二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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『漆黒』の目覚め

「クソ、クソ……クソッ!!」

 

 触手とモンスター達を使役する存在の力が高まっていくのを感じる。

 それが意味することを響いてきたあの男の言葉から察した彼女達は怒りと悔しさに震えた。

 だからといって隙を晒すことは許されない。目の前の戦闘に全力で集中しなければ、自分達もまたその命を落としてしまうほどに敵の攻撃は苛烈なのだから。

 

「敵も味方も、人もモンスターも関係ない。何もかもをブチ壊し放題のやりたい放題……馬鹿げてるにも程がある……!」

 

「それにこいつら……あれに殺されるのもお構いなしニャ! ミャー達を殺せればそれでいいのかニャ!?」

 

 触手の攻撃と共に襲い来るのは恐怖に顔を引きつらせる白装束の者達。彼等の捨て身の特攻も穢れた精霊の攻撃と同じく受けるわけには行かない。再び不治の呪いを浴びれば、たとえこの戦いに勝利したとしても命はない。

 

 もう『奇跡』を起こしてくれたあの少女はいないのだから。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】」

 

 クロエ達が精霊の触手、白装束、モンスター達を同時に相手取っていると、彼女達を避けて、敵の背後から三条の吹雪が放たれた。

 全てを凍てつかせんばかりの極寒の氷波は敵の多くを飲み込み、彼女達の周囲を本物の氷雪で包み込む。

 

「クラネルさん! 無事でしたか!」

 

「……すみません。ノエルを……取り戻せませんでした」

 

 表情を少しだけ明るくさせたリュー達に少年は顔を俯かせ、懺悔の念の込められた言葉を呟く。

 前髪に隠れた瞳を見ることは出来ないが、震える肩が少年の胸の内を表している。

 

「……っ、クラネルさん、反省も後悔も後です。今はこの場を切り抜けることだけを考えなさい」

 

「リオンの言う通りよ。あれを倒すには君の力が必要になるわ」

 

 アリーゼの見据える先にいるのは美しく醜いという矛盾した笑みを纏う穢れた精霊。

 先ほど極寒の吹雪が肉体から発生する触手を飲み込んだというのに本体にダメージが入ったような様子は見受けられない。

 こちらを見つめるアリーゼに気付いたのか彼女に視線を合わせ、精霊は美しく微笑んだ。

 

「────集え、大地の息吹。我が名はアールヴ】……【ヴェール・ブレス】」

 

 その笑みにとてつもない嫌な予感を覚えるアリーゼの体を翡翠に白が混ざった光膜が包み込んだ。見ると自分だけでなく、パーティの一人一人がその光膜に包み込まれている。

 

「【九魔姫(ナインヘル)】の防護魔法……さっきの魔法を見た時に十分驚いたけど、もしかしてあの人の魔法全部使えるのかしら」

 

精神力(マインド)の消耗を気にしなければ使えます。ただ、あの人ほど上手に扱えません。それよりも……来ます!」

 

 危機を感じ取ったベルの叫びに弾けるようにアリーゼ達は穢れた精霊に振り返る。

 そして、それを待っていたかのように彼女は微笑みを浮かべたまま────

 

 

「【火ヨ、きたレ】」

 

 

 ────呪文(うた)を紡ぎ始めた。

 

「詠唱ニャ!?」

 

「あれ、モンスターでしょ!?」

 

 起源が精霊とはいえ、その肉体のほとんどが凶暴な破壊衝動と本能のまま生きるモンスターのモノに成り果てている女体型のその行為にクロエ達の驚愕が重なる。

 精霊の巨大な下半身から大広間に広がる禍々しい紋様の広大な魔法円(マジック・サークル)

 立ち昇る魔力は人知の理解を超えている。

 彼我の距離は絶望的。詠唱そのものを止めることは出来ない。

 一か八かで行こうとしてもモンスターと触手の防護はあまりにも強固。

 

 焦燥を浮かべるアリーゼ達の耳に小さな(チャイム)の音が届く。

 

「【舞い踊れ大気の精よ、光の主よ。森の守り手と契りを結び、大地の歌を持って我等を包め。我らを囲め】」

 

「猛ヨ、猛よ、猛ヨ、炎の渦よ、紅蓮ノ壁ヨ、業火ノ咆哮よ。突風ノ力を借リ世界ヲ閉ざセ。燃エる空、燃エル大地、燃えル海、燃える泉、燃エル山、燃えル命】」

 

 彼女達の中で一人、『風』によってその力を理解していたベルは即座に詠唱を開始、同時に【英雄運命(アルゴノゥト)】による蓄力(チャージ)を敢行した。

 研ぎ澄まされた集中から紡がれる膨大な魔力。当然、それを見逃す穢れた精霊ではない。詠唱を続けながらそれを食い止めようと自らの触手、配下となるモンスター達を送り込む。

 

「クラネルさんを守ります! 敵の詠唱完成直前に彼の背後へ!」

 

 接近を許さない精霊の詠唱妨害の選択を即刻斬り捨てたリュー達はベルを守るべく、目の前の怪物が送り込んだ尖兵と対峙する。

 ベルは彼女達を信頼し、その場から一歩も動かずに詠唱に集中。驚異的な速度で詠唱を進める。

 

「【大いなる森光の障壁となって我等を守れ────我が名はアールヴ】」

 

「【全テを焦土ト変え、怒りト嘆キノ号砲ヲ、我が愛セし英雄ノ命の代償ヲ────代行者ノ名にオイて命じル。与エられシ我ガ名は火精霊(サラマンダー)。炎ノ化身炎の女王(オウ)】」

 

 ベルが長文詠唱を完成させるのとほぼ同時に精霊の『超長文詠唱』が完成する。

 無数の触手、白装束の者達、モンスター達を退けたリュー達は一斉に少年の背後まで退避。最後の一人が退避し終えた瞬間、都市最強魔導士の『結界魔法』が展開された。

 

「【ヴィア・シルヘイム】!」

 

 ベルの足元に展開されていた純白の魔法円(マジックサークル)から翡翠の光輝が立ち昇る。それはたちまちドーム状に広がり、物理、魔法攻撃の全てを遮断する緑光領域へと変貌した。

 そして、結界に包まれた七人の元へ────

 

 

「【ファイアーストーム】」

 

 

 ────『精霊の魔法』が放たれた。

 

 女体型が産み出した小さな火種が地面に舞い降りた瞬間、世界が紅に染まった。

 精霊の周囲を除いた階層の全てに極大の炎嵐が吹き荒れる。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!!?!?」

 

 結界で遮断されているとわかっているのに思わず防御態勢を執ってしまうほどの圧。

 紅の濁流が領域外の人とモンスターを飲み込んでいく。灰も断末魔すら焼き尽くされる外に広がる光景に修羅場を潜り抜けてきたリュー達でさえ、その場で立ち竦んでしまう。

 剣を突き刺し、結界を維持するベルは一寸先すら見えない地獄を見据え、そして目を見開いた。

 視界の先、傷一つつくことのなかった結界に亀裂が生じ始めている。

 

「っ、シルを!!」

 

 それを見たアリーゼ達の動きは早かった。迅速にシルを囲むように立つ。

 恩恵(ファルナ)を授かっているのなら防護魔法も相まって耐えられるかもしれない。だが一般人であるシルは魔法があろうとも耐えられるはずがない。

 故に優先されるのはシルを守る事。炎嵐と対峙するベル以外がその顔に焦燥を浮かべながら、その時が来てもいいように構えた。

 

 ─────だ、め……!

 

「────────────────っ!」

 

 しかし、勝ったのはベルが展開した結界魔法、そして【英雄運命(アルゴノゥト)】だ。

 シルはそれを見て、それを聞いて、目を見開いた。

 正面、左右、頭上、全方位に渡って亀裂が生じていたが、それを白光が埋めていく。

 突如として炎嵐が勢いを失い、完全に収まるその時まで白光が緑光領域を支え続け、その中にいる全ての者を守り切った。

 胸を撫で下ろしたのも束の間、生き残った彼女達は外に広がる光景に目を見開く。

 

「……冗談じゃないニャ」

 

 幻想の雪原は全てが焼け野原に変わり果てている。雪のように水晶の欠片が積もっていた地面には代わりに灰とそれとは違うナニカが散っており、それの元が一体何だったのか想像に難くない。

 精霊がいる箇所、結界が展開された箇所、僅かに生き残った水晶の橋を除き、美しい雪原は別世界と化していた。

 

「うフフふフ……」

 

「笑ってる……」

 

 これほどの力を発揮したというのに全く疲弊した様子を見せず、くすくすと楽しそうに笑う彼女の姿に誰かが呆然と呟く。

 厄介な極彩色のモンスターと白装束の者達が魔法によって消えたというのに、それらがいた時よりもはるかに勝機は薄い……彼女達はそう理解してしまった。

 

「如何ですか? 『彼女』の力は」

 

  戦慄を禁じ得ないリュー達の前に不愉快な笑みを張り付けた男が再び姿を現す。

 大広間を焦土に変えたあの炎からどのようにして逃れたのか、その体には傷どころか焦げた跡など一つも見受けられない。

 

「最悪も最悪ね。あんただけ攻撃されてないみたいだけど、どんな手品を使ったのかしら」

 

「ははははは、さてなんでしょうねぇ。どんな手品にしろ、私は自分の手で目覚めさせた怪物に殺されるような間抜けではないので対策はしていますとも。その程度のことは普通の頭があれば聞かずとも理解できると思いますが?」

 

 くつくつと笑い、煽ってくるヴィトーにアリーゼが額に青筋を浮かべる。

 それを見て満足気に頷いた男は彼女達に背中を向け、自分達を見下ろす『彼女』を見上げた。

 

「それに『彼女』の攻撃に巻き込まれ、この命を落としても私は本望なのです。神塔(バベル)を破壊し、世界是正を為す彼女の礎になれるというのなら私の命など軽いものです」

 

 目の前の男の薄く開かれた瞳を見て、アーニャ達は自分達の認識が未だ甘かったことに気付く。

 この階層で自死すら厭わず自分達を殺そうとした白装束の者達。彼らの瞳やその相貌は確かに死への恐怖といったものに満たされていた。

 だが目の前の男は違う。血塗られたその瞳と声に死への恐怖は欠片も存在していない。

 

「イカレ野郎……!」

 

「狂信者と、どうせ呼ばれるならそう呼んでもらいたいですねぇ……まあとはいえです。私はまだ死ぬつもりはありません。世界是正とまで言わずとも貴方達全員が死に絶える姿を見るまでは死んでも死に切れません」

 

 男が右手を掲げると再び精霊が動き出す。

 足元から飛び出した触手の群れがアリーゼ達に襲い掛かった。

 

「精々、背中にお気を付けなさい?」

 

 迎撃のため、男から視界を切ったのは数秒。その数秒で男の姿は影も形もなくなっていた。

 隙があればいつでもその命を刈り取ると告げながら。

 

「ざっけんなッ!!」

 

「ルノア! 今は目の前の敵に────」

 

「わかってるよ、そんなことはさ! でも、こんな好き放題やられて……私達の家族を奪われて、黙っていられるわけがないだろっ!」

 

 あの男に対する鬱憤の全てをぶつけるようなルノアの連撃が触手の群れを怯ませる。

 その隙を突き、触手を斬断するクロエ達もルノアを制そうとしたリューだって声には出さないが、彼女と同じ気持ちだ。

 

 ただただ悔しかった。

 世界を是正するなどという身勝手な目的のために家族が傷付けられたことが。

 そんな目的のためにその時を幸せに過ごしていた家族をあんな怪物に奪われたことが。

 

「こいつを倒したってもうノエルは帰ってこない! だったら……あいつだけは私が────!」

 

 怒りのまま触手に突っ込むルノア、それを止めようと手を伸ばすリュー達。

 

「────それは譲れません」

 

 その背後から暴風が放たれた。

 吹き荒ぶ暴風は襲い来る触手の全てを飲み込み、地面を抉り取る。

 彼女達の奮闘を嘲るように哄笑を上げていた女体型の笑みがピタッと止まった。

 

「あの人は僕が倒します。絶対にそれは譲らない」

 

 言葉を紡ぐ少年の前髪に隠れていた瞳が風によって露わになる。

 その瞳に宿るのは瞋恚の炎。美しい深紅(ルベライト)の瞳は昏く濁り、黒い光片が散っていた。

 その豹変と言い表すしかない姿に怒りに飲まれていたルノアも思わず平静を取り戻す。

 

「ベルさん……?」

 

「それに、あれを倒す為にはルノアさんの力が必要です。ルノアさん達の怒りも、悔しさも……全部僕が持っていきますから……どうか、お願いします」

 

 投げかけてくる言葉には確かな知性が宿っている。言葉だけを聞けば誰もわからないほどに少年は”普通”だ。だがその身から迸るのは怒りなんて言葉が生易しく感じるほどの確かな殺意。

 その矛盾する雰囲気にルノア達は初めてベル・クラネルという冒険者に気圧される。

 

「ダメよ、危険すぎる。それなら私が────」

 

Lv.5(貴方)がいなくなればそれこそ勝機がなくなります。それにあの人が逃げの手を打ってくる可能性だって高まります。だけど僕が行けば、それはまずありません」

 

 ただでさえ少ない人数で深層の階層主に匹敵する怪物と戦わなくてならない。そんなモノと戦うというのに貴重なLv.5を割くことは出来ない。

 加えて戦力を分散させられた上で逃げられでもしたら目も当てられない。

 だがベルは自分が向かう限りではそれはないと断言した。何故なら────

 

「僕が一番あの人に執着されていて……そして舐められている」

 

 あの男の自分への不気味な執着。それに気が付かないほどベルは鈍感ではない。

 だからこそ自分が向かえば、あの男が逃げることはないと断言できる。

 

「……どのみちあいつの相手をしなかったら奇襲が怖い。それなら最初から少年を向かわせてもいいんじゃない? あいつに勝てる算段があるんでしょ?」

 

 クロエの言葉にベルは頷く。

 一瞬の沈黙が走る。直後に何かを思案していた『穢れた精霊』が『チガう』と呟き、行動を再開した。もう迷っている時間はない。

 

「あの男はクラネルさんに。私達は目の前の敵に全てをぶつけます。いいですね、アリーゼ」

 

「……いいわ、ベル君に任せる。死んだら許さないわよ」

 

「死ぬつもりなんてありません。『約束』がありますから」

 

 それ以上言葉を交わすことはなかった。

 彼女達に背を向け、ベルはヴィトーがいると思われる方角へ走り去る。

 その背中を見送ったアリーゼ達は精霊に向き合い、己の武器をそれぞれ構えた。

 

「最優先で潰すのは敵の詠唱。それを阻止できなければ、私達が耐えられたとしてもシルが死にます。魔法を放たれるのは私達の敗北と同義です。いいですね」

 

「わかったわ。さあ、行くわよ!」

 

 先陣を切ったアリーゼにリュー達が続く。

 彼女達と『穢れた精霊』を結ぶ直線の中心点で戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 アリーゼ達と『穢れた精霊』の戦いをヴィトーは安全圏で見守っていた。

 視線の先の彼女達に触手の雨が降り注ぐ。それを難なく迎撃する彼女達の姿に男はどこか不満げな表情を浮かべる。

 

「……妙ですね」

 

 先ほどまではヴィトーの想像通り……いや、想像以上の結果が目の前の空間で起きていたはずだった。だが少し前から……魔法を撃ち終わった辺りから『穢れた精霊』の様子がおかしい。

 強靭な触手の攻撃は苦も無く逸らされ、第一級冒険者の攻撃でも傷つかない精霊の体が第二級冒険者の攻撃によって簡単に傷つけられている。

 目で見てわかるほどにその力が落ち始めているのだ。

 

「あれでは下界を滅ぼすなど夢のまた夢……私の見込み違い? いいえ、それはあり得ない」

 

 自問自答を繰り広げる男の胸の内に浮かぶのは初めて『彼女』を目にしたときの畏怖と感動。

 精霊の魔法なんてものが発動した時にも、それと全く同じものを覚えた。

 

「…………まさか、生贄(ノエル)が何かを────」

 

 ヴィトーが思い当たる節に辿り着いたその時。

 トンッ、という静かな足音が、パリッ、という雷が弾ける音が、耳に届く。

 瞬間、襲い来る悪寒。反射的に振り向きながら剣を抜き、最速の防御態勢を執る。

 

「────────ぐっ!?」

 

 甲高い音が響き渡り、剣と剣が衝突。衝撃に耐えきれず、ヴィトーの体が大きく吹き飛ぶ。

 かろうじて空中で体勢を立て直した男が顔を上げると、そこに彼は立っていた。

 

「……………………」

 

 幽鬼のように立つその姿にヴィトーは初め、そこに立っているのが自らが執着していたベル・クラネルだと気付くことが出来なかった。

 目の前の少年がベルだと気付いた時にはまず自らの眼を疑った。

 

「……本当に、貴方はしつこい方ですね。私になんて構わずにあの娘の仇討ちでもしておけば良いものを……英雄と呼ばれる貴方は()を放置できないということですか?」

 

 その言葉にベルは欠片も反応を見せず、左手を天井に向ける。

 そして、ファイアボルト、と炎雷を解き放ち、残っていた頭上の水晶の橋を崩落させた。

 轟音と共に瓦礫が少年の背後に降り注ぎ、『穢れた精霊』達が見えなくなる。

 

「瓦礫で大空間(ホール)を……私を閉じ込めたつもりですか? 貴方一人で私を相手取り、彼女達の戦いの邪魔をさせないつもりだと?」

 

 少年の豹変に流石に驚きを隠せなかったようだが、すぐにその浅はかな考えを男は鼻で嗤う。

 所詮無駄なあがき、何の意味もない戦いだと。

 

「健気ですねぇ。大切な娘の仇討ちも他者に譲り、敗北が確定している戦いに挑むその姿……泣けて来てしまいますよ。これも新しい『英雄』の形なのですか?」

 

 この嘲りに対してもベルはやはり何も反応を見せない。

 静かに剣を構え、白い前髪の奥から射抜くような視線を男に向けている。

 

「【リトル・ヒーロー】、私は『英雄』に憧れています! いえ、この感情は尊敬といった方が正しい! この欠陥じみた箱庭で、理不尽に負けず、不条理に抗い、世界に反逆し続ける者達!」

 

 それを歯牙にもかけず、大仰な振る舞いでダンジョンに遮られた天を仰ぎ、想いを吐露する。

 悪辣な笑みを浮かべる口から語られるその言葉がその通りの意味を持つ言葉なのか、そんなものは聞くまでもない。

 

「そう! 崇拝されるべき存在は薄汚い神々などではない! 気高く崇高な英雄達こそが真に崇拝されるべき存在なのです! 私は誰が何と言おうとも『英雄』を敬い続けます!」

 

 そこで一度言葉を切った男は閉じられた瞳を見開き、爛々と輝かせながらベルに襲い掛かった。

 それをベルが向かい撃ち、始まるのは凄烈な輪舞(ロンド)

 剣が衝突し、火花が散る。凶悪な呪いが込められた短剣が剣と剣の応酬の間を抜け、少年の体に食らいつこうとする。その刃の側面を叩き、逸らした少年の反撃を身を捩ることで男は回避した。

 常人では目で追うことすらできない速度で何度も互いの立ち位置を入れ替え、剣戟の応酬が繰り返される。片や一振りの剣、片や呪いが込められた二振りの剣と短剣。手数の面でも精神的な面でも肉体(ステイタス)的な面でも有利なのはヴィトー。

 

「貴方も敬われるべき者の一人です! 貴方と同等に私を熱狂させた『英雄の器』は下界広しといえど他に一人もいません! 貴方こそが私が求めた『英雄』の姿を体現していると断言できるっ!」

 

 男の躍動は止まらない。自身が『英雄』と呼ぶ無謀で愚かな少年を終わらせようと感情の高まりと共に加速する二本の剣を以て、更なる攻勢を仕掛ける。

 何も言葉を発さずに防戦一方となる少年の姿を見て、男はさらに笑みを深めた。

 

 少年に誘い込まれているとも知らずに。

 

「なのでそんな怖い顔はやめましょう! そのような顔は貴方のような英雄に相応しくない! もっと相応しい顔で存分にあがき、もがき、壮絶な最期をどうか私に────!」 

 

 渾身の斬撃を叩き込もうとしたその刹那、目の前で少年の体がブレる。

 次の瞬間、腹部に斬撃……いや、斬撃のように鋭い蹴りが放たれていた。

 蹴りつけられた箇所に力を込める間もなく、無防備な腹部に叩き込まれた蹴撃は見た目以上の威力を発揮し、ヴィトーの体が焦土と化した雪原の上を跳ねる。

 

「────な、に……っ!?」

 

 何が起きたのか理解できぬまま顔を上げたヴィトーは首筋に刺さった殺意に反射的に頭を下げる。直後、頭があった箇所に黒剣が振り抜かれていた。

 少しでも反応が遅れていたら首が飛んでいたという事実に全身に怖気が走る。そして、瞬く間に吹き飛んだ自分に追い付いていたその男の瞳を見て、ヴィトーの表情から笑みと余裕が消えた。

 

「なんだ……この速さは……この威力は……!」

 

 ゆらりと目の前にいる男の体が揺れる。

 前髪に隠れていた紅い瞳と目が合ったかと思えば、その体は僅かな音を響かせ、掻き消えた。

 

「ぐぅ……っ!」

 

 遮二無二に振り払った剣が運良く黒剣と衝突。不十分な体勢でそれを受けてしまったヴィトーは弾き飛ばされるように無防備を晒す。その胸にベルの拳が突き刺さった。

 

「がぁ…………っ、何故……貴方の攻撃が、ここまで通る……っ!」

 

 反吐を撒き散らしながら、その一撃の重さにヴィトーは目を剥く。

 自分はLv.5で、相手はLv.3。たった一つの差で次元が異なる存在になるほどの絶対的な差が生まれるのが現代におけるLvというモノ。その差が二つ、どのような手を講じても彼が自分に敵う道理などないはずだった。

 だというのに膝をついているのは自分(Lv.5)で立っているのは相手(Lv.3)。その現実をヴィトーは理解することが出来なかった。

 

(魔法……スキルか!? いや、あり得ない! 実力差を覆すことが出来る筈が……!)

 

 信じられないモノを見るような瞳で彼を見た彼はその瞳をさらに見開くことになった。

 少年が身に纏っているのは小さく音を鳴らす黒雷の加護、そして黒風混じりの風の加護。

 

「なんですか……なんなんですか、その『風』は!?」

 

 その『風』はあの日、24階層で確認した風の付与魔法(エンチャント)とは出力が違う。

 その風の加護は鎧などではなく、もはや結界と表現する方が正しい。

 

「敵である貴方にわざわざ教える馬鹿がどこにいますか?」

 

「……ッ!」

 

 冷たい声がヴィトーの耳朶をくすぐる。

 

「随分と余裕がなくなりましたね。仮面(笑顔)はどうしたんですか?」

 

 風の結界の奥から『漆黒の真円』に縁取られた瞳が自分を射抜く。

 ものの数秒で完全に二人の立場は逆転していた。

 蛇に睨まれた蛙のように固まるヴィトーにベルはゆっくりと歩を進める。

 

「……酷い言葉をかけてくる人が多い中で……あの日、貴方に『英雄』って呼ばれた時……恥ずかしかったですけどそれ以上に嬉しかったんです。あの時は本当に素直に喜びました」

 

 自分に握手を求めてくれた、近くて遠い過去の記憶を思い出してベルは目を細める。

 知り合いや家族(ファミリア)ではない人から認められた……と、本当にベルは内心喜んでいた。間抜けにもその裏に含まれていた真の感情に気付くこともなく。

 

「あの時気付けていれば……なんて後悔はあります。けど、今は仕舞っておきます」

 

 見開かれたベルの瞳に再び宿る瞋恚の炎。

 その炎に応えるように体を包む雷と風の加護が力を増す。

 

「今はただ貴方を倒す。今はただ、貴方を()()

 

 ヴィトーの足が竦む。胸の奥に何年もの間、感じることのなかった恐怖が生まれている。

 格下だったはずの、再び打ち負かすはずだった『英雄(愚物)』に気圧される。

 

「意味のないことだとまた笑いますか? ええ、どうぞ好きに笑ってください。それが貴方が浮かべる最期の笑顔になりますから」

 

 その姿と自分の状態にこのままでは敗北する可能性が高いと男は判断。

 この場からの逃亡を図ろうとするが、そこで思い出す。

 

(今、この場は瓦礫で分断されている……逃亡どころかこれでは『穢れた精霊』の元まで……!)

 

 彼の頭上に水晶橋は残っていない。精霊の魔法によって地面は焦土と化し、障害物の一つも見当たりはしない。この状況において逃亡は非常に困難。背を向けた瞬間、その命が刈り取られるのが簡単に予想できてしまう。

 瓦礫の分断による目的が『穢れた精霊』への介入を防ぐことだけだと思い込んでいたヴィトーはその状態になってようやく気付く。

 この瓦礫による分断には一対一を強制すること、この場からの逃亡を抑止すること、二人の戦いに『穢れた精霊』の力を利用させないという複数の目的があったことに。

 

「────行きます」

 

「ッ!」

 

 気付いた時にはもう遅い。もうヴィトーはベルの間合いから逃れることは出来ない。

『英雄』と嘲笑していた少年を侮っていなければ、このような状況は避けられたかもしれないが。

 少年は自分に似つかわしくない冷徹な表情のまま、勢いよく踏み込み、その剣を振るう。

 男は自分に似つかわしくない必死な形相を浮かべて、その剣を受け止め、剣の輪舞を再開した。




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