『魔剣……ですか?』
『はい』
酒場を飛び出したあの時にしたシルさんとの決めた事を思い浮かべる。
一度路地裏に入ったシルさんが持ってきたのは万が一の為
「これから二手に分かれますけど、もしもベルさんではなく私が先にノエルを見つけた時かつノエルが危ないと私が判断した時、この魔剣を空に撃ち上げます」
これまで見たことがないほど真剣な表情でシルさんは話を進める。
なりふり構わないという圧を受けて、自然と僕の体にも強張り始めていた。
「もしそれを見て私の所に来た時に私の目の前に
正直、シルさんとこの決め事をした時はまだ半信半疑だった。
もし魔剣が撃たれて、それを撃ったシルさんの前に誰かがいたとしてもその人を犯人と決めつける勇気はこの時の僕にはなかった。
「──────」
けど、炎を見て、シルさんの元に辿り着いて、上からその人を見た時、疑いは全て吹き飛んだ。
その人は……冒険者としての直感が悲鳴を上げるほどの、真っ黒な殺意を纏っていたから。
「────【
「【リトル・ヒーロー】……酒場のお嬢さんだけでなく貴方も来るのですか」
「……ヴィトーさん、貴方がノエルを攫った犯人なんですか?」
ヴィトーに疑問を呈しながらもベルのその声音は彼が犯人だと確信していた。
その瞳に怒りを滲ませる二人の視線が交わる。
「いやはや……不愉快な問答に付き合わずにさっさと退散するのが正解でしたか……これは私の大きな失態……いやぁまいったまいった」
「ヴィトーさん……手荒な真似はしたくありません。ノエルはどこに────」
質問に答えず、首を振るヴィトーに対して、ノエルの居場所を聞き出そうとしたその時だった。
「────念には念を、いれておいて良かったですねぇ!」
「────うわぁああああああああああああっ!!?」
ヴィトーが嗤った次の瞬間、ベルとシルの背後から爆音が響く。
目を見開き、振り向いた二人の目に映ったのは黒煙と共に複数の場所から上がる炎だった。
「なっ!?」
「崩れるぞぉ! 急いで逃げろぉ!!」
「このままだと火事になっちまうぞ!? 早く消せ!」
大パニックになった群衆がベル達の元にも押し寄せてくる。
咄嗟にシルが巻き込まれないように抱き寄せたベルだったが、その表情を歪めた。
「やられた……っ!」
その群衆に紛れてヴィトーが逃げ去っていく姿が視界の端に映っていたのだ。
何かがあった時に都市を爆破し、それによって発生した恐慌に混ざって逃げるのが彼の策の一つだったのだろう。事実、ベルに苛立っていながらも彼のその表情から余裕は失われていなかった。
「ベルさん! あっちです! 追いかけましょう!」
「っ! わかりました!」
だが、それもシルの好判断によって崩すことが出来るかもしれない。
彼女はベルに抱き寄せられながら何もしなかったわけではなく、少年の腕の中でその瞳を走らせ、男がどこへ逃げたのか確と追っていたのだ。
ヴィトーが逃げた方角へシルと二人でベルは走る。だが爆発の混乱によって発生した人込みの中を進むことになり、中々先へ進むことが出来ない。
「えぇええ~~!? 何が起きてるの~!? 火事になっちゃってるし、早く消さないと!」
その中でベルは半泣きで走る桃色の髪のギルドの受付嬢を見つけた。
咄嗟にその彼女の腕を掴み、一気に詰め寄る。
「ごめんなさい、ミィシャさん! 大きな鞄を持ったヒューマンを見かけませんでしたか!?」
「うわぁあ!? あ、弟君!? えっと……さっきすれ違った人がそんな人だったような……」
「その人、どこに行きましたか!? 探しているんです!」
心当たりがありそうな態度を取るミィシャにさらにシルも詰め寄る。
突然二人に詰め寄られたミィシャはほぼ泣いているような状態になりながらもその二人の質問に答えてくれた。
「近い近い近い!? あっち、あそこに走っていったよぉ!」
「バベル!? まさか、ダンジョンに……!」
ミィシャが指を差した場所に見えるのは巨大な塔……
それを聞いたシルは驚くベルを置いて人込みの中を走っていってしまった。
「シルさん!? 待ってください! ダンジョンは危険です!?」
「ちょっと弟君!? 何が起きてるの!? 説明してよ~~~!」
先ほどとは逆にシルを追おうとするベルの手をミィシャが掴む。
それを振り払い、説明よりも追いかけることを優先しようとしたベルだったが、何か閃いたのか彼女の方へ勢いよく振り向いた。
「ミィシャさん! 豊穣の女主人に行って、今ここで起きたことをリューさん達に全部伝えてください! あの人達ならきっとそれで理解してくれますから!」
「────おい! 【リトル・ヒーロー】!」
今度こそ追いかけようとしたベルを今度は違う誰かの声が呼び止める。
今度は何だ、と振り向くとそこに走って来ていたのはノエルの捜索をお願いした酒場の客達。
「すまねえ! 俺たちは見つけられなかった。そっちはどうだった? ノエルちゃんは見つかったのか!」
「……見つかりはしました。今からそこに向かう所です」
「本当か!? なら、俺たちも一緒に────」
捜索に参加したいという彼らに対して、ベルは首を振った。
そして、ある場所とミィシャを見つめ、別の頼みをする。
「ノエルは僕達が連れて帰ってきます。ですから皆さんは都市の消火活動と救助活動をお願いします。ノエルが帰ってきた時にこれだったらあの子が悲しんじゃいますから……あとはミィシャさんの指示に。それじゃあミィシャさん、あとお願いします!」
「ちょっと!? 全部ぶん投げないでよ~~!」
背後から聞こえてくるミィシャの抗議の声と酒場の客の声を無視してベルは全力で駆け抜ける。
シルが走り去ってからかなり時間を取られてしまったが、ベルの足ならばまだ間に合う。
「シルさん……ノエル……!」
『────何をやっているの』
息を切らしてダンジョンを走るシルの頭に甘美な声が響いてくる。
呆れたような声音で、嘲弄が混ざった声が脳内に響き渡る。
『本当に笑わせてくれる。ただの『遊び』の一つだったくせに。
努めて無視しようとしてもそれは確実に脳内を侵す。
たとえ耳を塞ごうと、叫ぼうと、その声はシルを逃さない。
『貴女の気持ちなんて『嘘』のくせに、いつまでこんな『茶番』に拘るつもり────』
「────ふざけないでっ!!」
ベルから離れたその時からずっと響いていたその声についに反応してしまう。
その言葉だけは、何があろうとも許すことが出来なかった。
「言ったでしょう!? 『茶番』なんかじゃないって! ノエルと過ごしたあの日々を茶番だなんて、絶対に言わないでっ!」
シルが叫ぶと、脳内を侵していた甘美な『銀の声』は静まった。
「この気持ちも『嘘』なんかじゃないっ! あの子を大事に想うこの気持ちは、決して『嘘』なんかじゃないっ!」
人もモンスターもいない静かなダンジョンの中央で、『薄鈍色の少女』は今は聞こえなくなった声に反抗するように、自分に言い聞かせるように叫び続けた。
「もし……もし、貴女の言う通りだったとしても、こんなお別れは違う! 絶対に違う! サヨナラも、また会おうねも言えないお別れなんて、そんなの認めるわけがないでしょうッ!?」
自分の中の彼女に叫んだところで意味のないことは分かっているのに叫ばずにはいられなかった。叫んでしまったシルは息を大きく切らし、壁に手をつく。
「待ってください。シルさん」
そこに少し息を切らしたベルが遅れて辿り着いた。
シルは少年に一度視線を移しはしたが、すぐに前を向き直し、移動を再開しようとする。
「……っこれ以上は駄目です! ノエルを心配する気持ちはわかりますけど、ここはダンジョンで、シルさんは冒険者じゃない! それがどれだけ危険なことか、あなたがわからないはずがないですよね!?」
「…………」
行く先をベルに阻まれたシルは何も言わず、ベルを押し退け、その背後の道を進もうとする。
止まろうとしないシルの両肩に手を置き、少年は何とか説得しようと試みるがその効果は薄い。
「ここから先は絶対に通しません。聞き分けのない子供じゃないんですから、どうか僕の言うことを聞いてください……近くを通った冒険者に護衛を頼みます。ノエルは僕が何とかしますから、シルさんはあの酒場で待っていてください……!」
シルは何も言わない。だが、進み続けていたその足は止まる。
そして、俯き加減だった顔を上げ、ベルと
「ベルさん、『取引』しましょう」
「っ……シルさん!」
「私はノエルが『どこにいるのか』、『どこへ連れ去られたのか』、なんとなくわかります……いいえ、『覚えてしまった』んでしょうね。あの子とずっと一緒に暮らして、あの子と触れ合ううちに、あの子の気配を」
聞き分けのないシルに怒りを滲ませてその名前を呼んだベルだったが、シルが提示した交渉の手札と強い意志が込められた瞳にその目を見開く。
その瞳に押され、気付かぬうちに下がろうとしていたのをこらえ、真っすぐシルを見据える。
「いくらベルさんでも、あの子がどこにいるのかは流石にわかりませんよね? 私がいればノエルを最短距離で追いかけることが出来る。この広大なダンジョンを虱潰しに探すより、ずっと効率がいい筈です」
そんな手札を切られてしまえば、どれほど危険であろうともベルにシルの同行を断れる理由はない。ベルだって、ノエルのことが心配なのだから。
「…………本当に、ノエルの居場所がわかるんですね?」
「はい。神様に……ベルさんの主神様に、誓って」
ヘスティアに誓うと宣言したシルの瞳を真正面から見つめ、ベルは頷いた。
「わかりました、一緒に行きましょう。でも絶対に僕から離れないでください。ノエルを助けられても、それでシルさんが大怪我をしてしまったらあの子も悲しみますから」
「はい…………ありがとうございます、ベルさん」
「……行きましょう」
シルが言っていることが本当のことなのかノエルを一緒に探しに行くための嘘なのかベルに見抜く方法はない。
だがそれでもベルはシルを信じると決めた。あの少女を助けたいという気持ちは自分と同じだということが先ほどの交渉から痛いほど伝わってきていたからだ。
「ノエルを取り返す……絶対に!!」
二人が出て行った『豊穣の女主人』は静まり返っていた。
夜の営業の為の準備に取り掛かっているが、誰一人喋ろうとせず、その表情を暗くさせている。
「…………遅すぎニャ」
その空気についに耐えられなくなったクロエが口を開いた。
他の皆も手を止め、クロエに視線を集中させる。
「……そう、だね。誰も帰ってこないなんて……流石に変だよ」
二人の反応からして何かが起きていると、この酒場にいる者全てが予想づけている。
彼らと彼女達の違いはノエルがいなくなったと思われる場所を見たか見ていないか。その場所を、悪意の残り香が漂っていたその場所を見ていたのなら、彼女達もシル達と共になりふり構わずにノエルを探しに行っていただろう。
「ニャニャーッ! 絶対何かあったのニャ! こんなところでボーっとしてないでミャー達も探しに行くニャ!」
「アーニャの案に私も賛成ですが……探すと言ってもどこへ……」
当てもなく広大なオラリオの土地から三人を見つけ出すのは途方もない時間がかかる。
どのように動くか、と話し合おうとして所で酒場の扉が勢いよく開いた。
「あの~……誰かいらっしゃいますかぁー……?」
リュー達が振り向くとそこにいたのは肩で息をするギルドの受付嬢。
今にも死にそうな顔を上げて、そこにいる店員達を見て表情を緩めた。
「よかった……いたぁ……ってそうじゃなくって! ベル・クラネル氏から伝言です! あの子と、ここの店員さんが二人でダンジョンに……」
「なっ……!?」
ここを飛び出した二人のあり得ない行動にリュー達は絶句する。
冒険者であるベルだけならともかくただの少女であるシルがダンジョンに向かうなど死にに行っているようなものだ。それがわからない筈がない二人だからこそ、その行動の異常さ、そして今起きているであろうノエルが関わっている事件の緊急性に彼女達はすぐに気付いた。
「すぐにダンジョンへ向かうわよ! 間違いなくヤバいことが起きてる!」
「ミアかーちゃん! 行かせてほしいニャ!」
ミィシャの話を一緒に聞いていたミアにクロエとアーニャの二人を筆頭とした娘達の視線が集まる。ミアはふん、と鼻を鳴らし、顎で外を指した。
「ちょうどいい。今日は臨時休業にするつもりだったからね。あんたらは好きにしな……ちゃんと先に行った馬鹿娘達とノエルを連れて一緒に帰って来るんだよ」
『はいっ!!』
それぞれ装備を整えに部屋に戻る娘達を見送ったミアは壁に寄りかかるミィシャに飲み物を渡し、準備していた臨時休業の看板を掲げようと外に出る。
外に出たミアが空を見上げると、曇り空から大量の雪が舞い降りてきていた。それを彼女は目を細めてしばらく見つめ続ける。
「ミアお母さん! いってきます!」
「ああ、ちゃんと連れて帰って来るんだよ!」
酒場を飛び出たリュー、アーニャ、クロエ、ルノアの四人は全速力でバベルへと走る。
ものの数十秒で入り口に辿り着いた四人はその勢いのまま、ダンジョンに潜ろうとするが、そこでリューの足が止まった。
「何してるのリュー! さっさと行かないと────」
「先に向かってください。すぐに追いつきます」
そう言うとリューはバベルを横切り、全く別の場所へ駆けていく。
止めようとした三人だったが、時間の無駄だと悟り、一足先にダンジョンへと潜った。
それを背にリューは
(嫌な予感が止まらない……あの先に何か非常に強力でとてつもなく邪悪なものが待ち受けている……そんな予感が……)
ただの予感でしかない。もしかしたらただの杞憂で終わり、何事もなく終わるかもしれない。
だがリューは自分の勘を信じた。自分達だけであの先に向かえば、何者かの手によって誰かが死んでしまうという……そんな勘を。
「…………着いた」
閑静な住宅街を走り抜け、オラリオの北の区画、その片隅にリューは辿り着いた。
そこにある館の扉に手を伸ばし、一瞬躊躇う。そんな時間はないと躊躇いを振り払い、扉を……叩こうとした瞬間、その扉がいきなり開いた。
「ほら急ぐわよ輝夜! 南の方で火災、が…………」
「あ…………」
扉から出てきたのは燃えるような紅い髪をそのまま背に流した眼帯をした美女。
眼帯の女は扉を叩こうとした体勢のまま固まっているリューを見て、その瞳を瞬かせた。
「何をしている団長。先を急ぐのだ、ろう……?」
次に姿を現したのは島国衣装の着物を着た黒髪の美女。
あるべきはずのものがない右袖を揺らしながら、彼女もまた固まっていた。
「────リオン!」
嬉しそうな笑顔を弾けさせた彼女────アリーゼを見たリューはその表情を辛そうに歪めた。それが目に入ってしまったアリーゼは抱き着こうとするのをやめ、その場に留まる。
「……お久しぶりです、アリーゼ」
「……うん、久しぶり。元気だった?」
ずっと帰っていなかったというのに急に現れた自分を見ても何も聞かずにあの頃のように接してくれるアリーゼにリューの表情が辛そうを超えて泣きそうに歪む。
言葉に詰まり、何も喋らなくなってしまった彼女を見てもアリーゼは何も言わなかったが、それを見て痺れを切らしたのはやり取りを見守っていたもう一人の女性────輝夜だった。
「ウジウジしてないでさっさと用件を言え、このクソポンコツエルフ。何か余程の用がなければ、今のお前がここに来るはずがなかろう?」
不敵な笑みを纏い、『さっさと用件を話せ私達は暇じゃないんだ』という眼差しにリューは何かを言い返そうと口を開きかけたが、それをすぐに閉じる。
そのまま一度深く息を吐いたリューは二人を見つめ、ここに来た理由を話し始めた。
「アリーゼ、輝夜、貴方達の力を貸してほしい」
「私達の?」
「はい。私達の酒場の店員の一人が行方不明……いえ、誘拐されたのです。同僚達が一足先に追っているのですが、犯人が向かった先というのが────」
「
打って変わって神妙な顔をする二人を見て、肯定の意を込めて頷く。
「……無性に嫌な予感がするのです。酒場の私達だけで行けば、予想外のナニカによって全滅させられる可能性が高い……そんな予感が」
「…………」
笑みを消した輝夜は横目でアリーゼを見る。
リューの話を聞いていた彼女は顎に手を当て何やら思案していた様子だったが、笑みを浮かべて頷いた。
「……いいわ。一緒に行ってあげる。まあこの目とダンジョンの中で今の私がどこまで戦えるかわからないけどね?」
そっちはどうする?、とアリーゼは輝夜に視線を向けたが、彼女は首を振った。
「……生憎だが、私は無理だ。見ての通り私は隻腕の身、そしてダンジョン内での私は…………あの酒場の連中が揃って勝てないような怪物が現れる、現れない、どっちだろうと私は足手纏いにしかならん」
アリーゼとは真逆に中身のない右袖を揺らし、覆しようのない事実をただ淡々と述べる輝夜の眼差しにリューは何も言えずに顔を逸らす。
「何故顔を逸らす。いい加減……いや、今はいい。団長、私は火災現場の方に向かう。貴方はそのクソ馬鹿と一緒に行ってやるといい……どうか、お気をつけて」
「ありがとう、輝夜」
後ろ手に手を振り、その場から去っていく輝夜を見送った二人の瞳が合う。
しばらく無言で見つめ合っていた二人だったが、どちらからともなく歩き始め、走りだした。
「貴方の大切な同僚を助けに、さあ行くわよ、リオン!」
「行きましょう……アリーゼ」
「全く……なんだったのでしょうかねぇ、彼女は。ただの少女の筈なのに、酷く癇に障って……神々に言わせれば、これも下界というやつなのでしょうか……」
地上からダンジョンへ。
シル達の元から逃走したヴィトーはダンジョンの正規ルートとは外れた道を通り、下へ下へと潜っていく。その道中に思い浮かべていたのは自分を出し抜いた忌々しい少女のこと。
「ヴィトー様」
「……おやおや、出迎えご苦労様! 遅れてしまって申し訳ない。少々こちら側で不手際が起きてしまいましてね」
ダンジョン10階層。そこでヴィトーは同胞と呼ぶべき者達に出迎えられた。
そして鞄を開き、その中身────贄となる少女を同胞に見せる。それを見せた瞬間、周囲から歓喜の声が湧き上がった。
「これが成就に至るカギとなるかはまだわかりませんが、間違いなく面白いことが起きるでしょう。ええ、それはもう、言葉では表せないほど面白いことが」
ヴィトーの声は笑っていた。だが彼の顔を見たその時、同胞と呼ばれた者達の歓喜の声がピタッと止まる。おや?、と彼が周りを見渡すと、その場にいる誰もが真剣な眼差しで、不快だという感情を隠そうともしない彼を見ていた。
「ヴィトー様、その顔は…………やはり、地上でこの
「……そうですね。少々厄介な者に見つかってしまいまして……ほぼ間違いなく私の元へ辿り着くでしょうねぇ」
口元に楽し気な笑みを浮かべるヴィトーに戸惑いながらも、彼らはすぐに戦闘の準備に入る。
計画の達成まであと一歩という所まで来ている彼らの士気は非常に高い。それをヴィトーは冷めた目で見つめていた。
「ああ、そこの君。例のあれはちゃんと手に入れてきましたか?」
「はい、抜かりなく。こちらになります」
そう言って白装束の男が取り出したのは禍々しい片手剣と短剣。
鞘から抜き去り、二つの刀身を数秒見つめたヴィトーは満足げに頷く。
「ご苦労です。手に入れるのには苦労したでしょう」
「いえ……
周囲にいるいくらかの者はヴィトーが受け取った物とほぼ同じ禍々しい短剣を腰に佩いている。それを手にしている者はこの中では上の方の実力を持つ者達だ。
彼らが辿り着けることなく平穏に終わればそれでよし。辿り着いたとしてもこの数に加え、とっておきの備えはしてある。どちらに転ぶにせよ、ヴィトーは既に勝利を確信していた。
「できれば情報は流したくないですしねぇ。万が一、生き残ってしまえば色々と面倒ですから」
「ん、んん……?」
戦闘の準備だけを整え、自分達の隠れ家へ移動を再開しようとしたその時、鞄の中で眠っていたノエルが目を覚ます。寝ぼけ眼を擦って、周囲を見渡した彼女は状況を理解したのか息を呑んだ。
「おや、もう起きてしまいましたか? ノエルさん?」
「ヴィトー……? ここ、どこ……? このひとたち、だれ……?」
見知った顔を見て一瞬安心したように頬を緩ませたが、身に纏う黒い気配を感じ取ったのか、その表情を恐怖に染める。
ヴィトーはそんな彼女を見て穏やかに微笑み、そっとその手を差し伸べた。
「混乱していますねぇ……ですが、この私に身を委ねてくれれば問題はありません。喚かず、騒がず、暴れず、従順に……人形のように考えることをやめてください。あるいは奴隷のように」
その口元には笑みがあるというのに言葉から何の感情も感じ取れないヴィトーの手をノエルが小さな悲鳴と共に振り払う。
「いやっ……やだっ、こわい……! こわいよぉ!」
「ふむ……」
振り払われた手に一度視線を落とし、次に泣き叫ぶノエルを見たヴィトーは薄くその目を開き、今も泣き叫んでいる少女にゆっくり近付く。
そして、鈍い音が響き、ノエルの小さな体が宙を舞った。
「あぐっ! ………………え?」
酷く熱を持つ自らの頬にノエルの小さな手が触れると、たちまち熱が痛みへと変わった。
痛みを訴える頬を震えながら抑え、前を……自分を殴り飛ばしたヴィトーを見る。
「ごめんなさいねぇ、ノエルさん。私も、こんなことはしたくないのです。ですが、私の『上着』がこう言っているのです」
怯えを見せるノエルに近付き、その頭に触れたヴィトーはそのまま少女の髪を掴み、無理矢理自分と目を合わせる。
「『────言ったことが分からなかったのか、クソガキ。これ以上喚くようならその顔が潰れるまで殴り続けるぞ』」
そして、殺意の込められた低い声で脅しをかけ、乱雑にノエルを地面に投げつける。
地面を転がったノエルはあちこちから痛みを訴える体を抑えながら、自分を見下ろす男を怯えた目で見つめることしかできなかった。
「黙りましたか? 黙りましたね? ああ、ご安心を。この『上着』も貴方が私の言うことを聞いている限りはおいたをすることはありませんから」
「……ぁ……ぁあ……」
「それでは行きましょう! 心躍る『出会い』を! 『運命』を! 素晴らしき『未来』を手に入れに行くために!」
歓喜の声を上げるヴィトーとその仲間達に連れられ、ノエルはダンジョンのさらに下の階層へ連れて行かれそうになる。だが、ノエルは恐怖に震えながらも必死に抵抗した。
「……かえして……ほうじょうの、おんなしゅじんに……わたしの『おうち』に、帰して!」
「ははははっ……それはダメです」
必死の抵抗も空しく、胸ぐらを掴まれ小さな体が宙に浮く。
周囲から慌てたような声が響くが、そこにノエル個人を心配するような声は当然ない。
「何故かって? 気になりますか? それはですねぇ……貴方の帰る場所はあんな酒場ではないからなのです」
「ちがう! わたしのおうちは────」
「いいえ違いません。どれだけ泣こうが喚こうが、あんな所は貴方の帰る場所ではありません」
ただ淡々と目を見開く少女に非情な現実を教え込む。
ちがう、ちがう、と呟くノエルを下ろしたヴィトーは膝をつき、目を合わせる。
「やはり、貴方も自分が何者なのかはご存じではなかったのですか。まあ私自身、貴方のような存在がいるのかと驚いているのですが……ノエルさん、貴方は『特別』なのです。ですので、あのような場所ではなく、私達が在るべき場所まで導いて差し上げます。それが、貴方の為なのです」
「いらない……とくべつなんていらない! 帰してよぉ……みんなのところに、帰してよ!」
「やれやれ……無垢というのは尊いものですが、非常に愚劣で耳障りでもある。ここまで言ってもわからないのであれば…………もう少し、痛い目に遭えば学習するのでしょう」
先ほどの禍々しい武器とは別の短剣を引き抜いたヴィトーはそれをノエルの頬に突き付ける。
それが目に入らないほどに錯乱し、涙を流す少女にそれを振り上げた。
「……おとうさん! おかあさあぁぁぁぁん!!」
「馬鹿なことを。貴方に父親も母親もいるわけがないでしょう?」
ある日の情景とある二人の顔を思い出し、慟哭するノエルに残酷な刃が振り下ろされる────
「────【ファイアボルト】ッ!!」」
その直前、濃霧を斬り裂き、炎雷が迸った。
それはノエルを斬り裂こうとしていたヴィトーに直撃し、今度こそその体を吹き飛ばす。
「ノエルッ!!」
「……べる……し、る……おかぁ、さん……おとぉさん……!」
「……っ」
濃霧から飛び出したシルがノエルに駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。
そんな二人を庇い、前に立ったベルは立ち上がった
「やれやれ、直接見ると想像以上の速度ですね、貴方の炎は。それに随分とここに辿り着くのも早い。一体どんな手品を────」
「この子に何をした……」
「……おや?」
言葉を遮り、震える声で自分に問う少年を見て、ヴィトーが眉を上げる。
防具はない、装備は漆黒の片手剣一本、だがその身から迸る怒りに笑みを隠しきれない。
「ああ、少々耳障りだったので……軽く頬を撫で、死なない程度に痛めつけて差し上げようとしただけですが……それが何か?」
「────ッ!!」
怒りが殺意へと変わる。
地面が砕け散るほど強い踏み込みで、ベルは勢いよくヴィトーに飛び掛かった。
「向かってきますか、向かってくるに決まってますよねぇ? あなたは『英雄』の名を冠する者なのですから! まあ私に簡単に出し抜かれるなど、お間抜けな所もありますがねえ?」
ベルの一撃を弾かず、あえて受けることでその衝撃を利用し、ヴィトーは大きく後退する。
追撃しようと走るその間に割り込むのは白装束の男……
「お相手してあげても良いのですが、まずは彼らを倒してからにしてもらいましょうか。神々風に言うのであれば、『私を倒したければその者達を倒してから来い』、といったところでしょう」
人の神経を逆撫でするような声を発しながら、ヴィトーの姿が残党達の陰に隠れる。
行く手を阻まれたベルは邪魔をする者達を睨みつけ、剣を構えた。
「待ってて、ノエル。すぐに終わらせるから」
その姿を見て、男は愉快そうに微笑んでいた。
ここまで見ていただきありがとうございました。
良ければ感想や評価など頂けると幸いです。