「ヒュアキントス……!?」
『神の鏡』に映り出される光景にアポロンが強い動揺を見せる。
他の神々は動揺ではなく驚愕を露わにし、その光景に釘付けとなる。
「どういうつもりだ、てめえら!?」
「見ての通りだが? くわしく説明してやらねば碌に理解も出来ないのか?」
ヴェルフ達を痛めつけようとする愉悦は消え、その顔には憤怒が浮かんでいる。
それをヒュアキントスは鼻で笑い、
状況がよくわかっていないのはヴェルフ達も同じ。そんな彼等に一人の少女が近付く。
「こ、こちらに来てください! 治療しますから……」
チラチラとすぐに戦闘が始まらないことを念入りに確認しながら近付いた長髪の少女、カサンドラと彼女と共にいる数名の冒険者がヴェルフ達を担ぎ上げ、戦場から離脱させる。
比較的安全な位置に運び込まれた彼等にカサンドラが『魔法』を発動させた。太陽光に似た輝きがヴェルフ達を包み込むと傷がみるみる塞がっていく……しかし、呪いを帯びた傷口だけは癒えることはなく、血を流し続けていた。
「な、なんですか……これ……」
「おそらく
比較的呪いの傷が少ないリリが治療の光を浴びながら立ち上がり、彼女達の真意を問おうと動揺を見せる彼等にその眼差しを向けた。
その眼差しを一番近くで受けたカサンドラは小さく飛び上がり、言葉を探して理由を説明しようとするが、彼女の声は言葉にはならず、意味不明な言語となる。
「ヒュアキントスの指示だ。奴らに加勢するのではなく、貴様らに加勢するとな」
「何故ですか? このような事をしたのは……あのモンスターを呼び出したのはあの冒険者達と貴方達ですよね。何故、そのモンスターを貴方達が倒すという事態になっているのですか?」
治療と質問への返答を同時に行うカサンドラを見兼ねたエルフの男、リッソスがリリの問いに答えるが、その答えに間髪入れず、責め立てるような声が響く。
その声にリッソスは息を呑み、眦を吊り上げる……しかし、声を荒げることはなく、努めて平静を装ったような声音で彼女の声に応えた。
「確かにあの冒険者達を呼び出したのはアポロン様……【アポロン・ファミリア】だ。だが、あのモンスター達については何も知らない。我々も、何も聞かされていなかったんだ」
「何も……ですか?」
「ああ……事実、あのモンスターによって多くの被害が出た。重傷者はいるが死者が出なかったのが奇跡…………いや、奇跡と言うのはあの男に申し訳が立たんか……」
あの男と言う言葉にリリは小さく目を見開く。
「あの男……ベル・クラネルが死に瀕した我々の仲間を救ってくれたのだと、ヒュアキントスとルアンが語っていた。ヒュアキントスの方は凄まじい表情をしていたが、この借りは今すぐに返さなければいけないとも、な」
リッソスの言葉を最後まで聞き、リリ、そしてヴェルフと命は揃って小さく苦笑を浮かべた。
命の危機だった事に変わりはないが、ベルを信じて送り出した事は間違っていなかったのだと。
形は少し違うが、つい最近ダンジョンの中で起きた事と同じような事が地上でも起きたということが少しだけおかしかった。
「申し訳ありません。そちらの事情はある程度予想は出来ていましたが、少し
「非はこちらにあり、先ほどまで敵対していたのだ。試すのは当然のことだろう」
今のやり取りを以て、この状況における共同戦線が組まれる。
既にほぼ全ての力を使い果たした二人は身体の治療を終えた今でも
「てめえに、なんで俺が押されてやがるッ!?」
激しく打ち合う長剣と大剣。
本来であればほぼ全てにおいて大男はヒュアキントスの上を行っている。
顕著なのは【ステイタス】。Lv.4になったばかりのヒュアキントスとLv.4になってしばらく経つ大男とでは『慣れ』も含めて大きな差がある筈だった。
「おおおおおおおおおおっ!!」
しかし、押しているのはヒュアキントス。
力も、速さも、技も、大男の上を行っている。
捌き切れなかった長剣の斬撃が胸に傷を刻む中、男は周囲を見た。
(まだ、同じLvのこいつと俺ならかろうじてわかるっ! だが……だがッ!?)
「なんで他の連中まで、あんな奴らに押されてやがるっ!?」
この場にいる男の仲間は全員がLv.3以上。少ないがLv.4だっている。
その全てが高くてもLv.3が少数存在するのみの【アポロン・ファミリア】に押されていた。
数の利が向こうにあるとはいえ拮抗するのではなく、ほぼ一方的にである。
「そんなこともわからんのか、随分とめでたい頭をしているんだな!」
「ッてめえ!?」
ヒュアキントスの挑発に男は遮二無二に大剣を振るう。秘められた威力は決して馬鹿には出来ない。だが速度はない。
体を逸らし、大剣を空振らせたヒュアキントスの体がブレる。返す刀で迫る大剣が振り抜かれるより早く、
「はぁ!?」
「チッ!」
驚愕する男をよそに両断の代償に砕けた愛剣の姿に舌を鳴らすヒュアキントス。
懐に備えていた短剣を引き抜き、動きを止めた男に肉薄。
「どんなからくりだ……何が起きてやがる……!」
「はっ、私達には何も起きてはいない。何かが起きたのは、起こされたのは貴様らの方だ!」
加速する短剣をかわしながら尽きない疑問を投げかける大男にヒュアキントスが答える。
「どれだけ奴らに拘束されていた? どれだけ奴らの攻撃を受けた? 受けた攻撃の数が少なくともその質はどうだ?」
その言葉に、思い出したかのように男の体に激しい痛みが走る。
重圧、炎、氷、雷。そのどれもが生半可な物ではなく超強力な代物。
興奮状態では気付かなかったそれぞれの傷がようやく気付いたのかとばかりに存在を主張し、嘲笑うように体から力を奪っていく。
「なぜあの男が来る前に奴らを戦闘不能にしなかった? 奴らを雑魚だと侮り、なりふり構わずに終わらせなかった貴様らの慢心がこの状況を生んだのだ!」
短剣を囮としたヒュアキントスの拳が振り抜かれる。
普段であれば回避など容易なその一撃。しかし、ヴェルフ達が足掻き、その身に刻み付けた傷が男の時を奪った。
「がぁッ!?」
放たれた拳が男の頬にめり込み、吹き飛ばす。
殴り飛ばされ、地面を跳ねる男。ほぼ同時に周囲で戦っていた男の仲間も倒れていった。
「ヒュアキントス!」
「リッソス。そっちはどうだ」
「少なくとも今は皆、勝利した。あのモンスターによる重傷者はいるが、この戦闘では軽傷を負った者しかいない」
負傷し、どういうわけかステイタスも下がっていた敵対者達とはいえ、Lv.3や4を相手取ったことによる疲弊は大きく、Lv.2以下の団員達は軒並み膝をつき、倒れ込んでいる者もいた。
しばらく戦えないであろう団員達の姿を見遣り、すぐにひとまず撃退した大男達の方を睨み付ける。半ば動きがないことを祈るような雰囲気を醸し出すヒュアキントス達。
「あーあーあーあー……やってくれたなオイ」
そんな彼等の前に
途端、ヒュアキントス達の空気が一変。即座に魔法の詠唱を開始する。
「許すと思うか?」
しかし、その男の姿がかき消えると共に前に立っていたヒュアキントスとリッソスがまとめて薙ぎ払われ、後方に控えていたヴェルフ達の元まで吹き飛んでいく。
詠唱を潰すと同時にLv.3であるリッソスの意識を刈り取った事実にヒュアキントスの顔が苦渋に歪んだ。
「俺の目的は……まあ、ある程度は達成できたが、これだけ好き勝手にやられちまったのは非常に腹立たしい。あいつが来るまで憂さ晴らしに付き合ってもらうぜ」
担いだ朱槍で自身の肩をトントンと叩きながら、男はゆっくりと歩を進める。
食人花が出現してからは傍観していたLv.5を相手取れるのはこの場ではかろうじてヒュアキントスのみ。他の者では瞬く間に蹴散らされてしまう。
そんな状況下でヒュアキントスの隣に歩み寄る一つの影。
「……下がっていろ。とうに限界なのだろう」
「うるせえ……敵だったお前だけに任せてられるかよ……それに、まだ俺の相棒が戦ってる。なのにこれ以上寝ててたまるか……!」
治療されたとはいえ焼けた喉や身体がまだ痛むのか顔に脂汗を浮かべながら大剣を担ぐヴェルフが彼の少し後ろに立つ。
食人花との戦いで陥った
それを理解したヒュアキントスは彼が放てる一発限りの必殺を当てる。己の役割をそれだけに限定し、短剣を構えた。
「うぜえなぁ……俺に勝てると思ってんのかよ」
目の前の男から殺意が溢れ出す。
一つ間違えれば終わりの戦いが始まる……正にその時。
「行くぜ────」
天高く、鐘の音が鳴り響いた。
その光景に神々は瞠目し、見逃すわけにはいかないと立ち上がり、視線を注ぐ。
「……何故だ」
その中で信じられない、信じたくないという内心を表すように震える唇をアポロンが開く。
頭痛も発生しているのか頭を押さえているが、その手もまた震えている。
「何故なんだ……あれは……あの光は……!」
他の神々は、アポロンは、そしてヘスティアは……その光と同じものを知っていた。
ともすればもう同じ光を目にすることはないとすら思っていた白き光。
「アルテミス……!」
その光が今、鐘の音と共に顕現する。
────魔法を、撃つつもりだった。
リューさんがいるなら
ヴェルフ達は大丈夫だと聞いても不安を拭えなかったから、今撃てる最大の一撃で確実に終わらせて向こうに向かうつもりだった。
『────』
だけど、誰かの声が聞こえた気がした。
次の瞬間、僕は触手に弾き飛ばされていた。
「クラネルさん!?」
リューさんの驚いたような声が聞こえる。
傍から見たら攻撃を防ぎきれなかったように映ったのかもしれない。
けど、大丈夫。あえて飛ばされることを選んだだけだから。
リューさんから引き離された事で苛烈さを増していく触手の攻撃。
吹き飛ばされる事を織り込み済みだった僕はすぐに体勢を整え、それらをかわしながら、
あと少しで
だけど、それと同時に放つ筈だった魔法の詠唱は終わるどころか始まってすらいない。
(────四分)
あれだけの戦いがあったというのにまだ四分しか経っていないことに少し驚く。
だけど、最後まで
鐘の音が鳴り響く。大鐘楼のような荘厳な音ではないけど、天高く綺麗な音色が鳴り響く。
それと同時に対抗するように極彩色の怪物が凄まじい
リューさんに向いていた攻撃の矛先の全てまで総動員し、鐘の音と光を消し去るために触手の嵐が迫りくる。その奥で腐食液を溜める姿も見えた。
しかし、距離が開いた。猶予を生み出せた。
極彩色の怪物に対して僕は半身で構え、光が集まる左手を突き出す。
(魔法の詠唱はもう間に合わない。今の僕にダンジョンで最後にあの人が見せてくれた
突き出した左手が熱を孕み、白い光に混ざって火の粉が散る。
黒剣を握る右手に左手に集まっていた白い光粒が移り始める。
光を乗せて炎雷を放て、剣を振り抜け、と。
目の前に迫る触手と腐食液を溜める極彩色の怪物の姿に本能が叫ぶ。
それを押し殺し、剣を地面に突き立て、右手に移ろうとする光を左手に戻す。
まるで凝縮されたかのように緩慢に進む時の中、僕は温かい手に触れられるような感触が生まれた左手を強く握りしめた。
「力を、貸してください」
その声に呼応するように、握り締めた左手の光が形を持つ。
幾多の
鐘音を鳴らす光粒が光の弓が生み出す光と混ざり合い、矢となる。
左手の中に生まれた弓矢が光の弦を張る。僕は迷うことなく、それを引いた。
「…………ッ!」
リューさんは既に射線から外れている。
射線上にはもう敵しかいない。
思い浮かべるのは、アルテミス様の弓。
あの日、不安定な竜の背の上から正確無比に複数の黒蠍を討った神様の技。
あの日の再現なんて大それた真似は出来ない。
だからただ一射のみ。確実に敵を穿つ一矢をここで放つ。
正しい構えへと導くように光の弓矢が両手に熱を伝え、その熱が光へと変わった次の瞬間。
凝縮された時が解放された。
「……!」
迫る触手、放たれる腐食液。
目を限界まで見開き、無音の気合と共に僕は矢を放った。
音はなく、青白い光が軌跡を描いて矢は突き進む。
射線に存在する触手の全てを跡形もなく消滅させ、腐食液の
それすらも一瞬の拮抗もなく消し飛ばした矢は極彩色の怪物に迫り、飲み込んだ。
『────────────────────────』
極彩色の怪物の悲鳴と共に魔石どころか存在そのものを消滅させた光の矢は最後の足掻きすらも許さず、天高く光の柱を突き立て、やがて霧散していった。
後に残ったのはかろうじて矢が当たらなかったことで灰という形でこの世に残ることが出来た怪物の遺灰だけ。新たな敵が地面を突き破る気配はない。
「…………倒、した?」
それを意識した瞬間、身体からごっそり力が抜けていくのを感じた。
痛みはなく、
「月……」
転がって見上げた空は曇っていたけど、その中で割れた雲の隙間から月が顔を見せている。
宙に漂う光の残滓が月の元へ向かう不思議な光景に僕は空へ手を伸ばしていた。
「……ありがとうございます、アルテミス様」
伸ばした右手を握り締める。
きっと、こんな僕に力を貸してくれたあの人への感謝を噛み締めるように呟く。
だけど、感傷は一旦そこまで。
「っ……ぐぅ……!」
まだ全てが終わったわけじゃない。
あと一人、本来なら最大の脅威だったあの人が残っている。
全く言う事を利かない体に力を込める。
それだけで残っていた体力だけじゃなくて
「クラネルさん!」
倒れ込む、その寸前で飛んできてくれたリューさんが僕を受け止めてくれる。
おかげで地面と口づけをすることはなかったけど、どうにも体が動きそうにない。
エルフであるリューさんに触れさせてしまった事を申し訳なく思いながらなんとか顔だけは向けると、彼女は優しく微笑んでいた。
「大事には至りませんね……少し休めば体も動くようになる筈です」
「リューさん……」
「お見事でした、クラネルさん。貴方がいなければ間違いなくあのモンスターによって犠牲が出ていました」
嘘偽りのない賞賛を向けられて少し照れる。
でも、今はそんな場合じゃない。微笑みを浮かべるリューさんに一つ頼みごとをする。
「リューさん……僕をリリ達のところに連れて行ってくれませんか? まだもう一人、危ない敵が残っているんです……!」
「そんな身体では無茶です。代わりに私が行きますからクラネルさんはここで回復を…………いえ、置いて行ったら這ってでも向かうという目をしていますね」
そんな目をしてたつもりは……でも置いていかれたらそんなことをしないとは言い切れない。
微笑みを苦笑に変えたリューさんに担がれる形でリリ達の元へと急ぐ。
ただ、急ぐ必要はなかったかもしれない。
僕達が着いた時には、もう全てが終わっていたから。
「みんな!」
瓦礫に寄りかかる形で座り込んでいる三人の元へ。
僕の声が聞こえたのか、神妙な顔をしていたみんなは勢いよくその顔を上げて僕達に振り向き、揃ってその目を見開いた。
「ベル様っ!!」
まず真っ先にリリが勢いよく抱き着いてきた。
男として情けない限りだけど、受け止めることが出来ずに押し倒される……なんてことはなく、降ろした後も肩を貸してくれていたリューさんがまた僕の体を支えてくれていた。
彼女に今日何度目かの礼をしているとヴェルフと命さんが近付いてくる。
「勝ったんだな、ベル」
「ここからは見ることしかできませんでしたが、ベル殿が戦っていたモンスターの強さはひしひしと伝わって来ていました。本当に素晴らしい勝利です、ベル殿!」
「みんなも無事で良かった…………無事?」
抱きしめてくるリリ、笑みを浮かべているヴェルフと命さん。
傷はあれど、命に別状はなさそうな三人にほっとするのも束の間、それがおかしいということに気付く。
「あの傷が……ない?」
傷の深さなんて関係なく、放っておけば必ず死んでしまうその傷が三人の体にあることは戦闘中に確認できている。
確認できている……筈、なんだけど…………。
「…………??」
みんなの体をどこを見ても血が流れ続けている傷はなく、治り切っていない傷はあれどそれももう一度治療を施せば治るようなもの。
『不治』という最悪の
「どうした、ベル?」
「い、いや……なんでもないよ。どういうことだろう……ん?」
不思議な混乱に襲われ、言葉が詰まる僕の視界の端で火の粉が散った。
そちらを見ると18階層の戦いからヴェルフが手にした炎の『魔剣』が何かを伝えるように小さな炎を散らしている。誰も触れていないのに意思を持っているかの如く炎を散らすその剣に思わず瞠目した。
「……あ、そうだ! あの人達はどこに!?」
すぐに沈黙した剣に重い足を向けようとしたところでここまで急いでいた理由……【アポロン・ファミリア】の協力者、特に
気になりはするけどみんなが無事ならまずはそれでいい。その無事を壊されるのは阻止しないといけない。
あの人のことは道中では見かけなかった。なら、まだ隠れて機会を窺っているのかと警戒しようとしたところでこの場にいる四人以外の誰かの声が耳に届いた。
「奴等ならば逃げたぞ。あの光の柱が突き立った時点で振り返ることなく、な」
少しだけ動くようになった顔を動かしてその声の主を探す。
すぐに声の主が誰かはわかった。僕達の方に歩いてきている人達の中でその人だけが一人だけ前に立っていたから。
「……ヒュアキントスさん」
自然と力が入らない筈の体が強張る。
僕達の……【ヘスティア・ファミリア】と【アポロン・ファミリア】の間に緊張が走る。
そんな僕達に光が差し込んだ。揃って頭上を見上げると、光の矢によって散った雲に隠されることがなくなった美しい月が僕達を見つめていた。
城の中央で【ヘスティア・ファミリア】と【アポロン・ファミリア】が再び対面する……それよりも前、『光の矢』が極彩色の複合体を消滅させた時にまで遡る。
まるで神の送還のように『光の柱』が突き立つ光景に一柱の神は瞑目し、いくらかの神は瞠目するなど、様々な反応が見られるバベル三十階の大広間。
アポロンは誰よりも目を見開いていた。その光景にではなく、少年の身に舞い降りた光に。
「何故だ……何故、アルテミスがあの男に力を貸す……っ、何故、私の眷属達までも彼の味方となったんだ……!」
この場では答えが出る筈のない何故をぶつぶつと問い続けるアポロン。
片手で頭を押さえ、もう片方の手は皮が裂ける程に握り締める彼に一柱の男神が近付いた。
「
帽子を脱ぎ、傍に眷属を従わせたヘルメスがその目に神威を宿し、アポロンの前に立つ。
他の神々も既に『神の鏡』による観戦をやめ、二人のことを見つめていた。
「返って来る答えはわかっているが、まずは単刀直入に聞こうか。何故こんな真似をした」
「……我が妹、アルテミスを殺したベル・クラネルへの復讐、それ以外にない」
ヘルメスの想像通り、返ってきた答えは先ほど暴露したものと同じ。
アルテミスの名に悲し気な表情を浮かべたヘルメスだったが、一瞬後には神の表情を纏い直し、言葉を続ける。
「ベル・クラネルは女神アルテミスを殺してなんかいない。彼は殺したのではなく未来永劫囚われる筈だった女神の魂を救った。それが
「死は救済だとでも言うつもりか? 『神創武器』によってアルテミスは送還ではなく、殺された! 下界にも、天界にも、もう彼女はいない! 殺しておいて救いなどと笑わせるなッ!」
『オリオン』にあの少年が選ばれてしまったのは周知の事実。
それを使用し、女神の存在を消した事を追及しているのはわかっている。
だが、続くアポロンの言葉にヘルメスは目を細めた。
「あの男は
瞬間、円卓の一角で神威が迸った。
側にいてくれたヘファイストスやミアハ達の制止の声も無視し、卓を飛び越え、最悪の侮辱を口にしたアポロンに一柱の女神、ヘスティアが飛び掛かろうとする。
「抑えなさい、ヘスティア」
そんな彼女を宥めたのはヘファイストスではなくフレイヤだった。
神威を迸らせたヘスティアを背後から抱きしめ、落ち着かせるように声を掛ける。まだ息は荒いが、彼女に抱かれ徐々に落ち着きを取り戻すヘスティアだったが、腕の中で顔を俯かせていた。
神威が霧散したのを感じたヘルメスは再び口を開きかけ、そこで自分に突き刺さる視線に気付く。その視線はヘスティアの方から向けられており、そちらを見た彼は……背筋を凍らせた。
「…………」
そこにいるのはヘスティアだけではない。
フレイヤもいるのだ。渦中にいる少年を気に入っているあのフレイヤが。
そんな彼女の瞳は雄弁に語っていた。
────不愉快よ。さっさと終わらせなさい。
ヘスティアを聖母のように優しく抱きしめる腕とは違い、絶対的な女王の瞳がそこにはあった。
もたもたしていたらアポロンを
「別の道を探しもせずに、か……探していたさ。オレ達が
「ッ────!」
「オレはこの意思を変えないし君も変えないだろう? なら埒が明かない、話を変えようか。色々と聞きたいことが多いが、まずこれだけは明らかにしておきたいことがある」
聞く耳を持たないアポロンに口を挟む暇を与えず、捲し立てるように話すヘルメスは昏く淀んだ彼の瞳に目を細め、一つ問う。
「今のお前は、巻き込んだ自分の
その問いに憤怒と憎悪に染まっていたアポロンの顔からわずかにそれらが消える。
言葉に詰まり、強い動揺に襲われているかのように揺れる瞳に神々は気付いた。
だが、次の瞬間には何かを押し殺すかのようにより一層強くなったそれらの感情が表情を染め、続く言葉には激しい怨嗟が宿る。
「どうでもいい……あの男への復讐を果たせれば何人、何十人……いいや、眷属の全てが天に還ろうとどうでもいい! あの子達は私の復讐を果たす為の……っ、駒でしかないのだから!」
水を打ったように静まり返る円卓の間。
その中でヘルメスはどこか安心したかのような笑みを口元に浮かべていた。
「……それが本心から来る言葉だったら、発言したその瞬間に送還させてたところだけど……安心したよ。やっぱりおかしくなってたんだな、アポロン」
ヘルメスの言葉を皮切りに神々全ての視線がアポロンに集中する。
無言の神々のまるで何かを探すかのような視線の雨を浴びた彼がわずかに後退する中でヘルメスもアポロンを間近で見つめ、一つ頷いた。
「
「ああ。ヘスティアには非常に申し訳ないことをすることになってしまったが、これを解明しないでアポロンを天に還す訳にはいかない」
その何かを察したフレイヤの言葉に答え、そちらに振り向いたヘルメスは彼女の腕の中にいるヘスティアに謝罪するように頭を下げる。
ヘルメス自身、ある程度は話を広げるつもりではあったが、あのような侮辱を語らせるつもりはなかった。
「すまない、ヘスティア」
「……いいよ、別に。ただ……色々とちゃんと明かしてくれよ」
それを止められなかったことを謝罪する彼にヘスティアは軽く手を振って応える。
もう一度、そんな彼女に頭を下げたヘルメスはそのまま背後にいるフレイヤに目を向けた。
「もちろんだ。というわけでフレイヤ様、貴女の見解をお聞きしても? オレの目より、他の神々の目より、貴女の瞳が『視た』ものを聞くのが一番良い」
「濁っている、狂っている、歪んでいる、堕ちている。ここまでの言動を見てわかる通り、明らかに正気じゃないわね。神が相手だから詳細はよくわからないけれど……
神々の中でも絶対的な発言権を持つフレイヤの言葉。
ここまでのアポロンの言動に彼女の言葉が合わされば最早誰も疑う神などいない。
「…………私がおかしい? 私が、狂っているだと……! ふざけるな、ぐぅ……っ!」
ヘルメスとフレイヤ、そして神々の視線に怒号を上げ、言葉を返そうとしたアポロンがその場に膝をつく。
彼の身を襲う頭痛は先ほどよりも激しさを増しており、その痛みは突き付けられた真実……さらに今の自分は何かがおかしくなってしまっているという疑問を意識する程に激しさを増していた。
両手で頭を抱え込むように押さえ始めたアポロンの前にヘルメスが片膝をつく。
「気付けたんだろう? 今の自分は何かがおかしいって。痛みが邪魔をして思い出し切れないのなら、オレが手伝ってやるよ」
アポロンの呻き声だけが響く空間でヘルメスは言葉を紡ぎ続ける。
「お前は祈っていた筈だ。アルテミスの為に……彼女を救った下界の子の為に。どれだけ胸が張り裂けそうな悲しみに襲われていたとしても、祈っていた筈だ」
「……!」
痛みの中でアポロンの脳裏に蘇ったのは遥か彼方の地で光の柱が突き立ったあの日。
あの日、妹と彼女を
「し、らないな……! 私は、祈ってなど……いない……!」
「……頑なに認めないつもり……いや、これだけは認めさせないつもりか……?」
アポロンがアルテミスと彼女を救った少年の話に対して彼が異常な防衛反応のようなものを見せていることにヘルメスは小さく舌を弾いた。
この話を続けるとアポロンが壊れる可能性がある。
別の切り口から攻める必要があるが、恐らくこの事実を認めさせることができなければアポロンが正気を取り戻すことはない……そんな神の勘が働いていた。
(攻めるにしてもただ攻めるだけじゃダメだ。何かきっかけが欲しい。今のアポロンでも決して無視する事なんて出来ないきっかけが……)
神々では不可能。
零能ではあるが全知である神の言葉は今の彼には届かないだろう。
それこそ、アポロンが下界で最も大事に思っている誰かの言葉でもなければ────
「……ん?」
「どういうことだ……?」
そんな時だった。
ヘルメスとアポロンのやり取りを注視していた筈の神々が困惑したような声を上げる。
その声にヘルメス、アポロンが共に他の神々が見上げている方を見る。
そこにあるのは『神の鏡』。
それには既に戦闘を終えた二つの派閥の姿が映し出されている筈だった。
「ベル君……」
「……ヒュアキントス?」
しかし、映し出されている光景はまるで違った。中心にいるのは二人の冒険者。
一人の冒険者は鞘に納めた灰色の剣に手を当てている。
もう一人の冒険者は既に引き抜かれた無骨な直剣を握っている。
今にも一騎打ちが始まりそうなその光景に神々は大いに戸惑いの声を上げていた。
「何を、するつもりだ……ヒュアキントス……
「……少し観戦しようじゃないか、アポロン。【
唖然とした様子のアポロンの隣でヘルメスはヒュアキントスの瞳に宿る光に目を細める。
無論、打算はある。だがその打算がなくとも、彼のこの戦いは今のアポロンに見せなくてはならないものだと彼は悟った。
震えるアポロンの瞳が彼等の戦いを見守るべく、『神の鏡』を見据える。
まるでそれを待っていたかのように、二人の冒険者の戦いは始まった。
残り2話ほどで今章は幕を閉じます。
どうか最後までお付き合いいただけると幸いです。
ここまで見ていただきありがとうございました。