二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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狩人(ベル)月女神(アルテミス)

「クソがッ!! キリがねえ!!」

 

 ダンジョン12階層。

 そこに集うは都市最大派閥(ロキ・ファミリア)の眷属達。

 その幹部の狼人(ウェア・ウルフ)、ベート・ローガは身に纏わりつくモンスター達の血肉を振り払い、声を荒げる。

 その顔にはかすかに疲労の色が見え隠れしており、彼と共に戦う他の幹部達も同じような様相を見せていた。

 

「どんどんどんどん増えるし強くなってくし、ほんとになんなのさーーっ!?」

 

「ティオナうるさいわよ!! そう言いたくなる気持ちはわかるけどっ!!」

 

 斬っても、砕いても、潰しても、モンスターの数は増え続ける一方だった。

 ただ増えるだけならばともかく、時間が経つにつれてモンスター達がより強力に……厳密に言うと生息域が下のモンスターが産まれていくという事実が彼等の精神を体力と共に削っている。

 

(まずいな……ベート達が削られているのもそうだが、今現れたのは5()1()()()のモンスター……僕の予想が正しければ…………)

 

 戦場全体を見渡せる位置を維持しながら、襲い来るモンスター達の魔石を手に持つ二振りの槍で的確に穿っていたフィンは削る以上の速度で増え続けるモンスター達への対処法を考えると同時にある出来事を思い出していた。

 それはつい先日に経験したダンジョン52階層から始まった下部階層からの狙撃。

 その経験をもとにフィンは一つの最悪の仮説を立てていた。

 

(……下からの狙撃がある。そうなれば、僕達は間違いなく敗北する)

 

 その仮説とは、58階層に生息するモンスター、砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)が産み出されることにより始まる下部階層からの狙撃。

 そんなことが起きれば、自分達は全滅するとフィンは考えていた。

 

(だがこの予想は外れると見ていい。もしも僕のこの予想が正しいのならば、既に砲撃が始まっているはずだ。なら、この親指の疼きはなんだ?)

 

 最悪の想像を捨て、目の前のモンスターを葬ったフィンは捨ててもなお疼きが止まらない親指の状態を受け、考えを巡らせる。

 下からの砲撃と同等かそれ以上に全滅の危険性がある事態とは一体何なのか。

 

(51階層……51階層、だと?)

 

 そして、フィンの親指が痛いほどに疼く。

 その瞬間、空間を激しく揺るがす咆哮が轟いた。

 

 自らの前に立つモンスターごと薙ぎ払い、彼等の前にその竜は姿を現す。

 

「……まさかこんな奴までここに産み出すとはね。よほど地上にある何かが怖いと見える」

 

 団長である彼の視線の先を見た団員達は例外なく驚愕に目を見開いていた。

 現れたのは、51階層に出現する希少種、強竜『カドモス』。

 力だけならば深層の階層主を上回るという真正の怪物は赤く染まった目を動かし、再び咆哮を轟かせた。

 

「あれは……何よりも優先するべきだな。フィン、私とアイズが奴を討つ。いいな?」

 

「ああ、頼んだ。後衛の指揮はアリシア、レフィーヤは魔法のみに集中しろ。リヴェリアの穴は君が埋めるんだ」

 

「は、はい!」

 

 カドモスの咆哮を浴び、浮足立つ団員達の中でフィン、リヴェリア、ガレスの三人は何一つとして揺るがない。

 即座にリヴェリアがアイズと共にカドモスの相手を始め、フィンがリヴェリアが前線に立つことで空いてしまう穴を団員達への指示と自らの動きで埋め、最終防衛線に立つガレスが圧倒的な物量で襲い来るモンスター達を吹き飛ばし、団員達の動揺を鎮める。

 都市最大派閥の主軸たる彼等がいる限り、【ロキ・ファミリア】が崩れることはない。

 

(崩されはしない……が、僕達にも体力や精神力(マインド)の限界はある。()が元凶を断つまで今の状況が続く、もしくは悪化するようなことがあれば崩されないまま、押し潰されるだろう。さて、どうしたものか────)

 

 焦りをおくびにも出さず、淡々と考えを深めながら指揮を出し、モンスターを屠っていたフィンはダンジョンの奥から再び数を増やした大群の出現、そしてその中に存在するもう一体の強竜(カドモス)に目を細める。

 アイズとリヴェリアはまだ一体目を討てていない。二体目の対処のために指揮権をラウルに譲渡し、フィンは魔槍を解放しようと詠唱を始めようとする。

 

「【永争せよ、不滅の雷兵】」

 

 その時、迅雷が迸った。

 かすかに目を見開くフィンの瞳の先、放たれた無数の雷弾は標的を違えることなく、戦場に広がるモンスターのみを的確に撃ち抜き、その身を焼き尽くしていく。

 それに続くように、戦車が、戦王が、四戦士が、雷弾が降り注ぐ戦場に飛び込み、奪い合うようにモンスター達の殺戮を開始する。

 

「ええー……」

 

「……来るなら初めから来なさいよ」

 

「チッ……」

 

 前兆もなく、突然現れた彼等の姿にティオナ達は思わず戦う手も止めて、それぞれ様々な反応を見せる。

 ただそれも僅かな時間のこと。自分達に一瞥すらせずに戦い始めた彼等の姿にすぐに再度戦闘に入り、新たに現れた彼等と獲物を奪い合うように戦闘を加速させていった。

 

「……来るなら君だけだと思っていたんだが……これは予想外かな」

 

 目の前に広がるモンスターを挟んだ冒険者同士の殺し合いのような戦いを見ていたフィンは背後から歩んでくる一人の男に振り向きもせずに苦笑を浮かべる。

 その男はフィンをそのまま追い抜き、振り返りもせずに前方……モンスターが増え続けるダンジョンの奥へと歩を進めていた。

 

「【銀月(ぎん)の慈悲、黄金(こがね)の原野、この身は戦の猛猪(おう)を拝命せし】」

 

 大剣を引き抜き、歩みを止めずに詠唱を始めた彼の姿を見たモンスター達の侵攻が止まる。

 目の前の男からただならぬ気配を感じ取ったのか、じりじりと後退していくその姿を見た男は歩みを止め、大剣を肩に構えた。

 

「【駆け抜けよ、女神の神意を乗せて】」

 

 詠唱が終わる。瞬間、生まれるは黄金(こがね)の光。

 恐怖に染まったモンスター達は見た。男が構える大剣にその光が集束されていくのを。

 

「【ヒルディス・ヴィ―ニ】」

 

 振り下ろされる黄金(こがね)の終末をモンスター達はただ受け入れることしかできなかった。

 

「……相変わらず君は規格外だね、オッタル」

 

 完全に砕け散った大剣を放り投げた大男……オッタルはそこでようやくフィンの方へ振り返る。

 彼の背後、そこには何も残っていなかった。

 モンスターは当然、自然に生えていた岩なども跡形もなく消滅し、()()()()()を更地へと変えたオッタルは静かに口を開く。

 

「女神の御前を汚すわけにはいかない」

 

「ああ、それでいい。君達の力を貸してくれ」

 

 ただ、二言。

 それ以上の言葉は都市の双璧である彼等の間には必要なかった。

 再びモンスターの大群が道の奥から姿を見せる。背に背負ったもう一本の大剣を抜いたオッタルは自らその大群の中へと身を躍らせた。

 

「彼女達の指揮は任せるよ、ヘディン」

 

「黙れ。貴様に言われずともそうするつもりだ。その方が効率が良い」

 

 無差別に、だが的確にモンスターのみを貫き、ロキ、フレイヤの団員問わず援護と殲滅を続ける彼の名はヘディン・セルランド。

 フィン達と同じくLv.6を冠するヘディンは自分に指示を出すような彼の言動に苛立ったように眼鏡の位置を片手で直し、困惑するアリシア達を見据える。

 

「アリシア達はヘディンの指示に従え。今この場において彼の指揮権は僕やリヴェリア達と同等のものだ。いいな?」

 

「は、はい!」

 

 戸惑っていたアリシア達もフィンの一声にすぐに覚悟を固める。

 そんな彼女達を見て、口元に笑みを浮かべたフィンは振り返り、前線へと飛び込んでいった。

 

「ラウル、指揮は任せた。僕は前に出る」

 

「団長!? ……いえ、任せてくださいっす!!」

 

 フィンに指揮権を譲渡されたラウルはその瞳に一瞬不安の色を宿したが、すぐに先のアリシア達と同様に覚悟を固める。

 指揮を引き継いだ彼の姿を見送ったフィンはオッタルが最前線で戦っているというのに依然増え続けるモンスター達を見据え、詠唱を紡いだ。

 

「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】」

 

 淡々とした短文詠唱。

 左親指を槍に見立て、そこに集った紅の魔力光を額に押し当てる。

 

「【ヘル・フィネガス】」

 

 瞬間、凄絶な咆哮が轟いた。

 モンスターが放つ『咆哮(ハウル)』を食らった冒険者のようにすぐ近くに存在していたモンスター達が本能的に動きを奪われる。

 怯んだモンスター達を槍で、石突で、拳で、殺戮したフィンはその瞳を鮮血の如き紅に染め、モンスターの虐殺を開始した。

 

「チッ!!」

 

 この場においてオッタルと共に規格外の一人となったフィンの姿にアレンが舌を鳴らした。

 理性を失うという代償(デメリット)を冒険者の本能で補うという荒業をこなし、圧倒的な力を見せるフィンに触発されるようにベートが、アレンが、ティオネが、ヘグニが、ティオナが、ガリバー兄弟が加速する。

【フレイヤ・ファミリア】の参戦、本格的なフィンの戦闘参加、彼等に触発された【ロキ・ファミリア】の奮起によって、初めてモンスターの討伐速度が誕生速度を上回る。

 ここに来て戦況は優勢と言ってもいいような状態に変わっていた。

 

「みんな……」

 

 だがそれはあくまで一時的なもの。

 リヴェリアと共に強竜(カドモス)を仕留めたアイズは戦況が有利になっているというのにこのままでは勝つことは出来ないと確信を持っていた。

 

「倒しても、倒しても……キリがない……!」

 

 普段はいがみ合っている【フレイヤ・ファミリア】との共闘という現オラリオの中で考え得る限り最強の戦力で戦っているというのに最後に自分達が立っている未来が見えない。

 ダンジョンの暴走という元を絶たない限り、いくら戦っても意味がない。

 

「今ここにいる私達じゃ、これ以上はどうにもできない…………ベル……」

 

 戦うことをやめることはない。

 それでも終わりが見えない戦いというのはいくら歴戦の冒険者といえど、心身ともに疲弊していくことは避けられなかった。

 アイズ・ヴァレンシュタインとは思えない弱気な声に隣でリヴェリアが息を呑む。

 それに気が付かない彼女はまるで縋るようにここにはいない一人の少年の姿を思い浮かべるのであった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そんな彼女の想いも露知らず、ベルは走っていた。

 禍々しい光の矢が降り注ぐ戦場を縦横無尽に駆け、時に左手に持つ黒剣で打ち払い、その手に持った『槍』に白光を収斂させながら、走っていた。

 その瞳に光はなく、その顔に笑みはなく、心が砕けた少年は砕けた心を修復することもなく、一つの衝動に突き動かされるまま、災厄の蠍に肉薄する。

 

(英雄に、憧れていた……)

 

 近づく程に攻撃が激しさを増すが、致命傷や動きを阻害することになるであろう攻撃は彼には当たらず、傷を生みながらもその侵攻は止まらない。

 しかし、次の瞬間、少年の死角から災厄の蠍の巨鋏が迫った。

 

(どんな怪物もやっつけて……たくさんの人達を笑顔にして……涙を流す大切な人を守って……)

 

「させ、ないっ!!」

 

「はぁッ!!」

 

 それをアリーゼとアスフィが防ぐ。

 二つの炎の爆発によって巨鋏の動きは微かに止まり、その隙間をベルが突き進む。

 自分に迫る白き光を纏う少年と『槍』に災厄の蠍が恐怖を覚えたかのように単眼を蠢かし、弓に矢を装填していく。

 

(悲劇のヒロインなんて、どこにもいない────)

 

「来い、『ウルス』!! 撃て、リリスケェ!!」

 

「こんのぉッ!!」

 

 蓄力(チャージ)が終わっていない『災厄の矢』を放つ時を稼ぐべく、災厄の蠍は禍々しい紫光を解き放った。

 それに対して、土煙に紛れてベルと共に肉薄したヴェルフが自らに宿る炎の幻影を呼び起こす。

 ベルの前に生み出された炎の巨壁が光と激突すると同時に、ヴェルフはリリに全てを託した。

 ヴェルフとリリの必死な叫びと共に放たれるのは彼が生み出した『雷の魔剣』。

 ベルのすぐ頭上を通り、炎の壁を突き抜けたその魔剣はアンタレスの単眼を寸分違わずに穿つ。

 

「ベル君……!」

 

「ベル・クラネル……」

 

「ベル!!」

 

「ベル様ぁ!!」

 

 渾身を以て少年を災厄の蠍の元まで送り届け、その動きを奪ったヴェルフ達が彼の名を叫ぶ。

 自分の背を押す彼等の声にベルは『槍』を握る手に力を込め、前を向いて駆けた。

 

 ────みんなを救ってみせる……そんな英雄になりたかった。

 

 一際強く、大鐘楼(グランドベル)の音色が轟く。

 災厄の蠍は迫りくる白き光をかき消すべく禍々しい紫光の矢を放ち続けていたが、かわされ続けそれが無意味な行動だと悟ったのか、修復された単眼で迫りくる『槍』のみを見据えた。

 

 装填された『災厄(アンタレス)の矢』が限界まで張り詰める。

 少年は地を駆け抜ける自分自身を弓に見立て、『射抜く者(オリオン)』を引き絞る。

 

『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

「っ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 漆黒の光を纏った矢と白き光を纏った矢が解き放たれた。

 二本の矢はベルとアンタレスの間で激突し、周囲に白と黒が入り混じった光を飛ばしていく。

 

「っ、ぐぅ……!」

 

 初めは拮抗。しかし、徐々に漆黒の矢が白光の矢を侵食していく。

 浸食が進むごとにベルの身にアンタレスがその身に宿していた殺された者達の怨念や絶望、無念が流し込まれてく。

 内から身を焦がすその負の感情に少年は苦悶の表情を浮かべていた。

 彼が膝をつくとともに『矢』が纏う白光が薄れていく。

 

 アンタレスに殺された『古代』の人々のように彼もまたアンタレスに飲まれて────

 

「────アルテミス……もう少しだけ、あの子に力を貸してくれ……」

 

 その刹那、矢の衝突点のはるか後方から『神の力(アルカナム)』が立ち昇る。

 力の発生点はヘスティア……彼女が差し出した掌の上で金色に輝く光の粒。

 彼女の頬に触れるように静かに舞った金色の光粒は傷ついた冒険者達が見上げる中、膝をついた少年の元まで辿り着き、そっとその手に集まる。

 

「…………アルテミス様」

 

神の力(アルカナム)』には『神の力(アルカナム)』を。

 

 漆黒の神威(ひかり)に侵されていた少年を守るように金色の神威(ひかり)が右手から立ち昇り、その身を包む。

 その光の元が何なのかを悟った少年は何かを堪えるように唇を噛み締め、白と金の光が混じる右手に力を込め、立ち上がった。

 一歩、また一歩と、漆黒の矢を押し返しながら迫る少年とその背に寄り添う()()()姿()にアンタレスが怯えを見せる。

 

「……貫け、『射抜く者(オリオン)』」

 

 少年の言葉が最後の鍵になったかのように、白光の矢が金色の光を纏う。

 隠されていた『神聖文字(ヒエログリフ)』が浮かび上がり、真の力を発揮した神創武器はアンタレスが扱う紛い物の『災厄(アルテミス)の矢』を貫いた。

 アンタレスが咄嗟に閉じたその胸郭を貫き、そこから広がる罅が全身に走り、アンタレスの外殻が内側から弾けるように破壊されていく。

 外殻の中に存在していた紫肉を泥のように地に落としながら、アンタレスの巨体が墜ちる。

 凶悪堅牢であった災厄の蠍の体は見るも無残な姿に変わり果て、中心に存在している女神を取り込んだ魔石を露わにし、完全に停止した。

 

「…………」

 

 沈黙が支配する大空洞に一人の少年の足音が木霊する。

 俯き加減に、一歩一歩、気を抜けば止まってしまいそうな足に力を込めて少年は歩く。

 やがて、木霊していた足音が消え去る。それが意味するものは辿り着いてしまったということ。

 

「…………っ」

 

 剣を握り直した少年の右手が小さく震える。

 躊躇うように、あの日(ノエル)のような奇跡を待つように。

 だが目の前の存在は死に瀕してなお……死に瀕してるからこそ躊躇うことを許さない。

 動きを止めていた紫肉が蠢き出す。完全に破壊された外殻を修復し、自らの蘇生を試みるようにゆっくりと魔石から紫肉が伸長していく。

 

 あと数十秒経てば、災厄の蠍は最低限の修復を終えて再び動き出す。

 そうなればもはや勝ち目はない。既に『射抜く者(オリオン)』はその手になく、彼女の力の残滓も残っていないのだから。

 ベルは重い右腕を振り上げる。最後のその時まで彼女の姿を見つめたまま、彼女のもう一つの()()に応えるべく……少年は重い腕を振り下ろした。

 

「────────!」

 

 周囲に漂っていた金の光(アルカナム)が青白く輝く神聖文字(ヒエログリフ)を金色に変貌させる。

 そして、神を殺す武器と成った黒剣がアンタレスの魔石に突き立てられた。

 一瞬の抵抗。すぐに響き渡ったのは甲高い破砕音。

 砕けていく魔石から解放されるアルテミスの肉体。その胸を、少年の刃が貫いた。

 

「…………ぁ」

 

 貫かれる直前、アルテミスは閉じられていたその目を開き、涙を流す少年の姿を見た。

 最期の瞬間、彼女の瞳は自分を救ってくれた少年に、ありがとう……と、そう告げていた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「……ありがとう、オリオン」

 

 そこは不思議な空間だった。

 彼女の胸を貫いたベルは何故自分がこんなところにいるのかもわからずにそこに立っていたが、背後から聞こえてきたアルテミスの声に全てを置いて振り向く。

 柔らかな笑みを浮かべて、あの日と同じ衣を纏ってアルテミスは湖の上に立っていた。

 

「アルテミス様……」

 

 まるで舞い散る雪のように降る光に包まれた湖の上でベルは彼女と対面する。

 ここが何処か、なんて無意味な時間を過ごすつもりはなかった。これがもう彼女と話せる最後の時間だと、どこかで確信していたから。

 

「……すまなかった。君にこんな過酷を押し付けてしまって」

 

「……っ、僕は、貴女との、約束を……約束を…………」

 

 申し訳なさそうなアルテミスのその顔にベルは唇を噛んだ。

 静かに涙を流し、何度も何度も謝るベルの姿にアルテミスは困ったような顔を見せる。

 

「……知っているか? 神も死んだら生まれ変わるんだ」

 

 俯いたまま、顔を上げることが出来ないベルにアルテミスは小さく呟いた。

 慰めのようなその言葉はより一層、少年の心に傷を生む。

 

「だから────笑ってくれ……もう一度、出会う時に、笑い合えるように」

 

 傷は生まれてしまう。

 それでも、もう一度出会うために。

 

 消えてしまう彼女が、少しでも安心できるように。

 

「……はい」

 

 ベルは、笑った。

 笑みを作ろうとして失敗したような笑みだったが、それでも確かに笑ったのだ。

 

「……あなたは、『約束』を守れないことが怖いのだな」

 

 ようやく笑ってくれた少年の頬に手を伸ばし、優しく撫でた彼女はそう呟く。

 肩を跳ねさせた少年の頬にもう一度優しく触れ、ベルと目を合わせた。

 

「そう、ですね……そうだと、思います。大事な『約束』を守れないのは……死ぬことよりも、怖い…………今になって、ようやく気付きました」

 

 そうか、と呟いたアルテミスは頬に触れていた手を下ろし、ベルの両手を握る。

 小さく震えている少年の手は冷たく、自分との『約束』を守れなかったことがどれだけ少年の心に重くのしかかっているのかを察して余りある。

 

「じゃあ、私ともう一つ『約束』をしてくれないか?」

 

「……えっ?」

 

 小さく目を見開き、自分を見つめてくるベルにアルテミスは優しく笑いかける。

 アルテミスとの間で守れた『約束』は一つ、守れなかった『約束』もまた一つ。

 一回ずつならばもう一つ『約束』をしてそれを守ればいい、というアルテミスの言葉にポカンと口を開いていたベルは、やがて泣き笑いのような表情を浮かべた。

 

「ふふ、あはははは……凄いですね、アルテミス様は。そんなこと、考えもしなかった」

 

「そうかな? まあどっちでもいいさ。あなたが笑ってくれるのなら」

 

「ありがとうございます…………その『約束』は?」

 

 わずかに光が戻った少年の瞳を一瞥し、アルテミスはとある光景を思い浮かべる。

 それは初めの『約束』を交わした湖での一幕。少年が背負う『運命』を悟ったあの瞬間。

 

「…………君の原点に根付いている、その『約束』を絶対に守ること」

 

 アルテミスの言葉にベルの目が限界まで見開かれる。

 彼女が告げたのは『約束』を守る『約束』。

 

「…………わかりました。絶対に、守ります」

 

「ああ……ずっと、見守っているからな」

 

 胸の前で拳を強く握ったベルは、確かにその『約束』を彼女と交わす。

 アルテミスは光が戻った少年の瞳に安心したかのように消えゆくような笑みを浮かべた。

 

「……そろそろ、時間みたいだ」

 

 アルテミスの体が少しずつ薄れ始めていく。

 胸の奥からこみ上げてくるものを必死に堪えて笑顔を作る少年をアルテミスは愛おしそうに見つめ、静かに瞳を閉じた。

 

「百年か、千年か……もしかしたら一万年かかってしまうかもしれない。それでも私は、貴方を見つけてみせる……貴方が紡いだ物語を、貴方と語り合うために……だから────」

 

 頬に一筋の涙を流すベルと目が合う。

 目尻に浮かんだ涙を拭わないまま、最期にアルテミスは、もう一度笑った。

 

「また会おうね……()()

 

「っ、はい……!」

 

 この『恋』は、胸にしまっておく。

 既にバレていたかもしれないが、これ以上は越えない。

 越えてしまえば、彼の重荷になってしまうかもしれないから。

 

 アルテミスの存在が希薄になる。

 ベルの意識が遠ざかる。

 

 消えゆくアルテミスの笑顔を最後まで見つめ続け、その心に刻み込み、ベルも彼女が消えゆく最後のその時まで、笑顔を浮かべていた。




次回の話を以て、今回の章を終わらせていただきます。
最後までお付き合いいただけると幸いです。

ここまで見ていただきありがとうございました。
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