二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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精霊の奇跡

「シッ!」

 

「はああああああっ!」

 

 駆け抜ける銀の光が女体型の触手を貫き、それに続く金の光がその精霊の巨体を斬り裂く。

 下手に振れば互いの邪魔になるであろう金と銀の長槍はぶつかる素振りすら見せず、二人の疾走はさらに加速する。

 その疾走を食い止めようと『穢れた精霊』が何十本と生え続ける触手を振り回すが、二匹の猫はその間をすり抜け、時にはその触手すら利用し、高速の一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を繰り返していた。

 

「ヤバいわね……速過ぎてぜんっぜん追い付けないわ!」

 

「アリーゼ……いえ、下手に手を出せばあの二人の邪魔になるのはそうなのですが……」

 

 召喚された極彩色のモンスターを倒しながら、そんなことを口にするアリーゼに少し呆れたような顔を見せたリューだったが、その言葉に同意するような瞳で彼等の戦闘を見ていた。

 手加減など一切せず最速で駆け抜けるアレンにアーニャはその呼吸と動きを予測し、全力で追従している。『戦車』と化した二人の攻撃に『穢れた精霊』は悲鳴を上げた。

 

「速すぎる……強すぎる! あれが、【フレイヤ・ファミリア】……」

 

 大量に追加された芋虫型の新種も触手も彼等の速度の前では塵芥も同然だ。

 壁となった触手はまるで槍を覆うように巻き取られ、その槍で溶解液の塊である芋虫を貫き、炸裂した溶解液を置き去りにする。槍は表面の触手の皮のみを溶かされるだけで全く溶けていない。

 あれほどルノア達が苦悩した触手の群れも溶解液も全く歯牙にかけないその姿に過去、彼等の仲間に殺されかけたトラウマが蘇り、戦闘中だというのにルノアは思わず背筋を凍らせた。

 

「ええいっ、見惚れてる場合じゃないニャ! ミャー達にも出来ることをするニャ!」

 

『穢れた精霊』自体はフローメル兄妹が相手をしているが、一度魔法で一掃され、再度召喚された極彩色のモンスターまで相手をさせるわけには行かない。

 クロエとルノア達がモンスター目掛けて駆ける姿を見ながら、オッタルはシルの周囲を取り囲んだモンスター達に大剣を薙ぎ払った。

 

「オッタルさん、貴方もアレンさん達と一緒に戦ったほうが良いんじゃないでしょうか?」

 

「……必要ありません。俺が向かえば『戦車』は瓦解し、貴女様の願いを叶えることが困難になってしまいます。それに俺の腕では……万が一がありますので」

 

 大剣を下ろし、シルの隣に立つオッタルは自身の無力を謝罪するように瞑目する。

 彼女の願いを叶えるために彼は『穢れた精霊』を相手取るのではなく、彼女の護衛を選択した。

 オッタルがアレンと共にその力を振るえば、如何に精霊といえど簡単に討伐することが出来る。だがそれをしないのはシルの願いが関係していた。

 その願いを知るのは直接頼まれたアレンとオッタル、そしてアレンに聞かされたアーニャ。

 戦車はその願いを叶えるべく、猛進する。

 

「……っ!」

 

 銀の車輪は一切の容赦もなく全てを轢き殺す。金の車輪はそれに振り落とされないように必死に走る。呼吸や動きを予測したとて、都市最速の戦車に並び立つにはまるで足りていない。

 それでもアーニャは車輪を回す。振り落とされれば簡単に命を奪われる戦場に轍を残しながら、彼女(シル)の願いを乗せた戦車の片割れは駆け抜ける。

 

(シルの言ってることが本当なら……こいつの何処かにノエルが……!)

 

 戦車に託された願い……それはノエルを奪い返すこと。

 

 まだ完全に取り込まれていない娘の気配と精霊の中で抵抗しているのを察知したシルは僅かな可能性に賭けて、ノエルの救出を姿を見せたオッタルとアレンに願った。

 それを(アレン)から共有されたアーニャは戸惑いを隠せなかったが、そんな戸惑いは戦車に不要。即座に迷いを斬り捨て、共に走り始めた。

 

「……粗方削ったが、いねえ。なら、あそこか」

 

 取り込むことが出来ない女体を除き、寄生された植物型のモンスターの部位を削り切ったアレンはある一点……モンスターの魔石があったはずの部位に狙いを定めた。

 直後、地面から壁のように触手が生え、戦車の進行を妨げる。だが、その程度の障害で女神を乗せる戦車が止まるはずがない。触手の壁に激突する0.数秒で瞬く間に解体、作り出した穴に片割れと共に槍を捻じ込んだ。

 

「!」

 

「ノエルっ!」

 

 表面が抉れたモンスターの上半身。そこにノエルは魔石の代わりのように埋め込まれていた。

 目を閉じ、涙を流すもう二度と会えないと思っていた彼女にアーニャは思わずその名を叫んだ。

 すぐに救い出そうと手を伸ばしたが、先にノエルの周囲に触れていたアレンが手を伸ばした妹の首元を掴み、一気にモンスターの巨体を駆け下りた。

 

「兄さま、なんで!?」

 

「馬鹿が、見ろ」

 

 アレンの言う通り、ノエルがいた箇所を見たアーニャは目を見開く。

 そこでは先ほど抉り取った肉が回復を始めていた。周辺に存在していた食人花ほか、全てのモノをぐちゃぐちゃと取り込みながら。もしもまだあそこにいたら、二人の命はなかっただろう。

 

「アレン……どうだ?」

 

()()()()。あそこにいはしたが、完全にひっついてやがる。無理に剥がせばその時点であのガキは死ぬ」

 

 シルの元へ戻り、オッタルに声を掛けられたアレンは淡々と自身の見解を述べる。

 彼等が見たのは四肢を緑色の肉のようなものに完全に取り込まれていたノエルの姿。加えてその侵食は徐々にだが、全身に及んでいるのも確認できていた。

 

「完全に取り込まれる前にあの不細工ごと殺してやったほうがよっぽどあのガキのためになる」

 

「そんな……」

 

 希望の光が差した直後にその光を覆う絶望の闇は奇しくも兄の言葉から放たれた。

 瞳を震わす(アーニャ)に一瞥もせずにアレンはシルの言葉を待つ。

 

「…………」

 

「何か策はないのか?」

 

「そんなもんがあるならここにいないことぐらいわからねえのか。あのガキに近付けば大量に触手が来やがる。それだけなら簡単に対処できるが、ガキを無傷で奪い返すのは無理な話だ」

 

 それだけでなく自動回復まで兼ね備えている。

 傷をつけることなくノエルを引き剥がすとなると如何に第一級冒険者といえどそれ相応の時間がかかるのは想像に難くない。引き剥がしている間に想像通り再生されると彼女の願いを叶えることが困難だったため、あのアレンが一度シルの指示を仰ぐために戻って来たのだ。

 

「さっきも言ったが、無理矢理剥がすのも駄目だ。全身が千切れてあのガキも死ぬ。あの不細工を殺すことは出来るだろうがな」

 

 自分を傷つけた凶猫を探している『穢れた精霊』を見上げ、アレンは舌を鳴らす。

 何も気にせず戦えば、あの程度など都市最強派閥の冒険者の敵ではない。『娘』の願いを叶えられず、中途半端な疾走を強制されていることに相当苛立っていた。

 シルがその願いを取り下げた瞬間、アレンは神速の戦車となり、『娘』の願いを叶えられなかった自分への憤りすらも力に変えて全てを轢き殺すだろう。

 だがシルは何も言わない。三人の視線に晒される顔に汗を浮かべ、何かを……誰かを待つかのように口を閉ざして、『穢れた精霊』を見つめ続けている。

 

「……チッ」

 

 その瞳に反応するように『彼女』の濁った金色の瞳がシル達を射抜いた。

 微笑んだ『彼女』が手を動かすとシル達のもとへ触手と極彩色のモンスターの群れが殺到する。

 それを食い止めるべく、三人がシルの傍を離れたその時。

 

「────シルさん!」

 

 頭上から聞こえてきた少年の声にシルは勢いよく顔を上げる。

 残っていた水晶橋の上から破綻者を打ち倒したベルは彼女の前に着地した。

 

 この瞬間を、【未完の英雄】が帰って来るその瞬間をシルは待っていた。

 

「状況は────」

 

「ベルさん、単刀直入に聞きます。まだ魔法は使えますか? ……その体でまだ、戦えますか?」

 

 ベルの言葉を遮ったシルはすぐに二つの質問をした。

 驚いたような表情を彼はしていたが、じっとその瞳を見つめる。少年の返答次第で彼女は酷い痛みを訴える胸を無視して、自らの願いを取り下げるつもりだった。

 しかし、少年はその質問に、その瞳に何も聞かずにただ答えを口にする。

 

「使えます、まだ戦えます。僕は何をしたらいいですか」

 

 そう真摯に答えてくれたベルにシルは瞳を閉じ、彼に願いを託した。

 頷き、『穢れた精霊』に向かって走り出したベルを見て、シルはすぐに叫ぶ。

 

「オッタルさん! リュー! ベルさんの道を切り開いて!」

 

 各地で発生している戦闘音にかき消されそうなその声は冒険者である彼等には届く。

 一振りで自分の周囲、シルを囲もうとするモンスター達を再び一掃したオッタルはその巨体に似合わない超速でベルの元へ駆けつける。

 

「行きなさい! リオン!」

 

 シルの言葉に困惑していたリューもアリーゼの後押しと走るベルの姿を見て、彼の元へ詠唱を紡ぎながら駆ける。

 二人に守られるベルは足を緩めない。出会ったことがない筈のオッタルとリューを信頼し、迷うことなく最短距離でノエルの元へと走った。

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 その三人を脅威と断じたのか階層中に響き渡る咆哮を上げた。

 途端、その階層に存在する全てのモンスターがその三人目掛けて猛追を始める。

 

「させない!」

 

「止めるニャーッ!」

 

「好き勝手させるかよッ!」

 

 それを兄から指示を受けたアーニャ、クロエとルノアが食い止めた。

 アーニャから策を知らされた彼女達は要となる少年を守るべく奮闘。全てを蹴散らすことは出来なかったが、その数と勢いを大きく奪い取った。

 

「【突キ進メ、雷鳴ノ槍。代行者タル我ガ名ハ雷精霊(トニトルス)。雷の化身、雷の────】」

 

 触手も配下たるモンスターも抜け、自らに近付く少年に『穢れた精霊』はようやく詠唱を開始。

 選んだのは短文詠唱。高速詠唱を以て規格外の無数の雷条を生み出し、『脅威』を一掃しようとした『彼女』の狙いは……、

 

「貴女は少し黙ってなさい」

 

 炎を纏う紅花によって阻止された。

 魔力の高まりを察知したアリーゼによる超速攻。別の『精霊』と違い、花弁の装甲など産み出せない『彼女』は上体を斬り裂かれ、思わず魔力の制御を手放した。

 発生した魔力暴発(イグニス・ファトゥス)によってアリーゼは弾かれてしまったが、内側から大爆発が起こった『彼女』もまた大きな傷を負う。

 再び詠唱を紡ぐことができるほど修復される頃には既に少年は巨体を駆け上がり始めていた。

 

「────集え、大地の息吹。我が名は、アールヴ】」

 

「ッっ【閃光ヨ駆ケ抜ケヨ闇ヲ切リ裂ケ代行者タル我ガ名ハ光精霊(ルクス)光ノ化身光ノ女王(オウ)】!」

 

 既に少年は『穢れた精霊』の力の源がある箇所へと踏み込もうとしている。

 それに対して『彼女』は目を剥き、高速詠唱という表現が生温いほどの速度で短文詠唱を紡ぎ、少年の足場である寄生体に白い魔法円(マジックサークル)を生み出した。

 

「!!!」

 

 その輝きに気付いたベルが目を見開く。

 回避も、防御も不可能。直下より放たれる魔法になすすべなく飲み込まれる少年の姿を誰もが幻視し、作戦の失敗を悟る。

 

 ……二人を除いて。

 

『【ライト・バースト】! …………?』

 

「【ヴェール・ブレス】!」

 

 笑みを浮かべた『穢れた精霊』が放った魔法がベルを飲み込むことはなかった。

 何も生まれずに消えていく光と魔法円(マジックサークル)に困惑を隠せない精霊の目下で魔法を完成させた少年は、その魔法を黒剣に纏わせ、緑光を纏う剣で上体を抉り飛ばした。

 

「……【包み込め(テンペスト)】」

 

『あ……アアあああアアアアアあああっ!!?』

 

「……助けてくれて、ありがとう。今、助けるよ」

 

 ()()()()()()()()()()()自分を魔法から救ってくれたのであろう大切な娘に笑みを落とし、自分に宿った風の加護と防護魔法をノエルに授ける。

 優しい風が緑肉に取り込まれたノエルの全身を包んだその時、『穢れた精霊』が今までにない絶叫を迸らせた。苦しむように女体の頭を抱え、体を揺らし、濁った瞳を血走らせる。穢れてしまった自分にその風は相応しくないというように涙を流し、酷く、激しく、取り乱していた。

 

「アレンさん……全部、引き潰してください」

 

「────了解しました」

 

 彼女の声に応え、トンッ、と軽やかな音を鳴らして一匹の猫が走りだす。

 妹の視線を置き去りに、再度『戦車』と化したアレンは旋風の如く、疾走。

 倒れたモンスターも、暴れ狂う触手も、今までの鬱憤を力に変えた彼は全てを轢き殺し、眼前の『穢れた精霊』に突貫した。

 

『イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

「うるせえ」

 

 狂乱状態に陥った精霊が振り回す触手を潜り抜け、その巨体を駆け上がり螺旋状に斬り裂く。

 それを足蹴に飛んだアレンは空中で方向転換。照準を調整し、空気を蹴りつけたかのような速度で急降下。ノエルが埋め込まれた寄生物の胸を神速の槍捌きを以て抉り飛ばした。

 

『アア……アアアアアアアアアアアア!!?』

 

 寄生先の巨体を破壊された女体が支えを失い、落下する。

 ぐるぐると回り、方向感覚を失う中、自分より先に落ちていく小さな精霊が目に入った。笑みを浮かべた彼女は体勢を整え、この状況を逆転するためにその精霊に触手を伸ばす。

 だが、その光景を目にした瞬間、体に残った『風』の残滓が彼女の手に触れた。

 

『────ぁ』

 

「ノエル……ッ!」

 

 その目に映ったのは崩れ落ちていく緑肉の塊をかわし、精霊を抱きしめる一人の少年の姿。

 そんな二人の姿を見た時、『風』が自分の手を握ったその時、『穢れた精霊』と呼ばれる彼女の濁った瞳が一瞬、光を取り戻す。

 

「────────」

 

 それは精霊の奇跡。穢され切った彼女の身に入った二人の精霊の力が起こした奇跡。

 最期の一瞬、誇り高き精霊の顔を取り戻した彼女は少年の腕の中で眠る『彼女』を数瞬見つめる。そして、申し訳なさそうに目を伏せ、自らの胸を貫いた。

 

「……なに?」

 

 止めを刺そうと迫っていた戦車(アレン)でさえ、目を剥き、動きを止める。

 両手で胸を貫いた彼女は腕をさらに進め、そして引き抜いた。その手の中にあるのは彼女を穢し、怪物へと変えた魔石。

 自ら命を絶つその行動に誰もが声を失う中、シルは一人、悼むようにその瞳を閉じた。

 

「…………ごめん、ネ────」

 

 最期のその言葉は誰かに届いたのか……。

 掠れた声でそう呟いた彼女の体が結晶となり、罅割れ……そして、砕け散る。

 静かに舞い落ちる美しい結晶の欠片がその戦いの終幕を告げていた。

 

「えっと……勝った、のかな」

 

 突然起きたその出来事を即時理解できる者などその場にはおらず、ルノア達は顔を見合わせる。

 水を打ったように静まり返る空間にはもうモンスターも白装束の者達も誰もいない。勝利したと言っていい筈なのに最後の光景が勝利の実感をどうにも鈍らせる。

 

「ベルさん! ノエルは……」

 

「……大丈夫、だと思います。どこも怪我してないですし呼吸も安定してます」

 

 そんな空気を斬り裂いてベルとノエルに駆け寄ったシルは少年の言葉にホッと胸を撫で下ろす。

 彼女がノエルを見ると、その言葉通り静かに寝息を立てて安心しきった様子でベルにその身を委ねていた。

 

「色々あったけどあの子も取り戻して、世界が滅びるのも防げた……もしかして完全勝利ってやつじゃないかしら!」

 

 アリーゼのそんな言葉と朗らかな笑みに敵が消えたというのに張り詰めていた空気が弛緩する。

 戦いの最中、見せることの出来なかった笑顔が間に生まれ、互いにそんな笑みを見ることで戦いが終わったのだと、ようやく彼女達は実感できた。

 

「まあ【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】と【猛者】がいなかったらどうなってたかわからないけど……って、いない?」

 

 この場に突然現れ、助太刀をしてくれた【フレイヤ・ファミリア】の二人。

 彼等は現れた時と同じように、いつの間にかその姿を消していた。

 余計な詮索を避けるように消えた最強派閥の二人はいったい何故、ギルドの地図にも載っていない未開拓領域にいる自分達の前に現れたのか……その理由を彼女達が知るのはもっと先の話。

 

「兄さま……」

 

「馬鹿アーニャ、おミャーも良くやってくれたニャ。あの【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】にくっついてあの化け物をぶっ倒すなんてね」

 

 何も言わずに消えた兄に顔を曇らせる(アーニャ)の背をクロエが気遣うように叩く。

 その”いつもどおり”の姿に少し目を丸くしたアーニャもややあって、どんな理由があれ家族(ノエル)を救ってくれた兄への感謝を心の中で呟き、その口元に笑みを浮かべた。

 

「っと、ここで話してる場合じゃなさそうだね」

 

「急いでこの場から離れましょう。シル、こちらへ」

 

 突如、階層を揺らすほどの振動に襲われたパーティは急いでこの場からの撤退に入った。

 恩恵を受けていないシルはリューが抱え、眠っているノエルは元々抱きかかえていたベルが外まで運んでいく……はずだったが。

 

「…………アリーゼさん……ノエル、まかせてもいいですか」

 

 彼女の隣を今にも消えそうな風を纏い並走していたベルがか細い声でそんなことを呟いた。

 思わず何も言わずにノエルを抱えたアリーゼは走りながら、少年の表情を窺う。だが、その瞳は前髪に隠され、窺うことが出来たのは、どこか悔しそうに小さく笑みを浮かべる口元だけだった。

 

 

 この未開拓領域に入る際に破壊した岩壁と同じ箇所を破壊した彼女達は無事、脱出に成功した。

 背後を見遣ると壊した岩壁の奥は水晶と岩が混ざった瓦礫に埋め尽くされている。あの大広間に生き残りがいたとしても、生存は絶望的だろう。

 

「……完全に潰れたみたいだニャ」

 

「ダンジョンである以上、またあの領域が復活するやもしれませんが……あの『精霊』が蘇ることはないでしょう。最後のあの光景を見た今、そう断言してもいいはずです」

 

 精霊が見せたあの姿は一時的に穢れを祓った彼女の抵抗。

 少なくとも再び人類の敵として『彼女』が再び蘇ることはないと、誇り高き精霊の最期を見届けた彼女達は、そう信じたかった。

 

「これで万事解決ニャ! あとは帰ってミアかーちゃんに────」

 

 世界の滅びの憂いもなく、大切な家族を取り戻し、事件が終わりに向かい安心しきった彼女達。

 その背後で誰かが倒れるような音が響き渡る。

 その音に振り向いたアーニャ達が浮かべていた笑みが凍り付く。振り向いた先には……倒れているベルの姿があった。

 

「…………え?」

 

「────ベルさん!?」

 

 時が止まったアーニャ達の間を抜け、シルが真っ先にベルに駆け寄り、抱きかかえる。

 その体を起こし、少年の名を呼ぶ彼女は自分の手に付く生温かい液体に気付き、息を呑んだ。

 手を濡らしたのはベルの体から今もなお、流れ落ちている黒ずんだ血。

 

「誰か、回復薬(ポーション)か魔法を! どっちでもいいから早くっ!」 

 

 シルの声にハッと時を取り戻した彼女達は急いでベルの治療に当たった。

 だが高等回復薬(ハイ・ポーション)、回復魔法を注ぎ込んだ治療は全く意味を為さず、その傷は一向に塞がらない。

 治療を受け付けないその傷を見て、すぐにそれが呪詛(カース)に侵された武器によるモノだと気付き、リューはギリッ、と音が鳴るほどに奥歯を噛んだ。

 

「なんで急に……さっきまで血は止まってたでしょ!?」

 

 ルノアの言う通り、先ほどまで……少なくともあの大広間から撤退するまでベルの胸にある傷から血は零れ落ちていなかった。そんな重傷ならば彼女達もすぐに気付いていた。それがこの階層にある呪武具(カースウェポン)から受けた傷ならなおさら気が付かないわけがない。

 しかし、現実は目の前に広がっている光景が全て。何故か呪詛(カース)を受けた傷が塞がっており、戦闘が終わったこのタイミングで開き、少年の終わりまでの時計を急激に進め始めた。

 

「……これは……精神枯渇(マインドゼロ)になりかかっている……?」

 

「……ノエルちゃんを受け取った時、まだ付与魔法(エンチャント)は切れてなかった。この傷はあの風の魔法が消えたから生き返ってしまった……?」

 

 胸の中に焦燥を抱えながらも努めて冷静に少年を見た第一級冒険者(二人)は一つの仮定に辿り着く。

 ただ、その仮定が正しかったとしてもこの状況を打開できるようなモノではないことに彼女達は歯噛みし、その仮定を記憶の片隅に追いやった。

 今必要なのはそれではない。17階層という場でこの呪詛(カース)を解呪する方法だ。

 

「ここから地上に怪我人を抱えて戻るってなるとどう頑張っても一日はかかる……この傷と血の量じゃ、絶対に間に合わないニャ……」

 

 地面に寝かされた少年の胸は浅く、速く上下しており、かろうじてまだ生きていることを知らせているものの、それが止まるまでもう時間がないことをその場の誰もが察していた。

 たとえ【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】がこの場に残っていたとしても、ベルの命が尽きる方が間違いなく早い。

 リュー達がどれだけ考えても少年の命を救う方法が出てくることはなかった。完全に詰みだ。

 

『奇跡』でも起きない限りは。

 

「………………………………ベル」

 

 一人の少女が、目を覚ました。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「…………ここ、どこ?」

 

 上下左右全てが真っ白な空間で少女は目覚めた。

 自分に何が起きたのか、誰と一緒にいたのか……そんなことも思い出せない少女は立ち上がる。

 そのまま特に目的もなく、何もないその空間を歩き出した。

 

「…………私って、なにしてたんだっけ……」

 

 どれだけ何もない空間を歩き続けたのか。数秒か数分か数時間か数日か数年か。

 常人ならば気が狂いそうなその空間を歩き続けた彼女はいつの間にか白い光の前に立っていた。

 

「…………?」

 

 突然目の前に現れたその光を不思議に思いながら、少女はそれに触れる。

 その光に触れた瞬間、外の世界に広がっている光景が彼女の脳に直接浮かび上がった。

 

「……おとうさん?」

 

 まず目に入ってきたのは息も絶え絶えに倒れている一人の少年の姿。

 そんな少年に声を掛け続けている薄鈍色の少女の姿。

 その二人を少女が……ノエルが忘れるわけがなかった。

 

「……おとうさん! おかあさん!」

 

 ノエルが二人に呼び掛けるが返事はない。

 どこにいるかのかもわからない場所にいるのだからその声が届くはずがない。

 

「かえらなきゃ……みんなのところに……!」

 

『────待っテ』

 

 意識を現実世界に戻そうとノエルが瞳を閉じ、外の世界を思い浮かべた。彼女の意識と現実の肉体が繋がり、外の肉体が目を開こうとしたその時、誰かの声と共に真っ白な空間の時が止まる。

 その声に気が付いたノエルが思わず目を開くと、真っ黒な靄が彼女の前に立っていた。

 

「……だれ?」

 

『あの子ノ傷を治ス方法がアるの? 貴女ノ力を使っテ治すの?』

 

 ノエルの疑問に答えず、ノイズが走る声で彼女にどうするのかと尋ねる黒い靄。

 酷く不気味なその姿と言葉だったが、不思議と嫌な気配は感じない。むしろ彼女を心配するような色がその言葉には込もっていた。

 

「……うん。わたしのちからは、すごいって言ってたから。おとうさんを、たすけなきゃ……」

 

 ノエルが身に宿す精霊の力。

 その使い方をなんとなくわかり始めている彼女は、その力を使って瀕死のベルを助けようと考えていた。その力を使った先にどんな未来が待ち受けているのかなんて知らずに。

 

『……次、ソの力を使ったラ、貴女は消えちャうノに……本当二使ウの?』

 

「……え?」

 

 黒靄のその言葉に少女の表情が凍り付く。

 治癒に振ればありとあらゆる厄疫、呪いを癒すことさえも出来る精霊の奇跡。彼女が自我が薄い上級精霊として存在しているのならば、その力を使ったとしても問題はなかったのかもしれない。

 だが今の彼女が……人になるという『奇跡』のために力と存在を激しく消耗したノエルがもう一度使用した場合、ノエルという存在は消滅してしまう。

 

『その体が消えチゃっタら、もう二度と起きレないかもシれなイ。貴女が本当二、消えチャうかもしれナいよ? 本当にそノ力を使ウの? 使わなカったラあの子は死ンじゃうケど、貴女は他の子ト一緒に生きていけるかもしれないよ?』

 

 精霊の奇跡を起こせば少年は助かる。ただし、ノエル(自分)は消える。

 使わなければ自分は存在を残せるかもしれない。ただし、少年は死ぬ。

 

『貴女はどうするの?』

 

 提示された二つの選択肢。

 自分を犠牲にして少年を救うか、少年を犠牲にして自分は生き残るのか。

 試すようにふわふわと漂う黒い靄を前にして、ノエルは迷いなくその選択を口にした。

 

「ベルを助ける」

 

 存在しない瞳を見開くかのように黒い靄が大きく揺れる。

 動揺からか存在をわずかに薄くさせた目の前の靄は呆然とノエルの前に佇んでいた。

 言葉を失う謎の存在を少女は強い意志の込められた瞳で見つめる。

 

「わたしの、ちからでベルをたすけられるなら……わたしはベルを、たすけるよ」

 

『……本気ナノ? ソの力をもう一度使っタら……貴女は消えちゃウンだヨ』

 

 ────それでも、本当に助けるの?

 

 雑音(ノイズ)が消えたそんな声がノエルの頭に直接響く。

 その問いに彼女の小さな体が震える。存在が消えるという恐怖か、もう誰にも会えなくなるという悲しみからか、はたまた別の違う何かからか。

 俯き、震える少女の姿に靄は再び言葉を紡ごうと動き……そして、怯えていてもなお強い光を宿すその瞳に言葉を失った。

 

「それでも、わたしはベルをたすける……助けたい!」

 

『……どうして?』

 

 ただノエルの目の前で漂っていた黒い靄が徐に人の輪郭を持つ。

 いつの間にか周囲の空間に色が戻り始めていた。

 

「『家族』だから……私はベルの……みんなの家族だから」

 

「……………………」

 

「わたし……みんなにたすけられてばっかり……それじゃ、『本当の家族』になれない……」

 

「本当の家族……」

 

「わたしは、ずっとみてた……どこか違う場所で、わたしじゃないみんなが、楽しそうにしてるのを……『家族』が、いっしょにぽかぽかしてるのを……」

 

「……精霊(あなた)ノエル(あなた)になる前の話のこと?」

 

 うっすらと人の姿を取り戻すその靄の問いをノエルは肯定する。

 目尻に涙を溜めて、彼女は続ける。

 

「でも、ちがった……それだけが、家族じゃないの」

 

 あの日、夕陽に照らされて父と呼んだ少年と母と呼んだ少女と話したこと。

 あの時のノエルにはわからなかった『家族』の在り方。それをこんな状況にまで追い詰められて、彼等に命懸けで救われたことで少女は理解できてしまった。

 

「みんなが、みんなを好きだから……みんなが、みんなをまもるから……だから、『家族』って、言うんだって、ようやくわかったんだ」

 

 一筋の涙を流し、少女は美しく微笑んだ。

 

「だから私はベルを助ける。『本当の家族』になるために……私を助けてくれたみんなに、ありがとうって言うために……!」

 

 小さな彼女の大きな決意は揺るがない。

 人の姿を取り戻した黒い靄……【穢れた精霊】と呼ばれた存在によく似ている彼女はその美しい相貌に笑みを浮かべていた。

 

「そっか……貴女は強いわね」

 

「そんなこと、ないよ……もう、いい?」

 

「うん。こんな話を聞いてくれてありがとう」

 

 靄が人になるにつれ、真っ白な空間に色が戻るにつれ、時間がゆっくりと動き出し始めていた。

 少年に残された時間が少ないことを理解しているノエルは世界の時間が元に戻ると同時に夢から現実へ戻ろうと意識を集中させる。

 

 現実世界に戻る……そんな時だった。

 

「いっぱい迷惑をかけてごめんね……これはせめてものお詫び」

 

 そんな声が少女の耳に届き、その背中が熱を持つ。

 それが何なのか確認する間もなく、ノエルはシル達が待つ現実へと戻っていったのだった。

 

「私は無理だったけど……貴女は大切な人と幸せに生きてね」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「ノエル!? 大丈、夫……?」

 

 目を覚ましたノエルに最初に気がついたルノアの声が尻すぼみとなる。

 立ち上がった少女の横顔はどこか超俗としており、ただの子供であるノエルの顔ではない。

 彼女は自分を心配と警戒混じりに見つめてくるルノア達を一人ずつ見つめ、静かな笑みを纏って歩き出した。

 

「ノエル……?」

 

 その気配に気がついたシルの声にも反応せず、彼女の隣に立ったノエルは瀕死のベルの体に手をかざす。その手に纏っているのは新雪のように真っ白な光。

 その白光に宿っている力が一体何なのか、それがわかってしまったシルは目を見開き、その手を掴み、それ以上の行動を阻止した。

 

「……お母さん?」

 

「ダメ……その力を使ったら、貴女は……!」

 

 ノエルが再び起こそうとした精霊の奇跡。

 それが発動してくれればベルの命は助かる。だが、その先に待つ未来に『娘』はいない。

 

「シル、何故止めるのですか!? 事情はわかりませんが、あの力ならクラネルさんを────」

 

「ダメなの! もう一度あの『奇跡(ちから)』を使えばノエルが……でも使わなかったらベルさんは……!」

 

 錯乱したような状態に陥ったシルが放った言葉に『豊穣の女主人』で共に働いている彼女達は気がついた。今の状況が彼女にとってどれほど酷な物なのかということに。

 力を使えばベルは助かる。だがノエルは消える。

 力を使わなければベルは死ぬ。だがノエルはシル達の傍に残る。

 

 彼女は選ばなければいけないのだ。想い人(ベル)と『(ノエル)』のどちらかを。

 

「私は、ベルさんに死んでほしくない……でも、ノエルにもいなくなってほしくない…………こんなの選べるわけないよ……!」

 

 その言葉を最後に場に静寂が走る。

 聞こえてくるのは少しずつ弱くなるベルの荒い息遣いのみ。

 誰も言葉を発する者はいなかった。迂闊なことを話すことなんて出来なかった。

 誰かの一言、行動で全てが決まってしまいそうな緊張感の中、口を開いたのはノエルだった。

 

「シル……私のお母さんになってくれて、ありがとう」

 

「……え?」

 

「アーニャ……クロエ……ルノア……リュー……私の家族になってくれて、ありがとう」

 

「ノエル、何言って────」

 

 まるで別れを告げるような言葉に、今まであったたどたどしさが消えたその声に、優しく細められたその瞳に、再び白光が生まれたその小さな手に、『家族』達は言葉を失った。

 

「ベルには聞こえてないかもしれないけど……それでも言うね。私のせいでこんな目に遭わせちゃってごめんね。私のためにあんなに怒ってくれてありがとう……私の、お父さんになってくれてありがとう……!」

 

 涙混じりの笑みを彼女が浮かべた瞬間、止める間もなく両手に宿っていた光が広がった。

 ベルとノエルを中心に頭上に広がったその光は、まるで雪のようにシル達の体に舞い降り、『穢れた精霊』達との戦いで負った傷を癒していく。

 その光景は時が止まったのではないかと錯覚するほどに静かで、幻想的で、美しかった。

 

「傷が……」

 

 呪いに侵された少年の体から傷が完全に消える。それから少しして、光の雪は静かにやんだ。

 安定した呼吸をし始めたベルを見て、安堵の笑みを浮かべたノエル。その体は最後の役目を終えたと言わんばかりに薄れ始めていた。

 

「ああ、だめ……ダメ!」

 

「……おかあさん」

 

 そんなノエルを思わず抱きしめたシルはうわごとの様にダメ、ダメ……と言い続けた。

 抱きしめられながらそんな彼女の声を聞いたノエルは子供のような声で母を呼び、強く抱きしめ返した。

 

「ごめんね……さきにきえちゃうなんて、おかあさんのこども、しっかくだね……」

 

「そんなことない! 貴女は私の自慢の娘だよ! 私達の大切な家族だよ! だから……お願いだから消えないで……!」

 

 意味のないことだとわかっていても叫ばずにはいられなかった。

 せめて消えゆく娘に何かを残してあげようと瞳を震わせながら言葉を探すが、それ以上の言葉が出ないことに涙が零れ落ちる。

 いつの間にか自分達を囲むように立っていたリュー達の顔を見て、ベルの顔を見て、最後にもう一度強くシルを抱きしめ返したノエルはとびっきりの笑顔を浮かべた。

 

「わたし……みんなの家族になれて……おかあさんたちの娘になれて……幸せだったよ……」

 

「ノエル……っ」

 

「みんな……ありがとう」

 

 腕の中の少女の存在が薄くなる。

 今、この瞬間、消えてもおかしくないほどに。

 それを逃さないとでも言うようにシルは少女の体を抱きしめ続けた。

 腕の中からノエルという少女が消えないように、強く抱きしめ続けた。

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