ダンジョン12階層は上層域の最終階層だ。
10階層、11階層と同様に霧が立ち込めるが、霧の深さはその二つの階層の比ではないほど深い。
ただ深い濃霧のせいで今までより周囲が見えなくなることもあるけど、戦い方はそこまで変えなくても問題ないだろう。
「よっ、と!」
12階層に来てから数十分。非常に順調に探索は続いていた。
襲い掛かってきた『シルバーバック』の首を右手に持つ《神様の剣》で刎ねる。同時に濃霧の中から飛び出してきた『インプ』の魔石を左手に持つ
戦闘が始まって十数体のモンスターを倒したところでモンスターの群れが途切れ、辺りに静寂が訪れる。
「これ、結構使えるな」
あの紅剣に比べればリーチも切れ味も劣るけど、十分にもう一本の剣として扱える。劣ると言ってもこの階層では十分に通用するからそこも問題ない。上層最硬の『ハード・アーマード』の甲羅を斬り続けるのは流石に無理だけど、それ相手には《神様の剣》を使えばいい。
「ベル様、そちらどうでしょうか」
「思ったよりも使いやすいよ。これ一本でも普通に戦えるかも」
ハード・アーマードの甲殻を斬らないように意識して、魔法と組み合わせればの話だけど。
……《バゼラード》と《神様の剣》を比べたら《神様の剣》の性能は凄いな。
特に注意しなくてもハード・アーマードの甲羅を簡単に斬る攻撃力、あの
「うーん……」
「どうかしましたか? ベル様」
「《バゼラード》を使ってて改めて思ったんだけど、やっぱり武器の強さに頼り過ぎてるような気がするんだよね」
武器の性能が良すぎて戦い方が雑になっているような気がしてならない。ただでさえ【ステイタス】の貯金まであるというのに。
今は通用しているかもしれないが、武器に頼った雑な戦い方ではこの先の未来はない。
「そこまで頼りきりになっていないような気がするのですが……気になるようでしたら一度《バゼラード》一本で戦ってみますか?」
「……そうだね。一回そうしてみようかな」
効率は少し落ちてしまうかもしれないけど、モヤモヤした今の状態で戦うのもそれはそれで何かイヤだ。
左腰の鞘に黒剣を仕舞い、《バゼラード》を右手で持ち直す。
(これで───)
準備完了、と探索を再開しようとしたその時、腰に差した黒剣に注がれる視線に気づいた。この場にいるのは僕とリリだけ。周囲に冒険者は一人もいない。ならば視線の正体が誰なのかはもう明白だろう。
(………………)
リリはこの剣を狙ってる。
もう確定と言っていいだろう。多分僕に近づいたのもこの剣が目的なんだろうな。
───どうするのが、正解なんだろ。
ここでそれを追求したら多分リリは上手く誤魔化してくる。そして追求したが最後、リリは僕から離れるだろう。それでいいのかもしれない……本当なら。
でもリリのことを知ってしまった以上、そんな終わり方を認めることが出来ない。
「……ベル様?」
急に黙り込んでしまった僕にリリが困惑した声を出す。
後ろを振り返って怪訝そうな表情を浮かべるリリを見て、少し目を細める。
「……リリ。この剣、預かっててくれないかな」
「………え?」
剣帯から《神様の剣》を取り外し、リリに差し出す。
正気か、と言わんばかりにリリは目を大きく見張っている。だけどそれに気付いていない振りをする。
多分だけどリリは僕がリリのことを怪しんでいると気付いているから……もしくは怪しんでいると思っていたからこんな目をしたんだろうな。
「僕が持ってたらすぐに使っちゃいそうだからさ、いざという時が来るまでリリに預かっててほしいんだ」
どっちにしろ正直賭けだ。それもかなり分の悪い賭け。
こんな分の悪い賭けに使ってしまうことを心の中で謝罪して鞘に入れた剣をリリにもう一度差し出す。
「い、いざという時って……どんな場面で渡せば……」
「そこはリリの判断で上手くやってくれればいいよ。 ……信頼してるからね、リリ」
リリはしばらく差し出された剣を見つめていたけど、やがて大事そうに僕から剣を受け取り、バックパックのすぐに取り出せる位置に差す。
もう一度巻き込んだ剣、そしてこの剣を贈ってくれた神様に謝意を込めて目を瞑る。剣は不満を訴えるように紫紺の輝きを放っていたけど、少し経つとその光は静かに消えていった。
「それじゃあ、再開しようか」
僕の確認にリリは小さく返事をして歩き出す。
フードから覗くその顔は、痛みを堪えるように辛そうに歪んでいた。
そんなことがあったけど、探索は非常に順調に進んでいた。
少しは効率は落ちると思っていたんだけど、
威力などを度外視すると乱戦に関してはこの組み合わせの方が戦いやすいとまで感じている。
(このペースでいけばかなり稼げるかも……)
どこまでが本当なのかはわからないけど、大金が必要というリリの言葉に嘘はない。
リリが何か動きを見せるのだとしても目標金額を達成できるように今は頑張ればいい。
「………ベル様」
「うん」
12階層の広いルームを進んでいた時のことだった。
大量に生えている『
引き抜かれたのは周囲の物と同じ枯れ木だろう。この枯れ木は引き抜かれてもすぐに元の場所から生えてくる性質を持っている。だというのにまだ生えて来てないということは───
『ォオオオオオオオオオオオオ!』
「ッ! 下がってリリ!」
当然こういうことだろう。
濃霧からオークが飛び出してきた。まず出てきたのは三体だけど多分霧の中にはまだいる。
予想通り、三体全てのオークは武器を装備して強化されている。
───問題なし!
地を蹴り、一体のオークの足元へ。勢いそのまま《バゼラード》でオークの腱を斬り裂き動きを封じる。
悲鳴と共に崩れ落ちていく巨体を踏み台に二匹目のオークの顔を空いた左手で掴み、そして叫ぶ。
「【ファイアボルト】!」
左手から迸る炎雷によって二匹目の首は吹き飛んだ。
塵に変わる前にその背中を思いっ切り蹴りつける。腱を失って倒れるオークは勢いよく倒れてくるその巨体に押し潰された。
蹴りつけた勢いを利用し、何が起きているのかようやく理解して動き出した三匹目のオークに向かう。
『ブゴオオオオオオオオオオオオオオッッ!』
「遅い!」
棍棒を高く振りかぶったことでガラ空きとなった胸部に魔法と斬撃を叩き込む。
その二撃で魔石が砕けたのか三匹目のオークは塵となって消えていった。
「あとどれくらい来る? 引き抜かれた木の数は…………なんだ? この臭い……」
武器に付着したオークの血を払い、周囲を油断なく見渡したその時、妙な臭いが鼻をくすぐった。
周囲を見ても臭いの正体は見当たらなかったがもう一人の姿が見当たらないことに気付く。
「リリ!?」
後ろにいたはずのリリの姿は影も形もなかった。
モンスターに襲われた……あの冒険者に攫われた…………僕から逃げ出した。
色々な想像が頭を過ぎったがすぐにその場を駆けだす。
どんな理由だろうと探してからじゃないと始まらない。
(モンスターに襲われて焦って逃げ出したのが一番最悪だ。それ以外だったら上に続く階段の方に向かえば……!)
枯れ木の間を駆け抜け、襲い来るモンスターを魔法で迎撃して探していたその時、より強烈な異臭が鼻を襲った。
少し吐きそうになりながら臭いの発生源に向かうと…………そこにリリはいた。
「っリリ!」
「ッ!? ……ベル、様」
なんでここに、とリリの唇が動く。
リリがいたことに安堵しつつもその足元……木の根元に置かれた大量の
「リリ……それは何のために───」
「こんなに、早く見つかってしまうなんて……ここしかないと思ったんですけどね……」
リリは今にも泣き出してしまいそうな表情で僕のことを見ている。
僕が何かを言うのを遮り、リリは続ける。
「ベル様……もうここまでです。今までありがとうございました」
「何を……何を言ってるんだ……!」
目元を拭い、いつものように笑うリリ。
リリとの距離はほんの十数
「……ベル様は、もう少し厳しくなるべきだと思います。騙されてるって
俯いたリリの言葉が急に止まる。それ以上先の言葉を言いたくないように。
ほんの少しフードから覗くのはリリの口元。瞳は全く見えないがその唇は小さく弧を描いているが、どこか寂しそうな笑顔だった。
その笑みが意味するものを理解して、僕は拳を握り締めていた。
覚悟はしていた。だけど同時に何も起きないんじゃないかって期待もしていた。
僕が行った賭けは全く無意味なものだったんじゃないかって…………
「…………これは、差し上げます。先ほどまでの数ならともかくこの程度の数は貴方の相手にならないかもしれませんが……どうか無事でいてくださいね」
でも駄目だった。
リリとの間にあった溝は、埋まっていなかった。
「待って、リリ!!」
リリは最後に地面に紅い短剣……『魔剣』を投げ捨て、僕に背を向ける。
霧の奥へ消えゆくリリ。それを追いかけようとしたその時、霧の中から
「なっ!?」
咄嗟に左手の『グリーン・サポーター』で背後に受け流す。
かなりの衝撃に左腕がわずかに痺れを訴える中、背後を見るとそこにいたのは『竜』。
「『インファント・ドラゴン』……! しかも───」
目の前の竜の警戒を怠らずに周囲を見る。
霧の中から現れるのは多種多様のモンスターの群れ。
先ほどのあの場所から引き連れて来てしまったモンスター。
インファント・ドラゴンが呼び寄せたモンスター。
その全てが一か所に集中してしまったこの様相はまさに───
「……『
多分リリが想定していたのは
だって───この数をLv.1が突破できるはずがない。
見える範囲で僕を囲むモンスターの数は大型小型含めて五〇はくだらない。
霧の中にも多分まだまだいるだろう。
「……【
個々の強さはミノタウロスには劣る。だけど数というのは決して侮ってはいけない。
ましてや
───全て倒す必要はない。数を減らして突破口を作るだけでいい。
魔剣を剣帯に差し、モンスターを睨みつける。
「……まだ、リリとちゃんと話をしてないんだ…………邪魔をするなっ!!」
背中が熱く燃え上がる。深紅の瞳にわずかに黒い光片が散る。
高ぶる感情の赴くままに地面を踏み砕き、モンスターの群れに飛び込む。
瞬間、12階層に嵐が巻き起こった。
「【響く十二時のお告げ】」
11階層で一つの詠唱が響き渡る。
その詠唱の発生源にいたのは
リリのその姿はベルがあの路地裏で見たパルゥムの少女そのものだった。
シアンスロープのリリルカ・アーデなんて少女はどこにも存在していなかったのだ。
「……………」
魔法を解いたリリはフードを深く被りなおし、ダンジョンを歩く。
俯くリリの胸中は様々な感情で荒れ狂っていた。
(……これで、もう)
あの少年と会うことはない。
少年が自分にくれた居心地の良さを惜しみながら、それをかき消すために頭を振る。あの少年が自分のことを怪しんでいると確定した時点でもうそれ以上関係を続けることはできないのだから。
たとえこんな自分にも優しかった少年でも、全てを知ってしまえばこんな自分を許すことはないだろう。自分が行おうとしたこと、行ってしまったことはそのようなものなのだから。
それにどうせあのまま契約していたとしてもいずれ必ずバレるその時が来てしまう。
自業自得でしかないが、あの少年に捨てられるその日が来てしまった時、自分が耐えられる姿は思い浮かばない。それなら、さっさと裏切ったほうが───
「……………」
そこまで考えたところで自分の顔が暗くなっていることに気付き、ぶんぶんとまた頭を振る。
溢れ出る罪悪感を無理矢理抑え込む。いつものように冒険者に対する憎悪でそれを上書きしようとするが、今回に限って何故か全く上手くいかず、罪悪感を抑え込めない。
こみ上げてくる何かを堪えて必死に眉を吊り上げる。
(冒険者なんて……冒険者なんてっ……)
どうせあの少年だってリリのことを馬鹿にしているに違いない。たかが
自分に良くしてくれた老夫婦みたいに、どうせ最後には捨てられる、見捨てられる。
(ベル様だって……ベル様、だって………)
あの少年にそんなことをされたらもう二度と立ち直ることはできない。心は完全にへし折れてしまう。
なら捨てられる前に……裏切られる前に裏切るしかない。裏切るしかないのだ。
「……っ!」
ベルがくれた沢山の温もりは今もリリの中に残っている。
裏切られたベルが浮かべていたその顔も、記憶にこびりついていた。何があっても忘れることはできない。
今まで経験したことのないほどに疼く胸の痛みを全力で走り、脳内にダンジョンの地図を開くことで塗り潰す。全力で走ったことと帰還するにあたって効率の良い道を頭に叩き込んでいたこともあって、リリは12階層からあっという間に8階層に辿り着いていた。
ここまでモンスターとの
(久しぶりにツキが回ってきたんでしょうか)
8階層を駆け抜け、7階層に続く階段を一気に駆け上がる。
12階層から7階層までは決して気が抜くことはできなかった。これらの階層に出てくるモンスターはリリ一人の手に余るモンスターばかりなのだから。
だが7階層を乗り越えれば、あとはもう楽勝と言っていい。出てくるモンスターの強さもそうだが、単純に上の階層は狭いため、モンスターに見つかったとしてもすぐに上に続く階段を見つけられるからだ。
それがわかっているリリは速度を一切緩めず、見えてきた次のルームに飛び込んだ。
(ここを抜ければ次の階段が───)
「嬉しいねえ、大当たりじゃないか」
身を飛び込ませた次の瞬間だった。
視界の外から伸びた足がリリの膝を捉える。足に引っかかったリリは勢いよく顔から地面に飛び込んだ。
(………?? 何が……っ!?)
何が起こったかわからず混乱しているリリを長い影が覆う。
はっとして顔を上げる前に、力任せに振り抜かれた拳がリリの頬に食い込んだ。
「ふぎっ!?」
「詫びを入れてもらうぜぇ……この、糞パルゥムがあっ!!」
鼻から血が流れる間にもう一発、力任せにぶん殴られる。
痛みにリリが蹲ろうとしたその腹につま先が食い込み、小さなリリの体が地面を転がる。
転がるリリの耳にブチッ、とバックパックのベルトが千切れる音が聞こえ、バックパックが背中から離れ詰まっていた魔石や
「あっ……ぐぅ………づぁ……」
「ははははははははははっ!! いいザマじゃねえか! 薄汚ぇてめえにはお似合いの姿だぜ!」
痛みに悶えるリリを見て、男は心底愉快だと大きく笑う。
痛みで視界が明滅する中で、その声の主に目をやる。
───あ、の時の……冒険者……。
声の主はベルに接触していた冒険者の男。リリの元雇い主。
呆然と見上げてくるリリのその瞳を見て、男は大きく唇を歪めて醜く笑う。
「そろそろあのガキを見捨てる頃だと思ってたぜぇ? ついでにこうして網を張ってりゃあ、絶対会えるってのもなぁ!」
「っ!?」
男が言うには
そしてリリはそんなことも知らず、12階層からの幸運の揺り戻しが来ているかの如く、他のルートではなくよりにもよってこの男が待ち構えているルートを選択してしまったのだ。
「ああ……一応聞いておいてやるか……あの白いガキはどうしたんだぁ?
「ぐっ……!」
男の足から腹を守ろうと間に挟んだ腕からパキッ、という音が聞こえ、リリは再び地面を転がる。
男に目をやるとニヤニヤと笑いながら近づいてきているが、その目は何かに怯えるように絶え間なく動いている。
「……怖いんですか?」
「あぁ!?」
図星か、とリリの顔に笑みが宿る。
その笑みを見て男の顔から余裕が消え、焦燥感に満ちた表情を浮かべる。
「ふふっ……そういえば貴方は……ベル様から、みっともなく逃げてましたもんね………あの人が来るのが、怖いんでしょう?」
「ざっけんなっ! 誰が……誰があんなガキにビビってるって!?」
そんなことを言いながらも男の足は止まり、辺りを警戒するように見回す。
奇跡的に生まれた隙。その隙を利用してリリは必死に頭を回す。このまま逃げることが出来なければ、どれほど悲惨な末路がリリを迎えるだろうか。
痛みで思考が邪魔される中で必死に打開策を考えていたその時、ルームに声が追加される。
「何してんでさぁ、ゲドの旦那ァ」
聞き覚えるのあるその声にリリの体が凍り付く。
「カ、カヌゥか……驚かせてんじゃねえよ」
リリが来た通路とはまた違う通路から現れたのは中年の獣人。
昨日リリに絡んだ冒険者の一人、今まで散々リリを虐げてきた【
(協力者、って……)
「さっさと身包みを剥いじまえばよかったのに何してんですかい。おかげでこっちの
暗く湿っているその瞳には隠しきれない苛立ちが宿っている。
予定というのが何かは分からない。だが碌なことじゃなかったんだろうなとリリは悟る。
「悪かった悪かった。俺にも色々あんだよ。お前も来たんならちょうどいい。身包み剥ぐの手伝えや」
ゲドと呼ばれた男の顔に余裕が戻るのを見て、リリは下唇を噛む。
さっきまでが最大の好機だったというのにそれを逃した。加えて協力者まで現れ、二対一。
いよいよまずい。
「魔石に、金時計……あとはドロップアイテムか……しけてんなあオイっ!」
布の服だけになったリリの腹に再びゲドの足が食い込む。
吐瀉物を撒き散らしながらリリは再び地面を転がった。
(あの剣は……バックパックに隠れて見えてない…………?)
ほんの少し安心したのも束の間、現れた男……カヌゥにその小さな体を持ち上げられる。
「いえいえ、まだまだここから……オイ、アーデ。お前、昨日は金がないって言って出さなかったよな? もうネタは上がってんだ。誤魔化せば……」
「わかりました! わかりましたからっ!」
何故か紫血に濡れている剣を引き抜き、これ見よがしにリリの首元に持ってくる。
そのかろうじて理性をつなぎとめてる表情にリリは首を縦に振った。
このままではまずいとリリは隠していた小さな鍵の首飾りを差し出す。
「ああ? なんだそりゃ」
「オラリオの、東区画にある……ノームの隠し金庫の鍵です……」
「
「入ってるのは、ノームの宝石です……」
「……へぇ、考えるじゃねえか」
ノームの宝石。その価値を知っているのかカヌゥとゲドは薄ら笑いを浮かべる。
これ以上は何もない。もしこれ以上を求められたらと考えていたリリの首元から剣が離れる。
「なあゲドの旦那。ちょいと耳を貸していただけやせんか」
「あん? なんだよ」
顔を上げたリリの視界の先、二人の男がニヤリと寒気がするほどの笑みを浮かべた。
「容赦ねえなあオイ! 仮にも【ファミリア】の仲間じゃねえか!」
「はて、なんのことやら」
ゲラゲラと嘲笑を浮かべるゲドととぼけた表情を浮かべるカヌゥを交互に見比べる。
何を話したのかはわからないが、リリの本能は警鐘を鳴らし続けている。
「なぁ、アーデ?」
「……はい」
「お前がこの方の剣を盗んだってのは本当か?」
リリは躊躇しながら頷く。
するとカヌゥは芝居のかかった様子で顔を手で覆い、わざとらしく嘆くような素振りを見せる。
「ああ、なんてことをしてやがるんだ。ヒト様のモノを盗むなんて……一体どんな教育を受ければこんなコソ泥に育つのか……」
「…………どの口が」
リリの呟いた言葉はカヌゥの耳に入らなかったのか特に反応を見せない。
代わりに残虐な笑みを浮かべて、リリを見つめる。
「本来ならギルドに突き出すところだが……この方の温情に感謝するんだな。ある条件を満たせば全て水に流してくれるそうだ! 良かったなぁアーデ!」
ありえない、と内心で吐き捨てる。
リリがゲドから感じるのは怒りと嘲笑のみ。憐憫など少しも感じ取れない。
困惑を隠せないリリの視界の先、別々の通路口からカヌゥとゲドの協力者二人が姿を現す。
カヌゥの横に並び、彼の合図でその背に隠し持っていたソレをリリの傍に放り投げる。
その塊を見たリリが短い悲鳴を上げる。
「キ、キラーアント……」
下半身を断たれ、全身に裂傷を負う
瀕死ということはつまり……
「こいつの性質は賢い賢いアーデなら知ってるよなぁ?」
キラーアントというのは瀕死になると特殊なフェロモンを発散する。
そのフェロモンの効果は……仲間への救援信号。
目の前に転がるのは二体。だがたった二体でもどれだけの蟲が引き寄せられるか。
「ゲドの旦那が出した条件はそれだ。引き寄せられたキラーアントを全部殺して地上に帰ってこい。そうすりゃ今までのことは全部水に流してくれるってよ」
リリの顔が絶望に染まる。達成できない条件を出されたからではない。そんなもの元々期待していない。
ゲドはその顔が見たかったとでも言いたげに唇を歪めて痛快そうに笑う。
カヌゥが近づき、最後にリリに向かって下卑た笑みを浮かべ、小さく呟いた。
「金がねえならもう用済みだ。最後くらいは精々俺たちを楽しませてくれよ……
首元を掴まれ、リリが宙を舞う。
受け身を取ることもできず、反対の壁付近の地面に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まる。
散々痛めつけられ、動かなくなった体を起こしてその目に映った光景に、どうしようもなくため息が出る。
リリの周囲には瀕死だったキラーアントの死骸と興奮状態に陥っている大量のキラーアント。
さっきまで自分がいたところに目を向けるとゲドは比較的安全な場所でリリのことを見てニヤニヤと笑っていた。その後ろではカヌゥ達がゲドを陥れようと何やら準備を始めている。
「これは……もう、ダメ、かなあ」
天井を見上げながら、ポツリと呟く。
自分が持っているものはもう何もない。この状況を打開できるような策も思い浮かばない。
完全に詰みだ。
(ああ……でも)
これが、あの少年を騙した罰だというのなら、少しは気が楽になる。
冒険者なのに冒険者らしくないあの少年。
リリのことを一人の人間として見てくれたあの少年。
リリに沢山の温もりをくれたあの少年。
あの少年への報いだというのなら、納得がいく。いや、このままタダで死ぬのはダメだろうな。もっと苦しんでからではないとあの少年を騙した罰には釣り合わない。
「…………神様、どうして……」
リリは自分のことが一番嫌いだった。
一人では何もできない愚図で、役立たずで、無能な自分が大っ嫌いだった。
「どうして、リリを、こんなリリにしたんですか……?」
誰かに呼ばれたかった…………呼ばれなかった。
誰かに頼られたかった…………頼られなかった。
誰かに利用されるのではなく、誰かに必要とされたかった。
弱い自分は嫌だった。ずっとこんなリリではない誰かになりたかった。
何度自死を考え、死に憧れたかわからない。
天に還ってリセットされて、今のリリよりもっとマシな誰かに生まれ変わりたかった。
弱虫なリリには、どうしても最後の一歩を踏み出すことはできなかったが。
あの少年に死ぬことに憧れたのは昔のことだと言ったが、リリはずっと心のどこかで己のリセットを望み続けていた。
「…………もう、関係ない、ですよね」
キラーアントが作り出した半円の空間は徐々に狭まってきている。
横を向いたリリの顔には、諦念にまみれた笑みが浮かんでいた。
「……寂しかったなぁ」
最期の最期、ポツリと漏れたその本音にリリは驚く。
今まで気付いていなかった……いや、気付いていない振りをしていたその本音。
「……リリは、寂しかったんですね」
誰にも必要とされないのはもう慣れていた。
慣れたところで、その寂しさが消えることはなかった。
───寂しい。
誰も頼れず誰にも必要とされなかったことが、寂しかった。
独りでいることには慣れていたけど、寂しかった。
「そうですか、リリは……」
───誰かと、一緒にいたかったんですね。
ようやく自覚することが出来た胸の内の気持ち。
気付くにはあまりにも遅すぎた。気付いたころには、その手は汚れ過ぎていた。
(もう……何もかも、遅すぎますね…………)
キラーアントが爪を振りかぶる。それが振り下ろされるその時まで、リリは目を逸らさなかった。
やっと死ねる。やっと終われる。やっと天に還れる。
ようやく、ようやくリセットだ。
何もできない自分を、誰も助けてくれないちっぽけな自分を、何の価値もない自分を、弱い自分を、寂しい自分を、終わらせることができる。
やっと……やっとリセットすることが出来る。
もう心残りなんて───
───リリに会えて良かった。
───リリが助けようとしてくれて、本当にうれしかったんだ。
───ありがとう、リリ。
今際の際に浮かんだのは少年の笑顔。長いようで短かった、少年との優しい日々。
わかっていた。あの少年が裏切るはずなんてないって。
わかっていた。あの少年が他の冒険者と違うことなんて。
わかっていた。あの少年がこんな自分にも手を差し伸べてくれるって。
だけど、その手を怖がって、裏切ったのは───
(……やっと、一緒にいてくれる誰かを見つけられそうだったのに)
届くはずがないというのにごめんなさい、と呟かれたその声はやはり粗雑な足音にかき消される。
(やっと…………死んでしまうんですか?)
リリの頬に一筋の涙が伝う。
自分の命を奪うその爪を見て、リリは泣き笑いを浮かべた。
「ファイアボルトオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
爆炎。
「………あぁ?」
「………は?」
リリの死に様をニヤニヤと眺めていたゲド、リリが死んだ瞬間にゲドを殺そうとしたカヌゥ達の視線の先で緋色の炎が立ち昇る。炎が飛び込んできたのは一つの通路……リリが飛び込んできた通路から。
突然の後方からの狙撃にキラーアントの群れが慌てふためく中、さらに炎雷は続く。
立て続けに炸裂した炎雷によってキラーアントの壁に穴が開き、その穴から一人の冒険者……白髪の少年が飛び出してくるのをリリはその目にした。
「邪魔だあああああああッ!」
行方を遮るキラーアントを薙ぎ払い、囲いに飛び込んだ少年はリリを襲おうと腕を振り上げたまま固まるキラーアントを蹴りつけ、
さらに連射した魔法で周囲にいたキラーアントを吹き飛ばした少年はリリに目を向ける。
「……ベル、様」
ベルは生きていることに安堵したような笑みを浮かべて、リリに視線を合わせる。
「これ、飲める? ゆっくりでいいから」
リリの体を抱き、ベルはリリの口元に
戸惑うような素振りを見せていた彼女も彼の縋るような視線を受けて、それをゆっくりと飲んだ。
「な、んで……」
「なんで、じゃないよ……生きてて良かった……」
ベルの浮かべるその笑みにリリの胸が今までで一番強く締め付けられる。
そんなリリが気付かぬうちに流した涙を優しく拭い、ベルは立ち上がった。
見据えるのはキラーアントの群れ……そして、その背後にいる四人の冒険者。
「いつもみたいに待ってて?」
少しだけ振り返り、優しく笑みを浮かべているベル。
その手には《バゼラード》でもましてや自分が奪った《神様の剣》でもない、リリの見覚えのない銀色の剣が握られていた。
いつも感想、評価、お気に入り登録、誤字脱字報告ありがとうございます。
執筆の際の励みとなっております。
リリの話は予定ではあと1、2話となっています。
あくまで予定ではありますがこれからも見ていただけると幸いです。