二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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オリオンとアルテミス

「遅かったですね、ヘルメス様」

 

「遅れて悪いな、セイン。 ……それで、状況は?」

 

 辿り着いた野営地。

 ヘルメスを迎えたのは24階層でベルと共に戦った面々。

 その先頭に立ったセインは主神の問いに首を横に振った。

 

「悪化する一方です。森への侵食は広がり続け、止めることも当然できず、あのモンスター達は今も増殖中。近隣の村は、既に壊滅しています」

 

「……遺跡への侵攻(アタック)は?」

 

「【紅の正花(スカーレット・ハーネル)】の協力の下、何度か試みましたが、門に阻まれ、すべて失敗に終わっています」

 

 初めは軽い雰囲気を醸し出し、場を和ませていたセインもヘルメスの問いに帽子の下の表情を改め、瞳に真剣な光を宿す。

 自身の眷属の言葉に顎に手を当て、考え込むように黙るヘルメス。張り詰め、誰も口を開くことができない雰囲気になる中、ベルの側に誰かが近付く。

 

「よっ! 元気だったか、ベル!」

 

 矢を放つ寸前の弓の弦のように引き絞られた空気。それをベルと肩を組んだキークスの明るい声が引き裂いた。

 隣で目を丸くするベルにウィンクを一つ、ヘルメスとアルテミス以外の者の視線を集めた彼は空気を読まない笑みを少年に向ける。

 

「ここにいるってことは『槍』を抜いたのはお前かお前の仲間だろ? 見知ったお前が来てくれるのは心強い。よろしくな!」

 

「は、はい」

 

 あえて今の空気を読まずに神々までとはいかずとも冒険者の空気を切り替えた彼に続き、他の【ヘルメス・ファミリア】の面々も口を開き始める。

 ヴェルフとリリが彼等と話をし始める姿を見たベルは少し離れた位置に立っているアリーゼに視線を向けた。

 

「どうかしたのかしら?」

 

「門って、なんですか?」

 

 空気を変えてくれたキークスには少し申し訳なかったが、ヘルメスとセインの話にあった『門』というものについて聞いておかなければいけない。

 自分が持つ『槍』が重要になってくるのなら、少しでも多く情報を持っておきたかった。

 

「門は門よ。遺跡の出入り口にある門。どんな手を使っても私達じゃ、開けられなかったのよね」

 

「アリーゼさんでも、ですか?」

 

「ええ。おかげで遺跡内部の調査も出来ない、内部に入れなければアンタレスについての調査も進められない。ここにみんなと一緒に来たのはいいけど、結構手詰まりだったのよ」

 

 第一級冒険者でも開けることが出来なかった門の存在にベルは困惑、驚愕するとともに『槍』とそれに選ばれた者はその門を開けるためにも必要なものだったのではないかと考える。

 

「アルテミス……少しいいかい?」

 

 ベルが一人、考えを深くしていこうとしているとヘスティアがアルテミスを連れて、野営地の外へと向かい始める。

 神だけで行くのは危険だと、慌ててベルが声を掛けようとするが、それを遮るかのようにヘルメスがベルの前に立ち塞がった。

 

「ベル君、女神同士、積もる話もあるさ。そんなに遠くには行かないだろうし二人っきりにさせてあげよう。それから……君の考えを聞いておきたい。少しオレに付き合ってくれ」

 

「……はい」

 

 一瞬、ヘルメスの制止を無視し、ヘスティア達の元へ行くことも考えたベルだったが、飄々とする中に見えたここは通さないというような鋭い視線に思いとどまる。

 頭の中に先ほど見たヘスティアの顔……酷く真剣で、何かを信じたくないとでも言うように辛そうに歪んだ顔が脳裏に焼き付いたまま、ベルはヘルメスに連れられて一つの天幕へ入っていった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「長旅で疲れていませんか? この先に水浴びができる泉がありますよ」

 

「本当ですか!? ベル様、行ってきますね!」

 

「あ、うん」

 

 ヘルメスと話をしてから暫く、他の女性陣と共に天幕から出ていくリリを見送ったベルは外に出てヘスティア達を待つ。

 二人が悲鳴を上げればいつでも飛び出せるように耳を澄ませながら待っていると、森の奥からアルテミスが、それに少し遅れてヘスティアが姿を見せる。

 何事もなくて良かったと思うと同時に、顔を上げない主神の姿にベルは首を傾げた。

 

「べ~ル君」

 

 無言で複数ある女性陣の天幕の内の一つに入っていったヘスティアを追おうとしたベルは誰かの声に呼び止められ、足を止める。

 辺りを見渡すが誰もいない……いや、草むらからヘルメスが顔を出していた。

 

「……?」

 

「聖戦の始まりだよ~」

 

 その言葉と表情に無視をしておけばよかった、とベルは心底後悔した。

 もしかしたら何か大事な話が……先刻と同様に何か大事な話があるということをその表情に隠しているんじゃないかと淡い期待を抱いて、ベルは手招きするヘルメスに歩み寄り、その背に続く。

 しばらく歩いて聞こえてくるのは水が流れ落ちる音とそれに混ざる女性の声。

 

「今日、君達は伝説になる!」

 

 そこに辿り着いたヘルメスは切り株の上に立ち、芝居がかった動きを見せる。

 それをこれ以上ないほど真剣な眼差しで見つめるのは、野営地にいた全ての男達。

 

「いいか、よく聞け! この奥に広がるのは乙女の楽園! リリちゃんやアスフィ達が産まれたままの姿で身を清めている!」

 

 どこからか生唾を飲むような音がベルの耳に届く。

 

「そして、アルテミス! 三大処女神に数えられる彼女の一糸まとわぬ姿を見た者はいない! そう、神々でさえも!」

 

 周りの男達が熱くなるのに対して、ベルはどんどん冷めていく。

 

「オレの夢は一度破れた! だけどオレの心が言ってるんだ……諦めたくないって! そして、今、そんなオレには君達が……志を同じくする仲間がいる!」

 

 誰かが涙を拭うかのように目を擦る。

 ヘルメスの言葉に嗚咽を堪えるかのようなくぐもった声が響く。

 

「我々の眼前に立ち塞がるのは困難の頂だ! だが、これを乗り越えた時、君達は後世に名を残すだろう!」

 

「おお…………!」

 

「立ち上がれ、男達よ! 真の英雄となるために!」

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

(そんな英雄は嫌だなぁ……)

 

 盛り上がる他の男達の邪魔をしないように声には出さないものの、ベルは若干遠い目をした。

 こんな近くでこんなに盛り上がればもうとっくにバレているだろうとも思ったが、神とはいえ18階層の覗きから全く懲りていないヘルメスは痛い目を見た方が良いのではないかという思いが芽生えていたため、ベルはやはり何も言わなかった。

 

「ウォーーーー!! ウォーーーーーー!!」

 

「ヴェルフ…………はぁ、帰りたい……」

 

 隣で他の男達に負けず劣らず盛り上がる相棒の姿に溜息を一つ。

 思わず漏れた本音だったが、その言葉は熱く盛り上がってしまった男達に届くことはなかった。

 

「天よ、ご照覧あれ! 誇り高き勇者達に、必勝の加護を!」

 

 ヘルメスに続き、男達は進軍を始めた。

 後ろを振り返ることもなく、駆けていく彼等を座ったまま見送ったベルは静かに立ち上がり、野営地へと戻る。

 男達が向かった方角から野太い声……もとい悲鳴が上がったのが聞こえたような気がしたが、ベルは聞かなかったことにした。

 

「懲りないなぁ……ヘルメス様も」

 

 18階層で痛い目を見て、それよりも前に天界で覗きをして何か一悶着があったと話していたのに懲りる気配がない男神に溜息すら出ないベルは男性用の天幕に入ろうとする。

 

「……オリオン」

 

「……?」

 

 入ろうとしたところでベルをオリオンと呼ぶ者……アルテミスが彼を呼び止めた。

 振り返ったベルは頭上の木々の隙間から覗く月明かりに照らされる彼女の笑顔を見つける。

 

「少し、いいか?」

 

「えっ……は、はい」

 

 微笑みを湛える彼女はベルから了承を得ると森の奥に足を進めようとする。

 困惑していると振り返ったアルテミスがついてこないのか、と言うように首を傾げていた。

 とりあえずベルがついていくと彼女は再び森の奥へと進む。月の明かりとアルテミスの背中を頼りに道なき道を進むと見えてきたのは…………

 

「……ここにも、泉?」

 

「私と、私の眷属以外は知らない秘密の泉だ。いい場所だろう?」

 

 月明かりを反射し、美しく輝く泉だった。

 木々に囲まれた泉は月の光も相まって、非常に幻想的で美しい風景を生み出していた。

 

「綺麗、ですね……」

 

「そうだろう? 私の……私達のお気に入りの場所だったんだ」

 

 思わず少年が惚けてしまうほどに美しい風景だった。

 ベルの反応にアルテミスは嬉しそうに笑うと、靴を脱ぎ、泉の方へと歩む。

 

「アルテミス様……?」

 

「オリオン、一つお願いがあるのだけど、聞いてくれるだろうか」

 

「お願い……って、何をッ!?」

 

 泉の水を遊ぶように蹴ったアルテミスは返答を待たず、服を脱ぎ始める。

 神速を以て、彼女から視線を外したベル。だが、鍛えられた聴覚を持つ耳に届く服を脱ぐ音に顔を赤くさせ、慌てて耳を塞ごうとしたが、服を脱ぐ音が聞こえなくなる。

 

「な、何をやっているんですかッ、アルテミス様!?」

 

「突然すまない、私も水浴びをしたくてな。見張りをしてくれないか?」

 

 何故僕が!?、と勢いよく振り返りそうになった首を無理矢理引き戻す。

 ゴキッ、という嫌な音が首から聞こえ、ベルはしばらく悶絶することになったが、視界にアルテミスの姿を入れないことを徹底させたまま、彼女の真意を問おうとする。

 

「子供達だけならば()を覗きなどはしないと思うが、ここにはヘルメスがいる。あの神が子供達を連れて覗きなどをしてきても、落ち着いて水浴びが出来るように見張っていて欲しかったんだ」

 

 その問いがくることを読んでいたかのような言葉にベルは押し黙る。

 クスリ、とアルテミスが笑ったような気がした。

 

「……見張りなら、女の人の方が良かったんじゃないですか? アリーゼさんとか、アスフィさんとか、他にも色々な人はいましたし……それに、男の僕が見張りをしても落ち着けないんじゃないですか?」

 

「何故だ?」

 

「何故って……僕が見張りをしながら貴女を覗くとか考えなかったんですか?」

 

「……? 何故そんなことを考える必要がある。貴方がそんなことをするわけがないだろう」

 

 思わずベルは目を見開いた。

 背中に届く無償の信頼。そこには一片の曇りもない。

 アルテミスとベルが出会ってまだ数日。何故自分をそんなに信頼してくれるのかと、ベルは疑問に思いながらも、それを言葉にすることは出来なかった。

 

「では、しばしの間、頼むぞ」

 

 ベルが言葉を返す前に水浴びを本格的に始めたアルテミスは辺りを一切警戒することなく、その身を惜しげもなく晒す。

 困惑の渦に巻き込まれている少年は穏やかに過ごし始めた彼女に何も言えず、かといって振り向くわけにも行かず、そして彼女から向けられる信頼も裏切れず、とにかく色々な感情がぐるぐると回る頭で見張りを遂行した。

 振り返ることが出来ないので奇妙な動きで周囲の警戒を始めたベルの後ろ姿にアルテミスは薄く笑みを落としていた。

 

「……オリオン、もういいぞ」

 

 アルテミスが水浴びを始めてから十数分。

 身を清め終えた彼女は旅装とは別に用意していた白い服を纏い、ベルに声を掛ける。

 彼女の声に警戒を緩めつつ、念のため恐る恐る振り返った少年は小さく首を傾げるアルテミスの姿にほっと一息ついた。

 

「もういいんですか? もう少しゆっくりしていても……」

 

「いきなり呼び寄せて見張りをさせた貴方をこれ以上待たせるわけには行かないだろう? 十分休ませてもらったよ」

 

 微笑んだアルテミスはそっと泉のほとりに腰を下ろし、自分の隣を軽く手で叩く。

 このまま少し話をしないか、と聞いてくる彼女の瞳にベルはチラッと野営地の方角を見て耳を澄まし、ややあって彼女の隣に同じように腰を下ろした。

 

「ありがとう、オリオン」

 

「いえ……まだみんなは戻ってきていないですから」

 

 覗きに向かった男性陣がまだ戻ってきていない──折檻を受けているのかもしれない──を確認したベルは微妙な表情を浮かべる。

 そんなアルテミスが見たことがない彼の表情に少し不思議そうな顔をして、何か気付いたのかハッと顔を上げた。

 

「……オリオン、その戻ってきていないみんなは、もしや覗きに向かったのではないだろうな」

 

「えっ、なんでわかって……あっ」

 

 慌てて口を閉じたが、もう遅い。

 自分以外の彼等の愚かな行いに貞淑を司るアルテミスがどのような反応をするのか、若干顔を青くしながら待ったベルは真剣な表情をしていたかと思うと、突然笑い出した彼女に面を食らわされた。

 

「あはははははははっ、そうか、私の思った通りだったか」

 

「お、怒ってないんですか?」

 

「うーん、他の子が気付かずに被害を受けたというのであれば罰しようと思うが、恐らく大丈夫だ。皆が水浴びに向かうと聞いた時に一応警戒するように伝えておいたからな」

 

 予想とは違うアルテミスの反応に彼等の自業自得とはいえ、ベルは一応胸を撫で下ろす。

 

「だがヘルメスはダメだ。帰り次第、向こうにあった滝から突き落とす」

 

 そしてすぐに絶対零度の光を宿したアルテミスに体を震わせた。

 

「しかし、彼等は運がいいな。もし私を覗こうとしたのであれば矢で射抜いていたかもしれない……いや、昔の私なら射抜いていた、か」

 

「あはは……神様の話って本当の事だったんですね」

 

「ん? ふふ……さぁ、どうだろうな?」

 

 悪戯をした子供のような笑みを浮かべたアルテミスにベルも微笑む。

 月明かりに照らされる穏やかな森の中で、二人は静かに月を見上げた。

 

「アルテミス様、せっかくですから、色んな話を聞いてもいいですか?」

 

「ああ、勿論いいぞ。何が聞きたい?」

 

「そうですね……じゃあ、昔の神様……天界にいた頃のヘスティア様の事を教えてもらってもいいですか? 神様は昔から結構しっかりしていたお方だったんですか?」

 

 しっかりしている。

 ベルのその言葉にアルテミスは目を満月のように丸くし、また笑い出した。

 今度はベルが目を白黒とさせ、再び笑い出した彼女を見つめる。

 

「え、えっと……?」

 

「ははっ、ふふふっ、いや、すまない。貴方を馬鹿にしたわけじゃないんだ。そうか……あの子は君達の前ではしっかりした女神になれているのか」

 

「その……少し抜けているところはありますけど、しっかりしていると思います」

 

 困惑するベルに笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭い、アルテミスは一度大きく息を吐く。

 落ち着きを取り戻した彼女は話してくれるのを待つベルを優しい瞳で見つめ、昔を思い出すように天を見上げた。

 

「そうか、そうなんだな…………私の知っているヘスティアは、結構ぐーたらで、面倒くさがり……それから、よく神殿に引きこもっていたな」

 

「ぐ、ぐーたら? 面倒くさがり? 引きこもり?」

 

 信じられないというような目をしていたベルはあっ、と少し思い当たる節があったのか合点が言ったかのように固まり、苦笑を浮かべた。

 そんな少年の姿から、そしてここまでの旅路で見てきた(ベル)彼女(リリ)から親愛と信頼を向けられていた神友の姿にヘスティアも眷属(かぞく)を持ち、変わったのだと慈愛の込められた瞳を閉じ、彼女の笑顔を思い浮かべた。

 

「ああ、何もしたくなーい、ってどんな時も神殿に引きこもっていたんだ。想像できないか?」

 

「うーん……ちょっと難しいかもしれません」

 

「そうか、それはそれでいい。引きこもっていたヘスティアだったが、私が行くとそれは嬉しそうな笑顔を浮かべて、遊んでほしい子犬のようにはしゃいでくれたんだ。どうやら私以外に見た神は少ないらしく、天界にいた頃の私のちょっとした自慢だったんだ」

 

「それは……あはは、なんだか想像出来ちゃいます」

 

 その姿を想像できるという事はそれに近い姿をベルに見せているという事。

 昔の面影を残しながらも、変わらない部分は変わらない神友にアルテミスは微笑んだ。

 

「あの子は、優しいだろう?」

 

「……はい」

 

「いつも一緒に泣いて、一緒に喜んでくれて、笑顔を分けてくれるヘスティアに……どんな相手にも慈愛を恵む彼女に、私は憧れていた……貴方はどうだ? ヘスティアの事をどう思っている?」

 

 月を見たまま、そう問いてくるアルテミスにベルは迷うことなく、即答した。

 

「僕は、神様が大好きです」

 

「…………」

 

「誰の目にも止まらなかった僕の事を見つけてくれて、僕達の為に怒ってくれて、僕達に無償の愛を向けてくれて……こう言うとちょっと不敬かもしれませんけど、神様は僕の宝物なんです。僕の神様は、ヘスティア様だけです」

 

 照れることなく、誇らしげな笑みを浮かべながら、ベルはヘスティアへの想いを吐露する。

 少年のその笑みを見たアルテミスは大きく目を見開き、どこか悲し気に顔を俯かせた。

 

「すまない、巻き込んでしまって……私が来なければ、貴方達は平穏に暮らしていたというのに」

 

「えっ?」

 

「……貴方には、過酷を押しつけることになる」

 

 互いに互いを想っている二人に、アルテミスは申し訳なさそうに膝を抱え、泉を見る。

 何かを悔いているかのような、けれどもう後戻りさせることはできないと告げてくる彼女の表情にベルはアルテミスの前で膝をつき、その手をとった。

 

「大丈夫です。どんなモンスターが現れても、必ず倒してみせます。必ず、貴方を守ります!」

 

 誓いを立てる騎士のように片膝を立て、女神の瞳をまっすぐ見つめ、ベルは約束をする。

 女神はその宝石のような深紅(ルベライト)の瞳に目を細め、微笑んだ。

 

「まるで英雄のようだな……」

 

「……そう見えたのなら嬉しいです。僕は、英雄に憧れてますから」

 

 不思議な光が舞い始めた泉に映る月を見て、ベルは空を見上げた。

 それに釣られてアルテミスも空を見上げ、共に月を見る。

 

「どんな怪物もやっつけて、どんな困難も乗り越えて、たくさんの人達を笑顔にして、涙を流す大切な人を守って、悲劇のヒロインなんてどこにもいない……みんなを救うそんな英雄に」

 

 アルテミスはその姿を見て、目の前の少年が抱いているものが当の昔に『願望』なんてものじゃなくなっていることに気付いた。

 

 彼が背負うは『英雄運命』。

 

 自ら背負ったその『運命』は、大切な者を守るために彼自身が誓いを立て、選び取ったもの。

 本来であれば、そのような道を選んだ少年を女神らしく祝福したかった。

 だが、今の自分にはそんなことはできない。

 

 そんなことをする、資格がない。

 

「……ヘスティアが、どうして貴方と一緒にいると楽しそうなのか……君の話になると笑顔になるのか、わかった気がする」

 

 揺れそうな瞳を堪え、アルテミスは神友の笑顔を思い浮かべる。

 きっとあの子は、この子の旅路を一番近くで見守ってあげたいんだ。過酷な道を進む彼を支え、彼の成長を隣で見て、いずれ辿り着く彼の夢の果てを見届けてあげたいんだ。

 少年の隣に並び立つ彼女の姿を思い浮かべると、微笑ましく思う……それと同時に少しだけ妬けてしまう。この感情が胸に芽生えた別の感情のせいなのか、アルテミスはわからない。

 しかし、彼女は鼓動を昂らせるその感情に突き動かされるまま、ベルに手を差し伸べていた。

 

「私と、踊ってくれないか?」

 

「えっ?」

 

「私は貞潔の神。男女の恋愛など許さず、関わる事さえ忌み嫌っていた。だがある時、子供達に言われてしまったんだ。恋は素晴らしい、と……」

 

 女神ではなくただの少女のように美しく微笑むアルテミス。

 ベルは差し伸べられた手と彼女の笑みを交互に見遣り、やがておずおずとその手をとった。

 

「私の胸に芽生えた感情を確かめてみたい……貴方と踊ればあの子達の言葉を……この感情がより一層わかるかもしれない」

 

 柔らかな月の光に照らされる泉のほとりで、様々な色で舞う雪のような光に囲まれながら、二人は静かに踊った。

 音楽はない。聞こえる音といえば木々のざわめきとステップを踏む二人の足音。

 不格好だがなんとかついていくベルと美しく舞うアルテミスは噛み合ってはいなかったが、二人の顔には穏やかな笑みが浮かび、心からこの場を楽しんでいるということだけは疑う余地がない。

 

「知っているか? 下界に降りた神々は一万年分の恋を楽しむそうだ」

 

「一万年分の恋?」

 

「ああ……天界にいた時にヘスティアではないある神友が教えてくれたよ。生まれ変わる貴方達、子供達との悠久の恋…………オリオン、貴方と出会えてよかった……」

 

 二人だけの舞踏会を終え、アルテミスは胸に芽生えた感情のまま、そう呟いた。

 たとえ目の前の相手が、別の誰かを想っていても……その想いがたとえ生まれ変わっても変わらないのだとしても、貴方に出会えてよかったと、心の底から思った。

 今にも消えそうな彼女の笑みに、ベルは握っていた手に少しだけ力を込める。

 アルテミスはそんな笑みを浮かべながら、想い人の手を握り返した。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「何をやっているんだい、ヘスティア。こんなところで」

 

「!」

 

 ベルとアルテミスが秘密の泉で二人きりの時間を楽しんでいた時のほぼ同時刻。

 体や服に縛られた跡と濡れた跡を残しているヘルメスが滝の前で佇むヘスティアを呼び止める。

 

「……ただの散歩さ。少し眠れなくてね」

 

「へぇ……使えもしない『槍』を持ってかい?」

 

 細められた橙黄色の瞳にヘスティアはバツが悪そうに目を逸らし、『槍』を背に隠す。

 交わらない二人の瞳。ややあって、緊張からか固まっていたヘスティアの体から力が抜け、ゆっくりと何も言い返すことが出来ずにヘルメスの元へ歩み寄ってきた。

 

「ベル君を捜さなくていいのか? アルテミスがベル君を捜してたってことは、今頃二人っきりかもしれないぜ?」

 

「よく言うよ。ずっとそう仕向けていたのは君のくせに……別にいいよ。あの子達がどう過ごそうが、ボクには関係ない」

 

 わざとらしく聞いてくるヘルメスを一蹴。

 俯いたまま、胸に抱える『槍』に視線を落とす。

 

「二人の心が通じ合うほど、『槍』の力は強まる……」

 

「っ…………本当に、本当にこの『槍』じゃなきゃダメなのか」

 

 自身を照らす月の光に瞳を閉じ、ヘルメスが静かに呟いた言葉にヘスティアが絞り出したような声を漏らす。

 

「ダメだ」

 

 手に持つ『槍』を壊れんばかりに握り締め、自分の声に振り返ることもせず、現実を突き付けてくるヘルメスに彼女は心から叫ぶように訴えた。

 

「もっと他に方法があるだろう! ボク達が……下界にいる神々が力を合わせればいい! そうすればきっと……」

 

「ヘスティアッ!」

 

 涙に濡れるヘスティアの声にヘルメスは柄にもなく、声を荒げた。

 肩を跳ねさせ、静かに涙を流したまま黙り込んだ女神に男神はもう一度現実を……自分だって決して受け入れたくない現実を突きつける。

 

「……ないんだ……時間も……方法も…………もう、何もかも手遅れなんだ……」

 

「…………だって……今のアルテミスは……昔と違って……違うけど……すごく…………これじゃあ、アルテミスが……可哀想だ……!」

 

「……だから『槍』を沈めようとしたのかい?」

 

 耐えられずその場に崩れ落ちてしまったヘスティアは何も語らなかったが、それが答えだった。

 膝をつき、彼女に目線を合わせたヘルメスは慰めのような言葉を探したが、頭に浮かんだ気の利いた言葉のどれでもなく、たった一言、彼女に呟いた。

 

「……優しいな、ヘスティアは」

 

 可能性が皆無だったとしても最後まで可能性を探そうとするヘスティアをヘルメスは眩しいモノを見るように見つめ、その涙を隠すように自らの帽子を被せる。

 

 ただの少女のように笑う女神に絆されている自分がいたと自覚していたとしても、どこか迷う気持ちがあったとしても、ヘルメスの答えは決して変わらない。

 この状況において、下界を救うためにしか彼は動くことができない。

 その先にどれほど残酷な現実が待ち構えていたとしても、下界を救うために調停の神(ヘルメス)が感情のままに動くことは決して許されないのだ。




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