二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

83 / 115
月女神の願い

「うわぁああああああああああああああッ!!」

 

 単眼でこちらを見据えるアンタレスに向かってベルは駆けた。

 背中に女神の悲痛な叫びが届いたが、気付いていない振りをして駆ける。

 

 アンタレスの攻撃の射程圏内に入ると、ベル目掛けてその巨鋏が振り上げられた。

 鋭く、しかし回避できるギリギリの速度で叩きつけられるそれに対してベルは飛び上がり回避、そのまま地面に突き刺さった鋏を駆け上がり、その巨体に肉薄する。

 紋様の如き禍々しい紅い(ライン)が走る巨体を駆け上がったベルは無防備な胴体目掛けて渾身の一撃を叩き込んだ。

 

「なっ……っ!?」

 

 だが、その一撃は硬質な音と共に弾き飛ばされる。

 手から全身に広がっていく痺れと傷一つない甲殻に信じられないと目を見開いたベルは真横から迫ったアンタレスの鋏を間一髪のところで回避した。

 ぐらりと傾く体と宙に舞う千切れた白髪を見ながら、ベルが思い出すのはほんの数日前に戦った黒く染まったゴライアスの姿。

 硬さだけで言えば、今まで自分が戦った敵の中でもっとも硬かった巨人の黒皮。それに覆われる巨人の肉体にすら、自分の剣は通った。

 そんな自分の剣が目の前の敵には全く通らない。かすり傷どころか何かが当たったような跡もないその甲殻にベルは戦慄を禁じ得なかった。

 

(あのゴライアスより、ずっと硬い……!?)

 

 ギリッ、と音が鳴る程に奥歯を噛み締め、巨体の上で体勢を立て直す。

 その間に追撃を仕掛けようと思えば仕掛けられたはずなのにアンタレスは何もしてこない。

 何か企んでいるのか、と単眼を見据えたベルはギチギチと奇妙な音を鳴らしながら、自分のことをただただじっと見つめているアンタレスの単眼に気付く。

 

 そして、その単眼から感じ取れる愉悦と嘲笑に目を見開いた。

 

「どいつも、こいつも…………舐めやがって……!」

 

 あの時と同じ、あの漆黒の巨人と同じく、自分で遊ぼうとしている漆黒の蠍の姿に怒りが溢れ、思わずといったように口調が荒れる。

 その精神状態に引っ張られるように少年が纏う風と雷が荒れ始める。身を護る風と雷はいつしか敵を滅ぼす暴風、轟雷に変わり果てていた。

 

(こんな奴に……アルテミス様は……!)

 

 何もしてこないならむしろ好都合だと、雷となったベルは一息にアンタレスの胸部に辿り着く。

 そして、雷鳴を轟かせ、『女神アルテミス』を仕舞い込んでいる胸部の甲殻を斬り裂いた。

 

「……っ」

 

 だが、やはり弾かれてしまう。

 甲高い音と共に体が浮かされ、足場がない宙を舞う。

 追撃は、やはりない。たった一撃を今の無防備な体に叩き込めばこの戦いは終わるというのに。

 

「精々、舐め腐ってろ……! この戦いは、僕が勝つ……!」

 

 巨体から振り落とされ、地面を跳ねたベルは怒りでわずかに赤く染まる視界の先でそれを見た。

 巨体の中央、アルテミスが囚われている胸部甲殻に傷が生じているところを。

 ほんのかすり傷。だがそのかすり傷があるというだけで攻撃が通っているという証明になる。

 

「アルテミス様を、犠牲になんてさせない……!」

 

 足に力を込め、再び肉薄。

 凶悪な鋏が頭上を走るが、超低空を駆けたベルの体には掠りもしない。

 伸びきった巨腕を駆け上がろうとしたベルは甲殻と甲殻の間から毒々しい紫肉が覗いていることに気付く。

 それに気付くと同時に怒りで狭まっていた視野が広がり始め、ようやくアルテミスが囚われている胸部甲殻だけでなく、アンタレスの全身に目がいった。

 

「あそこを狙えば……」

 

 冷静になってよく見ると甲殻に覆われていない部位が数多くある。

 動きを止めず、巨体の上を走りながらベルは息を整え、狙いを定めた。

 やがて、攻撃を加えもせずに自分の上を走り続ける少年に気味の悪さを覚えたかのようにアンタレスがその巨体を震わせ、少年を振り落とそうとする。

 その瞬間、アンタレスの動きを利用し、ベルは空高く舞い、アンタレスの視界から逃れた。

 

 宙で反転したベルはある一点目掛けて落下。

 ある一点……巨体と巨腕を繋ぐ関節に位置する紫肉。

 そこに嵐を纏った黒剣を振り下ろした。

 

「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 振り下ろされた黒剣を受けた紫肉は何の抵抗もなく、両断。

 斬撃と共に放たれた風と雷に露出した内部を斬り裂かれ、焼かれたアンタレスが明らかな悲鳴を上げると同時に特に巨大だった右の腕が地面に落ち、灰に変わる。

 

「まだだ!」

 

 片腕を奪われ、大きな隙を晒すアンタレスにベルは追撃の炎雷を撃ち続けた。

 舐められることに怒りや苛立ちを覚えながらも、ベルは普通に戦えば目の前の怪物に勝てないことなどわかっていた。

 だからこそアンタレスがわざわざ晒してくれた大きな隙にありったけの力を注ぎ込み、決着とまで行かずとも勝利を引き寄せることが出来る決定打を撃ち込もうとしていた。

 

「これで……どうだっ!」

 

 無差別に撃ち続けた炎雷を止め、右手に溜めていた白い光を黒剣に移す。

 (チャイム)の音が鳴り響く中、ベルは腰に溜めた黒剣をアンタレス目掛けて振り抜いた。

 白き光と共に放たれる伸長した斬撃がアンタレスの腰部に炸裂。それを受け止めた腰部の強靭な甲殻ごと、その巨体を斬り裂いた。

 

「しっ……」

 

「…………」

 

 明らかな決定打を放てたことに思わず喜びの声がベルの口から漏れる。

 上半身と下半身に分かたれたアンタレスは苦悶の声を上げ、単眼をギョロギョロと動かしながら蠢く。そのすぐそばで先ほど落とした腕と同様に下半身が灰に変わっていく。

 アルテミスはその現状に思わず目を見開き、だが、すぐにその瞳に焦燥を宿した。

 

(まだだ……まだ倒し切れてない! もう一度……)

 

 上半身のみになったアンタレスの状態に満足せず、ベルは再度攻撃を試みる。

 当然それを黙って見ているアンタレスではない。

 真正面から走るベルにアンタレスは背から伸びる六つの内、四つの鋏で体を持ち上げ、残った二本のみでその道を阻む。

 

「この程度、なんてことない!」

 

 だがその程度では今のベルの侵攻は止まらない。

 下半身を失ったことで巨鋏と尻尾による攻撃はできず、背から生える他の鋏は移動に使用しているため攻撃ができない。

 いくら神を喰らった怪物と言えど、たった二本でベルの事を捉えることなどできはしない。

 

「これで────」

 

 雷となって駆けたベルはアンタレスの真横、攻撃の手段がないアンタレスの右腕側で宙を舞う。

 その一撃を以てこの戦いに決着をつける────

 

「────────」

 

 ────筈だった。

 

 宙を舞ったベルは見た。

 忙しなく動いていた単眼が自分を見てピタリと止まり、嗤ったその瞬間を。

 

 その単眼自体に何かが起きたというわけではない。

 ただベルが、直感的に、自分を見て、嗤ったと、そう感じただけだ。

 

 緩慢に過ぎていく時間の中でベルは自らの視界に()()を捉える。捉えてしまった。

 背筋が凍り付くとともに視界の端で何かが造り上げられる。鈍い光を放ちながら産まれた()()は時が止まったかのように動かないベルの体に、ゆっくりと吸い込まれていった。

 

「────オリオンッ!!」

 

「ごぼっ……!」

 

 漆黒のゴライアスの一撃に匹敵する衝撃をその身に受け、ベルの体が吹き飛ぶ。

 血反吐を撒き散らしながら地面を削り、岩を抉り飛ばし、岩壁という行き止まりがなければどこまでも飛んでいくのではないかと思ってしまうほどの勢いで吹き飛んでいった彼の姿にアルテミスは言葉を失った。

 

「オリオン…………オリオンッ!」

 

 最悪の想像が過る頭を振り、必死の形相でアルテミスは吹き飛ばされたベルに駆け寄る。

 岩に埋まるその体を抱き上げようとするが、それよりも早く少年は緩慢な動きながらも自ら起き上がった。

 

「ごほっ……っ、なん、で……」

 

 なんとか立ち上がったベルは焦点が合っていない目でアンタレスのとある部分を睨み付ける。

 ゆらゆらと揺れているのは、下半身と共に奪ったはずの右の巨鋏。

 目を見開くベルの視界の先でギチギチと奇妙な音を鳴らしながら、アンタレスの傷口から伸びる紫肉が不完全な右鋏を飲み込む。その数秒後、溶け落ちていく紫肉の中から姿を見せたのは先ほどよりも強靭に再生されたアンタレスの右腕だった。

 

「自己再生……!?」

 

 目の前の怪物のその姿に再び脳裏に蘇る漆黒の巨人の姿。

 そして、紅き光の悪夢に襲われるベルに追い打ちをかけるように再びあの音が響く。

 ギチギチと、ギチギチと、腐った肉同士が擦り合わされるようなその音の発生源は……傷口が広がるアンタレスの腰部。

 呆然と目を見開くベルの視界の先で先ほどとは比にならない量の紫肉が産み出される。

 アンタレスが六本の腕で地面に墜ちた自身の体を持ち上げると、産まれた紫肉がアンタレスの後方へ伸び、さらにそこから左右へ大きく広がり始める。

 

「……そんな」

 

 広がった紫肉はやがて蛹のような形となり、固まる。

 数瞬、静寂に包まれる大空洞。それを引き裂く何かが罅割れる音。

 紫肉の塊に罅は走り続け、罅が全体に走ったその時、紫肉は割れずに溶け落ちていった。

 

「本当に……理不尽、だな」

 

 諦観の込められたアルテミスの声が届くが、ベルはその顔を見ることもできなかった。

 溶け落ちていった紫肉の蛹から姿を現すのは……渾身の一撃を以て葬ったアンタレスの下半身。

 右腕と同様にさらに強靭となって再生されたアンタレスの下半身はベルの戦意を削るにはあまりにも十分過ぎていた。

 

「……っ」

 

 冷たい諦観の侵食が始まる心を奮い立たせるようにベルは地面を強く踏みしめる。

 まだ終わった訳ではないと、もう一度蓄力(チャージ)を開始。

 左腕に集まる白い光。同時に諦め悪く自分に迫る少年の姿を見たアンタレスは空間を震わす咆哮を上げ、背から伸びる六本の鋏を振るった。

 

 もうお前で遊ぶのは飽きたと言わんばかりの超速の猛攻が始まる。六本の触鋏と二本の巨鋏が組み合わさった攻撃の嵐は凶悪の一言で済ませるにはあまりにも凄絶。

 そんな攻撃の中でベルが許されるのは回避行動のみ。防御に移れば風雷の護りごと貫かれる一撃の重さと風雷によって底上げされた少年の速度を以てしてもかわし切ることが出来ない速さはたとえ第一級冒険者だったとしても、その攻略はあまりにも困難だった。

 

(反撃に移れない……! かわすので精一杯……クソっ!)

 

 計八本の武器によって巻き上げられた石礫や砂煙がベルの動きを阻害し、追い詰める。

 決定打となる一撃はもらってはいないが、それももはや時間の問題。

 唯一の希望は左腕に収斂しつつある白光だが、回避することさえ困難なこの状況で限界まで蓄力(チャージ)を行ない、その一撃でアンタレスの核を破壊することなど────

 

(出来るわけが……でも、やるしか…………()()()()()……?)

 

 猛攻を回避し続けていたその最中、ベルはそれに気付いてしまった。

 それはモンスターと戦ったことがある者ならば誰もが知っているモンスターを倒す一つの方法。

 ()()()()()ベルが無意識のうちに避けていた一つの方法。

 

 モンスターの核である魔石……それを破壊することが出来れば、どれだけ強力なモンスターだとしても一撃で葬り去ることが出来る。

 

(核である魔石を壊せば、アンタレスだって例外なく一撃で倒せる……でも、それは────)

 

 凍てつく現実に辿り着いてしまったその時、アンタレスの攻撃が止む。

 回避行動の勢いを止めることが出来ず、地面を転がっていったベルは前方から聞こえてくる何かが開こうとしている不協和音に勢いよく顔を上げた。

 

「……………………できない」

 

 引き攣った顔で前を向いたベルの瞳に映るのは、アンタレスの胸部の中に囚われたアルテミス。

 モンスターの胸部……そこには何かの異常事態(イレギュラー)でも起きていない限り魔石が埋まっているはず。しかし、アンタレスのそこにあるのは水晶に覆われているアルテミスのみ。

 

 ……いや、厳密に言うとあれは水晶などではない。

 アルテミスをその中に宿し、()()()()()を湛えるあの正体は……

 

「アルテミス様を、魔石と同化させてる……?」

 

 ……魔石、だった。

 災厄の蠍(アンタレス)は自らの核の内側に女神(アルテミス)を封じ込めていたのだ。

 

「……アンタレスを倒せても、アルテミス様は……助けられない……?」

 

 この戦いでどちらが勝とうとも、既に一つの結果は確定している。

 勝とうが、負けようが、ベルは女神アルテミスを()()()()()()()()()

 その事実に気付かされた少年の足から力が抜け、膝からその場に崩れ落ちていった。

 

 夢想が破れ、現実に打ちのめされる少年にアンタレスは一切の容赦を見せない。

 アルテミスが封じられた魔石の前にアンタレスの身に宿る神の力(アルカナム)と偽りの月の光が集束し、光の弓矢が生まれていく。

 

 疑似的な『アルテミスの矢』。

 

 ゆっくりと、光の弓に番えられた光の矢が膝をつく少年に照準を合わせる。

 天界最強の矢と称される『アルテミスの矢』、それが疑似的なモノと言えど、その威力は一人の子供の肉体を跡形もなく消し飛ばすことなど造作もなかった。

 

 放たれようとする光の矢を前にしても少年の体が動くことはない。

 勝利を確信したようにその単眼を動かしたアンタレスは『災厄の矢』を解き放った。

 

「────────────────────────────────ぁ」

 

 禍々しい光がベルを襲う。

 絶望の色に侵されたベル・クラネルの瞳が驚愕に見開かれた。

 その驚愕は光の矢に、ではない。目の前に現れた誰かの背中に、だ。

 

「…………アルテミス様」

 

「ぐ、ぅ……っ!」

 

 光の矢とベルの間に身を躍らせたのは、アルテミスだった。

 彼女は自分の存在が消えていくことも構わずに、その身に残された僅かな力をベルを護ることのみに注ぎ込むことでアンタレスの放つ『災厄の矢』を押さえ込んでいた。

 自分を守るアルテミスの背中を呆然と見ることしかできていなかったベルは、その姿が消えようとしていることに気付き、ようやくその手が動く。

 

「お願いだ……オリオン……! 私の矢が貴方を射抜いてしまう前に……貴方の矢で────」

 

「あ……あぁ…………っ!!」

 

 アルテミスの背中が遠ざかる。

 手を伸ばせば届く距離にいた筈なのに、ベルのその手が届くことはなかった。

 

 少年を滅ぼそうとしていた『災厄の矢』が霧散する。アルテミスはその力の限りを尽くし、世界を滅ぼす災厄の力から一人の少年の命を護り通したのだ。

 その代償は、決して軽いモノではなかった。

 

「う……ぁ…………ぁあ……」

 

 代償は、アルテミスの存在。

 少年が伸ばした手が彼女の背中に届くその前に、アルテミスは光の粒子となって散っていってしまったのだ。

 伸ばした手をすり抜け、宙に舞っていく美しい光の粒子を見たベルが膝から崩れ落ち、地面に手をつき、項垂れる。

 涙はなかった。『約束』を守れなかった彼に涙を落とす資格などないのだから。

 

『ギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 自らに歯向かった愚者の声なき絶望と最大の脅威であったあの日、取り込みきれなかった力の残滓の消滅にアンタレスは勝利の雄叫びを上げた。

 目の前に平伏す愚者を仕留め、この戦いに終止符を打とうとアンタレスが二本の巨鋏で狙いを定める。

 

 そして、下界の希望を断つ断頭台が振り下ろされた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「あそこよっ!」

 

 分断されてしまったヘスティア達は二人の元へ急いでいた。

 絶え間なく揺れ動く地面や何かが叩きつけられるような音が二人が何処にいて、今の状況がどのようなものなのかを伝えてきている。

 そして、走り続けてきた先に見えたのは美しい青白い光。

 ベルの魔法やスキルによるものではない。アンタレスの光はもっと禍々しい。

 考えられるのは…………アルテミスの神の力(アルカナム)

 

「アルテミス…………アルテミスッ!!」

 

 その光の下へ走ったヘスティア達は見た。

 アンタレスが放つ光を防ぐアルテミスの姿を。

 護られてしまった少年が伸ばした手の先で、彼女が光となって消えていくその瞬間を。

 

「あ…………アル、テミス……?」

 

「…………」

 

 覚悟はしていた。それでも受け入れたくない現実を前にヘスティアは声を震わせ、ヘルメスは祈るように帽子を目深に被り、瞳を閉じた。

 残ったのは光の粒が舞う中で膝をついた少年と胸部に取り込んだ『女神アルテミス』を見せつけ、膝をついた少年を嘲笑う災厄の蠍。

 

「…………笑うんじゃねえ」

 

 女神を救うために戦っていた少年を嗤うアンタレスをヴェルフが睨み付ける。

 彼の感情に反応し、熱を帯びていく魔剣。後先考えずに今にも飛び出していきそうな彼をアリーゼとアスフィが止めた。

 

「今の貴方じゃ無理よ。少し冷静になりなさい」

 

「……じゃあ、どうしろってんだよ」

 

「私達があいつを相手取る。貴方達はまずベル君を助けなさい」

 

 そう言い残し、アリーゼとアスフィが飛び出す。

 その背中を見送ったヴェルフは冷静さを取り戻すように息を強く吐き、リリと共にベルの元へ駆け出した。

 

「【アガリス・アルヴェシンス】!」

 

 少年の命を絶つべく、振り下ろされようとする断頭台。

 断頭台を解き放つ処刑人に斬り込んだアリーゼはその身に纏った紅蓮の炎を解き放った。

 

「【炎華(アルヴェリア)】!!」

 

 炎の波がアンタレスを包み込み、その身を灼きつくそうと襲い掛かる。

 驚愕にアンタレスが単眼を蠢かす……そこに追い打ちをかけるように怪物の全身を無数の衝撃が襲った。

 

「当然の如く、効いていませんね……わかっていたことですが」

 

 巻き付く炎を振り払ったアンタレスの前に立ち塞がるアリーゼとアスフィ。

 遅れて現れた彼女達の姿を見た災厄の蠍は胸部に埋め込まれた『女神アルテミス』を見せつけるように上体を起こし、二人を嘲弄するかの如く奇妙な音を鳴らし立てた。

 

「……私達で時間を稼ぐわよ」

 

「ええ……何が出来るのかはわかりませんが……一矢報いなければ、気が済みません」

 

 子供達が敬愛するに値する女神を辱め、自分達を嘲笑うだけでは済まさず、たった一人で女神を救おうと戦った少年すらも嘲笑うアンタレスのその動きに二人の胸の内に確かな怒りが宿る。

 アスフィが飛翔靴(タラリア)を展開して空へ、アリーゼが炎の華を纏い、地を走る。

 

「ベル!!」

 

「ベル様!!」

 

 二人がアンタレスとの戦闘を繰り広げる裏でヴェルフとリリの二人が膝をつくベルに駆け寄る。

 だが、ベルは二人に声を掛けられても何も反応を見せず、ただ力なく項垂れるだけだった。

 

「…………リリスケ、ベルを頼む。あと、これ持ってろ」

 

「わっ……えっ? ヴェルフ様は……」

 

「俺もあの二人と一緒にアンタレスと戦って時間を稼ぐ」

 

 項垂れるベルを見て立ち上がったヴェルフの無謀にも程がある言葉にリリの瞳が見開かれる。

 何も反応を見せない相棒の姿を一瞥したヴェルフは背負った古の大剣を抜き、その名を呼んだ。

 

「む、無茶です!? 見てください! アリーゼ様とアスフィ様が一緒に戦っても時間を稼ぐのが精一杯なんですよ!? ヴェルフ様が言ったら一瞬ですり潰されるに決まっています!」

 

「そんなことはわかってる。だけど、今ここで俺に出来ることはないだろ? なら、一秒でも多く時間を……ベルが立ち上がれるようになるまで、時間を稼いでやる」

 

 引き抜いた大剣を肩に担いだヴェルフが強気に笑う。

 瞬間、荒れ狂う紅蓮の炎が迸り、女性の輪郭を象る『炎の幻影』が浮かび上がった。

 

「ベル……待ってるからな」

 

『炎の幻影』を纏ったヴェルフが死地へと走る。

 自分が立ち上がることを信じて疑っていない相棒の声を聞いたベルの指がかすかに動くが、それだけだ。彼が立ち上がるには、足りない。

 

「ベル君!!」

 

 少年を立ち上がらせるには、二人の言葉だけでは足りない。

 少年と共にその道を歩む女神の言葉が必要だった。

 ヘルメスに止められるのも無視してヘスティアはベルの元へと走り、その手を取る。

 

「……リリ君、ここはボクに任せてくれ。君はあの『槍』を見つけてくれるかい?」

 

「……はい、任せてください! ベル様……待ってますから」

 

 ヘスティアが触れる手とは反対のベルの手に触れ、リリは『槍』を探しに死地へと飛び込む。

 いつ攻撃が飛んでくるのかわからない危険な戦場へと向かう子の姿を見送ったヘスティアは彼女を心配する心を抑え込み、心が砕けてしまった最初の家族を見つめた。

 

「ベル君……君は聞きたくないだろうけど、それを承知の上で言うよ…………立ってくれ」

 

 祈るようなヘスティアの声を聞いても、ベルに反応はない。

 漆黒の巨人と戦った時と状況は似ていた。違うのは少年の心が既に折れてしまっていること。

 目的と彼女との『約束』を果たせないと気付かされてしまった少年の折れた心が修復されることはもうない。

 

「アルテミスの想いを、無駄にしないでくれ」

 

 しかし、その言葉にピクリと、ベルが反応を見せた。

 緩慢な動きで顔を上げる少年の瞳に映ったのは、涙を堪えながら自分を見つめる女神の瞳。

 ぎゅっと、少年の手を強く握った女神は震える唇で言葉を紡ぐ。

 

「あの子の好きだった世界を、あの子が愛した子供達を、守ってくれ……!」

 

 震える瞳から、堪えきれなかった涙が零れ落ちる。

 握られた手に零れ落ちた彼女の涙は熱かった。砕けた心の欠片に、もう一度熱が宿る程に。

 

「あの子は、今も泣いているんだ…………あの子を────」

 

 ────貴方と出会えて、良かった。

 

 脳裏に蘇る月明かりに照らされた彼女(アルテミス)の笑み。

 その笑みが溶けていくその刹那────

 

「────アルテミスを、救ってくれっっ!!」

 

 ────誰かの涙が、零れ落ちる音が聞こえた。

 

 ベルはそっと自分の冷たい手を包み込んでくれていたヘスティアの手を解き、立ち上がる。

 地面に突き刺さった黒剣を引き抜く彼の瞳は白い前髪に隠れ、窺うことは出来ない。

 

「……離れて下さい……神様」

 

 落ち着いた口調ながら、有無を言わさぬ迫力がある少年の言葉に女神は何も言う事ができずに少年の傍を離れていく。

 やがて、小さな(チャイム)の音が生まれ、少年の左腕に白い光が収斂する。

 

「ベル様……?」

 

「……ありがとう、リリ……少し、離れてて」

 

 そこに全身に無数の傷をつけたリリが『槍』を携えて、現れる。

 不安げな彼女から『槍』を受け取った少年はその『槍』に収斂された光を流し込む。

 白光は『槍』を覆うだけでは終わらず、そのまま少年のその身を包み込んでいく。

 

『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 白き光が少年の全身を包み、(チャイム)の音が変わり始めたその瞬間、災厄の蠍がその存在を再び認識する。

 消し飛ばしたはずの力の残滓がそこに存在していることへの驚愕と邪魔をする邪魔者共への怒りの込められた咆哮が轟き、災厄の蠍は全てを滅ぼすべく、下界を滅ぼす為に溜められた偽りの月の力をその身に収束させ始める。

 

「…………英雄に、なりたかった」

 

 その中で、大鐘楼(グランドベル)の音色が高らかに轟く。同時に、災厄の蠍の全身に月の力が満ちる。

 白光を纏った少年は、世界を滅ぼす災厄を終わらせ、女神を救うべく、疾走を開始した。




ここまで見ていただきありがとうございました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。