた男』の物語が深く心に刻み込まれていたからです。魔法のように『ある炎』を扱い、多くの敵を打ち滅ぼした大英雄の物語が。
閲覧いただきありがとうございました。
今後ともどうかよろしくお願いします。