ご了承下さい
その日、光の巨柱が天空に突き立つ光景を世界中の神々が見送った。
光は夜の闇を裂き、『偽りの月』を貫き、まるで雪のように世界中に降り注いでいく。
幻想的なその光景に人々は目を奪われ、不思議と穏やかな気持ちになりながらもう一つの『月』が消え去ったことに喜びと安堵の声を上げた。
その中で神々は────
「……………………」
一柱の例外もなく、光の柱が立ち昇った方角を向き、瞑目して祈りを捧げていた。
その姿には正に神と呼ぶに相応しい空気を身に纏っており、普段のふざけた雰囲気は欠片も存在していない。
そこに善神と悪神の区別はなく、ただ一人の例外を除き、神々はたった一人の名も分からない愛しい子供の為に祈りを捧げた。
「……祈ってあげるわ、あの子の願いを叶えてくれた、
その中である女神は神々の中で唯一瞑目せず、舞い落ちる光に触れながら静かに呟きを落とす。
胸が引き裂かれんばかりの悲愴に見舞われながら、最期の時を迎えるとわかってからその女神が教えようとした物に気付いた一柱の女神は彼女の想いを汲むように祈りを捧げ、女神は女神の為に涙した。
「…………」
神々に祈りを捧げられた少年は、俯きながらも自身の両の足で確と地に立っていた。
舞い落ちる光が少年の身に触れては消え、儚く消えていく。
「ベル……」
「ベル様……」
「…………行こう、ベル君」
この中では最も関わりが深い三人が立ち尽くす少年の名を呼ぶ。
少年はしばらく動く素振りを見せなかったが、ややあって皆の方へ振り返り、ゆっくりと歩き出した。
遺跡の外へと歩き出した少年の背に続き、他の者達も顔を見合わせた歩き出す。
この場を後にする最後のその時、最後尾を歩いていた男神は振り返り、消えてしまった女神に捧げるように深々と一礼を行なっていた。
「やれやれ……事態が解決した途端、暴走が終わるなんてね。随分と都合がいいというか」
場所は変わり、迷宮都市オラリオ。
『偽りの月』が消滅したことでダンジョンの暴走が鎮まり、残ったモンスター達の処理を終わらせた【ロキ・ファミリア】を筆頭とした冒険者達が
皆が仲間の無事や事態の解決を喜ぶ中、フィンは立ち去ろうとする男の背中に声を掛ける。
「助かったよ、オッタル。僕達だけでは犠牲者をなしにはできなかった」
「……俺達は主の意思に従っただけだ」
それ以上は何も語らず、義理は果たしたと既に彼以外の全員がこの場にいない【フレイヤ・ファミリア】の団長はフィンに見送られながら、この場を去っていった。
相変わらずだと、苦笑したフィンは本物の月が浮かぶ夜空を見上げ、表情を改める。
(この騒動の元凶を鎮めたのは
団長ではなく、一個人としての顔となったフィンは周囲から聞こえてくる『光の柱』という言葉にとある想像を働かせる。
聞いた限りではダンジョンの暴走が鎮まり始めた時間帯とその光の柱が立ち昇った時間帯は多少のズレはあれど、非常に近い。
(光の柱……おそらくは『神の送還』。ただ送還されたのなら多少の傷は残れど、僕が心配するほどではない……だがもしも、あの少年が神を
長き神時代の中でも前例のない下界の子による神殺し。
自分ならばたとえ魔法を使用した状態であっても最後の一線を超える前に忌避感が勝ると確信を持つその行いをあの少年が執った、執らざるを得なかったのならその精神状態が危ぶまれる。
だがまだ若く、冒険者になったばかりの少年はそうはいかない。
心に傷を残し、その傷がこの先のあの少年にどれほどの影響を与えるのか。
その先を思案しようとしたところでフィンは小さく頭を振った。
(あくまでこれは予想に過ぎない。下手に彼を気に掛けるのも色々と逆効果だ。僕やリヴェリア達を頼るようであれば力を貸すが、こちらからは何もしない方が良いだろう)
もしかしたら自分が考えてたような事態になったのかもしれないが、その逆もあり得る。
向こうから自分に何かがあるまでは静観の構えを取る……それがフィンの選択だった。
「……それに、僕が気に掛けるまでもなく、彼女達が彼を気に掛けているだろうしね」
ポツリとそう呟いた彼の視線の先には彼女を知る者にしかわからない笑みを浮かべて夜空を見上げるアイズとそんな彼女を優しい瞳で見つめているリヴェリアの姿があった。
「
ギルド本部地下、『祈祷の間』。
歓喜に沸く地上とは真逆、静寂に包まれる地下神殿に佇むのは一人と一柱。
一柱、神ウラノスはその一人────黒衣の人物から瞑目したまま報告を受けていた。
「上空に集まっていた『
都市の被害にダンジョンの状況、今回の
その反応にウラノスは閉じていた瞳を開き、細めた瞳で黒衣を見据え、言葉を待った。
「図らずとも、古のモンスターを倒す結果となったわけだが……ウラノス、女神アルテミスは?」
俯き加減だったフードが持ち上がり、篝火がその中身を照らし出す。
フェルズは数日前にこの地下神殿にヘルメスと共に訪れた女神の所在を問う。
ウラノスは暫しの沈黙を挟むと蒼色の瞳を祈るようにもう一度閉じ、重い口を開いた。
「逝った……未来永劫囚われ続ける筈だった女神の魂は、一人の少年の手によって救われた」
オラリオから遠く離れた地で巻き起こっていた物語の書き換えられた結末を語るウラノスにフェルズは何も言わずに主に倣うように俯き、祈った。
下界を去った女神と終わってしまった物語の結末を書き換えた一人の少年に。
「ベル・クラネル、か……」
あの日、『英雄』の片鱗を見せた少年が背負うことになってしまった業。
一人の子供が背負うにはあまりにも重いそれが少年のこの先の未来にどれだけの影響を与えてしまうのか。
自分が見たあの輝きが翳ることがないことを願いながら、フェルズは話を続けた。
もう一つの
最後に出てきたのはヘルメス。辺りを見回してもベルとヘスティアが見当たらなかった。
「ヘルメス様……」
「少し、二人だけで話をしたいみたいだ……大丈夫、オレ達は先に向こうで待っていよう……」
ヘルメスに促されたヴェルフとリリは一度神殿の方を心配するように振り返り、後ろ髪を引かれるような表情を見せながらもアリーゼ達と共に設置された簡易キャンプへと戻っていく。
遅れて出てきたベルは神殿の門の少し前で立ち止まり、灰色の雲が広がる空を見つめていた。
「……ベル君」
「…………約束を、守れませんでした……守るって、約束したのに」
自分に付き添う主神の声にベルは感情の伴わない声を返すことしかできなかった。
誰もが予想していたように、少年の心には大きな傷が残ってしまった。
彼女との『約束』を守ることが出来ず、守るべき
たとえ誰にも知られないもう一つの“約束”を交わしたのだとしても、それは変わらない。
「……ベル君。君は自分が許せないかもしれない」
俯く少年に並び立った女神は今の彼に何を言ったとしても、自分の言葉では慰めにもならないということを知っていた。
見ていることしかできなかった自分が彼の気持ちを理解していると語る資格も。
「でもね────君は救ってくれたよ。アルテミスを……」
だから────彼女が語るのは事実だけ。
俯いたままだった少年の顔が彼女を方を向く。
悲しみに暮れる少年の瞳を見た彼女は一瞬辛そうにその瞳を細めるが、すぐに優しい笑みを浮かべていた。
「どうして、そんなことがわかるんですか」
彼女のその笑みの理由がわからず、わずかながら声に怒気が宿る。
八つ当たりのような態度をとってしまったことに少年の体がしまった、とでも言うようにわずかに強張った。
そんな少年の姿により一層、彼女が浮かべる笑みに慈愛が宿る。
「わかるさ。だって……ほら────」
ヘスティアが前を指差す。
それに釣られてベルも前を向く。
そして、目の前に広がり始めた光景に目を見開いた。
「────────」
空が、澄んでいく。
禍々しい灰色の雲が昇る朝陽に溶かされるように消えていく。
蒼天が広がる空の下で森が息を吹き返す。
命を吸い尽くされ、枝を枯らし、葉の色を奪われ、猛毒と化した泉が蘇る。
枯れた枝には美しい花が咲き、奪われた鮮やかな緑を取り戻し、猛毒が浄化された泉には動物たちが集まっていた。
「アルテミスが言ってる……ありがとうって……」
それは正に神の奇跡だった。
空と森が息絶え、
たとえ
その結末が覆ったのだ。無論、ヘスティアやヘルメスの『
ならば、この地を蘇らせたのは誰なのか……それはもはや一人しかいない。
「あの娘は泣いていたかい?」
「……」
ベルは答えなかった。
強く握られた拳が答えだった。
「あの子は、笑っていただろう?」
ヘスティアはその手を優しく包み込んだ。
ようやく、彼女がいなくなってから初めて涙を見せたベルが涙を拭わないように。
「…………っ、はいっ……!」
ヘスティアはベルの右手を包み込んだまま、その体を優しく抱きしめた。
救えなかった後悔も、失った悲しみも、無力への怒りも、ベルがその身に抱えこむ全てごと、彼女は少年を抱きしめる。
(本当は、君をもっと褒めてあげたい。あの子の為に戦ってくれた君を、あの子を救ってくれた君を……でも、きっと君はそれを嫌がる。だから、今のボクにはこれぐらいのことしかできない)
静かに嗚咽する少年を優しく抱きしめながら、ヘスティアも涙を浮かべた。
永遠に続くかと錯覚するような優しい時間はベルがヘスティアの手を優しくほどいたことで終わりを告げる。
「神様────」
もう十分に流したと、涙を拭った少年は奇跡によって蘇った空と森を見据えて、隣に並んだ自らの主神に宣言するように力強く、その『想い』を口にした。
「────僕、強くなりたいです」
前を向いた少年の横顔と強い光が宿った瞳を見て、女神は静かに笑みを落とした。
温かな陽光に照らされながら、二人は神殿を去り、仲間達が待つ森の中へと戻る。
(アルテミス……ボクは君に憧れてたんだ。強くて、凛々しくて、優しい君に……)
野営地に戻ったベルの姿を見たヴェルフ達や【ヘルメス・ファミリア】の冒険者達が殺到する。
自分達の傷などお構いなしに少年をもみくちゃにする彼等とされるがままの少年を優しい瞳で見つめ、女神は一人、下界を去った女神に想いを馳せる。
(この旅の間、変わってしまった君には驚かされっぱなしだったよ。でも、楽しかった……短い間だったけど、君と一緒に旅が出来て……本当に楽しかったんだ……)
短くも、濃密だった旅が思い出される。
その記憶の中心にいるのはコロコロと表情を変える
彼女の笑顔が脳裏に蘇り、最後に一粒だけ誰にも気付かれずに頬に涙を流した
(どうか見守ってあげてくれ。君を救ったあの子を……君が『恋』したあの子が紡ぐ物語を……)
自分を呼ぶ
笑い合う彼等を見守るように、一輪の白い花が咲いていた。
『偽りの月』の騒動の解決から二日。
二日も経てば騒ぎも収束するもので、都市は既にいつも通りの日常を取り戻していた。
そのいつも通りの都市に舞い降りる複数の影。
「行きよりも早く帰れたな」
「あそこから漏れ出ていた瘴気が何か悪い影響をもたらしていたのかもしれませんね」
行きと同様に
あの場での事後処理を終えた【ヘルメス・ファミリア】の者達と共に戻ってきた彼等は共に来てくれた竜を労わり、ヘルメスに預け、ホームである廃教会と【ヘファイストス・ファミリア】に戻ろうとしていた。
「……ごめん、先に戻ってて」
そこでベルは立ち止まった。
空を……月を見上げる彼の姿にヘスティア達は軽く目を見開いたが、何も言わずに先に戻るという視線だけを彼に飛ばす。
自分以外の誰一人存在しない静かな市壁の上で月を見ていたベルは何かに想いを馳せるように瞳を閉じた。
「…………?」
どれくらい経っただろうか。
月明かりに照らされていたベルの耳にコツ、コツ、と市壁を歩く音が届く。
こんな時間に自分達以外の誰がここに、と不思議そうにそちらを向いたベルは目を見開いた。
「……ベル?」
「……アイズさん?」
そこにいたのはアイズだった。
驚くベルを見て、彼の元まで歩いてきた彼女は小さく首を傾げる。
「どうして、ここに?」
「……部屋で月を見てたら、竜が飛んでるのが見えたから……」
警鐘が鳴っていない以上、心配はなかったのかもしれないが、目が冴えていたこともあって念の為に異常がないかを確認しに来たと語るアイズ。
自分のせいで彼女に心配をかけてしまったのか、と少し申し訳なさそうに眉を下げるベル。
「……そうでしたか。すみません、心配させてしまって」
「ううん、大丈夫だよ…………何を、してきたの?」
困ったように笑うベルにアイズは躊躇いながらも一歩踏み込んだ。
話してくれないかもしれないが、それでもいい。何となく、彼の口から聞いておかなければいけないと彼女の直感が働いていた。
「…………冒険を、してきました」
「冒険……」
迷うように、言葉を選ぶように、目を細めて語るベル。
それ以上先に踏み込むことはできなかった。それ以上踏み込めば、目の前の少年を傷つける結果になるとその目を見てわかったから。
自分を気遣うような色を宿したアイズの瞳を見たベルは小さく笑い、もう一度空を見上げる。
「何を、見ているの?」
アイズの目には少年の様子はいつもと変わらないように見える。
だが、その身に纏う雰囲気がどこか超然としたもののようにも感じてしまう。
まるで神々が放つ『神威』を纏っているような────
「“約束”を……忘れないように、今度こそ、絶対に守るために…………大切な“約束”を、見つめていました」
「……っ」
超然とした雰囲気を纏い、夜空に浮かぶ月に手を伸ばす少年の姿に少女は奇妙な予感を覚える。
今ここで少年の手を取らなければ、消えてしまいそうな……そんな予感を。
「だめ……」
「えっ……?」
どこか慌てた様子で自分の手を取ったアイズの姿にベルが目を丸くした。
初めは不思議そうに彼女の姿を見ていたベルだったが、彼女の手が不安そうに小さく震えていることに気付くとすぐに表情を変える。
「アイズ、さん?」
「……君を、渡したくない……お父さんや、お母さんみたいに……いなくなってほしくない…………私の、傍に────」
そこまで言いかけたところで、少しだけ強い風が吹いた。
風に遮られた彼女の言葉はそのまま最後まで続くことはなく、そこで止まる。
自分は何を言っているのかと、よくわからない感情に襲われていたアイズが別の言葉を探していると自分の手に少年の右手が重ねられる。
俯いたままだった顔をアイズが上げると、二人の瞳が合った。
「……僕はいなくなったりしません。大切な『約束』がありますから」
不安そうに瞳を揺らす目の前の少女を安心させるように少年は穏やかな笑みを浮かべる。
気づけば、少年の身を包んでいた超然とした雰囲気はどこかへと消えていた。
「……本当に?」
「はい。絶対に、いなくなったりなんかしません」
……冒険者である以上、絶対はない。
それがわからない二人ではなかった。
だが、それでもベルは彼女と絶対の約束を交わす。
そして、アイズはそれを受け止め、彼の言葉を信じる。
「……ん、ありがとう」
少女の震えが止まる。
握っていた少年の手を静かに離した彼女の口元には微笑みが浮かんでいた。
「……そろそろ僕は帰りますね。良かったら、途中まで一緒に行きませんか?」
「いいよ……帰ろっか」
少年の誘いに乗って、少女はその隣に並び、共に歩く。
別れるまで二人に会話はなかったが、柔らかな風に吹かれるその横顔はどこか穏やかだった。
そんな二人を……『
この話を以て、この章を終幕とさせていただきます。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
感想への返信が出来ていない現状なのですが、いつもしっかりと読まさせていただいております。
いつも感想をくださる方、そしてこの作品を評価して頂ける皆様方には感謝の念に堪えません。
次回より新たな章が始まりますが、皆様がお楽しみいただけますように努力していきますのでどうかこれからもよろしくお願いいたします。
活動報告に今後の投稿間隔についての報告をしています。
時間がある時に目を通して頂けると幸いです。