「…………」
臨時の
ヘスティアの元へと直接赴き、彼女の話を聞いたヘファイストスは北西の支店の一つの中に存在する執務室で、ある青年が打った作品である短剣を見下ろしていた。
当時のその青年の腕はまだまだ未熟で粗もあった。しかし、
何故そのような武器を取り出し、静かに見つめていたのか。
「……入りなさい」
「────失礼します」
その理由は、一つの予感があったからである。
執務室の扉がノックされる。
短剣をしまったヘファイストスが扉の前にいる者に促すと、開けられた扉から黒い着流しを纏う青年、ヴェルフが現れた。
「何の用?」
その言葉に答えず、自分の元へと静かに歩み寄ってくる彼の表情を見て、自分が感じた予感はあっていたとヘファイストスは静かに悟る。
執務机を挟み、ヴェルフは彼女の前で跪いた。
「お別れを告げに来ました……【ヘスティア・ファミリア】の元へと行かせてください」
瞳を閉じ、彼は主神である彼女にそう告げる。
それは懇願ではなくもはや何者であろうと覆すことの出来ない固い意志から来るもの。
自分の言葉を待つ彼にヘファイストスは尋ねる。
「そんな勝手な真似を、私が許すとでも?」
「自分が敬愛する女神は、ここで出ていかなければきっと叱りつけてくるでしょう」
すかさず、ヴェルフが答える。
表情を変えずヘファイストスはさらに問う。
「血筋にまつわる全てを見返して、『魔剣』を超える武器を作りたいのではなかったの?」
「鎚と鉄、そして燃え滾る
淀みなく、自らの意志を示してみせたヴェルフに口の前で組んだ両手の裏でヘファイストスが微かに唇を曲げる。
「貴方をそうまでも駆り立てるものは、一体なに?」
既に答えがわかりきっている最後の問い。
それにヴェルフは顔を上げ、笑った。
「『友』のため」
断言されたその言葉にヘファイストスは組んでいた両手を解き、そして笑みをこぼした。
「いいわ、許しましょう」
ヘファイストスは座っていた机に備え付けてある棚を開き、一本の
取り出されたのは彼女の髪、そして瞳と同じ色をした紅の
自分の行動を見透かしていたかのようなその用意の良さに目を丸くしているヴェルフの元まで歩むとその槌を彼の眼前に差し出した。
「餞別よ。持っていきなさい」
「……さて、あの子の元へと向かうということだけど、今のあの子がそれを受け入れてくれるかしら。生半可な言葉や行動だと、拒否されるだけよ」
「それは……行ってみないとわからないですね。ただ、向こうも勝手にやってやがるんだ。俺達だって勝手にやって、守られるだけじゃないってことを教えてやります」
最大の懸念点を指摘されてもヴェルフは少し楽しそうに笑っていた。
無用な心配だったか、と苦笑したヘファイストスは笑みを消したヴェルフと向かい合う。
「……お世話になりました」
最後にヴェルフは深い礼を一つ取った。
それを最後に青年が黒い着流しを揺らし、背を向ける。
ヴェルフは迷いない足取りで崇敬する女神に見守られながら、この場を去っていった。
「
狭い街路に面して建てられた古ぼけた集合住宅。
そこを
悩みの内容は当然
「形式は『攻城戦』。誰の目から見てもヘスティアが不利……援軍を派遣してやりたいが……」
より細かく言えば、【ヘスティア・ファミリア】に援軍として誰かを
交友関係があるとはいえ、同盟派閥でもない【ヘスティア・ファミリア】を救いたいというのは現状ではタケミカヅチのただの私情でしかない。
悪い言い方をすると神の我儘に眷属を巻き込むことになる今回のこの悩みにタケミカヅチは非常に懊悩していた。
「団長である桜花を除けば、対【アポロン・ファミリア】で戦力になるのは命ただ一人……だが、あいつが他の【ファミリア】に行くとは思えん……!」
自分の眷属達の中で最も【ファミリア】を愛しているといっても過言ではない命。
それに加え、非常に義理堅い性分である彼女が主神の願いとはいえ、結果的に【タケミカヅチ・ファミリア】を裏切ることになる真似をするイメージが全く湧かない。
「無理に説得したところで……それに今回のアポロンは何かがおかしい……そんな神の眷属とあいつが戦うことになるのは……いやしかしヘスティア達が……ぐぉおおおおおおお…………!?」
主神としての自分と友としての自分が頭の中を交差する。
部屋の中央に座り込み、頭を抱えて苦悩していると、そこへ扉が叩く音が響いた。
「タケミカヅチ様、命です。入ってもよろしいでしょうか?」
悩みの中心にいる命の訪問にタケミカヅチは肩を跳ねさせる。
しかし、彼女の声から伝わる何かの意志に気付くと、彼は咳ばらいを一つ入れ、居住まいを正すと彼女の声に了承の言葉を返した。
「失礼します」
部屋に入り、扉を閉め、一礼。
顔を上げた命の瞳に宿る光を見て、タケミカヅチは気付かれないように瞠目した。
タケミカヅチが座布団を用意し、自分の前に座るように促すと彼女はそれに従って彼の前で静かに腰を下ろす。
「…………」
「……さて、何の用だ?」
美しい正座の姿勢を保ち、自分を見つめてくる命の瞳を見つめ返す。
次の瞬間、彼女は土下座をした。
「申し訳ありません、タケミカヅチ様。自分の我儘をどうか聞いていただきたい」
正座の姿勢から頭を下げ、両手を床につく命の姿に狼狽えそうになる自分自身を抑え、タケミカヅチはその我儘の内容を促す。
彼女は促されるまま、言葉の続きを口にした。
「自分を、ベル殿達の元へと行かせてください」
「……!」
「自分は、死地に追いやった彼等に何も返せていません。今こそ、あの日の彼等に報いるその時だと……そう判断しました」
真摯に言葉を紡ぎながらも震えている両手が彼女の覚悟を伝えてきている。
その覚悟を示された時点で先ほどまであった迷いは消え去り、既に主神である彼の中で答えは決まった。
しかし、男神は首を縦には振らなかった。
「駄目だ」
「……っ!」
「命、何故ベル・クラネルが一人で戦うことを決めたかわかるか? 何故あいつを誰よりも大事に思っているヘスティアが俺達に頼ることもせずに一人で戦うことを黙認したと思うかわかるか?」
二人が思い出すのは先日の『青の薬舗』での一幕。
「今回の
そこで一度言葉を切ったタケミカヅチは彼のパーティメンバーであるヴェルフとリリを無理矢理にでも遠ざけようとしていた少年の顔を思い浮かべる。
「直接奴らに狙われ、襲われたあいつらがこれだけの不利な状況を変えようともせずに一人で戦うことを選び、それを容認した。俺達があいつの味方に付くことで俺達が狙われることを防ぎたかったんだと俺は考えている」
「…………」
「今回、あいつに協力したというだけでこの先の未来で誰かに命を狙われることもあるかもしれない…………それでもお前はあいつらの力になりたいと、そう言えるのか?」
主神として、もう一度その覚悟を問う。
この話を聞いて少しでも揺らぐようであれば、彼は彼女の意志を通す気はなかった。
ゆっくりと命が顔を上げる。青紫色の美しい瞳がタケミカヅチを射抜く。
その瞳に宿る光は僅かたりとも曇っていなかった。
「無論です。どれほど危険であろうと、この選択の先に何が待ち受けていようと、ここで動くことが出来ない自分に価値などありません」
そう言い切った彼女にタケミカヅチはもう一度静かに瞠目した。
膝に置いていた手を強く握る彼女はそれに気付かず、言葉を続ける。
「あの日、自分は自らの弱さから彼等を死地に追いやり、そして見捨てました。自分は、今度こそ彼等を見捨てたくありません! この手が届くというのなら……いいえ、届かないのだとしても、自分は彼等の力になりたい!」
だから、と。
彼女はもう一度、頭を下げ、両手を地面についた。
「どうか、ベル殿達のもとに行かせてください!」
主神に問われても覚悟が揺るぐことがなかった少女。
あの青年と同様にその意志は固く、誰に何を言われようと決して揺らぐことはない。
「…………一年か」
「ッ!!」
その呟きに命が勢いよく顔を上げると、彼女の視線の先でタケミカヅチが微笑んでいた。
主神の言外の意味をその呟きと微笑みから受け取った命は深々とその場で頭を下げる。
(要らん心配だったか……だが、その覚悟は確と受け取ったぞ、命)
目の前の少女が【タケミカヅチ・ファミリア】のエンブレムを外す。
それを男神が大事に受け取ると、彼は快活に笑った。
「輝夜がなんて言うのか楽しみだな」
「師であれば、ここでベル殿達のために動いていなければ叱責の一つや二つや三つはあると思いますが……」
自分の【ファミリア】に師として来てくれる輝夜の反応を楽しむように笑っているタケミカヅチに命は今までの経験を考えた上で苦笑を返した。
「まあ、急がば回れってな。ヘスティア達のもとで俺のところにはない色々なことを学んで、また戻ってこい」
「はい!」
「……まずは一人で戦うことを決めたベル・クラネルの説得からになるが、どうするつもりだ?」
腕を組んで考え込むような素振りを見せるタケミカヅチ。
そんな彼の姿を見て、命は悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
「ベル殿が勝手にやると言ったように、自分もまずは勝手にやらせていただきます! ヴェルフ殿やリリ殿もきっとそうするはずですから!」
「……ははっ、そうかそうか!」
初めて見る眷属のそんな笑みに呆気にとられながら、返ってきた言葉に破顔していると、タケミカヅチの前で命が跪き、拳と掌を合わせる。
命は敬愛する男神の声に背中を押され、この場を去っていった。
コンコンと、一人の少女がとある【ファミリア】の
ややあって、白い館の玄関が開かれると、扉を叩いた少女を柔らかな雰囲気を纏う一柱の女神が笑みを浮かべて迎え入れた。
彼女に案内され、館の団欒室に通されると少女の訪問を予想していたのか彼女の訪問の目的である
「よっ、待ってたぜ」
ずる賢そうな笑みを浮かべる
彼女達が知り合ったのは『神と子の宴』。そこで意気投合した彼女達は勢いのままに一つの約束をしていたのだ。
「それで、何を聞きたいんだ? 宴の雰囲気に流された迂闊も迂闊な約束だったが、何か一つだけちゃーんと教えてやるよ」
機会があれば何か一つだけ指導してやる、という【ファミリア】の関係を考えれば滅多にありえないそんな約束。
互いの派閥の団長、主神同士が知り合いだとしても非常に珍しい光景だと言えるだろう。
「……えっと……何を聞けばいいのか……」
「おいおい、何を聞くのかも考えずにここに来たのかよ? まあ、お前らの
既にライラも主神であるアストレアから
加えて、【ヘスティア・ファミリア】の誰かが会いに来たのなら力になってほしいとも伝えられていた。
リリとの約束、そしてアストレアの願いということもあり、なるべく真摯に付き合おうとライラは考えていたが、リリは何やら迷いを見せている。
「あー……あのガキがお前らに何か言ったのか? 例えば……一人で戦うとか」
「!!」
「うっそだろ、合ってんのかよ!」
まあ違うだろ、と気楽に放ったその言葉に過剰なまでの反応を見せたリリにライラも同じような反応で驚愕を露わにする。
(こいつが戦力という観点で言えば論外だとして……条件があるとはいえ助っ人も要請してないのか。伝手が無くてもヘルメス様辺りに頼めば斡旋してくれそうな気もするが…………)
【ヘスティア・ファミリア】と【アポロン・ファミリア】の戦力差は非常に大きい。
現在は
それを考えると一人で足手まといを背負うことなく戦うことが数少ない勝ち筋を手繰り寄せる上で最も確率が高い戦法なのかもしれない。
(助っ人の条件は確か
冷静に今回の
両目が見えていないとは思えないほどに正確に額の中心を打たれた彼女は額を押さえ、全力で悶絶し、悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべるライラを涙目になりながら睨みつけていた。
「思い詰めたって何も始まりはしねえよ。大丈夫だ、お前に出来ることはある」
「っ、何を、リリに何が出来ますか!?」
痛みを忘れ、身を乗り出すリリに彼女はもう一度ニッと笑うと出した答えを口にした。
「撹乱……そして『指揮』だ」
「……指揮、ですか?」
身を乗り出していたリリが瞠目する。
言っている意味が分からないと徐々に怪訝な顔になる彼女の額を今度は押すだけに留め、
「撹乱はともかく……指揮は無理じゃないでしょうか。いえ、リリ自身の問題ではなく、その……指揮下に入る人がいません。リリの【ファミリア】はベル様とリリの二人しか眷属がいませんから」
「本当にそうか? お前の中で今回の
その指摘にリリは言葉に詰まる。
ライラの言う通り、協力してくれるかもしれない者は彼女の中に存在していた。
しかし、あくまで協力してくれる“かもしれない”。共に戦ってくれると断言できない以上、その者達を頭数に入れるわけにはいかない。
「活かすことが出来ない可能性が高いものよりも少しでもベル様のお役に立てる他のものはないんでしょうか……?」
「ないな、それだけは断言してやる。今回すぐにあいつの力になりたいなら、これしかない。他は可能性はゼロ。『指揮』だってゼロになるかもしれないが、これだけはあいつの役に立つ可能性が出てくる」
戦闘や道具の扱い方を学ばせて戦力として使えるようにするよりも、戦闘は他に任せて仲間を手足のように扱う指揮官としての基礎とある程度の応用を短期間で叩き込む。
それがライラが出した結論だった。
「はっきり言うがLv.1の
ライラは容赦なくリリが選ぶことが出来る選択肢を潰し、一つの選択へと誘導する。
彼女がもっと強ければ、あるいはもっと時間があれば他の選択肢を提示することもできたかもしれないが、その二つの条件はどちらも満たされていない。
ややあって、黙り込んでいたリリの栗色の瞳に決意の光が宿った。
「わかりました。ライラ様、どうかリリに指揮の仕方を教えてください!」
「よしきた。と言ってもアタシは純粋な指揮官だったわけじゃない。教えられても基礎と少しの応用ぐらいだ。だからアタシのやり方は真似るな。真似するなら…………」
リリに請われたライラは手始めに前提としての話を始めると、団欒室に備え付けてある本棚から一冊の本を取り出して、リリの目の前の机に広げる。
その本は市販のモノではなく、ライラ自身が様々な事柄を書き記した特別な本。
開かれたページに書かれていたのは────
「一族の勇者様、フィン・ディムナだ」
「フィン……【
そのページに書かれているのはライラがフィンから学んだ……もとい盗んだ知識。
指揮の知識を学ぶにはこれ以上にない特別な一冊。それを置いてリリの隣に座ったライラが真剣な表情で話し始める。
「いいか、アーデ。知識は武器だ。情報は御馳走。邪道だろうがくだらねー雑学だろうが、学んで覚えたものはお前の、ひいては大事に思う奴らの助けになる。だから何でも覚えて何でも使え」
何でも覚えて何でも使え。
先達の
「耳から血を流すくらいに頭を使うんだ。装備や
リリは無言で、真剣にライラの話を一言一句たりとも逃さぬように聞いていた。
その雰囲気を感じ取ったのか彼女の表情が少し和らぐ。
「お前はアタシと同種かそれに近い
まるで誰かを思い出しているかのようにおふざけを交えながら真剣に、優しく。
まるでしたたかな姉が未熟な妹に教えるように。
「余計な知識はお前の時間を奪って悩ませることもあるかもしれないが、無知よりはマシだ。絶対にマシだ。知らなければ何も出来ないが知っていれば何かが出来るかもしれない。いいか、どんな知識も『知恵』に変えろ」
「知識を、『知恵』に……」
「そうすれば、お前は自分以外の誰かを助けられるようになる。自分に力がなくても、な」
そこでライラは話を止め、右手で黒い布で覆われた自身の両目に触れる。
神妙な空気を纏い出したライラに戸惑っていたリリだったが、すぐに彼女は悪戯っ子のような笑みを浮かべて続きを話し始めた。
「関係ないことも話しちまったが、要はどんな時でも頭を使えってことだよ。そうじゃないと死ぬ。アタシらは
「は、はい」
「会ってまだ数日しか経ってないお前に柄にもなく色々と話してやって、特別な一冊を見せてやったんだから、負けたらアタシ手製の飴玉舐めさせてやるよ。Lv.1が舐めたら一日麻痺するやつ」
先ほどまでの真剣な様子とは打って変わり、リリの反応を見て楽しそうに笑うライラ。
時々ふざけながら、しかし後進の少女が自身が教える知識を『知恵』に変えることが出来るように真剣に話を続けた。
(味方になってくれる可能性があるのは一人、もしくは二人か。二人が来てくれてかつ両方がLv.2かLv.3だとしても心許ないな。撹乱と指揮の方法に加えてアタシなりの作戦の立て方も教えておくか……アストレア様が言った通りヘルメス様が【ヘスティア・ファミリア】の味方なら…………)
出された助っ人の条件とヘルメスが動くという確信に近い予想。
そこにリリから伝えられた味方になり得る冒険者達の情報を組み合わせ、ライラとリリは話を深めていった。
ヴェルフ、リリ、命の三人がそれぞれの行動でベルの味方になるという道を選んだ。
その中心にいるベルはというと…………
「あああああああああああああああああああああああああああッ!!」
「…………」
全身を傷だらけにして一人の男と死合っていた。
血の混じる唾を吐きながら少年は男に挑んでは数合の後に弾き飛ばされる。
大きな隙を晒し、地面を転がっていく少年に男は追撃をせず、立ち上がるのを待つ。
「ふっ……ふぅ……ッ!」
汗と血に濡れて目元に張り付く前髪を鬱陶しそうに払い、少年は立ち上がる。
鍛錬をつけると言った男、オッタルが選んだのはひたすらの実戦。
弾かれた際、どれだけの隙を晒しても追撃が加えられることはないが、もしも打ち合っている最中にわずかでも下手な隙を晒すことがあれば容赦なく刈り取られる。
殴りつけられるだけでも少年にとって致命的な一撃になることに変わりないが、彼が武器の腹で殴りつけるだけで済ませていなければ、少年の胴は何度両断されていたかわからない。
「……速さに頼り過ぎた。一撃が軽すぎる」
「……っ」
オッタルは意外にもベルの動きに対する指摘を交える『教導』も行っていた。
基本は剣を打ち合い続ける酷烈な実戦形式。己との戦いの中で全てを盗み、学べとばかりに行われる剣と剣の打ち合い。
その中で時々ではあるが、端的かつ的確に放たれる彼の言葉は少年の戦闘の際の無駄を削ぎ落し、『技』と『駆け引き』を確かに成長させていた。
「速さを活かそうとするばかり、一撃が疎かになっている。同じLvならばそれでいいが、格上を相手取った時にそれは通じはしない」
オッタルの言葉を胸に刻み込み、もう一度剣を構え、前に踏み出すベル。
しかし、その足がガクンと沈んだ。飛び出した勢いのまま転び、地面を転がった少年を一瞥したオッタルは大剣を地面に突き刺し、背負ってきた荷物を置いていた壁際に寄る。
「少し休め。その体では満足な鍛錬も出来んだろう」
そう言うと地面に座り込んだベルに水の入った水筒を投げ渡す。水筒と壁に寄りかかり、瞳を閉じるオッタルを交互に見たベルは恐る恐る水を口に含んだ。
先ほどまで轟音が響き続けていたとは思えないほどの静寂に包まれる中、ベルはオッタルのことをじっと見つめる。
「ベル・クラネル」
「は、はい!」
名を呼ばれ、無遠慮に見過ぎたかと慌てたベルは何故か居住まいを正してオッタルを見る。
錆色の瞳が開かれるとその瞳はベルのみを静かに見つめていた。
「何故お前は一人で戦うことを選んだ」
そして、少年の心の内を問いかける。
鍛錬の中で初めて問われた戦闘以外の問いにベルは目を瞬かせ、初めの言葉通り自分に興味を示しているオッタルを見つめ返した。
「……【アポロン・ファミリア】との……いえ、今回の戦いがすごく危険だと思ったからです」
「…………」
続けろ、と【猛者】の瞳が促す。
「『
リリ達との別れ際に告げた嫌な気配。
それに限りなく近いものをその身をもって経験しているベルはその気配を持つ者を彼女達に近付けたくなかった。
「あれは駄目だ。あれを、あれに似た人とみんなを戦わせるわけにはいかない。あんな奴と戦えば、取り返しのつかないことになる……!」
リリが狙われていることは知っている。彼女は殺されるまではいかないだろう。
だが、他の者は違う。彼が協力を求め、彼と共に戦うことを決めた彼と彼女以外の他の者の場合はそうはいかない。
戦場に出れば、ほぼ確実に重傷を負わされる。最悪の場合、その命を落とすだろう。
たとえ
「きっとみんなは助けを求めたら僕のことを助けてくれる。どんなにひどい目に遭うとわかっていても…………けど、そんな目に遭うのは僕だけでいい」
少年の脳裏に蘇る偽りの雪原、そこに立つ自分を
いつの間にかその男はローブを纏った男の姿に入れ替わる。
あの二人が同種の存在だと、彼の生存本能が告げていた。
「それがお前の考えか」
ベルが無言で頷く。
オッタルはその立ち姿にあの見透かすような瞳を向けていた。
「迷いが見える。一部分、お前はその考えが正しくないと思っているな」
「……!?」
「どのような考えであれ、迷いがないのなら口は出さまいと決めていたが……迷いがあるというのなら────」
その言葉を最後にオッタルは雰囲気を一変させる。
地面に突き刺した大剣を引き抜き、この鍛錬が始まってから初めて自ら攻撃を仕掛けた。
目を見張るベルは加減されてもなお強力な一撃を二振りの剣を交差させることで受け止める。
「ぐっ……!」
「ここで潰えろ」
受け止めることに全力を使っているベルの姿にオッタルは目を細め、前蹴りを腹部に入れた。
大槌で殴り飛ばされたような感覚と共に吹き飛び、地面に反吐を撒き散らしたベルは悠然と歩み寄ってくる『最強』の影に勢いよく顔を上げる。
「かつて、
ベルに大剣を突きつけ、オッタルは脈絡もなく静かに語り出す。
「ベル・クラネル。お前と剣を交えてわかったが、お前はそうではない。どんな状況でも他者を顧みてしまう今のお前は一人で戦う『怪物』になることはできん」
「……!」
「お前の本質はそこにはない。それだけは断言しておこう」
オッタルの言葉は正しい……少なくとも間違いではないとベル自身もわかってしまった。
一人で戦うことを選んでから芽生えていた胸の奥にある違和感のようなものが消えていくような感覚があったからだ。
「僕は……」
しかし、だからといってすぐに彼女達に協力を求める……ということにはならない。
『怪物』になれずとも彼女達を巻き込まずに勝利できる可能性があるのなら、それを追い求める気持ちが彼の中にある。
「迷いがあろうとも最後にお前がそう決めたというのなら俺は何も言う資格はない」
突き付けていた大剣を下ろし、オッタルは間合いを開く。
開けた間合いにベルも立ち上がりはしたが、その表情は浮かない。
オッタルの言葉を受け、彼の中で明確な迷いが生じていた。
このまま一人で戦うのか、仲間に助けてもらうのか。
「今、何かを言うとすれば…………迷う者は弱く、迷いは己の命を奪うということだ」
生まれたその迷いをオッタルは許さなかった。
あえて轟音を響かせた踏み込みにはっと顔を上げたベルが剣を構えるが、それよりも速くオッタルの左腕が薙ぎ払われる。
壁がなければ際限なく転がっていきそうな勢いで吹き飛ばされていったベルは崩れた壁の中で頭を振った。
「どれだけ迷おうと今のお前と俺がやることは変わらん。続きだ、立て」
迷いを生み出す問答をしておきながら次は剣を叩き込むと大剣を肩に担ぐオッタル。
瓦礫の中でそれを見たベルは奥歯を噛み締め、雷をその身に纏う。
ダンジョン内に雷鳴が轟き、その身を雷の矢と化した少年が剣を振り抜いた。
「それでいい」
それを容易く受け止め、弾き返したオッタルは遠方で着地したベルの表情に目を細めた。
そこに迷いはなく、一人の冒険者としての顔がある。今だけは迷いを忘れ、自らの力を高めようと鬼気迫る少年に心の奥底で燻る彼の迷いを看破した『最強』が迎え撃った。
ここまで見ていただきありがとうございました。
投稿間隔が二週間となってからしばらく経ちましたがまだしばらくは二週間の間隔が続きます。
予定より間隔を戻すのが遅れて大変申し訳ありません。