二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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灰被りの少女(リリルカ・アーデ)

「カヌゥ達め……余計なことをしてくれたな」

 

 深夜。

 一人自室で呟くのは【ソーマ・ファミリア】団長、ザニス・ルストラ。

 主神に代わり、【ファミリア】を牛耳っている彼はある団員達が起こした事件に頭を悩ませていた。

 

 ダンジョン内で起きた出来事ではあるため、いくらでも言い訳はつく。彼が頭を悩ませているのはそこではなく別の所……狙われた一人の少女にあった。

 

(ソーマから聞き出したリリルカ・アーデの『魔法』。あれにはかなりの可能性が秘められていたというのに……なんとも間が悪い)

 

 リリルカ・アーデの魔法を知った時、ザニスは心の底から歓喜した。

 そしてその直後、カヌゥ達の話を聞き、心の底から激怒した。

 詳しいことはまだよくわかっていなかったが、この魔法があれば労することなく、大量の金を稼げる可能性があったのだから。

 

 今は落ち着いているが、その怒りが凄まじかったのが誰かに荒らされたかのように散らかった部屋から見て取れる。

 

「話を聞く限りではまだ生きていそうだが……ん?」

 

 椅子に腰かけ、酒を飲んでいると誰かが部屋の扉を叩く。

 部屋に入ってきたのはチャンドラ・イヒトというドワーフの冒険者。

 

「チャンドラか。こんな時間に何の用だ」

 

「お前に客人だ。出直させることも考えたが……アーデも一緒にいるとなれば無下には出来ん」

 

「アーデだと!? どこにいる!?」

 

 眼鏡の奥の目を大きく見開き、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。

 そんな彼を見ても不愛想なドワーフは眉一つ動かさず「広場にいる」、と淡々と答える。

 

「くくっ……ああ、わかった。すぐに行こう」

 

 少女をどのように連れ戻そうか考えようとしたところで自分から戻ってきたその少女にザニスは醜悪な笑みを浮かべる。

 そんな彼の後ろ姿を嫌悪に満ちた目で見送ったドワーフは少し経ってからその後ろ姿を追い始める。その目とは裏腹にドワーフの足は何かを期待するかのように広場へと急いでいた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 広場へと辿り着いたザニスが見たのはこんな深夜だというのに広場に集まった【ソーマ・ファミリア】の団員、その団員に囲まれるように広場に立つ少女(リリルカ・アーデ)を腕に抱く見覚えのない少年と一柱の神だった。

 

「こんばんは。貴方がここの【ファミリア】の団長……ですよね?」

 

「ああ、そうだ。私が【ソーマ・ファミリア】の団長のザニスだ。そういう君は一体誰だ? わざわざこんな時間に訪ねてくるとは」

 

「それはすみません。でもこうでもしないと色々と面倒なので」

 

 白髪の少年が薄く笑みを浮かべる。

 ザニスはその笑みに気が付かない。いや、それどころか少年の声すらほとんど聞こえていないのかもしれない。彼が一心に見つめているのは子供のように少年に抱えられている少女だ。

 

「くくくっ……おっと、それで? こんな時間に我々の【ファミリア】に訪ねて来た理由を教えていただいても?」

 

 醜い笑みを浮かべたザニスは何事もなかったかのように姿勢を正し、少年の話を聞く姿勢に入る。

 はっきり言って聞く価値はこれっぽっちもないが、彼女(リリルカ・アーデ)を連れてきた礼として聞くだけ聞いてやろう、と内心ほくそ笑んでいた。

 

「時間も時間なので率直に言わせてもらいます。リリの退団を認めてもらおうと思って訪ねさせていただきました」

 

「……なんだと?」

 

 少年の言葉を聞き、ザニスの顔から笑みが消える。

 目の前の少年をザニスは睨みつけるが、少年は依然として微笑みを浮かべたまま、そんな彼を無視して続く言葉を口にした。

 

「リリとは個人的な契約でパーティを組んでいたんですけど……先日、探索の最中にあなたの【ファミリア】の団員にリリが襲われている光景を目撃してしまったんですよ。心当たりは……ありますよね?」

 

 頭を過ぎるのはつい先日報告されたカヌゥ達の話。

 こぼれそうになる舌打ちを口の中にとどめ平静を装うとするが、少年がわずかに笑みを深めたのが目に入り、それが無意味なのだと察する。

 

「僕は別の【ファミリア】の人間です。本当ならあなた方の問題に首を突っ込むべきではないのかもしれません。ですが、あんな光景を見てパーティを組んだ人を見捨てるほど薄情ではありません」

 

 そこで少年が初めて笑みを消す。笑みが消えたその瞳から確かな怒りを感じ取ってしまう。

 無意識に後退る。その行為に自分が年下と思われる少年の怒りに気圧されたことに気付く。

 

「リリの境遇も知っています。お前達がリリにしてきたことも全部知っている。お前達が変わってくれることを期待するのも無駄だってわかっている……もう十分リリから奪いましたよね? 身勝手ではありますが、リリは僕がもらっていきます」

 

 睨みつけてくるその強い眼差しに理知人を気取っているザニスの仮面が剝がれかける。

 しかし、どこか余裕がある。まだその仮面は完全には剝がれていない。

 冷静になるためか彼は一度大きく息を吐き、白髪の少年に抱かれる少女を見てあくどい笑みを浮かべた。

 

「良い仲間を持ったじゃないかアーデ? お前のようなガキを必要として、お前如きを救うために乗り込んでくるなんてなぁ」

 

 剥がれかけた仮面を被り直し、ザニスは二人を嘲笑った。

 少年が不快そうな表情を浮かべたのを見て笑みを深めたザニスは続ける。

 

「アーデを引き抜くか……まあいいだろう。アーデ自身が望んでいることならば我々に引き留める理由はない」

 

 自分の要求に対してあっさりと頷いたザニスを無言で見つめる少年。

 その顔からは先ほどまでと違い、怒り、喜びといった感情がほんの少しも伝わってこない。ただ無感情にザニスを見続け、次の言葉を待っている。

 

「しかし、何の代償もなく退団となっては今まで育ててくださったソーマ様にアーデも顔向けができないだろう。退団金として締めて一〇〇〇万ヴァリス……といったところだろうな」

 

 少年の腕の中で少女が大きく息を呑むのが見える。

 ザニスはくつくつと笑いながらそんな少女を見下している。

 彼は知っている。リリルカ・アーデがそんな大金を払えることがないことを。散々自分達が搾取し続け、カヌゥ達に奪われたばかりの弱者(アーデ)にそんな貯えがないことを。

 彼は知っている。目の前の少年が駆け出しであることを。駆け出しの冒険者だというのにキラーアントの大群を軽く屠る異常な強さを持っていることを。

 

 だが所詮は駆け出し。短期間で一〇〇〇万などという大金を稼ぐ方法などLv.1には存在しない。

 目の前の少年が正義感に駆られ、実力行使に移ったとしても自分はLv.2。周囲は既に他の団員が囲んでいる。さらにその腕の中に役立たず(アーデ)がいるせいで片腕は塞がっている。負ける要素など何一つとしてない。

 怖いのは未だ口も開かない神ただ一人。二つの袋を足元に置いたっきり微動だにしていないがこの神は一体何のために来たのだろうか。

 

「一〇〇〇万……ですか」

 

「ああそうだ。君が払ってくれても勿論構わない。だが申し訳ないがここから少しでもまけるわけにはいかない。この額が今までのアーデの価値なのだからなぁ……」

 

 ザニスは顔を俯かせた少年を見てニヤニヤと楽しそうに笑う。

 強気に取引を持ち掛けていた少年がどんな表情を浮かべているのか。それが楽しみで仕方がなかった。

 だが、顔を上げた少年の行動に表情を一変させたのはザニスの方だった。

 

「……なんとか足りそうで良かった」

 

「…………はっ?」

 

 少年が自分の前に放り投げた五つの大きく膨らんだ麻袋。それを見てザニスは大きく目を見開く。

 その袋からは金属がこすれる音が聞こえてきている。

 

「一つの袋に二〇〇万ヴァリスが入っています。確認を」

 

「な、なぁ……!?」

 

 袋に飛びつき、口を結んでいた紐をほどく。

 全ての袋の中にギッシリと詰まっているのは紛うことなきヴァリス金貨。

 守銭奴であるザニスだからこそ、それが偽物ではなく本物であると分かってしまう。

 

「退団金を払えと言われるのは想定の範囲内です。金額も許容できる額で良かった」

 

 完全な誤算。

 暴力に訴えることもなく、提示した法外な金額を駆け出しの冒険者が支払うなど全く予想していなかった。自分の勝ちを確信していたが故に想定外の出来事にその思考が乱れる。

 

(このままでは私の計画が……いや、まだだっ!)

 

 だがこんな時にこそ輝いてしまうのが薄汚い人の本性というものだ。

 醜く歪んだ口元を隠していた手の中で再び笑みを浮かべる。ザニスの脳裏に浮かんだのはあの神の顔。

 

「……一〇〇〇万ヴァリス、確かに受け取った。リリルカ・アーデの退団を認めよう。ついてこい。ソーマ様の元へ案内してやる」

 

 凶笑を隠すように歩き出したザニスに二人と一柱は続く。

 その際に少年が少女に何かを呟いていたが、それが前を歩くザニスに届くことはなかった。

 

「失礼します。ソーマ様」

 

 窓から月明かりが差し込む部屋にその神はいた。

 入ってきた三人のことを歯牙にもかけず、作業机の上に置かれた乳鉢で数種類の植物を混和している。

 

「…………何の用だ。ザニス」

 

「夜分遅くに申し訳ありませんソーマ様。リリルカ・アーデが【ファミリア】を退団したいということなのでソーマ様のお力をお借りするために訪ねさせていただきました」

 

 ソーマは一度ザニスを睨みつけ、次に面倒ごとを持ち込んだ二人を煩わしそうに見やる。

 前髪の奥から覗くその瞳に少年の腕から降りた少女は身を固くする。少年はただその神の瞳をじっと見つめていた。

 

「面倒なことを……早く背中を向けろ。お前達如きに関わっている暇はないんだ」

 

 その言葉にピクリと少年と女神が反応を見せるが、何も行動には移さない。

 ただ事の行く末を見守っている。

 

「ソーマ様。その前に一つ、私の願いを聞いていただいてもよろしいでしょうか」

 

「………………なんだ」

 

 芝居がかった動きでソーマの側に立ったザニスはその下卑た笑みを少女に向ける。

 悪寒が少女の背筋を伝う。

 

「リリルカ・アーデへの餞別としてソーマ様がお作りした『神酒』を彼女に飲ませて上げてほしいのです」

 

 その単語を聞いた瞬間、少女の体が分かりやすいほどに跳ね上がった。

 目は限界まで見開かれ、その顔色は暗い室内でもわかるほどに真っ青になっている。

 

「なぜ……そんなことを」

 

「アーデはこれまで多大なる貢献をしてくれました。だというのに彼女はソーマ様の『神酒』を全くと言っていいほど飲めていないのです。これまでの献身に対してそれでは彼女があまりにも不憫。どうかソーマ様のご慈悲を彼女に与えていただけないでしょうか」

 

 ソーマはそれに対して何も言わない。

 だが少しして心底億劫そうに壁に取り付けられた棚に向かって歩き出す。そこから取り出した白い酒瓶を見たリリの顔は青を越えて白く染まり、ザニスは予想通りに事が進んでいることに凶笑を浮かべていた。

 

「これを飲んで……さっさと消えろ」

 

 ソーマにとってザニスの提案は好都合だった。

 下界の子、それも自分の眷属がこの酒を飲めばどうなるのか嫌というほど理解しているからだ。

 

 この酒を一口でも飲めば子供達は酔う。酔ってさらにこの酒を求めるようになれば、この酒がもっとも手に入りやすい自分の【ファミリア】を退団するなどという選択肢は消えるだろう。

 退団する者がいないのであれば時間を取る改宗(コンバージョン)の手続きもなくなる。つまり自分はこのまま酒の製造に戻れるというわけだ。

 

 目の前の誰かがどれだけ退団したいと願っていようがソーマには関係がなかった。

 ソーマはもっとも早く面倒ごとを終わらせる方法を取るだけなのだから。

 

「私とソーマ様からの餞別だアーデ。まさかとは思うがこれを無下にするとは言うまいな?」

 

 ソーマの醒めた眼差しとザニスの計画通りだと言わんばかりの嘲笑が向けられる中で少女(リリ)の目線は手に持たされた盃を満たしている『神酒』のみに注がれていた。

 

 呼吸が乱れる。汗が止まらない。腰が抜けそうになる。

 リリの人生の全てを奪い、狂わせた元凶。

 

 彼女に刺さる二つの視線はこれを飲むまで決して彼女を逃がさないだろう。

 特にザニスはリリを自分の手元に置くことが出来るこの最大の好機を決して逃しはしない。

 

「……ぁ、あ…………」

 

 手足が震え、盃を取り落としそうになる。

『神酒』の魔力に魅了され、狂っていた当時の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡る。

 呼吸が乱れ、涙が出そうなほどに苦しくなったその時、自分を見守る一人の視線に気付いた。

 

「………………」

 

 リリが振り向くと、ベルは他の何かに目移りすることなく震える彼女を見ていた。

 嘲笑を浮かべるザニスも何の感情もなくリリを見ているソーマも一瞥すらせず、ただただ見守っていた。

 

「……っ!」

 

 足の震えを無理矢理止める。乱れた呼吸を整える。顔を上げてソーマと視線を交わす。

 その目を向けられたソーマの瞳がわずかに見開かれた。

 

 ───これは決別だ。派閥の因縁との、弱い自分との決別の儀式だ。

 

 ソーマがわずかに身を乗り出す中、覚悟を決めたリリは『神酒』を一息に飲み干した。

 

「──────────」

 

 ───そんな覚悟を嘲笑うかのように、世界は捻じ曲がった。

 

 盃が音を立てて床に転がる。糸が切れた人形のようにリリが両膝をつき、うなだれる。

 リリの表情は四人からは見えない。だがその震える手足から今のリリがどんな状態なのか、『神酒』を飲んだ人間を知っているザニスとソーマは理解していた。

 

 この世のものとは思えない美酒、『神酒』を飲んだ人間を襲うのは果てしない陶酔感、そして何事にも代え難い多幸感。次にはその魔力に支配され、正気を失う。

 

 どれだけ覚悟を固めようがそこに例外はない。例外なんて起きるはずがなかった。

 

「ふっ、ははははははははっ!!」

 

「……………」

 

 ザニスが高らかに笑い、ソーマが珍しく落胆したような様子で踵を返す。

 長い前髪に隠されたその瞳には失望と諦念の色が浮かんでいた。

 

 ヘスティアがソーマのその背中を見つめ、ザニスがベルに歩み寄るそんな中。

 

「────ください」

 

 誰かの呟きが聞こえた。

 その掠れた呟きに作業机に戻ろうとしていたソーマの足が止まる。瞳を大きく見開き、ソーマは弾かれたように振り返った。

 

 その瞳に映るのは未だに手足を震わせ、地面に片手をつくリリの姿。

 

「──して、ください」

 

 異変に気付いたザニスの足が止まる中、愕然としているソーマの視線の先。

 灰被りの少女(リリルカ・アーデ)は立ち上がり、顔を振り上げる。

 

「リリを……解放してくださいっ!!」

 

 そして捻じ曲がる事のなかった想いを叫んだ。

 

「な………!?」

 

「………!?」

 

 ソーマが、ザニスが、その目を大きく見開く。

 弱者であった少女が『神酒』の魔力をはねのけ、打ち破ったことに驚きを隠せない。

 少女の胸に宿った白の輝きは、万人を虜にし、数えきれない者を狂わせた神の美酒であってもかき消すことはできなかった。

 

「リリは、この人の力になりたいっ!」

 

 その瞳に涙はない。

 涙の代わりに浮かぶのは弱者のままなら決して浮かべることのできなかった強い意志。

 その瞳でソーマのみを射抜き、弱者だった少女(リリルカ・アーデ)は想いを叫びかけた。

 

「惨めでも、間違い続けても、リリがずっと生きてきた理由も今ならわかる!! リリはこの人に出会うために生きてきたんだってっ!」

 

『神酒』の魔力に侵され、自分に残っていた物が白く濁り、魂さえも穢されていく中でリリの中に残ったのは…………少年との、優しい日々だった。

 

 リリは、忘れないだろう。

 たとえ死んでも、何度生まれ変わっても、地獄の底に落ちたとしても。

 

「たくさんの間違いを積み重ねてきたリリを……どうしようもないリリを、この人は助けてくれたんですっ!」

 

 自分を灰の中から救ってくれた手の温もりを。

 

 灰で汚れきった自分を抱きしめてくれた優しさを。

 

 自分を信じてくれた、許してくれたその白い笑みを、決して。

 

「今度は、リリがこの人の力にならなくちゃ!」

 

 例えリリがリリでなくなったとしても、忘れない。忘れてなるものか。

 魂に焼き付いたあの光景は決して色褪せない。

 

「今度は、リリがこの人を助けるんですっ!」

 

 こんな自分に笑顔を、優しさを、温もりを与えてくれた少年の力になるんだ。

 ずっと間違いを重ねてきたけれど、この想いは……この想いだけは誰にも間違いだなんて言わせない。

 誰が何を言おうとも絶対にだ。

 

「お願いしますっ! リリを解放してくださいッ!!」

 

 最後までその目を主神から逸らさず、心の内を叫びきった。

 その姿に……弱者の殻を破った少女の姿にソーマは言葉を奪われていた。

 

「………………」

 

 ソーマの記憶にほんのわずかに残っていた少女は簡単に酒に溺れるただの下界の子のはずだった。

 そうだったはずなのに少女は『神酒』の魔力に抗い、呪縛を打ち破り、強い意志を示した。

 

 神としては短い、下界の子からしたら長い下界生活でも見たことがなかったその姿に、酒以外で揺るぐはずのなかったソーマの心は確かに揺れ動いた。

 

「ば、馬鹿な……あり得ないっ!! ソーマ様、少々お待ちを───」

 

「黙れ、ザニス」

 

 リリに歩み寄ろうとするソーマの姿を見てザニスが余裕を失って呼びかける。

 だが一瞥もされず、たった一言で、一蹴されてしまう。

 

 異論を封じられたザニスが顔を引きつらせる中でソーマはリリを間近から見つめる。

 真っ向から見つめ返してくる彼女を見て、ソーマはゆっくりと口を開いた。

 

改宗(コンバージョン)の……儀式をしよう。部屋を移す……ついてきてくれ」

 

 そのソーマの言葉にリリは喜色の笑みを浮かべ、ベルに振り返る。

 だから気が付けなかった。ソーマの背後、理知人を気取る仮面が完全に剥がれ落ちたザニスの姿に。

 

「そんなことっ、認めてたまるかッ!! その女を渡してたまるものかッ!!!」

 

 主神であるソーマを押し退け、怪物(モンスター)のようにリリに飛びかかるザニス。

 その突発的な行動に安心感のあまり、足から力が抜けてしまったリリは反応することが出来ない。

 目を見開くリリ。口端を裂き、彼女に手を伸ばすザニス。

 

 欲望に支配されたその男の前にここまで傍観を続けていたベルは立ち塞がった。

 

「リリが最悪の記憶を乗り越えて見せたんです。無粋な真似をしないでもらえますか」

 

「そこを退けぇッ!! その女は、私の“物”だッ!!」

 

 ザニスの剣が振り下ろされる。

 腐ってもザニスはLv.2。L()v().()1()のベルがそれを食らえばどうなるか。最悪の結末を想像してしまったリリは声にならない叫びをあげる。

 

 だが、その最悪の結末が訪れることはなかった。

 

「……な……なぜ、だ……お前は、Lv.1のはずでは……」

 

 ベルは振り下ろされた刀身を左手で握り締め、その攻撃を受け止めていた。

 刀身を握った手からは血が流れているが、ザニスの剣はそこから1C(セルチ)たりとも動いていない。

 

「……リリは、“物”じゃないんだよ」

 

 ベルの左手に力が込められ、刀身が罅割れる。

 それと同時に左手を引き、ザニスを自分の目の前まで引き寄せる。

 引き寄せられた彼を待っていたのは、固く握られたベルの拳だった。

 

「リリは……僕の仲間だ」

 

 振り抜かれた拳が顔にめり込む。

 ザニスは勢いよく部屋の端から端まで吹き飛ばされ、バルコニーの大窓を叩き割り、月が綺麗な空を舞った。

 地面に叩きつけられたザニスの顔は拳の形に陥没しており、眼鏡も粉々に砕け散っている。

 殴り飛ばした勢いも利用して握り潰した片手剣を投げ捨てた少年は押し退けられたソーマに歩み寄り、手を差し伸べる。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「…………問題ない」

 

 多少足元がおぼついていたが、立ち上がったソーマはバルコニーの奥へと進み、広場を見下ろす。

 地面に倒れたザニスを見て、ざわざわと騒いでいる団員達の中央にいつの間にか取り出した酒瓶を放り投げる。

 酒瓶が割れる音、そしてバルコニーに姿を見せた主神の姿を見て、集まった団員達が息を呑んだ。

 

「……今日の夜に起きた出来事は他言無用だ。チャンドラ。お前はザニスを連れてここまで来い」

 

 酒造りにしか興味がないはずの主神の指示にどよめきが広がる。

 そんな中でチャンドラはわずかに頬を緩ませ、気絶したザニスを抱えて本拠(ホーム)へと入っていく。それを見た団員達もそれぞれ動き出すが、例外なく戸惑いの表情を浮かべていた。

 

「ベル君。左手は大丈夫かい?」

 

「はい。この程度なら全く問題ないです」

 

「そうかい。じゃあ話を進めるよ」

 

 ここに来てから初めて口を開いたヘスティアがソーマのもとに進む。

 リリを見つめている無言のソーマを真っすぐ見上げる。

 

「リリルカ・アーデ君の移籍について改めて話したい」

 

「……ああ」

 

「そこに置いてある五つの袋にそれぞれ二〇〇万ヴァリスが入っている。脱退金はそれで大丈夫かい?」

 

 ヘスティアが指を差した方を見ずにソーマはゆっくりと首を振る。

 怪訝な顔をするヘスティアを正面から見つめ、口を開く。

 

「脱退金はいらん……その子は俺の酒を飲んでもなお、覚悟を示して見せた。それだけで十分だ」

 

「その話は有難いことだけど、【ファミリア】の体裁とかは……」

 

「今の俺の【ファミリア】がそんなものを気にすると思うか?」

 

「……答え辛いことを聞くなよ」

 

 ヘスティアがため息をついて自分の頭に手をやる。

 悪い噂を聞いている彼女からしたらそれを肯定も否定もすることはできなかった。

 

「じゃあ退団を認めてくれるってことでいいのかな?」

 

 リリを見つめ、頷いたソーマに続き別室へ移動する。

 窓はなく扉も固く閉ざされた薄暗い室内は、ベルが外で待機していることもあり、秘匿情報が漏れる要素はなかった。その室内で改宗(コンバージョン)の儀式は執り行われた。

 儀式は滞りなく進み、リリの背中に刻まれた【ソーマ・ファミリア】を表す刻印は【ヘスティア・ファミリア】を表す刻印へと成り代わる。

 

 今この瞬間から、リリルカ・アーデは女神ヘスティアの眷属となった。

 

「ベル君。入ってきていいよ」

 

 リリが上着を着たのを確認したヘスティアは扉の少し離れたところに立っていたベルを部屋へと招く。

 椅子に座るリリの表情から無事に終わったと確信を持てたベルはそっと笑みを浮かべた。

 

「ベル様……ヘスティア様。こんなリリを助けてくれて、ありがとうございます」

 

「僕達はリリの頑張りに応えただけだよ。リリがあのお酒を乗り越えることが出来なかったら、僕達が何をしようが意味がなかったから……それと、ごめん」

 

「……? 何故ベル様が謝るのですか?

 

「……その、お酒を飲まされるのを防げたかもしれないんだ。だけどリリにそれを乗り越えて欲しくて、あの場で何も言わなかったんだ。ごめんね、試すような真似をして」

 

「……ソーマ様と面会する前に言ってくれた「信じてる」ってあのことだったんですね……謝らないでください。あそこで乗り越えることが出来なかったら、リリはいつまでもあのお酒に囚われたままだったでしょうから……ベル様が信じてくれたから、リリは乗り越えることが出来たんです」

 

「リリ……」

 

「はいそこまで。話すのは帰ってからにしようか。リリルカ君は怪我もしてるんだし今日はもう遅いしね。まあボク達がこんな時間に突っ込んできたんだけど」

 

 長引きそうな二人の話を止めたヘスティアは脱力したリリをソーマが見つめていることに気付く。

 その視線を遮るようにヘスティアはソーマの前に立った。

 

「……ヘス……ティア?」

 

「合ってるよ。そういえば君とは初対面だったね。リリルカ君に何か言いたいことでも?」

 

 眷属(かぞく)を庇うように立つヘスティアは少し棘のある口調でソーマに問いかける。

 ゆっくりとヘスティアの隣に並んだソーマは自分を正面から見つめてくるリリに対して口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し、最終的には首を横に振って小さく呟いた。

 

「俺に……何も言う資格は、ない……」

 

「……ぇ」

 

「ふんッ!!」

 

 ソーマの呟きを聞いたリリの表情が複雑そうに、辛そうに、悲しそうに歪む。

 その表情の変化に目敏く気付いたヘスティアは勢いよくソーマの背中を引っ叩いた。

 

「っ……ヘス、ティア?」

 

「資格がどうとか言って逃げるな。この子は君の言葉を待ってるんだよ……どんな言葉でもいいんだ。仮にもこの子の主神(おや)だったのなら、何か言いたいことがあるのならちゃんと伝えろ」

 

 その瞳を吊り上げ、逃げることは許さないともう一度リリに向き合わせる。

 リリはやはりソーマから目を逸らさず、しかしどこか不安そうな色が混ざった瞳でソーマのことを見ていた。

 リリはその瞳から逃げるように目を逸らしかけるが、背中に感じる熱がそれを食い止める。

 一歩近付いたソーマが壊れ物を扱うかのようにそっとリリに手を伸ばした。

 

「体に……気を付けなさい」

 

 そしてたった一言、そう呟き、リリの頭を撫でた。

 

「…………ぁ」

 

 その一言と大きな手から伝わる温もりが、絶望の日々により風化した記憶を蘇らせた。

 遠い記憶。物心がついたばかりのころの記憶。

 

 幼い自分にジャガ丸くん(食べ物)を恵んでくれたのは誰だったのか。

 幼い自分を優しく抱き上げて、寝具(ベッド)の上で眠らせてくれたのは誰だったのか。

 幼い自分に他者の愛という物を教えてくれたのは誰だったのか。

 

 ───思い出した。この人は……リリのことを…………

 

 それは神の気まぐれというモノだったのかもしれない。

 だが気まぐれだったとしても、思い出の日々の優しさと温もりは本物だった。 

 

「……お世話に、なりました……!」

 

【ソーマ・ファミリア】での地獄の日々はそれぐらいでは簡単には消えない。

 だが蘇ってしまったその優しい思い出に涙が零れそうになる。それを隠すようにリリは勢いよく頭を下げ、ソーマに伝わるかわからないあの日々の感謝を震えた声で伝えた。

 

「…………」

 

 ソーマが何も言えずに佇む中で一足先にヘスティアは震えるリリと共に部屋を出る。

 残ったベルは二人が出て行った扉を見つめるソーマと対面し、静かな口調で話し始めた。

 

「……僕はあなたの【ファミリア】の事情なんてほとんど知りませんしあなたの眷属でもありません。そんな僕がこんなことを言うのもおかしいかもしれませんけど……もう一度僕達のことを見てください」

 

「…………」

 

下界の住人(僕達)は神様達からしたら簡単に捻じ曲がってしまう弱い存在なのでしょう。でも捻じ曲げられても、苦しみながらも現状を変えようと抗う人だっているんです。そんな人を見捨てないでください。信じてあげてください」

 

「………………」

 

「そしてもう二度と……リリのような悲しい子を生み出さないでください」

 

 ソーマは何も言わず身じろぎすらしない。

 その場に佇んでいるだけ。ただその瞳は何かを思い出すかのように細められていた。

 

「これは僕の……あなたが失望した子供の我儘です。聞き流されたらそれで終わりですけど……さっきまでならともかく今の貴方には届いてくれるような気もします」

 

 ベルは一つ礼をして部屋を後にした。

 誰もいなくなった室内でしばらく黙考していたソーマはややあって神室へと戻る。

 少し荒れてしまった神室へ戻ったソーマは割れた大窓まで一直線に歩み、外を眺めた。

 

「…………」

 

 ソーマの視線の先にいるのは眠る少女を抱きかかえる少年とそれに寄り添う一柱の神。

 殻を破り、過去を乗り越え、疲れ果てた少女に二人は優しい笑みを浮かべていた。

 

 そんな三人を……神と下界の子が共に歩むその姿をソーマは黙って見送った。

 




いつも感想、評価、お気に入り登録、誤字脱字報告ありがとうございます。
執筆の際の励みになります。

【ソーマ・ファミリア】はこの日をもって、大きく変わり始めます。その際にあくどいことに手を染めていた多くの団員を拘束しました。しかしそれを予想していたいくらかの団員は逃げ出し、都市の様々なところで潜伏を始めます。のちにある章で登場することになります。

この話を以てリリルカ編を終わりたいと思います。
本作品のリリはここで【ヘスティア・ファミリア】入りとなりました。
次回からは猛牛との話+αとなります。

またもう一つ、投稿しておりますがこちらは話を進ませるものではなく、現段階の主な登場人物達のあれやこれやの話となっております。
お試しで書いてみたものですが読んでいただければ幸いです。

感想、評価などお待ちしております。
ここまで見ていただきありがとうございました。
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